第1 本記事の対象と結論
1 本記事の対象
必要最低限の仕事だけをこなし,残業,担当外の仕事,昇進等を避ける働き方は,「静かな退職」と呼ばれることがある。
資産形成が進んだ人に向けて,嫌な仕事は断り,評価や査定を気にせずに働けばよいと勧める発信も見られる。
本記事は,このような働き方をする社員について,使用者が法的に何を求めることができ,何ができないかを,業務命令,懲戒及び解雇の順に整理するものである。
従業員の側から見れば,どこまでが労働契約上の義務で,どこからが断ってよいものかを確かめるための整理でもある。
調査基準日は令和8年9月26日である。
条文はe-Gov法令検索の現行条文で確認し,裁判例は裁判所ウェブサイトの裁判例検索で全文を確認したものに限っている。
2 結論
①労働契約で約束した仕事を所定の水準で果たしている限り,それ以上の熱意や無償の貢献がないことは,それだけでは懲戒や解雇の理由になりにくい。
②他方で,就業規則等に根拠があり,内容が合理的な業務命令(残業命令,精密検診の受診命令,通常業務から外して命じる作業,配転命令等)には,労働者が従う義務がある。
③業務命令を拒否した社員を懲戒するには,就業規則に懲戒の種別及び事由を定めて周知していることが必要であり,処分は行為の性質及び態様その他の事情に照らして相当なものでなければならない(労働契約法15条)。
④評価が低いことだけを理由とする解雇は難しく,相対評価で下位にあるというだけでは足りないとした裁判例がある。
⑤精神的な不調が疑われる場合は,懲戒の前に,受診や休職等の対応を検討する必要がある。
第2 契約で約束した仕事と「それ以上」の区別
1 労働者の義務は労働契約の内容で決まる
(1) 労働契約と就業規則
労働契約法6条は,「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。」と定める。
同法7条本文は,使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には,労働契約の内容はその就業規則で定める労働条件によるものとしている。
したがって,社員が何をしなければならないかは,個別の労働契約と,周知された合理的な就業規則によって決まる。
(2) 義務を誠実に履行する義務
同法3条4項は,「労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。」と定める。
この規定は,労働者と使用者の双方に,契約上の義務を誠実に履行することを求めるものである。
契約の範囲を超える仕事を無償で引き受けることまで求めるものではないと考えられる。
2 「最低限の仕事」が問題になる場合とならない場合
契約で求められた職務を所定の水準で果たし,正当な指示に従っている社員について,熱意や自発的な提案が乏しいことだけを取り上げて懲戒しても,就業規則所定の懲戒事由に当たらないか,労働契約法15条の相当性を欠くと判断されやすいと考えられる。
これに対し,①正当な業務命令を拒否する,②担当業務を放置する,③期待される水準に達しない状態が続く,という場合は,それぞれ別の法的問題になる。
①と②は主に懲戒の問題として,③は評価・処遇と普通解雇の問題として検討することになる。
第3 業務命令に従う義務と拒否
1 残業命令
(1) 就業規則の定めがあれば残業の義務を負う
最高裁平成3年11月28日第一小法廷判決(昭和61年(オ)第840号,民集45巻8号1270頁,日立製作所武蔵工場事件)は,使用者が36協定を締結して所轄労働基準監督署長に届け出た場合において,就業規則に当該協定の範囲内で一定の業務上の事由があれば労働契約に定める労働時間を延長して労働させることができる旨を定めているときは,その規定の内容が合理的なものである限り,それが「具体的労働契約の内容をなす」とした。
そして,その規定の適用を受ける労働者は,その定めるところに従い,労働契約に定める労働時間を超えて労働をする義務を負うとした。
同判決は,上司が手抜作業の結果を追完・補正するために発した残業命令に従わなかった労働者に対する懲戒解雇について,権利の濫用に当たるとはいえないとした。
(2) 従う義務の前提が欠ける場合
同判決は,36協定の締結・届出と,就業規則の合理的な定めがある場合についての判断である。
労働基準法36条1項は,36協定をして行政官庁に届け出た場合に,その協定で定めるところによって労働時間を延長することができると定めており,同条4項は,限度時間を1か月について45時間及び1年について360時間としている。
協定がない場合や,協定の範囲又は法定の上限を超える場合には,同判決の前提を欠くので,その残業命令に従う義務を同判決から導くことはできない。
残業命令の根拠と上限の詳細は,時間外労働,休日労働及び深夜労働と残業代請求で説明している。
2 精密検診の受診命令
最高裁昭和61年3月13日第一小法廷判決(昭和58年(オ)第1408号,集民147号237頁,電電公社帯広局事件)は,就業規則及び健康管理規程が職員に健康回復に努める義務と健康管理従事者の指示に従う義務を定めており,その内容が合理的なものであるときは,その義務は労働契約の内容となっているとした。
そして,職員は,内容の合理性ないし相当性が肯定できる限度において,健康回復を目的とする精密検診の受診の指示に従うとともに,病院ないし担当医師の指定及び検診実施の時期に関する指示に従う義務を負うとして,受診の業務命令を拒否したことを理由とする戒告処分を適法とした。
休職中・欠勤中の社員に受診を求める場面は,休職・欠勤中の社員に受診を命じられるか――指示に従う義務の根拠,指定医の受診及び拒まれた場合の対応で扱っている。
3 通常業務から外して命じる作業
(1) 降灰除去作業を命じた事案
最高裁平成5年6月11日第二小法廷判決(平成元年(オ)第1631号,集民169号117頁,国鉄鹿児島自動車営業所事件)は,組合員バッジの取外し命令に従わない職員を点呼執行業務から外し,営業所構内に降り積もった火山灰を除去する作業を命じた業務命令が問題になった事案である。
原審は,この命令を懲罰的なもので業務命令権の濫用に当たるとしたが,最高裁は,降灰除去作業は職場環境を整備して労務の円滑化,効率化を図るために必要な作業であり,作業内容,作業方法等からしても「社会通念上相当な程度を超える過酷な業務に当たるものともいえず」,労働契約上の義務の範囲内に含まれるとした。
その上で,職場管理上やむを得ない措置であり,殊更に不利益を課するという違法,不当な目的でされたものとは認められないとして,業務命令を違法なものとすることは困難であるとした。
(2) この判決から分かること
同判決は,従来も職員が必要に応じて行っていた作業であったこと等の事実関係の下での判断である。
本来の職務と異なる作業であっても,労働契約上の義務の範囲内にあり,必要性があれば命じることができる一方,殊更に不利益を課する目的で命じた場合には違法となる余地があることを示すものと考えられる。
「自分の担当ではない」というだけでは,業務命令を拒否する理由にならないことがある。
4 配転命令
最高裁昭和61年7月14日第二小法廷判決(昭和59年(オ)第1318号,集民148号281頁,東亜ペイント事件)は,転勤命令について,業務上の必要性が存しない場合,又は業務上の必要性が存する場合であっても,他の不当な動機・目的をもってされたとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等,特段の事情の存する場合でない限り,権利の濫用にならないとした。
同事件は,転勤命令を拒否したことを理由に懲戒解雇された事案である。
配転命令の根拠,限定合意及び権利の濫用の判断枠組みは,配転命令(転勤命令)の有効性―就業規則の根拠,職種・勤務地の限定合意と東亜ペイント事件の判断枠組みで扱っている。
5 業務命令の有効性を確かめる順序
以上の判例から,業務命令に従う義務があるかは,次の順序で確かめることになる。
①命令の根拠が労働契約又は周知された就業規則等にあるか。
②命令の内容が,業務上の必要性があり,合理的なものか。
③不当な動機・目的によるものでないか,労働者に著しい不利益を負わせるものでないか(権利の濫用に当たらないか)。
④労働基準法36条等の法令に違反していないか。
これらを満たす命令を「やりたくない」という理由で拒否することは,懲戒の対象になり得る。
第4 業務命令違反を懲戒するときの要件
1 就業規則の定めと周知
最高裁平成15年10月10日第二小法廷判決(平成13年(受)第1709号,集民211号1頁,フジ興産事件)は,使用者が労働者を懲戒するには,あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要し,就業規則が拘束力を生ずるためには,その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するとした。
労働基準法89条9号も,常時10人以上の労働者を使用する使用者が表彰及び制裁の定めをする場合には,その種類及び程度に関する事項について就業規則を作成し,行政官庁に届け出なければならないとしている。
業務命令違反を懲戒するには,命令違反を懲戒事由とする定めが就業規則にあり,それが周知されていることを,まず確かめる必要がある。
例えば,電電公社帯広局事件の就業規則は,「上長の命令に服さないとき」を懲戒事由としていた。
2 処分の相当性
労働契約法15条は,「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」と定める。
拒否が1回だけか繰り返されたか,拒否の理由,業務への影響,注意・指導の有無及び過去の処分例によって,相当な処分の重さは変わる。
実務上は,拒否の理由を聴き取り,命令の必要性を説明した上で,注意・指導から段階的に処分を検討することが考えられる。
事実確認から処分までの手順は問題社員対応の基本手順―事実確認・注意指導・改善機会・記録化から処分までで,減給の制裁の上限(労働基準法91条)は減給の制裁の上限と解釈例規―労働基準法91条の「1回の額」・「総額」と,降格・出勤停止・賞与との違いで説明している。
第5 評価が低いだけでは解雇は難しい
1 労働契約法16条
労働契約法16条は,「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」と定める。
業務命令には従い,担当業務もこなしているが,成果や意欲が平均に届かないという社員について,使用者が普通解雇を検討する場合は,この規定による審査を受ける。
2 セガ・エンタープライゼス事件
(1) 決定の判断
東京地裁平成11年10月15日決定(平成11年(ヨ)第21055号,セガ・エンタープライゼス事件)は,就業規則の「労働能率が劣り、向上の見込みがない」という解雇事由について,「平均的な水準に達していないというだけでは不十分であり、著しく労働能率が劣り、しかも向上の見込みがないときでなければならない」とした。
その上で,人事考課は相対評価であって絶対評価ではないから,考課順位が下位10パーセント未満であることから直ちに労働能率が著しく劣り向上の見込みがないとまではいえないとした。
さらに,体系的な教育,指導を実施して労働能率の向上を図る余地があったこと,及び他部署への異動が実現しなかった主な理由が抽象的なものであり雇用関係を維持する努力をしたとは評価し難いことを挙げ,解雇を権利の濫用として無効とした。
(2) 決定の性格と射程
同決定は仮処分決定であり,主文で認められたのは賃金の仮払いで,地位保全の申立ては保全の必要性がないとして認められなかった。
また,同決定は,その会社の就業規則の解雇事由の解釈と,相対評価の人事考課を前提とした判断である。
能力不足を理由とする普通解雇で検討すべき評価基準,改善指導及び配置転換は,能力不足・協調性不足による普通解雇―改善指導・配置転換・解雇回避措置と裁判例で詳しく扱っている。
3 評価と処遇に反映するときの記録
本記事では,評価が低い社員への対応として,解雇よりも前に,評価基準と評価の根拠となる具体的な事実を記録し,本人に伝え,改善の機会を設けることを基本形とする。
評価を賞与・昇給・昇進に反映させる場合は,就業規則や賃金規程の定めに従い,評価の根拠を説明できるようにしておくことが,後に争いになったときの前提になる。
退職を促す場合の限界は,退職勧奨の適法性と進め方―違法となる場合,諭旨退職・解雇との違い及び配転・降格との関係で扱っている。
第6 精神的な不調が疑われる場合
最高裁平成24年4月27日第二小法廷判決(平成23年(受)第903号,集民240号237頁,日本ヒューレット・パッカード事件)は,精神的な不調のために約40日間欠勤を続けた従業員に対する諭旨退職の懲戒処分を無効とした。
同判決は,使用者としては,精神科医による健康診断を実施するなどした上で,その診断結果等に応じて,必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し,その後の経過を見るなどの対応を採るべきであったとした。
意欲の低下や業務の停滞の背景に精神的な不調がうかがわれる場合は,懲戒として扱う前に,受診や休職等の対応を検討する必要がある。
第7 関連記事
①問題社員対応の基本手順―事実確認・注意指導・改善機会・記録化から処分まで
②能力不足・協調性不足による普通解雇―改善指導・配置転換・解雇回避措置と裁判例
③配転命令(転勤命令)の有効性―就業規則の根拠,職種・勤務地の限定合意と東亜ペイント事件の判断枠組み
④休職・欠勤中の社員に受診を命じられるか――指示に従う義務の根拠,指定医の受診及び拒まれた場合の対応
⑤時間外労働,休日労働及び深夜労働と残業代請求
⑥就業規則とは―記載事項・作成届出・周知・変更・懲戒の基本
第8 出典
1 法令
①e-Gov法令検索「労働契約法」3条4項,6条,7条,15条及び16条(令和8年9月26日確認)
②e-Gov法令検索「労働基準法」36条1項・4項,89条9号及び91条(令和8年9月26日確認)
2 裁判例
①最高裁平成3年11月28日第一小法廷判決・昭和61年(オ)第840号・民集45巻8号1270頁(裁判所ウェブサイト)
②最高裁昭和61年3月13日第一小法廷判決・昭和58年(オ)第1408号・集民147号237頁(裁判所ウェブサイト)
③最高裁平成5年6月11日第二小法廷判決・平成元年(オ)第1631号・集民169号117頁(裁判所ウェブサイト)
④最高裁昭和61年7月14日第二小法廷判決・昭和59年(オ)第1318号・集民148号281頁(裁判所ウェブサイト)
⑤最高裁平成15年10月10日第二小法廷判決・平成13年(受)第1709号・集民211号1頁(裁判所ウェブサイト)
⑥最高裁平成24年4月27日第二小法廷判決・平成23年(受)第903号・集民240号237頁(裁判所ウェブサイト)
⑦東京地裁平成11年10月15日決定・平成11年(ヨ)第21055号(裁判所ウェブサイト)