第1 結論―直接証拠があっても評価過程は省略できない
最高裁破棄判決のうち直接証拠の評価を理由とする事例は,供述,専門家意見,契約書,印影,診断書その他の有力な証拠が存在しても,その証拠を採用又は排斥する理由を具体的に示さなければならないことを教えている。
実務でいう直接証拠とは,主要事実を直接に証明するために用いられる証拠である。しかし,証拠から事実を認定する以上,知覚,記憶,表現,作成経緯,専門性,前提事実及び経験則の検討は残る。直接証拠があることは,信用性や証明力の審理を省略できるという意味ではない。
本記事は,田中豊『最高裁破棄判決―失敗事例に学ぶ主張・立証,認定・判断』(ぎょうせい,令和4年。以下「R041205文書」という。)が「直接証拠」の失敗として扱う7事例を,原審の推論,最高裁が問題とした点及び実務上の確認事項に分けて整理する。22事例全体の位置付けは,最高裁破棄判決とは―22の失敗事例から学ぶ主張・立証・事実認定の実務で扱っている。
第2 直接証拠7事例の全体像
| 最高裁判決 | 証拠の種類 | 破棄理由から得られる要点 |
|---|---|---|
| 最一小判平成26年1月16日 | 警察官の供述 | 客観的証拠との整合を先に確認し,傍観者の供述を使う前提も吟味する。 |
| 最二小判平成11年6月11日 | 医師の意見 | 人数ではなく,専門分野,診察時期,診察回数及び資料への接触を比べる。 |
| 最一小判平成14年9月12日 | 賃貸借契約書の印影 | 印章の所持だけで冒用を推認せず,時期,目的,接触可能性及び具体的冒用事情を確認する。 |
| 最三小判昭和54年2月27日 | 贈与証書 | 文書を何のために提出したかと,成立の真正に関する自白の有無を区別する。 |
| 最二小判昭和62年12月11日 | 印影鑑定 | 印影一致の前提,量産印章の例外及び取引全体の不自然さを重ねて評価する。 |
| 最一小判平成23年11月17日 | 認知症の診断書 | 作成者の専門性,紛争前の作成,診察・検査の方法及び反証の具体性を比べる。 |
| 最一小判平成24年9月6日 | 土地取引の合意書 | 将来の契約を予定する文言と,最終的な処分証書とを区別する。 |
7事例に共通する失敗は,一つの証拠を「信用できる」「信用できない」と一括評価したことである。最高裁破棄判決を実務に用いるときは,証拠の成立,情報源,観察条件,専門性,作成目的,客観的事実との整合及び反証を分解する必要がある。
第3 最一小判平成26年1月16日―警察官の発砲状況に関する供述
1 争点となった供述
警察官Aが逮捕しようとしたBに向けて拳銃を発砲した事案で,Bが重さ約2・85キログラムの石製装飾品を両手から片手に持ち替え,振り下ろそうとしたかが問題となった。Aは,一貫して,Bが装飾品を片手に持って振りかぶった旨を供述していた。
原審は,Bの頭部の傷や装飾品の位置,現場にいたCが持ち替えを見ていないこと,装飾品が落ちた場所に関するAの説明の変化等から,Aの供述を排斥した。
2 最高裁が問題とした点
最高裁は,Aの供述が主要部分で一貫し,弾丸の射入方向その他の客観的証拠とも整合することを重視した。原審は,重い装飾品を片手で保持するには身体による支えが必要であるとの前提を置いたが,その経験則の根拠を十分に示していなかった。
また,Cが持ち替えを見ていないことを使うには,Cが問題の場面を途切れなく観察していたことが必要である。観察の継続性を確かめないまま,「見ていない」ことを「存在しなかった」ことへ結び付けることはできない。装飾品が落ちた位置の説明の変化も,発砲時の切迫状況という主要事実との関係を吟味せずに信用性全体を崩す事情とはならない。
3 実務上の確認事項
供述の信用性は,①供述の主要部分,②客観的証拠との整合,③供述者の観察条件,④時間経過による記憶への影響,⑤変遷部分が主要事実か周辺事実か,という順で点検する。「供述が変わった」という一語で全部を排斥せず,どの部分が,なぜ,結論に影響するかを示す必要がある。
第4 最二小判平成11年6月11日―交通事故と股関節障害に関する医師の意見
1 複数の医師が否定したという原審判断
交通事故前から大腿骨頭壊死その他の股関節の疾患があった被害者について,事故が両側の変形性股関節症を発症又は悪化させたかが争われた。原審は,事故との因果関係を否定する趣旨の複数の医師の意見を重く見て,請求を退けた。
2 最高裁が求めた専門性と観察基盤の確認
最高裁は,事故が既往症を悪化させた可能性が残るのに,審理を尽くしていないとして原判決を破棄した。R041205文書の整理によれば,意見を述べた医師の中には,整形外科又は股関節を専門としない者,患者を直接診察せずレントゲン写真等だけに依拠した者,事故から約1年9か月後に一度診察したにすぎない者が含まれていた。
専門家意見は,肩書又は人数で数えるものではない。問題となる疾患との専門分野の一致,診察の有無,診察時期,継続的観察,参照資料及び意見の論理を個別に比べる必要がある。最高裁は,股関節の専門医による診察・意見を得るなどして更に審理する必要を指摘した。
3 実務上の確認事項
医療意見を提出又は弾劾するときは,①専門領域,②診察・検査の方法,③事故前後の画像と症状の連続性,④既往症の自然経過,⑤事故による発症と増悪の区別,⑥反対意見が依拠した資料,を一覧化する。複数意見の結論が同じでも,基礎資料が共通であれば独立した裏付けが増えたことにはならない。
第5 最一小判平成14年9月12日―賃貸借契約書の印影と二段の推定
1 登録印章の印影と冒用の主張
賃貸借契約書に本人の登録印章による印影があることは認められていたが,本人は,別の目的で弁護士に印章を預けており,印章が冒用された旨を主張した。原審は,印章の管理状況,契約書に契印がないこと,事務所所在地の記載,賃借の必要性や賃料支払の状況等をまとめて考慮し,本人の意思に基づく押印との推定が破られたと判断した。
2 最高裁が求めた具体的な冒用事情
最高裁は,印章を預けた事実が問題となり得るとしても,預けた時期や目的が特定されず,弁護士が当該契約書に印章を冒用したことを示す具体的事情がないとした。契印の欠如,住所表示,賃借の必要性及び賃料不払等は,契約の実質や履行状況に関する事情であり,直ちに押印の意思を否定する事情ではない。
私文書の成立の真正では,①印影が本人の印章によるか,②押印が本人の意思に基づくか,③文書全体が真正に成立したか,④記載内容どおりの合意が成立したかを区別する。二段の推定とはも参照されたい。
3 実務上の確認事項
印章の冒用を主張するときは,保管者,保管期間,預託目的,返還時期,契約書への接触可能性,冒用の動機及び契約書作成経緯を具体化する。契約内容が不自然であることと,押印が無断であることは別の推論であるため,証拠と認定事実を混在させない。
第6 最三小判昭和54年2月27日―贈与証書の提出目的と成立の真正
1 偽造文書として提出された証書
一方当事者が贈与証書を提出したものの,その提出目的は,証書の内容どおり贈与があったことを証明するためではなく,相手方が提出した文書が偽造であること等を示すためであった。ところが原審は,文書の成立の真正が争われていないと扱い,その文書を贈与の認定に用いた。
2 最高裁が問題とした点
最高裁は,成立の真正について自白が成立していないとし,原判決を破棄した。そもそも文書の成立の真正に関する陳述は,主要事実に関する裁判上の自白と同じ拘束力を持つものではなく,裁判所は証拠に基づいて判断しなければならない。
文書が証拠として提出された事実だけでは,提出者がその真正を認めたことにはならない。提出者,提出目的,証明しようとする事実,真正に関する認否及び相手方の援用の有無を,調書と書面で追跡する必要がある。
3 実務上の確認事項
書証目録又は証拠説明書には,作成者,作成日,立証趣旨及び真正に関する立場を明示する。相手方提出文書の一部を自ら引用するときも,真正又は記載内容を全部認めたと誤解されないよう,争う範囲を具体的に記録する。
第7 最二小判昭和62年12月11日―量産された登録印章と印影鑑定
1 印影が一致するという鑑定
本人名義の不動産に関する根抵当権設定契約証書等について,印影鑑定は,本人の印鑑登録証明書の印影と契約書等の印影が同一の印章によるとの結論を示した。原審はこの鑑定を重視し,本人が印章を廃棄した旨の供述を排斥した。
2 最高裁が重視した量産印章と取引全体
最高裁は,登録印章が安価な量産品で,同じ姓の同型印章を入手できる可能性があることを重視した。印鑑登録証が残されていれば印鑑登録証明書の取得も可能であり,印影の一致だけから本人の印章が使用されたと断定できない。
さらに,対象不動産が本人の特有財産であったこと,関係者との関係が悪化していたこと,権利証が本人から交付されていないこと,司法書士の前に別人が本人として現れたこと等,取引全体には本人の授権と両立しにくい事情があった。
3 実務上の確認事項
印影鑑定では,鑑定方法の正確性だけでなく,同一印章が一つしか存在しないという前提を点検する。印章の材質,製造方法,販売経路,同型印章の存在,印鑑登録証の管理,権利証等の交付及び本人確認の過程を重ね,鑑定結論の射程を限定する。
第8 最一小判平成23年11月17日―認知症診断と意思能力
1 紛争前に作成された専門医の診断
高齢者Aの生命保険契約の保障額が2200万円から1400万円へ減額された手続について,Aの意思能力が争われた。取引の約1年4か月前,認知症を専門とする医師は,直接診察と医学的検査を経て,重度の認知症で理解力が2歳児程度である旨を診断していた。
原審は,介護者が症状を誇張した可能性,Aが検査に協力しなかった可能性,おはぎを作ったこと,高齢者施設で他者と交流していたこと及び主治医の意見等から,診断の信用性を低く評価した。
2 最高裁が問題とした反証の抽象性
最高裁は,診断が紛争前に,専門医により,直接診察と一般に受け入れられた検査を経て作成されたことから,特段の事情がない限り高い信用性を有するとした。介護者の誇張又は検査への非協力は,具体的事実の裏付けがない可能性にすぎず,簡単な調理や交流ができたことも,複雑な保険契約変更を理解できたことを直ちに意味しない。
意思能力は,人について一律に有無を決めるのではなく,問題となる行為の内容,難易度,経済的重要性及び本人に必要な理解の程度との関係で判断する。
3 実務上の確認事項
診断書等の報告文書では,①作成時期が紛争前か,②作成者の専門性,③本人を直接診察したか,④検査方法,⑤基礎資料,⑥取引との時間的距離,⑦反証が具体的事実に基づくかを確認する。日常生活上の一行為を,取引理解の能力へ無媒介に置き換えない。
第9 最一小判平成24年9月6日―開発事業の合意書と土地売買契約
1 将来の売買を予定する文書
約10億円規模の土地を含む開発事業で,資金協力に関する合意書及び後の協力合意書が作成されていた。原審は,これらの文書や当事者の交渉経過から,既に土地売買契約が成立していたと認定した。
2 最高裁が重視した文言,順序及び契約実務
最高裁は,各合意書の文言が将来の土地取得又は売買を予定するものであること,詳細な合意では別途契約書を作成することが予定されていたこと,同じ事業の別土地については実際に売買契約書が作成され代金が支払われていたこと,本件土地について売買契約書が存在しないこと等を重視した。
将来の契約締結を明記した文書があるのに,その文言と矛盾して既に売買が成立したと認定するには,強い裏付けが必要である。準備的合意,基本合意,資金協力及び最終契約を,文書の題名ではなく内容と取引段階により区別する。
3 実務上の確認事項
契約成立を争う場合は,目的物,価格,支払時期,所有権移転時期,第三者所有物の扱い,手付金,契約書作成条項,当事者の同一性及び同じ事業における実際の契約慣行を時系列化する。一つの文書を処分証書と呼ぶ前に,その文書がどの法律行為を最終的に記載したものかを確定する。
第10 直接証拠を評価する実務チェックリスト
1 証拠の成立と内容を分ける
文書が真正に成立したことと,記載内容が真実であることは別である。印影,署名,作成名義,作成権限及び改変の有無を確認した後に,記載内容の証明力を検討する。
2 証拠の情報源を特定する
供述者が直接見聞したのか,伝聞なのか,専門家が本人を診察したのか,資料だけを見たのかを区別する。観察時点,観察時間,距離,視界及び注意の向きも記録する。
3 経験則の根拠と例外を示す
「通常はそうである」という判断には,どの経験則を用いたか,その経験則が本件に当てはまる前提は何か,例外事情がないかを示す。量産印章,切迫状況又は既往症のような例外事情を落とさない。
4 反証を同じ精度で評価する
有力証拠を排斥する反証が,具体的事実か単なる可能性かを区別する。原証拠には高い裏付けを求めながら,反証だけを抽象的可能性で採用する非対称な評価を避ける。
第11 資料の位置付けと利用上の注意
本記事の7事例の選択,事実関係及び実務上のレッスンは,R041205文書の「直接証拠」編を中心に参照した。同書は最高裁破棄判決から証拠評価の失敗を学ぶ二次資料である。
裁判所の裁判例検索は全裁判例を収録するものではなく,7事例の一部は,判決日による検索でも本記事の対象判決に対応する公表全文を確認できなかった。そのため,本記事は,公表全文を確認できなかった事例について同書の判決文引用及び分析の範囲を超えて事件番号や判示を補っていない。個別案件では,民集・裁判集,判例雑誌,原判決及び事件記録を追加確認する必要がある。