第1 この記事で扱う場面と検討の順序
1 この記事の対象
(1) 問題となる場面
不動産の贈与,売買又は相続の登記では,本人が,家族や取引の相手方に,実印,印鑑登録証明書及び登記済証(いわゆる権利証)を預けて,登記手続を任せることがある。
預かった者がこれらを使い,本人に無断で,本人を保証人とする保証契約を結んだり,本人の不動産に抵当権を設定したりしたときに,本人がその契約の責任を負うかが問題になる。
(2) 本記事の資料と基準日
本記事は,この場面を,民法109条及び110条の表見代理と,これを適用した最高裁判所の判決に沿って整理する。
法令は令和8年9月25日時点でe-Gov法令検索に掲載されている条文により,最高裁判所の判決は裁判所ウェブサイトに掲載された全文により,下級審の判決は判例秘書に収録された全文により確認した。
現在の不動産登記法では,登記名義人となる申請人に登記識別情報が通知され(同法21条),共同申請では登記義務者の登記識別情報を提供することとされている(同法22条)。
本記事で紹介する最高裁判所の判決はいずれも昭和期のものであり,事案に現れるのは当時の登記済証である。
このうち昭和45年,昭和46年及び昭和51年の各判決は原判決を破棄して差し戻したものであり,差戻し後の判決は,判例秘書で差戻し先の高等裁判所の判決を検索した範囲では見当たらなかった。
2 本記事での検討の順序
(1) 五つの検討事項
本記事では,次の順序で検討する。
①その契約書等が本人の意思で作られたか(文書の成立の真正)
②本人の意思によらない場合,預かった者に代理権があったか(無権代理)
③代理権がなくても,表見代理によって本人が責任を負うか
④保証契約であれば,現在の民法が定める方式を満たしているか
⑤本人が責任を負わない場合,相手方は誰に何を請求できるか
(2) 文書の成立の真正との関係
①について,民事訴訟法228条4項は,「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」と定める。
実印の印影から文書の成立を推認する二段の推定と,印章の盗用・冒用によってこれが覆る場面は,二段の推定とは──私文書の成立の真正(民事訴訟法228条4項)と実印・認印,立証の実務で整理している。
本記事は,預かった者による冒用が認められた後の②以下を扱う。
第2 表見代理の条文と主張立証の構造
1 民法109条――代理権を与えた旨の表示
(1) 条文
民法109条1項は,「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」と定める。
同条2項は,表示された代理権の範囲外の行為についても,第三者にその他人の代理権があると信ずべき正当な理由があるときに限り,表示をした者が責任を負うと定めている。
(2) 相手方の悪意・過失は本人の側が主張立証する
最高裁判所第二小法廷昭和41年4月22日判決(昭和39年(オ)第264号,民集20巻4号752頁)は,「民法一〇九条にいう代理権授与表示者は、代理行為の相手方の悪意または過失を主張、立証することにより、同条所定の責任を免れることができるものと解すべきである。」と判示した。
現在の109条1項も,相手方の悪意又は過失を,本文とは別のただし書に置いている。
同判決の事案では,本人らは,代理人と称した者に根抵当権設定契約の代理権を授与していなかったが,これを授与した旨を表示したと認められた。
代理人と称した者は,本人らの不動産の登記済権利証,本人らの白紙委任状及び印鑑証明書等を所持し,自らが代表取締役を務める会社の債務を担保するため,相手方との間で根抵当権設定契約を結んだ。
相手方の代理人として契約に当たった者は,会社にも代理人と称した者個人にも見るべき資産がないことを知っていた一方で,本人らとは面識がなく,不動産を評価するために本人ら方を訪れたことがあったのに,代理権を確かめる措置をとらなかった。
最高裁は,このような事実関係の下では,相手方は直接本人らに代理権の有無を確かめる取引上の義務を負い,これを怠って代理権があると信じたことには過失があるとして,109条の表見代理は成立しないとした。
2 民法110条――権限外の行為
(1) 条文と要件
民法110条は,「前条第一項本文の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。」と定める。
本記事では,同条の要件を,①代理人が何らかの代理権(基本代理権)を持っていたこと,②その権限の外の行為をしたこと,③第三者が代理人に権限があると信ずべき正当な理由があったことの三つに分けて検討する。
110条は,第三者に正当な理由があるときに109条1項本文を準用するという形をとっているから,表見代理の成立を主張する相手方の側で,正当な理由を基礎付ける事情を示すことになると考えられる。
家庭裁判所の許可が必要な行為を相続財産清算人が許可なく行った場合の表見代理については,相続財産清算人の権限外行為許可―許可が要る行為と要らない行為,類型別の留意点及び申立ての方法でも触れている。
(2) 令和2年4月1日より前の条文との関係
e-Gov法令検索で令和2年3月1日施行の版を見ると,109条は現在の1項に当たる規定だけであり,110条は「前条本文の規定」を準用していた。
現在の形になったのは,平成29年法律第44号による改正のうち同年4月1日に施行された部分からである。
本記事で紹介する最高裁判決は,いずれもこの改正より前の条文の下での判断である。
第3 登記手続の依頼は基本代理権になるか
1 公法上の行為の代理権は原則として基本代理権にならない
(1) 印鑑証明書の交付申請の依頼
最高裁判所第一小法廷昭和39年4月2日判決(昭和37年(オ)第912号,民集18巻4号497頁)は,「取引の安全を目的とする表見代理制度の本旨に照らせば」,110条の表見代理に必要な基本代理権は,「私法上の行為についての代理権であることを要し、公法上の行為についての代理権はこれに当らないと解するのが相当である。」と判示した。
同判決の事案で,本人から依頼されて処理した行為は印鑑証明書の下付申請という公法上の行為であり,私法上の行為の代理権については主張も立証もなかったため,抵当権設定契約について表見代理の問題を生ずる余地がないとされた。
最高裁判所第三小法廷昭和41年11月15日判決(昭和40年(オ)第683号,集民85号97頁)も,印鑑証明書下付申請についての代理権は基本代理権となり得ないとしている。
(2) 私法上の行為の代理権も与えられている場合
昭和39年4月2日判決は,括弧書きで,私法上の法律関係に関連して公法上の行為の代理権を与えられた者は,何らかの私法上の行為についても代理権を与えられている場合が多いであろうとし,その場合は,その私法上の行為の代理権が基本代理権となり得ると述べている。
したがって,依頼の中身が印鑑証明書の取得だけであったのか,売買契約の締結や代金の受領その他の私法上の行為を含んでいたのかを,依頼の経緯から確かめることが出発点になる。
親の財産の処分を子に任せる場面で委任状に対象財産や可能な行為を明記する意味は,親が元気なうちの実家じまい・生前整理―処分同意,重要書類,デジタル遺品及び家族間記録のチェックリストでも触れている。
2 私法上の契約の履行としての登記申請は基本代理権になり得る
(1) 昭和46年判決の事案
最高裁判所第一小法廷昭和46年6月3日判決(昭和45年(オ)第305号,民集25巻4号455頁)の事案では,本人が,自己所有の土地を贈与した相手から求められ,その土地の所有権移転登記手続のため,実印,印鑑証明書及び土地の登記済証を受贈者に交付した。
受贈者は,本人の承諾を得ないまま,これらを使って,本人を代理して債権者との間で連帯保証契約を締結した。
原判決は,本人が委任したのは所有権移転登記手続という公法上の行為であるとして,表見代理の主張を排斥していた。
(2) 昭和46年判決の判断
最高裁は,登記申請行為が公法上の行為であることを認めつつ,その行為は私法上の契約に基づいてされるものであり,登記がされるときは契約上の債務の履行という私法上の効果を生ずるから,同時に私法上の作用を有するとした。
そのうえで,「その登記申請行為が本件のように私法上の契約による義務の履行のためになされるものであるときは、その権限を基本代理権として、右第三者との間の行為につき民法一一〇条を適用し、表見代理の成立を認めることを妨げないものと解するのが相当である。」と判示し,原判決を破棄して差し戻した。
同判決は,実体上登記義務を負う者が登記申請を他人に委任して実印等を交付した場合に,受任者の権限の外観に対する第三者の信頼を保護する必要があることは,一般の私法上の行為の代理権を与えた場合と異ならないと述べている。
同判決が判断したのは基本代理権の有無であり,連帯保証契約について正当な理由があったかどうかは,差戻し後の審理に委ねられた。
差戻し後の判決は見当たらず,最終的な結論は確認できていない(第1の1参照)。
不動産登記に関するその他の主要な判例は,不動産登記の主要判例・調査資料・関連記事一覧で整理している。
3 基本代理権と実際にされた行為の種類が違ってもよい
最高裁判所第三小法廷昭和40年11月30日判決(昭和38年(オ)第1457号,集民81号221頁)は,110条の基本代理権は,「権限外の行為と同一の種類性質のものであることを必要とせず、また、同条の正当理由の原因であることを要しない」とした。
登記手続を任された者が保証契約や担保設定契約を結んだ場合のように,依頼された行為と実際の行為の種類が異なることは,それだけで110条の適用を妨げない。
問題の中心は,第4で述べる正当な理由の有無に移る。
4 登記書類一式が転々とした場合
(1) 昭和45年判決の事案
最高裁判所第三小法廷昭和45年7月28日判決(昭和44年(オ)第174号,民集24巻7号1203頁)の事案では,本人が山林を売り渡し,買主の代理人を介して,権利証,印鑑証明書,名宛人等を白地とした売渡証書及び受任者等を白地とした白紙委任状を買主に交付した。
その後,買主から別の山林との交換を委任されて各書類の交付を受けた同じ代理人が,これを示して本人の代理人のように装い,第三者との間で交換契約を結んだ。
原判決は,本人が各書類を交付した趣旨は買主への所有権移転登記手続に尽きるとして,109条の適用を否定していた。
(2) 代理権を与えた旨の表示と評価された理由
最高裁は,各書類は本人から信頼を受けた特定の者の間で授受されたにすぎないから,その者が各書類を示して本人の代理人として契約を結んだ以上,本人は第三者に対し代理権を与えた旨を表示したものというべきであるとした。
そして,第三者に代理権があると信ずべき正当な理由があるならば,本人は109条・110条によって責任を負うとして,原判決を破棄して差し戻した。
登記書類一式を交付することは,登記手続の依頼にとどまらず,代理権を与えた旨の表示と評価されることがあるから,書類を預ける側では,交付の相手と目的を記録に残しておくことが考えられる。
第4 「正当な理由」はどう判断されるか
1 実印と印鑑証明書を持参していても足りない場合
(1) 昭和51年判決の事案
最高裁判所第二小法廷昭和51年6月25日判決(昭和50年(オ)第978号,民集30巻6号665頁)の事案では,会社の代表取締役が,取引先である電気製品の販売会社から,継続的売買取引上の債務について連帯保証人を立てるよう求められた。
代表取締役は,本人から,会社が社員寮を借りるについて保証人となる承諾と保証契約締結の権限を得て実印を借り,市役所で本人の印鑑証明書の交付も受けた。
代表取締役は,その権限を越えて,会社が現在又は将来負担する商取引上の一切の債務を連帯して支払う旨の根保証約定書を本人名義で作成し,本人の実印を押して印鑑証明書を添え,販売会社に差し入れた。
(2) 原則と特段の事情
最高裁は,後記の昭和39年9月15日判決及び昭和44年12月19日判決を引用して,代理人が権限を越えて署名代理の方法で本人名義の契約書を作成し,相手方がその契約書の作成及び契約の締結が本人の意思に基づくと信じた場合も,正当な理由がある限り,110条の類推適用により本人が責任を負うとした。
そして,印鑑証明書は日常取引において実印による行為の意思確認の手段として重要な機能を果たしているから,保証意思の確認のために印鑑証明書を徴した以上,「特段の事情のない限り」正当な理由があるとした。
しかし,同判決は,次の事情の下では,印鑑証明書を徴しただけでは足りない特段の事情があり,本人に直接照会するなど可能な手段によって保証意思を確認すべきであったとした。
①取引開始後日が浅く,会社が代金の決済条件に違約したため,販売会社が取引の継続に不安を感じて保証を求めたこと
②販売会社は当初,代表取締役とその実父の保証を求めたが,実父が保証人にならず,代わりに「妻の父親」が保証人になると申し入れられたこと(本人は実際には代表取締役の妻の伯父であった)
③保証契約の締結に当たった代表取締役自身が,保証によって利益を受ける会社の代表者であったこと
④保証期間も保証限度額も定められていない根保証であり,保証人の責任が比較的重いこと
原判決は,販売会社が金融業者ではないことを理由に正当な理由を認めていたが,最高裁はこの判断を誤りとして破棄し,差し戻した。
実印と印鑑証明書がそろっていることは本人の意思を推認させる重要な事情であるが,保証の内容の重さや代理人自身の利害によっては,それだけで正当な理由が認められるとは限らない。
2 本人と面識のない債権者の調査
(1) 昭和37年判決の事案
最高裁判所第三小法廷昭和37年1月16日判決(昭和33年(オ)第944号,集民58号65頁)の事案では,本人が,担保の目的で不動産の所有権を他人に譲渡し,登記手続に用いる白紙委任状,権利証及び印鑑証明書を交付していた。
これらの書類を示して本人の代理人となった者が,自分の借入金債務について本人を保証人とする保証契約を結び,白紙委任状の一通に事項を補充して公正証書を作成させた。
相手方は,公正証書の作成後に,使用人に書類が本人の意思に基づいて交付されたことを確かめさせただけで,保証の承諾を本人に求めてはいなかった。
(2) 正当な理由が否定された理由
最高裁は,相手方としては,代理人と称する者に担保権の設定とその登記についての権限しかないことを察知できたはずであるとした。
そして,仮に予知できなかったとしても,本人と一面識もない以上,「契約締結に先立ち、代理権限につき本人に問合せその他一応の調査をなすべきである」のにこれを怠ったとして,正当な理由を否定した原判決を是認した。
3 本人自身だと誤信した場合
(1) 110条の類推適用
預かった者が,代理人と名乗らず,本人になりすまして契約する場合もある。
最高裁判所第三小法廷昭和39年9月15日判決(昭和37年(オ)第232号,民集18巻7号1435頁)は,会社の出張所の担当者が権限を越えて署名代理の方法で会社名義の約束手形を振り出した事案で,「代理人がその権限を踰越して署名代理の方法で本人名義の手形を振り出した場合において、相手方が、本人が真正にこれを振り出したものと信ずるにつき正当の事由があるときは、民法一一〇条の類推適用により、本人がその責に任ずべきものと解するのが相当である」とした。
最高裁判所第二小法廷昭和44年12月19日判決(昭和44年(オ)第843号,民集23巻12号2539頁)は,代理人が本人の名で権限外の行為をした場合に,相手方がその行為を本人自身の行為と信じたときは,「本人自身の行為であると信じたことについて正当な理由がある場合にかぎり、民法一一〇条の規定を類推適用して、本人がその責に任ずるものと解するのが相当である。」とした。
(2) 印鑑証明書の生年月日を見落とした事案
同判決の事案では,相手方は,交付された印鑑証明書に記載された生年月日にさほど留意せず,代理人が本人の実印と印鑑証明書を所持して本人らしい言動をしたことから,自分と同年輩の代理人を15歳年上の本人と誤信した。
最高裁は,その誤信は相手方の過失に基づくものであって正当な理由がないとした原判決を正当とした。
4 近時の下級審の判断例
以下は,判例秘書で全文を確認した東京地方裁判所の判決である。
いずれも裁判所ウェブサイトには掲載されておらず,控訴の有無及び確定の有無は確認していない。
(1) 正当な理由が認められた例
東京地方裁判所令和3年11月25日判決(令和元年(ワ)第23646号,判例秘書L07631776)の事案では,本人が,借主である会社の代表者に,不動産の「抵当及び売買契約(買戻特約付)の手続に関するすべて」の権限を委任する旨の委任状,不動産の「登記権利情報」,住民票,印鑑登録証明書,運転免許証の写し及び実印を交付していた。
会社の代表者は,これらを使って,会社の債務を担保するため,本人の不動産について貸主との間で売買予約を結び,所有権移転請求権仮登記がされた。
裁判所は,担保権を設定する契約の代理権の授与は認めなかったが,貸主がこれらの書類一式を受け取って内容を確認し,実際にその書類で仮登記の手続ができたこと,貸主が本人に会わせるよう求めたものの本人が海外旅行中で会えず,その後も本人の自宅に複数回赴いたことがうかがわれることなどから,貸主が代理権があると信じたことに正当な理由があるとした。
(2) 正当な理由等が否定された例
東京地方裁判所令和2年6月9日判決(平成30年(ワ)第37997号,判例秘書L07531134)は,建物を賃借した会社の債務についての連帯保証人引受承諾書に保証人とされた者の実印が押されていた事案で,同居していた者又はその者から依頼された者が実印を押した可能性を否定できないとし,二段の推定による承諾書の真正な成立を認めなかった。
そのうえで,以前に自宅を借りる際に実印を預けたことがあり,同居していた者が実印や印鑑登録カードの保管場所を知っていたという程度では,表見代理によって責任を負うべきことは基礎付けられないとした。
東京地方裁判所令和7年10月28日判決(令和5年(ワ)第28053号,判例秘書L08032937)は,会社の部長が,会社の真正な印鑑証明書と偽造した委任状等を用いて,会社を代理して金融業者との間で保証契約を結んだ事案で,昭和51年判決を引用して,印鑑証明書を徴した以上は特段の事情のない限り正当な理由があるとした。
そのうえで,部長が主たる債務者の全株式を保有していて会社と実質的に利益相反の関係にあったこと,保証の額が多額であることなどから特段の事情を認め,会社に直接照会しなかった金融業者に正当な理由はないとした。
同判決は,他方で,会社の使用者責任(民法715条)を認め,金融業者の過失を2割として過失相殺をしている。
第5 夫婦の一方が他方の財産について契約した場合
1 日常の家事に関する代理権
民法761条本文は,「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。」と定める。
最高裁判所第一小法廷昭和44年12月18日判決(昭和43年(オ)第971号,民集23巻12号2476頁)は,同条が,夫婦が相互に日常の家事に関する法律行為について他方を代理する権限を有することも規定していると解した。
2 日常の家事の範囲を越える行為と110条
(1) 越権行為についての判断枠組み
同判決は,日常の家事に関する代理権の範囲を越えた行為について,この代理権を基礎として広く一般的に110条の表見代理を認めることは,夫婦の財産的独立を損なうおそれがあって相当でないとした。
そのうえで,夫婦の一方が他方に何らかの代理権を授与していない以上,「当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法一一〇条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りる」とした。
(2) 特有財産の売却の事案と他の代理権がある場合
同判決の事案は,夫婦の一方が,他方の特有財産である土地・建物について,相手方の主宰する会社が自らの主宰する会社に対して有していた債権の回収を図るために,相手方との間で売買契約を結んだものであった。
最高裁は,この売買契約は日常の家事に関する法律行為とはいえず,相手方がそう信ずるにつき正当な理由があったともいえないとした原審の判断を正当とした。
配偶者に登記手続を任せて実印等を預けた場合のように,日常の家事とは別の代理権を与えていたときは,その代理権を基本代理権とする110条の問題として,第3及び第4で述べたとおり検討することになると考えられる。
第6 保証契約について現在の民法が定める方式
1 書面要件と個人根保証の極度額
(1) 保証契約は書面でしなければ効力を生じない
民法446条2項は,「保証契約は、書面でしなければ、その効力を生じない。」と定める。
この規定は,平成16年法律第147号の附則3条により,同法の施行前に締結された保証契約には適用されないとされている。
預かった者が本人名義で作成した保証書も書面であることに変わりはないから,書面要件は,本記事の問題を当然に解決するものではないと考えられる。
(2) 個人根保証契約は極度額を定めなければ効力を生じない
民法465条の2第2項は,「個人根保証契約は、前項に規定する極度額を定めなければ、その効力を生じない。」と定める。
令和2年3月1日施行の版の同条は,対象を金銭の貸渡し又は手形の割引を受けることによって負担する債務を含む「貸金等根保証契約」に限っていたが,現在は保証人が法人でない根保証契約全般に及んでいる。
昭和51年判決の根保証は,電気製品の継続的売買取引上の一切の債務を対象とし,保証期間も保証限度額も定めていなかった。
平成29年法律第44号の附則21条1項は,「施行日前に締結された保証契約に係る保証債務については、なお従前の例による。」と定めている。
したがって,同様の根保証契約が同法の施行日である令和2年4月1日以後に個人を保証人として結ばれたのであれば,表見代理の成否を論じる前に,極度額の定めがないことによって効力を生じないことになると考えられる。
2 事業のための貸金等債務の保証と公正証書
(1) 保証意思宣明公正証書
民法465条の6第1項は,事業のために負担した貸金等債務を主たる債務とする保証契約等について,「その契約の締結に先立ち、その締結の日前一箇月以内に作成された公正証書で保証人になろうとする者が保証債務を履行する意思を表示していなければ、その効力を生じない。」と定める。
同条2項1号は,公正証書の方式として,保証人になろうとする者が主たる債務の内容等を公証人に口授することを求めている。
法務省のパンフレット「2020年4月1日から保証に関する民法のルールが大きく変わります」は,この手続について「この手続は,代理人に依頼することができません。」と説明し,本人自身が公証人から意思確認を受けるとしている。
(2) 表見代理との関係と適用除外
この公正証書は保証人になろうとする者自身の口授を要する方式であるから,預かった者が本人に代わってこの要件を満たすことはできず,公正証書を欠く保証契約は,表見代理の成否にかかわらず効力を生じないと考えられる。
ただし,民法465条の9は,主たる債務者が法人である場合の理事,取締役等,主たる債務者の総株主の議決権の過半数を有する者等,主たる債務者と共同して事業を行う者及び主たる債務者が行う事業に現に従事している主たる債務者の配偶者が保証人になる場合を,この規定の適用から除いている。
東京地方裁判所令和5年2月28日判決(令和3年(ワ)第10518号,判例秘書L07830633,裁判所HP未掲載)は,医療法人の事業のための借入れについて令和2年10月に締結されたとされる連帯保証契約について,保証人とされた者は法人の理事でも出資者でもなく,465条の9第1号・第2号に当たらないとし,仮に借入れを承認して保証意思を有していたとしても連帯保証契約は無効であるとした。
同判決の事案では,契約書に保証人とされた者の実印が押され,印鑑登録証明書も交付されていたが,裁判所は,代理権の有無に立ち入らず,保証意思宣明公正証書がないことを理由に保証債務の請求を棄却した。
第7 本人,相手方及び預かった者の法律関係
1 本人の立場
(1) 追認しない限り本人に効力は生じない
民法113条1項は,「代理権を有しない者が他人の代理人としてした契約は、本人がその追認をしなければ、本人に対してその効力を生じない。」と定める。
追認又はその拒絶は,相手方に対してしなければ,相手方がその事実を知ったときを除き,相手方に対抗することができない(同条2項)。
相手方から相当の期間を定めて追認するかどうかの催告を受け,その期間内に確答しないときは,追認を拒絶したものとみなされる(民法114条)。
本人が追認を拒絶するのであれば,その旨を相手方に対して明らかにしておくことが考えられる。
(2) 担保設定の登記がされた場合
昭和39年4月2日判決は,本人が抵当権設定登記の抹消登記手続を求め,相手方が表見代理を主張した事案であった。
昭和41年4月22日判決も,本人が根抵当権設定登記の抹消を求め,相手方が表見代理を主張した事案であった。
いずれの判決でも,表見代理を否定した原審の判断が維持された。
2 相手方の立場
相手方は,本人が追認をしない間は,契約の時に代理権がないことを知っていた場合を除き,契約を取り消すことができる(民法115条)。
昭和37年判決及び昭和51年判決では,保証のように本人に重い負担を生じさせる契約を代理人と結ぶ場面で,本人に直接照会したかどうかが,正当な理由の判断で重視されている。
3 預かった者の責任
(1) 無権代理人の責任の要件
民法117条1項は,「他人の代理人として契約をした者は、自己の代理権を証明したとき、又は本人の追認を得たときを除き、相手方の選択に従い、相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う。」と定める。
ただし,相手方が代理権のないことを知っていたとき,過失によって知らなかったとき(代理人をした者が自己に代理権がないことを知っていたときを除く)及び代理人をした者が行為能力の制限を受けていたときは,この責任は生じない(同条2項)。
(2) 表見代理との関係と消滅時効
最高裁判所第三小法廷昭和62年7月7日判決(昭和60年(オ)第289号,民集41巻5号1133頁)は,無権代理人の責任と表見代理は互いに独立した制度であり,相手方は表見代理を主張しないで直ちに無権代理人に117条の責任を問うことができ,無権代理人の側から表見代理の成立を抗弁として主張することはできないとした。
ただし,表見代理の成立が認められ,代理行為の効果が本人に及ぶことが裁判上確定された場合には,無権代理人の責任を認める余地はないとも述べている。
同判決は,平成29年改正前の117条2項にいう「過失」は重大な過失に限られないとも判示している。
同判決の事案は,妻が夫の代理人として結んだ連帯保証契約について,相手方が妻に117条1項に基づく履行を求めたものであった。
したがって,本人の書類を使って契約を結んだ者は,表見代理が成立し得ることを理由に117条の責任を免れることはできない。
この請求権も債権であるから民法166条1項の消滅時効に服し,その起算点は事案ごとに確かめる必要がある。
第8 出典
1 法令
① e-Gov法令検索・民法(109条,110条,113条~115条,117条,166条,446条,465条の2,465条の6,465条の9,761条,平成16年法律第147号附則3条,平成29年法律第44号附則21条。令和2年3月1日施行の版の109条,110条及び465条の2)
② e-Gov法令検索・民事訴訟法(228条)
③ e-Gov法令検索・不動産登記法(21条,22条)
2 裁判例
① 最高裁昭和37年1月16日第三小法廷判決・昭和33年(オ)第944号・集民58号65頁
② 最高裁昭和39年4月2日第一小法廷判決・昭和37年(オ)第912号・民集18巻4号497頁
③ 最高裁昭和39年9月15日第三小法廷判決・昭和37年(オ)第232号・民集18巻7号1435頁
④ 最高裁昭和40年11月30日第三小法廷判決・昭和38年(オ)第1457号・集民81号221頁
⑤ 最高裁昭和41年4月22日第二小法廷判決・昭和39年(オ)第264号・民集20巻4号752頁
⑥ 最高裁昭和41年11月15日第三小法廷判決・昭和40年(オ)第683号・集民85号97頁
⑦ 最高裁昭和44年12月18日第一小法廷判決・昭和43年(オ)第971号・民集23巻12号2476頁
⑧ 最高裁昭和44年12月19日第二小法廷判決・昭和44年(オ)第843号・民集23巻12号2539頁
⑨ 最高裁昭和45年7月28日第三小法廷判決・昭和44年(オ)第174号・民集24巻7号1203頁
⑩ 最高裁昭和46年6月3日第一小法廷判決・昭和45年(オ)第305号・民集25巻4号455頁
⑪ 最高裁昭和51年6月25日第二小法廷判決・昭和50年(オ)第978号・民集30巻6号665頁
⑫ 最高裁昭和62年7月7日第三小法廷判決・昭和60年(オ)第289号・民集41巻5号1133頁
⑬ 東京地裁令和2年6月9日判決・平成30年(ワ)第37997号・判例秘書L07531134(裁判所HP未掲載)
⑭ 東京地裁令和3年11月25日判決・令和元年(ワ)第23646号・判例秘書L07631776(裁判所HP未掲載)
⑮ 東京地裁令和5年2月28日判決・令和3年(ワ)第10518号・判例秘書L07830633(裁判所HP未掲載)
⑯ 東京地裁令和7年10月28日判決・令和5年(ワ)第28053号・判例秘書L08032937(裁判所HP未掲載)