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占領期日本の貿易統制からGATT加入まで――ドッジラインとガット35条(AI作成)

第1 この記事が答える問い

占領下の日本では,民間の業者が自分の判断で外国と取引することができなかった。
その統制はどのような順序で解かれ,日本は多角的な貿易体制へどのように参加したのか。

本記事は貿易と為替に範囲を限る。
占領期の経済安定政策の全体像には立ち入らない。
産業そのものに対する制限は別の主題であり,「占領期の産業制限と逆コース」で扱う。

第2 占領開始時の貿易

1 民間貿易の禁止と政府間貿易

降伏後,日本の対外貿易は連合国軍最高司令官の管理下に置かれた。
民間の業者が外国の相手方と直接に取引することはできず,輸出入は,日本政府の機関が一方の当事者となり,占領軍の承認を得て行う政府間の取引として処理された。
外国の商社が日本に駐在して取引をすることも,当初は認められなかった。

貿易が禁止されたのは,制裁のためだけではない。
食糧・原材料の輸入を占領軍が負担していたため,何をどれだけ入れるかの決定権を占領軍が握る必要があったという事情もある。

2 ポツダム宣言第11項は貿易にも触れている

第11項は,産業の制限を定めた条項として引用されることが多い。
しかし,同項の後段は,原料の入手と将来の世界貿易への参加についても定めている。

「十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ハ之ヲ許可セラルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ」

「将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ」という一文が,本記事を第11項の子記事とする根拠である。
第11項は,産業を制限する条項であると同時に,貿易への復帰を予定した条項でもあった。

第3 民間貿易の再開

1 再開の時期と条件

民間貿易は,一度に自由化されたのではなく,段階を追って回復した。

①1947年8月,制限付きの民間貿易が再開された。外国の商社関係者の入国が認められ,日本の業者と商談ができるようになった。ただし,契約の相手方は日本政府の貿易機関であり,決済も占領軍の管理下にあった。
②1949年から1950年にかけて,輸出・輸入が順次,民間の業者自身の取引へ移された。

段階の区切り方と時期は資料により幅がある。
記事で年月日を確定させるときは,当時の官報又は占領軍の指令で確認する。

2 複数為替相場から単一為替相場へ

民間貿易の再開当初,日本には統一された為替相場がなかった。
品目ごとに異なる換算率を用いる複数為替相場が使われており,これでは業者が採算を見通せない。

1949年4月,経済安定計画(いわゆるドッジ・ライン)の一環として,1ドル=360円の単一為替相場が設定された。
この相場は,1971年に変動相場制へ移行するまで維持されることになる。

単一為替相場の設定は,貿易の自由化そのものではない。
しかし,統一された価格の物差しがなければ民間の取引は成立しないので,これが民間貿易の回復の前提となった。

3 国内の統制法令

占領軍の指令による統制は,やがて日本自身の法律に置き換えられた。

1949年(昭和24年)12月1日,外国為替及び外国貿易管理法(昭和24年法律第228号)が公布された。
同法は,対外取引を原則として制限した上で,許可又は承認によってこれを解除するという建て方を採っていた。
自由が原則で規制が例外なのではなく,規制が原則で自由が例外という構造である。

同法は,その後の改正により題名から「管理」の語が削られ,現在の題名は「外国為替及び外国貿易法」である。
法律番号は昭和24年法律第228号のまま維持されている。
題名・法律番号及び公布日は,e-Gov法令検索の法令APIで確認した。

第4 多角的貿易体制への参加

1 ガットへの加入

関税及び貿易に関する一般協定(ガット)は,第二次世界大戦後の多角的な貿易体制の基礎となった協定である。
日本は,占領下にあったため当初の締約国ではなく,講和条約の発効後に加入した。

日本の加入は1955年である。
加入の手続は,既存の締約国が加入議定書を通じて日本の加入を承認するという形をとった。

2 第35条の援用

ガットには,第35条という規定がある。
これは,特定の締約国の間で協定を適用しないことを認める規定であり,加入の時に一定の要件の下で援用することができる。

日本の加入に対しては,複数の締約国がこの規定を援用した。
その結果,日本はガットに加入しながら,援用した国との間では協定上の待遇,とりわけ最恵国待遇を受けられないという状態に置かれた。

加入したのに協定が適用されない相手国がある,という点が第35条の問題である。
「加入=直ちに全締約国との自由貿易」ではない。

3 援用の解消

援用は,二国間の通商航海条約の締結等を通じて,1960年代前半にかけて順次解消していった。
日本は1964年に経済協力開発機構(OECD)へ加盟し,先進国の一員として扱われるようになる。

援用国数及び撤回の時期は,記事で確定させるときにガットの公表文書及び外務省資料で確認する。

第5 占領期の統制が残したもの

占領は1952年4月28日に終了した。
その経過は「日本の占領はいつ終わったのか」で扱う。

もっとも,占領の終了によって貿易・為替の統制が消えたわけではない。
占領軍の指令に代わって日本の法律が統制を担っており,許可・承認の仕組みはそのまま残った。
その自由化は,1960年代以降の日本の課題として引き継がれる。

占領期の統制は,占領が終わった時点で終わったのではなく,法律の形で残り,あらためて解かれていったのである。

第6 原資料で確認する方法

①法令は,e-Gov法令検索で題名・法律番号・公布日及び条文を確認する。旧題名の法令は,現行法令の沿革欄からたどる。
②条約は,外務省の条約データベース及び官報の条約公布で確認する。
③貿易の実績と時期区分は,通商関係の白書・統計で確認する。
④占領期の指令は,SCAPINの原文で確認する。国立国会図書館の日本占領関係資料に所在がある。

第7 出典・参考資料

1 条約・法令

①ポツダム宣言第11項(1945年7月26日)
②外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号,昭和24年12月1日公布。制定時の題名は「外国為替及び外国貿易管理法」)。題名・法律番号・公布日はe-Gov法令検索の法令APIで確認した。
③関税及び貿易に関する一般協定(ガット)第35条
④日本国のガット加入に関する議定書(1955年)

2 公文書・統計

①SCAPIN(連合国軍最高司令官指令)
②官報
③通商関係の白書・統計

3 文献

①占領期の貿易・為替統制に関する経済史の文献
②ガット第35条援用に関する国際経済法の文献