第1 未削除の理由は,改正手続と外交上の事情を分けて考える
国連憲章の敵国条項については,時代遅れとなったとの認識や削除の決意が示された後も,憲章本文に敵国への言及が残っている。
なぜ削除されないのかを考えるには,憲章改正の法的な条件と,各国が改正を進める際の外交上の事情を分ける必要がある。
公開された一次資料からは,日本政府が安保理改革と調整して削除を求めてきたこと,各国の異なる改正課題をまとめる難しさを説明していたことが分かる。
また,令和8年9月には,中国の国連代表が削除・改正への反対を明示した。
ただし,この現在の反対から,平成22年以降の未削除全体を中国による妨害だけで説明することはできない。
本記事は,令和8年10月4日を調査基準日とし,平成22年以降の政府答弁,国連の年次決議及び各国の声明を中心に,確認できる事情と確認できない経過を説明する。
平成7年・平成17年の決議自体の意味は,敵国条項の削除決議は何を決めたか―1995年・2005年の原文,中国の投票及び批准との違いを参照されたい。
第2 日本政府は安保理改革と調整する方針を説明してきた
1 平成26年の答弁が示した具体的な懸念
平成26年2月26日の衆議院予算委員会第一分科会で,新美潤外務省大臣官房審議官は,敵国条項の削除を先に求める現実性と,その結果,安保理改革が取り残されることへの懸念を述べた。
さらに,各国にはそれぞれ憲章改正に関する課題があり,合意できる改正の組合せに削除を入れるための調整が必要だと説明した。同日の発言372,発言374。
この説明は,削除に賛成するかという問題に加え,憲章を改正する機会に各国が何を求めるかという問題があることを示している。
もっとも,どの国が,どの交渉で,何を条件として削除を拒んだかまで明らかにした答弁ではない。
2 令和2年以降も他の改正課題との調整を重視している
令和2年3月6日,赤堀毅政府参考人は,安保理改革との関係に留意し,憲章改正の機が熟した時に敵国条項の削除も併せて求める方針を説明した。衆議院外務委員会・発言283。
令和7年6月24日の政府答弁書も,安保理改革を含む国連改革の動向など,憲章改正を必要とし得る他の事情を勘案し,適当な機会を捉えて削除を求めるとしている。
令和8年9月29日の茂木外務大臣会見でも,安保理改革と併せて削除を実現する方針が示された。内閣衆質217第262号「二について」,茂木外務大臣会見「旧敵国条項」。
これらの資料から,日本政府が,削除だけを切り離して進めるよりも,他の改正課題との調整を重視してきたと整理できる。
3 安保理改革の実現は削除の法的な前提ではない
この方針は外交上の判断であり,敵国への言及を削除するために,先に安保理改革を実現しなければならないという法的な条件ではない。
憲章108条は,両者を必ず一緒に改正するとは定めていない。憲章108条。
平成26年2月26日の質疑でも,前田一男議員は,削除を先行させることで安保理改革が遠のくという説明に異論を示した。
政府が採用してきた方針と,それ以外の進め方を求める意見を区別して読む必要がある。同日の発言373。
第3 国連の年次決議では,平成17年の決意への言及が続いていた
1 平成22年から令和7年までの決議
平成22年の総会決議65/31から令和7年の総会決議80/166まで,憲章特別委員会の報告に関する16本の年次決議は,2005年世界サミット成果文書の177項を前文で想起している。
この177項は,憲章53条,77条及び107条の敵国への言及を削除する決意を示した箇所である。国連の年次決議索引,決議65/31・前文,決議80/166・前文。
65/31及び80/166の主文3項(d)は,平成17年の会合の憲章・改正に関する決定を実施するため,総会から付託される提案を適宜検討するよう特別委員会に求めている。
したがって,平成22年以降,国連で削除の決意への言及が一切なくなったわけではない。
2 後続の言及と,具体的な改正の採択は異なる
これらの年次決議は,敵国への言及を削除する具体的な変更条文を採択した文書ではない。
過去の決意を想起すること,検討の枠組みを維持すること,実際に憲章の改正文を採択することは別の段階である。
令和7年11月21日の第六委員会では,エジプト代表が委員会幹部を代表して提出した決議案A/C.6/80/L.17が無投票で採択された。
総会は同年12月15日に決議80/166を採択したが,この案・決議も年次報告に関するものである。第六委員会報告A/80/453・8~10項,総会決議80/166。
第4 令和8年の中国声明は,削除への反対を明示した
1 日本の削除要求に対する中国の立場
中国国連代表部が令和8年9月29日に掲載した孫磊大使の答弁権行使声明は,日本が同月22日の演説で求めた敵国条項の削除への反対を明記している。
2回目の応答でも,削除も改正もすべきでないとの立場を述べている。中国代表部声明・Ⅰ及びSecond Intervention。
同声明は,戦後秩序の維持や軍国主義の再発防止を理由に挙げ,日本の近年の軍事政策を批判する。
これは中国政府による理由の説明であり,日本についての中国側の評価を,そのまま客観的な事実認定として扱うものではない。
日本代表部の梅津大使の応答は同月28日付で,直前の中国の発言に応答することを明記し,平成7年の決議と平成17年の合意への中国の参加を指摘している。
答弁権行使の日付と,中国サイトへの掲載日を区別する必要がある。日本代表部・9月28日声明。
2 現在の反対から,過去の未削除全体を説明することはできない
中国の現在の反対は,削除に向けた政治的な対立があることを示す資料である。
しかし,この声明自体は,具体的な改正条文案への採択投票や,採択済みの改正を批准しないという行為ではない。
また,平成7年の賛成票と平成17年の合意は,それぞれ当時の事実である。
現在の声明を根拠に,平成22年以降,中国が一貫して削除を阻止してきたと遡って断定することはできない。
3 ロシアの条項への言及とも区別する
令和8年5月26日のネベンジャ国連大使声明は,憲章107条を戦後責任の文脈で取り上げ,日本も同条の対象とする立場を述べている。
ただし,同声明に,敵国への言及を削除する改正への明示的な投票反対や批准拒否が記載されているわけではない。ロシア代表部・5月26日声明。
条項を政治的・法的な主張に使うことと,具体的な削除改正に反対することは,同じ事柄ではない。
中国とロシアを一括して,過去の未削除の原因と断定することも避ける必要がある。
第5 削除には改正の採択と批准が必要である
1 常任理事国の批准が必要なことの意味
憲章108条による改正は,総会構成国の3分の2による採択に加え,安保理のすべての常任理事国を含む国連加盟国の3分の2が,各国の憲法上の手続に従って批准した時に効力を生ずる。
常任理事国の一国でも批准しなければ,この発効条件を満たさない。憲章108条。
したがって,中国の現在の立場が維持され,削除改正を批准しなければ,改正は発効しない。
しかし,これは条文上の条件に基づく説明であり,既に削除改正が採択され,中国の批准だけを待っているという意味ではない。
総会の採択に,安保理の表決と同じ拒否権があるという説明も正確ではない。
2 批准待ちと断定できる資料は確認できなかった
今回調査した資料では,平成22年以降に敵国への言及を削除する具体的な改正文が総会で採択されたことや,その改正の批准書が各国から寄託されたことを示す個別文書は特定できなかった。
国連条約集の第Ⅰ章に掲載される憲章改正の項目にも,敵国への言及削除の改正は確認できない。国連条約集・第Ⅰ章。
この確認範囲で,削除改正は採択済みで批准だけが未了である,と説明することはできない。
一方,資料を特定できなかったことから,非公式な案や非公開の交渉が一切なかったとまで断定することもできない。
第6 公開資料では分からない外交経過もある
1 政府は外交努力の具体的内容を回答していない
令和7年6月24日の答弁書は,他国との連携可能性,各国の考え方,外交努力の具体的内容について,今後の対応や相手国との関係を理由に回答を差し控えている。内閣衆質217第262号「三から五までについて」。
このため,どの国との調整が,いつ,どの段階で進まなかったかについては,公開資料だけでは確認できない部分が残る。
非回答を,日本政府が働きかけをしていない証拠として扱うことはできない。
2 未削除の原因を説明する際の限界
確認できるのは,日本政府による他の改正課題との調整方針,後続の年次決議による言及,そして令和8年の中国の明示的な反対である。
これらは未削除を考えるための具体的な材料となるが,長期間の外交経過を全て説明する資料ではない。
なお,平成22年の憲章特別委員会年報A/65/33及び令和7年の第六委員会の会議要約A/C.6/80/SR.19・20は,今回本文を取得できていない。
他の年報の語検索で敵国条項への言及が見つからなかった場合も,関連する議論の不存在を証明するものとは扱っていない。
第7 関連記事・主要資料
1 関連記事
国連憲章の敵国条項は今も使えるのか―死文化・未削除の意味と日中の公式見解は,53条,77条及び107条の機能と,現在の武力行使に関する読み方を扱う。
敵国条項の削除決議は何を決めたか―1995年・2005年の原文,中国の投票及び批准との違いは,2つの決議の原文と,賛成・合意・批准の違いを扱う。
2 主要資料の確認箇所
①平成26年2月26日・衆議院予算委員会第一分科会会議録:発言372~374。政府の懸念と前田議員の異論を併せて確認した。
②令和2年3月6日・赤堀毅政府参考人答弁:憲章改正の機が熟した時に削除も併せ求める方針。
③令和7年6月24日・内閣衆質217第262号:二及び三~五。
④総会決議65/31及び総会決議80/166:前文及び主文3項(d)。
⑤第六委員会報告A/80/453:8~10項。
⑥中国代表部の孫磊大使声明:Ⅰ及びSecond Intervention。中国側の日本に関する評価と,削除への反対表明を区別した。
⑦憲章108条の英語正文掲載:採択,批准及び発効の要件。
⑧国連条約集・第Ⅰ章:憲章改正の掲載項目。