第1 問題の所在と結論
1 本記事が扱う場面
胃瘻(いろう)を造設した後も,誤嚥性肺炎,尿路感染症,脱水その他の急性疾患によって入退院を繰り返すことがある。このときは,「胃瘻を続けるか」という一つの問いだけでなく,①今回の感染症等をどこまで治療するか,②救急搬送や再入院を今後も繰り返すか,③人工的水分・栄養補給の方法及び量を維持・変更するか,④心肺蘇生,気管挿管,人工呼吸器等を行うか,⑤療養場所を病院,施設又は自宅のどこにするかという複数の問題が同時に生じる。
胃瘻の造設時に家族が同意書へ署名していても,その一枚の書面によって将来のすべての医療方針が決まるわけではない。本人の状態,治療の見込み及び負担は変化し,本人の意思も変化し得るため,各分岐点で説明,話合い,方針決定及び記録を繰り返す必要がある。
本記事は,厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」,日本老年医学会の人工的水分・栄養補給に関するガイドライン及び同学会の「立場表明2025」等を基礎に,胃瘻後の反復入院を念頭に置いて意思決定の順序と弁護士が確認すべき記録を整理するものである。基準日は令和8年9月22日である。
2 結論の要旨
第一に,判断の出発点は家族又は成年後見人の希望ではなく,本人の現在の意思である。本人が医療の内容を完全には理解できなくても,苦痛,生活場所,大切にしたいこと等を表明できる場合があるため,意思決定能力を一括して否定してはならない。
第二に,本人の現在の意思を確認できない場合,家族等は本人に代わって自分の希望を決める者ではなく,本人の従前の言動,人生観及び価値観を医療・ケアチームに伝える者として関与する。日本老年医学会の「立場表明2025」は,この役割を「代理決定」ではなく「代弁」と整理している。
第三に,胃瘻の導入,継続,減量,方法変更及び中止は,医学的効果だけでなく,本人の苦痛,生活の質,療養場所及び本人が大切にしてきたことを含めて検討する。反復入院は,造設時の判断を機械的に維持する理由ではなく,治療目標と本人意思を再確認する重要な契機となる。
第四に,成年後見人には一般的な医療同意権がない。もっとも,本人の意思の推定に役立つ情報の提供,説明の場への参加,診療契約や費用の処理,医療・介護・福祉関係者の連絡調整及び記録の確保は,後見事務として重要な役割になり得る。
第2 分けて考えるべき四つの問題
1 胃瘻の使用と急性疾患の治療は同じ問題ではないこと
胃瘻から栄養を投与している本人が肺炎を発症した場合,胃瘻の継続と肺炎に対する抗菌薬,酸素投与又は入院治療は別の医療行為である。胃瘻を維持する方針であっても再入院を望まないことがあり,反対に胃瘻の投与量を見直しながら今回の感染症は治療することもあり得る。
したがって,「延命治療をするか」という抽象的な二択でまとめず,個々の医療行為について,目的,期待できる効果,負担,代替手段及び行わない場合の見通しを確認する必要がある。
2 導入しないこと,変更すること及び中止すること
厚生労働省のガイドラインは,人生の最終段階における医療・ケア行為について,開始,不開始,内容の変更及び中止を挙げ,いずれも医療・ケアチームが医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきものとしている。
日本老年医学会の平成24年ガイドラインも,人工的水分・栄養補給(AHN)の導入だけでなく,導入後の減量・中止について同じ意思決定プロセスを基本とする。ただし,これらのガイドラインが開始,不開始,変更及び中止を同一の手続で検討対象にしていることは,個別事案における法的責任が当然に同じになるという意味ではない。事実経過,説明内容,医学的評価及び記録を個別に検討する必要がある。
3 救急時の一時的な治療と長期方針
予期しない急変時には,治療効果を直ちに見通せないことがある。日本老年医学会の「立場表明2025」は,このような場合に,一定期間だけ治療を試み,あらかじめ定めた時点と評価項目により効果を見直す「time-limited trial(期間を区切った治療の試行)」を示している。
この方法を採る場合は,開始時に,①何を目標とするか,②いつ見直すか,③どの状態なら継続するか,④どの状態なら縮小又は終了を検討するか,⑤苦痛をどのように緩和するかを共有する必要がある。単に「とりあえず治療する」とだけ記録すると,惰性的な継続又は早すぎる打切りの双方を防ぎにくい。
4 DNARと他の治療方針を混同しないこと
心肺停止時に心肺蘇生を試みないというDNARの方針は,抗菌薬,酸素,輸液,胃瘻栄養,苦痛緩和その他の治療を一律に行わないという意味ではない。どの医療行為を行い,どの医療行為を差し控えるかは,それぞれについて目的と本人の意向を確認する必要がある。
第3 本人の意思を中心に置く判断手順
1 現在の意思を確認できるか
成年後見が開始していること,認知症の診断があること,又は発語が乏しいことだけで,医療に関する意思を表明できないとは限らない。説明の言葉を簡単にする,写真や図を用いる,痛みや不快の少ない時間帯に尋ねる,普段から本人を知る支援者に同席してもらうなど,意思表明を支える工夫を先に行うべきである。
本人が治療の詳細を理解できなくても,「病院へ行くのはつらい」,「施設に戻りたい」,「口から少しでも食べたい」,「苦しい処置は避けたい」といった意向を表明できることがある。その意向は,治療方針を組み立てる重要な資料となる。
2 ACPと事前の意思表示を現在の判断に結び付けること
厚生労働省は,人生会議(ACP)を,望む医療やケアについて前もって考え,家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い,共有する取組と説明している。ACPは一度作成した書面そのものではなく,対話と見直しの過程である。
事前指示書,エンディングノート,施設の意向確認書,診療録中の発言,家族やケアマネジャーに語った内容等がある場合は,作成時期,想定していた病状,説明を受けた内容及びその後の変更の有無を確認する。令和6年度厚生労働行政推進調査事業の報告書も,意向表明文書を作成した後の定期的な再確認,変更理由の記録及び医療機関との共有を重視している。
3 本人の意思を確認できない場合の家族等の役割
厚生労働省のガイドラインは,家族等が本人の意思を推定できる場合にはその推定意思を尊重し,本人にとっての最善の方針をとることを基本とする。推定できない場合は,家族等と十分に話し合った上で,本人にとって何が最善かを医療・ケアチームが検討する。
日本老年医学会の「立場表明2025」は,家族等に本人の治療を「代理決定」させるのは適切ではなく,家族等の役割は本人の意思を伝える「代弁」であるとする。したがって,「家族全員の賛成があるか」だけで終えるのではなく,その意見が本人のどの発言,生活歴又は価値観に基づくのかを確認する必要がある。
4 家族等がいない場合又は意見が対立する場合
家族等がいない場合又は判断を医療・ケアチームに委ねる場合も,本人にとっての最善を中心に方針を決める。家族間又は家族と医療・ケアチームとの間で合意できない場合には,厚生労働省のガイドラインに従い,複数の専門家による別の話合いの場を設けて検討及び助言を求める。
日本老年医学会の「立場表明2025」は,医療機関及び高齢者介護施設に,多職種の臨床倫理委員会又はこれに相当する組織や,臨床倫理コンサルテーション・チームを設置することが望ましいとしている。対立が生じたときに主治医又は一人の家族だけへ結論を集中させないための仕組みである。
第4 胃瘻の導入後に再評価すべき事項
1 造設時の目的を確認すること
まず,胃瘻を造設した当時に何を目標としていたかを確認する。一時的な嚥下障害からの回復を待つためであったのか,長期的な栄養状態の維持を目的としたのか,食事による誤嚥の危険を減らす意図があったのかによって,現在の評価は異なる。
日本老年医学会の平成24年ガイドラインは,経口摂取の可能性を身体面とケア提供面から評価し,AHNを導入しないことを含む選択肢について,本人の人生にとっての益と害を比較するよう求めている。生命を維持できるという一事だけで本人の益になると決めず,維持された生活が本人の人生にとってどのような意味を持つかを検討する考え方である。
2 反復入院を再評価の合図にすること
肺炎等による入院の反復は,胃瘻そのものの適否だけでなく,嚥下機能,唾液の誤嚥,逆流,栄養投与の方法,体位,口腔ケア,基礎疾患の進行,施設で提供できるケア及び本人の苦痛を再評価する合図となる。
弁護士は医学的判断を代替しないが,説明と記録の不足を発見することはできる。入院回数だけで結論を出さず,各入院の原因,治療反応,退院後の生活,苦痛,回復した機能及び次回急変時の方針がどのように説明・記録されたかを時系列で確認することが重要である。
3 継続・変更・中止を検討する観点
| 確認対象 | 主な確認事項 | 判断との関係 |
|---|---|---|
| 本人の意思 | 現在の発言・反応,事前指示,過去の価値観,信頼する代弁者 | 本人意思又は推定意思の基礎 |
| 医学的効果 | 栄養状態,症状緩和,回復可能性,急性疾患への治療効果 | 継続又は変更の目的が達成できるか |
| 負担・害 | 疼痛,拘束,嘔吐・逆流,浮腫,処置負担,入院によるせん妄等 | 本人にとっての不利益の評価 |
| 生活 | 療養場所,口から食べる可能性,家族との交流,日常の楽しみ | 生命維持が本人の生活に持つ意味 |
| 支援体制 | 医療,介護,福祉,後見人,家族の役割分担 | 選択した方針を安全に実施できるか |
胃瘻を続けるか中止するかだけでなく,投与量・速度・内容・時間帯の変更,経口摂取との併用,症状緩和を主目的とした水分補給への切替え等の中間的な選択肢についても,医療・ケアチームから説明を受ける必要がある。
第5 成年後見人と家族ができること・できないこと
1 成年後見人には一般的な医療同意権がないこと
成年後見人の一般的な医療同意権の有無と,医療機関から同意書への署名を求められたときの対応は,成年後見人の医療行為の同意(AI作成)で詳しく整理している。結論として,現行法には,成年後見人が本人に代わって胃瘻の導入,継続又は中止に同意する一般的権限を認める明文がない。
家族にも,成人本人に代わって医的侵襲一般を決定する包括的な法定権限があるわけではない。親族の意向の法的位置付けについては,成年後見事件における親族の意向の取扱い(AI作成)も参照されたい。
2 成年後見人が担い得る実務上の役割
成年後見人は,①本人の生活歴,従前の発言及び意思の推定に役立つ情報を集めて伝えること,②本人への説明を分かりやすくするよう求めること,③多職種カンファレンスへ参加すること,④診療契約,施設契約,移送及び医療費等を処理すること,⑤本人の権利・利益の観点から説明と見直しを求めること,⑥関係者間の情報共有を調整することができる。
これらは医師に代わって医学的適否を判断することでも,家族に代わって情緒的な決断を引き受けることでもない。後見人が本人の意思を知る手掛かりを持たない場合は,その旨を明確にし,支援者,施設職員,旧友等から情報を集めることを検討する。
3 同意書又は確認書への署名を求められたとき
医療機関又は施設から署名を求められた場合は,まず書面が,①医療行為への同意,②説明を受けた事実の確認,③費用負担又は契約,④緊急連絡先の確認のいずれであるかを分ける。
成年後見人が医療同意書へ署名する場合に,権限の存在を誤解させる表示をしてはならない。厚生労働省の「身寄りがない人の入院及び医療に係る意思決定が困難な人への支援に関するガイドライン」が例示するように,「成年後見人として担当医の説明を受けた」旨の確認にとどめ,医療方針は本人の意思又は推定意思と多職種の検討に基づくことを記録する方法が考えられる。
第6 弁護士が相談を受けたときの資料と質問
1 最初に集める資料
相談の初期には,①胃瘻造設時の診療録,説明書及び同意書,②その後の入退院歴と各退院時要約,③施設・在宅でのケア記録,④本人の事前指示書,エンディングノート及びACPの記録,⑤家族・支援者が記録した本人の発言,⑥直近の病状説明書,治療計画及び看取り方針,⑦成年後見人等の登記事項証明書及び代理権目録,⑧医療機関又は施設が署名を求める書面を集める。
2 医療・ケアチームに確認する事項
確認事項は,①今回の病状は回復可能な急性疾患か,基礎疾患の不可逆的進行か,②各治療の目的と成功可能性,③治療を行う負担と行わない場合の症状,④胃瘻の投与方法を変更する選択肢,⑤経口摂取及び嚥下リハビリテーションの可能性,⑥次回急変時の搬送・入院・蘇生方針,⑦緩和ケアの内容,⑧方針の見直し時期,⑨院内の臨床倫理相談を利用できるかである。
3 本人・家族・後見人に確認する事項
本人については,言葉だけでなく,表情,行動,苦痛の表出及び日常の選好を確認する。家族等には,「あなたはどうしてほしいか」だけでなく,「本人は元気な頃に病院,食事,延命,苦痛又は療養場所について何と言っていたか」,「その発言はいつ,どのような状況でされたか」を尋ねる。
成年後見人については,本人との面会頻度,本人の価値観を知る資料の有無,医療機関から求められている具体的行為,家族間の対立,利益相反及び家庭裁判所への報告の要否を確認する。
4 時系列表で残すべき事項
弁護士が事実を整理するときは,胃瘻造設時点だけでなく,①本人の意思表明,②説明された選択肢,③医学的評価,④家族等の発言とその根拠,⑤チームの検討,⑥決定した方針,⑦実施後の結果,⑧見直しの有無を,日付順に分けて記録する。
厚生労働省のガイドラインは,話し合った内容をその都度文書にまとめるよう求めている。反復入院の事案では,過去の一枚の同意書より,状態変化に応じて説明と再評価が繰り返されたことを示す連続的な記録が重要となる。
第7 判断を誤らないための留意点
1 高齢又は認知症だけを理由に治療を控えないこと
日本老年医学会の「立場表明2025」は,認知症を含むどのような状態でも,高齢者は最善の医療及びケアを受ける権利を有し,暦年齢に基づく過少医療に反対している。胃瘻があること,認知症が重いこと,入院回数が多いことだけを理由に治療を控えることはできない。
他方で,医学的に実施可能な治療をすべて続けることが,常に本人にとって最善であるとも限らない。本人の尊厳を損ない又は苦痛を増やす可能性がある医療行為については,差控え又は終了も選択肢として,緩和ケアを含めて慎重に検討する。
2 治療の差控え・中止と積極的安楽死を区別すること
厚生労働省のガイドラインは,医療・ケア行為の開始,不開始,変更及び中止を意思決定プロセスの対象とする一方,生命を短縮させる意図を持つ積極的安楽死は対象外としている。治療の差控え又は中止を論じる場合は,目的が本人の苦痛を減らし本人にとっての最善を実現することにあるのか,生命を短縮させること自体を意図していないかを区別する必要がある。
3 ガイドラインの限界
本記事で扱うガイドライン及び学会見解は,意思決定の適切な過程を示す重要な資料であるが,法律そのものではなく,従えば個別事案の民事・刑事責任が当然に否定されるというものでもない。弁護士が個別事件を評価するときは,診療当時の医学的知見,具体的な説明,意思決定能力,本人の意思,緊急性,代替手段,院内手続及び記録を確認する必要がある。
4 不明な点を不明なまま区別すること
胃瘻と肺炎等の因果関係,治療効果及び予後は個別の医学的評価を要し,本記事だけから判断できない。また,本人の意思に関する資料が乏しい場合,家族の一致した意見があっても,それが本人の推定意思であると直ちに断定することはできない。確認できた事実,関係者の説明,そこからの推論及びなお不明な点を分けて記録することが必要である。
第8 治療の差控え・中止に関する裁判例と法的責任
1 川崎協同病院事件の最高裁決定
最高裁平成21年12月7日第三小法廷決定(平成19年(あ)第585号,刑集63巻11号1899頁)は,気管支ぜん息の重積発作後に昏睡状態となった患者について,気管内チューブの抜管と筋弛緩剤投与を殺人行為と評価した原判断を是認した。
最高裁は,発症から約2週間で,余命等を判断するために必要な脳波等の検査が実施されず,回復可能性や余命を的確に判断できる状況ではなかったこと,家族の抜管要請も適切な病状説明を受けた上のものではなく,患者の推定意思に基づくともいえなかったことから,抜管は法律上許容される治療中止に当たらないとした。この決定は,治療中止一般の許容要件を網羅的に定立したものではないが,少なくとも,予後評価,本人意思及び家族への情報提供の欠落が刑事責任の評価に直結し得ることを示す。
なお,同事件では,抜管後に苦悶様呼吸が生じ,鎮静剤投与を経て筋弛緩剤が投与されている。胃瘻栄養の減量・中止を含む通常の治療目標の変更と,死を直接もたらす積極的行為とを混同してはならない。
2 東京地方裁判所平成31年1月18日判決
東京地裁平成31年1月18日判決(平成29年(行ウ)第260号)は,リビング・ウイルの登録管理事業に関する公益認定の不認定処分を争った行政事件である。患者の死亡について医療者の責任を直接判断した民事医療過誤判決ではないが,終末期医療の法的状況に関する裁判所の整理として重要である。
同判決は,延命措置の中止等について確立した司法判断の枠組みはなく,医療者が刑事上,民事上又は行政上の責任を問われる可能性があるとした。その一方で,厚生労働省や医学界のガイドラインに従って延命措置の中止等をした場合には,責任を問われないことが多くなるものと「推測」した。また,リビング・ウイルが存在しても,現在の本人との話合い及び意思確認のプロセスを省略できないとした。
したがって,この判決を「ガイドラインに従えば免責される」と読むことはできない。ガイドラインへの適合は,医学的妥当性,適正な手続及び注意義務の履行を裏付ける重要な事情になり得るが,法定の免責要件又は絶対的な安全港ではない。
3 民事責任を検討するときの観点
治療の差控え又は中止に関する民事責任では,診療契約上又は不法行為上の注意義務違反,説明義務違反,死亡その他の損害との因果関係等が問題となり得る。具体的には,①医学的評価と予後予測に合理的根拠があったか,②回復可能な原因と不可逆的な病状を区別したか,③本人の意思決定能力を個別に評価し,意思表明を支援したか,④事前指示と現在の反応を照合したか,⑤家族等の意見を本人の意思と短絡しなかったか,⑥治療ごとの効果,負担,代替手段及び不実施時の見通しを説明したか,⑦多職種で検討し,対立時に別の専門家の助言を得たか,⑧緩和ケアを継続したか,⑨決定と見直しをその都度記録したかを確認する。
裁判所ウェブサイトの判例検索は全裁判例を収録するものではない。本記事の作成に当たり,裁判所サイトで「延命治療」「治療中止」「胃瘻」「人工栄養」「DNAR」「透析」及び「損害賠償」等を組み合わせて検索したが,胃瘻栄養の差控え・中止そのものについて医療者の民事責任を最終的に判断した公刊一次資料は確認できなかった。この検索結果は,そのような裁判例が存在しないことを意味しない。
4 ガイドラインに沿うために必要な記録
ガイドラインに沿ったと評価されるためには,結論だけでなく過程が残っていなければならない。最低限,病状と可逆性,治療の目的,本人の意思決定能力,説明方法,現在の意思,事前の発言,家族等が示す推定意思の根拠,選択肢ごとの利益と負担,多職種の意見,反対意見,緩和ケア,見直し時期及び実施後の評価を記録する必要がある。
「家族が同意した」「DNARである」「ガイドラインに従った」とだけ記載しても,判断過程を検証できない。特に,DNARは心肺停止時の心肺蘇生に関する方針であり,抗菌薬,輸液,救急搬送,人工呼吸器の導入又は胃瘻栄養を一括して中止する根拠にはならない。
第9 胃瘻,誤嚥性肺炎,抗菌薬治療及び予後について医学文献が示すこと
1 対象疾患を分ける必要があること
胃瘻の効果と負担は,原因疾患,嚥下障害の回復可能性,栄養投与の予定期間及び全身状態によって異なる。脳卒中後の一時的な嚥下障害,頭頸部がん治療中の栄養補給及び重度認知症の終末期を同じ証拠で論じることはできない。本項で紹介する主要文献の多くは,施設に入所する重度又は進行期認知症の人を対象としており,他の疾患へそのまま一般化することはできない。
2 胃瘻は誤嚥性肺炎を完全には防がないこと
口からの食物摂取を減らしても,唾液,口腔内細菌又は胃食道逆流物の誤嚥は起こり得るため,胃瘻の造設によって誤嚥性肺炎の危険がなくなるわけではない。令和3年のCochraneレビューは,重度認知症について14件の非無作為化研究を検討し,経管栄養が生存,生活の質,疼痛又は死亡率を改善するとの確実な証拠を認めず,肺炎については経管栄養群で危険が増える方向の証拠があるとした。ただし,組入れ研究は観察研究で交絡の危険が大きく,多くの結論の確実性は低い又は非常に低い。
ESPENの令和6年更新ガイドラインも,経腸・静脈栄養及び水分補給は軽度又は中等度認知症における一時的選択肢となり得るが,重度認知症又は人生の最終段階では一般的に勧めないとする。他方で,経口摂取の支援,口腔ケア,栄養・脱水の評価及び個別的な総合判断を重視しており,「認知症だから一律に胃瘻を使わない」という基準ではない。
3 抗菌薬は生存と安楽に同じ影響を与えるとは限らないこと
Givensらの平成22年の前向き観察研究は,米国22施設の進行期認知症患者323人を追跡し,疑い肺炎225件を解析した。抗菌薬を投与した群は非投与群より生存期間が長いことと関連した一方,快適さの指標は改善せず,むしろ低かった。この研究は無作為化試験ではなく,治療選択,病状及びケア目標等による交絡を完全には除けない。また,対象は進行期認知症の施設入所者であり,胃瘻患者一般又は回復可能な急性肺炎全般へ一般化できない。
この知見からは,「抗菌薬は無意味」とも「常に投与すべき」ともいえない。本人の目標が延命か,苦痛軽減か,その双方かを確認し,抗菌薬の投与経路,採血・点滴,入院環境,副作用,耐性菌,治療成功可能性及び症状緩和策を分けて説明する必要がある。延命を目標とする場合でも,入院・静脈投与以外に,施設での経口又は筋肉内投与が可能かを確認する余地がある。
4 反復感染と予後の説明
Mitchellらの平成21年の前向きコホート研究では,進行期認知症の施設入所者323人について,18か月間に54.8%が死亡し,肺炎発症後の調整済み6か月死亡率は46.7%,発熱性疾患後は44.5%,摂食問題発生後は38.6%であった。この数値は集団の統計であり,個人の余命を確定するものではないが,肺炎,発熱及び摂食問題が予後と治療目標を再検討する重要な契機であることを示す。
予後説明では,一つの余命数字だけでなく,最良・典型・最悪の経過,治療を行った場合と行わない場合の症状,次回感染が起きる可能性及び不確実性を示す必要がある。胃瘻造設後も反復肺炎が続く事実は,再評価の必要性を示すが,それだけで胃瘻中止又は抗菌薬不使用の結論を導くものではない。
第10 施設退所・再入所,救急搬送及び看取り方針と契約
1 施設類型を最初に確認すること
「施設」といっても,指定介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム),介護老人保健施設,介護医療院,有料老人ホーム,サービス付き高齢者向け住宅及び認知症対応型共同生活介護等では,適用される法令,指定基準及び契約内容が異なる。入院したこと又は看取り方針を選んだことから,直ちに退所又は再入所不可となる一般原則はない。施設類型,入所契約書,重要事項説明書,管理規程,施設サービス計画,看取り指針及び協力医療機関との連携内容を確認する必要がある。
2 特別養護老人ホームにおける入院後の再入所
指定介護老人福祉施設の運営基準は,入所者が入院し,入院後おおむね3月以内に退院することが明らかに見込まれるとき,入所者及び家族の希望等を考慮し,必要な便宜を供与するとともに,やむを得ない事情がある場合を除き,退院後に再び円滑に入所できるようにすることを求めている。
もっとも,これは常に同じ居室を空け続けること又は3か月を超えて無条件に再入所させることを意味しない。退院見込み,空床利用,費用,施設で提供できる医療・ケア及び「やむを得ない事情」の具体的内容を確認し,退所扱い又は契約解除となる場合は,根拠条項,判断時点,説明内容及び代替支援を記録する必要がある。
3 有料老人ホーム等では契約条項を確認すること
厚生労働省の有料老人ホーム設置運営標準指導指針は,入居契約書にサービス内容,費用,身元引受人の権利・義務,契約解除の要件と対応等を明示するよう求め,設置者側の解除条件は信頼関係を著しく害する場合に限るなど,入居者の権利を不当に狭めないことを求めている。
したがって,有料老人ホーム等で長期入院又は医療依存度の上昇が生じた場合は,「病院に入院したから退去」と処理せず,契約上の解除事由に該当するか,施設が提供すると表示したサービスの範囲,協力医療機関との連携,住み替え条項,予告期間,前払金・家賃・管理費の扱い及び退去支援を確認する。個別契約の有効性は,条項の文言,締結時の説明,施設側の履行状況及び消費者法を含む具体的事情によって判断される。
4 救急搬送方針は施設内の実行手順まで決めること
消防庁は,心肺蘇生を望まない意思が示されても,救急現場は時間と情報が限られ,地域によって対応手順が異なることを前提に,消防,医療及び介護の関係者が地域でACPと対応方法を検討するよう求めている。DNARの記録だけを施設に置いても,夜間職員が医師へ連絡できず,家族が119番通報し,又は救急隊へ情報が渡らなければ,本人の希望どおりにならない可能性がある。
施設での看取りを選ぶ場合は,①どの症状で担当医へ連絡するか,②119番通報する条件,③夜間・休日の連絡先,④DNAR指示の作成者と更新日,⑤救急隊へ渡す資料,⑥施設で可能な酸素・吸引・薬剤・苦痛緩和,⑦家族等への連絡順,⑧施設対応の限界と搬送先,⑨死亡確認の手順を,施設・主治医・本人・家族等で共有する必要がある。心肺停止前の肺炎,呼吸困難又は出血等について搬送するかどうかは,DNARとは別に決める。
第11 実務書式の使い方
1 一枚の包括同意書にまとめないこと
実務上は,ACP記録,臨床倫理カンファレンス議事録,「説明を受けた」事実確認書,施設の急変時・再入所計画及び治療項目別意思確認票を分けるのが望ましい。目的が異なる書類を一枚の「延命治療同意書」にまとめると,誰のどの意思を,どの病状について,いつ確認したのかが不明確になる。
2 治療項目別意思確認票
少なくとも,①心肺停止時の心肺蘇生,②救急搬送,③再入院,④抗菌薬,⑤輸液,⑥気管挿管・人工呼吸器,⑦胃瘻栄養の継続・変更・減量・中止,⑧酸素・吸引・鎮痛鎮静等の苦痛緩和を別々に扱う。各項目には,「希望する」「希望しない」だけでなく,「病状・目的による」「一定期間試す」「未定・追加説明が必要」を設ける。
意思確認票は医師の指示書そのものではなく,将来のすべての場面を拘束する同意書でもない。本人の現在の意思,急変時の医学的適応及び最新の診療方針が優先される。作成日,想定病状,説明者,意思決定能力,代弁者,見直し条件,次回確認日及び旧版の失効を記録しなければならない。
3 「説明を受けた」確認書
成年後見人等が署名する場合は,「医療行為に同意する」と記載せず,「成年後見人として担当医から下記の説明を受けた事実を確認する。本書は,本人に代わる医療同意又は治療方針の決定を意味しない」と明記する。説明内容,説明日時,質問と回答,資料,未解決事項及び次回の確認時期を具体的に残す。
4 定期的な更新と版管理
厚生労働省の令和6年度調査研究は,医療に係る意向表明文書の内容を定期的に確認し,変更時には背景・理由を記録し,医療機関及び本人が了承した関係者と共有することを重視している。各書式には版番号と更新日を付し,救急時に旧版が使われないよう,保管場所と共有先を一覧化する必要がある。
第12 出典・参考資料
1 厚生労働省の資料
②厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(平成30年3月改訂)
⑤「身寄りがない人の入院及び医療に係る意思決定が困難な人への支援に関するガイドライン」
⑦令和6年度厚生労働行政推進調査事業「医療に係る意向表明文書についての高齢者等終身サポート事業者の関わり方」
2 日本老年医学会の資料
①日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン―人工的水分・栄養補給の導入を中心として―」(平成24年)
②日本老年医学会「高齢者の人生の最終段階における医療・ケアに関する立場表明2025」
3 裁判例・法制度
①最高裁平成21年12月7日第三小法廷決定(平成19年(あ)第585号)
②東京高裁平成19年2月28日判決(平成17年(う)第1419号)
③東京地裁平成31年1月18日判決(平成29年(行ウ)第260号)
④衆議院本会議令和6年10月7日・尊厳死法制化に関する政府答弁
4 施設契約・救急搬送
①e-Gov法令検索「指定介護老人福祉施設の人員,設備及び運営に関する基準」
②厚生労働省「有料老人ホームの設置運営標準指導指針について」
③総務省消防庁「傷病者の意思に沿った救急現場における心肺蘇生の実施に関する検討部会」
5 医学文献
④Mitchell SL, et al. The Clinical Course of Advanced Dementia. N Engl J Med. 2009;361:1529-1538.