後部座席のシートベルト又はチャイルドシートを使用していなかったとしても,その事実だけで損害額が機械的に減額されるわけではない。争点は,非装着と事故そのものではなく,非装着と傷害の発生又は拡大との因果関係である。
第1 後部座席でも着用義務がある
道路交通法71条の3は,自動車の運転者に対し,座席ベルトを装着しない者を乗車させて運転しないことを求めている。後部座席については平成20年6月1日から義務化され,6歳未満の幼児については原則として幼児用補助装置(チャイルドシート)を使用させなければならない。
条文上の義務の名宛人は運転者である。ただし,このことから,成人の同乗者が自らの安全のためにシートベルトを使用すべき注意を一切負わないという結論にはならない。行政上の取締りと,民法722条2項に基づく損害の公平な分担は別の問題である。
疾病その他の理由により装着又は使用が療養上適当でない場合など,法令上の例外もある。妊娠,体格又は傷病を理由に例外を主張する場合は,単なる自己申告ではなく,事故当時の診療録,医師の指示,装置の適合性等を確認する必要がある。
第2 非装着だけで直ちに過失相殺されるわけではない
過失相殺には,少なくとも,①装着できる状況であったこと,②装着しなかったことについて被害者側に評価可能な不注意があること,③装着していれば当該傷害の発生を避け,又は程度を軽減できたことが必要である。
したがって,「非装着だから一律10%」という処理は相当でない。車外放出,前席・側壁・天井への衝突,身体の移動方向,着座位置,車両の変形,傷害部位,装着者との傷害差などから,損害拡大との結び付きを検討する。
警察庁は,令和7年の後部座席着用率を一般道路45.8%,高速道路等79.9%と公表し,非着用時の致死率は着用時に比べ一般道路で約2.8倍,高速道路で約13.9倍としている。これは非着用一般の危険性を示す公的統計であるが,個別事件の傷害がベルトで回避できたことを直接証明するものではない。
第3 後部座席シートベルト非装着の裁判例
『赤い本講演録編2016』は,当時公刊されていた後部座席の裁判例23件を整理し,過失相殺の肯定例11件,否定例12件とした。ただし,平成20年6月1日の義務化後に発生した事故に限ると,同講演録が抽出した6件はいずれも過失相殺を認めている。
同講演録の整理では,典型的な事案の減額は5%又は10%に収まるものが多い。20%又は30%の例には,横臥していた,シート自体を取り外して床面にいた,下肢麻痺のため身体を支えにくいのに固定しなかった,運転者である配偶者の過失も被害者側の過失として評価された,といった特殊事情がある。
| 代表例(講演録の整理) | 判断の要点 |
|---|---|
| 東京地裁平成25年2月26日判決 | 非装着者が車内で顔面を強打した一方,助手席で装着していた妹は受傷しなかったことなどから10%を認めた。 |
| 釧路地裁平成26年3月17日判決 | 義務化後のタクシー後席事故で,乗客であること等を考慮して5%を認めた。 |
| 名古屋地裁平成26年5月28日判決 | 損害拡大への影響を認めつつ,運転者が装着を促した証拠がないことも考慮して10%とした。 |
| 大阪地裁平成26年7月25日判決 | タクシーの表示による装着促進,乗客の認識及び傷害軽減可能性を考慮して10%とした。 |
さらに,警察庁の現行案内は,横浜地裁平成29年5月18日判決(後席から車外へ投げ出され頭部外傷を負った事案)及び大阪地裁平成22年11月1日判決(運転者の指示でベルトを外したものの,非着用が損害の発生又は拡大に寄与した事案)について,いずれも10%の過失相殺例として紹介している。
以上は2016年時点の講演資料に収録された裁判例の整理であり,現在の全裁判例を網羅するものでも,裁判所を拘束する定率でもない。個別事件では事故態様と傷害機序を優先して検討する。
第4 チャイルドシート非使用の考え方
幼児本人には通常,装着を選択する能力がない。このため,チャイルドシート非使用は,運転者である父母の注意義務違反,又は同乗していた親の監督上の不注意として「被害者側の過失」が問題となる。
『赤い本講演録編2016』が抽出した義務化後の公刊裁判例3件では,いずれも過失相殺が認められ,割合は5%又は10%であった。大阪地裁平成20年3月13日判決は,幼児が車外に放出され,頭部の傷害が致命傷となった事案で10%を認め,名古屋地裁平成21年2月25日判決は5%を認めている。
もっとも,チャイルドシートを使用していれば当該傷害を防げたかは,幼児の年齢・体格,装置の種類と適合性,取付方法,座席位置,衝突方向及び車体変形を踏まえて判断する。装置を車内に置いていただけで,適正使用していなければ安全効果は同じではない。
第5 損害拡大との因果関係を立証する資料
| 資料 | 確認する事項 |
|---|---|
| 実況見分調書,物件事故報告書,車両写真 | 衝突方向,速度,回転・横転,侵入量,ドア開放,車外放出経路 |
| 座席・ベルト・チャイルドシートの写真 | 装置の有無,損傷,使用痕,適合性,取付位置,バックルの状態 |
| 診療録,救急搬送記録,画像 | 打撃部位,受傷機序,シートベルト痕,頭部・顔面・胸腹部等の傷害 |
| 同乗者ごとの着座・装着・受傷一覧 | 装着者と非装着者の傷害差。ただし座席位置等の違いも併記する。 |
| EDR,ドライブレコーダー,鑑定 | 速度変化,衝突角度,身体の移動,装着時の傷害軽減可能性 |
| 医療資料 | 装着免除を基礎付ける疾病,妊娠,医師の指示の有無 |
保険会社が減額を主張する側であれば,非装着の事実だけでなく,当該傷害が装着によりどのように回避又は軽減されたかを具体化すべきである。被害者側は,事故の衝撃が極めて大きく装着しても同程度の傷害が避けられなかったこと,傷害部位がベルトの防護範囲と対応しないこと,運転者が装着を促さなかったこと等を資料に即して反論する。
第6 主張・反論を組み立てる際の注意点
第一に,事故発生についての過失と,非装着による損害拡大の過失を区別する。シートベルト非装着は通常,衝突事故を起こした原因ではなく,傷害を重くした事情として問題となる。
第二に,同じ事情を二重に評価しない。例えば,親が運転者として事故を起こした過失と,チャイルドシートを使用させなかった過失は性質が異なるが,最終的な割合で重複評価されていないかを確認する。
第三に,加害者の赤信号無視,著しい速度超過又は無謀運転があっても,非装着による損害拡大が当然に消えるわけではない。他方,運転者自身が装着を促す立場であること,加害行為の重大性,旅客運送で指示方法に限界があったかなどは,公平な割合を定める事情となる。
第四に,示談書には,何について何%を減額したのかを明記する。事故態様の過失割合とシートベルト等による損害拡大の減額を分けないと,後で二重控除の有無を検証できない。
第7 出典と確認範囲
①道路交通法71条の3,②警察庁「全ての座席でシートベルトを着用しましょう」,③公益財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部編『民事交通事故訴訟・損害賠償額算定基準2016年版(下巻)講演録編』「後部座席シートベルト,チャイルドシート不装着の場合における過失相殺」。
道路交通法と警察庁統計は2026年9月27日に現行公的資料を確認した。個別裁判例の件数・割合・判旨は提供された2016年講演録の記載に基づくため,2026年現在の全件調査ではない。個別事件で引用する際は,判例秘書その他の判例データベースで判決全文と後続裁判例を改めて確認する必要がある。