第1 結論と本記事の対象
1 結論
在宅勤務の退勤打刻は,労働者が申告した終業時刻を示す重要な資料である。
しかし,自宅にいたことと業務に従事していたことが一致するとは限らないため,退勤打刻だけで,始業から退勤まで継続して労働したことが常に認められるわけではない。
反対に,在宅勤務であること又は残業の事前許可がないことだけで,打刻された時間帯の労働時間該当性が一律に否定されるわけでもない。
労働時間に当たるかは,使用者の指揮命令下に置かれていたかという客観的な基準により判断される。
実務では,勤怠打刻,パソコン・VPNの記録,メール・業務チャット・電話,予定表,ファイル更新・成果物,上司の指示・認識,業務量・期限及び休憩・中抜けを勤務日ごとに照合する必要がある。
2 資料の範囲と基準日
本記事は,令和8年9月15日現在の労働基準法,最高裁判例及び厚生労働省の公表資料を基礎とし,在宅勤務の退勤打刻,残業許可制及び周辺記録の証拠上の位置付けを整理するものである。
実際の残業代計算では,労働契約,就業規則,テレワーク勤務規程,適用される労働時間制度,休憩時間,法定休日及び既払賃金も個別に確認する必要がある。
本記事の検討の端緒となった二件のX投稿は,東京地裁令和7年9月3日判決に関する二次的な紹介である。
同判決は裁判所ウェブサイトでは確認できず,判決全文も確認できていないため,本記事の法的結論の根拠には用いていない。
裁判所ウェブサイトに掲載されていないことは,裁判例が存在しないことを意味しない。
第2 労働時間の法的な判断基準
1 使用者の指揮命令下に置かれている時間
最高裁平成12年3月9日第一小法廷判決は,労働基準法上の労働時間を,労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間であるとした。
労働時間に当たるかは,就業規則や社内制度の名称だけで決まるのではなく,労働者の行為を使用者の指揮命令下に置かれたものと客観的に評価できるかによって決まる。
したがって,「在宅勤務中であった」,「勤怠システム上は退勤前であった」又は「残業許可を得ていなかった」という一つの事実だけで結論を出すのは相当でない。
当日の具体的な業務,指示,成果及び時間の使い方を証拠に即して検討する必要がある。
2 在宅勤務にも労働基準法が適用されること
厚生労働省のテレワークの場合,労働時間管理や残業代はどうなりますかは,使用者が労働時間を適正に把握・管理する責務はテレワークでも同じであり,残業を行わせる場合には36協定と割増賃金の支払が必要であると説明している。
在宅勤務で使用者が現認できないことは,労働時間管理をしなくてよい理由にはならない。
テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドラインは,使用者が在宅勤務の労働時間管理方法をあらかじめ明確にすること,情報通信機器の使用時間等の客観的記録又は適正な自己申告を利用することを示している。
制度設計と個別紛争における事実認定は区別しつつ,平時の管理方法が実態を反映していたかを確認することが重要である。
第3 退勤打刻は何を証明するか
1 打刻が示す事実
退勤打刻は,原則として,労働者が勤怠システムに終業時刻として入力又は送信した時刻を示す。
打刻方法がICカード,パソコン,携帯電話又は自己申告のいずれであるか,修正履歴,承認履歴及び位置情報が保存されるかによって,記録から分かる事実は異なる。
本記事では,打刻を労働時間認定の出発点となる資料と整理する。
もっとも,打刻は,その時刻まで一切の中断なく特定の業務を続けたこと,表示された場所に本人がいたこと又は上司が残業を承認したことまで当然に証明するものではない。
2 事業場勤務と在宅勤務の違い
事業場内で退勤打刻をした場合,入退館記録,周囲の目撃,社内設備の利用その他の事情と結び付き,その時刻まで事業場にいたことを推認しやすい。
ただし,事業場にいた時間の全部が労働時間になるわけではなく,私的な滞在又は自由利用が保障された休憩があれば別に検討する必要がある。
在宅勤務では,自宅という私的生活の場所にいること自体から業務従事を推認することは難しい。
他方,時間外のメール送信,業務チャット,オンライン会議,電話,ファイル更新又は成果物等が打刻と整合するときは,打刻された時間帯に業務を行ったことを裏付けることがある。
事業場勤務と在宅勤務の違いは,打刻を無視する理由ではなく,打刻を補強又は減殺する周辺事情が異なるという形で評価するのが相当である。
3 位置情報付き打刻の限界
携帯電話による打刻と同時に位置情報が記録される場合,その情報は,端末が打刻時に所在したおおよその場所を示す資料となり得る。
しかし,位置情報だけでは,誰が端末を操作したか,どの業務をどの程度行ったか又は中抜けがあったかまでは分からない。
勤怠記録と位置情報の取得目的,保存期間,閲覧権限及び修正方法を就業規則等で明確にし,必要な範囲を超える取得を避ける必要もある。
第4 残業許可制がある場合
1 無許可残業が当然に無償となるわけではないこと
残業許可制は,長時間労働の抑制,業務配分の見直し及び時間外労働の必要性を事前に確認するための制度として運用できる。
しかし,許可申請がなかったこと又は会社が許可しなかったことだけで,実際に使用者の指揮命令下で行われた労働に対する賃金が当然に不要となるわけではない。
会社が所定時間内に終わらない業務量又は期限を設定していた場合,上司が時間外の業務を具体的に指示していた場合,時間外のメール・成果物等から残業を知り得た場合又は無許可残業を事実上容認していた場合には,明示又は黙示の指揮命令が問題となる。
反対に,会社の関与も認識可能性もなく,労働者が任意に行った作業であると評価される場合には,労働時間に該当しないことがある。
2 厚生労働省Q&Aが示す確認事項
厚生労働省のテレワークの場合の時間外労働のルールを定めていた場合に,そのルールの外で行われた労働も全て労働時間になりますかは,事前許可制と事後報告制がある場合でも,無許可・無報告の時間外労働が当然に労働時間から外れるとはしていない。
同Q&Aは,使用者の関与なしに行われたと評価され,労働時間に当たらないと判断される場合の事情として,次の事項を挙げている。
①時間外労働を使用者から強制され,又は義務付けられた事実がないこと。
②過大な業務量,不適切な期限その他,時間外労働をせざるを得ない黙示の指揮命令と評価できる事情がないこと。
③時間外のメール,時間外労働なしには作れない成果物等の客観的事情がなく,使用者が時間外労働を知り得なかったこと。
さらに,事前申告又は事後報告の上限,実績どおりに申告・報告しないよう求める働きかけ又は圧力等がなく,制度が実態を反映している必要がある。
したがって,残業許可制の規定の有無だけでなく,制度が実際に利用可能であり,実績修正と事後報告が受け付けられていたかを確認しなければならない。
3 残業許可制を実効的に運用する方法
会社は,申請先,申請期限,緊急時の事後申請,申請に必要な事項,承認者,否認理由,実績報告及び勤怠修正の方法を明確にする必要がある。
申請を否認するときは,単に残業を禁止するだけでなく,業務の削減,期限変更,他の労働者への分担又は翌日以降への繰越しを具体的に指示することが望ましい。
上司は,退勤打刻後のメール・チャット,深夜のファイル更新,翌朝までに完成した成果物又は恒常的な申告時刻とシステム記録の乖離を把握した場合,実態を調査して必要な補正を行う必要がある。
労働者に対し,許可されていない残業をしないよう周知することと,既に行われた労働の実績を申告させないことは別である。
第5 打刻と照合する証拠
1 勤怠記録・修正履歴・承認履歴
最初に,日ごとの始業・終業打刻,休憩入力,申請内容,承認・否認,修正前後の値及び修正者を確認する。
位置情報が記録される場合は,測位精度,記録時点及び端末の共用可能性も確認する。
月次の確定値だけではなく,後から修正された経過が分かる資料を保存することが重要である。
2 パソコン・VPN・業務システムの記録
パソコンの起動・終了,ログオン・ログオフ,スリープ,VPN接続,業務システムへのアクセス及びアプリケーションの操作記録は,業務開始・終了又は作業の存在を裏付けることがある。
もっとも,パソコンが起動していた時間の全部が労働時間であるとは限らず,操作がない時間に電話,会議,紙資料の検討その他の業務をしていなかったとも限らない。
ログを利用するときは,対象端末・アカウント,タイムゾーン,保存期間,欠落,抽出条件及びシステム時刻のずれを確認する。
紛争後に一部の期間又は一部の記録だけを抽出した場合は,選択基準と除外された記録も明らかにする必要がある。
3 メール・チャット・電話・会議記録
メール又は業務チャットの送受信時刻,オンライン会議の参加記録及び業務電話の履歴は,その時刻に特定の業務へ対応したことを示し得る。
上司からの時間外の依頼と労働者の返信が連続している場合は,指示と業務従事の双方を検討する資料となる。
もっとも,メッセージ一件の送信時刻だけから,その前後の長時間をすべて労働時間とすることはできない。
文面,作業量,前後の記録及び成果物とのつながりを確認する必要がある。
4 成果物・ファイル更新・予定表・業務量
ファイルの作成・更新履歴,成果物の提出時刻,予定表,日報,顧客対応記録及び当日の業務量は,打刻間のどの時間に何をしていたかを具体化する資料となる。
時間外労働なしには処理しにくい業務量又は短い期限が継続していた場合は,黙示の指揮命令又は使用者の認識可能性を検討する事情となり得る。
成果物の最終更新時刻だけで作業開始時刻は分からないため,版履歴,送付時刻,関連メッセージ及び前後の作業記録を組み合わせる。
会社側も,成果物が完成しているのに申告労働時間が極端に短い,又は申告外のアクセスが反復している場合は,申告だけに依存せず確認する必要がある。
5 休憩・中抜け
在宅勤務では,家事,育児,通院,私用外出その他の中抜けが生じることがある。
厚生労働省のテレワークガイドラインは,中抜けを把握して休憩として取り扱い終業時刻を繰り下げる方法と,中抜けを把握せずに始業・終業間から所定の休憩を除いた時間を労働時間として取り扱う方法を示し,取扱いを就業規則等で定めておくことが重要であるとしている。
自宅で一時的に手を休めやすいことと,労働から離れることを権利として保障された休憩とは同じではない。
中抜けを主張する場合は,その開始・終了,理由,自由利用の可否及び会社の運用を日ごとに特定する必要がある。
第6 勤務日ごとの証拠整理表
労働時間の争いは,期間全体を一括して評価するのではなく,少なくとも争いのある勤務日ごとに整理する必要がある。
次の表を用い,資料の一致点と矛盾点を可視化すると,追加確認すべき事項を絞りやすい。
| 確認欄 | 記載する内容 |
|---|---|
| 勤務日・勤務形態 | 在宅,事業場,サテライト又は移動を伴う勤務 |
| 勤怠申告 | 始業,終業,休憩,中抜け,申請・承認・修正履歴 |
| パソコン等 | 起動・終了,ログオン,スリープ,VPN,業務システム |
| 通信記録 | メール,チャット,電話,オンライン会議 |
| 作業内容 | 予定,日報,ファイル更新,成果物,提出時刻 |
| 指示・認識 | 上司の依頼,期限,承認,黙認,乖離への対応 |
| 反対事情 | 私用,休憩,中抜け,別端末,共用端末,記録欠落 |
| 暫定評価 | 確実な時間,争いのある時間,追加資料,判断保留 |
一つの資料の時刻を他の全記録へ機械的に当てはめないことが重要である。
例えば,午後9時のメール一件は同時刻の業務を示し得るが,午後6時から9時まで連続して働いたことは別に検討する必要がある。
第7 労働者側と会社側の実務対応
1 労働者側の確認事項
労働者側は,適法に保有できる範囲で,勤怠画面,申請・承認,メール・業務チャット,予定表,日報,成果物及び給与明細を早期に保存することが考えられる。
残業理由,指示者,業務内容,休憩・中抜け及び終了時刻を当日又は直後に記録し,事前申請ができなかったときは事後報告を行った経過も残すことが有用である。
会社の営業秘密,個人情報又は第三者の秘密を持ち出してよいわけではない。
保存の適法性又は範囲に疑問がある場合は,対象資料を特定した上で,任意開示,証拠保全又は文書提出命令等の手続を検討する。
2 会社側の確認事項
会社側は,テレワーク勤務規程と実際の運用を一致させ,始業・終業,中抜け,残業申請,緊急時の事後報告,勤怠修正及び客観記録との乖離確認の担当者を定める必要がある。
申請外のアクセス又は時間外の成果物を把握した場合に,単に「無許可」として切り捨てず,業務指示,業務量,期限及び上司の認識を調査する手順を設けることが重要である。
長時間労働を抑制するためには,時間外のメール・チャットを控えるルール,所定外深夜・休日のシステムアクセス制限,業務配分の見直し及びアラートも有用である。
ただし,システム上の制限を設けることと,実際に行われた労働の申告又は事後報告を妨げることは区別しなければならない。
3 紛争になった後の証拠保全
勤怠システム,VPN,メール,チャット及びファイル履歴は,保存期間又はアカウント削除によって失われることがある。
紛争が具体化した後は,対象期間と対象者を絞り,原データ,抽出条件,タイムゾーン,修正履歴及び取得担当者を記録して保全する必要がある。
ログのハッシュ値は,取得後のファイルが同一であることを確認する手段であり,ログの記載内容が真実であること,取得前に改変されていないこと又は特定人が操作したことまで証明するものではない。
電子記録の技術的限界を踏まえ,他の証拠と整合するかを確認する必要がある。
第8 関連記事
時間外・休日・深夜労働の区別,割増率,固定残業代及び消滅時効は,時間外労働,休日労働及び深夜労働と残業代請求(AIリライト)で説明している。
パソコンログを労務管理へ利用する場合の個人情報保護,取得方法及び証拠保全は,USB型フォレンジックツールを労務管理で利用する場合の法的注意点(AI作成)を参照されたい。
休憩中の電話番・来客対応に対象を絞った判断と立証は,昼休みの電話番・来客対応は労働時間になるか―休憩と残業代の判断・立証(AI作成)で整理している。
第9 出典・参考資料
1 法令
①e-Gov法令検索・労働基準法(32条,34条,36条,37条,109条,115条及び143条)
②e-Gov法令検索・労働安全衛生法(66条の8の3)
2 裁判例
①最高裁平成12年3月9日第一小法廷判決(平成7年(オ)第2029号,民集54巻3号801頁)
3 厚生労働省資料
①テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン
②労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン(平成29年1月20日策定)
③テレワークの場合,労働時間管理や残業代はどうなりますか
④テレワークの場合の時間外労働のルールを定めていた場合に,そのルールの外で行われた労働も全て労働時間になりますか
⑤テレワークの場合における時間外,休日労働の労働時間管理において留意すべき点はありますか