第1 賃貸人が最初に調べる4項目
外国国家に日本国内の建物を貸し,大使館として使われている場合でも,賃料の支払を求める裁判が常に免除されるわけではない。
ただし,裁判で請求を判断してもらうことと,建物へ立ち入って明渡しを実現することは別に考える必要がある。
公館の不可侵は,建物を誰が所有しているかだけでは決まらない。
– 借主の正式名称と,署名した者の立場・権限。
– 貸室が大使館,外交官個人の住居,領事館等のどれに当たるか。
– 賃料・更新・解除・原状回復・紛争解決についての契約条項。
– 未払賃料の月別明細と,実際の使用・占有状況。
「大使館に貸した」という説明でも,国家が借主の場合と,外交官個人が私的に借りた場合がある。
また,大使館と領事館では条約上の制度が異なるため,施設名と実際の機能を確認する。
第2 日本国内の不動産については11条を検討する
対外国民事裁判権法11条1項は,日本国内の不動産に関する外国等の権利・利益,占有・使用及びこれらから生ずる義務について,裁判権免除の例外を定めている。
したがって,外国国家が借りて使用する国内不動産の未払賃料を請求するときは,まずこの規定を検討する。
飛澤知行編著『逐条解説 対外国民事裁判権法―わが国の主権免除法制について』56~57頁も,在本邦公館として用いる不動産の賃料が支払われない場合を挙げ,11条1項の適用を説明している。
同書は,不動産を占有する外国等に明渡しを求める裁判も,1号の具体例に挙げている。
これは,賃貸人の主張する賃料額や解除の有効性が,免除の例外に該当するだけで認められるという意味ではない。
契約の成立,弁済の有無,解除の要件等は,本案の問題として別に判断される。
また,同法3条は,条約又は確立した国際法規に基づく特権・免除を害さないとしている。
11条の適用と,次の公館の不可侵を一緒に確認することが必要である。
第3 公館の不可侵は所有者が賃貸人でも問題になる
外交関係に関するウィーン条約1条(i)は,所有者のいかんを問わず,使節団の目的のために使用される建物等を公館として定義している。
そのため,日本人の賃貸人が建物を所有しているという理由だけで,公館の不可侵がなくなるわけではない。
同条約22条1項は,公館を不可侵とし,接受国の官吏は使節団の長の同意がなければ立ち入ることができないと定めている。
同条2項は接受国の保護義務を,3項は公館,備品等及び輸送手段に関する捜索・徴発・差押え・強制執行からの免除を定めている。
賃料請求や明渡請求を裁判所に判断してもらえるかという問題から,執行官が公館へ立ち入り,直ちに明渡しを実現できるという結論を出すことはできない。
公館としての使用状況,条約及び個別の同意の有無・対象を踏まえた検討が必要である。
第4 鍵の交換や荷物の搬出を先に進めない
未払が続いても,貸主側だけの判断で鍵を交換したり,室内の物を搬出したりして明渡しを実現する方針は避け,弁護士に相談することが適切である。
公館の不可侵,館内の文書・財産の保護及び通常の賃貸借関係の問題が重なるからである。
同条約24条は,使節団の公文書・書類についても不可侵を定めている。
残置物がある場合は,一般の放置物と同じ扱いを前提にせず,相手方の権限ある窓口を通じた任意の返還・引渡しの方法を検討する。
設備点検や修繕のための入館についても,実際の使用と同意の範囲を確認する。
契約書に立入り条項があるというだけで,あらゆる立入りや明渡しの同意まで得られていると決めないことが必要である。
第5 賃料の支払と建物の返還を分けて交渉する
賃料額の確定,支払日,今後の使用継続,退去日及び原状回復の範囲を,項目ごとに協議する方法が考えられる。
これは法律上当然に合意が成立するという説明ではなく,紛争解決のための実務上の進め方である。
賃貸人側では,月別の未払一覧と相手方の認否を照合し,物件の返還が実現するまでの賃料等の取扱いを協議する。
分割払いや支払猶予を検討するときは,履行期限,対象債務,担保・保証の有無及び不履行時の処理を明確にする。
合意書の署名者については,外国国家を拘束する権限があるかを確認する。
裁判や保全・執行への同意を求める場合も,各同意の対象と方式を分けて検討する。
第6 送達と金銭執行にも特則がある
外国国家に対する訴状等の送達には,対外国民事裁判権法20条の特則がある。
大使館の受付への交付を,当然に適法な送達と扱うことはできない。
同法17条は保全・執行に対する明示の同意や特定財産の指定等について定め,18条1項は一定の用途の財産に対する民事執行の例外を定めている。
18条1項の例外は仮差押え等の保全処分には直接適用されず,裁判権への同意だけでは保全・執行への同意とならないことも17条4項に明記されている。
賃料請求で勝訴しても,公館の建物,備品や口座に当然に執行できるわけではない。
物件の返還と金銭の回収を区別し,執行対象の用途・帰属と条約上の保護を確認する必要がある。
第7 弁護士への相談時に用意する資料
– 契約書,更新合意,保証・敷金関係書類及び署名者の権限資料。
– 登記事項証明書,図面,貸付範囲及び実際の使用目的が分かる資料。
– 賃料・共益費等の月別請求表,一部入金と充当の記録。
– 支払の約束,猶予の要請,解除通知及び到達に関する資料。
– 修繕・立入り・退去・原状回復についての連絡記録。
時効や解除に関する期限が迫っている場合は,外国国家との交渉が続いているという理由だけで対応を先送りしないことが必要である。
訴訟手続の特則を踏まえて,いつまでにどの手段を取るかを弁護士と確認する。
第8 よくある質問
1 大使館は外国の領土なのか
日本国内にある公館についての不可侵と,領土の帰属は別の問題である。
日本の裁判権の問題を整理するときも,公館の所在地と,条約に基づく立入り・執行の制限を区別する。
2 外交官個人が借主の場合も11条だけで判断するか
外交官個人の免除は,国家の免除とは分けて検討する。
同条約31条1項(a)には私有不動産に関する物権訴訟の例外があるが,すべての賃料・明渡紛争が当然にその例外に当たるとは扱えない。
3 すでに退去した建物なら,自由に処理できるか
退去の事実だけから,公文書・残置財産等の保護も一律になくなったと判断することはできない。
同条約45条は外交関係の断絶や使節団の引揚げ等に際する公館・財産・公文書の保護も定めており,状況ごとに確認する必要がある。
第9 関連資料
– 外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律(e-Gov):https://laws.e-gov.go.jp/law/421AC0000000024/:3・11・17・18・20・21条。
– 外交関係に関するウィーン条約(国連公表原文):https://legal.un.org/ilc/texts/instruments/english/conventions/9_1_1961.pdf:1・22・24・31・45条。
– 飛澤知行編著『逐条解説 対外国民事裁判権法―わが国の主権免除法制について』(商事法務,2009年)56~57頁。
– 主権免除の原則・例外と外国国家への民事訴訟:https://yamanaka-bengoshi.jp/2026/09/30/gaikoku-kokka-minji-saibanken-menjo/。
– 外交関係に関するウィーン条約:https://yamanaka-bengoshi.jp/2026/10/15/diplomatic-relations-vienna-convention/。