第1 シンガポール法の養育費の基本
シンガポールのWomen’s Charter 1961(女性憲章)68条は,裁判所の命令又は合意に別段の定めがある場合を除き,父母が子を扶養し,又はその扶養に寄与する義務を負うと定める。
子が父母のどちらに監護されているか,婚内子であるか婚外子であるかにかかわらず,父母の資力と生活上の地位に照らして合理的な住居,衣服,食事及び教育を提供し,又はその費用を支払うことが基本となる。
同法69条2項は,親が自活できない子に合理的な養育費を提供することを怠り,又は拒んだ場合に,裁判所が月額又は一時金の支払を命じることができるとする。
日本の実務でいう養育費に近いが,日本の養育費算定表をそのまま使う制度ではない。
| 質問 | シンガポール法の基本線 | 個別事件で確認する事項 |
|---|---|---|
| 誰が負担するか | 父母の双方が子の扶養に責任を負う | 監護状況,父母の資力,既存の合意・命令 |
| いくらか | 一律の法定割合ではなく,事件の事情から決める | 子の必要,収入・資産,生活水準,教育等 |
| 何歳までか | 原則として21歳まで | 障害,National Service,教育・訓練,特別事情 |
| どのように請求するか | Family Justice Courtsの手続を利用する | 離婚手続中か,Part 8の独立申立てか |
| 国外の相手へ請求できるか | 指定国との相互執行制度がある | 相手国,判断の種類,送達,財産所在地 |
第2 誰が請求できるか
Women’s Charter 1961の69条3項によれば,子の後見人又は現に子を監護している者が養育費を申し立てることができる。
子が21歳以上である場合は子本人,子が21歳未満である場合は21歳以上の兄弟姉妹も,同項所定の条件の下で申立人となり得る。
申立ての前には,出生証明書,親子関係,子を現に監護している者,父母と子の住所,既存の養育費合意・裁判所命令及び支払履歴を確認する。
当事者の国籍が日本又はシンガポールであるという事実だけで,国際裁判管轄又は準拠法が当然に決まるわけではない。
日本の裁判所で請求する場合の申立人,法定代理及び準拠法については,国際扶養の準拠法及び国際養育費の請求と回収も確認する必要がある。
第3 シンガポールの養育費はいくらか
1 固定の割合又は定額ではない
Women’s Charter 1961の69条4項は,裁判所が事件のすべての事情を考慮するとし,子の経済的必要,収入・稼働能力・資産その他の経済的資源,心身の障害,婚姻当事者の年齢と婚姻期間,家庭への貢献,従前の生活水準,予定されていた教育・訓練方法等を挙げる。
同法68条が父母の資力と生活上の地位を考慮すると定めることからも,検索で見つけた一定割合を機械的に掛けて金額を決めるものではない。
実際には,住居費,食費,衣類費,保育料,学費,教材費,医療費,交通費,課外活動費等について,必要性,頻度,支払先及び負担済みの親を整理する。
父母双方の給与明細,税務・社会保険関係資料,銀行取引,資産・負債,他の扶養負担及び実際の生活水準も,支払能力を検討する資料となる。
2 命令の形
Singapore Courtsの養育費案内は,定額の月払い,特定費用の全部又は一部の償還,保育施設等のサービス提供者への直接払いを,代表的な命令として挙げる。
裁判所の裁量により,申立日前の日にさかのぼって支払を命じる場合もある。
月額だけでなく,学校・医療費の実費分担,支払期限,証憑の提示方法,送金手数料,通貨及び為替差を明確にすることが,将来の未払い紛争を減らす。
第4 シンガポールの養育費は何歳までか
Women’s Charter 1961の69条5項・6項によれば,養育費命令は原則として子が21歳になった日に終了する。
ただし,心身の障害,フルタイムのNational Service,教育機関での就学又は職業・専門訓練,その他の特別の事情により養育費が必要な場合は,21歳を超える期間の命令が認められ得る。
21歳を超える命令は自動的に続くものではなく,命令自体が21歳後も続く期間を明示する必要がある。
進学予定,学業の内容と期間,National Serviceの状況,障害と生活能力,収入及び具体的費用を資料化する。
したがって,「21歳になれば必ず終了する」「大学を卒業するまで必ず続く」のいずれも正確ではない。
既存命令の文言と69条5項の例外を照合して判断する。
第5 離婚前,離婚手続中及び離婚後の申立て
Singapore Courtsの案内は,配偶者又は子について,新規の養育費命令,既存命令の変更・停止・取消し及び未払い命令の執行をFamily Courtsへ申し立てる手続を案内する。
Part 8の独立した養育費申立てはiFAMSを利用する一方,離婚手続中の養育費は離婚手続の一部として扱われ,離婚事件でされた命令の変更には別の手続が必要となる。
子の養育費は,父母の婚姻が解消した後にだけ問題となるものではない。
親が子への合理的な扶養を怠り,又は拒んでいる場合は,離婚前又は離婚と別の手続で請求できる余地がある。
ムスリム婚の場合も,Singapore Courtsは,Women’s Charterに基づきFamily Courtsで子の養育費を申し立てることができる旨を案内する。
もっとも,配偶者扶養,Syariah Courtの手続及び離婚事件との関係は区別して確認する。
第6 申立方法と必要書類
Singapore Courtsの申立案内によれば,新規申立てはいつでもでき,変更申立ては命令後,執行申立ては相手方が命令に従わなかった後に行う。
iFAMSによるオンライン提出が推奨されるが,必要書類をFamily Justice Courts又は指定機関へ持参して確認・提出する工程がある。
新規申立てでは,身分証明書又は旅券,婚姻証明書,対象となる子の出生証明書等を準備する。
養育費の金額に関する資料として,子の費用一覧,請求書・領収書,父母の収入・資産資料,住居・教育・医療費及び既存の支払記録も整理する。
申立て後は,送達,調停,Mentions Courtでの進行確認及び審理へ進むことがある。
合意に至らない場合は裁判官が申立てを審理し,命令の内容を決める。
離婚又は後見事件に付随する養育費については,iFAMSによるPart 8の独立申立てと同じ手続とは限らない。
どの事件類型に属するかを最初に確定する。
第7 金額の変更と未払い時の執行
Women’s Charter 1961の72条は,養育費を受ける者又は支払う者等の事情が変わった場合その他の正当な理由がある場合に,命令の取消し又は変更を認める。
裁判所は,一般的な生活費の変化も考慮できる。
同法73条は,子の福祉のため合理的である場合に,子の養育費に関する合意を裁判所が変更できるとする。
父母間の合意があることだけで,将来の変更可能性が完全に排除されるとは扱わない。
未払い命令を執行する場合は,身分証明書,婚姻証明書,出生証明書,執行する各命令と該当条項,月ごとの未払額表,指定口座の銀行取引明細,実費償還命令に関する領収書等を準備する。
同法71条は養育費の支払を確保するための給与差押命令を定め,Part 9は養育費命令の執行手続を定める。
反復する執行事件では,Maintenance Enforcement Officerによる情報収集又は調整手続へ付される場合がある。
具体的な執行方法は,命令の内容,未払額,支払義務者の勤務・資産及び他の執行手続の有無に応じて選ぶ。
第8 当事者又は財産が日本にある場合
1 国外にいる相手への命令
Singapore Courtsの案内は,一般に両当事者がシンガポールにいることを前提とし,一方が国外に居住する場合は,Maintenance Orders (Reciprocal Enforcement) Act 1975に基づく指定国にいるときに限って養育費命令をすることができる旨を示す。
国外の相手方に対する暫定的命令は,相手方の住所・写真等を添えて指定国へ送付され,その国の裁判所が確認して初めて効力を生じる仕組みである。
令和8年10月16日現在の指定国一覧には,英国王室属領,ブルネイ,カナダの一部州・準州,インド,マレーシア等が列挙されているが,日本は含まれていない。
したがって,相手方が日本に居住する事件で,この指定国間の暫定命令・確認手続を当然に利用できるとは説明できない。
2 外国の判断又は財産に対する執行
シンガポールの養育費命令があるだけで,日本の給与,預金又は不動産をシンガポールの手続から直接差し押さえられるわけではない。
反対に,日本の調停調書,審判又は判決も,シンガポールで当然に執行されるわけではない。
どの国に適切な判断があり,支払義務者と財産がどこにあるかを確認し,承認・執行の対象,送達,確定,翻訳,現地の申立人資格及び執行方法を国ごとに調べる。
MOREAの指定国に日本が含まれないことは,日・シンガポール間のあらゆる請求又は承認・執行が不可能であることを意味しないが,同法の指定国ルート以外の可否・方法は個別に確認する必要がある。
国際事件の共通手順は,国際養育費の請求と回収を参照されたい。
日本国内の財産に対する回収方法は,養育費を払わない場合の回収方法で整理している。
第9 よくある質問
1 シンガポールの養育費はいくらですか
一律の法定月額又は収入割合ではなく,子の具体的必要,父母の資力,生活水準,教育・訓練等を踏まえて決める。
毎月の生活費と不定期の教育・医療費を分け,資料で説明できるようにする。
2 養育費は21歳までですか
原則は21歳までであるが,障害,フルタイムのNational Service,教育・職業訓練又は特別事情があれば,21歳を超える命令が認められ得る。
既存命令が21歳後の期間を明示しているかも確認する。
3 離婚前でも子の養育費を請求できますか
親が子への合理的な扶養を怠り,又は拒んでいる場合は,Part 8の独立した養育費申立てを検討できる。
離婚手続中又は後見事件中は別の手続になることがあるため,事件類型を確認する。
4 国から養育費を受け取る制度ですか
本記事で扱うWomen’s Charterの養育費は,主として親に対する支払命令であり,国が一般的に未払養育費を立て替える制度として説明するものではない。
生活支援その他の公的給付は,養育費命令と分けて対象要件を確認する。
5 養育費は海外でも差し押さえられますか
命令だけで外国財産を直接差し押さえられるわけではなく,執行国でその判断を利用できるか,必要な承認・確認手続と財産の所在を調べる必要がある。
日本はシンガポールのMOREA指定国一覧に含まれないため,日・シンガポール間では同法の指定国ルートを前提にしない。
第10 受任時に確認する資料
①子と父母の国籍,住所・居所・常居所の変遷。
②出生証明書,婚姻証明書,離婚関係書類及び監護・親権関係書類。
③養育費の合意書,Family Justice Courtsその他の裁判所命令。
④子の生活費,教育費,医療費等の一覧と領収書。
⑤父母双方の収入,資産,負債及び他の扶養負担に関する資料。
⑥支払開始日,各月の支払期,支払済額及び未払額の一覧。
⑦支払義務者の勤務先,銀行口座,不動産その他の財産所在地。
⑧送達,確定,翻訳,公証・認証及び現地代理人の要否。
最初に「シンガポールで新たに請求する」「シンガポールの命令を日本で使う」「日本の判断をシンガポールで使う」のどの経路を検討するかを明確にする。
同じ未払分を二重に回収しないよう,申立て,命令,入金及び執行の状況を一つの表で管理する。
第11 出典と調査範囲
本記事は,令和8年10月16日現在のWomen’s Charter 1961第68条から第73条,Singapore Courtsの養育費申立て案内及びMaintenance Orders (Reciprocal Enforcement) (Designation of Reciprocating Countries) Notification 2016を中心に整理した。
個別事件では,申立日現在の条文・手続,国際裁判管轄,準拠法,送達及び執行地の法を改めて確認する必要がある。
・Women’s Charter 1961 Part 8
・File a maintenance application(Singapore Courts)
・How to apply for, enforce, vary, rescind or suspend a maintenance order(Singapore Courts)
・Maintenance Orders (Reciprocal Enforcement) (Designation of Reciprocating Countries) Notification 2016