キャッシュカードの暗証番号は、単なる数字列としてではなく、特定のカードと結び付いて預金払戻しを可能にする機能から評価される。
正しい暗証番号とカードを併有し、ATMで払戻しを受け得る具体的・現実的な地位を得た場合、刑法236条2項の「財産上不法の利益」が問題となる。
これに対し、被害者が虚偽の番号を告げたため払戻しができない場合には、既遂利益の取得と、正しい番号を得ようとした行為の未遂を区別する必要がある。
第1 財産上の利益として問題になるもの
刑法236条2項は、暴行又は脅迫を用いて財産上不法の利益を得、又は他人に得させた者を処罰する。
暗証番号の事案で問われるのは、四桁の数字という情報そのものの市場価値ではない。
特定口座に対応するキャッシュカードと正しい暗証番号を併有することで、預金者の意思によらずATMから払戻しを受け得る地位を取得したかである。
この評価では、行為者側の処分可能性と、被害者側の預金支配の低下を対応させる必要がある。
情報を知ったというだけでなく、その情報によって現実に何ができるようになったかを確認する。
第2 東京高裁平成21年11月16日判決
1 判決が認めた財産上の利益
東京高裁平成21年11月16日判決(平成21年(う)第1215号、判例秘書の判例番号 L06420849)は、キャッシュカードと正しい暗証番号を併有する者が、ATMを通じて預金払戻しを受け得る具体的・現実的な地位を得ることを、刑法236条2項の財産上の利益と評価した。
同判決は、利益が被害者から行為者へ同じ形のまま移転することを必要としていない。
行為者が払戻し可能な地位を得た反面で、預金者による預金支配が弱まるという関係を重視した。
2 判決の射程
この判決が扱ったのは、特定カードに対応する正しい暗証番号を得た事案である。
したがって、「暗証番号と称する数字を聞いた」全ての場合に二項強盗既遂が成立することまで判示したものではない。
カードがない場合、番号が誤っている場合、口座が凍結されている場合、追加認証が必要な場合又は利用限度額に達している場合には、払戻しを受け得る具体的・現実的地位が生じたかを別に確認する必要がある。
なお、同判決の事案では、被告人がキャッシュカードの入った財布を被害者宅の中で移動させただけで、暗証番号を聞き出した時点ではカードの窃取はまだ完了していなかった。
同判決は、カードをいつでも容易に取得できる状態に置いた上で暗証番号を聞き出した以上、既にカードの占有を確立している場合と異ならないとして、二項強盗の成立を妨げないとした。
また、第1審は財産上の利益の取得を否定して強要罪の成立にとどめていたが、同判決はこれを破棄し、二項強盗の成立を認めた。
3 脅迫の程度―二項強盗か二項恐喝か
暗証番号を聞き出す手段が刑法236条2項の「暴行又は脅迫」に当たるかは、利益性とは別に検討する。
最高裁昭和24年2月8日判決(昭和23年(れ)第948号・刑集3巻2号75頁)は、財物の奪取が恐喝罪となるか強盗罪となるかは、暴行又は脅迫が社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足りる程度のものかという客観的基準によって決まり、具体的な被害者の主観を基準とするものではないとした。
凶器を示さずに強い口調で番号を言わせた場合でも、被害者が既に負傷して動けないなど、その場の状況によっては反抗を抑圧するに足りる脅迫と評価される余地がある。
他方、その程度に達しない脅迫で番号を告げさせたときは、刑法249条2項の恐喝による利益取得(二項恐喝)が問題となる。
暗証番号の利益性を肯定する場合も、脅迫文言、被害者の身体状態、時刻・場所及び行為者と被害者の関係から、どちらの手段要件を満たすかを認定する必要がある。
第3 誤暗証番号を告げられた場合
1 既遂利益は原則として生じない方向で検討する
被害者が告げた数字が当該カードの暗証番号でなく、その数字を入力しても払戻しができないのであれば、カードと数字を結び付けても払戻し可能な地位は完成していない。
正しい番号とカードの機能的結合を重視した東京高裁判決の射程からは、二項強盗既遂を否定する方向に働く。
もっとも、誤番号の事案を直接扱った同一事案の裁判例を今回確認したものではない。
この結論は、確認済み判例の理由付けから導く評価であり、具体的事件では口座の状態及び認証方式を確認しなければならない。
2 二項強盗未遂を別に検討する
行為者が凶器を示すなどして正しい暗証番号を得ようとしたが、被害者が虚偽の番号を告げたため目的を達しなかった場合、刑法236条2項及び243条の強盗未遂が問題となる。
行為者が取得しようとした利益、暴行・脅迫の程度及び正しい番号を取得する具体的危険を検討する必要がある。
被害者が抵抗して番号を告げなかった場合と、虚偽番号を告げた場合とで、行為者が意図した犯罪の内容が当然に変わるわけではない。
令和6年司法試験型の事案では、脅迫時点で被害者が正しい番号を告げる可能性があり、正しい番号を取得する危険が存在したから、この段階で誤番号を理由に不能犯を論じる必要はない。被害者の誤答は、既遂利益を生じさせなかった事情として二項強盗未遂の結論へ結び付ける。
法務省「令和6年司法試験の採点実感(刑事系科目第1問)」も、暗証番号を聞き出そうとした行為の時点で正しい暗証番号を聞き出す危険性があったことは明らかであるから、この行為を不能犯の問題として検討する必要はなかったと指摘している。
同問の模範解答と評価項目は、「令和6年度司法試験刑事系第1問の模範解答と評価項目」で扱っている。
なお、暗証番号を「財産上の利益」と評価しない見解からは、二項強盗ではなく、脅迫により義務のない番号告知をさせた行為として強要罪又はその未遂が問題となる。
反対説を示すときは、利益性を否定するだけでなく、その見解が導く代替罪まで検討する。
第4 ATM操作と別罪の検討
誤暗証番号をATMへ入力した行為では、ATM内現金の占有者である金融機関に対する窃盗について、不能犯と窃盗未遂の区別が中心となる。
結果が生じなかった直接の原因は、入力した番号が誤っていたことである。そこで、行為時に存在した事情を基礎に、通常人の観点又は具体的危険説等の採用する基準に従い、現金取得の危険があったかを検討する。
最高裁昭和25年8月31日第一小法廷判決(昭和25年(れ)第858号・刑集4巻9号1593頁)は、いわゆる不能犯とは犯罪行為の性質上結果発生の危険を絶対に不能ならしめるものを指すとした。
最高裁昭和37年3月23日第二小法廷判決(昭和36年(あ)第2299号・刑集16巻3号305頁)は、静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても、被注射者の身体的条件その他の事情によっては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないとして不能犯に当たらないとした原判決及び第1審判決の判断を相当とした。
いずれも誤暗証番号の事案ではないので、ATMの事案では、行為者が正しい番号だと思っていたという認識と、入力した番号、カード及び口座の状態という行為時の現実の事情とを分けて記載した上で、危険の有無を評価する必要がある。
不能犯に関する最高裁判例の事案と判断は、不能犯とは何か―未遂犯との区別をめぐる最高裁判例と,行為者の認識・行為時の事情の整理で整理している。
正しい暗証番号が実在し、行為者が近い番号を入力したとしても、その事情だけで結論は決まらない。カードの有効性、口座状態、入力回数、ロック仕様、入力番号と正しい番号の関係その他の事情を評価する。
実行の着手は、ATMへカードを挿入して払戻操作を開始した時点等が別途問題となるが、令和6年司法試験型の事案では、着手時期の抽象論だけに紙幅を使わず、誤番号という失敗原因と危険の有無を中心に論証すべきである。異なる事実関係では、着手時期が独立の争点となり得る。
暗証番号を三回誤入力して取引が停止された場合には、各入力時刻、ATMの表示、カード回収又はロックの時刻、金融機関の認証仕様及び当時の口座状態を証拠化する。
単に「暗証番号が違った」とする供述だけでは、払戻し可能性及び危険の有無を正確に評価できない。
不正に払戻しを受ける目的でATMが設置された銀行の店舗等へ立ち入る行為については、建造物侵入罪(刑法130条)も問題となる。
最高裁平成19年7月2日決定(平成18年(あ)第2664号・刑集61巻5号379頁)は、ATM利用客のカードの暗証番号等を盗撮する目的で、ATMが設置された銀行支店出張所に営業中に立ち入った事案について、その立入りが管理権者である銀行支店長の意思に反することは明らかであるとして、立入りの外観が一般の利用客と特に異ならなくても建造物侵入罪が成立するとした。
同決定は盗撮目的の事案であり、他人のカードで払戻しを受ける目的の立入りを直接判断したものではないが、管理権者の意思に反する目的での立入りかという判断構造は同様に検討対象となる。
カード自体の窃盗、暗証番号の取得、店舗への立入り及びATMからの現金の取得(又はその未遂)は、客体と時点が異なるので、行為ごとに罪名を確定した上で罪数を検討する。
東京高裁平成21年11月16日判決は、被害者宅への住居侵入と、窃盗、二項強盗及び同じ機会の強制わいせつとがそれぞれ手段結果の関係にあるとして、刑法54条1項後段により全体を一罪とし、最も重い強盗罪の刑で処断したが、窃盗と二項強盗の関係そのものを独立に論じたものではない。
第5 認証情報事件の実務チェック
1 媒体と情報を対応させる
まず、対象口座、キャッシュカードの真正、カードの有効性及び行為者の占有を確認する。
次に、告げられた数字が当該カードに対応する番号か、旧暗証番号か、別口座の番号か、無関係の数字かを区別する。
2 現実の処分可能性を確認する
口座残高、一日当たりの限度額、カード停止、暗証番号ロック、二要素認証、利用時間及び障害情報を確認する。
行為者が現実に得た権限と、得ようとした権限を分けて記載する。
3 ログを保全する
ATMの操作ログ、監視映像、エラーコード、カード取込記録、金融機関への照会記録及び口座凍結時刻を早期に保全する。
被害者がどの番号を告げ、行為者がどの番号を何回入力したかを、供述と客観記録で照合する。
第6 パスワード等への応用と限界
暗証番号判決の考え方は、パスワード、ワンタイムコード、復旧コード、秘密鍵及びAPIキー等の評価にも参考となる。
ただし、情報の名称だけで財産上の利益と決めることはできない。
特定の媒体又はアカウントと組み合わさったときに、送金、換金、契約又は資産移転を現実に可能にする地位が生じたかを確認する必要がある。
本記事は、東京高裁平成21年11月16日判決の全文を判例秘書で確認した上で、その理由付けを正しい番号と誤番号に分けて整理したものである。
誤暗証番号、ATMでの窃盗未遂及び罪数関係について同一事案の一次資料を網羅したものではなく、これらは事件ごとの追加調査が必要である。
第7 出典
①e-Gov法令検索「刑法」236条2項、249条2項及び130条
②東京高裁平成21年11月16日判決(平成21年(う)第1215号、判例秘書の判例番号 L06420849。裁判所ウェブサイト未掲載のため判例秘書で全文を確認)
③最高裁昭和24年2月8日第二小法廷判決(昭和23年(れ)第948号・刑集3巻2号75頁、裁判所ウェブサイト)
④最高裁平成19年7月2日第一小法廷決定(平成18年(あ)第2664号・刑集61巻5号379頁、裁判所ウェブサイト)
⑤最高裁昭和25年8月31日第一小法廷判決(昭和25年(れ)第858号・刑集4巻9号1593頁、裁判所ウェブサイト)
⑥最高裁昭和37年3月23日第二小法廷判決(昭和36年(あ)第2299号・刑集16巻3号305頁、裁判所ウェブサイト)
⑦法務省「令和6年司法試験の採点実感」のうち刑事系科目(第1問は1頁~6頁)
家族や交際相手がクレジットカードやそのカード番号を使った場合の詐欺罪、電子計算機使用詐欺罪及び名義人の支払責任については、「家族や交際相手のクレジットカードを使うと犯罪になるか―名義人の承諾と詐欺罪,承諾の範囲を超えた利用及び名義人の支払責任」で整理している。