第1 結論―法令の適用対象とイベント全体の安全判断を分ける
社内運動会や屋外イベントの熱中症対策では,少なくとも三つの場面を分けて考える必要がある。
第一は,会社の指示で設営,受付,進行,警備又は片付け等を行う労働者に対する労働安全衛生法令上の措置である。
第二は,外注先の従業員や個人事業者を含む運営スタッフ間の役割分担である。
第三は,一般参加者,招待者及びボランティア等を含むイベント全体の安全確保である。
令和7年6月1日施行の労働安全衛生規則612条の2は,一定の暑熱環境下で行われる作業について,報告体制及び症状悪化防止の手順を事前に整備し,作業者へ周知するよう事業者に求めている。
しかし,同条は,すべての屋外イベントについてWBGTが一定値になれば自動的に中止すると定めた規定ではない。
また,一般参加者全員に対する主催者の義務が,同条だけで決まるわけでもない。
主催者は,労働者に対する法令上の措置と,参加者を含むイベント全体の安全判断を重ねて準備する必要がある。
第2 安衛則612条の2が直接適用される場面
1 対象となる暑熱な場所と作業時間
厚生労働省の令和7年5月20日付け通達は,「暑熱な場所」をWBGT28度以上又は気温31度以上の場所とし,その場所で連続して1時間以上又は1日当たり4時間を超えて行われることが見込まれる作業を,対象となる「熱中症を生ずるおそれのある作業」と説明している。
定常的な業務に限られず,臨時の設営,撤去又は誘導等でも,この条件を満たすことが見込まれれば対象になり得る。
会場内の一地点だけでなく,出張先,複数の作業場所及び作業場所間の移動も対象になり得る。
原則は実際の作業場所でWBGT又は気温を測ることである。
通風のよい屋外作業など,天気予報や環境省の熱中症予防情報サイトで判断できる場合には,それらを使うことも認められている。
ただし,同じ会場内でも,直射日光,地面からの照り返し,風通し及びテントの有無によって条件は変わる。
2 報告体制と対応手順を事前に定める
対象作業を行わせる事業者は,作業者本人に熱中症の自覚症状がある場合又は他の作業者に熱中症の疑いがあることを発見した場合の報告体制を,あらかじめ整備して周知しなければならない。
さらに,作業場ごとに,作業からの離脱,身体の冷却,必要に応じた医師の診察・処置その他症状の悪化を防ぐ措置と,その実施手順を定めて周知する必要がある。
緊急連絡網,搬送先の連絡先及び誰が救急要請を判断するかまで具体化しておくことが重要である。
飲料水を用意しただけで,この二つの義務を履行したことにはならない。
3 一般参加者に同条が当然に直接適用されるわけではない
厚生労働省通達は,周知等の対象となる「作業者」について,労働者だけでなく,労働者と同じ場所でその作業に従事する労働者以外の者も含むと説明している。
他方,安衛則612条の2の義務主体は事業者である。
競技や催しに参加するだけの一般参加者と,会社の指示で運営作業をする従業員とを一括して,「全員に同条が直接適用される」と説明するのは正確でない。
一般参加者についても,主催者と参加者の関係,主催者が管理する危険の範囲,イベントの内容,参加者の年齢・健康状態,実際の指示及び危険の具体的な予見可能性によって,契約上又は不法行為法上の安全確保義務が問題となり得る。
第3 WBGTは何を示し,何を決めないか
1 気温だけで判断しない
WBGT(暑さ指数)は,気温だけでなく,湿度,日射・輻射及び風の影響を取り入れた指標である。
天気予報の最高気温が同じでも,会場の地面,日陰,風通し及び運動強度によって危険は変わる。
環境省は,熱中症特別警戒アラートの発表時について,イベント等の管理者が現地のWBGT等を実測し,適切な対策を取れない場合は中止又は延期を検討するよう示している。
広域の予測値だけでなく,実際に人が活動する場所を確認する必要がある。
2 スポーツ指針と法的義務を混同しない
日本スポーツ協会の熱中症予防運動指針は,WBGT31度以上では「運動は原則中止」とし,特に子どもの場合は中止すべきであるとする。
また,WBGT28度以上31度未満では「厳重警戒(激しい運動は中止)」としている。
これは,スポーツ活動の安全判断に重要な専門指針である。
ただし,あらゆるイベントに直接適用される一律の法定中止基準ではない。
実際の判断では,運動強度,時間,休息,参加者の特性,暑熱順化,現場の測定値及び救護体制を合わせて評価する。
3 中止・延期・内容変更の基準を事前に決める
主催者は,少なくとも次の事項を開催前に決めておくとよい。
①誰が,どの場所で,何時からWBGTを測るか
②どの数値,アラート又は現場状況で,休憩延長,種目変更,時間短縮,屋内移動,中止若しくは延期を判断するか
③決定権者と,その者が不在の場合の代行者
④参加者,運営担当者,会場及び委託先へ連絡する方法
⑤中止後の参加費,会場費,委託費及び保険手続を誰が処理するか
数値基準は,判断を機械化するためではなく,費用や日程への配慮によって安全判断が遅れるのを防ぐために使う。
第4 成人の任意参加でも主催者の中止義務が問題となった判決
1 大阪地裁平成27年4月17日判決
大阪地裁平成27年4月17日判決(平成23年(ワ)第4873号,判例秘書の判例番号 L07050238)は,商業イベントの特別番組に向けた駅伝の試走リハーサルに参加した成人が熱中症を発症した事案である。
主催会社は参加者に対して安全配慮義務を負うこと自体を争わず,その具体的内容が争われた。
したがって,この判決だけから,すべてのイベント主催者がすべての参加者に同じ内容の安全配慮義務を負うという一般命題を導くことはできない。
2 裁判所が中止義務違反を認めた事情
裁判所は,主催会社が会場の気温,相対湿度及びWBGT等を測らなかった点を,熱中症の危険の指標となる環境条件の測定を怠ったものと評価した。
その上で,参加者が熱中症発症のリスクがある環境に長時間いたこと,1回目の試走後に別の参加者へ熱中症が疑われる症状が現れたこと,交代要員がいなくなって参加者が脱退を申し出にくい状況になったことなどを重視した。
そして,参加者が成人であり,2回目の運動量自体がそれほど多くなかったことを考慮しても,主催会社は2回目の試走を中止すべきであったとして,中止義務違反を認めた。
「任意参加である」「成人である」「無理ならやめてよいと伝えた」という事情だけで,主催者側の判断が常に不要になるわけではないことを示す事例である。
他方,裁判所は,原告側が主張したすべての義務違反を認めたわけでもない。
3 請求棄却という主文だけでは判決を理解できない
判決の主文は原告らの請求をいずれも棄却した。
しかし,裁判所は,主催会社の中止義務違反と急性期の損害との因果関係を認め,損害を154万3015円と算定している。
請求が棄却されたのは,後遺症と義務違反との相当因果関係を認めなかったことに加え,主催会社が事故後に177万0481円を支払っており,認められた損害賠償請求権が弁済により消滅していたためである。
この判決は一審判決であり,個別事情に基づく判断である。
また,令和7年施行の安衛則612条の2より前の事案である。
現在の法令を直接解釈した判決としてではなく,主催者の具体的な中止判断に関する事例として位置付ける必要がある。
第5 主催者が準備しておく事項
1 開催前
①一般参加者,従業員,外注スタッフ及びボランティアの役割を区分する。
②各従業員について,誰が事業者として安全衛生上の措置を講ずるかを確認する。
③会場ごとのWBGT測定位置,時刻及び担当者を決める。
④休憩場所,冷却設備,飲料,緊急連絡網,搬送先及び救急要請の手順を準備する。
⑤中止,延期,時間短縮,種目変更及び屋内移動の基準と決定権者を決める。
⑥参加者が不利益を心配せず中止又は離脱を申し出られる連絡方法を示す。
⑦会場,委託先,参加者及び保険会社との契約で,中止時の費用と通知期限を確認する。
2 開催中
①会場の実測値,測定時刻,測定場所及び天候を記録する。
②予定した休憩が実際に取れているかを確認する。
③本人の申告だけに頼らず,ふらつき,反応の低下その他の異変にも注意する。
④一人に異変が出たとき,その人だけの問題とせず,同じ環境で活動する全員について継続の可否を見直す。
⑤交代要員の不足,進行の遅れ又は費用負担等を理由に,安全上必要な中止判断を遅らせない。
3 事故発生後
①症状の発見時刻,作業又は運動から離脱させた時刻,冷却等の措置,連絡及び搬送の経過を記録する。
②事故前の実測値,役割表,運営マニュアル,連絡記録及び写真・映像を保全する。
③医療機関,労働基準監督署,保険会社その他の関係先への連絡の要否を,事故の性質に応じて確認する。
④原因調査と被災者への対応を分けず,必要な支援を行いながら,事実関係を正確に残す。
第6 労働時間,返金・保険及び写真公開は別に検討する
社内行事への参加が労働時間に当たるかは,参加の強制,業務との結び付き及び本人の役割によって判断する。
熱中症対策の義務が問題になることと,行事の全時間が当然に労働時間になることは同じではない。
また,安全のため中止することが合理的でも,参加費の返金,会場費・委託費及び興行中止保険の結論は,各契約の内容によって決まる。
安全判断と費用清算を区別する必要がある。
行事写真のホームページ・SNS掲載では,熱中症対策とは別に,肖像権,プライバシー,個人情報及び撮影者の著作権を確認する。
① 職場の飲み会・歓送迎会・接待は業務か――参加の強制,労働時間,労災及び飲酒の強要
② イベント中止のキャンセル料は誰が負担するか―参加費の返金,委託費と興行中止保険
③ 運動会・社内行事の写真をホームページやSNSに載せてよいか―肖像権,個人情報と同意の範囲
④ 龍野高校テニス部熱中症事故判決の批判的検討―学校現場・医学的知見・注意義務の限界
第7 出典と確認範囲
① 労働安全衛生規則612条の2
② 厚生労働省・令和7年5月20日基発0520第6号「労働安全衛生規則の一部を改正する省令の施行等について」
③ 環境省・熱中症特別警戒アラート及び熱中症警戒アラート
④ 日本スポーツ協会・熱中症予防のための運動指針
⑤ 大阪地裁平成27年4月17日判決(平成23年(ワ)第4873号,判例秘書の判例番号 L07050238。判例秘書で判決全文確認済み)
⑥ 大阪地方裁判所・特別保存事件一覧表(平成27年度完結分)
上記裁判例は判例秘書で判決全文を確認し,大阪地方裁判所の特別保存事件一覧で事件番号及び終局日を照合した。
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日本スポーツ協会の運動指針は専門的な安全指針であり,法令そのものではない。