国連海洋法条約に違反する行為があると主張できることと,特定の裁判所がその紛争を審理できることは別である。同条約第15部は,平和的解決の義務,当事国の手続選択,拘束力のある決定を伴う手続,その適用制限・除外を定める。
本記事は,「海の紛争ならITLOSに訴えればよいのか」「仲裁は双方の新たな同意がなければ始められないのか」という疑問に,制度の順序と条件を示すものである。条約の全体像と海域の違いは,国連海洋法条約とはを参照。
第1 最初に確認すること―当事国・紛争・合意
1 条約の解釈・適用に関する紛争か
第15部の基本的な対象は,国連海洋法条約の解釈又は適用に関する紛争である。海上で生じた紛争というだけで,条約上の管轄権が当然に認められるわけではない(286・288条)。
領海,資源利用,海洋環境などのどの規定について,どの義務違反・権利侵害が主張されているかを確認する必要がある。陸地の領有権の問題と,条約上の海洋権益の問題も区別する。
根拠:外務省・条約の和文及び英文,国連条約集・条約原文第15部(英語本文の冊子508頁以降)。
2 平和的手段・意見交換・別の合意を確認する
279条は平和的解決の義務を定め,280条は当事国が選ぶ平和的手段による解決を認める。紛争が生じたときは,交渉その他の平和的手段による解決について,速やかな意見交換を行う義務もある(283条)。
281条は当事国が選んだ手段で解決しなかった場合の条件を,282条は別の一般的・地域的・二国間の合意等に基づく拘束的な手続との関係を定める。交渉が不調になった事実だけを見て,すべての前提条件を満たしたと扱うことはできない。
この確認の後に,286条以下の手続と,第3節の適用制限・除外を検討する。
第2 287条の四つの手続
1 ITLOS・ICJ・二種類の仲裁
| 手続 | 根拠・特徴 |
|---|---|
| 国際海洋法裁判所(ITLOS) | 附属書Ⅵの規程に基づく常設裁判所。所在地はハンブルク。 |
| 国際司法裁判所(ICJ) | 国家間の紛争を扱う常設裁判所。287条の選択肢の一つでもある。 |
| 附属書Ⅶ仲裁 | 当該紛争のために構成する仲裁廷。手続選択が一致しない場合などの基本的な受け皿となる。 |
| 附属書Ⅷ特別仲裁 | 漁業,海洋環境,海洋科学調査,航行など,附属書に定める分野の紛争を扱う。 |
287条1項は,署名・批准・加入時又はその後に,書面の宣言で一つ又は複数の手続を選択できると定める。
参照:ITLOS・締約国の宣言に関する説明。ICJの選択条項受諾宣言と287条の手続選択は,別の管轄権の根拠である。前者については,ICJの選択条項受諾宣言を参照。
2 当事国の選択が一致しない場合
当事国が同じ手続を受け入れている場合は,別段の合意がない限り,その手続に付託する(287条4項)。同じ手続を受け入れていない場合は,別段の合意がない限り,附属書Ⅶ仲裁による(同条5項)。
有効な宣言に含まれない紛争については,附属書Ⅶ仲裁を受け入れたものとみなされる(同条3項)。したがって,287条の宣言をしていないことだけで,すべての拘束的な手続を拒否できるとはいえない。
一方,これらの規則から,直ちに個別事件の管轄権が認められるわけでもない。第1節の条件や,297・298条などを併せて確認する必要がある。
第3 297条の制限・298条の選択的除外
1 沿岸国の権利に関する紛争のすべてが除外されるわけではない
297条は,沿岸国の主権的権利・管轄権の行使に関する紛争について,拘束的な手続が適用される場合と,科学調査・漁業に関する制限等を定める。
例えば,航行・上空飛行・海底電線等の自由に関する違反の主張は,同条1項で扱われる。他方,沿岸国の一定の科学調査に関する裁量や,EEZの生物資源についての主権的権利の行使には,同条2・3項の制限がある。
「漁業に関係するから一切審理できない」とも,「EEZ内だからすべて審理できる」ともいえない。請求内容と条文を対応させる必要がある。一部には附属書Ⅴ第2節の調停に進む制度もある。
2 海洋境界・軍事活動などの除外宣言
298条1項は,海洋境界画定等,軍事活動及び一定の法執行活動,国連安全保障理事会が所定の機能を行使している紛争について,拘束的な手続を受け入れない旨の宣言を認める。
法執行活動の除外は,297条2・3項により裁判所等の管轄権から除外される主権的権利・管轄権の行使に関するものに結び付いている。すべての法執行活動を一括して除外する規定と読むべきではない。
軍艦が関与したという事実だけで,紛争全体が当然に軍事活動の除外に該当するとも限らない。具体的な活動,請求,宣言の内容を確認することが必要である。
3 除外しても平和的解決義務は残る
298条の宣言は,第1節の義務を害さずに行うものである。海洋境界画定等の一部には,条文所定の条件で調停を受け入れる制度もある。除外宣言によってすべての平和的解決手段が消えるわけではない。
また,除外を宣言した国は,その除外対象の紛争を,他の締約国の同意なしに同国に対して条約上の手続へ付託することはできない(298条3項)。299条は,当事国の合意により,制限・除外される紛争を手続へ付託することを認める。
宣言の現行内容は,国連条約集の宣言欄で,当事国・時点・対象範囲を確認する。ITLOSの掲載は便宜的な案内であり,寄託者である国連事務総長の公表資料も確認する必要がある。
第4 本案・暫定措置・船舶の早期釈放を区別する
1 暫定措置は本案判断と同じではない
290条は,最終判断まで当事者の権利を保全し,又は海洋環境への重大な害を防ぐための暫定措置を定める。ITLOSが暫定措置を命じたことが,その裁判所による本案の管轄権・勝敗の最終的な判断を意味するわけではない。
仲裁廷の構成前には,290条5項の条件に従いITLOSが暫定措置を扱う場合もある。本案を仲裁廷が扱い,暫定措置をITLOSが扱うという分担は制度上あり得る。
参照:ITLOS・管轄権と暫定措置
2 早期釈放は拿捕事件のすべてを裁く手続ではない
292条は,合理的な保証金等の提供による船舶・乗組員の速やかな釈放について,条約上の義務に違反したと主張される場合の手続を定める。申立ては旗国又はそのために行うものであり,拿捕の実体的な適法性や国内事件の全体を代わりに裁く一般手続ではない。
287条の手続選択だけでなく,292条固有の条件と手続の範囲を確認する必要がある。参照:ITLOS・事件の付託方法
3 日本が関係した事件から分かること
みなみまぐろ事件では,ITLOSの暫定措置の後,仲裁廷が本案の管轄権を否定した。別の条約上の紛争解決手続との関係が問題となった事案であり,暫定措置と本案の判断を区別する例になる。
第88豊進丸事件と第53富丸事件は,船舶の早期釈放をめぐる事件である。二つの事件を,通常の本案判断の例と混同しないことが大切である。
ここでの事件紹介は,外務省・国際海洋法裁判所の整理に基づく概要であり,個々の判決理由の全体を説明するものではない。
第5 判断の拘束力と個別事件の読み方
1 拘束力は当事国・当該紛争との関係で考える
296条は,管轄権を有する裁判所等の決定が最終的であり,当事国が従うべきことを定める。同条2項は,拘束力を当事国間の当該紛争についてのものとする。
判決の法的拘束力,第三国が判例を参照すること,実際の履行・執行は,区別する必要がある。また,一国が手続や判断に反対しているという事実だけから,判断の法的効力の有無を結論付けることもできない。
2 個別事件では検討順序を保つ
当事国の参加状況と対象となる条約規定を確認し,別の合意・意見交換,287条の選択,297・298条の制限・除外,求める救済を順に検討する。そのうえで,管轄権の判断と実体上の義務違反の判断を分けて読む。
試験問題への当てはめは,令和7年司法試験・国際公法第2問を参照。島の領有権と海洋権益の区別については,南シナ海の個別島嶼と2016年仲裁判断を参照。
第6 主な出典と対象範囲
国連条約集・国連海洋法条約原文第15部・附属書Ⅵ~Ⅷ,ITLOS・管轄権,締約国の宣言,事件の付託方法,外務省・国際海洋法裁判所を参照した。資料確認日は2026年10月11日である。
本記事は第15部の一般的な制度を中心に説明するものであり,特定国の宣言の全履歴,個別事件の管轄権,深海底紛争裁判部や勧告的意見の手続を網羅するものではない。