自然災害によって住宅,勤務先又は事業に被害を受け,住宅ローンや事業性ローンを返済できなくなった個人は,「自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン」により,破産手続や個人再生手続によらずに債務の減免を受けられる場合がある。
もっとも,この制度は申出だけで債務を強制的に減免するものではなく,利用要件を満たした上で,対象債権者との合意を形成し,特定調停を経る必要がある。
本記事では,令和8年9月6日現在のガイドライン本文及びQ&Aに基づき,対象,要件,メリット,デメリット及び手続を整理する。
第1 自然災害債務整理ガイドラインの位置付け
1 法的拘束力のない自主的な準則であること
自然災害債務整理ガイドラインは,自然災害の影響によって既往債務を弁済できなくなった個人について,金融機関等との合意により,債務の全部又は一部の減免,返済猶予その他の債務整理を行うための自主的な準則である。
法令ではなく法的拘束力もないが,対象債権者,債務者その他の利害関係人が自発的に尊重し,遵守することが期待されている(自然災害債務整理ガイドライン本文2頁~3頁)。
2 制度の中心となる三つの利点とその限界
この制度では,①ガイドラインに基づく債務整理の事実等を信用情報登録機関へ報告・登録しない取扱い,②自由財産等を手元に残せる可能性,③登録支援専門家による無料の手続支援が用意されている。
他方,債務減免には対象債権者の合意形成が必要であり,保有できる財産額,新たな借入れ,保証人の責任又は手続成立が保証される制度ではない。
第2 対象となる災害,債務者及び債務
1 対象となる災害
対象は,東日本大震災及び平成27年9月2日以後に災害救助法の適用を受けた自然災害である。
東日本大震災については,令和3年4月1日から現在のガイドラインの対象に追加された(運営機関のガイドライン案内)。
個別の災害が対象に含まれるかは,更新される被災された皆さまへの案内で確認する必要がある。
2 対象となる債務者
対象となるのは,災害の影響により,既往債務を弁済できない状態又は近い将来に弁済できなくなることが確実と見込まれる状態にある個人であり,個人事業主も含まれる。
返済困難かどうかは,収入,財産,信用,債務総額,返済期間,利率及び家計の状況等を総合して判断される(ガイドラインQ&A10頁~13頁)。
住所が災害救助法の適用市町村外にあることだけで,当然に対象外となるわけではない。
住居又は事業所の直接被害に限らず,勤務先の被災による減収,取引先の被災による売上減少等であっても,災害と返済困難との合理的な因果関係を説明できれば対象となり得る。
3 対象となる債務及び債権者
対象となるのは,原則として災害発生前に負担していた住宅ローン,住宅のリフォームローン,事業性ローンその他の既往債務である。
災害発生後の借入れは,通常の自然災害ガイドラインでは対象とならない。
対象債権者は,銀行,信用金庫,信用組合,労働金庫,農漁協,政府系金融機関,貸金業者,リース会社,クレジット会社,債権回収会社及び保証会社等であり,必要があるときはその他の債権者を含めることができる。
債権者数による制限はなく,債権者が1名の場合でも利用できる(ガイドライン本文3頁~4頁及びガイドラインQ&A8頁)。
第3 利用するための七つの要件
1 ガイドライン本文が定める要件
ガイドラインを申し出るためには,次の要件を全て満たす必要がある。
①災害の影響により,既往債務を弁済できないこと,又は近い将来に弁済できなくなることが確実と見込まれること。
②弁済について誠実であり,財産及び負債の状況を対象債権者へ適正に開示していること。
③原則として,災害前の債務について期限の利益喪失事由に該当する行為がないこと。
ただし,対象債権者が同意する場合は別である。
④ガイドラインによる回収見込みが破産手続又は民事再生手続による回収見込み以上となる等,対象債権者にとっても経済的合理性が期待できること。
⑤事業の再建又は継続を図る個人事業主については,事業価値があり,対象債権者の支援により再建の可能性があること。
⑥反社会的勢力ではなく,そのおそれもないこと。
⑦破産法252条1項10号を除く免責不許可事由がないこと(ガイドライン本文3頁~4頁及びe-Govの破産法)。
2 返済困難と災害との因果関係を示す資料
制度の対象となるかは,災害名又は罹災証明書の有無だけでは決まらない。
申出時には,住民票,収入資料を添付した陳述書,預貯金通帳等を添付した財産目録,債権者一覧表,直近2か月の家計収支表,個人事業主であれば直近6か月の事業収支実績表,罹災証明書又は被災証明書等を提出するのが原則である(ガイドラインQ&A18頁)。
被災による資料の滅失等があるときは,その事情を主たる債権者及び登録支援専門家へ早期に説明することが重要である。
第4 メリットと誤解しやすい限界
1 個人信用情報に関する取扱い
ガイドラインに基づく債務整理を行った対象債務者については,債務整理の事実その他これに関連する情報を信用情報登録機関へ報告・登録しない(ガイドラインQ&A32頁~33頁及び全国銀行個人信用情報センターの案内)。
ただし,その後に弁済計画を履行できず,別の報告事由が生じたときは登録される。
また,この取扱いは将来の融資審査の可決を保証するものではなく,各金融機関は収入,債務,返済能力等を別途審査する。
2 手元に残せる財産と500万円
調停条項案では,差押禁止財産,現預金の一定額,自由財産拡張の裁判実務により通常自由財産とされる財産,被災者生活再建支援金等及び申出後の新得財産を手元に残せる場合がある(ガイドラインQ&A25頁~26頁)。
金融庁の令和6事務年度版資料は,現預金について500万円を目安に残せる例を示している(金融庁の1年(2024事務年度版)第2部第6章第8節・資料1)。
もっとも,500万円は全員に認められる定額の非換価財産ではない。
生活再建に必要な資金,家計,年齢,扶養関係,災害の影響,財産全体及び対象債権者の同意等を踏まえ,個別の調停条項案で定められる。
3 保証人の取扱い
主たる債務者が通常想定される範囲を超えた災害の影響で弁済できないことを踏まえ,保証履行を求めることが相当と認められる場合を除き,個人保証人に保証履行を求めない取扱いとされている(ガイドライン本文9頁~10頁)。
ただし,保証契約締結の経緯,主債務者との関係,保証による利益,保証人の収入,資産及び被災状況等から保証履行を求めることが相当であれば,保証人にも合理的な範囲の負担が定められる。
したがって,「ガイドラインを利用すれば保証人の責任が当然に消滅する」と理解してはならない。
4 登録支援専門家の費用
利用者は,運営機関から委嘱された弁護士,公認会計士,税理士又は不動産鑑定士である登録支援専門家の支援を受ける。
利用者が登録支援専門家への報酬を支払うことはない(金融庁の注意喚起一覧)。
もっとも,特定調停の申立費用は債務者が負担し,登録支援専門家とは別に自ら代理人弁護士等を選任した場合の報酬も債務者負担である(ガイドラインQ&A29頁~31頁)。
第5 手続の流れ
1 最大元本債権者への着手申出
最初に,申出時点で元金総額が最大の対象債権者である「主たる債権者」へ,ガイドライン手続への着手を口頭で申し出る。
非事業者であれば住宅ローンの借入先となることが多い。
主たる債権者は,対象要件のいずれかを満たさないことが明白な場合を除き,原則として申出から10営業日以内に着手への同意書面を交付する(運営機関の手続の流れ及びガイドラインQ&A14頁~15頁)。
この着手同意は,後に作成する調停条項案への最終同意ではない。
2 登録支援専門家の委嘱と全対象債権者への申出
着手同意書面を受け取った後,弁護士会等の士業団体を通じて登録支援専門家の委嘱を依頼する。
委嘱後,必要書類を添えた申出書を全ての対象債権者へ同時に提出する。
登録支援専門家は債務者と債権者のいずれにも利害関係を持たない中立・公正な支援者であり,債務者だけの代理人ではない。
3 一時停止
各対象債権者が申出書を受領した時から,ガイドライン上の一時停止が始まる。
一時停止中,対象債権者は原則として,弁済請求,担保権実行,強制執行,仮差押え又は法的倒産手続開始の申立て等を行わず,債務者も一部債権者への弁済や無断の財産処分等を行わない(ガイドライン本文6頁~7頁及びガイドラインQ&A19頁~20頁)。
一時停止はガイドライン参加者間の自主的な取扱いであり,法律上の包括的な執行停止命令ではない。
4 調停条項案と特定調停
債務者は,原則として申出から3か月以内に調停条項案を作成し,登録支援専門家を経由して全対象債権者へ提出する。
事業から生ずる将来収益により事業の再建・継続を図る個人事業主の場合は,原則4か月以内である。
必要があるときは,理由を通知して3か月を超えない範囲で提出期限を延長できる(ガイドライン本文8頁)。
対象債権者は,説明後原則1か月以内に,同意,同意の見込み又は不同意を書面で回答する。
全ての対象債権者から同意又は同意の見込みを得られなければ,合理的期間内に案を修正して合意形成できる場合等を除き,ガイドライン手続は不成立となる。
全ての対象債権者から同意又は同意の見込みを得たときは,簡易裁判所へ特定調停を申し立てる(ガイドライン本文10頁及び特定調停法)。
特定調停で合意が成立し,調書に記載されれば,その記載は裁判上の和解と同一の効力を有する(民事調停法16条)。
民事調停法17条の調停に代わる決定がされ,適法な異議がなかった場合に手続が成立することもある。
第6 デメリット及び注意点
1 多数決又は強制認可の制度ではないこと
ガイドラインには法的強制力がなく,対象債権者の多数決で少数債権者を拘束する制度でもない。
原則として,全ての対象債権者から調停条項案への同意又は同意の見込みを得られなければ,特定調停の申立てへ進めない(ガイドラインQ&A28頁~29頁)。
2 返済困難なら誰でも利用できるわけではないこと
自然災害との因果関係,支払不能又はそのおそれ,誠実な情報開示,債権者にとっての経済合理性及び免責不許可事由の不存在等を説明する必要がある。
単に返済額を減らしたい場合又は災害前から重大な延滞や財産隠し等がある場合には,利用できないことがある。
3 一時停止と費用に限界があること
一時停止は対象債権者を規律する自主的なルールであるから,手続に参加していない者に対する法的な執行停止の効力はない。
また,登録支援専門家の報酬は利用者負担ではないものの,裁判所費用,証明書取得費用,私選代理人費用等まで全て無料になるわけではない。
4 不成立時に他の債務整理を検討する必要があること
ガイドラインが不成立となった場合には,任意整理,個人再生又は自己破産等を改めて検討することになる。
自己破産を検討するときは,免責不許可事由と裁量免責を区別する必要があるため,破産免責の許可・不許可の限界事例も参照されたい。
第7 個人事業主と税務
1 個人事業主の事業継続
個人事業主も利用できるが,事業継続を前提とする場合には,事業価値と再建可能性を示す必要がある。
調停条項案には,資産・負債,収益・費用,事業見通し,資金繰り,弁済計画等を反映させるため,非事業者より資料作成と検証の負担が大きくなる。
事業継続に不可欠な資産を残せるかは,公正な価額,弁済原資及び債権者間の衡平を踏まえて個別に調整される。
2 債務免除益の所得税上の取扱い
国税庁は,ガイドラインに基づいて作成・確定した調停条項により債権放棄が行われるという照会事例について,対象債務者の債務免除益を所得税法上の総収入金額に算入しないとの見解を示している(国税庁の文書回答)。
ただし,文書回答は照会の事実関係を前提とする一般的回答であり,個別の課税関係は具体的事実により異なり得る。
第8 新型コロナウイルス感染症の特則
新型コロナウイルス感染症については,通常の自然災害ガイドラインを補完する特則が令和2年12月1日から適用されている。
対象債務は,①令和2年2月1日以前に負担した既往債務と,②同月2日から同年10月30日までに感染症の影響による収入又は売上げの減少へ対応することを主目的として受けた一定の貸付け等に起因する債務である(新型コロナ特則2頁~3頁)。
通常の自然災害と対象債務の基準が異なるため,コロナ関連債務は借入時期及び借入目的を個別に確認する必要がある。
第9 利用状況
運営機関が公表する令和8年6月末時点の自然災害案件は,登録支援専門家に手続支援を委嘱した件数が1541件,うち手続中が139件,うち特定調停の申立てに至っているものが10件であり,債務整理成立件数は679件である(運営機関の利用状況)。
これらは同じ時期に開始した案件群を追跡した数値ではないため,成立件数を委嘱件数で単純に割って制度の成功率又は個別案件の成立可能性を示すことはできない。
第10 被災後の初動
返済を続けるために高金利の借入れを増やし,又は一部の債権者だけへ弁済してから相談するよりも,早期に借入先へ状況を説明する方がよい。
まず,①借入先と残高,②毎月の返済額,③収入減少の時期と原因,④被災した住居・勤務先・事業所・取引先,⑤保険金,支援金及び今後の収入見込み,⑥保有財産,⑦保証人の有無を整理する。
次に,対象災害を運営機関の公式サイトで確認し,元金総額が最大の借入先へ「自然災害債務整理ガイドラインによる手続着手を希望する」と申し出る。
運営機関をかたる偽サイトも確認されているため,申出先は借入先金融機関又は運営機関の公式サイトから確認すべきである。
第11 出典
1 ガイドライン及び運用資料
自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン2頁~12頁
同ガイドラインQ&A7頁~33頁
運営機関のガイドライン案内
運営機関の手続の流れ
運営機関の利用状況
新型コロナウイルス感染症に適用する場合の特則1頁~5頁
2 法令
破産法252条
特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律
民事調停法16条~18条
3 行政機関等の資料
金融庁「新型コロナウイルス感染症・災害関連情報」
金融庁「金融庁の1年(2024事務年度版)」第2部第6章第8節・資料1
国税庁「『自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン』に基づき作成された調停条項に従い債権放棄が行われた場合の課税関係について」
全国銀行個人信用情報センター「自然災害債務整理ガイドラインを受けた対応について」