第1 日中領事協定の正式名称と成立
1 正式名称と協定の対象
日中領事協定は,日本と中国との間で,領事任務,領事館や領事官の住居の保護,逮捕・拘禁された国民への領事通報と面会などを定めた二国間の協定である。
正式名称は「領事関係に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」であり,外務省は「日・中領事協定」と略称している。
以下では,この協定を日中領事協定という。
「協定」という名称でも,単なる行政上の案内文ではない。
批准と発効を定める国際約束であり,日中間の領事関係について国際法上の権利義務を定めている。
条約という一般的な分類と,個別の文書の正式名称を分けて読む必要がある。
2 署名日と発効日は異なる
外務省の協定の説明ページによれば,署名は平成20年(2008年)10月24日の北京,国会承認は平成21年7月3日,批准書交換は平成22年1月17日,発効は平成22年(2010年)2月16日である。
日本では平成22年条約第1号として公布された。
協定末尾の署名者は,日本側が宮本雄二,中国側が胡正躍である。
署名年だけを見て「2008年から発効した」と説明すると,署名と発効を取り違える。
以下の条番号は,外務省掲載の協定和文による。
第2 領事関係に関するウィーン条約との違い
1 一般的な条約を日中間で補足する関係
領事関係に関するウィーン条約は,多数国間で領事関係の基本的な規則を定める条約である。
これに対し,日中領事協定は,日本と中国との間でその規則を確認し,補足し,拡大・拡充するものである。
協定12条1項はウィーン条約73条2項を根拠として挙げ,12条2項は,協定が明示的に規律しない事項には引き続きウィーン条約が適用されると定める。
したがって,日中領事協定だけを読めば領事関係の全てが分かるわけではない。
協定に特別の定めがある問題か,ウィーン条約によって規律される問題かを確かめる必要がある。
一般的な規則を確認する場合には,国連掲載のウィーン条約本文も参照されたい。
2 主な相違点の比較
| 項目 | 領事関係に関するウィーン条約 | 日中領事協定 |
|---|---|---|
| 逮捕等の領事通報 | 36条1項(b)は本人の要請がある場合の通報を定める | 8条1項(b)は本人の要請の有無にかかわらず通報する |
| 通報の時期 | 遅滞なく。36条自体に4日という上限はない | 遅滞なく,遅くとも逮捕等の日から4日以内 |
| 領事官の住居 | 職業領事官の私邸一般に公館と同じ不可侵を認める規定はない | 6条5項により公館と同様の不可侵及び保護を享有する |
| 公館への立入り | 31条2項に火災等の災害時の同意推定の定めがある | 6条2項には同じ同意推定の文言が置かれていない |
| 協定に定めのない事項 | 領事関係の一般規則を定める | 12条2項によりウィーン条約が引き続き規律する |
この比較は,各条の文言と規律の範囲を示したものである。
公館の不可侵,領事官の身体,裁判権免除及び一般国民の権利は,それぞれ別の問題として確認する必要がある。
第3 逮捕・拘禁の通報は「要請不要,遅滞なく,遅くとも4日以内」
1 誰が誰に何を通報するのか
8条1項(b)は,領事管轄区域内で派遣国の国民が逮捕,留置,裁判に付されるための勾留又はその他の事由による拘禁を受けた場合,接受国の権限のある当局が,その事実と理由を当該領事機関に通報すると定める。
中国で日本人が拘束された場合には中国側当局から日本の領事機関への通報が問題となり,日本で中国人が拘束された場合には日本側当局から中国の領事機関への通報が問題となる。
条文は双方の国に対応する形で書かれている。
通報は,本人の要請があるかどうかにかかわらず行う。
別段の証明がなされる場合を除き,自らが派遣国の国民であると主張する者も,この通報規定の対象に含まれる。
通信上の障害により当該領事機関に通報できない場合には,派遣国の外交使節団に通報するという代替先も定められている。
2 4日間待ってよいという意味ではない
通報の時期は「遅滞なく」が原則であり,さらに「遅くとも」逮捕等の日から4日以内という上限が付いている。
4日以内なら理由なく通報を遅らせてよいという規定ではない。
また,この4日という数字は領事機関への通報に関するものであり,拘束を継続できる期間や,必ず釈放される期限を定めるものではない。
本人が領事機関への通報を求めなかったことと,領事官による援助に反対することは区別する必要がある。
前者については,要請を通報の条件としないのが8条1項(b)の定めである。
後者については,次の面会等に関する同項(c)の要件を確認する。
第4 面会・通信・弁護人のあっせんと本人の意思
1 通報後に認められる領事官の権利
8条1項(c)は,領事官が拘禁中の自国民を訪問し,自ら選択する言語で面談し,文通し,その国民のために弁護人をあっせんする権利を定めている。
接受国の当局は,領事官から訪問の要請があるときは,遅滞なく,訪問のための措置をとる。
判決に従って拘禁されている国民への訪問,面談及び文通も,同号の対象である。
接受国の言語以外で面談するときには,当局から要請があれば,領事官は面談内容を接受国の言語に翻訳して口頭で告げるとの定めがある。
選択した言語で話せることだけを取り上げ,協定が秘密面会を無条件に保障すると説明するのは正確でない。
領事官の面会と,弁護人との接見の規律も同一ではない。
2 援助を差し控えるための書面
同号ただし書は,領事官が本人のために行動することに対し,本人が反対する意思を書面で表明し,かつ,接受国の権限のある当局がその書面を領事官に提示する場合,領事官はその行動を差し控えると定める。
本人の書面による反対と,領事官への書面の提示という二つの条件を落とさずに読む必要がある。
この定めを,本人の要請がなければ最初から通報しなくてよいという説明に置き換えることはできない。
3 通信の送付と権利の告知
8条1項(d)は,拘禁されている国民と領事機関との間のいかなる通信も,当局により遅滞なく送付されると定める。
同項(e)は,同項(b)から(d)までの権利を本人に遅滞なく告げることを求める。
8条2項は,権利の行使と接受国の法令との関係を定める一方,その法令が権利の目的を十分に達成するものでなければならないことも明記している。
第5 領事館と領事官の住居の不可侵
1 公館への立入りと保護義務
6条1項は領事機関の公館を不可侵とし,2項は,領事機関の長又はその指名者,若しくは派遣国の外交使節団の長又はその指名者の同意がある場合を除き,接受国の当局による公館への立入りを禁じる。
3項は,公館を侵入・損壊から保護し,安寧の妨害や威厳の侵害を防ぐため,接受国が適当な措置をとる特別の責務を定める。
領事関係に関するウィーン条約31条2項には,火災その他の災害で迅速な保護措置が必要な場合の同意推定が置かれている。
これに対し,日中領事協定6条2項には同じ文言がない。
この条文上の違いと,個別の緊急事態で全ての国際法上の問題がどう処理されるかという判断は,分けて考える必要がある。
2 住居の保護と裁判権免除を混同しない
6条5項は,領事官の住居について,公館と同様の不可侵及び保護を認める。
これは,領事官の住居を検討する際に重要な特則である。
しかし,住居が不可侵であることから,領事官の全ての私的行為が裁判権から免除される,あるいは一般の中国国民や日本国民まで逮捕されない,という結論は出ない。
協定に明示の定めがない領事官の身体の不可侵や裁判権免除については,12条2項を踏まえてウィーン条約の規定を確認する。
同条約41条の身体に関する保護と,43条の領事任務の遂行として行った行為についての裁判権免除は,対象と要件が異なる。
外交官の制度との区別は,外交官の民事裁判権免除も参照されたい。
第6 第3条は違法な情報収集を許すのか
3条は領事任務の範囲を列挙している。
利益の保護,経済・文化等の関係促進,旅券・査証,国民の援助,公証・登録,相続や未成年者等の利益保護,文書送達・証拠調べ,船舶・航空機に関する任務などを含む。
例えば,文書送達や証拠調べについても,同条(j)の国際取極又は接受国法令に関する条件を確認する必要がある。
情報収集に関係する同条(c)は,接受国の経済・通商・文化・科学・技術上の状況等を把握し,政府に報告し,関心を有する者に情報を提供する任務を定める。
その手段は「適法なすべての手段」に限定されている。
したがって,この条文だけを根拠に,違法な情報収集や国内法違反を包括的に許可した協定であると説明することはできない。
領事関係に関するウィーン条約5条(c)にも,適法な手段による状況把握・報告等の規定がある。
同条約55条は,特権・免除を害さないことを前提に,接受国の法令を尊重し,内政に干渉しない義務等を定める。
個別の活動が違法か,誰にどの免除があるかは,行為の事実,適用法令及び身分を特定して判断する事項である。
第7 「不平等」「問題点」を検討するときの区別
協定の通報,面会及び公館の保護に関する規定は,日本と中国がそれぞれ派遣国・接受国となる関係で定められている。
条文上,中国側だけに一方的な領事権限を与える構造とは読めない。
一方,規定が相互的であることだけで,双方の国内制度や現実の履行状況が同じであると確認できるわけでもない。
検討では,①条文上の権利義務,②国内法上の手続,③具体的な通報・面会の実施状況,④改善又は終了を求める政策判断を分ける必要がある。
「通報が遅れた」と評価するなら,拘束日,国籍に関する情報,通報先,通報日時,通信障害の有無及び政府の説明などを確認する。
協定の文言だけから,特定事件で適切な援助が実施された,又は協定違反があったと断定することはできない。
第8 香港・マカオへの適用と終了手続
1 香港とマカオを明示した13条
13条は,協定が香港特別行政区とマカオ特別行政区にも同時に適用されると明記している。
ただし,場所の適用範囲と,個人がどの国の国民として扱われるかは別の問題である。
重国籍や国籍の認定が問題となる場合は,この一文だけで個別の領事援助の可否を決めない。
同条を根拠に,台湾を含む全ての地域へ同じ取扱いが当然に及ぶと説明することもできない。
2 「破棄」は通告を受領してから6か月
15条2項により,いずれの国も,外交上の経路を通じた書面の通告によって協定を終了させることができる。
終了の効力が生じるのは,相手国が通告を受領した日の後6か月を経過した時である。
政治的な意見表明があった日,通告を発した日及び相手国が受領した日を同一視しないことが必要である。
この終了条項と,実際に終了通告が行われたかどうかの確認は別である。
協定の終了が問題となる具体的な場面では,両国政府の公表資料と通告・受領の事実を確認する必要がある。
また,協定が終了すれば領事関係に関するウィーン条約まで当然に失効する,という定めではない。
第9 日中平和友好条約との違いと領事援助の限界
1 1978年の平和友好条約とは別の文書
日中平和友好条約は,昭和53年(1978年)の条約であり,平和友好関係,反覇権,交流及び第三国との関係などを定める。
日中領事協定は,平成20年に署名された領事関係の協定であり,成立時期と規律する対象が異なる。
平和友好条約の当時の首相と署名者は,日中平和友好条約の解説(AI作成)で説明する。
2 領事援助が釈放や費用負担を保証するわけではない
領事通報や領事官の面会は,拘束された本人が在外公館と接触し,援助を受けるための重要な仕組みである。
しかし,外国の捜査・裁判そのものを日本の領事官が取り消せる制度ではない。
外務省の海外の事件・事故に関するFAQ・問2は,面会,家族との連絡,弁護士・通訳の情報提供等を説明する一方,釈放や減刑の要求,弁護士費用・保釈金の負担又は保証,裁判や捜査の通訳等はできないと説明している。
相談の初動では,拘束された日時と場所,国籍,所在・連絡先,担当機関,通報の有無及び現地弁護士への連絡状況を整理することが役立つ。
在外公館への連絡を,現地の救済手続を全て終えるまで待つ必要はない。
国籍国が他国の国家責任を援用する外交的保護とは,目的と要件を分けて考える。
第10 よくある質問
1 日中領事協定とは,簡単にいうと何か
日本と中国の間で,領事の仕事,領事館等の保護及び逮捕された国民への通報・面会などを定める協定である。
正式名称は「領事関係に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」であり,平成22年2月16日に発効した。
2 本人が求めなければ通報されないのか
協定8条1項(b)の通報は,本人の要請があるか否かにかかわらず行う。
領事官による行動を本人が拒む場合の書面と提示の条件は,同項(c)の別の規定である。
3 面会も必ず4日以内なのか
4日という上限は,8条1項(b)の逮捕等の事実と理由の通報に関する数字である。
訪問について同項(c)は,領事官の要請があるときに遅滞なく措置をとると定めており,同じ4日という文言を置いていない。
4 領事官の住居は外国の領土になるのか
住居の不可侵とは,立入り等を制約し保護を認めることであり,6条5項は領土の帰属を移す規定ではない。
不可侵と主権の移転,さらに領事官の裁判権免除を区別する必要がある。
第11 主な原資料
外務省「領事関係に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」(署名・批准・発効の日付,和文・英文・概要への入口)。
外務省「協定和文」(PDF1~13頁。3条は2~5頁,6条は5~6頁,8条は6~9頁,12条は11~12頁,13~15条は12頁)。
外務省「協定の概要」。
国連「領事関係に関するウィーン条約・英語本文」(5・31・36・41・43・55・73条)。
外務省「よくある質問集・海外での事件・事故」問2。
協定末尾では,日本語,中国語及び英語をひとしく正文とし,解釈に相違がある場合には英語本文によるとしている。
条文の細かな解釈が問題となる場合には,和文だけでなくこの定めも確認する必要がある。