第1 委任契約書を作成する原則
1 30条と報酬規程5条
弁護士職務基本規程30条1項は,事件を受任するに当たり,弁護士報酬に関する事項を含む委任契約書を作成することを弁護士の義務としている。
さらに,弁護士の報酬に関する規程5条は,受任時の報酬・その他の費用の説明,委任契約書の作成及び記載事項を定める。
本記事は,令和8年10月3日に確認した日弁連の公表本文と,日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編著『解説 弁護士職務基本規程[第4版]』(日本弁護士連合会,2026年)129頁~130頁に基づき,作成時期,例外及び確認事項を整理する。
同解説が述べる見解は日弁連の公式見解ではなく,本記事の実務上の提案とも区別して参照されたい。
契約書は,依頼者の委任意思,受任範囲及び費用を明確にし,後日の認識の食い違いを防ぐためのものである。
裁判所へ提出する訴訟委任状と,弁護士と依頼者との契約条件を定める委任契約書とは,役割が異なる。
訴訟委任状を受け取ったことだけで,30条の委任契約書を作成したことにはならない。
2 説明と契約書をそろえる
29条の受任時の説明と30条の契約書作成は,別々に点検する必要がある。
説明をしたから契約書が不要になるという関係ではなく,契約書に金額を書いたから見通し・処理方法・費用の説明を尽くしたという関係でもない。
説明義務・報告義務の専門記事も参照されたい。
第2 作成時期と2種類の例外
1 困難な事由がある場合の後日作成
30条1項ただし書は,作成することに困難な事由があるときは,その事由がやんだ後に作成すると定める。
これは作成義務を残したまま時期を遅らせる規定であり,作成不要の例外とは異なる。
緊急の対応を先行させる場合でも,困難な事由の内容と解消時点を記録し,解消後の作成を管理することが実務上の確認事項となる。
「忙しかった」「後で作るつもりだった」という説明だけで,当然にただし書に当たるとはいえない。
依頼者との意思確認や費用説明についても,何を,いつ,どの方法で確認できたかを残すことが望ましい。
2 合理的理由がある場合の作成不要
30条2項は,法律相談,簡易な書面の作成,顧問契約その他継続的な契約に基づく事件その他合理的な理由がある場合に,作成を要しないとする。
解説第4版129頁は,その場で仕事が終了して支払も済む場合や,継続的関係の下で受任内容・報酬が明らかな場合を説明する一方,作成しなかった合理的理由を弁護士側で十分説明できることを求めている。
依頼者と旧知の間柄であることは,それだけで作成義務を免除する理由にならない。
| 場面 | 点検する事項 | 作成・記録の扱い |
|---|---|---|
| 受任時に作成が困難 | 困難な事由と解消の見込み | 事由がやんだ後に作成する。理由と作成予定を管理する。 |
| その場で終了する法律相談 | 相談の範囲,料金,終了した業務 | 2項の例外を検討する。後に交渉・訴訟を受任する場面とは分ける。 |
| 継続的な顧問契約の業務 | 基本契約の対象範囲と報酬,今回の業務との関係 | 既存契約で明確な範囲を確認する。別料金の訴訟等を当然に含めない。 |
| 友人・知人からの依頼 | 通常の事件受任か,ほかに合理的理由があるか | 親しい関係だけを理由として省略しない。 |
第3 契約書に記載する事項
1 報酬規程5条4項の必須事項
報酬規程5条4項は,①受任する法律事務の表示及び範囲,②報酬の種類・金額・算定方法・支払時期,③委任事務の終了に至るまで契約を解除できる旨,④中途終了した場合の清算方法を記載事項として定める。
30条の「報酬に関する事項を含む」という文言だけを見て,受任範囲や解除・清算の記載を省略してよいと考えるべきではない。
2 受任範囲と費用を具体化する
例えば,「離婚事件」という表示だけでは,交渉,調停,第一審訴訟,控訴,保全及び執行のどこまで含むかについて認識が違うことがある。
どの手続を受任し,追加の手続では何を協議するかを明示することが望ましい。
成功報酬は,何を経済的利益又は成果とし,どの時点の数値で算定するかを確認する。
実費,立替金,日当,消費税及び預り金の処理についても,実際の説明と契約書をそろえる。
解説第4版130頁は,実費の清算方法や,預り金を受ける場合の処理の記載を望ましいものとして挙げている。
第4 中途終了時の清算と返還
1 解除できることと費用の清算は別である
民法651条は,各当事者がいつでも委任を解除できるとする一方,不利な時期の解除等について損害賠償が問題となる場合も定める。
解除できることから,既に行った業務の報酬がすべてなくなるとも,受領した着手金がすべて返還不要になるとも一律にはいえない。
契約内容,報酬の性質,既にした業務及び民法の適用を区別して判断する必要がある。
2 契約条項と実際の履行を照合する
民法648条3項は,中途終了等の場合の既履行割合に応じた報酬を定め,成果に対する報酬には648条の2の規定がある。
本記事では,個々の「返金しない」条項の有効性や具体的な清算額までは判定しない。
契約書には清算方法を明記し,終了時にはその方法,処理済み業務,受領額,立替実費,預り金及び返還額を照合して説明することが必要である。
職務基本規程45条は,委任終了に当たり,契約に従って金銭を清算した上,預り金・預り品を遅滞なく返還する義務を定める。
中途終了の手続は辞任の記事,金銭の管理は預り金の記事を参照されたい。
第5 追加業務と契約条件の変更
1 別の手続へ移るとき
交渉から調停・訴訟へ進む場合,上訴する場合,新たな相手方への請求を追加する場合などは,既存の受任範囲に含まれるかを先に確認する。
これは,各移行で必ず新たな独立契約書が必要であると一律にいう趣旨ではない。
追加の合意が必要な範囲を確認し,変更後の業務・報酬・費用を,後から両者が同じ内容で確認できる形に残すことが実務上の提案である。
2 電子契約を利用する場合
民法522条2項が契約成立の方式について定めることと,職務基本規程30条の作成義務をどの電磁的方法で満たすかは,検討する問題が異なる。
本記事で確認した日弁連公表条文及び解説第4版の該当頁だけから,すべての電子メールや電子署名サービスが30条に適合するとまでは断定しない。
利用する場合は,最終合意内容,依頼者本人の承諾,変更履歴,交付方法及び契約データを後から確認できる保存方法を点検し,30条との関係について必要な追加資料を確認する。
第6 契約書がない場合の効力と懲戒
1 私法上の契約と職務上の義務
民法643条は,法律行為の委託と承諾により委任の効力が生じると定める。
契約書がないことだけから,委任契約が必ず成立していない,又は報酬を必ず請求できないと結論付けることはできない。
報酬合意の存否・内容を判断する問題と,弁護士が30条等の作成義務に違反したかを判断する問題を分ける必要がある。
2 作成義務違反を説明だけで補えない場合
解説第4版130頁は,集団訴訟で契約書を作成せず高額の報酬を請求・受領した事例について,原告団集会で報酬を含めて説明したことを契約書作成と同視できないとした日弁連懲戒委員会平成26年6月9日議決を紹介する(『弁護士懲戒事件議決例集』第17集14頁)。
ここでの紹介は,同解説が掲げる議決の要旨に基づくものであり,本記事では議決本文全体を確認したものとして扱わない。
この例から処分の種類や程度を一般化することもできない。
第7 受任時・変更時・終了時の確認表
| 時点 | 確認する内容 | 残す記録 |
|---|---|---|
| 受任時 | 委任意思,業務の範囲,報酬・実費,解除と清算 | 契約書と説明の記録。例外を用いる場合はその理由。 |
| 条件変更時 | 追加業務,追加費用,既存条件との関係 | 変更合意の内容,説明・承諾の日時,最終版。 |
| 中途終了時 | 終了時点,処理済み業務,清算額,残る期限 | 結果説明,清算明細,預り金・預り品の返還記録。 |
第8 関連記事及び出典
1 関連記事
① 弁護士職務基本規程の現行条文・条文別索引・主要論点
② 弁護士の説明義務・報告義務
③ 弁護士報酬請求に関する懲戒事例
④ 弁護士が受任事件を途中で辞任するときのルール
2 出典
① 日本弁護士連合会「弁護士職務基本規程(会規第70号)」29条・30条・44条・45条。
② 日本弁護士連合会「弁護士の報酬に関する規程(会規第68号)」5条。
③ e-Gov法令検索「民法」522条・643条・648条・648条の2・651条。
④ 日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編著『解説 弁護士職務基本規程[第4版]』(日本弁護士連合会,2026年)129頁~130頁,153頁。