第1 この記事の対象と結論
本稿は,平成30年司法試験の刑事系科目第1問(刑法)について,35の評価項目と5段階の重み,模範解答を示す。
評価項目と重みは法務省の公式配点ではなく,公表資料から独自に整理したものである。
| 設問 | 中心となる判断 | 模範解答の立場 |
|---|---|---|
| 1 | 特定少数への摘示と伝播,名誉の侵害 | 伝播可能性から名誉毀損罪を肯定する。 |
| 2 | 不作為の殺人未遂と遺棄等の区別 | 両立場を比較し,客観面の限定から遺棄等致傷罪にとどめる。 |
| 3 | 誤信した客体の不能と危険・故意 | 具体的危険説に立ち,認識上の乙を対象とする殺人未遂の構成を示す。 |
設問2は自己の結論まで,設問3は指定された前提から成立を主張する理論構成まで論じる。
別の結論を採ったことだけで評価を下げるものではない。
第2 評価項目の示し方と重み付けの基準
重み5は判断を大きく分ける核心,4は結論を理由付きで支える主要な論証・当てはめ,3は通常押さえる処理・事情評価,2は補強説明・個別事情・誤りの注意,1は補充的な引用・記述範囲の確認である。
重みは項目別配点や得点換算を示さない。
番号は記事全体で連続させた。
各表の出典欄は資料のPDF実頁を示す。
「間接」は関連する一般的記述からの具体化であり,逐語の要求ではない。
「記載なし」は関連する第1問の範囲を読んだ結果を指す。
「注意」は誤りの回避を示す種別であり,別建ての減点ではない。
「許容分岐」はその立場を採るときの評価である。
不採用の別構成を全答案へ累積して要求しない。
第3 本問の概要
1 問題となる事実
設問1では,父乙が,校長と保護者3名の前で,高校教員丙が息子甲を殴ったと発言し,調査を求めた。
直接の相手は特定少数だが,その後の聞き取りで教員25名に広まっている。
乙は真実と信じているが,公益目的はないとの指定がある。
設問2では,甲の声掛けで立ち上がった乙が崖近くまで歩き,再び転倒した。
乙は軽傷だが転落の危険があり,甲は容易かつ確実に安全な場所へ移せたのに立ち去る。
その後の転落で重傷を負った乙は,自ら通報して救命される。
設問3は,【事例2】の6~9の事実を10・11の事実へ置き換える。
甲は重傷の丁を父乙と誤認して救助せず,丁は生存する。
一般人でも誤認可能で,近くには実在の乙もいるが甲は気付かない。
接近すれば乙を容易に発見できるとの事情がある。
2 設問の要求と除外
設問1は乙の罪責であり,業務妨害罪・特別法違反は除外される。
設問2は殺人未遂肯定論と遺棄等にとどめる反論に言及し,自説の罪責を示す。
設問3は親への救助義務を前提とし,丁への義務不存在を理由とする否定論へ反論する構成を求める。
第4 評価項目と重み
1 設問1
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 公然性を,不特定又は多数人が認識し得る状態と定義し,現実の認識を要件としない。 | 4 | 14頁「不特定又は多数人が認識し得る状態」 | 1頁「不特定又は多数人」 |
| 2 | 直接の相手を校長と乙以外の保護者3名の計4名とし,特定少数と評価する。 | 3 | 14頁「校長及び保護者3名」 | 1頁「校長及び保護者3名」 |
| 3 | 伝播を認める立場では,社会的評価が広く害される危険という理由から,特定少数への摘示にも公然性を認める。 | 5 | 14頁「社会的評価を低下させる危険」 | 3頁「肯定する理由付け」 |
| 4 | 役員の代表性・伝達予定,校長への調査要求から,学校関係者への伝播可能性を具体化する。 | 4 | 14頁「協議結果等」 | 1頁(間接)「具体的事実関係」 |
| 5 | 事実の摘示を具体的事実の表示と捉え,調査要求の意見と殴打事実の摘示を分ける。 | 3 | 14頁「事実の摘示」 | 1頁「それぞれの意義を区別」 |
| 6 | 2年生の数学担当が丙だけなので,実名なしでも丙への摘示と特定できると論じる。 | 3 | 14頁「特定の対象者」 | 1頁「特定性」 |
| 7 | 名誉を社会的評価として,教員丙の職業的信頼を保護対象とする。 | 3 | 14頁「法的保護に値する社会的評価」 | 3頁「毀損」 |
| 8 | 毀損を評価低下の危険発生とし,殴打内容の有害性を評価する。現実の拡散結果を毀損の成立要件にしない。 | 4 | 14頁「害するに足りる行為」 | 3頁「具体的な毀損結果」 |
| 9 | 故意として,社会的評価を害する事実と多数人への伝播の認識・認容を指摘し,私怨そのものと区別する。 | 4 | 15頁「認識,認容」 | 3頁「認識・認容の対象」 |
| 10 | 伝播性の理論を否定する場合,行為の公然性という文理又は相手方意思への依存を理由に示す。【許容分岐:伝播性の理論を否定する構成。肯定答案の反論紹介は補強】 | 3 | 14頁「結果の公然性ではなく」 | 1頁「伝播可能性の理論」 |
| 11 | 直接摘示の公然性を否定する場合,校長の調査を利用した乙の間接正犯・共同正犯・教唆の成立可能性を関与事実から検討する。【許容分岐:直接摘示の公然性を否定する構成のみ】 | 2 | 14頁「間接正犯」 | 記載なし |
| 12 | 注意:公益目的不存在の指定を守り,真実性特例や正当行為の議論を中核を圧迫する形で展開しない。 | 2 | 15頁「公益を図る目的」 | 3頁「論じる必要はなかった」 |
2 設問2
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 13 | 不作為の殺人実行行為性を作為との構成要件的同価値性として,作為義務の発生根拠・内容から説明する。 | 5 | 15頁「作為犯と対比して」 | 2頁「作為義務」 |
| 14 | 声掛け後の乙の意識回復・歩行・転倒の見守りを先行行為等の評価へ対応させ,過去の嘘と取り違えない。 | 4 | 15頁「自らが乙に」 | 4頁「甲が乙に嘘を付いたこと」 |
| 15 | 人車の出入りの乏しさ,草木で発見困難なこと,甲の認識・接近を,引受け・排他的支配の根拠又は限界へ評価する。 | 4 | 15頁「草木に覆われており」 | 4頁(間接)「具体的事情」 |
| 16 | 車内への移動で転落を確実・容易に防げる事実から,作為可能性・容易性を論じる。 | 3 | 15頁「作為の可能性・容易性」 | 2頁「作為可能性」 |
| 17 | 不作為の実行着手の判断基準を示し,救助放棄の決意・立去り・転落重傷のいずれかの具体的時点と対応させる。 | 5 | 15頁「実行の着手時期」 | 4頁「具体的な時点」 |
| 18 | 殺意について,覚醒等,転落,頭部強打,即死又は重傷後に救助なく死亡する具体的経過の認識・認容を検討する。 | 5 | 16頁「瀕死の重傷」 | 2頁「その後の危険の現実化」 |
| 19 | 保護責任の意義・成立根拠を示し,殺人の作為義務との異同を説明して甲の責任を認める。 | 4 | 15頁「作為義務との異同」 | 2頁「作為義務との異同」 |
| 20 | 主観面で区別する立場では,保護放棄の故意と具体的死亡危険に向けた殺意の違いを理由付きで示す。 | 4 | 15頁「殺意の有無」 | 2頁「殺意の有無」 |
| 21 | 客観面で区別する立場では,重大な先行行為・危険の程度を使う理由を示し,軽傷と転落前後の差を評価する。 | 4 | 16頁「先行行為自体は死の危険性が乏しい」 | 2頁「重大な先行行為の」 |
| 22 | 両立場の提示で終えず,反対事情への再反論又は自説の補強を経て甲の最終罪責を明示する。 | 5 | 16頁「再反論」 | 3頁「反対の立場に対する反論」 |
| 23 | 遺棄等罪を採る場合,負傷・意識喪失・自救困難を病者又は要保護状態として評価する。 | 3 | 15頁(間接)「保護責任者遺棄等罪」 | 2頁「客体,行為及び」 |
| 24 | 遺棄等罪を採る場合,安全な場所への移動等の必要な保護を示し,遺棄又は不保護に該当させる。 | 3 | 15頁(間接)「保護責任者遺棄等罪」 | 2頁「客体,行為及び」 |
| 25 | 遺棄等罪を採る場合,要保護状態・保護可能性を認識しつつ保護しなかった故意を具体化する。 | 3 | 15頁(間接)「保護責任者遺棄等罪」 | 2頁「故意」 |
| 26 | 致傷を採る場合,確実な転落回避可能性と放置危険の現実化から重傷を帰属させる。 | 3 | 15頁(間接)「保護責任者遺棄等罪」 | 2頁「各構成要件該当性」 |
3 設問3
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 27 | 最初の検討対象を,近くの実在乙でなく,丁の代わりに存在すると誤信された乙と特定する。 | 5 | 16頁「丁の代わりに存在すると誤信されて」 | 2頁「丁の代わりに」 |
| 28 | 認識上の乙がその場所に現実には存在せず殺害できないことを,客体の不能として未遂・不能の区別へ接続する。 | 5 | 16頁「いわゆる客体の不能」 | 2頁「いわゆる客体の不能」 |
| 29 | 危険判断で客観的実行行為性を先に示し,その後に特定した客体への殺意を検討する。 | 4 | 16頁「殺意の存在」 | 4頁「主観面のみを検討」 |
| 30 | 抽象的危険説を採る場合,甲の認識事情を判断基礎として,その基礎から危険を説明する。【許容分岐:抽象的危険説を採用又は比較する場合】 | 3 | 16頁「甲が認識していた事情」 | 4頁「抽象的危険説」 |
| 31 | 具体的危険説を採る場合,一般人にも誤認可能な事情を基礎に,体格・着衣・車・暗さを評価する。【許容分岐:具体的危険説を採用又は比較する場合】 | 4 | 16頁「一般人が認識し得た事情」 | 4頁「具体的危険説」 |
| 32 | 客観的危険説では行為時の全事情を基礎とし,現実の丁には義務がないため危険を否定する帰結を区別する。【許容分岐:客観的危険説を採用又は比較する場合】 | 3 | 16頁「行為時に存在した全ての事情」 | 4頁(間接)「不能犯論」 |
| 33 | 修正された客観的危険説では,救助接近により実在乙を容易に発見できた仮定的経過を危険判断に用いる。実在乙へ直接客体を差し替えない。【許容分岐:修正された客観的危険説を採用又は比較する場合】 | 3 | 16頁「修正された客観的危険説」 | 4頁「近くに倒れていた乙」 |
| 34 | 客体の錯誤と捉える構成では,目の前の丁を具体的客体として認識した事情から丁への故意を肯定し,丁への殺人未遂へ閉じる。【許容分岐:客体の錯誤と捉える構成。番号35とは択一で累積要求しない】 | 4 | 16頁「丁に対する故意が肯定され」 | 2頁「客体の錯誤」 |
| 35 | 客体の錯誤と捉えない構成では,その理由を示し,丁の代わりに仮定された乙への故意と殺人未遂へ閉じる。【許容分岐:客体の錯誤と捉えない構成。番号34とは択一】 | 4 | 17頁「その意味で,乙を対象」 | 2頁「誤認された乙に対する故意」 |
4 重みの分布と読み方
重み1=0件,2=2件,3=13件,4=13件,5=7件であり,合計N=35,重みの総和W=130である。
条件の異なる分岐を含む項目一覧の集計であり,全答案の得点分母は130ではない。
番号3は,直接の相手が特定少数でも公然性を認める根拠を扱う。
名誉毀損罪の成立を左右する解釈上の分岐なので重み5とし,その解釈の下で伝播事情を評価する番号4の重み4と区別した。
適用条件は伝播性の理論を肯定する構成である。
番号13は,不作為を殺人の実行行為として評価できる根拠を扱う。
単なる不救助から殺人へ進む入口を決めるため重み5とした。
個別の先行行為・支配事情を論証する番号14・15は重み4である。
殺人未遂肯定論の提示は全答案で必要となる。
番号17は,義務違反が始まったことと殺人の実行が始まったことを分ける。
どの時点で未遂処罰の段階へ入るかを決めるため重み5とした。
全答案が対象だが,全ての時点で着手を肯定する要求ではない。
番号18は,救助を放棄する意思と死亡の認識・認容を分ける。
軽傷の認識から直ちに殺意を認めることはできず,死亡に至る危険経過を評価しなければ殺人未遂の主観面が閉じないため重み5とした。
全答案が対象となる。
番号22は,二つの説明を並べるだけでなく,反論を踏まえた自説の罪責まで示すという設問への応答を扱う。
個別の区別基準を論証する番号20・21の重み4と異なり,要求された最終判断へ到達するかを左右するため重み5とした。
全答案が対象となる。
番号27は,初めにどの客体について不能・未遂を検討するかを固定する。
ここで実在乙へ直接置き換えると後の危険・故意の議論全体がずれるため重み5とした。
全答案が対象であり,危険認定後に丁又は仮定乙へ故意を対応させる分岐とは区別する。
番号28は,誤信上の乙を現実に殺害できないことから,危険判断によって未遂処罰を基礎付けられるかを扱う。
殺意だけでは解消できない客観面の入口なので重み5とした。
全答案が対象となる。
一般的な指摘として,読みやすい文字,正確な用語,規範と当てはめの区別,重要部分への分量配分も必要である。
これらを上の重み付き項目へ重複加算していない。
番号26の個別の因果関係の説明は,採点実感の構成要件検討の要求と刑法219条を接続する補足であり,公式の逐語表現ではない。
第5 模範解答
1 前提と表記
試験実施日の平成30年5月19日を基準とする。
刑法は当時の条文を用い,後年の拘禁刑への改正を遡及させない。
答案は改行を除き4298字である。
設問2の自説と,設問3で成立を主張するための構成を区別する。
2 答案
第1 設問1
1 乙のPTA役員会での発言について,名誉毀損罪(刑法230条1項)を検討する。
「公然」とは,不特定又は多数人が認識し得る状態をいい,現実に認識したことまでは要しない。
直接の相手方は校長と乙以外の保護者3名という特定少数人である。
もっとも,特定少数への摘示でも,その者らを通じて不特定又は多数人に伝播する可能性があれば,社会的評価が広く害される危険があり,公然性を認めるべきである。
PTA役員会は学校関係者の代表者が協議し,結果を保護者や教員へ伝達する場である。
しかも乙は,調査を指揮できる校長の面前で徹底的な調査を求めている。
調査や役員間の連絡等により多数の学校関係者へ内容が伝わる具体的可能性がある。
実際に教員25名へ広まったことはこの可能性を裏付けるが,その結果自体を成立要件とするものではない。
したがって公然性がある。
伝播を行う相手方の意思によって犯罪成立が左右されることや,文理上は行為の公然性が要求されることを理由に,伝播性の理論を否定する見解もある。
しかし,学校関係者への伝達が当然予定される代表者の会合で調査を求めた本件では,情報の拡散が独立した偶然の行為によるものとはいえず,名誉を保護する趣旨から公然性を肯定する。
2 「事実の摘示」とは,人の評価に関する具体的な事実を示すことをいう。
乙の発言は調査要求という意見にとどまらず,教員が甲の顔を殴ったとの事実を示す。
また,2年生の数学を担当する教員は丙のみであり,氏名を挙げなくても対象者を特定できる。
「人の名誉」は人の社会的評価をいい,「毀損」はその評価を低下させる危険を生じさせることで足りる。
教員が生徒を殴ったとの内容は,教育を担う丙の職業上の信頼を害するに足り,現実の評価低下を別途証明する必要はない。
3 故意には,以上の客観的事実の認識・認容を要する。
乙は,この発言を多くの人へ広めて丙への恨みを晴らそうとしており,丙の社会的評価を害する事実が多数人へ伝わることを認識・認容している。
名誉を害する目的それ自体を故意の内容とするものではない。
摘示事実の虚偽の認識は不要である。
公益目的の不存在が指定されているので230条の2の特例は問題とならず,真実と信じたことだけで故意は否定されない。
よって乙に名誉毀損罪が成立する。
第2 設問2
1 不作為による殺人未遂を肯定する説明
⑴ 不作為が殺人の実行行為となるには,生命を保護すべき作為義務があり,作為が可能かつ容易で,その不履行が作為による殺害と構成要件的に同価値といえる必要がある。
単に救助できたことだけで一般人すべてを殺人犯としないため,義務の根拠と具体的内容を確定しなければならない。
甲は,2人で生活する親子関係に基づく保護義務を負うと解し得る。
甲の声掛けを契機に乙は立ち上がり,崖近くまで歩いて再び転倒した。
甲はこの推移を見届け,近づいて様子を確認している。
声掛けとその後の見守りを,救護の事実上の引受け,又は乙の危険な移動への関与と評価する余地がある。
また,夜間の山道で人車の出入りはほとんどなく,乙は草木に隠れて第三者から発見されにくい。
甲が現に乙の所在と危険を把握して救助できたことから,生命の安全が事実上甲の保護に依存するという排他的支配を認める説明ができる。
親子関係だけでなく,これらの事情を合わせ,乙を車内等の安全な場所へ移す義務を基礎付ける。
甲にはこの移動が容易で,転落を確実に防げたから,作為の可能性・容易性も認められる。
⑵ 殺人未遂には,殺人の故意に加え,生命への具体的危険を生じさせる実行着手が必要である(43条,199条,203条)。
不作為の着手を,作為義務に反する救助の不履行により生命への具体的危険が生じた時点と捉えれば,乙を救助しない決意を具体化して駐車場から走り去った時点に認められる。
乙は意識を失って崖のすぐそばに倒れ,約5メートル下は岩場である。
覚醒して動けば転落し,致命傷を受け,第三者にも発見されず死亡する危険があるからである。
救助しない決意だけを内心の意思にとどまると評価するなら,その決意の外部的実現である立去りに着手を認める。
転落後の重傷時に初めて着手を認める立場では,その時点の作為可能性と危険認識を別に基礎付ける必要がある。
⑶ 殺意には,死亡に至る具体的危険経過の認識・認容を要する。
甲は,乙が覚醒等により崖へ動き,岩場に転落して頭部等を打ち,即死し,又は重傷のまま発見されず死亡するという経過を認識し,それでも救助しないと考えたと認定できれば,未必の殺意を有する。
殴打への憤りはその推認資料となるが,救助放棄の意思だけを殺意と同一視しない。
乙は自ら通報して生存したので,上記の義務,危険,着手及び殺意を肯定する構成では殺人未遂罪となる。
2 保護責任者遺棄等罪にとどめる反論
⑴ 218条の保護責任は,法令上又は具体的な生活関係・引受け等に基づき,要扶助者を保護すべき責任である。
親子2人の生活関係と,現に父の危難を知り容易に救助できる事情から,甲に保護責任がある。
しかし,この責任と殺人罪における作為義務を同一視する必要はない。
殺人の不作為犯を作為の殺害と同視するには,重大な危険の創出や特別に強い支配・引受けを要するとの立場からは,甲の声掛け自体は通常の安否確認で,重大な生命危険を作出したものではないと反論できる。
乙は甲に気付いておらず,救助を委ねて他の手段を断ったわけでもない。
⑵ 両罪を殺意の有無で区別する立場では,遺棄等に必要な保護放棄の認識と,死亡に至る具体的危険経過の認識・認容を区別する。
甲は乙が軽傷であると知っており,転落の可能性を知ったことだけから,覚醒,転落,頭部強打,救助を受けられないままの死亡という経過まで認識したと即断できない。
他方,殺意だけで区別すれば,同じ客観的な保護義務違反が内心によって直ちに作為の殺害へ変わるという問題がある。
そこで,客観的な危険の程度及び先行行為の重大性も区別の基準とする説明が考えられる。
立去り時の乙は軽傷で,その傷による死亡危険はない。
死亡の具体的危険が生じるには,覚醒して崖へ動き,転落して重傷を負うという段階を要する。
甲の声掛けも直ちにその結果へ向かう重大な先行行為とはいえない。
これらを重視し,立去り時は,生命への切迫した具体的危険を放置する殺人の実行段階ではなく,生命身体に対する抽象的危険を生む保護放棄の段階にとどまると反論できる。
⑶ 私は後者の客観面による限定を採る。
崖近くでの意識喪失と第三者による発見困難性は肯定論の強い根拠であるが,軽傷の現状から死亡危険へ至るには上記の介在経過を要し,甲に重大な危険創出も認め難い。
後に転落した事実だけで立去り時の具体的危険を逆算せず,本件の殺人未遂は否定する。
3 保護責任者遺棄等致傷
乙は負傷して意識を失い,自力で危険を避けられない病者である。
甲には上記の保護責任があり,夜間の崖近くから安全な車内等へ移すことは生存に必要な保護に当たる。
甲は乙の要保護状態及び容易な救助可能性を知りながら,保護を一切行わず立ち去ったから,218条の不保護に当たる。
保護責任者が要扶助者を危険な場所に置き去ることも遺棄に含める立場では,遺棄としても評価できる。
救助すれば転落は確実に防げた。
乙の覚醒後の動作と転落は,崖近くの意識不十分な病者を放置した危険が現実化したものであり,因果関係を遮断する異常な行動ではない。
転落による重傷を甲の不救助に帰属させることができ,甲には保護責任者遺棄等致傷罪(218条,219条)が成立する。
第3 設問3
1 検討の順序と対象
親の危難を救助する義務が子にあるとの前提は維持する。
現実の丁に対する義務はないが,甲は丁を父乙と誤認している。
まず検討すべき客体は,丁の近くに現実に倒れている乙ではなく,丁の代わりにそこに存在すると誤信された乙である。
故意犯の検討は認識された事実を前提として行うからである。
この意味の乙は現実にはその場所に存在せず,甲の不救助によって死亡させることはできない。
そこで,客体の不能を理由に処罰されないか,不能犯と未遂犯を分ける危険判断の基準を検討する。
殺意や客体の錯誤だけで客観的な実行行為性を代用してはならない。
2 危険判断からの反論
具体的危険説に立ち,行為当時に一般人が認識し得た事情と行為者が特に認識していた事情を基礎に,結果発生の危険を判断する。
丁の体格・着衣は乙に似ており,現場には乙の車があった。
街灯もない夜間で,一般人でも丁を乙と誤認する可能性が十分ある。
一般人の認識し得る事情を基礎にすれば,父乙が重傷で倒れ,救助しなければ死亡する状態として危険を評価できる。
甲はその状態を認識しながら,可能な救助を一切せず立ち去っているから,義務に反する不救助による死亡の具体的危険があり,殺人の実行行為性を認める反論ができる。
現実の丁への義務が新たに発生するという説明ではない。
なお,行為者が認識した事情を基礎とする抽象的危険説でも,父乙を放置する危険を認め得る。
行為時の全事情を基礎とする客観的危険説では,丁は丁であって義務の対象でないことから,危険を否定することになる。
修正された客観的危険説では,救助のため接近すれば,実際に近くに倒れていた乙を容易に発見できたという仮定的経過を危険判断へ取り込み,肯定する説明が考えられる。
この場合も,実在乙を最初から直接の客体へ差し替えるものではない。
3 殺意と成立する未遂の客体
私は上記の具体的危険説を採り,親子関係を救助義務の基礎とする本問では,甲の不作為の意味は,父乙の生命を保護する特別な義務の放棄にあると捉える。
単に「人」という限度で同一とするより,救助義務を基礎付ける具体的関係を伴う認識に即して故意の対象を定めるべきであり,通常の客体の錯誤として丁に故意を符合させる構成は採らない。
甲は,その場にいると誤信した父乙について,重傷で放置すれば死亡することを認識し,死んでも構わないと考えて救助しなかった。
したがって,認識上そこに存在する乙への殺意があり,その乙を客体とする不作為による殺人未遂罪を認める構成となる。
これに対し,目の前の具体的身体を認識していた点を重視して客体の錯誤と捉えるなら,危険判断により実行行為性を認めた上で丁への故意を肯定し,丁を客体とする殺人未遂と説明することもできる。
両構成は,危険判断の対象と最後に故意を対応させる客体の位置付けを区別して,一貫して論ずる必要がある。
3 評価項目と答案の対応
(1) 番号1の対応
答案の『「公然」とは』以下が対応する。
公然性を,不特定又は多数人が認識し得る状態と定義し,現実の認識を要件としない。
(2) 番号2の対応
答案の「特定少数人である」以下が対応する。
直接の相手を校長と乙以外の保護者3名の計4名とし,特定少数と評価する。
(3) 番号3の対応
答案の「社会的評価が広く害される危険」以下が対応する。
伝播を認める立場では,社会的評価が広く害される危険という理由から,特定少数への摘示にも公然性を認める。
(4) 番号4の対応
答案の「役員間の連絡」以下が対応する。
役員の代表性・伝達予定,校長への調査要求から,学校関係者への伝播可能性を具体化する。
(5) 番号5の対応
答案の「具体的な事実を示す」以下が対応する。
事実の摘示を具体的事実の表示と捉え,調査要求の意見と殴打事実の摘示を分ける。
(6) 番号6の対応
答案の「対象者を特定できる」以下が対応する。
2年生の数学担当が丙だけなので,実名なしでも丙への摘示と特定できると論じる。
(7) 番号7の対応
答案の「職業上の信頼」以下が対応する。
名誉を社会的評価として,教員丙の職業的信頼を保護対象とする。
(8) 番号8の対応
答案の「現実の評価低下」以下が対応する。
毀損を評価低下の危険発生とし,殴打内容の有害性を評価する。
現実の拡散結果を毀損の成立要件にしない。
(9) 番号9の対応
答案の「名誉を害する目的」以下が対応する。
故意として,社会的評価を害する事実と多数人への伝播の認識・認容を指摘し,私怨そのものと区別する。
(10) 番号10の対応
答案の「伝播性の理論を否定」以下が対応する。
伝播性の理論を否定する場合,行為の公然性という文理又は相手方意思への依存を理由に示す。
(11) 番号11の対応
公然性を否定する場合の追加検討である。
本答案は公然性を肯定するため,間接正犯等を展開していない。
校長を介した事実だけで共犯成立を自動肯定する趣旨ではない。
(12) 番号12の対応
答案の「230条の2の特例」以下が対応する。
公益目的不存在の指定を守り,真実性特例や正当行為の議論を中核を圧迫する形で展開しない。
(13) 番号13の対応
答案の「構成要件的に同価値」以下が対応する。
不作為の殺人実行行為性を作為との構成要件的同価値性として,作為義務の発生根拠・内容から説明する。
(14) 番号14の対応
答案の「甲の声掛け」以下が対応する。
声掛け後の乙の意識回復・歩行・転倒の見守りを先行行為等の評価へ対応させ,過去の嘘と取り違えない。
声掛けを危険への関与と評価する肯定論と,通常の安否確認で重大性が乏しいとする反論を分けている。
(15) 番号15の対応
答案の「排他的支配」以下が対応する。
人車の出入りの乏しさ,草木で発見困難なこと,甲の認識・接近を,引受け・排他的支配の根拠又は限界へ評価する。
(16) 番号16の対応
答案の「作為の可能性・容易性」以下が対応する。
車内への移動で転落を確実・容易に防げる事実から,作為可能性・容易性を論じる。
(17) 番号17の対応
答案の「生命への具体的危険が生じた時点」以下が対応する。
不作為の実行着手の判断基準を示し,救助放棄の決意・立去り・転落重傷のいずれかの具体的時点と対応させる。
(18) 番号18の対応
答案の「第三者にも発見されず死亡」以下が対応する。
殺意について,覚醒等,転落,頭部強打,即死又は重傷後に救助なく死亡する具体的経過の認識・認容を検討する。
(19) 番号19の対応
答案の「218条の保護責任」以下が対応する。
保護責任の意義・成立根拠を示し,殺人の作為義務との異同を説明して甲の責任を認める。
(20) 番号20の対応
答案の「死亡に至る具体的危険経過」以下が対応する。
主観面で区別する立場では,保護放棄の故意と具体的死亡危険に向けた殺意の違いを理由付きで示す。
(21) 番号21の対応
答案の「危険の程度及び先行行為」以下が対応する。
客観面で区別する立場では,重大な先行行為・危険の程度を使う理由を示し,軽傷と転落前後の差を評価する。
(22) 番号22の対応
答案の「私は後者」以下が対応する。
両立場の提示で終えず,反対事情への再反論又は自説の補強を経て甲の最終罪責を明示する。
(23) 番号23の対応
答案の「病者である」以下が対応する。
遺棄等罪を採る場合,負傷・意識喪失・自救困難を病者又は要保護状態として評価する。
(24) 番号24の対応
答案の「生存に必要な保護」以下が対応する。
遺棄等罪を採る場合,安全な場所への移動等の必要な保護を示し,遺棄又は不保護に該当させる。
(25) 番号25の対応
答案の「保護を一切行わず」以下が対応する。
遺棄等罪を採る場合,要保護状態・保護可能性を認識しつつ保護しなかった故意を具体化する。
(26) 番号26の対応
答案の「因果関係を遮断する」以下が対応する。
致傷を採る場合,確実な転落回避可能性と放置危険の現実化から重傷を帰属させる。
(27) 番号27の対応
答案の「丁の代わりにそこに存在すると誤信された乙」以下が対応する。
最初の検討対象を,近くの実在乙でなく,丁の代わりに存在すると誤信された乙と特定する。
危険判断で用いる仮定的事情と,故意の対象及び未遂の客体を混同しない点が重要である。
(28) 番号28の対応
答案の「客体の不能」以下が対応する。
認識上の乙がその場所に現実には存在せず殺害できないことを,客体の不能として未遂・不能の区別へ接続する。
(29) 番号29の対応
答案の「殺意や客体の錯誤だけ」以下が対応する。
危険判断で客観的実行行為性を先に示し,その後に特定した客体への殺意を検討する。
(30) 番号30の対応
答案の「抽象的危険説」以下が対応する。
抽象的危険説を採る場合,甲の認識事情を判断基礎として,その基礎から危険を説明する。
(31) 番号31の対応
答案の「一般人が認識し得た事情」以下が対応する。
具体的危険説を採る場合,一般人にも誤認可能な事情を基礎に,体格・着衣・車・暗さを評価する。
(32) 番号32の対応
答案の「行為時の全事情」以下が対応する。
客観的危険説では行為時の全事情を基礎とし,現実の丁には義務がないため危険を否定する帰結を区別する。
(33) 番号33の対応
答案の「仮定的経過」以下が対応する。
修正された客観的危険説では,救助接近により実在乙を容易に発見できた仮定的経過を危険判断に用いる。
実在乙へ直接客体を差し替えない。
危険判断で用いる仮定的事情と,故意の対象及び未遂の客体を混同しない点が重要である。
(34) 番号34の対応
答案の「目の前の具体的身体」以下が対応する。
客体の錯誤と捉える構成では,目の前の丁を具体的客体として認識した事情から丁への故意を肯定し,丁への殺人未遂へ閉じる。
(35) 番号35の対応
答案の「通常の客体の錯誤として」以下が対応する。
客体の錯誤と捉えない構成では,その理由を示し,丁の代わりに仮定された乙への故意と殺人未遂へ閉じる。
危険判断で用いる仮定的事情と,故意の対象及び未遂の客体を混同しない点が重要である。
第6 関連記事
同じ刑法の別問題として,令和2年度司法試験刑事系第1問の模範解答と評価項目及び令和7年度司法試験刑事系第1問の模範解答と評価項目がある。
公式資料の入口は,法務省HPの司法試験・予備試験の資料の所在に整理されている。
第7 出典及び確認状態
法務省平成30年司法試験問題・刑事系科目のPDF1~4頁,論文式試験出題の趣旨のPDF13頁「刑事系科目」から17頁の第1問末尾まで,採点実感(刑事系科目第1問)のPDF1~5頁を参照した。
同じPDF内の別問題は根拠にしていない。
当時の刑法はe-Gov法令データ(平成29年7月13日施行版)の38条,43・44条,199・203条,217~219条,230条・230条の2等を確認した。
試験日は法務省平成30年司法試験の実施日程による。
法務省が示す許容構成と,答案作成者が採った立場・理由付けを分けている。