第1 本記事の対象範囲
本記事は,養育費を「いつから」請求できるか,すなわち始期の問題を扱う。
養育費の始期には,性質の異なる複数のものが併存しており,これを整理せずに一つの原則だけで理解しようとすると誤解を招きやすい。
具体的には,①協議・調停・審判によって金額が定まる通常の養育費の始期,②令和6年民法等改正で新設された法定養育費(民法766条の3)の始期,③認知によって親子関係が生じた場合に,この①②それぞれにどのような影響が生じるか,④離婚前の別居期間中の監護費用を離婚訴訟の中で一括して処理できるかという4つの論点を扱う。
養育費の適正額の算定方法及び算定表の見方は,養育費算定表の見方,計算方法及び法定養育費との違い(AI作成)で,法定養育費及び養育費債権の先取特権の発生要件・金額・経過措置の詳細は,法定養育費と養育費債権の先取特権(AI作成)で,それぞれ説明している。
本記事は,これらを前提とした上で,「いつから」という一点に絞って掘り下げる。
養育費がいつまで支払われるかという終期の問題は,養育費は18歳・20歳・大学卒業のいつまでか―未成熟子と支払終期(AI作成)で別に説明している。
第2 通常の養育費の始期―原則は請求時
協議・調停・審判によって金額を定める通常の養育費については,実務上,具体的な分担義務は審判又は合意によって形成され,その始期は,裁判所が合理的な裁量によって定めることができるという前提の下で,請求時以降とするものが多数である。
これは,別居中の婚姻費用の始期と同じ考え方であり,別居中の生活費(婚姻費用)はいつから請求できるか|請求方法・必要書類・調停・審判(AI作成)で説明した内容が,養育費にもそのまま当てはまる。
請求時には,調停・審判の申立時だけでなく,その前に内容証明郵便等で事実上養育費の支払を求めていれば,その時点も含まれ得る。
義務者が,権利者の要扶養状態を認識しながら請求を妨げた場合や,別居に至る事情及び義務者の資力からみて請求前に遡って分担させても過酷とはいえない場合には,請求時より前に遡って分担が認められることもある。
もっとも,遡って分担を認める場合,一時に支払うことになる負担を考慮して,理論的に算定される額から減額されるのが一般的である。
養育費の分担義務は,生活保持義務であるから,親子が別居していても,父母が離婚していても消滅しない。
したがって,支払われなかった養育費を後日請求すること自体は妨げられない。
ただし,前記のとおり,実際に認められる額は,多くの場合,請求時を基準に判断される。
第3 法定養育費という第二の始期―離婚の日から
令和6年民法等改正(令和8年4月1日施行)で新設された法定養育費(民法766条の3)は,父母が養育費の取決めをせずに協議上の離婚をした場合に,離婚の時から引き続き子の監護を主として行う父母の一方が,他の一方に対し,離婚の日から,父母の協議による定めをした日,分担についての審判が確定した日,子が成年に達した日のいずれか早い日までの間,法務省令で定める額(2万円に子の数を乗じた額)の支払を請求できる制度である。
この規律は,婚姻の取消し,裁判上の離婚及び認知にも準用される。
法定養育費の要件・金額・先取特権との関係・経過措置の詳細は,前掲「法定養育費と養育費債権の先取特権(AI作成)」に譲り,本記事では「離婚の日が始期となる」という点に絞って述べる。
ここで注意すべきは,法定養育費の新設が,第2で述べた請求時説を変更したものではないという点である。
裁判手続によって父母の収入等の個別事情を踏まえた養育費額を定める場面では,従来どおり請求時説(裁判所の合理的な裁量による例外的な遡及を含む。)が妥当する。
法定養育費は,民法766条の3により離婚の時から発生するため,請求時より前の期間に対応する法定養育費の請求も認められることにはなるが,これは,本来の養育費についての始期の考え方を改める趣旨ではない。
したがって,例えば,裁判手続で,法定養育費(月2万円に子の数を乗じた額)を上回る額を養育費として相当と判断する場合であっても,その上回る部分について当然に離婚時まで遡って分担が定められることにはならない。
言い換えると,離婚時に養育費の取決めをしなかった場合,権利者は,離婚の日から,まず法定養育費を請求できる。
これと並行して,より高額な本来の養育費を求めて協議・調停・審判を進める場合,その本来の養育費の始期は,なお請求時説に従って判断されるのが原則である。
法定養育費は,従来の始期論を置き換える制度ではなく,これと並存する,一律・機械的な始期を持つ別建ての制度であるという理解が重要である。
なお,法定養育費が問題となるのは,施行日(令和8年4月1日)以後に離婚した場合に限られる。
改正法附則は,法定養育費に関する規定を,施行日前に離婚し,婚姻が取り消され,又は認知した場合には適用しないと定めている。
経過措置の詳細は前掲「法定養育費と養育費債権の先取特権(AI作成)」で説明している。
第4 認知後の養育費―出生時か,認知の日か
養育費の請求は,法律上の親子関係の存在を前提とする。
したがって,認知前の父親に対しては,養育費を請求する法律上の根拠がない。
これは,離婚後の元配偶者間の請求(親子関係は当然に存在する。)とは異なる,認知に固有の制約である。
4-1 通常の養育費―大阪高等裁判所平成16年決定
大阪高等裁判所平成16年5月19日決定は,未成年者の認知審判確定の直後に養育費分担調停の申立てがされた事案で,原審判が請求時(分担調停に先立つ請求の時期)を始期としたことについて,「未成年者の認知審判確定前に,抗告人が相手方に未成年者の養育費の支払を求める法律上の根拠はなかったのであるから,上記請求時をもって分担の始期とすることに合理的な根拠があるとは考えられない」とした。
その上で,「幼児について認知審判が確定し,その確定の直後にその養育費分担調停の申立てがされた場合には,民法784条の認知の遡及効の規定に従い,認知された幼児の出生時に遡って分担額を定めるのが相当である」と判示し,出生時まで遡って養育費分担額を定めた。
もっとも,この判断があらゆる認知後の養育費請求に一般化されるわけではない点に注意を要する。
この決定は,認知が子の出生後1年余りにされ,かつ認知確定の直後に速やかに養育費分担調停が申し立てられたという事案である。
認知が子の出生後,相当期間が経過した後にされた場合であれば,必ずしも出生時まで遡るとはいえないと指摘されている。
4-2 法定養育費―認知に準用された場合の始期
これに対し,法定養育費が認知の場合に準用されるとき,その始期は,子の出生の日ではなく,認知の日である。
民法766条の3第1項にいう「離婚」の部分が「認知」に読み替えられる結果,離婚の日を基準とする規律が,認知の日を基準とする規律に置き換わるためである。
この対比は重要である。
前記大阪高裁決定が示した出生時への遡及は,裁判所が個別事情(認知確定直後の速やかな申立てという事情)を考慮して定める,本来の(協議・調停・審判による)養育費についての判断であって,法定養育費という条文上一律の制度についての判断ではない。
法定養育費は,あくまで認知の日を機械的な起算点とする制度であり,出生時まで遡ることを法律上当然に予定した制度ではない。
両者を混同すると,法定養育費についても出生時まで遡ることができるかのような誤解を招きかねないため,この区別を意識しておく必要がある。
第5 離婚後の元配偶者という文脈―婚姻費用の「将来分」制約との違い
前掲「別居中の生活費(婚姻費用)はいつから請求できるか」で説明したとおり,最高裁判所令和2年1月23日決定は,婚姻費用分担の調停・審判係属中に離婚が成立しても,申立時から離婚時までの過去分の申立ては不適法とならないが,離婚後の将来分を婚姻費用として求めることはできないとした。
これは,婚姻費用が婚姻関係の存続を前提とする分担義務である以上,離婚により婚姻関係が消滅すれば,その後の期間はそもそも婚姻費用の対象になり得ないことによる。
養育費は,この制約の裏返しの関係にある。
養育費(子の監護費用の分担)は,そもそも離婚後(又は認知後で当初から法律上の婚姻関係にない場合)に発生する債権であり,離婚後の将来分を請求すること自体が,養育費請求の本体である。
したがって,婚姻費用における「離婚後の将来分は請求できない」という制約は,養育費には最初から問題とならない。
むしろ養育費に固有の問題は,離婚(又は認知)より前の期間をどこまで遡って請求できるかという点にあり,これが第2・第4で述べた請求時説・認知の遡及効の議論である。
第6 離婚前の別居期間の監護費用の一括処理―離婚訴訟の附帯処分
離婚の多くは協議離婚によるが,離婚訴訟(裁判離婚)による場合には,別の選択肢がある。
人事訴訟法32条は,裁判所が,夫婦の一方が他方に対して提起した離婚の訴えに係る請求を認容する判決において,子の監護に関する処分についての裁判をしなければならないと定め,同条2項により,金銭の支払その他の給付を命ずることができるとしている。
最高裁判所平成9年4月10日判決は,離婚の訴えにおいて,別居後単独で子の監護に当たっている当事者から,別居後離婚までの期間における子の監護費用の支払を求める申立てがあった場合には,裁判所は,離婚請求を認容するに際し,民法771条・766条1項を類推適用して,その申立てに係る監護費用の支払を命ずることができると判示した。
同判決は,離婚前であっても父母が別居し,共同して子の監護に当たることができない場合には,子の監護に必要な事項として費用負担の定めを要する点で離婚後と異ならず,離婚請求認容の際に,離婚前の別居期間中の監護費用も一括して解決するのが,当事者の利益及び子の福祉に資するとした。
この事案では,別居開始から離婚判決確定日までの監護費用の支払が,離婚判決の中で一括して命じられている。
その後,最高裁判所平成19年3月30日判決は,前記平成9年判決を明示的に引用した上で,一歩進んだ判断を示した。
別居後単独で子の監護に当たっている当事者から,別居後離婚までの期間における子の監護費用の支払を求める申立てがあった場合,裁判所は,離婚請求を認容する際に,人事訴訟法32条1項所定の子の監護に関する処分を求める申立てとして,その当否について審理判断しなければならないとしたのである。
原審(東京高等裁判所)は,離婚の訴えに附帯してこのような申立てをすることはできないとして,離婚成立前の期間に対応する監護費用の申立てを却下していたが,最高裁判所はこれを破棄し,審理を差し戻した。
平成9年判決の「命ずることができる」という裁量的な表現から,平成19年判決の「審理判断しなければならない」という義務的な表現への変化は,離婚前の別居期間中の監護費用の一括処理が,裁判所の裁量的な運用にとどまらず,当事者から適法に申し立てられた以上は裁判所が応答すべき事項として確立したことを示している。
協議離婚が大多数を占める日本では,この枠組みが用いられる場面は限られるが,離婚訴訟に至った事案では,別居期間中の監護費用について,別途の調停・審判を要さず,離婚判決の中で一括して解決できるという選択肢がある点は,知っておく価値がある。
第7 今すぐ動くべき理由
相手の収入が分からない,話合いがまとまらないといった理由だけで,養育費の請求そのものを先延ばしにすることは避けるべきである。
第2で述べたとおり,通常の養育費の始期は,多くの場合,請求時が基準となる。
請求を先延ばしにすればするほど,後から遡って回収できる範囲が狭まる可能性がある。
離婚時に取決めをしないまま今日に至っている場合でも,離婚が施行日(令和8年4月1日)以後であれば,第3で述べた法定養育費を,離婚の日に遡って請求できる余地がある。
認知が関係する事案では,第4で述べたとおり,認知の時期と養育費請求の時期の関係によって結論が左右され得るため,早期に事情を整理することが望ましい。
いつを始期として請求できるかは,取決めの有無,離婚(又は認知)の時期,請求の経過等の個別の事情によって異なる。
まずは,離婚(又は認知)の時期,これまでに請求した記録の有無,取決めの有無を整理した上で,早期に弁護士等へ相談することが望ましい。
出典
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)766条,766条の2,766条の3,749条,771条,784条,787条,788条(e-Gov法令検索。令和8年8月23日確認)
②民法等の一部を改正する法律(令和6年法律第33号)附則1条,2条,3条(e-Gov法令検索。令和8年8月23日確認)
③人事訴訟法(平成15年法律第109号)32条(e-Gov法令検索。令和8年8月23日確認)
2 裁判例
①最高裁判所第一小法廷平成9年4月10日判決(平成7年(オ)第1933号,民集第51巻4号1972頁,裁判所ウェブサイト掲載。https://www.courts.go.jp/hanrei/54791/detail2/index.html)
②最高裁判所第二小法廷平成19年3月30日判決(平成17年(受)第1793号,集民第223号767頁,裁判所ウェブサイト掲載。https://www.courts.go.jp/hanrei/34449/detail2/index.html)
③大阪高等裁判所平成16年5月19日決定(家庭裁判月報57巻8号86頁。裁判所HP未掲載。松本哲泓『婚姻費用・養育費の算定-裁判官の視点にみる算定の実務-』新日本法規,平成30年4月,14頁~15頁により確認)
3 公的資料
①法務省「民法等の一部を改正する法律(父母の離婚後等の子の養育に関する見直し)について」(令和8年4月1日施行。https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00357.html)
4 文献
①松本哲泓『婚姻費用・養育費の算定-裁判官の視点にみる算定の実務-』(新日本法規,平成30年4月)9頁~15頁
②梶村太市・棚村政行編著,秋武憲一著『第4版離婚調停』(日本加除出版,2021年)301頁~303頁
③北村治樹編著『一問一答 令和6年民法等改正-家族法制の見直し(親権・養育費・親子交流等)』(商事法務,2025年)Q59~Q64,注1~注4
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