第1 個人の借主は,立退料の中身を先に確認する
個人が住居,店舗又は事務所を明け渡して立退料を受け取る場合,名目が「解決金」「移転費用」「慰謝料」であることだけでは,課税関係は決まらない。
国税庁は,借家権の消滅の対価,事業の収入又は必要経費の補填,その他の部分に分けて所得区分を示している。
合意する金額を決める前に,何を補う給付か,費用を控除できるか,どの年分で申告するかを整理することが重要である。
本記事は,個人の借主が受け取る金銭を対象とする。
貸主が支払う立退料の必要経費・取得費の処理,法人の受領及び公共事業の補償の特例は,対象となる制度が異なるため別に検討する。
基準日は令和8年10月14日であり,国税庁の令和8年4月1日現在法令等と,対象施行版の法令本文を参照する。
第2 明渡しのための給付と,損害賠償金を分ける
1 正当事由を補う給付という位置付け
普通建物賃貸借の更新拒絶・解約申入れでは,借地借家法28条が,建物の使用の必要性,従前の経過,利用状況,建物の現況等と,明渡しの条件又は引換えとして申し出る財産上の給付を考慮する。
そのような明渡しのための給付であることと,不法行為その他の事故による損害を賠償する給付であることは,判断の出発点が異なる。
民事上の立退料を算定する項目と,税務上の所得区分・費用控除の項目を,同じものとして自動的に扱わない。
2 引越費用の補填でも当然に非課税ではない
所得税法9条1項18号・施行令30条の損害賠償金等の非課税規定は,心身又は所定の資産損害等を対象とする。
建物を明け渡す合意のために受け取る金銭は,実際に引越費用を支払ったことだけで,事故による損害賠償金と同じ扱いになるわけではない。
一方,建物の不具合や事故による独立した損害の賠償が同じ支払に含まれる場合は,その部分の原因,損害の内容及び金額を別に確認する。
非課税の検討では,まず損害賠償金等の対象に該当するかを確認し,次に収入又は必要経費を補う部分の取扱いを調べる。
国税庁No.1700は,負傷による収益補償と,棚卸資産や事業上の必要経費の補填を区別している。
「収益補償だから全部課税」「損害賠償だから全部非課税」という一律の処理は避ける。
第3 立退料の所得区分は三つに分けて検討する
国税庁No.3155の整理は,次のとおりである。
総額をどれか一つへ機械的に分類するのではなく,実質の異なる部分があるかを確認する。
| 給付の性格 | 国税庁が示す所得区分 | 確認する資料 |
|---|---|---|
| 借家権の消滅の対価に相当する部分 | 総合課税の譲渡所得 | 賃貸借契約,権利の内容,対価の算定根拠 |
| 事業の休業等による収入又は必要経費を補う部分 | 事業所得等 | 休業期間,売上資料,継続する費用,補償計算書 |
| 上記のいずれにも当たらない部分 | 一時所得 | 合意の目的,交渉経過,明渡条件,金額の根拠 |
所得税基本通達33-6は,借家権の消滅の対価に相当する部分と,それ以外の立退料を分けている。
居住用か事業用かだけで結論を決めず,何が失われ,何のために支払われる金銭なのかを確認する。
例えば,交渉前から廃業が決まっていた場合は,立退きによる休業の収入補償という説明が実際の経過に合うかを検討する必要がある。
第4 一時所得の収入と,控除できる支出を混同しない
1 実費を使ったことと非課税は別の問題
一時所得に分類される場合も,受取総額がそのまま課税計算の最終額になるわけではない。
所得税法34条2項は,その収入を生じた行為をするため又は原因の発生に伴い直接要した金額に限って,収入を得るために支出した金額を控除する。
引越し,廃棄,仲介,設備の購入等の各支出について,給付との関係と法定の範囲を資料に即して判断する。
返還される敷金,新居の設備を良くする支出,日常生活費などを,立退料の全額から一括して引いてよいとは限らない。
同じ支出を事業所得の必要経費と一時所得の支出で二重に控除しないよう,領収書と所得区分を対応させる。
これらは個々の支出の分類を確認するための実務上の注意である。
2 特別控除と総所得への算入
一時所得の特別控除は最高50万円であり,その年の一時所得の計算で適用する。
支払の内訳を分けたからといって,各項目ごとに50万円を繰り返し控除するものではない。
所得税法22条2項2号は,一時所得の金額の2分の1を総所得金額に算入する仕組みを定める。
仮に,その年の一時所得の収入がこの立退料200万円だけで,法定の控除対象と確認できる支出が30万円あるとする。
一時所得の金額は200万円-30万円-50万円=120万円,総所得金額への算入額はその2分の1の60万円となる。
この例は引越費用30万円の全額控除を一般に認めるものではなく,控除対象の確認を済ませた場合の計算例である。
第5 年分,申告及び申告後の訂正を確認する
受領日だけではなく,合意成立日,給付を受ける条件,明渡日,金額の確定及び分割払の約定を一つの時系列にする。
所得税法36条の収入すべき金額を,合意の具体的な内容に対応させて検討する。
同じ総額でも,条件の有無や所得区分により確認すべき計上時点が異なる。
既に申告した後に所得区分や非課税性を見直す場合は,課税標準・税額等がどう変わるかを先に確認する。
国税庁No.2026は,納め過ぎなどの是正を更正の請求,納税額の不足などの是正を修正申告として説明する。
更正の請求の通常の期間は原則として法定申告期限から5年以内であるが,還付申告等の起算点や後発的事由の要件・期間は別に確認する。
更正の請求を出したことと,請求した説明が法律上正しいことは別である。
国税通則法23条4項により,税務署長は調査に基づき更正をし,又は更正をすべき理由がない旨を通知する。
民事上「解決金」という名目にしたことだけを,更正の請求の根拠にしない。
第6 合意前に弁護士と税理士が共有する資料
1 当初の請求と,最終的に合意した給付を分ける
交渉当初に引越費用や営業損失を請求したことと,最終合意でその費用や損失の補償を定めたことは同じではない。
当初請求,貸主の回答,金額計算書,最終合意書及び実際の支払を対応させると,給付の性質を説明しやすくなる。
総額の合意しかない場合は,そのことを記録し,後から事実にない内訳を作らない。
2 税務上の取扱いを当事者間の合意だけで決めない
合意書には,総額,実際に合意した内訳,明渡し・支払の条件,期日,資料の交付及び費用の負担を明確にする。
借主の税引後資金が新居の契約・移転に足りるかを確認することも,解決額の検討に役立つ。
「当事者は非課税とする」と書いても,その記載だけで税務上の判断が拘束されるわけではない。
弁護士は民事上の給付原因と合意内容を整理し,税理士は所得区分,対象年分,控除,申告の要否及び計算を確認する。
請求の提出を要する場合は,担当者,期限及び提出・到達の証拠も共有する。
これは資料と判断を引き継ぐための実務上の整理であり,両者の職務範囲を個別事情にかかわらず一律に定めるものではない。
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法的な性質決定を答案形式で確認するには,令和5年度司法試験租税法第1問の模範解答と評価項目を参照できる。
試験答案は問題文の法令基準日・除外事項に従うため,現実の申告の税額計算へそのまま移すものではない。
第8 出典及び確認範囲
e-Gov法令検索「所得税法」9条,22条,34条,36条。
e-Gov法令検索「所得税法施行令」30条,94条,95条。
e-Gov法令検索「国税通則法」23条。
e-Gov法令検索「借地借家法」28条。
国税庁No.3155「借家人が立退料をもらったとき」,No.1700「加害者から治療費,慰謝料及び損害賠償金などを受け取ったとき」,No.2026「確定申告を間違えたとき」(各ページの法令等の基準日表示を参照)。
所得税基本通達33-6(借家人が受ける立退料)。
法令本文と国税庁の公表解釈を根拠として,資料の対応方法,合意前の確認順序及び仮定の計算例を示した。
これらの実務上の整理は,法令・通達がそのまま指定した様式ではない。
個別の明渡合意の所得区分は,権利の内容,給付原因及び費用の事実関係に即して判断する。