認知症その他の精神上の障害により責任能力を欠く人が第三者へ損害を与えても,同居の配偶者,子又は成年後見人が,その肩書だけで民法714条の賠償責任を負うわけではありません。
最高裁平成28年3月1日判決は,まず法定の監督義務者に当たる法的根拠を確認し,それがない場合には,監督を引き受けたと評価できる特段の事情があるかを具体的な生活・介護状況から判断するという枠組みを示しました。もっとも,家族自身に具体的な危険を防止すべき注意義務違反があれば,民法709条の責任が別に問題となります。
第1 結論
- 本人に責任能力がなければ,本人は民法713条により原則として賠償責任を負いません。
- 民法714条は,責任無能力者を監督する法定の義務を負う者又は法定の監督義務者に代わって監督する者の責任を定めます。
- 配偶者,子,成年後見人又は介護に関与する親族というだけで,当然に714条責任を負うものではありません。
- 法定の監督義務者でなくても,監督を引き受けたとみるべき特段の事情がある者には,714条1項が類推適用されることがあります。
- 714条の責任主体でなくても,家族又は事業者自身の具体的な過失があれば,709条責任は別に成立し得ます。
第2 民法713条・714条・709条の関係
1 本人の責任能力―民法713条
民法713条本文は,精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態で他人に損害を加えた者は,賠償責任を負わないと定めています。診断名だけで決まるものではなく,加害行為時に,当該行為の責任を理解する能力があったかが問題です。
同条ただし書は,故意又は過失により一時的にその状態を招いた場合を除外します。認知症事案では,診療録,認知機能検査,要介護認定資料,日常生活上の問題行動及び事故前後の状況を集め,事故時点の能力を具体化します。
2 監督義務者等の責任―民法714条
本人が713条により責任を負わない場合,714条1項は,法定の監督義務者に賠償責任を負わせます。ただし,監督義務を怠らなかったとき,又は監督義務を怠らなくても損害が生じたときは免責されます。同条2項は,監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者にも同じ規律を及ぼします。
3 自己の過失責任―民法709条
714条は,責任無能力者の行為について監督義務者等が負う特別の責任です。これとは別に,家族,施設,医療機関その他の者が,自ら具体的な危険を作り,放置し,又は防止すべき注意義務に違反した場合には,709条に基づく自己の不法行為責任が問題となります。
第3 JR東海事件の事案と結論
最高裁平成28年3月1日第三小法廷判決(平成26年(受)第1434号・第1435号)は,認知症により責任能力を欠く91歳の男性が駅構内の線路へ立ち入り,列車と衝突して死亡した事故について,鉄道会社が男性の妻と長男に,民法709条又は714条に基づく損害賠償を求めた事件です。
男性は妻と同居し,長男の妻が近隣へ転居して日常の介護を補助していました。長男は遠方に住み,月数回訪問し,介護方針の決定や財産管理等に関与していました。事故時,妻は85歳で要介護1の認定を受けていました。
最高裁は,長男に対する請求を認めなかった原審の結論を維持し,妻に対する請求を一部認めた原判決を破棄して請求を棄却しました。妻・長男のいずれも,法定の監督義務者にも,これに準ずべき者にも当たらないと判断したものです。
第4 家族・成年後見人が当然に責任を負うわけではない
1 配偶者
民法752条の同居・協力・扶助義務は,夫婦相互間の義務であり,第三者との関係で配偶者を監督する作為義務を当然に課すものではありません。したがって,認知症者と同居する配偶者であることだけで,民法714条1項の法定監督義務者にはなりません。
2 子その他の親族
子であること,又は扶養義務を負うことだけから,親の行動を監督する第三者に対する義務は導かれません。介護方針を相談した,財産管理に関与した,又は定期的に訪問したという事実は重要ですが,それだけで結論は決まりません。
3 成年後見人
現行民法858条の身上配慮義務は,成年後見人が法律行為を行う際に,本人の意思を尊重し,心身の状態及び生活状況に配慮することを求める規定です。最高裁は,この規定が,成年後見人に事実行為として現実の介護を行い,又は本人の行動を監督することまで求めるものではないとしました。
成年後見人は民法859条により財産管理及び財産に関する法律行為の代表を担いますが,その権限から24時間の身体的監督義務が当然に生ずるわけではありません。ただし,後見人自身が具体的な危険防止措置を引き受け,その実施に過失があった場合の709条責任は別問題です。
第5 法定監督義務者に準ずべき者の判断要素
最高裁は,法定の監督義務者でない者でも,責任無能力者との身分関係や日常の接触状況に照らし,第三者への加害防止に向けた監督を現に行い,その態様が単なる事実上の監督を超え,監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情があれば,衡平の見地から714条1項を類推適用できるとしました。
該当性は,次の事情を総合して判断します。
- 責任を問われる者自身の生活状況・心身の状況
- 本人との親族関係の有無・濃淡
- 同居の有無と日常的な接触の程度
- 本人の財産管理への関与
- 本人の心身の状況
- 徘徊その他の問題行動の有無・内容・頻度
- 監護・介護の実態と役割分担
- 現に監督しているか,又は監督することが可能かつ容易か
この枠組みは,「介護に深く関わるほど賠償責任を負う」という単純なものではありません。現実の介護負担,年齢・健康状態,居住距離,権限,危険の性質及び取り得た措置を含め,その者に責任を負わせることが衡平かを客観的に判断します。
第6 民法709条による自己の過失責任
714条の「監督義務者等」に該当しないとの判断だけで,家族・施設・事業者の責任が全て否定されるわけではありません。709条責任を検討するときは,次の順序で事実を特定します。
- 事故前に具体的な危険を認識し,又は認識できたか。
- その者に危険を管理する権限・能力・機会があったか。
- 警報,施錠,同行,見守り,施設利用,関係機関への連絡等の具体的措置が可能であったか。
- その措置を執ることが本人の尊厳・行動の自由,介護者の健康及び介護の現実と両立したか。
- 措置を講じていれば事故を回避できた蓋然性があるか。
- 損害の範囲と因果関係を立証できるか。
抽象的な「見守り不足」ではなく,誰が,いつ,どの危険を把握し,どの措置を執ることが可能で,どのように事故を防げたかを具体化する必要があります。
第7 被害者側・家族側の主張立証
1 共通して収集すべき資料
- 診療録,主治医意見書,認知機能検査及び事故時の責任能力に関する資料
- 要介護認定資料,ケアプラン,介護サービス利用記録
- 徘徊・事故・警察保護等の過去の記録
- 同居・別居,訪問頻度,連絡状況及び介護分担を示す記録
- 財産管理,契約,施設選択及び危険防止措置を誰が決定したかを示す資料
- センサー,施錠,位置情報機器その他の設備と作動状況
- 事故直前の行動,目撃,映像,交通・施設記録
2 被害者側
責任能力の欠如を前提とするなら,714条の法定監督義務者又は準ずべき者に当たる具体的事実を主張します。同時に,709条について,事故の具体的予見可能性,危険管理の権限,実行可能な防止措置及び因果関係を別建てで構成します。
3 家族・後見人側
親族関係だけでなく,年齢,健康状態,居住距離,権限,介護サービス,役割分担及び本人の行動の自由との調整を示します。事故防止措置については,措置を講じなかったことだけでなく,施錠等が本人の興奮・転倒等の別の危険を高めた事情,代替措置及び支援体制を具体化します。
第8 成年後見制度改正との関係
法務省の公表資料によれば,令和8年法律45号は,成年後見・保佐を廃止して補助へ一元化し,本人に必要な範囲・期間で利用できる制度へ見直す内容を含みます。成年後見制度に関する改正部分は,令和8年6月24日の公布日から2年6月以内の政令で定める日に施行されます。
したがって,令和8年10月1日現在の事件処理では,事故時・行為時の現行法を確認する必要があります。改正後も,制度上の支援権限と,第三者に対する身体的な監督義務とは同じ概念ではありません。個別事件では,選任審判,代理権・同意権の範囲,支援計画,実際の関与及び施行期日を確認します。
第9 確認資料と未確認事項
1 一次資料として確認したもの
- 前記最高裁平成28年3月1日第三小法廷判決の裁判所公表全文
- e-Gov法令検索の民法713条・714条・858条・859条
- 前記法務省「民法等の一部を改正する法律」(成年後見及び遺言の制度の見直し)
2 確認の限界
- 判例秘書は認証済み検索を実施していません。検索0件,ヒット件数不明,全文取得0件であり,収録の有無は未確認です。
- JR東海事件の原判決全文,上告受理申立て理由書及び全評釈を網羅確認したものではありません。
- 同判決後の下級審裁判例及び保険実務を網羅検索したものではありません。
- 個別案件では,事故時の責任能力,候補者ごとの関与,危険の予見可能性,保険契約及び事故時の法令を改めて確認する必要があります。
認知症者の事故では,「家族だから責任がある/ない」という二択では足りません。本人の責任能力,法定監督義務の根拠,準ずべき者の具体的関与,自己の過失及び損害・因果関係を,それぞれ別の要件として主張立証することが重要です。