第1 大使館で働く職員も外国国家を訴えられるか
日本国内で労務の全部又は一部を提供する労働契約について,使用者である外国国家が常に裁判権から免除されるわけではない。
「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律」9条1項は,このような労働契約に関する裁判手続では免除されないことを定める。
ただし,同条2項には,職務,請求内容,国籍・通常居住,書面による合意等に関する除外事由がある。
本稿は,令和8年10月19日現在の同法と,飛澤知行『逐条解説 対外国民事裁判権法―わが国の主権免除法制について』(商事法務,2009年)40~51頁を基礎に,日本の裁判所で外国国家との労働紛争を扱う際の区別を説明する。
法律の条文は,e-Gov法令検索で確認できる。
https://laws.e-gov.go.jp/law/421AC0000000024/
最初に確かめるのは,雇用契約の当事者である。
外国国家が使用者である場合,外交官が個人で雇った場合,別法人が使用者である場合では,免除を検討する根拠が異なる。
勤務場所が大使館であることだけで,被告を大使個人としたり,すべての請求が免除されると判断したりすることはできない。
制度の全体像は,主権免除(国家免除)と外国国家への民事訴訟を,外交官個人に対する請求は,外交官の民事裁判権免除を参照されたい。
第2 労働契約に関する9条の構造
1 日本国内での労務提供
9条1項は,外国等と個人との労働契約で,日本国内で労務の全部又は一部が提供され,又は提供されるべきものを対象とする。
日本で契約書に署名したかだけでなく,実際の就労場所と予定された労務提供地を確認する。
労働契約は8条の商業的取引から除かれているため,労働紛争はまず9条の要件に即して検討する。
2 免除されない原則の6つの除外事由
9条2項の各号は,同条1項を適用しない場合を定める。
各号にはそれぞれ条件があり,大使館の職員であるという名称だけで当てはめることはできない。
| 条項 | 確認する事項 | 特に区別する点 |
|---|---|---|
| 1号 | 外交官,領事官,所定の使節団職員など,外交上の免除を享有する者か | 現地採用職員という名称だけで決まらない。身分と条約の適用を確認する。 |
| 2号 | 外国等の安全,外交上の秘密その他の重大な利益に関する任務のために雇用されているか | 肩書だけでなく,実際の職務と秘密情報等への関与を確認する。 |
| 3号 | 採用又は再雇用の契約の成否に関する訴え・申立てか | 損害賠償を求めるものは,この号の対象から除かれる。 |
| 4号 | 解雇等の終了の効力に関する訴え・申立てか | 所定の国家元首等による安全保障上の利益への判断が必要であり,3号と同じ条件ではない。損害賠償請求は対象から除かれる。 |
| 5号 | 手続開始時に当該外国等の国民か | 日本に通常居住するときは,この号の除外事由によらない。 |
| 6号 | 当事者間に書面による別段の合意があるか | 日本の裁判所に管轄がないとすることが労働者保護の見地から公序に反する場合のただし書を確認する。 |
2号について,逐条解説は,安全や外交上の秘密等に関する任務を実際に遂行する場合と,そのような任務を遂行するとはいえない受付・運転・清掃・事務等の場合を区別している〔44~45頁〕。
職種名が同じでも職務の実態は異なり得るため,契約書,職務記述書,指揮命令の内容,担当業務の資料をそろえて判断する必要がある。
第3 未払賃金・地位確認・損害賠償を分ける
1 実際に働いた分の未払賃金
労務を提供したのに約束された賃金や退職金が支払われない場合と,採用・再雇用や解雇の効力を争う場合は同じではない。
逐条解説46頁は,単純な賃金等の不払を理由とする裁判手続に,9条2項3号・4号は適用されないと説明する。
もっとも,他の除外事由に該当しないかと,賃金債権が実際に成立するかは別途確認する。
2 採用・再雇用と地位確認
9条2項3号は,採用又は再雇用の契約の成否に関する訴え等を扱う。
逐条解説45~46頁は,採用されていることを理由とする現実の就労や地位確認と,外国等が就労を拒んだ期間の賃金請求について,外国等に採用等を強制する効果との関係を説明している。
金銭の支払を求める形でも,請求の基礎と実質を確認する必要がある。
3 解雇等の終了の効力
9条2項4号は,既存の労働契約の終了の効力に関する訴え等について,外国等の元首,政府の長又は外務大臣によって,裁判手続が安全保障上の利益を害するおそれがあるとされた場合を定める。
採用・再雇用の3号とは要件が異なり,解雇の効力を争うだけで常にこの号による免除が認められるわけではない。
更新拒絶等でも,契約の成立を争うのか,既に成立した契約の終了を争うのかを,請求内容と事案の実質に即して確認する。
4 損害賠償請求
3号・4号はいずれも,損害の賠償を求める訴え等を対象から除いている。
しかし,損害賠償という名称にすれば必ず審理されるという意味ではない。
安全・外交上の秘密等に係る任務など,他の号の除外事由を確認した上で,請求原因,準拠法,損害及び証拠を検討する。
| 請求の内容 | 主な検討点 |
|---|---|
| 実際に働いた分の未払賃金・退職金 | 単純な不払かを特定し,9条1項と2項の他の事由を確認する。 |
| 採用・再雇用を前提とする地位確認 | 9条2項3号の契約の成否に関する請求かを確認する。 |
| 採用等を前提とする就労拒否期間の賃金 | 金銭請求という形式だけでなく,採用等を強制する効果との関係を確認する。 |
| 既存契約の解雇等の効力 | 9条2項4号の請求と,所定の安全保障上の判断の有無を確認する。 |
| 不当な不採用・解雇等による損害賠償 | 3号・4号の対象からの除外と,2項の他の事由を区別する。 |
第4 大阪高裁令和6年1月26日判決
大阪高裁令和6年1月26日判決(令和5年(ネ)第999号,判例秘書の判例番号 L07920745)は,イタリア共和国外務・国際協力省が日本で開設する会館の職員として試用期間付きで採用され,本採用を拒否された原告の請求を,請求ごとに分けて判断した。
地位確認と解雇後の賃金の請求については,9条2項3号の除外事由を適用して訴えを却下した。
他方,勤務していた期間の時間外労働に係る未払割増賃金の請求については,9条1項により裁判権の免除を認めず,労働基準法37条を適用して請求を一部認めた。
原審の大阪地裁令和5年3月22日判決(平成29年(ワ)第1641号,判例秘書の判例番号 L07850314)は,試用期間中と本採用後の労働契約関係を別個のものとみて,本採用を同号の採用に当たると判断した。
控訴審は,双方の控訴を棄却している。
これらの判決は,試用期間付きの採用と本採用の拒否という事実関係についての判断である。
すべての解雇事件やすべての大使館職員に同じ結論が及ぶと一般化することはできない。
第5 契約・勤務資料と手続の確認事項
免除の検討では,契約当事者,署名権限,契約期間,試用期間,本採用・更新の条件,職務内容,勤務場所,国籍・通常居住地及び書面合意を整理する。
賃金請求では,実際の就労期間,勤務時間,指示,賃金額,支払履歴を裏付ける契約書,勤務表,メール,給与明細等が重要となる。
地位確認や解雇後の賃金と,実労働分の未払賃金は,期間と請求の根拠を分けて整理する。
裁判権免除が否定されても,国際裁判管轄や準拠法が自動的に決まるわけではない。
日本法を準拠法とする合意だけでは,裁判権に服する同意と解することができないことも,同法5条2項に定められている。
9条2項6号の合意とただし書についても,合意の文言と労働者保護の条件を確認する。
外国国家への訴状等の送達には20条,欠席の場合の請求認容判決等には21条の特則がある。
判決を得た後も,保全・執行免除と対象財産の用途を別に検討する。
これらの手続は,外国国家への送達・欠席判決・強制執行で説明している。
第6 よくある質問
1 大使館の現地採用職員は全員免除の対象外か
全員について一律に決まるわけではない。
日本国内での労務提供を確認した上で,外交上の身分,実際の職務,請求内容,国籍・通常居住及び書面合意等を9条に即して検討する。
2 金銭請求なら主権免除は問題にならないか
金銭請求でも問題となる。
実際に働いた分の賃金と,採用・再雇用等を前提とする就労拒否期間の賃金,損害賠償では,請求の基礎と適用する規定が異なる。
3 勝訴すれば大使館の口座から回収できるか
勝訴判決だけで,公館の口座へ当然に執行できるわけではない。
本案の裁判権免除と財産への保全・執行免除は別であり,17~19条と,条約等による財産の保護を確認する必要がある。
第7 出典・関連記事
飛澤知行『逐条解説 対外国民事裁判権法―わが国の主権免除法制について』(商事法務,2009年)40~51頁〔労働契約〕,24~27頁〔同意〕,78~105頁〔保全・執行,送達,欠席判決〕。
刊行後の現行条文はe-Gov法令検索で照合する。
外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律5・8・9・17~21条:
https://laws.e-gov.go.jp/law/421AC0000000024/
大阪高裁令和6年1月26日判決(令和5年(ネ)第999号,判例秘書の判例番号 L07920745)及びその原審の大阪地裁令和5年3月22日判決(平成29年(ワ)第1641号,判例秘書の判例番号 L07850314)。
いずれも裁判所HP未掲載である。