第1 この記事の対象と結論
1 対象とする場面
地域別最低賃金は毎年改定され,改定のたびに,月給のうち基本給を時間額に直すと最低賃金を下回る,という問題が生じることがある。
固定残業代(定額残業代)を支払っている会社では,「固定残業代を含めれば最低賃金を上回っている」「総額を変えずに固定残業代の一部を基本給へ振り替えればよい」と考えられることがある。
本記事は,最低賃金法の計算方法と,固定残業代の有効性及び労働条件の変更の観点から,これらの対応の問題点を整理する。
固定残業代が有効になる要件そのもの(判別可能性・対価性)は,固定残業代が有効になる要件―判別可能性・対価性と最高裁7判決で扱っている。
本記事の条文は,令和8年9月28日時点の現行法をe-Gov法令検索で確認した。
都道府県ごとの最低賃金額と発効年月日は,厚生労働省の地域別最低賃金の全国一覧で確認する必要がある。
2 結論の要点
①時間外労働,休日労働及び深夜労働に対して支払われる賃金は,最低賃金を満たしているかの計算に算入しない(最低賃金法4条3項2号,最低賃金法施行規則1条2項)。
固定残業代を含めて最低賃金を満たしていると考えることはできない。
②基本給等を時間額に直して最低賃金を下回ると,その部分は無効となり,最低賃金と同様の定めをしたものとみなされる(最低賃金法4条2項)。
③基本給等が最低賃金を下回る状態で「固定残業代」とされていた手当について,通常の労働時間の賃金に当たる部分が含まれているとして,固定残業代としての効力を認めなかった裁判例がある(東京地裁令和6年5月17日判決)。
④総額を変えずに固定残業代を減らして基本給を増やす振替は,労働者にとって不利益な変更になりうる。
そのため,労働者の自由な意思に基づく同意か,合理的な就業規則の変更が必要になる。
⑤賃金総額を維持したまま手当を組み替えた賃金体系について,割増賃金の支払を認めなかった最高裁判決がある(最高裁令和5年3月10日判決)。
第2 最低賃金を満たしているかの計算
1 算入する賃金と算入しない賃金
(1) 最低賃金法4条
最低賃金法4条1項は「使用者は、最低賃金の適用を受ける労働者に対し、その最低賃金額以上の賃金を支払わなければならない。」と定める。
同条3項は,次の賃金を最低賃金を満たしているかの計算に算入しないとする。
①「一月をこえない期間ごとに支払われる賃金以外の賃金で厚生労働省令で定めるもの」(1号)
②「通常の労働時間又は労働日の賃金以外の賃金で厚生労働省令で定めるもの」(2号)
③「当該最低賃金において算入しないことを定める賃金」(3号)
(2) 最低賃金法施行規則1条
最低賃金法施行規則1条1項は,4条3項1号の賃金を「臨時に支払われる賃金及び一月をこえる期間ごとに支払われる賃金」とする。
同条2項は,4条3項2号の賃金を次のとおりとする。
①「所定労働時間をこえる時間の労働に対して支払われる賃金」(1号)
②「所定労働日以外の日の労働に対して支払われる賃金」(2号)
③午後10時から午前5時までの労働に対して支払われる賃金のうち「通常の労働時間の賃金の計算額をこえる部分」(3号)
1号は「所定労働時間」を超える労働としており,法定労働時間内の所定時間外労働(いわゆる法内残業)の対価も含まれる。
固定残業代は,時間外労働等の対価として有効に支払われている限り,これらの賃金に当たるから,最低賃金を満たしているかの計算には算入されないと考えられる。
2 月給制の時間換算
最低賃金は時間額で定められるため,月給制では月給を時間額に換算して比べる。
最低賃金法施行規則2条1項3号は,月によって定められた賃金について「その金額を月における所定労働時間数(月によつて所定労働時間数が異なる場合には、一年間における一月平均所定労働時間数)で除した金額」とする。
例えば(数字は仮のものである),月平均所定労働時間が160時間で,最低賃金が時間額1100円であれば,比べる月額は17万6000円(1100円×160時間)以上でなければならない。
年間休日の日数を変えると月平均所定労働時間も変わるので,改定のたびにこの分母も確かめる必要がある。
3 改定の効力発生日と違反した場合
(1) 効力発生日
地域別最低賃金の改正の決定は,公示の日から起算して30日を経過した日(決定で別に後の日を定めたときはその日)から効力を生ずる(最低賃金法14条2項)。
発効日以後の労働には改定後の最低賃金が適用されると考えられるので,賃金計算期間の途中に発効日があるときは,発効日以後の部分を分けて確かめる必要がある。
(2) 契約の効力と罰則
最低賃金法4条2項は「最低賃金の適用を受ける労働者と使用者との間の労働契約で最低賃金額に達しない賃金を定めるものは、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、最低賃金と同様の定をしたものとみなす。」と定める。
また,地域別最低賃金について4条1項に違反した者は,50万円以下の罰金に処される(同法40条)。
第3 固定残業代が最低賃金の判断に与える影響
1 固定残業代を含めて最低賃金を満たすとはいえない
第2の1のとおり,時間外労働等の対価は最低賃金の計算に算入しない。
したがって,基本給と固定残業代の合計を月平均所定労働時間で割って最低賃金と比べる計算は,誤りである。
比べるのは,基本給と,最低賃金の計算に算入される手当(算入しない賃金を除いたもの)の合計である。
2 基本給が最低賃金を下回る場合の固定残業代(東京地裁令和6年5月17日判決)
(1) 事案
東京地裁令和6年5月17日判決(令和4年(ワ)第31750号,判例秘書の判例番号 L07931090)は,警備会社で警備業務等に従事していた労働者が,未払の割増賃金等を求めた事案である。
会社は「調整手当」を固定残業代として支給しており,割増賃金の算定の基礎となる賃金は基本給,職能給,役職手当及び隊長手当であると主張した。
判決は,会社の主張する基礎賃金(令和2年3月分は基本給13万円と役職手当3万円,同年4月分から令和3年8月分までは基本給13万円と役職手当4万円)を月平均所定労働時間174時間で割ると,時間額は920円又は977円となり,当時の東京都の最低賃金1013円を相当程度下回ると認定した。
本判決は裁判所HP未掲載で,判例秘書で全文を確認した(判例秘書では控訴審の判決は見当たらなかった)。
(2) 判断
判決は,労働者が「調整手当(固定残業代)」と記載された雇用契約書に署名したことがあっても,最低賃金を下回る労働条件を了承するとは考え難く,会社がその旨を説明したとも認められないとした。
また,10年以上勤務しても基本給が6000円しか増えない一方で,調整手当が7万円以上増えていた賃金の経過も指摘した。
そのうえで,調整手当には固定残業代以外の通常の労働時間の賃金に当たる部分が含まれ,判別ができないとして,令和2年3月分から令和3年8月分までの調整手当を固定残業代の定めとして有効とは認めなかった。
会社は,時給を東京都の最低賃金で計算しても,調整手当等で割増賃金相当額を支払えていると主張した。
しかし判決は,固定残業代と認められない理由は,基礎賃金が最低賃金を下回ることなどから「調整手当には、固定残業代以外の通常の労働時間の賃金に当たる部分が含まれていると認められる点にあり」,最低賃金で計算しても結論は左右されないとした。
(3) この判決から分かること
基本給等が最低賃金を下回っていることは,最低賃金法違反の問題にとどまらず,固定残業代とされた手当に通常の労働時間の賃金が紛れ込んでいることを推認させる事情として扱われうる。
固定残業代が有効と認められなければ,その手当は割増賃金の支払に当たらず,通常の労働時間の賃金として割増賃金の算定の基礎にも含まれることになるので,未払額は大きくなる(計算の考え方は固定残業代が有効になる要件の第4で扱っている)。
ただし,本判決は一つの地裁判決であり,基本給が最低賃金を下回れば固定残業代が常に無効になるという一般的な基準を示したものではない。
本判決も,契約書の記載,説明の有無,基本給と手当の推移を合わせて判断している。
第4 基本給への振替と労働条件の変更
1 総額を変えない振替が不利益になりうる理由
最低賃金を下回った部分は,最低賃金法4条2項により,最低賃金と同様の定めをしたものとみなされる。
その一方で,固定残業代の定めは,有効である限りそのまま残る。
そのため,総額を変えずに固定残業代を減らして基本給を増やす振替は,最低賃金法を当てはめた状態と比べると,労働者の受け取る賃金を減らす方向に働くことがあると本記事では整理する。
仮の数字で示すと,次のようになる。
①振替前:基本給17万円+固定残業代3万円=20万円(最低賃金に照らして比べる月額は17万6000円とする)
②最低賃金法4条2項を当てはめた状態:基本給は17万6000円と同様の定めをしたものとみなされ,固定残業代3万円はそのまま残るので,合計20万6000円
③総額を維持した振替:基本給17万6000円+固定残業代2万4000円=20万円
③は②と比べて月6000円少ない。
実際の時間外労働が固定残業代の想定時間を超える場合は差額の支払が生じるので,差の大きさは勤務状況によって変わるが,労働者にとって不利益になりうることに変わりはない。
2 個別の同意による場合(最高裁平成28年2月19日判決)
(1) 合意による変更
労働契約法8条は「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる。」と定める。
もっとも,賃金に関する労働条件の変更について,労働者が同意書に署名したという事実だけで同意があったと扱うことはできない。
(2) 自由な意思に基づく同意
最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決(平成25年(受)第2595号,民集70巻2号123頁)は,就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無について,次のように判断すべきであるとした。
「当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく,当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも,判断されるべきものと解するのが相当である」。
振替について同意を得るときは,第4の1のような不利益の内容を具体的に説明したうえで,書面で同意を得ることが考えられる。
3 就業規則の変更による場合
労働契約法9条は,使用者は,労働者と合意することなく就業規則を変更して労働者の不利益に労働条件を変更することはできないとし,ただし書で10条の場合を除いている。
同法10条は,変更後の就業規則を労働者に周知させ,かつ,変更が「労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき」は,労働条件は変更後の就業規則によるとする。
最低賃金の引上げに対応する必要があることは変更の必要性の一事情になりうるが,最低賃金法が求めているのは最低賃金額以上の支払であって,固定残業代を減らすことではない。
そのため,変更の必要性と不利益の程度をどのように説明できるかが問題になる。
就業規則の変更の基本は,就業規則とは―記載事項・作成届出・周知・変更・懲戒の基本で扱っている。
4 総額を維持した組替えと割増賃金(最高裁令和5年3月10日判決)
(1) 事案
最高裁令和5年3月10日第二小法廷判決(令和4年(受)第1019号,集民270号77頁。熊本総合運輸事件)は,運送会社が,労働基準監督署の指導を契機に新たな賃金体系を導入した事案である。
新たな賃金体系の下でも,労働者の総労働時間や賃金総額は従前とほとんど変わらなかったが,基本給が増額される一方で基本歩合給が大幅に減額され,新たに調整手当が導入された。
(2) 判断
判決は,時間外手当と調整手当は,割増賃金の内訳として計算上区別された数額に名称が付されているという以上の意味はなく,全体として時間外労働等の対価として支払われるものかを問題とすべきであるとした。
そして,新たな賃金体系を前提とすると通常の労働時間の賃金が1時間当たり平均約840円となり,従前の1300円~1400円程度から大きく減少すること,月平均80時間弱の時間外労働を前提として算定される額をも上回る調整手当が支払われていたこと,十分な説明がされたともうかがわれないことを指摘した。
そのうえで,新たな賃金体系は,その実質において,従前は通常の労働時間の賃金として支払われていた賃金の一部について,「名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系である」とし,割増賃金の支払を認めなかった。
(3) 最低賃金への対応に当てはめると
この判決は最低賃金への対応を扱ったものではないが,賃金総額を変えないまま手当の名目や内訳を組み替えても,賃金体系全体における位置付けから,割増賃金の支払と認められないことがあることを示している。
最低賃金の引上げに合わせて手当の内訳を組み替える場合も,組替えの前後で通常の労働時間の賃金の水準がどう変わるかを確認する必要がある。
5 東京地裁令和6年5月17日判決の組替え部分
第3の2の判決の事案では,令和3年9月分以降,その他手当を除く賃金総額は変わらないまま,調整手当が4万5000円(一部の月は2万1000円)に減らされ,職能給3万8800円が新たに支払われるようになった。
判決は,令和3年8月分までの調整手当が固定残業代と認められない以上,「同年9月分以降の調整手当を固定残業代と認めることは、原告の労働条件を不利益に変更するものであり」,労働者は新しい契約書に署名押印しておらず,同意を認める証拠もないとして,9月分以降の調整手当も固定残業代として有効とは認めなかった。
総額を維持した組替えについて,同意がないことを理由に効力を認めなかった例である。
第5 最低賃金の改定前に点検すること
1 計算の点検
①基本給と,最低賃金の計算に算入される手当の合計を,月平均所定労働時間で割り,改定後の最低賃金額と比べる(最低賃金法施行規則2条1項3号)。
②固定残業代,時間外手当,休日手当,深夜手当は比べる額に入れない(同規則1条2項)。
③年間休日数を変えた場合は,月平均所定労働時間も計算し直す。
④発効日をまたぐ賃金計算期間では,発効日以後の労働について改定後の額で確かめる。
2 下回る場合の対応
①基本給等を引き上げる方法を基本に検討し,固定残業代を減らして穴埋めする方法は,第4の不利益変更の問題を伴うことを前提に検討する。
②基本給を引き上げると割増賃金の単価も上がるので,固定残業代の額が想定時間数に足りているかを計算し直し,足りなければ差額を支払う。
③振替や組替えをする場合は,不利益の内容と理由を具体的に説明し,個別に書面で同意を得るか,就業規則の変更の合理性を検討する。
④雇用契約書,賃金規程及び求人票の固定残業代の表示(時間数,金額,超過分の支払)を改める(求人票の表示は固定残業代が有効になる要件の第5で扱っている)。
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第7 出典
1 法令
①最低賃金法(e-Gov法令検索)4条,14条2項,40条
②最低賃金法施行規則(e-Gov法令検索)1条,2条1項
③労働契約法(e-Gov法令検索)8条,9条,10条
2 裁判例
①最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決(平成25年(受)第2595号)民集70巻2号123頁
②最高裁令和5年3月10日第二小法廷判決(令和4年(受)第1019号)集民270号77頁
③東京地裁令和6年5月17日判決(令和4年(ワ)第31750号,判例秘書の判例番号 L07931090)(裁判所HP未掲載)
3 所管行政機関の資料
①厚生労働省地域別最低賃金の全国一覧