第1 本記事の対象と結論
1 本記事の対象
本記事は,平成29年6月5日に東名高速道路で起きたあおり運転による死傷事件(以下「東名事件」という。)の刑事裁判について,東京高裁令和元年12月6日判決(平成31年(う)第201号)を中心に,第1審から最高裁の上告棄却までの経過を整理するものである。
第1審,控訴審及び差戻し後の控訴審の各判決は裁判所HPの判決全文で確認し,差戻し後の第1審判決は判例秘書と差戻し後の控訴審判決の記載で確認した。
最高裁の上告棄却は,報道で確認したものである。
基準日は令和8年10月25日であり,被告人と被害者の氏名は記載しない。
2 結論
横浜地裁の裁判員裁判は危険運転致死傷罪の成立を認め,被告人を懲役18年とした。
東京高裁令和元年12月6日判決は,危険運転致死傷罪の成立を認めた第1審の法令適用に誤りはないとしつつ,第1審の裁判所が公判前整理手続で構成裁判官だけの合議により危険運転致死傷罪は成立しないとの見解を示し,その後に見解を変更して有罪としたことを,裁判員法6条に違反し,被告人に不意打ちを与える訴訟手続の法令違反であるとして,第1審判決を破棄し,横浜地裁に差し戻した。
差戻し後の横浜地裁も懲役18年とし,東京高裁は被告人の控訴を棄却した。
報道によれば,最高裁は令和8年1月19日付で上告を棄却する決定をし,懲役18年とした差戻し後の判決が確定することとなった。
第2 事案と審級の経過
1 公訴事実の要旨
東京高裁令和元年12月6日判決によれば,危険運転致死傷の公訴事実の要旨は,次のとおりである。
被告人は,東名高速道路のパーキングエリアで駐車方法を非難されたことに憤慨し,被害車両を停止させようと考えた。
そして,被害車両の通行を妨害する目的で,時速約100kmで被害車両を追い越してその直前の車両通行帯に車線変更し,減速して著しく接近させ,同様の接近行為を更に2回繰り返した。
最後は時速約63kmで被害車両の直前に車線変更して減速・接近した上,自車を停止させ,被害車両を停止させることを余儀なくさせた。
その約2分後,後方から進行してきた大型貨物自動車が被害車両に追突し,被害車両に乗っていた2人が死亡し,その子ら2人が負傷した。
被告人は,停止後に高速道路上で被害者の胸ぐらをつかむなどした暴行のほか,別の機会の強要未遂2件と器物損壊1件でも起訴されていた。
2 審級の経過
| 審級 | 裁判 | 結論 |
|---|---|---|
| 第1審 | 横浜地裁平成30年12月14日判決(平成29年(わ)第1680号) | 懲役18年(求刑懲役23年) |
| 控訴審 | 東京高裁令和元年12月6日判決(平成31年(う)第201号) | 第1審判決を破棄し,横浜地裁に差戻し |
| 差戻し後の第1審 | 横浜地裁令和4年6月6日判決(令和2年(わ)第1号) | 懲役18年(求刑懲役18年) |
| 差戻し後の控訴審 | 東京高裁令和6年2月26日判決(令和4年(う)第1046号) | 控訴棄却 |
| 上告審 | 最高裁第一小法廷令和8年1月19日決定(報道による) | 上告棄却 |
第1審と差戻し後の第1審は,いずれも裁判員裁判である。
控訴審判決は東京高裁第10刑事部の判決であり,判決書の署名欄によれば,裁判長は朝山芳史裁判官である。
差戻し後の控訴審判決は,判決書によれば,東京高裁第3刑事部の判決である。
第3 危険運転致死傷罪の成否についての判断
1 自車を停止させた行為は危険運転行為に当たらない
事件当時の自動車運転処罰法2条4号は,「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」を危険運転行為としていた。
第1審は,被告人の一連の妨害運転は実行行為に当たるが,被害車両の直前で自車を停止させた行為(以下「直前停止行為」という。)は実行行為に含まれないとした。
東京高裁も,速度が零となる直前停止行為が類型的に速度の要件に当たらないことは,立法趣旨と法文の文理に照らして明らかであり,高速道路上で行われた場合でも異ならないとして,この判断を是認した。
2 妨害運転と死傷結果との因果関係
第1審は,危険運転致死傷罪の因果関係を刑法上の因果関係と別異に解する理由はないとした上で,妨害運転によって生じた事故発生の危険性が現実化したものとして,死傷結果との因果関係を認めた。
東京高裁は,第1審の説示には一部適切でない部分があるとしつつ,高速道路上で執拗に直前への進入等を繰り返す妨害運転は,被害車両の運転者に,第3車両通行帯上に停止する以外に採るべき手段がないと判断させるものであると評価した。
その上で,被害車両の停止,被告人の暴行等及び後続車両の運転者の車間距離保持義務違反は,因果関係を否定するほどの異常な介在事情には当たらないとして,因果関係を肯定した第1審の結論を是認した。
したがって,法令適用の誤りをいう控訴趣意は理由がないとされた。
第4 控訴審が第1審判決を破棄した理由
1 公判前整理手続での見解表明の経過
(1) 裁判所の見解
控訴審判決によれば,第1審の裁判所は,公判前整理手続中の平成30年7月3日の打合せで,「危険運転致死傷罪の解釈(裁判所の見解)」と題する書面を示した。
その書面は,直前停止行為は危険運転行為に含まれず,妨害運転行為後の事情にすぎない直前停止行為によって生じた結果について因果関係を認めることは相当でないとして,「本件において,危険運転致死傷罪の成立を認めることはできないものと判断した。」との見解を示し,検察官に予備的訴因の追加を検討するよう促すものであった。
(2) その後の経過
検察官は監禁致死傷罪を予備的訴因として追加し,争点整理の結果では,危険運転行為と死傷結果との因果関係の有無も争点として残された。
裁判員裁判の公判では,弁護人は因果関係がないと主張したが,第1審は,裁判員との評議を経て因果関係を肯定し,主位的訴因である危険運転致死傷罪で被告人を有罪とした。
2 法令の解釈と法令の適用の区別(裁判員法6条)
裁判員法6条1項は,事実の認定,法令の適用及び刑の量定を構成裁判官と裁判員の合議によるものとし,同条2項は,法令の解釈に係る判断,訴訟手続に関する判断等を構成裁判官の合議によるものとしている。
東京高裁は,第1審の見解のうち,危険運転致死傷罪の因果関係を刑法上一般に要求される因果関係と別異に解する理由はないという部分は,一般的な法令の解釈に当たり,構成裁判官の合議で判断すべき事項であるから,その表明が違法とはいえないとした。
しかし,本件の具体的な事実関係を前提として因果関係を否定し,危険運転致死傷罪は成立しないとした部分は法令の適用について述べたものであり,構成裁判官のみによる判断の結果として公判前整理手続で予め表明することは,「裁判員法の上記法条に違反する明らかな越権行為であって,本来許容されるべきものではない」とした。
裁判所は,裁判員と裁判官が評議する様子を描いた映画「評議」を,平成26年7月31日にYouTubeの公式チャンネルで公開している。
3 見解の変更と不意打ち
東京高裁は,第1審の見解が暫定的なものと断ってはいたものの,理由を相当程度詳細に示して結論を明示的かつ断定的に示しており,当事者が見解の変更を予見することは困難であったとした。
そして,弁護人は判決でも主位的訴因の成立が否定されるとの見通しの下に予備的訴因に力点を置いた主張と反証を行ったと推測されるのに,第1審は,見解の変更を前提とした主張と反証の機会を改めて設けないまま有罪としたから,被告人と弁護人に対する不意打ちとなり,手続保障を十分に確保しなかった違法があるとした。
東京高裁は,見解を変更する必要が生じた段階で弁論を再開し,既に示した見解を撤回した上で,当事者双方に追加の主張と立証の機会を設けるなどしていれば,瑕疵が治癒される可能性もあったと付け加えている。
4 破棄と差戻し
東京高裁は,刑訴法397条1項,379条により第1審判決を破棄した。
そして,危険運転致死傷罪が成立し得ることを前提とした主張と立証の機会を設けた上で,因果関係の有無とこれが肯定される場合の量刑を改めて判断する必要があり,法令の適用及び刑の量定を裁判員の参加する合議体で行うこととした裁判員法の趣旨に照らすと,裁判員の参加する合議体で審理と評議を尽くすのが相当であるとして,同法400条本文により事件を横浜地裁に差し戻した。
第5 差戻し後の審理と上告棄却
1 差戻し後の第1審
差戻し後の控訴審判決によれば,差戻しを受けた横浜地裁は,事件を期日間整理手続に付し,危険運転致死傷と暴行の事件について第1次第1審で取り調べられた全ての証拠について証拠排除決定をするなどした。
そして,危険運転致死傷の訴因から直前停止行為を削除する訴因変更を経て,争点と証拠を改めて整理した。
横浜地裁は,被告人が妨害運転行為に及んだこと,その行為と死傷結果との因果関係及び被告人の暴行をいずれも認め,令和4年6月6日,被告人を再び懲役18年(求刑懲役18年)に処した。
2 差戻し後の控訴審
東京高裁令和6年2月26日判決は,弁護人の訴訟手続の法令違反,訴因逸脱認定,理由齟齬及び事実誤認の主張をいずれも退け,刑訴法396条により控訴を棄却した。
3 上告棄却
時事通信の令和8年1月20日の報道によれば,最高裁第一小法廷は,令和8年1月19日付で被告人側の上告を棄却する決定をし,懲役18年とした差戻し後の第1審・控訴審判決が確定することとなった。
事故の日から上告棄却まで,約8年7か月を要したことになる。
第6 その後の法改正
令和2年法律第47号(令和2年7月2日施行)により,自動車運転処罰法2条に,車の通行を妨害する目的で,走行中の車(重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行中のものに限る。)の前方で停止するなどの方法で自動車を運転する行為と,高速自動車国道又は自動車専用道路において,自動車の通行を妨害する目的で走行中の自動車の前方で停止するなどして,走行中の自動車に停止又は徐行をさせる行為が,危険運転行為として加えられた。
さらに,令和8年法律第52号(令和8年7月21日施行)により号が繰り下がり,現行法では,直前に進入する類型が2条7号,走行中の車の前方で停止する類型が同条8号,高速道路等で停止又は徐行をさせる類型が同条9号となっている。
東名事件は令和2年の改正前の行為であり,裁判では,直前停止行為を含まない妨害運転行為(当時の2条4号)と死傷結果との因果関係が問題となった。
第7 実務上の意味
1 公判前整理手続で裁判所の見解が示されたとき
裁判員裁判の公判前整理手続で,裁判所が具体的な事実関係を前提に罪の成否についての見解を示した場合,それが法令の解釈にとどまるのか,法令の適用に踏み込むものかを区別して記録しておく必要がある。
法令の適用は裁判員との合議で判断される事項であり,評議の結果によって見解が変わり得ることを前提に,主位的訴因と予備的訴因の双方について主張と反証を準備しておくことが考えられる。
2 見解が変わったときの手当て
東京高裁は,見解を変更する必要が生じた段階で弁論を再開し,既に示した見解を撤回した上で,追加の主張と立証の機会を設けるなどの措置を講じていれば,瑕疵が治癒される可能性もあったとしている。
弁護人としては,公判の途中で裁判所の見解が変わったことがうかがわれるときは,弁論の再開や追加の主張・立証の機会を求めることが考えられる。
3 差戻し後の審理
本件の差戻し後の第1審は,危険運転致死傷と暴行の事件について第1次第1審で取り調べられた証拠の証拠排除決定をし,期日間整理手続で争点と証拠を整理し直した上で,裁判員の参加する合議体で改めて審理した。
差戻しによって手続がやり直しとなり,確定までの期間が長くなることも念頭に置く必要がある。
第8 よくある質問
1 東京高裁は被告人を無罪にしたのか
東京高裁令和元年12月6日判決は,被告人を無罪にしたのではない。
危険運転致死傷罪の成立を認めた第1審の判断には法令適用の誤りがないとした上で,公判前整理手続と見解の変更をめぐる訴訟手続に違法があるとして,第1審判決を破棄し,裁判員裁判をやり直させるために差し戻したものである。
2 なぜ懲役18年の判決が破棄されたのか
第1審の裁判所が,裁判員と評議すべき法令の適用について,構成裁判官だけの合議で危険運転致死傷罪は成立しないとの見解を公判前整理手続で示し,その後,見解を変更する前提での主張と反証の機会を与えないまま有罪としたためである。
懲役18年という量刑の当否を理由とする破棄ではない。
3 現在の法律では前方での停止も処罰されるのか
現在の自動車運転処罰法2条8号は,車の通行を妨害する目的で,走行中の車(重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行中のものに限る。)の前方で停止するなどの方法で自動車を運転する行為を,同条9号は,高速自動車国道又は自動車専用道路において,自動車の通行を妨害する目的で走行中の自動車の前方で停止するなどして,走行中の自動車に停止又は徐行をさせる行為を,危険運転行為としている。
これらの類型は令和2年の改正で加えられたものであり,それ以前の行為である東名事件には適用されていない。
第9 関連記事
刑事控訴審と公判前整理手続に関する関連記事は,次のとおりである。
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⑤刑事裁判における訴因変更と不意打ち防止―「何らかの方法」の認定,共謀日時の変更及び防御機会(AI作成)
⑥通常第一審における危険運転致死罪の量刑分布(地裁)(AIリライト)
⑦刑事控訴審・上告審の終局区分別統計―平成12年~令和7年の破棄・棄却の推移と控訴審の破棄自判に関する最高裁判例(AI作成)
第10 出典・参考資料
1 裁判例
①横浜地裁平成30年12月14日判決(平成29年(わ)第1680号)
②東京高裁令和元年12月6日判決(平成31年(う)第201号)
③横浜地裁令和4年6月6日判決(令和2年(わ)第1号,判例秘書の判例番号 L07750614)
④東京高裁令和6年2月26日判決(令和4年(う)第1046号)
2 法令
①自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(平成25年法律第86号)2条(現行版及び平成26年5月20日施行版。e-Gov法令検索。令和8年10月25日確認)
②裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成16年法律第63号)6条(e-Gov法令検索。令和8年10月25日確認)
③刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)379条,396条,397条,400条(e-Gov法令検索。令和8年10月25日確認)
3 報道・その他
①時事通信「東名あおり、懲役18年確定へ 4人死傷事故、上告棄却―最高裁」(時事ドットコム,令和8年1月20日)
②裁判所(COURTS IN JAPAN)「映画「評議」 本編 字幕あり」(YouTube,平成26年7月31日公開)