第1 弁護士とのトラブルで何を解決したいか
1 説明・清算・責任追及を区別する
弁護士に依頼した事件について,報酬の根拠が分からない,預り金が返還されない,事件処理の説明を受けられない,預けた書類の取扱いに納得できないといった問題が生じることがある。まず,説明を求めるのか,金銭や書類の返還を求めるのか,損害賠償や懲戒を求めるのかを整理することが重要である。
弁護士職務基本規程26条は,依頼者との信頼関係の保持と紛議の予防に努め,紛議が生じた場合には所属弁護士会の紛議調停による解決に努めることを定める。本記事は,日弁連弁護士倫理委員会編著『解説「弁護士職務基本規程」第4版』89頁~90頁,230頁~231頁及び249頁~250頁をもとに,制度の役割と準備資料を整理する。
2 対象は報酬の問題に限らない
第4版90頁は,報酬や預り金の清算のほか,職務の怠慢,弁護過誤及び預かった書類の取扱いなど,広い範囲の問題を挙げる。ただし,どの申立てを,どの手続で受け付けるかは,利用する弁護士会の現行規則と案内を確認する必要がある。
委任契約や報告の問題は,弁護士の説明義務・報告義務及び弁護士の事件記録の返還・保管・廃棄も参照されたい。
第2 弁護士法41条と職務基本規程26条
1 調停を行う制度と弁護士の行動指針
弁護士法41条は,弁護士の職務又は弁護士法人の業務に関する紛議について,弁護士,弁護士法人又は当事者その他関係人の請求により,弁護士会が調停を行うことができると定める。制度の対象は,弁護士と依頼者との紛争だけに限定されない。
これに対し,職務基本規程26条は,弁護士と依頼者との関係について,信頼関係と紛議の予防・解決への努力を定める。26条は82条2項に列挙され,行動指針・努力目標として解釈・適用される規定である。
2 弁護士側からも申立てがあり得る
第4版90頁は,弁護士が自ら申し立てた場合も,依頼者から申立てを受けた場合も,紛議調停による解決に努めるべきことを説明する。依頼者が弁護士への苦情を申し立てる場面だけの制度として理解するのは正確ではない。
弁護士側が報酬の支払や清算について申立てを行うこともあり得る。請求の根拠や額に争いがあるときは,契約と事件処理の経緯を示して,争点を整理する必要がある。
第3 紛議調停・懲戒・訴訟の役割の違い
1 紛議調停は話合いによる解決の手続である
第4版90頁は,紛議調停を,非公開の手続で和解のあっせんを行うものと説明する。弁護士会が判決や仲裁のように権威的な判断をして,一方の請求を当然に認める手続ではない。合意に至らなければ,不成立となることがある。
| 手続 | 主な目的 | 留意点 |
|---|---|---|
| 紛議調停 | 報酬・預り金・事件処理等について話合いで解決を図る | 合意を目指す手続であり,当然に返還や賠償が命じられるものではない |
| 懲戒 | 弁護士の行為について懲戒事由の有無を審査する | 金銭の返還や損害賠償を命じる制度ではない |
| 民事訴訟 | 報酬,返還,損害賠償等の法律上の請求を裁判で判断する | 請求の根拠,証拠及び各法律要件の検討が必要である |
2 同じ出来事でも確認する事項が異なる
例えば,預り金から報酬を控除したという出来事でも,委任契約上の請求の根拠,清算・説明の経緯及び倫理上の評価は,分けて検討する必要がある。懲戒処分の有無だけから,返還請求や損害賠償の結論が決まるわけではない。
具体的な公表事例は,弁護士報酬の請求と懲戒を参照されたい。個別の処分例を,全ての報酬紛争に共通する料金基準として用いることはできない。
第4 申立てや協議のために準備する資料
1 経緯と求める解決を整理する
相談や申立ての前には,いつ,何を依頼し,どの説明を受け,何を支払い,どの点が未解決なのかを時系列で整理することが有用である。次の表は準備の例であり,特定の弁護士会の必要書類を網羅したものではない。
| 問題 | 準備する資料の例 | 明らかにしたい事項 |
|---|---|---|
| 報酬 | 委任契約書,費用の説明,請求書,領収書 | 報酬の算定根拠,追加費用,支払済額 |
| 預り金 | 送金記録,入出金の説明,清算書 | 預けた額,使用・控除の根拠,未返還額 |
| 事件処理 | 依頼内容,報告,裁判書類,連絡記録 | 実施した業務,未実施事項,期限への影響 |
| 書類・記録 | 預けた資料の一覧,返還依頼,回答 | 所在,返還の範囲,受渡しの方法 |
請求する金額や返還を求める書類は,できる限り特定する。「処分してほしい」という希望と,「未清算の金額を返してほしい」という希望は,利用する制度の選択に関わる。
2 資料を出す範囲と秘密保持
紛争解決のために資料を示す場合も,事件の相手方や第三者の情報を無制限に拡散してよいわけではない。提出先,必要な事項及び不要な情報を区別し,利用する手続での取扱いを確認する。
弁護士側も,自己の主張を説明する必要と,依頼者の秘密保持の関係を検討する必要がある。非公開の紛議調停であることだけを理由として,あらゆる秘密の開示が許されると扱うことはできない。
第5 調停への努力と訴訟前置を区別する
1 26条は一律の訴訟前置を定めたものではない
第4版90頁は,信頼関係が完全に失われ,依頼者が調停に応じそうにない事情がない限り,弁護士が直ちに訴訟を起こすのではなく,まず紛議調停の申立てに努めるべきことを説明する。
この説明を,依頼者又は弁護士が,どの事情でも訴訟の前に必ず紛議調停を終えなければならないという法定の要件と読むことはできない。26条の努力規定としての位置付けと,個々の請求・手続の法律上の要件は分けて確認する必要がある。
2 申立てだけで解決努力が尽くされたとは限らない
申立てをしたという形式だけでなく,紛議の内容を説明し,相手方の主張を検討し,清算の根拠を示すなど,解決に向けた対応が問題となる。依頼者の権利や手続期限に影響する場合には,調停の進行とは別に,必要な権利保全や期限対応を検討する。
調停を申し立てたというだけで,あらゆる時効・出訴期間・手続期限の問題が解消すると扱ってはならない。それぞれの法律上の効果と必要な対応を確認する必要がある。
第6 他の弁護士との紛議と事務所内の問題
1 73条の対象
職務基本規程73条は,他の弁護士等との紛議について,協議又は弁護士会の紛議調停による円満な解決に努めることを定める。第4版230頁~231頁は,他事務所の弁護士との紛議に加え,同じ事務所のパートナー間のトラブルなども対象となる場合があると説明する。
同書は,73条について,裁判等の前に必ず紛議調停を経なければならないものではなく,実情に即した他の選択肢を妨げないと説明する。依頼者との紛議を扱う26条と,他の弁護士等との紛議を扱う73条は,主体と場面を区別する必要がある。
2 退所・分裂時の清算と依頼者への影響
事務所内の対立が生じても,受任事件,預り金,記録及び手続期限の管理は継続する必要がある。内部の清算と,依頼者に対する責任・説明を混同しないことが重要である。
具体的な確認事項は,法律事務所の退所・分裂―事件,職員,利益相反,預り金及び清算のチェックリストを参照されたい。
第7 相談先の確認と出典
1 利用する弁護士会の公式案内を確認する
相手となる弁護士の所属弁護士会を確認し,市民窓口などの公式案内から,苦情相談,紛議調停及び懲戒の窓口を区別して確認する。申立て先,申立書,必要資料,費用及び手続の効果は,各手続の現行案内・規則によって確認する必要がある。
大阪弁護士会の市民窓口の案内は,報酬・預り金等のトラブルの場合の紛議調停手続への案内を掲げている。市民窓口の利用案内と,紛議調停の申立て要件・費用は同一のものとして扱わない。
2 主な出典
日弁連弁護士倫理委員会編著『解説「弁護士職務基本規程」第4版』(日本弁護士連合会,令和8年9月)89頁~90頁,230頁~231頁,249頁~250頁。頁数は書籍の印字頁である。同書の解説は日弁連の公式見解又は個別事件の原議決そのものではない。
日本弁護士連合会「弁護士職務基本規程」26条,73条,82条。弁護士法41条,56条以下。
規程全体の条文と関連解説は,弁護士職務基本規程の条文別索引を参照されたい。