第1 結論
医薬用途発明の進歩性における「予測できない顕著な効果」は,構造の異なる他の化合物が同程度の効果を示していたという理由だけで否定できない。優先日当時,本願発明の構成が奏すると当業者に予測できた効果の範囲を定め,実際の効果がその範囲を超えるかを検討する必要がある。
最高裁令和元年8月27日第三小法廷判決は,進歩性を最終的に肯定したのではなく,原審の効果判断が不十分であるとして破棄差戻しとした判決である。実務では,構成の容易想到性と効果の顕著性を混同せず,比較対象,基準時及び推認過程を証拠に即して示すことが重要である。
第2 進歩性と有利な効果の位置づけ
1 特許法29条2項
特許法29条2項は,特許出願前に当業者が先行技術に基づいて容易に発明できたときは,特許を受けられないと定める。進歩性判断では,主引用発明と本願発明の相違点を認定し,当業者がその相違点に容易に到達できたかを検討する。
2 現在の特許庁審査基準
特許・実用新案審査基準「第Ⅲ部第2章 新規性・進歩性」は,引用発明と比較した有利な効果が,異質で予測できない場合,又は同質でも際立って優れ,予測できない場合には,進歩性を肯定する方向に働く有力な事情になると説明する。同基準は,最高裁令和元年8月27日判決を参考判決として明示している。
ただし,有利な効果があっても,容易想到性の論理付けが十分である場合に常に進歩性が肯定されるわけではない。効果は進歩性判断の一要素として,発明の構成,先行技術及び技術常識と一体で評価される。
第3 最高裁令和元年8月27日判決
1 事件の概要
最高裁令和元年8月27日第三小法廷判決(平成30年(行ヒ)第69号)は,「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」に関する特許無効審判の審決取消訴訟である。
本件発明は,公知の化合物を,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離を抑制する用途に適用する医薬用途発明であった。先行する審決取消判決により,この用途への適用自体は容易に想到できたとの判断が確定していた。その後,予測できない顕著な効果の有無が争点となった。
2 原審の判断
原審は,優先日当時,本件化合物とは異なる複数の化合物が70%から90%程度の高いヒスタミン遊離抑制率を示すことなどを考慮し,本件発明の効果は予測できる範囲を超えて顕著とはいえないとした。
3 最高裁の判断
最高裁は,他の各化合物が本件化合物と構造を異にし,引用発明にも引用例2にも関係しないことを重視した。構造の異なる他の化合物に同程度の効果が知られていたことだけから,本件化合物の効果の程度を当業者が予測できたとはいえないとした。
原審は,優先日当時,本件発明の構成が奏するものとして当業者が予測できた効果は何か,実際の効果がその予測範囲を超える顕著なものかという観点から十分に検討していなかった。そのため,最高裁は原判決を破棄し,顕著な効果の有無等を更に審理させるため知的財産高等裁判所へ差し戻した。
第4 判断枠組みを実務に落とす
1 比較対象を固定する
比較対象は,単に「世の中に存在した最良の効果」ではない。主引用発明,副引用発明及び優先日当時の技術常識から,本願発明の構成がどの程度の効果を奏すると当業者に予測できたかを具体化する。
異なる化合物,異なる作用機序,異なる投与方法又は異なる評価系のデータを用いるときは,本願発明の効果を推認できる科学的な理由を示す必要がある。
2 非予測性と顕著性を分ける
効果が予測できなかったかという非予測性と,予測範囲をどの程度超えたかという顕著性は分けて検討する。単に数値が高い,従来より良いという評価だけでは足りず,当業者が予測した範囲の上限と実測結果を対比する。
3 基準時を優先日に固定する
後に得られた研究成果,市販後データ又は後知恵から,優先日当時の予測可能性を判断してはならない。優先日前の論文,公報,技術常識及び当業者の認識を証拠化する。
4 構成容易性と効果を混同しない
用途への適用が容易に想到できたとしても,その構成が奏する効果の程度まで当然に予測できたことにはならない。他方,効果が優れているだけで,構成の容易想到性に関する全ての問題が消えるわけでもない。
第5 主張立証のチェックリスト
①本願発明,主引用発明及び副引用発明の構成を,同じ粒度で対比する。
②相違点ごとに,動機付け,阻害要因,設計事項及び技術常識を整理する。
③効果の種類,測定方法,濃度,対象細胞,投与経路,評価時点及び統計的信頼性を揃える。
④優先日当時,本願発明の構成から予測できた効果の幅を,専門家意見,文献及び実験条件から示す。
⑤比較する他化合物との構造,作用機序及び技術的関連性を説明する。
⑥明細書に記載された効果,明細書又は図面から当業者が推論できる効果,出願後に初めて示された効果を区別する。
⑦差戻し審では,最高裁が不足を指摘した認定事項に対応する証拠を優先する。
第6 出願・審判・訴訟での使い分け
出願段階では,発明の構成と効果の結び付きを明細書に具体的に記載し,実験条件を再現可能な形で残す。審査・審判段階では,引用発明との技術的関係を踏まえ,どの効果をどの証拠で主張するかを早期に固定する。
審決取消訴訟では,審決が採用した比較対象と推認過程を一段ずつ点検する。構造の異なる化合物のデータを並べただけで,本願発明の効果が予測可能とされていないか,効果の種類・程度・基準時が混同されていないかを確認する。
第7 出典と資料の確認状況
1 一次資料・行政一次資料
①最高裁令和元年8月27日第三小法廷判決全文(平成30年(行ヒ)第69号,破棄差戻し)
②特許庁「特許・実用新案審査基準 第Ⅲ部第2章 新規性・進歩性」
2 専門誌目次で所在を確認した評釈
①清水節「進歩性判断における『予測できない顕著な効果』の判断方法―最三小判令和元・8・27」ジュリスト2020年1月号8頁
②愛知靖之「進歩性判断における『予測できない顕著な効果』の判断手法―最三判令和元年8月27日評釈」NBL1160号
これらは専門誌目次で書誌事項を確認した。本文内容を読んだものとして本記事の判旨又は結論を裏付けてはいない。
3 判例秘書
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