第1 この記事が答える問い
京都は,いつ,誰の判断で,どのような理由により原子爆弾の投下目標から外されたのか。
本記事は,資料で確認できる経過と,後世に流布した説明とを分けて整理する。
結論を先に述べる。
京都は,1945年5月の段階では最有力の候補であった。
これを候補から外したのは陸軍長官ヘンリー・スティムソンであり,同年7月のポツダム会談中に再考を求められてもこれを拒否し,トルーマン大統領も同じ考えであることを表明した。
本人が後年挙げた理由は,京都が日本の古都であり,日本の美術と文化の聖地であるということであった。
第2 京都はなぜ候補に挙がったのか
1 目標委員会の会合
投下目標を具体的に検討したのは,目標委員会(Target Committee)である。
使用方法を大統領へ勧告した暫定委員会とは別の,実務委員会である。
両者の役割の違いは「原爆投下命令は誰がいつ出したのか」で扱う。
委員会の会合は,1945年4月27日の初回協議(ワシントン),同年5月10日・11日の第2回会合(ロスアラモス,オッペンハイマーの執務室),同年5月28日の第3回会合(ワシントン)と重ねられた。
2 1945年5月10日・11日の会合が挙げた5都市
第2回会合の記録は,「Summary of Target Committee Meetings on 10 and 11 May 1945」と題する1945年5月12日付のグローブス将軍宛て文書として残っている。
米国立公文書館のRecord Group 77所蔵である。
この文書は,5都市を候補として挙げ,それぞれに区分を付している。
①京都(AA目標)
②広島(AA目標)
③横浜(A目標)
④小倉工廠(A目標)
⑤新潟(B目標)
会合は,このうち上位4都市(京都,広島,横浜,小倉工廠)を最有力の候補として推薦した。
3 京都に付された理由
京都について記された理由は,次のとおりである。
“(1) Kyoto – This target is an urban industrial area with a population of 1,000,000. It is the former capital of Japan and many people and industries are now being moved there as other areas are being destroyed. From the psychological point of view there is the advantage that Kyoto is an intellectual center for Japan and the people there are more apt to appreciate the significance of such a weapon as the gadget. (Classified as an AA Target)”
すなわち,①人口100万の都市工業地域であること,②他の地域が破壊されるにつれて人と産業が移転してきていること,③日本の知的中心であり,住民が兵器の意義をより理解しやすいこと,が挙げられている。
③は,軍事的な理由ではない。
古都であることが,除外の理由としてではなく,むしろ選定の理由として記載されていた点は,この文書を読むときに落としてはならない。
4 選定基準に心理的効果が含まれていたこと
同じ文書は,選定基準そのものについて次のように記す。
“7. Psychological Factors in Target Selection
A. It was agreed that psychological factors in the target selection were of great importance. Two aspects of this are (1) obtaining the greatest psychological effect against Japan and (2) making the initial use sufficiently spectacular for the importance of the weapon to be internationally recognized when publicity on it is released.”
日本に対して最大の心理的効果を得ること,及び,兵器の重要性が国際的に認知されるだけの十分に劇的な初回使用とすること,の二つが基準として合意されていた。
さらに同文書は,兵器が誤って外れることによる損失を避けるため,狭義の軍事目標は,爆風被害を受けるより広い区域の中に位置していなければならないとも記している。
これは,「純粋に軍事的な目標」を狙うという説明とは異なる基準である。
なお,東京の皇居についても議論されたが,委員会としては推薦せず,その是非は軍事政策の当局に委ねるとされた。
第3 候補都市は通常爆撃から外されていた
候補に挙がった都市は,通常爆撃の対象から意図的に外されていた。
査読を経た政治学の論文(American Political Science Review,2026年5月号)は,米国立公文書館所蔵の資料に基づき,1945年5月17日の時点で,最高機密の指示により広島,新潟及び京都への爆撃が禁じられていたことを指摘している。
これらの都市が原子爆弾の暫定的な最初の目標として指定されていたことが,その理由である。
また同論文は,1945年6月6日にスティムソンが大統領に対し,準備が整う前に空軍が日本を徹底的に爆撃してしまい,新兵器がその威力を示すにふさわしい背景を持てなくなることを恐れていると述べたことも記録している。
すなわち,候補都市を残しておくこと自体が,効果の測定と誇示のための方針であった。
この点は,警告ビラの問題(「広島・長崎に原爆投下の事前警告ビラはまかれたのか」)とも関係する。
第4 除外の経緯
1 陸軍長官の反対
京都を候補から外したのは,スティムソン陸軍長官である。
本人は,1947年2月にHarper’s Magazine誌へ発表した論説で次のように述べている。
“Because of the importance of the atomic mission against Japan, the detailed plans were brought to me by the military staff for approval. With President Truman’s warm support, I struck off the list of suggested targets the city of Kyoto. Although it was a target of considerable military importance, it had been the ancient capital of Japan and was a shrine of Japanese art and culture. We determined that it should be spared.”
軍事的には相当の重要性を持つ目標であったが,日本の古都であり,日本の美術と文化の聖地であったため,候補から削ったという説明である。
2 ポツダム会談中の再考要請と拒否
この判断は,一度で確定したわけではない。
スティムソンの同時代の日記は,ポツダム会談中の1945年7月21日夜,ワシントンのハリソンから電報を受け,自らの判断を覆すよう求められたことを記している。
“…two short cables came in from [George] Harrison […] indicating that operations would be ready earlier than expected, and also asking me to reverse my decision as to one of the proposed topics. I cabled, saying I saw no new factors for reversing myself but on the contrary the new factors seemed to confirm it.”
判断を覆すべき新たな要素は見当たらず,むしろ新たな要素は自らの判断を裏付けるように思われる,と返電したという記述である。
この働きかけは,マンハッタン計画の責任者グローブス将軍が,京都を主要目標に含めるよう求めたものであった。
3 大統領も同じ考えであったこと
翌7月22日の日記には,次の記載がある。
“As to the matter of the special target [Kyoto] which I had refused to permit, he [Truman] strongly confirmed my view and said he felt the same way”
大統領が自らの見解を強く支持し,同じ考えであると述べた,という趣旨である。
トルーマン自身の1945年7月25日付の日記にも,「we as the leader of the world for the common welfare cannot drop that terrible bomb on the old capital or the new」という記載がある。
古い都にも新しい都にもこの恐るべき爆弾を落とすことはできない,という趣旨である。
第5 除外の理由をどう説明できるか
1 本人が挙げた理由
以上のとおり,除外の理由として資料上確認できるのは,スティムソン本人が1947年に述べた文化上の理由である。
ただし,これは事件から1年半以上を経て,公表を前提に書かれた文章である。
同時代の日記は,判断を覆さないという結論と,その決意の強さは記しているが,理由そのものを詳しく述べていない。
したがって,「文化上の理由であった」という説明は,本人の事後の説明として扱うのが正確である。
2 個人的経験に帰する説明の扱い
京都の除外については,スティムソン個人の経験に理由を求める説明が広く流布している。
本記事の調査では,こうした説明を裏付ける同時代の資料を確認できなかった。
原典に書かれていない因果関係を,原典の結論であるかのように書くことは避けるべきである。
本記事では,資料で確認できるのは①スティムソンが除外を決めたこと,②再考を求められても覆さなかったこと,③大統領が同調したこと,④本人が後年,文化上の理由を挙げたこと,の四点であるにとどめる。
第6 京都が外れた後の目標
1 最終的な4都市
投下作戦を許可した1945年7月25日付の命令は,目標を広島,小倉,新潟及び長崎と定めている。
5月10日・11日の会合が推薦した4都市(京都,広島,横浜,小倉工廠)と対照すると,次のようになる。
①共通 広島,小倉
②外れたもの 京都,横浜
③加わったもの 新潟,長崎
新潟は,5月28日の第3回会合の段階で既に候補に浮上していた。
これに対し,長崎が加わった時期は遅く,本記事の調査で確認できた資料の範囲では,1945年7月24日に起案され翌25日に発せられた前記の命令が,長崎を目標として挙げた最初の文書である。
どの会合又は文書で長崎が追加されたのかは特定できておらず,今後の確認事項として残る。
横浜が外れた理由についても,本記事の調査では資料上の明示的な説明を確認できなかった。
2 「京都に代わって小倉が加わった」という説明の問題
京都の除外について,「京都に代わって小倉が最終候補に加わった」と説明されることがある。
しかし,小倉工廠は1945年5月10日・11日の会合の段階で既に候補に挙がっており,京都の除外によって新たに加わった都市ではない。
5月の推薦4都市と7月25日の命令の4都市とを比べたとき,新たに現れたのは新潟と長崎である。
「京都に代わって加わった都市」という言い方をするのであれば,時期の点からは長崎がこれに当たる。
もっとも,前記のとおり,長崎を追加した文書そのものを特定できていない以上,因果を伴う「代替」として断定することはできない。
第7 原資料で確認する方法
目標委員会の第2回会合の記録は,米国立公文書館のRecord Group 77に所蔵されており,翻刻が公開されている。
スティムソンの日記はイェール大学が所蔵しており,1945年7月分の抜粋が公開されている。
1947年の論説は,Harper’s Magazine誌1947年2月号に掲載されたものである。
投下作戦を許可した命令は,同館のRecord Group 77及び342に原本がある。
第8 出典・参考資料
1 公文書・歴史資料
①”Summary of Target Committee Meetings on 10 and 11 May 1945″(1945年5月12日付,グローブス将軍宛て),米国立公文書館Record Group 77所蔵
②Thomas T. Handy to Carl Spaatz(1945年7月25日付命令),米国立公文書館Record Group 77・342所蔵
③Henry L. Stimson, Diary, 1945年7月21日・22日(イェール大学スティムソン文書)
④Harry S. Truman, Diary, 1945年7月25日(Robert H. Ferrell, ed., Off the Record: The Private Papers of Harry S. Truman, 1980所収)
⑤National Security Archive (The George Washington University), “The Atomic Bomb and the End of World War II: A Collection of Primary Sources,” Briefing Book #716(ed. William Burr)所収の目標委員会関係文書
2 研究文献
①Henry L. Stimson, “The Decision to Use the Atomic Bomb,” Harper’s Magazine, vol.194(1947年2月号)
②Joshua Byun and Austin Carson, “Performative Violence and the Spectacular Debut of the Atomic Bomb,” American Political Science Review, Vol.120 No.2(2026年5月号)759頁~778頁