第1 鑑定評価額を読む前に固定する事項
【基準日:令和8年10月15日】
不動産鑑定評価書は,一つの不動産に唯一の正解となる金額を付ける文書ではなく,特定した対象,時点,権利,条件及び利用目的の下で,不動産の経済価値について専門家の判断を示す文書である。
したがって,結論額の高低を論ずる前に,何を,いつの時点で,どの権利状態として,何のために評価したのかを固定する必要がある。
1 依頼目的と利用者を先に確認する
国土交通省の価格等調査ガイドラインは,価格等調査の契約までに,依頼目的,依頼が必要となった背景及び利用者の範囲等を確認して確定するものとしている。
売買の参考,担保評価,訴訟提出,遺産分割,財産分与又は会計目的では,必要な基準時,対象範囲,説明の程度及び許容される条件が異なる。
依頼書,業務委託契約,鑑定評価書の表紙・前文及び提出先の記載を照合し,当初の依頼目的と現在の利用目的が一致するかを確認すべきである。
依頼者内部の参考資料として作成された価格等調査を,説明なく訴訟や第三者取引へ転用してはならない。
2 鑑定評価書と査定書等を区別する
書面の題名が「査定書」,「価格意見書」又は「調査報告書」であっても,作成者,調査範囲,現地調査,採用資料及び手法は書面ごとに異なる。
価格等調査ガイドラインは,不動産鑑定評価基準に則った鑑定評価と,基準に則らない価格等調査を区別し,後者では基本的事項又は手順の相違により結果が異なる可能性を記載するものとしている。
不動産業者の売却査定額,買取提示額,固定資産税評価額,路線価及び相続税評価額は,それぞれ目的と算定の仕組みが異なり,個別不動産の市場価値と当然に一致するものではない。
比較するときは,書面の名称ではなく,目的,対象,時点,条件,手法及び根拠資料をそろえる必要がある。
第2 対象不動産,価格時点及び価格の種類
1 対象となる物と権利を確定する
最初に,土地の所在・地番・地目・地積,建物の家屋番号・構造・用途・床面積及び評価対象となる権利を登記事項証明書,公図,地積測量図,建物図面その他の資料で照合する。
同じ土地建物でも,更地,自用の建物及びその敷地,貸家及びその敷地,借地権付建物,底地又は区分所有建物では,評価対象となる権利利益が異なる。
共有持分,賃借権,地上権,通行・配管等の利用権,越境,未登記部分又は対象外土地への依存がある場合は,評価対象に含めた範囲と,価値へ反映した方法を確認する。
現況と登記が一致しないときは,鑑定評価書がどちらを採用し,その理由と価格への影響をどう説明したかを読む必要がある。
2 価格時点と資料時点を分ける
価格時点は,評価対象の価格を判定する基準日であり,現地調査日,資料作成日及び鑑定評価書の発行日とは異なることがある。
相続開始時,別居時,口頭弁論終結時,売却予定時その他の法的な基準時と,鑑定評価書の価格時点が一致するかを先に確認する。
取引事例,賃貸事例,収支実績及び工事見積りの時点が価格時点と異なる場合は,時点修正又は事情変更の説明が必要である。
後に判明した資料を過去時点の評価に用いるときは,その資料が価格時点当時の状態を示すのか,価格時点後の変化を示すのかを分けなければならない。
3 正常価格・限定価格等と条件を読む
鑑定評価書では,正常価格,限定価格,特定価格又は特殊価格など,求めた価格の種類を確認する。
例えば,借地権者が底地を取得して完全所有権とする取引では,併合による経済合理性を反映した限定価格が問題となることがある。
対象確定条件,想定上の条件及び調査範囲等条件が設定されている場合は,条件の内容,設定の必要性,実現性及び条件が成立しない場合の影響を確認する。
未竣工建物,土壌汚染,アスベスト,地下埋設物又は開発許可等について一定の仮定を置いた評価額は,その仮定が外れたときにも同じ金額であることを意味しない。
第3 資料と前提条件を点検する
1 確認済みの事実と仮定を分ける
鑑定評価書の各前提について,①公的資料又は現地調査で確認された事実,②依頼者から提供された資料,③当事者の説明,④鑑定士が置いた仮定,⑤専門家の意見を区別する。
鑑定額が算出されたことは,その前提事実が裁判上証明されたことを意味しない。
賃料,空室,修繕履歴,違法増築,境界,土壌汚染又は他人地利用について当事者間に争いがある場合は,採用した前提と不採用とした説明を特定する必要がある。
未確認事項を価格へ反映しなかった場合は,調査の限界と再評価を要する条件が明記されているかを確認する。
2 法律・物理・収支の資料を対応させる
権利関係は,登記事項証明書だけでなく,賃貸借契約,更新合意,使用貸借,通行・配管の承諾,管理規約及び支払記録で確認する。
物理的状態は,現地調査,図面,建築確認関係書類,修繕履歴,耐震資料,土壌・建物環境調査及びエンジニアリング・レポート等で確認する。
収益不動産では,レントロール,賃貸借契約,入金記録,管理会社の月次報告,税金,保険,修繕費及び資本的支出を照合し,名目上の満室賃料と実効収入を分ける。
国土交通省の基準は,証券化対象不動産について,エンジニアリング・レポートを活用するか,別の調査で補うか,その判断と理由を鑑定評価書へ記載するものとしている。
一つの資料を無条件に信用するのではなく,その作成者,対象時点,調査範囲及び他資料との整合を確認すべきである。
3 利害関係と独立性を確認する
依頼者,提出先,対象不動産,取引当事者及び鑑定士・鑑定業者の間に,資本,人事,取引又は報酬上の関係があるかを確認する。
利害関係があることから直ちに鑑定内容が誤りになるわけではないが,独立性に関する開示と,採用資料・推論過程の検証可能性は重要である。
訴訟で当事者が提出する私的鑑定書と,裁判所が選任した鑑定人による鑑定は,作成手続と証拠評価上の位置付けが同一ではない。
いずれの場合も,肩書や結論だけでなく,前提,資料,手法及び理由を検討する必要がある。
第4 評価手法と試算価格の調整を読む
1 原価法・取引事例比較法・収益還元法
原価法では,再調達原価,減価修正及び土地・建物の構成を確認する。
取引事例比較法では,採用事例の実在性,取引事情,時点,地域,接道,規模,用途,権利関係及び個別性の補正を確認する。
収益還元法では,総収益,空室・貸倒れ,運営費用,資本的支出,純収益,還元利回り又は割引率及び売却時の前提を確認する。
評価対象の性質に応じて重視すべき手法は異なるため,方式名が記載されているだけでは足りず,入力値と補正理由まで読む必要がある。
2 直接還元法とDCF法
直接還元法は,一期間の純収益を還元利回りで還元して収益価格を求める方法である。
DCF法は,保有期間中の各期の純収益と保有期間満了時の復帰価格を,発生時期に応じた割引率で現在価値へ割り引いて合計する方法である。
DCF法では,賃料改定,空室,運営費用,修繕・資本的支出,割引率,保有期間,最終還元利回り,復帰価格及び売却費用の前提を確認する。
復帰価格が評価額の大きな割合を占める場合は,最終還元利回りや将来NOIの小さな変更が結論を大きく動かすため,感応度の確認が重要になる。
借入金利や返済額は所有者の資金調達条件であり,不動産自体のNOIや不動産に帰属する収益と当然に同じものではない。
3 複数の試算額を単純平均しない
原価法,取引事例比較法及び収益還元法から異なる試算価格が得られた場合は,対象不動産の種類,資料の信頼性,市場参加者の判断及び各手法の適合性に応じて調整する。
三つの金額を機械的に平均しても,資料の弱点や重複を解消したことにはならない。
採用しなかった手法又は低い比重とした手法がある場合は,その理由と,結論へ与えた影響を確認する。
公示価格,路線価,固定資産税評価額又は募集価格を補助資料に使う場合も,個別不動産の価格へ変換する過程が必要である。
第5 前提が変わる場合の感応度を確かめる
1 結論を動かす入力値を特定する
評価額の精度を検討するときは,すべての数値を同じ重さで調べるのではなく,結論を大きく動かす入力値を特定する。
収益不動産では,実効賃料,空室率,運営費用,資本的支出,還元利回り,割引率及び最終還元利回りが中心となりやすい。
開発・転用を前提とする場合は,許認可,工事費,工期,稼働開始時期,売却時期及び撤退可能性が重要になる。
前提を変更した試算は,実際の価格の上限・下限が立証されたことを意味せず,追加調査の優先順位を判断する資料として用いるべきである。
2 別の前提による試算を求める場面
当事者間で,賃貸借の存続,修繕の必要額,境界,土壌汚染,建替可能性又は他人地利用の継続について見解が分かれる場合は,複数の前提による試算が有用である。
ただし,法的に成り立たない前提や実現可能性の乏しい前提を並べるだけでは,合理的な評価にはならない。
各前提について,根拠資料,実現条件,発生確率ではなく実現可能性を左右する事情及び評価額への影響を示す必要がある。
争点となる前提が評価額をほとんど動かさない場合は,その事実自体が和解又は立証計画の判断材料となる。
第6 裁判・相続・財産分与での使い方
1 鑑定意見と法的判断を分ける
どの財産を分割対象又は清算対象にするか,どの時点を基準にするか,契約が有効か,賃借権が存続するかという問題は,法令,契約及び事実認定に基づく法律判断である。
不動産鑑定士は,法律上確定した又は合理的に設定した前提の下で経済価値を判定するのであり,法的争点を最終的に決定する者ではない。
弁護士は,鑑定士へ法的結論を丸投げせず,争点ごとに採用すべき前提と代替前提を整理して依頼する必要がある。
裁判所も鑑定評価額に当然に拘束されるものではなく,鑑定の前提,資料,方法及び他の証拠との整合を踏まえて判断する。
2 相手方の評価書と同じ土俵で比較する
二つの評価書を比較するときは,結論額の差額だけでなく,対象権利,価格時点,価格の種類,想定条件,実地調査,収支定義,採用事例及び利回りを横に並べる。
対象又は前提が異なる場合は,いずれが正しいかを直ちに決めるのではなく,差額のうち何が対象差,時点差,前提差又は判断差によるものかを分解する。
同じ事例を用いながら補正率が異なる場合は,補正項目と根拠資料を比較する。
一方だけが確認している資料がある場合は,その資料の信用性と,他方の評価へ取り込んだ場合の影響を確認する。
3 不動産鑑定士へ確認する事項
鑑定士への照会は,結論が正しいかという抽象的な質問ではなく,採用した事実,資料,計算及び判断を特定して行う。
具体的には,①依頼目的と提出先,②対象不動産・対象権利,③価格時点と価格の種類,④現地調査の範囲,⑤未確認事項と設定条件,⑥採用・不採用資料,⑦各手法の入力値,⑧試算価格の調整理由,⑨主要前提の変更による影響,⑩利害関係の有無を確認する。
数値の訂正を求める場合は,どの元資料のどの数値と食い違うかを示し,訂正が他の計算や結論へ連鎖する範囲も確認する。
追加意見を依頼するときは,当初意見の変更なのか,資料追加による補充なのか,別前提による予備的試算なのかを明示してもらうべきである。
第7 確認チェックリスト
不動産鑑定評価書を受け取ったときは,少なくとも次の事項を確認する。
①依頼目的,依頼者,提出先及び利用者の範囲は明示されているか。
②土地・建物・持分・賃借権等の対象と範囲は資料で特定されているか。
③価格時点,実地調査日及び鑑定評価書作成日を区別できるか。
④求めた価格又は賃料の種類と,その選択理由は明示されているか。
⑤対象確定条件,想定上の条件及び調査範囲等条件は合理的か。
⑥現況,登記,契約,収支及び物理的状態の不一致をどう扱ったか。
⑦比較事例,賃貸事例,利回り及び工事費等の出所・時点・比較可能性は示されているか。
⑧原価法,取引事例比較法及び収益還元法の適用又は不採用の理由があるか。
⑨直接還元法又はDCF法の純収益,利回り,割引率及び復帰価格の根拠を追えるか。
⑩複数の試算価格の調整は,単純平均ではなく対象と資料に即して説明されているか。
⑪主要な前提が変わった場合の影響を把握できるか。
⑫鑑定士・鑑定業者と関係者との利害関係は開示されているか。
第8 関連記事と出典
相続・遺産分割で収益不動産の収支,地代及び修繕費を点検する方法は,相続・遺産分割で収益不動産の査定書を読むで説明している。
地代・家賃の増減額請求で継続賃料鑑定を読む方法は,地代・家賃の増減額請求を参照されたい。
固定資産税評価の不服申立ては,固定資産評価審査委員会への審査申出で整理している。
主な一次資料は,国土交通省「不動産鑑定評価基準」総論第5章,第7章から第9章まで及び各論第3章,並びに「価格等調査ガイドライン」Ⅱ・Ⅲである。
不動産鑑定評価に関する法令・基準の掲載状況は,国土交通省「法令・不動産鑑定評価基準等」で確認できる。
本記事の確認順序とチェックリストは,これらの一次資料を訴訟・相続・財産分与の資料検討へ適用するための実務上の整理であり,個別案件の評価額又は裁判所の判断を示すものではない。