第1 この記事の対象と結論
本記事は,法律事務所が複数のAIエージェント又は複数の会話を使って調査,起案,査読及び確認を分担させる場合に,何を全員へ共有し,何を担当ごとに限定し,どの判断を弁護士へ戻すかを整理するものである。
結論として,全員へ全情報を渡す方法と,統括役だけが目的を持つ方法の二者択一にする必要はない。
共通規律,案件文脈及び個別作業指示の三つに分け,担当者には必要最小限の目的と固定条件を渡し,戦略変更,最終的な法的判断及び対外的な操作を統括役又は弁護士へ戻す設計が考えられる。
発想の出発点は,鈴木大貴氏のX投稿である。
同投稿は,AIエージェントによる自律組織を設計する際に,会社又はプロジェクト全体の目的を全実装者へ持たせるか,管理役だけに持たせるかという問いを提示したものであり,法律事務所での効果や法的義務を実証した資料ではない。
OpenAIのMulti-agent公式資料は,各サブエージェントが独自のコンテキストを持ち,統括エージェントが結果をまとめる仕組みを説明し,独立した作業には明確な問いと期待する結果を与えること,短い作業及び相互に依存する工程は統括側に残すことを案内している。
また,OpenAIのモデル向け公式ガイドは,期待する成果,成功条件,制約,許される副作用,根拠のルール及び出力形式を明示し,停止条件を置くことを推奨している。
これらは製品及びプロンプト設計に関する一次資料であるが,法律事務所の業務管理としての有効性又は法令・会規への適合性を直接証明するものではない。
本記事の三層構造,役割分担及びチェックリストは,これらの資料と既存の運用を踏まえた実務上の提案である。
裁判例を根拠とする法的命題は扱っていないため,裁判所ウェブサイト又は判例秘書による裁判例の確認は行っていない。
第2 全情報共有と管理役への集中の二者択一にしない
全員に全ての情報を渡すと,各担当者は全体の目的を理解しやすい一方,長い指示の反復,無関係な情報への引きずられ,秘密情報の拡散及び独立査読の弱体化が起こり得る。
特に,起案の経緯,暫定評価及び採用予定の結論まで査読担当へ渡すと,査読が起案者の筋書きを再確認する作業になりやすい。
反対に,統括役だけが目的を持ち,担当者へ断片的な作業だけを渡すと,担当者の出力が局所的には正しくても,依頼者の目的,記事の検索意図又は事件全体の戦略から外れることがある。
担当者が前提の誤り又は重要な例外に気付いても,なぜその作業をしているかが分からなければ,問いを修正して統括役へ戻すことができない。
そこで,目的を全て渡すか全く渡さないかではなく,担当者が誤った問いを検知するために必要な範囲の「なぜ」を共有する。
その上で,起案履歴,暫定的な心証,他の担当者の未確定意見及び担当作業に不要な秘密情報は原則として渡さない方法が考えられる。
第3 コンテキストを三層に分ける
1 全作業に共通する規律
第1層は,案件を問わず変えない共通規律である。
例えば,①確認済みの事実,資料の記載,推論及び不明点を区別すること,②法令はe-Gov法令検索,裁判例は裁判所ウェブサイト又は利用可能な判例データベースの原文で確認すること,③依頼者情報及び秘密情報の入力範囲を守ること,④保存,送信,提出,公開又は削除を勝手に行わないこと,⑤根拠を確認できない事項を推測で埋めないことが含まれる。
この層は,個別の担当者にも原則として共通させる必要がある。
もっとも,共通規律を長大にしすぎると,具体的な作業指示が埋もれるため,常に守る固定条件に限って置くことが望ましい。
2 案件又は記事に固有の文脈
第2層は,当該案件又は記事に固有の文脈である。
①達成しようとする目的,②基準時,③使用してよい資料,④主要な争点又は検索意図,⑤対象外,⑥誰のための成果物か,⑦結論が変わる条件を記載する。
この層は,担当作業が全体目的から外れないために必要である。
ただし,担当者が扱わない個人情報,起案者の暫定評価又は他の担当者の未確定な結論まで一律に含める必要はない。
3 担当者ごとの個別作業指示
第3層は,担当者ごとの個別作業指示である。
①一つの明確な問い,②利用可能な資料,③許可する操作,④成果物の形式,⑤完了条件,⑥統括役へ戻す条件,⑦他の工程との依存関係を示す。
例えば,裁判例確認の担当には,事件番号又は引用命題,確認先,確認結果の区分及び不一致時の報告方法を渡せば足りることが多い。
記事の査読担当には,記事の検索意図,確認対象の一次資料,修正権限の有無,未確認事項の表示方法及び査読終了の条件を渡す。
第4 統括役と担当者の役割を分ける
1 統括役が保持する判断
統括役又は弁護士は,①依頼者又は読者が得るべき最終成果,②争点及び優先順位,③どの証拠水準で足りるか,④担当間の矛盾の解消,⑤戦略の変更,⑥最終的な採否,⑦対外的な説明及び責任を保持する。
担当者から前提の誤り,重大な反対材料,資料間の不一致又は権限外の必要操作が報告された場合は,統括役が作業を組み替える。
担当者自身が全体方針を書き換える設計にすると,変更理由及び影響範囲を追跡しにくくなる。
2 担当者へ渡すべき目的
担当者には,少なくとも,その作業が全体の何を支えるのか,何が判明すれば結論又は次の工程が変わるのかを渡す必要がある。
これは会社又は事件の全情報を共有することとは異なる。
例えば,「判例を3件探す」ではなく,「相手方の引用命題を支持する裁判例が実在するかを確認し,存在,射程又は書誌に疑義があれば起案担当へ戻す」と指示する。
この程度の目的があれば,担当者は件数を満たしただけで終わらず,問い自体の誤りを報告できる。
3 独立査読に渡さない情報
独立査読では,共通の証拠規律及び案件の目的は維持しつつ,起案の会話履歴,修正の経緯及び暫定評価を通常は渡さない方法が考えられる。
対象資料を改めて読み,指示文と現物が食い違えば現物を優先して報告させる。
もっとも,別のコンテキストを使っても,同じモデルに共通する知識の欠落又は誤りやすい傾向は残る。
独立したコンテキストは自己査読の甘さを減らす補助手段であり,一次資料による照合の代わりにはならない。
第5 権限と人の承認を作業ごとに置く
1 読む権限と外部へ作用する権限を分ける
検索,閲覧,抽出及び下書き作成の権限と,保存,上書き,送信,提出,公開及び削除の権限は分けて考える必要がある。
読み取りだけの担当者へ広い変更権限を与えないことで,誤った判断が直ちに外部の結果へ変わることを防ぎやすくなる。
権限は担当者の肩書ではなく,個々の操作に付ける方が明確である。
同じ担当者でも,公開資料の検索は自律的に進め,依頼者情報の外部入力,裁判所への提出,記事の公開又は既存ファイルの削除では人の判断へ戻すという分け方ができる。
2 承認は実行の直前に置く
OpenAI Agents SDKのHuman-in-the-loop公式資料は,承認を要するツール呼出しが生じた時点で実行を中断し,人が承認又は拒否した後に同じ実行状態から再開する仕組みを説明している。
これは製品機能の説明であり,どの法律業務に人の承認が必要かを定める法的基準ではない。
法律事務所の運用としては,承認を作業開始時の包括的な了解だけにせず,送信先,保存先,提出物又は公開内容が確定した実行直前に置く方法が考えられる。
承認者が確認できるように,対象,操作,影響及び取消しの可否を短く表示する必要がある。
第6 完了条件を成果物だけで終わらせない
1 完了条件に根拠と未確認事項を含める
「回答を作成した」「記事を書いた」「ファイルを保存した」だけでは,法律業務の完了条件として不足することがある。
成果物に加えて,①確認した一次資料,②確認できなかった事項,③重要な反対材料,④採用しなかった見解と理由,⑤権限外として実行しなかった操作,⑥次の担当者が最初に確認する事項を残すことが考えられる。
裁判例を扱う場合は,少なくとも,裁判所名,裁判年月日,事件番号,確認した原文の所在及び引用命題との対応を記録する。
裁判所ウェブサイトに掲載がないことだけから裁判例が存在しないと結論せず,必要性に応じて判例秘書その他の利用可能な判例データベースで確認する。
2 外部作用を伴う作業は読戻しまで含める
保存,送信,提出又は公開を伴う場合は,操作が成功したという表示だけで完了としない。
保存先又は公開先を新たに開き,予定した内容,宛先,版及び件数が一致するかを読戻して確認する。
ウェブ記事であれば,編集画面の保存本文と,キャッシュを避けて取得した公開面の本文,タイトル及びリンクを照合する。
裁判所提出書面であれば,提出用PDFの頁,版,添付資料及び送信結果を別々に確認する必要がある。
第7 失敗の徴候を記録して設計を直す
コンテキストが少なすぎる徴候として,局所的には正しいが全体目的から外れた回答,同じ資料の重複調査,既に解決した問いの再開及び担当間で相反する結論が挙げられる。
反対に,コンテキストが多すぎる徴候として,起案者の結論をそのまま反復する査読,担当外の論点への逸脱,固定規律と個別事情の混同及び長い指示の一部を落とすことが挙げられる。
これらの失敗を個々の担当者の注意不足だけで処理せず,どの層の情報が不足又は過剰だったかを記録する。
同じ型の失敗が繰り返される場合は,個別指示を増やし続けるのではなく,共通規律,案件文脈又は完了条件のどこへ移すべきかを見直す。
第8 法律事務所で使う指示のひな形
個別作業を依頼する際は,次の項目を短く示すことが考えられる。
①作業目的 この作業が全体の何を支え,何が判明すれば次の判断が変わるか
②対象 事件,記事,文書又は資料の範囲と基準時
③入力資料 使用してよい資料と,使用してはならない情報
④根拠のルール 一次資料の優先順位,確認手段及び引用方法
⑤許可する操作 検索,閲覧,抽出,下書き,保存等のうち実行してよいもの
⑥禁止する操作 送信,提出,公開,削除その他,担当者が行ってはならないもの
⑦成果物 必要な形式,長さ,項目及び保存先
⑧完了条件 根拠,未確認事項,反対材料,読戻し及び件数の確認
⑨統括役へ戻す条件 前提の矛盾,重要な新事実,資料不足,権限外操作又は戦略変更の必要
このひな形を全ての小作業に機械的に貼り付ける必要はない。
短く独立した作業では必要な項目だけを残し,相互に依存する工程又は最終判断は統括役側で扱う。
第9 既存記事との関係
裁判所提出書面の起案と独立査読の分離については,山中弁護士がClaudeコードを使って裁判所提出書面を作成するときに行っているハルシネーション防止方法(AIリライト)で説明している。
事務職員に生成AIを使用させる際の指導監督及び権限分離については,事務職員の生成AI利用と弁護士職務基本規程19条(AI作成)で整理している。
AIが支援できる作業と,人間が保持すべき採否,理由及び責任の関係については,AIに代替される弁護士業務と人が担う役割(AI作成)を参照されたい。
AIエージェントを含む企画が取り上げられた第24回弁護士業務改革シンポジウムの構成は,第24回弁護士業務改革シンポジウムの分科会一覧(AI作成)で確認できる。
第10 出典・参考資料
①鈴木大貴氏のX投稿
②OpenAI「Multi-agent」
③OpenAI「Model guidance」
④OpenAI Agents SDK「Human-in-the-loop」