第1 結論
1 最高裁判決は相続税非課税を判断していない
最高裁令和7年10月30日第一小法廷判決は,本件自動車保険契約の人身傷害条項に基づく死亡保険金請求権が被保険者に発生し,被保険者の相続財産に属すると判断した民事判決である。
同判決は,相続税法上の課税財産の範囲,死亡保険金の非課税限度額又は平成11年10月18日付の国税庁回答の適否を判断していない。
したがって,同判決から「自損事故の人身傷害死亡保険金は相続税の課税対象とならない」という結論を導くことはできない。
2 現在公表されている課税上の取扱い
国税庁の平成11年回答は,人身傷害死亡保険金から「損害賠償金の性格を有する金額」を控除し,残額について保険料の実質的な負担者に応じて相続税,所得税又は贈与税の課税関係を判定する取扱いを示している。
事故の相手方等に対する損害賠償請求権がない純粋な自損事故では,通常,損害賠償金として控除する金額はない。
そのため,2026年7月17日現在の公表資料を前提とすれば,被相続人が保険料を負担した自損事故の人身傷害死亡保険金は,相続税の課税対象となる方向で処理される。
もっとも,課税対象に含まれることと,実際に納付税額が発生することは同じではなく,死亡保険金の非課税限度額,遺産に係る基礎控除額及び各種税額控除を含めて判定する必要がある。
第2 最高裁令和7年10月30日判決の内容
1 自損事故と相続放棄が問題となった事案
本件は,会社が締結した自動車保険契約の被保険者が自損事故により死亡した後,被保険者の子らが相続放棄をし,被保険者の母が相続人となった事案である。
保険会社は,約款にいう法定相続人が死亡保険金請求権を固有に取得するなどと主張した。
これに対し,相続人側は,死亡保険金請求権が被保険者の相続財産に属するとして,保険金の支払を求めた。
2 最高裁が示した二つの判断
(1) 死亡保険金請求権は被保険者の相続財産に属する
最高裁は,本件人身傷害条項の文言,損害額の算定方法及び保険契約者の通常の理解から,死亡保険金請求権は被保険者自身に発生すると判断した。
約款に「被保険者が死亡した場合はその法定相続人」と記載されていても,これは死亡保険金請求権が相続財産に属することを前提として,通常は法定相続人が相続により取得することを注意的に定めたものにすぎないとした。
(2) 近親者の存在は死亡保険金額を減少させない
本件約款には,被保険者の父母,配偶者又は子が固有の精神的損害について保険金を請求できる定めもあった。
最高裁は,これらの近親者が存在することによって被保険者自身の精神的苦痛等が減少するとはいえないため,近親者の存在は被保険者に発生する死亡保険金の額に影響しないと判断した。
3 判決の射程は本件約款の解釈である
最高裁判決は,本件人身傷害条項の文言及び構造を解釈したものであり,すべての保険会社又はすべての時期の人身傷害約款について,同じ結論になると一般化したものではない。
また,判決文には保険契約者が会社であったことは記載されているものの,相続税の判定に必要な保険料の実質的な負担者は認定されていない。
本件判決の裁判例情報は,最高裁令和7年10月30日第一小法廷判決,令和6年(受)第120号,民集79巻7号2794頁であり,判決全文は裁判所ウェブサイトに掲載されている。
第3 平成11年国税庁回答の課税基準
1 照会本文と回答本文を一体で読む必要がある
平成11年10月18日付の国税庁回答は,東京海上火災保険株式会社が平成11年10月4日付で行った照会に対し,「貴見のとおりで差し支えありません」と回答したものである。
この資料は,国税庁サイト上では個別照会への回答形式で公表される一方,相続税関係の個別通達目次にも掲載され,他の質疑応答事例では平成11年10月18日課審5-2の法令解釈通達として引用されている。
そこで,本記事では,これを「国税庁の文書回答事例(平成11年10月18日付法令解釈通達)」という。
したがって,回答の内容は,照会本文に記載された当時の人身傷害補償保険の仕組み及び約款を確認した上で,回答本文と併せて読む必要がある。
2 保険金を二つの部分に分けて判定する
(1) 損害賠償金の性格を有する金額
国税庁回答は,相手方の過失割合に応じる金額,同乗者事故で運転者又は保有者が本来負担すべき金額及び一定の親族間事故で自賠責保険会社に直接請求できる金額を,損害賠償金の性格を有する金額としている。
この部分は,人身傷害保険金の支払後に保険会社が損害賠償請求権を取得し,事故の相手方等へ代位請求するため,所得税,相続税及び贈与税の課税対象から除かれる。
国税庁の「No.4111 交通事故の損害賠償金」の質疑応答事例も,賠償義務者が本来負担すべき金額を非課税としている。
(2) 損害賠償金として認められる金額を控除した残額
残額の税目は,保険契約者の名義だけではなく,保険料を実質的に負担した者と保険金受取人との関係により判定する。
| 保険料の実質的な負担者 | 保険金受取人との関係 | 原則となる税目 |
|---|---|---|
| 死亡した被保険者 | 相続人又はその他の受取人 | 相続税 |
| 保険金受取人 | 自ら負担 | 所得税の一時所得 |
| 死亡した被保険者及び受取人以外の者 | 第三者から受取人への移転 | 贈与税 |
国税庁の「No.4114 相続税の課税対象になる死亡保険金」は,被相続人が保険料を負担した一定の死亡保険金を相続税の課税対象としている。
3 自損事故では損害賠償金部分が通常存在しない
国税庁回答の判定式は,「支払保険金-損害賠償金として認められる金額=課税関係を判定する対象額」と整理できる。
通常の二者事故では,相手方の責任割合に応じる金額が損害賠償金部分となるため,残額が被害者側の過失割合に応じる金額と一致することが多い。
しかし,同乗者事故及び親族間事故では,損害賠償金部分と被保険者自身の過失割合が一致しない場合があるため,「被保険者自身の過失部分だけが課税対象」と一般化するのは正確でない。
事故の相手方等に対する損害賠償請求権がない純粋な自損事故では,損害賠償金として認められる金額が通常存在しないため,支払保険金の全額について保険料負担者に応じた課税関係を判定することになる。
第4 最高裁判決から全額非課税を導けない理由
1 「損害の填補」と税法上の「損害賠償金」は同じではない
人身傷害保険金が約款上の損害を填補することと,同保険金が税法上の損害賠償金として取り扱われることは,別の問題である。
人身傷害保険金は保険契約に基づいて支払われるのに対し,損害賠償金は賠償義務者の法的責任に基づいて支払われる。
最高裁判決は,本件人身傷害保険金が被保険者に生じた損害を填補することを,保険金請求権の帰属を判断する理由として用いたが,税法上の損害賠償金に当たるとは判断していない。
相続税基本通達3-10も,無保険車傷害保険金について,単に損害を填補するからではなく,「損害賠償金としての性格を有すること」を理由として,相続税法3条1項1号のみなし相続財産に含めないとしている。
2 相続税法12条に一般的な損害填補の非課税規定はない
相続税法2条は,相続又は遺贈により取得した財産を相続税の対象とし,同法11条及び11条の2は,取得した財産の価額を課税価格の基礎とする。
同法12条1項は非課税財産を列挙しているが,人身傷害保険金又は損害の填補一般を非課税とする規定はない。
また,被害者が生前に取得した損害賠償金請求権が未収のまま相続された場合には,その請求権は相続財産として課税対象となるため,「損害賠償に関係する財産は相続税の対象にならない」ともいえない。
3 本来の相続財産とみなし相続財産の整理は残る
最高裁判決は,本件死亡保険金請求権を被保険者の相続財産とした。
この私法上の評価を税務にも反映して本来の相続財産として課税するのか,従来の国税庁回答に従って相続税法3条1項1号のみなし相続財産として扱うのかは,整理を要する。
相続税法12条1項6号の「500万円×法定相続人の数」という死亡保険金の非課税限度額は,条文上,同法3条1項1号の保険金を対象としているため,この区別は非課税限度額の適用にも影響し得る。
2026年7月17日現在,最高裁判決後の本件論点について,国税庁が従来の回答を改訂した公表資料は確認できない。
この未確定部分は,個別事案で慎重な検討を要する理由であり,自損事故の人身傷害死亡保険金を全額非課税とする根拠ではない。
第5 申告及び更正の請求で確認すべき事項
1 約款,保険料負担者及び事故態様を確認する
人身傷害死亡保険金の課税関係を判断するためには,少なくとも次の資料及び事実を確認する必要がある。
① 適用される普通保険約款及び特約の文言
② 保険契約者の名義と保険料の実質的な負担者
③ 被保険者,約款上の保険金請求権者及び現実の受取人
④ 自損事故,二者事故,同乗者事故又は親族間事故の別
⑤ 賠償義務者に対する損害賠償請求権及び保険代位の有無と金額
⑥ 実損填補型の保険金と死亡定額給付の区分
2 非課税限度額と基礎控除額を区別する
被相続人が保険料を負担した死亡保険金を相続税法3条1項1号のみなし相続財産として扱い,相続人が取得した場合には,500万円に法定相続人の数を乗じた非課税限度額が適用される。
法定相続人の数は,相続放棄をした者がいても,相続放棄がなかったものとして計算する一方,相続放棄をした者自身が取得した保険金には非課税限度額を適用できない。
この死亡保険金の非課税限度額と,遺産全体に適用される基礎控除額は別の制度である。
保険金が課税対象に含まれても,遺産全体の課税価格及び税額控除を計算した結果,納付税額が発生しないことがある。
3 更正の請求と不服申立てには期限がある
相続税の更正の請求は,一般に法定申告期限から5年以内に行う必要がある。
後発的理由による更正の請求には別の要件と期限があるため,別事件の民事判決が出たことだけで,いつでも請求できるわけではない。
更正処分等に不服がある場合には,原則として処分通知の翌日から3か月以内に再調査の請求又は審査請求をすることができる。
最高裁令和7年判決は相続税法上の課税関係を判断していないため,同判決の存在だけを理由に,更正の請求又は税務訴訟の結果を予測することはできない。
第6 人身傷害補償保険の保険金と税金に関する関連記事
負傷又は後遺障害に基因する人身傷害保険金,死亡定額給付及び保険料負担者ごとの税目については,本ブログの「人身傷害補償保険の保険金と税金」も参照されたい。
同記事の「被保険者自身の過失部分だけが課税対象」という説明は,典型的な二者事故を簡略化したものであり,正確には,支払保険金から損害賠償金として認められる額を控除し,残額について保険料負担者に応じて税目を判定する。
第7 出典
1 法令
① 相続税法2条,3条1項1号,11条,11条の2,12条1項6号及び22条
2 裁判例
① 最高裁令和7年10月30日第一小法廷判決,令和6年(受)第120号,民集79巻7号2794頁
3 国税庁資料
① 国税庁「相続税関係の個別通達目次」
② 国税庁「人身傷害補償保険金に係る所得税,相続税及び贈与税の取扱い等について」照会本文,平成11年10月4日
③ 国税庁「人身傷害補償保険金に係る所得税,相続税及び贈与税の取扱い等について」回答本文,平成11年10月18日
④ 国税庁「損害賠償金及び慰謝料を受け取ることとなった場合」質疑応答事例
⑤ 国税庁「No.4111 交通事故の損害賠償金」質疑応答事例
⑥ 国税庁「No.4114 相続税の課税対象になる死亡保険金」
⑦ 国税庁「第3条《相続又は遺贈により取得したものとみなす場合》関係」相続税基本通達3-10
⑧ 国税庁「B1-27 相続税及び贈与税の更正の請求手続」
⑨ 国税庁「No.7200 税務署長等の処分に不服があるときの不服申立手続」
4 文献
① 新井宏『税務の専門家も参考にする 相続税質疑応答集 第4版』法令出版,2022年,303頁・308頁~310頁・312頁~313頁
② 原弘明「人身傷害保険契約の死亡保険金の帰属」法学教室548号,2026年,43頁~48頁
③ 公益財団法人日弁連交通事故相談センター編『Q&A 新自動車保険相談』ぎょうせい,2007年,353頁~356頁