平成3年度の最高裁民事破棄判決を読む意義は、個別の結論を覚えることではなく、原判決のどの層に誤りが入り、最高裁がどの範囲を是正し、何を事実審へ差し戻したかを確認することにある。本記事は、富越和厚「最高裁民事破棄判決の実情(上)(下)―平成3年度―」を年度全体の索引として用い、裁判所ウェブサイトで全文を確認できた代表判例を一次資料として照合した実務整理である。
第1 資料の性質と確認範囲
1 年次論文は有力な索引であるが判決原文ではない
年次論文は、当時の最高裁判所調査官が破棄事件の全体像、破棄理由及び実務上の留意点を整理した重要な二次資料である。しかし、論文の要約や引用部分は判決原本そのものではない。個別事件へ引用するときは、事件番号・裁判年月日を手掛かりに、裁判所公式全文、判例集又は認証された判例データベース本文へ戻る必要がある。
本記事で裁判所公式全文を直接確認したのは、最高裁平成3年4月19日第二小法廷判決、最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決及び最高裁平成3年10月25日第二小法廷判決である。判例秘書は会員ログイン画面までの確認にとどまり、平成3年度の個別判決本文を同データベースで照合した件数は0件である。これは「掲載なし」を意味しない。
2 39件という数字の読み方
年次論文によれば、平成3年度に判決で終結した民事・行政上告事件は1980件で、破棄判決は39件、割合は約1・97%であった。内訳は、破棄差戻し27件、破棄自判10件、一部自判・一部差戻し2件と整理される。
この割合は、旧民事訴訟法下の特定年度に最高裁で判決終結した事件を分母とする歴史的統計である。現在の事件の「上告成功率」や受任事件の見通しへ、そのまま転用してはならない。申立ての種類、終局区分及び分母を示さない割合は比較できない。
第2 破棄理由を読む七つの順序
1 入口から救済まで順に監査する
原判決の監査は、①当事者・訴訟要件・手続、②請求権・抗弁その他の法的根拠、③判断枠組み、④主要事実、⑤証拠評価、⑥理由と主文、⑦破棄自判又は破棄差戻しという順序で行うとよい。証拠評価への不満から書き始めると、その前にある適用法、要件又は判断対象の誤りを見落としやすい。
入口の要件は提訴時だけで固定されるとは限らない。口頭弁論終結時までの権利承継、当事者の死亡、別手続の確定、処分の変更又は取消しによって、当事者適格、訴えの利益及び必要な救済が変わり得る。受任時、争点整理終結時、口頭弁論終結前及び上訴前に再点検する。
2 請求・抗弁・理由・主文を横に並べる
訴状、請求の趣旨変更書、最終準備書面及び判決を用い、請求、請求原因、抗弁、再抗弁、予備的請求・予備的主張、判断箇所、主文を一行ずつ対応させる。判断遺脱、理由不備、理由の食違い及び単なる説明不足は同じではない。
金額事件では、元本、既払額、充当、相殺、過失相殺、遅延損害金の起算日・割合及び請求上限を再計算する。法理が正しくても、主文が請求又は理由と整合しなければ結論は維持できない。
第3 証拠評価は推論の鎖に分解する
1 基礎事実から法律効果までを可視化する
証拠評価は、「証拠→直接読み取れる基礎事実→経験則→中間推認→主要事実→法律効果」という鎖に分解する。各矢印について、どの経験則又は専門知見を用いたか、反対証拠は何か、別の合理的仮説を排除できるかを確認する。
上告審へ「別の心証も可能である」と述べるだけでは足りない。客観証拠との論理的矛盾、決定的な反対証拠の未評価、通常の経験則からの著しい逸脱又は判断枠組みの誤りを特定し、それが判決の結論へ影響することを示す必要がある。
2 記録の不存在と事実の不存在を区別する
診療録、業務記録又は交渉記録に記載がない場合でも、直ちに事実が存在しなかったとは限らない。実施されなかったのか、確認されなかったのか、記録されなかったのか、保存されなかったのかを分ける。作成義務、通常の記載慣行、同時期の客観資料及び事後記録を合わせて評価する。
第4 代表判例から得られる三つの実務知見
1 行政処分の遅延―期間だけで国賠違法を決めない
最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決(昭和61年(オ)第329号、民集45巻4号653頁)は、水俣病認定申請に対する処分の遅延と国家賠償責任が問題となった事件で、原判決を破棄して差し戻した。
同判決は、申請者が不安感・焦燥感を抱かずに処分を受ける利益が内心の利益にとどまらず、法的保護の対象となり得るとした。他方、通常必要な処理期間を超えたことだけでは国家賠償法上の違法は直ちに成立しない。その期間に比べて更に長期の遅延が続き、通常期待される努力により遅延を解消できたのに、処分庁がその努力を尽くさなかったことが必要である。
実務では、申請日と処分日だけでなく、補正、検査・審査、案件量、人員、制度上の制約、滞留把握後の増員・外部委託・優先処理、申請者への説明及び個別案件を進められなかった理由を時系列化する。詳しくは、行政処分の遅延と国家賠償を参照されたい。
2 予防接種後障害―因果関係と禁忌者該当性を分ける
最高裁平成3年4月19日第二小法廷判決(昭和61年(オ)第1493号、民集45巻4号367頁)は、痘そう予防接種によって重篤な後遺障害が生じたと認められる場合について、必要な予診を尽くしても禁忌事由を発見できなかったこと、被接種者の個人的素因その他の特段の事情がない限り、禁忌者であったことを推定する判断を示した。
この事件を扱うときは、①接種と障害との医学的因果関係、②接種時の禁忌者該当性、③問診・診察等の予診が尽くされたか、④適切な予診をすれば接種を回避できたかを分ける。平成3年判決は旧制度下の痘そう接種事件であり、現行の各ワクチンへ結論を直接移すことはできない。詳しくは、予防接種後障害と禁忌者該当性の推定を参照されたい。
3 共同不法行為者間の求償―外部責任と内部負担を分ける
最高裁平成3年10月25日第二小法廷判決(昭和63年(オ)第1383号、民集45巻7号1173頁)は、使用者責任を負う使用者と共同不法行為者との内部的な求償関係を扱った。被害者に対する外部責任の範囲と、加害関係者間で最終的に負担すべき割合は別問題である。
受任時には、被害者へ誰がいくら支払う義務を負うかと、支払後に誰へいくら求償できるかを別表にする。弁済額、共同不法行為者の負担部分、使用者と被用者の内部負担、時効・消滅時効、示談条項及び保険代位を混同しない。
第5 破棄差戻し後まで見据える
破棄差戻しは、上告人の最終勝訴を意味しない。最高裁が示した法的枠組みに従い、差戻審が残存争点を審理し直す。上告段階から、最高裁に求める法判断と、差戻後に追加立証すべき事実を分けて準備する。
水俣病認定遅延事件について、後年の福岡高裁平成29年4月28日判決の裁判所掲載PDFが記載する事実経過によれば、差戻後の福岡高裁は平成8年9月27日に原告らの請求を棄却し、その判決は確定した。ただし、本記事では平成8年判決そのものの全文は確認しておらず、後年の裁判所掲載判決による間接確認である。
第6 旧法判例を現在の事件へ使う手順
平成3年度の判例を現在の事件へ用いるときは、①判決当時の法令、②現行法、③施行日・経過措置、④後続判例、⑤事案固有の事実を順に確認する。古い判例の理由が現在も参考になることと、当時の条文又は行政実務が現行事件を直接規律することは同じではない。
行政事件では、損害賠償請求、不作為の違法確認の訴え及び義務付けの訴えの目的・要件を区別する。予防接種事件では、健康被害救済制度の認定と、国家賠償又は不法行為上の過失・因果関係を区別する。
第7 受任後に作る四つの実務台帳
① 入口・手続台帳:当事者、承継、代理権、訴えの利益、別手続、基準時及び不服申立期限を記載する。
② 主張・判断台帳:請求、請求原因、抗弁、再抗弁、認否、証拠、判断箇所及び主文を対応させる。
③ 証拠・推論台帳:基礎事実、経験則、中間推認、主要事実、反対証拠及び別の合理的仮説を記載する。
④ 差戻審台帳:最高裁が確定した法判断、拘束される事項、残存争点、追加証拠及び想定主文を記載する。
汎用的な点検項目は、最高裁民事破棄判決から作る原判決監査チェックリストも参照されたい。
第8 出典及び確認状態
① 富越和厚「最高裁民事破棄判決の実情(上)(下)―平成3年度―」判例時報1419号15頁以下、1420号20頁以下(年度集計・事件索引として利用した二次資料)
② 最高裁平成3年4月19日第二小法廷判決(裁判所公式全文)
③ 最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決(裁判所公式全文)
④ 最高裁平成3年10月25日第二小法廷判決(裁判所公式判例ページ)
⑤ 国家賠償法・行政事件訴訟法(e-Gov法令検索)
⑥ 予防接種法及び予防接種法施行規則(厚生労働省法令等データベース)
本記事は一般的な調査・訴訟準備の手順を整理したものであり、個別事件の見通しを示すものではない。個別事件では、原判決、訴訟記録、現行法令、後続判例及び利用可能な認証データベース本文を改めて確認する必要がある。