第1 結論
弁護士の経済状態は,その弁護士が継続的に扱う依頼者層,事件の経済的価値及び報酬の支払原資をある程度反映すると考えられる。
しかし,弁護士の収入,所得又は純資産と,個々の依頼人の財力とが一対一に対応するわけではない。
より正確には,弁護士の収入及び所得は,①依頼人又は費用負担者の支払能力,②事件によって回収又は保全できる経済的利益,③保険,民事法律扶助その他の支払原資,④報酬の定め方,⑤事件数及び処理時間並びに⑥事務所経費などの合成結果である。
そのため,本記事では,依頼人本人の財力,事件の経済的価値及び報酬の支払原資を分けて検討する。
第2 「財力」という言葉には複数の意味がある
1 弁護士の財力
弁護士についていう「財力」は,年間の収入,経費控除後の所得及び蓄積された純資産のいずれを意味するかによって結論が異なる。
事件から得た収入が多くても,人件費,賃料その他の経費が大きければ所得は小さくなり,所得が多くても消費又は債務の状況によって純資産は異なる。
2 依頼人の財力
依頼人の財力も,現在の預貯金,年間所得,保有不動産,法人の事業規模又は当該事件に支出できる予算のいずれを意味するかによって異なる。
資産家であっても争いの対象となる経済的利益が小さい場合があり,反対に,依頼人本人に十分な預貯金がなくても,保険,民事法律扶助又は事件の回収金から費用を賄える場合がある。
3 事件の財力
「事件の財力」は法律上の用語ではない。
本記事では,①請求又は防御の対象となる経済的利益,②勝訴又は合意後に現実に回収できる見込み及び③弁護士費用を支払う第三者又は制度の有無を合わせた実務上の概念として用いる。
請求額が大きくても,相手方に資力がなければ,事件の経済的価値が直ちに高いとはいえない。
反対に,依頼人本人の資力が乏しくても,十分な保険又は確実な回収原資があれば,費用面では受任しやすい事件となり得る。
第3 弁護士の所得と依頼者類型に関する公開資料
1 公開統計が測定するのは収入及び所得である
日本弁護士連合会の「White Paper on Attorneys 2023」によれば,令和5年調査における前年分の収入の中央値は1,500万円,所得の中央値は800万円であり,最低及び最高の各5%を除いた5%調整平均は収入が2,083万円,所得が1,022万円であった(同書67頁)。
回答者数は収入が1,954人,所得が1,839人であり,同調査の所得には弁護士業務以外の事業所得,不動産所得などが含まれる場合がある(同書67頁~68頁)。
この資料が測定したのは収入及び所得であって,弁護士個人の純資産ではない。
したがって,この数値から弁護士の預貯金,不動産,債務その他の純資産額を推測することはできない。
2 依頼者類型と所得との相関
藤本亮,石田京子,武士俣敦及び上石圭一による第67期弁護士の平成28年調査は,依頼者の種類別に費やした時間と所得との関係を分析している。
同調査では,仕事時間の割合について,法律扶助・国選等を含む個人依頼者と所得との相関係数がマイナス0.209,それ以外の個人依頼者と所得との相関係数がマイナス0.224であり,実際の仕事時間についてもそれぞれマイナス0.187及びマイナス0.193であった(「第67期弁護士のキャリア展開―2016年第1回郵送調査データの多変量解析」94頁)。
これに対し,全国規模の大企業に割いた実際の仕事時間と所得との相関係数はプラス0.389であった(同論文94頁)。
この結果は,少なくとも調査対象となった弁護士について,依頼者類型及び時間配分と所得とが無関係ではなかったことを示している。
3 相関関係を因果関係へ広げない
もっとも,同調査は第67期弁護士という特定の修習期を対象とし,調査時点も平成28年である。
所在地,事務所内の地位,経験,専門性及び労働時間なども所得と関係し得るため,この結果は,企業依頼者を扱えば所得が増える,又は個人依頼者を扱えば所得が減るという因果関係を証明するものではない。
また,個人依頼者と企業依頼者の区分は,それぞれの依頼者の純資産を直接測定したものでもない。
公開資料からいえるのは,限定された調査対象において,依頼者類型及び仕事時間の配分と所得との間に一定の統計的関係が観測されたという範囲である。
第4 依頼人又は事件の経済力が弁護士所得へ反映する経路
1 経済的利益は報酬を決める要素の一つである
東京弁護士会は,弁護士報酬を依頼者との合意で定める一方,経済的利益,事案の難易,時間,労力その他の事情に照らして適正かつ妥当なものとする必要があると説明している。
事件の経済的価値は報酬を決める重要な要素の一つであるが,唯一の要素ではない。
同じ1億円の事件であっても,短期間で解決する事件と,多数の当事者,財産及び証拠を調査する事件とでは,必要な労力及び経費が異なる。
また,同じ報酬額でも,処理時間,人件費,事務所賃料,広告費,専門家費用及び回収までの期間が異なれば,所得への寄与は異なる。
2 事件単価だけでなく件数及び回収可能性も影響する
弁護士の年間収入は,一件当たりの報酬だけでは決まらない。
比較的少額の事件を標準化して多数処理する事務所と,少数の高額事件へ長時間を投じる事務所とでは,収入の形成過程が異なる。
委任契約上の報酬額が高くても,依頼人又は相手方から現実に回収できなければ収入にはならない。
弁護士所得を考える場合は,請求できる報酬額に加えて,回収できる報酬額及び回収に要する時間を見る必要がある。
3 本人以外の支払原資がある
法テラスの民事法律扶助は,経済的に余裕のない人などを対象として無料法律相談を実施し,資力その他の要件を満たす場合には弁護士・司法書士費用等を立て替える制度である。
したがって,低資力の依頼人を扱うことと,弁護士への支払原資が全くないこととは同義ではない。
もっとも,民事法律扶助には審査及び援助要件があり,立替金は原則として利用者が償還する。
制度の根拠となる業務方法書については,「民事法律扶助に関する法テラス業務方法書の条文」も参照されたい。
第5 交通事故では賠償原資と弁護士費用原資を分ける
1 加害者側保険は主として賠償金の原資となる
交通事故の加害者が対人賠償責任保険に加入している場合,加害者側の保険会社が示談交渉の窓口となることが多い。
この場合,依頼人本人に資力が乏しくても,補償範囲内では,加害者側保険が損害賠償金の支払原資となり得る。
もっとも,加害者側保険会社が被害者側弁護士の報酬を当然に直接負担するわけではない。
賠償金の支払原資と,被害者が依頼した弁護士への報酬の支払原資とは別の問題である。
2 被害者側の弁護士費用には別の原資がある
日本損害保険協会は,交通事故の民事訴訟に要する着手金,報酬金等は通常は依頼者が負担する一方,自動車保険又は火災保険などに弁護士費用特約が付いていれば,補償範囲内で保険金が支払われる場合があると説明している。
したがって,交通事故では,①加害者側の賠償責任保険による賠償金の原資と,②依頼者側の弁護士費用特約による報酬の原資を区別する必要がある。
弁護士費用特約の一般的な仕組み及び確認事項については,「弁護士費用特約(AIリライト)」も参照されたい。
なお,賠償請求において弁護士費用相当額を損害項目として扱う問題は,本記事の対象外である。
3 保険があっても回収できるとは限らない
加害者が無保険の場合には,加害者本人から賠償金を回収できないおそれがある。
また,保険契約には補償範囲,限度額及び免責の問題があり,弁護士費用特約にも対象事故及び支払限度がある。
そのため,交通事故は実質的に相手が保険会社であるから事件の財力に問題がない,と一律にいうことはできない。
その評価が成り立つのは,必要な保険契約が存在し,当該事故が補償対象となり,想定する賠償金又は弁護士費用が補償範囲に収まる場合である。
第6 相続事件では東京23区と他都市の地価差が影響することがある
1 東京23区と他都市の住宅地平均価格
国土交通省の令和8年地価公示第6表によれば,住宅地の平均価格は,東京23区が1平方メートル当たり856,400円である。
同じ表に掲載された5都市と比較すると,次のとおりである。
| 地域 | 住宅地の平均価格 | 東京23区の平均価格を各都市の平均価格で除した倍率 |
|---|---|---|
| 東京23区 | 856,400円/㎡ | 1.0倍 |
| 横浜市 | 266,000円/㎡ | 約3.2倍 |
| さいたま市 | 246,700円/㎡ | 約3.5倍 |
| 千葉市 | 149,700円/㎡ | 約5.7倍 |
| 八王子市 | 131,300円/㎡ | 約6.5倍 |
| 木更津市 | 41,200円/㎡ | 約20.8倍 |
倍率は,本記事において東京23区の平均価格856,400円を各都市の平均価格で除し,小数第1位に丸めたものである。
同じ面積及び同じ条件を仮定すれば,地域の価格差は不動産を含む遺産総額へ大きく影響し得る。
2 都市平均を個別の相続財産額へ直結させない
もっとも,地価公示の市区別平均は,選定された標準地の1平方メートル当たり価格を市区単位で平均したものであり,個別の相続不動産の価値そのものではない。
実際の価値は,面積,用途,形状,接道,賃貸借,共有,担保,換価可能性その他の個別条件によって変わる。
東京23区外にある広大な事業用地又は収益物件が,東京23区内の小規模な共有持分より高額となることもあり得る。
したがって,東京23区の相続は常に高額であり,他都市の相続は常に低額であると一般化することはできない。
3 相続財産は土地だけではない
国税庁の「令和6年分相続税の申告事績の概要」によれば,相続税額のある申告に係る相続財産の金額は,現金・預貯金等が8兆5,602億円,土地が7兆4,074億円,有価証券が4兆3,676億円,家屋が1兆1,901億円,その他が3兆162億円であり,合計は24兆5,415億円であった(同資料4頁)。
この統計は相続税額のある申告に限られるが,相続財産が土地だけでなく,現金・預貯金等,有価証券,家屋その他から構成されることを示している。
そのため,不動産所在地だけでは相続事件の経済的価値を判断できない。
資産構成,債務,依頼人の相続分及び現実に争われている範囲も確認する必要がある。
4 遺産総額と弁護士所得は比例しない
遺産総額が1億円であっても,依頼人が争っているのがその一部だけである場合がある。
反対に,遺産総額が比較的小さくても,財産の範囲,特別受益,寄与分,使途不明金又は不動産評価に複雑な争いがあれば,多くの時間及び労力を要する。
弁護士報酬における経済的利益を遺産総額,依頼人の法定相続分,現実の取得額又は増加額のどれで捉えるかは,各弁護士の報酬基準及び委任契約によって異なる。
この点でも,相続財産額と弁護士の所得とが単純な比例関係にあるとはいえない。
第7 弁護士の経済状態を読むための視点
弁護士の経済状態を考える場合,少なくとも次の要素を分ける必要がある。
①依頼人又は顧問先の支払能力
②請求,防御,取引又は相続の対象となる経済的利益
③相手方の資力,保険,担保その他の回収可能性
④着手金,成功報酬,時間制,定額制及び顧問料などの報酬方式
⑤年間の事件数,継続受任及び処理に要する時間
⑥人件費,賃料,広告費,専門家費用その他の事務所経費
⑦経験,専門性,紹介経路,地域及び事務所内の報酬分配方法
依頼人又は事件の財力は,このうち①から③までに強く関係する。
しかし,弁護士の所得及び蓄積資産を決めるのは①から⑦までの合成結果であり,公開資料から依頼人個人の財力と弁護士個人の純資産との直接の相関は確認できない。
第8 出典・参考資料
1 統計・データ
①日本弁護士連合会「White Paper on Attorneys 2023」67頁~68頁
②国土交通省「令和8年地価公示」第6表「東京圏の市区の住宅地の平均価格等」1頁~2頁
③国税庁「令和6年分相続税の申告事績の概要」4頁
2 公的機関の制度説明
①日本司法支援センター「民事法律扶助業務」
3 職能団体・業界団体の解説
①東京弁護士会「弁護士費用について」
②日本損害保険協会「交通事故による賠償問題の解決方法は?」
③日本損害保険協会「交通事故の相手が無保険だったらどうする?」
4 学術文献
①藤本亮・石田京子・武士俣敦・上石圭一「第67期弁護士のキャリア展開―2016年第1回郵送調査データの多変量解析」名古屋大学法政論集275号45頁~110頁,特に93頁~98頁(平成29年12月25日)