会社が役員へ貸していたお金を,その役員の死亡後に支給する退職金から差し引きたい場合がある。
しかし,死亡退職金を受け取る人と,会社への借金を承継する人が同じとは限らない。
まず貸付債権の債務者と退職金の受給権者を特定し,次に相殺の要件,会社の支給手続及び税務を確認する。
遺族が精算書に署名することによって,元々負っていなかった債務まで引き受ける内容になっていないかも重要である。
第1 会社に返すお金と会社から受け取るお金を分ける
1 役員貸付金は会社側の債権である
会社が役員へ貸したお金は,会社側から見ると役員貸付金である。
役員が死亡した場合には,貸付けの存在,残高,返済期日,担保及び相続による債務の承継を確認する。
会社が社長から借りていた役員借入金とは逆である。
決算書の科目だけでなく,契約と実際の資金移動を確認する。
2 死亡退職金の受給権者を先に特定する
死亡退職金が相続財産に属するのか,規程等に基づく遺族固有の権利なのかを確認する。
名称が「退職金」であることだけで,一律に遺産となるわけでも,必ず遺族固有の権利となるわけでもない。
定款,役員退職慰労金規程,支給規程,株主総会等の決議,受給者の指定及び支給目的を確認する。
規程に受給者の記載が見当たらないという一事だけで,相続財産への帰属を決め付けない。
第2 遺族固有の受給権を認めた最高裁判例
1 最高裁昭和55年11月27日判決
最高裁昭和55年11月27日判決(昭和54年(オ)第1298号,民集34巻6号815頁)は,職員の死亡退職金に関する規程を扱った事例である。
その規程は,内縁の配偶者を含む配偶者を第一順位とするなど,民法の相続人の範囲・順位とは異なる受給者を定めていた。
最高裁は,遺族の生活保障を目的として民法とは別の立場から受給権者を定めたものと解し,遺族が直接,自己固有の権利として取得するとした。
原文:
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-53352.pdf
2 役員への支給も規程と決議を個別に読む
この判決は,全ての役員死亡退職金を一律に遺族固有の財産としたものではない。
また,会社の貸付金との相殺を直接判断した判決でもない。
役員について検討するときは,実際の規程や決議から誰にどのような請求権が生じるかを確かめる。
民法上の帰属と,相続税法がみなし相続財産として扱うかという問題も分ける必要がある。
第3 法定相殺には債権債務の対応が必要である
1 同じ当事者間で向かい合う債務か
民法505条は,二人が互いに同種の目的を有する債務を負い,双方の債務が弁済期にある場合の相殺を定める。
ただし,債務の性質が許さない場合等は別であり,相殺制限の有無も確認する。
会社が死亡した役員に対する貸付債権を持ち,配偶者が固有の死亡退職金請求権を持つ場合,配偶者が役員の債務全部を負うとは限らない。
相続人が複数である場合や,配偶者が相続放棄をしている場合には,誰に対するどの範囲の債権を使えるかが問題となる。
会社が「貸付金1000万円,死亡退職金1000万円だから差引きゼロ」と計算しただけでは,法的な相殺の要件を満たしたことにならない。
2 相続債務と固有の退職金を図式化する
| 確認対象 | 最初に確認する人・資料 |
|---|---|
| 会社の貸付債権 | 元の債務者,貸付契約,残高,弁済期,実際の返済記録 |
| 死亡後の債務負担 | 相続人,承継する範囲,相続放棄,別途の債務引受け等 |
| 死亡退職金請求権 | 規程等に定める受給権者,支給額,支給決議,支払時期 |
| 相殺する範囲 | 当事者の一致,双方の弁済期,相殺制限,意思表示の内容 |
法定相殺が成立するかと,当事者の合意により精算できるかは別の問題である。
法定相殺には常に相手の同意が必要である,という説明も適切ではない。
民法505条・506条等:
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
第4 相続放棄後の受取りと精算合意書
1 受給権が固有のものなら相続放棄とは分ける
相続放棄をした人は,その相続について初めから相続人でなかったものとされる(民法939条)。
他方,その人が規程等に基づいて自己固有の死亡退職金請求権を取得するなら,相続放棄をしたことだけで当然に受給権を失うとはいえない。
ただし,相続財産そのものの受領・処分が含まれていないかは別途確認する。
「死亡退職金」と表示されているだけで,書類を確認せず受領してよいと決め付けない。
2 署名によって新たな負担を引き受けないか
「退職金の領収書」という表題でも,本文に亡くなった役員の借金全部を承認する条項,債務を引き受ける条項,残額を分割返済する条項又は他の請求権を放棄する条項が入っていることがある。
誰の資格で署名するのか,支給総額と控除額,精算後に残る債権債務,清算条項の対象及び税務処理を分けて読む。
相続放棄と無関係に新たな契約上の負担が生じる内容であれば,その影響を理解してから判断する。
第5 会社の支給決議と精算を別に記録する
1 支給額と受給者を決める手続
取締役の退職慰労金については,会社法361条の報酬等の規律を踏まえ,定款又は株主総会決議,支給基準及び適法な委任の範囲等を確認する。
取締役会で話し合ったことだけで,必要な株主総会決議に代えられるとは限らない。
退職金を支給する決定,会社の貸付債権の確認及び精算の合意は区別して記録する。
受給者が会社側の意思決定にも関わる場合には,利益相反や決議への関与の問題も別途検討する。
会社法361条等:
https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086
2 従業員兼務の場合は追加確認する
役員という名称があっても,従業員としての地位を兼ねる場合がある。
賃金に当たる給付を含むときは,会社と役員だけの取引として処理せず,労働法上の支払・控除の規律を追加確認する必要がある。
精算書には,役員としての給付,従業員としての給付及び借入金を区分し,どの金額を何の根拠で精算するのかを明示する。
第6 民法上の帰属と税務を分ける
1 固有財産でも相続税の対象となり得る
国税庁「No.4117 相続税の課税対象になる死亡退職金」は,死亡後3年以内に支給が確定した所定の退職手当金等を,相続又は遺贈による取得とみなす取扱いを説明している。
実際に振り込まれた日だけで3年を判定する説明ではない。
相続人が受け取った死亡退職金には,所定の非課税限度額がある。
他方,相続放棄をした受給者自身にはその非課税の適用がなく,限度額計算に用いる法定相続人の数では放棄がなかったものとして数える,という違いがある。
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4117.htm
2 差引額だけを退職金として記録しない
相殺又は合意による精算を行う場合も,支給を決めた退職金総額,会社の債権額,精算額及び現実の支払額を対応させる。
差引きの振込額だけを残すと,受給権と借入金の処理が分からなくなる。
相殺したという理由だけで,退職金に関する税務上の取扱いが当然に失われると決め付けず,取引全体に即して税理士に確認する。
会社側の役員退職金の損金算入時期も,単なる振込日と同一ではない。
国税庁「No.5208 役員の退職金の損金算入時期」:
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/hojin/5208.htm
第7 署名前に確認する資料と関連記事
①定款,役員退職慰労金規程,支給規程及び改定履歴
②株主総会・取締役会の決議,支給額の計算及び受給者の指定資料
③貸付契約書,総勘定元帳,通帳,残高確認及び返済記録
④相続関係,相続放棄の有無及び各人の債務負担を確認する資料
⑤退職金支給通知,精算書,合意書及び会社側の税務処理案
受給権の帰属,借金の負担及び会社の支給手続を整理してから,精算の可否を判断する。
退職金の支給を受けるために,説明を受けていない債務引受けまで一緒に承諾しないことが大切である。
受給権一般は,相続放棄をしても受け取れる権利を参照されたい。
会社が社長から借りていたお金は,社長死亡後の役員借入金は誰に返すのかで説明する。