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米国中間選挙で実際に何が変わったか―1866年から2022年までの14回の実例(AI作成)

第1 過去の実例を読むための共通の視点

1 選挙で変わるのは議会の構成であり,結果は別の手続で決まる

本記事は,米国の中間選挙の後に,法律,予算,人事,外交,議会調査及び弾劾の場面で実際に何が起きたかを,1866年から2022年までの14回について年代順に整理するものである。
中間選挙で上下両院の権限や大統領の権限がどのように関係するかという制度の説明は,米国中間選挙で何が変わるか―上下両院の権限と大統領への影響で扱っており,本記事はその歴史的な実例編に当たる。
本記事の基準日は2026年11月3日であり,同日に行われる2026年中間選挙の結果や見通しを示すものではない。

中間選挙で変わるのは,上下両院の議席の配分と,各院でどの党が多数派として議事を運営するかである。
大統領の任期や憲法上の権限は,選挙の結果によって変わらない。
選挙の後に法律が成立するかどうかは,両院での可決,大統領の署名又は拒否,拒否された場合の再可決という別の手続で決まり,人事や条約は上院の承認手続で決まる。
したがって,以下の各回では,「議会の構成がどう変わったか」と「その後の個別の手続で何が決まったか」を分けて記載する。

2 旧議会と新議会の時期を分ける

現在は,憲法修正第20条により,上下両院議員の任期は選挙の翌年の1月3日正午に切り替わる(米国立公文書館の修正第11条~第27条の本文)。
同修正は1933年1月23日に批准されたものであり,それより前の1866年や1918年の選挙では,新しい議会の任期は選挙の翌年の3月4日に始まっていた(米上院の政党別議席数の表に各議会の任期が記載されている)。
選挙から新議会の任期開始までの間は,選挙前に選ばれた議員で構成される旧議会の任期が続き,この時期に開かれる会期はレームダック会期と呼ばれる(米上院のレームダック会期一覧)。
選挙の直後に起きた出来事であっても,旧議会の採決によるものか,新議会の採決によるものかを区別する必要がある。

3 議席数と実際の採決の票数を分ける

以下で示す議席数は,下院については各議会の当初の選挙結果に基づく米下院歴史室の表,上院については各議会の開始時点の米上院の表による(米下院の政党別議席数の表,米上院の政党別議席数の表)。
議会の途中では,死亡,辞職,補欠選挙及び党籍の変更によって議席数が変わることがある。
例えば,2010年11月2日に選ばれたイリノイ州のマーク・カーク上院議員は,新議会の開始を待たずに旧議会の議席に就いている(上記の上院の表の第111議会の注記)。

上院では,民主党の党籍を持たない無所属議員が民主党の会派に加わることがあり,党籍上の議席数と会派としての多数派は一致しないことがある。
また,法案の採決では,党の方針と異なる票を投じる議員がいるため,多数党の議席数がそのまま可決の票数になるわけではない。
拒否権を覆す再可決や,上院の弾劾裁判での有罪には3分の2の賛成が必要であり,単純過半数の多数派を得ただけでは足りない(米国立公文書館の米国憲法本文第1条第3節・第7節)。

第2 14回の中間選挙の比較表

次の表は,各回の選挙後に始まった新議会の開始時点の議席数と,その後の主な結果をまとめたものである。
議席数は「第1の3」で述べた基準によるものであり,表に記載しない少数政党の議員がいる回もある。

選挙(当時の大統領)選挙後の新議会の議席多数派の変化主な結果
1866年(アンドルー・ジョンソン)第40議会。下院:共和党173,民主党47。上院:共和党45,民主党8,欠員21両院とも共和党の大差の多数が続く再建法の再可決(1867年3月は旧議会,同年7月は新議会),弾劾訴追と上院での無罪(1868年)
1918年(ウッドロウ・ウィルソン(民主党))第66議会。下院:共和党240,民主党192。上院:共和党49,民主党47上院は民主党から共和党へ。下院も共和党が多数上院がベルサイユ条約の承認を拒否(1919年・1920年),米国は国際連盟に加盟せず
1946年(ハリー・トルーマン(民主党))第80議会。下院:共和党246,民主党188。上院:共和党51,民主党44,欠員1両院とも民主党から共和党へタフト=ハートリー法が拒否権を覆して成立(1947年)
1954年(ドワイト・アイゼンハワー(共和党))第84議会。下院:民主党232,共和党203。上院:民主党47,共和党47,無所属2両院とも共和党から民主党へ(上院は無所属2人が民主党の会派)議会案を取り込んだ1956年連邦補助道路法が成立
1974年(ジェラルド・フォード(共和党))第94議会。下院:民主党291,共和党144。上院:民主党60,共和党37,その他2,欠員1民主党が両院の多数を維持・拡大チャーチ委員会の調査(1975~76年),上院情報特別委員会の設置(1976年)
1986年(ロナルド・レーガン(共和党))第100議会。下院:民主党258,共和党177。上院:民主党55,共和党45下院は民主党が維持,上院は共和党から民主党へボーク最高裁判事候補の否決(1987年),イラン・コントラ事件の調査
1994年(ビル・クリントン(民主党))第104議会。下院:共和党230,民主党204,無所属1。上院:共和党53,民主党47両院とも民主党から共和党へ2度の政府閉鎖(1995~96年),福祉改革法案への2度の拒否と1996年の成立
1998年(ビル・クリントン(民主党))第106議会。下院:共和党223,民主党211,無所属1。上院:共和党55,民主党45両院とも共和党が維持(下院では民主党が議席を増やす)旧議会の下院が弾劾訴追(1998年12月),新議会の上院が無罪(1999年2月)
2002年(ジョージ・W・ブッシュ(共和党))第108議会。下院:共和党229,民主党205,無所属1。上院:共和党51,民主党48,無所属1下院は共和党が維持,上院は共和党が多数を回復国土安全保障法は旧議会で成立(2002年),メディケアの処方薬給付を設ける法律が成立(2003年)
2006年(ジョージ・W・ブッシュ(共和党))第110議会。下院:民主党233,共和党202。上院:民主党49,共和党49,無所属1,無所属民主党1下院は共和党から民主党へ。上院は民主党の会派に加わる無所属2人を含む側が多数に撤退日程を含む追加歳出法案への拒否(2007年5月1日),日程を外した法律の成立(同月25日)
2010年(バラク・オバマ(民主党))第112議会。下院:共和党242,民主党193。上院:民主党51,共和党47,無所属2下院は民主党から共和党へ,上院は民主党側が多数を維持2011年予算管理法の成立,医療保険制度改革法の廃止法案は下院の可決にとどまる
2014年(バラク・オバマ(民主党))第114議会。下院:共和党247,民主党188。上院:共和党54,民主党44,無所属2下院は共和党が維持,上院は民主党側から共和党へTPAを含む法律の成立(2015年),ガーランド最高裁判事候補は公聴会も採決もなし(2016年)
2018年(ドナルド・トランプ(共和党,第一次政権))第116議会。下院:民主党235,共和党199。上院:共和党53,民主党45,無所属2下院は共和党から民主党へ,上院は共和党が維持旧議会の時期に始まった政府の部分閉鎖,弾劾訴追と上院での無罪,USMCA実施法の成立
2022年(ジョー・バイデン(民主党))第118議会。下院:共和党222,民主党213。上院:民主党48,共和党49,無所属3下院は民主党から共和党へ。上院は民主党の会派に加わる無所属3人を含む側が多数を維持2023年財政責任法の成立,上院での司法官承認の継続,マヨルカス長官の弾劾訴追と上院での却下

上院の表の注記によれば,2006年の選挙後(第110議会)の無所属2人と,2022年の選挙後(第118議会)の無所属3人は,いずれも民主党の会派に加わった。
1954年の選挙後の無所属2人(ウェイン・モースとストロム・サーモンド)も民主党の会派に加わり,モースは1955年2月17日に民主党へ党籍を移した。

第3 19世紀から1950年代までの実例

1 1866年―拒否権を覆す再建立法と,罷免に至らなかった弾劾

(1) 選挙の前から続いた大統領と議会の対立

南北戦争の後,南部諸州をどのような条件で連邦議会への代表に復帰させるかという再建の方針をめぐって,ジョンソン大統領と議会の共和党は激しく対立していた。
米下院歴史室によれば,ジョンソンは在任中に30件近い法案に拒否権を行使し,議会はその半数を超える拒否を覆した(米下院歴史室:Power Struggle Over a New America)。
1866年秋,ジョンソンは北部の諸都市を回る遊説で議員を個人的に攻撃し,報道と世論から批判を受けた(同上)。

ただし,拒否権を覆した例は選挙の前からあった。
1866年4月の公民権法は,上院が同月6日に,下院が同月9日にそれぞれ大統領の拒否を覆して成立している(米上院:Civil War Chronology)。
この公民権法は同年秋の選挙より前の出来事であり,選挙の成果として数えることはできない。

(2) 選挙後の議会が再建法を押し通した

1866年の選挙の後に始まった第40議会では,下院で共和党173,民主党47,上院で共和党45,民主党8となり,共和党が3分の2を大きく超える議席を占めた(上院では21議席が欠員)。
大統領の拒否を覆すのに必要な3分の2の多数を,大統領と対立する側が両院で確保していたことになる。

もっとも,最初の再建法が成立した1867年3月2日は,選挙前に選ばれた議員による旧第39議会の任期中である(第39議会の任期は同月3日まで)。
この法律は,大統領の拒否を覆して成立し,テネシー州を除く旧南部連合の諸州を五つの軍管区に分け,議会への代表を回復するための条件を定めた(米上院:Civil War Chronology)。
新しい第40議会の任期は同年3月4日から始まり,同年7月19日には,ジョンソンが第三次再建法に拒否権を行使したその日のうちに,上下両院が拒否を覆した(米下院歴史室:Power Struggle Over a New America)。
この回で変わったのは,大統領が反対しても議会が立法上の結論を押し通せる政治的な条件であり,大統領の拒否権そのものが失われたわけではない。

(3) 弾劾訴追をしても罷免には一票足りなかった

下院は,1868年2月24日,陸軍長官スタントンを解任したことが公職在任法(Tenure of Office Act)に違反するなどとして,ジョンソンを126対47で弾劾訴追した(米上院:Impeachment Trial of President Andrew Johnson, 1868,米下院歴史室の弾劾一覧)。
上院の弾劾裁判は同年3月5日にチェイス連邦最高裁判所長官を議長として始まった。
上院は5月16日と5月26日に三つの訴追条項について採決したが,いずれも有罪35,無罪19で,有罪に必要な3分の2(54人中36人)に一票足りず,ジョンソンは無罪となった(米上院:Impeachment Trial of President Andrew Johnson, 1868)。

この回は,議会の多数派が大統領と強く対立していても,弾劾訴追と罷免は別の段階であり,上院での3分の2という要件と個々の上院議員の判断によって結論が左右されることを示している。
当時の再建法や公職在任法は南北戦争後の特殊な状況での立法であり,現在の大統領の人事権の一般的な説明に当てはめることはできない。

2 1918年―上院の条約承認がベルサイユ条約を止めた

(1) 上院の多数派と外交委員長が交代した

米上院の説明によれば,1918年の中間選挙で上院の多数派は民主党から共和党へ移り,ヘンリー・カボット・ロッジが多数党院内総務と外交委員長を兼ねることになった(米上院:The Senate Rejects the Treaty of Versailles)。
選挙後の第66議会では,上院が共和党49,民主党47,下院が共和党240,民主党192であった。
第66議会の任期は1919年3月4日に始まり,上院の最初の会期は同年5月19日に始まっている(米上院の政党別議席数の表)。
現在のように選挙の翌年の1月3日に新議会が始まる時期ではない点に注意が必要である。

条約の締結には,出席した上院議員の3分の2の同意が必要である(米国憲法第2条第2節)。
ウィルソン大統領は,第一次世界大戦を終わらせるベルサイユ条約と,その中に組み込まれた国際連盟の規約に政治的な威信を懸けていたが,上院の承認を得るにはロッジの協力が必要であった。
米上院の説明は,ウィルソンがパリ講和会議の代表団に上院議員を加えず,会議の結果を外交委員会と協議する前に公表したことが上院の反発を招いたとしている(同上)。

(2) 留保をめぐる対立と,条約の不承認

ロッジの外交委員会は条約に多数の留保と修正を加え,1919年11月には14項目の留保を付けた条約を本会議に送った(同上)。
上院は,同年11月19日,上院の歴史で初めて講和条約を承認しなかった(同上)。
米連邦議会議事堂ビジターセンターの解説によれば,上院は留保付きの案と留保なしの案の双方について採決したが,いずれも必要な3分の2に届かず,その後の審議を経た1920年3月19日の最終的な採決も賛成49,反対35で承認に至らなかった(米連邦議会議事堂ビジターセンター:Treaty of Peace with Germany, Reservations)。
米国務省歴史室の説明のとおり,米国は国際連盟に加盟しなかった(米国務省歴史室:The League of Nations, 1920)。

この回は,議会の権限のうち,法律の制定ではなく,上院の条約承認が外交の結果を左右した例である。
もっとも,条約が承認されなかった原因を多数党の交代だけに求めることはできない。
米上院の説明は,ウィルソンとロッジの長年の個人的な対立や,留保をめぐる交渉にウィルソンが応じなかったことも挙げており,また,条約にどのような形でも反対する議員と,留保を付ければ賛成する議員がいたことも記録されている(米上院:The Senate Rejects the Treaty of Versailles,米連邦議会議事堂ビジターセンターの解説)。

3 1946年―拒否権を覆して労働法そのものが変わった

(1) 拒否を見越して法案を作った

1946年の中間選挙で,共和党は上下両院の多数を取り戻した(米上院:Robert A. Taft)。
選挙後の第80議会では,下院が共和党246,民主党188,上院が共和党51,民主党44,欠員1であった。
上院労働委員長のロバート・タフトと下院教育労働委員長のフレッド・ハートリーが,ワグナー法(全国労働関係法)を改める法案を主導した(全米労働関係委員会(NLRB):1947 Taft-Hartley Passage and NLRB Structural Changes)。
米上院の説明によれば,タフトは,トルーマン大統領の拒否を覆すには両院で3分の2が必要になることを見越して,両党の穏健派が受け入れやすい内容に法案を設計した(米上院:Robert A. Taft)。

上院はタフトの法案を68対24で,下院はハートリーの法案を308対107で可決し,両院協議会の妥協案が同年6月初めに両院を通過した(NLRBの解説)。
トルーマンは1947年6月20日に拒否権を行使したが,議会は6月23日までに拒否を覆し,Labor Management Relations Act, 1947(いわゆるタフト=ハートリー法)が成立した(トルーマン大統領図書館:Veto of the Taft-Hartley Labor Bill)。

(2) 労使双方のルールと行政機関の構造が変わった

ワグナー法の下では,不当労働行為は使用者の行為に限られていたが,タフト=ハートリー法は労働組合の一定の行為も不当労働行為としてNLRBの権限の対象にした(NLRBの解説)。
また,NLRBが訴追者と裁判官の役割を兼ねているという批判に応えて,大統領が上院の承認を得て任命する独立の法務総裁(general counsel)を設け,委員会の委員を3人から5人に増やした(同上)。
この回は,選挙後に多数派となった共和党が主導した立法が,労使双方の行動のルールと行政機関の組織という具体的な制度の変更にまで至った例である。

もっとも,拒否権が消えたわけではなく,大統領の拒否を覆すのに必要な3分の2の賛成を,共和党の議員だけでなく他党の議員も含めて確保したことが成立の決め手であった。
党籍別の議席数と,実際の採決の票数とを同じものとみることはできない。

4 1954年―両院を失っても,州間高速道路は議会との合意で実現した

(1) 政権の財源案は退けられた

1954年の中間選挙で,アイゼンハワー大統領の共和党は両院の多数を失った。
選挙後の第84議会では,下院が民主党232,共和党203,上院が民主党47,共和党47,無所属2であり,無所属の2人は民主党の会派に加わった(米上院の政党別議席数の表)。

アイゼンハワー政権は,州間高速道路網の財源を連邦の債券発行で賄う案を示したが,上院の道路小委員長アルバート・ゴア(父)はこの案を退け,上院は1955年にゴアの法案を可決した(米上院:The Federal Highway Act)。
下院も1956年に政権の案を退け,ルイジアナ州選出のヘイル・ボッグス下院議員の案を採用した(同上)。
ボッグスの案は,燃料税の引上げとタイヤ,バス及びトラックへの課税を財源とする道路信託基金(Highway Trust Fund)を設け,建設費の90%を連邦政府が負担する内容であった(同上)。

(2) 政策目標は実現したが,法律の設計は議会が決めた

上下両院は1956年6月26日に両院協議会の報告を承認し,アイゼンハワーは同月29日に法律に署名した(同上,米国立公文書館:National Interstate and Defense Highways Act (1956))。
米上院の説明は,ゴアとボッグスをアイゼンハワーと並ぶ州間高速道路網の創設者と位置付けている(米上院:The Federal Highway Act)。
この回は,議会の多数派が大統領と異なる党になっても,大統領の政策がすべて止まるわけではなく,政策目標は維持されたまま,財源と費用分担という法律の設計が議会側の案で決まった例である。

なお,上院がジョセフ・マッカーシー上院議員を非難する決議を採択したのは1954年12月2日であり(米国立公文書館:Senate Resolution 301: Censure of Senator Joseph McCarthy (1954)),選挙の後ではあるが,共和党が多数派として組織していた旧第83議会の上院による決議である。
選挙で多数派となった民主党の上院による処分ではない。

第4 1970年代・80年代の実例

1 1974年―議会調査が情報活動の恒常的な監督へつながった

(1) チャーチ委員会の設置と調査

1974年の中間選挙では,フォード大統領の共和党に対して民主党が両院の多数を維持し,議席を大きく伸ばした。
選挙後の第94議会では,下院が民主党291,共和党144,上院が民主党60,共和党37であった。

上院は,1975年1月27日,連邦政府の情報活動を調べる特別委員会,いわゆるチャーチ委員会を設置した(米上院:Select Investigations)。
設置の決議は82対4で承認されており,民主党だけの賛成で設けられた調査ではない(米上院:Church Committee)。
委員長にはアイダホ州選出の民主党のフランク・チャーチが就いたが,委員の人選は多数党院内総務のマンスフィールドと共和党院内総務のスコットが,政治的立場の均衡に配慮して行った(同上)。

委員会は,CIA,FBI,国税庁(IRS)及び国家安全保障局(NSA)の活動を調べ,1975年9月と10月に公開の聴聞会を開いた(同上)。
FBIが市民団体や公民権運動の指導者を対象とした妨害工作(COINTELPRO)や,NSAが米国を発着する通信を監視していた計画など,それまで知られていなかった活動が明らかにされた(同上)。
委員会は1976年4月29日に最終報告を公表し,情報活動を憲法の統制の下に置くための96項目の勧告を示した(同上)。

(2) 常設の監督機関が残った

上院は,1976年5月19日,情報活動を継続的に監督する常設の委員会を設ける決議を採択し,上院情報特別委員会が設けられた(米上院:The Senate Creates the Select Committee on Intelligence,米上院:Church Committee)。
この回は,議会が大統領の政策を批判しただけでなく,秘密性の高い行政活動について資料と説明を求め,監督のための組織を制度として残した例である。

もっとも,情報機関への疑惑は選挙の前から報道されており,1974年にはCIAが反戦活動家を監視していたとする報道が出ていた(米上院:Church Committee)。
また,明らかにされた活動は,アイゼンハワー政権の時代にまで遡るものを含み,一つの政権や一つの政党だけの問題ではなかった(同上)。
選挙が調査を一から生んだとみることはできない。

同じ1975年には,上院の議事妨害を終わらせるクローチャーの要件が,投票した議員の3分の2から,選出され宣誓した全議員の5分の3(現在の定数では60人)に改められている(米上院:About Filibusters and Cloture)。
これは議事妨害を終わらせる手続の要件であり,法案の最終的な可決に常に60票が要るという意味ではない。

2 1986年―上院の多数派の交代が最高裁判事の人事に表れた

(1) ボーク最高裁判事候補の否決

1986年の中間選挙で,民主党は下院の多数を維持し,上院では共和党53,民主党47から民主党55,共和党45へと多数派が入れ替わった。
最高裁判所の裁判官の任命には上院の助言と同意が必要であり(米国憲法第2条第2節),人事承認について重要なのは,下院ではなく上院の多数派が変わった点である。

レーガン大統領が1987年に最高裁判事に指名したロバート・ボーク連邦控訴裁判所判事について,上院司法委員会は同年9月15日から30日までの間に12日間の公聴会を開いた(米議会調査局(CRS):Supreme Court Nominations, 1789 to 2020)。
司法委員会は,同年10月6日,好意的な勧告を付けて本会議に送る動議を5対9で否決し,否定的な勧告を付けて送ることを9対5で決めた(米上院司法委員会:Supreme Court Nominations, Committee Votes)。
上院本会議は,同年10月23日,ボークの指名を42対58で否決した(CRS:Supreme Court Nominations,米上院:Nominations)。
大統領が指名しても,上院の承認がなければ就任は実現しないことを示す例である。

ただし,否決の理由を選挙の結果だけに帰することはできない。
米上院の解説は,ボーク自身の司法観が当初の支持を損ない,賛否両派の激しい広告活動が上院議員と世論に強い印象を与えたことを挙げている(米上院:Nominations)。

(2) イラン・コントラ事件の議会調査

1987年には,上院がイランへの武器売却とニカラグアの反政府勢力(コントラ)への資金流用の疑惑を調べる特別委員会を設け,同年5月5日から8月3日まで公聴会を開き,同年11月17日に報告書を出した(米上院:Select Investigations)。
委員長はハワイ州選出の民主党のダニエル・イノウエであった(同上)。

もっとも,この問題は新議会の発足前から表面化しており,レーガン大統領図書館の写真資料には,1986年11月25日にホワイトハウスでイラン・コントラ事件に関する記者会見が開かれた記録がある(レーガン大統領図書館:Iran-Contra)。
選挙の結果によって事件が生じたわけではなく,選挙後の議会構成が,調査の進め方や委員会の運営に関係したと理解すべきである。

人事の場面では,後の2014年の回と比較することが有益である。
ボークは本会議の採決で否決された候補であり,2016年のガーランドは公聴会も採決も行われなかった候補であって,両者を同じ「議会による拒否」とまとめることはできない。

第5 1990年代・2000年代の実例

1 1994年―予算交渉の相手が変わり,政府閉鎖と福祉改革が起きた

(1) 予算の不成立と政府閉鎖

1994年の中間選挙で,クリントン大統領の民主党は上下両院の多数を失った。
選挙後の第104議会では,下院が共和党230,民主党204,無所属1,上院が共和党53,民主党47であった。
大統領は交代しておらず,法律と予算を成立させるには,共和党の議会指導部との合意が必要な構図になった。

予算をめぐる対立の中で,1995年11月14日から19日までと,同年12月16日から翌年1月初めまでの2度,政府閉鎖が起きた(米社会保障庁(SSA)の沿革:Government Shutdown)。
2度目の閉鎖について,SSAの沿革は1996年1月5日までとし,議会調査局の資料は同月6日までの21日間としている(同上,CRS:Past Government Shutdowns: Key Resources)。
SSAの沿革によれば,最初の閉鎖の際,同庁の緊急時計画では職員4,780人を残して61,415人を一時帰休とし,国民は同庁での手続ができなくなった(SSAの沿革)。
2度目の閉鎖では,同庁は窓口業務の職員5万5,000人を出勤させて業務を続けた(同上)。

政府閉鎖は,選挙に敗れたことから自動的に生じるものではない。
歳出予算や暫定予算の法律が期限までに成立しないと,連邦機関は法律で認められた業務を除いて活動を止めなければならず,これが政府閉鎖と呼ばれる(CRS:Past Government Shutdowns)。
また,閉鎖の影響は機関や業務によって異なり,すべての政府業務が同じように止まったわけではない。

(2) 対立の後に成立した福祉改革法

福祉改革について,クリントンは1992年の選挙で「これまでの福祉を終わらせる」と公約し,1994年6月に自らの改革案を議会に提出していたが,議会は審議しなかった(CRS:The Temporary Assistance for Needy Families (TANF) Block Grant: A Legislative History)。
選挙の後,共和党の下院指導部と共和党の州知事は,要扶養児童家族扶助(AFDC)を廃止して貧困家庭一時扶助(TANF)という州への包括補助金に置き換える案を作った(同上)。

この案は1995年に二つの法案に盛り込まれて議会を通過したが,クリントンは,福祉改革を含む予算調整法案を1995年12月6日に,単独の福祉改革法案(H.R. 4)を1996年1月9日に,それぞれ拒否した(同上)。
その後,修正された案が議会を通過し,クリントンは1996年8月22日にPersonal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act of 1996(Public Law 104-193)に署名した(同上,米政府出版局(govinfo):Public Law 104-193)。

この法律により,AFDCは廃止されてTANFに置き換えられた。
CRSの比較によれば,AFDCには現金扶助の期間の制限がなかったのに対し,TANFでは,世帯主が60か月受給した世帯への扶助に連邦のTANF資金を使えないこととされ,個人に受給の権利を与えるものではないことも明記された(CRS:TANF Block Grant)。
この回では,対立による政府閉鎖と,大きな制度変更を伴う法律の成立が,同じ議会の任期中に起きている。
最初に議会が可決した案がそのまま法律になったのではなく,2度の拒否を経て修正された案が成立したこと,また,クリントン自身も選挙前から福祉改革を掲げていたことから,選挙の敗北だけを改革の原因とみることはできない。

2 1998年―大統領の党が下院で議席を増やしても,弾劾訴追は進んだ

(1) 議席は増えたが多数派は変わらなかった

1998年の中間選挙では,クリントン大統領の民主党が下院で議席を増やし,下院の当初の選挙結果は,前の議会の共和党226,民主党207から,共和党223,民主党211となった。
上院は選挙の前後とも共和党55,民主党45で,両院の多数派は共和党のままであった。
中間選挙で大統領の党が常に議席を減らすわけではないことを示す例である。

(2) 弾劾訴追は旧議会,無罪判決は新議会

下院は,1998年12月19日,連邦大陪審での偽証と司法妨害を理由として,クリントンを弾劾訴追した(米下院歴史室の弾劾一覧)。
この訴追は,選挙で選ばれた新しい議員によるものではなく,選挙前に選ばれた議員で構成される旧第105議会の下院によるものである。
米上院のレームダック会期一覧によれば,第105議会の上院は選挙後に会合せず,下院だけが1998年12月17日から19日まで「Clinton impeachment」のために会合している(米上院のレームダック会期一覧)。

上院の弾劾裁判は新しい第106議会で1999年1月7日から行われ,上院は同年2月12日にクリントンを無罪とした(米下院歴史室の弾劾一覧,米上院の弾劾事件一覧)。
「弾劾された」という表現は,下院で訴追されたことを意味するにとどまり,それだけで大統領が職を失うわけではない。
選挙の結果に政治的な意味があっても,弾劾の手続の進み方や採決の結論が選挙によって自動的に決まるわけではないことを示す例である。

3 2002年―政権側が上院の多数を回復し,医療制度の大きな立法が成立した

(1) 選挙前の上院は多数派が2度入れ替わっていた

2002年の選挙は,大統領の党が議会の基盤を強めた中間選挙である。
選挙後の第108議会では,下院が共和党229,民主党205,無所属1,上院が共和党51,民主党48,無所属1となり,共和党が両院の多数を持った。

選挙前の第107議会の上院は,2001年1月の開始時に50対50で,副大統領の決定票により当初は民主党が,同月20日からは共和党が多数派となり,その後,ジム・ジェフォーズ議員が共和党を離れて無所属となり民主党の会派に加わったことで,民主党が上院を運営していた(米上院の政党別議席数の表の第107議会の注記)。
この多数派の変動は選挙前の党籍の変更等によるものであり,2002年の選挙の結果と混同しないよう注意が必要である。

(2) 国土安全保障法は旧議会で成立した

国土安全保障省を設けるHomeland Security Act of 2002(Public Law 107-296)は,選挙の後の2002年11月25日に成立した(govinfo:Public Law 107-296)。
米上院のレームダック会期一覧は,第107議会の選挙後の会期(上院は同年11月7日から20日まで,下院は同月7日から22日まで)の主要な議題として国土安全保障省を挙げている(米上院のレームダック会期一覧)。
この法律は,新しい第108議会ではなく,旧第107議会が成立させたものである。
大統領の党に有利な選挙結果が旧議会での交渉に影響した可能性と,新議会の採決とは区別しなければならない。

(3) 新議会でのメディケア改革

新しい第108議会では,高齢者等の公的医療保険であるメディケアに,任意加入の処方薬給付(パートD)を設けるMedicare Prescription Drug, Improvement, and Modernization Act of 2003(Public Law 108-173)が,2003年12月8日に成立した(govinfo:Public Law 108-173,Congress.gov:H.R.1(第108議会))。
下院は,同年6月27日の可決が216対215,同年11月22日の両院協議会報告の承認が220対215という僅差であり,上院は同月25日に54対44で協議会報告を承認した(Congress.gov:H.R.1の議事経過)。
同法は,処方薬給付の適用を2006年1月1日から開始すると定めており,法律の成立と給付の開始の時期は異なる(govinfo:Public Law 108-173)。

両院の多数派が大統領と同じ党でも,下院での可決が一票差であったように,個々の法案には党内の調整が必要になる。
大統領の党が両院を握る統一政府であっても,大統領の意向だけで法律が成立するわけではない。

4 2006年―イラク政策への圧力は強まったが,撤退日程は法律にならなかった

(1) 撤退日程を含む法案は拒否された

2006年の中間選挙で,民主党は下院の多数を得て,選挙後の第110議会の下院は民主党233,共和党202となった。
上院は民主党49,共和党49,無所属1,無所属民主党1であり,無所属の2人がいずれも民主党の会派に加わったことで,民主党側が多数となった(米上院の政党別議席数の表の第110議会の注記)。
民主党の党籍だけで上院の過半数を得たわけではない。

新しい議会では,ブッシュ政権のイラク政策に条件を付けようとする議論が,戦費の追加歳出法案の審議を舞台に行われた。
議会は,イラクからの撤退の日程を含む追加歳出法案(H.R. 1591)について両院協議会の報告を,下院が2007年4月25日に218対208で,上院が翌26日に51対46で承認したが,ブッシュは同年5月1日に拒否権を行使した(Congress.gov:H.R.1591(第110議会)の議事経過)。
下院は同月2日に拒否を覆す採決をしたが,賛成222,反対203で3分の2に届かなかった(同上)。

(2) 最終的に成立した法律に残ったもの

議会はその後,撤退の日程を含まない別の法案(H.R. 2206)を可決し,ブッシュは2007年5月25日に署名した(Public Law 110-28)(Congress.gov:H.R.2206(第110議会)の議事経過,govinfo:Public Law 110-28)。
この法律の第1314条は,イラク政府の進展を測る18項目の指標(ベンチマーク)を定め,大統領に対し,同年7月15日と9月15日までに指標の達成状況を議会に報告することを求めた(govinfo:Public Law 110-28)。
また,イラク向けの経済支援基金の支出を,指標の進展についての大統領の認証にかからせつつ,大統領がこの要件を免除できる規定も置いた(同上)。
米軍の再配置については,イラク政府の構成機関が合意して決議した場合に大統領が秩序ある再配置を指示すると定めるにとどまり,議会が日程を定める形にはなっていない(同上)。

同じ法律には,連邦の最低賃金を段階的に時給7.25ドルまで引き上げるFair Minimum Wage Act of 2007も盛り込まれた(同上)。
したがって,「2006年の選挙で民主党が勝ち,翌年に議会がイラク戦争を終わらせた」と説明することはできない。
変わったのは,歳出法案の内容,政権への報告義務と条件付け,そして交渉力であって,議会が求めた撤退日程は大統領の拒否によって最終的な法律にならなかった。
予算の権限を持つ議会にも大統領の拒否権という関門があり,多数派の交代だけでは政策の転換を完結できないことを示す例である。

第6 2010年代・2020年代の実例

1 2010年―債務上限と歳出の交渉が財政運営を具体的に変えた

(1) 2011年予算管理法

2010年の中間選挙で,共和党は下院の多数を得て,選挙後の第112議会の下院は共和党242,民主党193となった。
上院は民主党51,共和党47,無所属2で,民主党側が多数を維持した。
オバマ政権にとって,法律と予算の成立には共和党の下院との合意が必要になった。

2011年の債務上限をめぐる交渉の末,下院は同年8月1日に法案(S. 365)を修正の上269対161で可決し,上院は翌2日にその修正に74対26で同意し,オバマは同日Budget Control Act of 2011(Public Law 112-25)に署名した(Congress.gov:S.365(第112議会)の議事経過,米上院の採決記録(2011年8月2日),govinfo:Public Law 112-25)。
この法律は,10年間の裁量的経費の上限と,上限を超えた場合の一律削減(第1編),大統領が債務上限の引上げを求め,議会が不承認の手続をとらない限り引上げが認められる仕組み(第3編),赤字削減策を検討する両院合同特別委員会の設置(第4編)等を組み合わせたものである(govinfo:Public Law 112-25)。

これは,中間選挙で大統領が予算に関する権限を失ったという意味ではない。
下院の同意なしには成立しない法律事項について,政権が歳出の上限等の条件を受け入れる交渉になった例である。
債務上限は,既に法律で決まった支払に充てるための国債発行の上限であり,歳出予算の成立とは別の制度である。

(2) 医療保険制度改革法の廃止法案は法律にならなかった

新しい下院は,2011年1月19日,前年に成立した医療保険制度改革法(Patient Protection and Affordable Care Act)等を廃止する法案(H.R. 2)を245対189で可決した(Congress.gov:H.R.2(第112議会)の議事経過)。
しかし,この法案は上院で可決されず,法律にはならなかった(同上)。
選挙で反対派が下院の多数を得ても,既存の法律が廃止されるには,両院での可決と大統領の署名(又は拒否を覆す再可決)という別の手続が必要である。
下院での廃止法案の可決と,法律の廃止の成立とは区別しなければならない。

(3) 2013年の政府閉鎖は2012年の選挙の後の出来事

2013年10月1日から16日間,政府閉鎖が起きた(CRS:Past Government Shutdowns)。
同月16日に両院が暫定予算の法案(H.R. 2775)を可決し,オバマが翌17日にContinuing Appropriations Act, 2014を含む法律(Public Law 113-46)に署名して閉鎖は終わった(Congress.gov:H.R.2775(第113議会)の議事経過,govinfo:Public Law 113-46)。
もっとも,この閉鎖は2012年の大統領選挙・議会選挙を挟んだ後の第113議会での出来事であり,2010年の中間選挙の直接の結果とはいえない。
2010年から続く分割政府の一例として位置付けるのが適切である。

2 2014年―人事は止まり得たが,通商政策では協力も成立した

(1) 両院の多数派の下で成立したTPA

2014年の中間選挙で,共和党は下院の多数を維持し,上院でも多数を得た。
選挙後の第114議会では,下院が共和党247,民主党188,上院が共和党54,民主党44,無所属2であった。

もっとも,両院の共和党の多数派は,オバマ政権のすべての政策に反対したわけではない。
2015年6月29日に成立したPublic Law 114-26には,その第1編として,大統領の通商交渉の目標と議会への協議・報告,議会の審議手続を定める貿易促進権限(Trade Promotion Authority,TPA)の規定(Bipartisan Congressional Trade Priorities and Accountability Act of 2015)が盛り込まれた(govinfo:Public Law 114-26)。
上院は同年6月24日に60対38で最終的な案を可決している(Congress.gov:H.R.2146(第114議会)の議事経過)。
大統領と議会の多数党が異なっていても,政策分野によっては協力が成立し得ることを示す例である。

TPAは,通商協定の交渉と議会での審議の手続上の枠組みを定めるものであり,環太平洋パートナーシップ(TPP)等の特定の協定を承認し,又は実施する法律とは別のものである。
TPAの成立を,特定の協定の批准や国内実施と同じものとして扱うことはできない。

(2) ガーランド最高裁判事候補は公聴会も採決もなかった

2016年3月16日,オバマはスカリア判事の死去で生じた最高裁判所の欠員にメリック・ガーランド連邦控訴裁判所判事を指名した(CRS:Supreme Court Nominations)。
指名は同日に上院司法委員会に付託されたが,公聴会は開かれず,委員会の採決も上院の対応も行われないまま,第114議会の閉会に当たる2017年1月3日に大統領へ返付された(同上,連邦司法センター:Garland, Merrick Brian)。

1987年のボークが本会議の採決で否決されたのに対し,ガーランドは採決に至る手続が進められないことで就任が実現しなかった。
人事の「否決」と「採決なし」は,結果として就任しなかった点では同じでも,上院の手続としては異なる。
また,この結果を2014年の選挙だけで説明することはできず,2016年に欠員が生じた時期と,上院の多数党の指導部の判断が重なったものである。

3 2018年―下院の調査・弾劾は変わったが,上院の判断は別だった

(1) 政府の部分閉鎖は旧議会の時期に始まった

2018年の中間選挙で,民主党は下院の多数を得て,選挙後の第116議会の下院は民主党235,共和党199となった。
上院は共和党53,民主党45,無所属2で,共和党が多数を維持した。
トランプ政権にとっては,下院の委員会と議事運営を相手党が握る一方で,人事承認と弾劾裁判を扱う上院は同じ共和党が多数という構図になった。
片方の院の結果をもって,議会全体が反対党になったとみることはできない。

2018年12月22日から2019年1月25日まで,政府の部分閉鎖が起きた(米議会予算局(CBO):The Effects of the Partial Shutdown Ending in January 2019)。
CRSの資料は,この閉鎖に関連する大統領の声明として国境警備をめぐる議会指導者との会合等を挙げ,閉鎖の期間を35日間としている(CRS:Past Government Shutdowns)。
閉鎖が始まったのは,共和党が両院の多数を持つ旧第115議会の時期であり,民主党が多数の新しい下院が始まったのは2019年1月3日である。
「民主党が下院の多数になったため,政府が閉鎖された」という説明は時系列に合わない。
CBOは,この閉鎖により約180億ドルの連邦支出が遅れ,2019年第1四半期の実質GDPの水準が80億ドル(0.2%)下がったと推計している(CBO:The Effects of the Partial Shutdown Ending in January 2019)。

(2) 下院の弾劾訴追と上院の無罪判決

下院は,2019年12月18日,権力の濫用と議会の妨害の2条項について,トランプを弾劾訴追した(米下院歴史室の弾劾一覧)。
採決は,第1条項が賛成230,反対197,第2条項が賛成229,反対198であった(Congress.gov:H.Res.755(第116議会)の議事経過)。
上院の弾劾裁判は2020年1月16日から行われ,上院は同年2月5日,第1条項を有罪48,無罪52,第2条項を有罪47,無罪53で,いずれも無罪とした(米上院の採決記録(第1条項),米上院の採決記録(第2条項))。
下院の訴追の権限と上院の弾劾裁判の権限は別のものであり,下院の多数派が交代しただけでは,罷免に必要な上院の3分の2を確保することにはならない。

(3) 対立の中でも成立したUSMCA実施法

一方で,下院は弾劾訴追の翌日の2019年12月19日に,米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)を実施する法案(H.R. 5430)を385対41で可決し,上院も弾劾裁判が始まった2020年1月16日に89対10で可決した(Congress.gov:H.R.5430(第116議会)の議事経過)。
トランプは同月29日にUnited States-Mexico-Canada Agreement Implementation Act(Public Law 116-113)に署名した(govinfo:Public Law 116-113)。
調査と弾劾が進む議会でも,合意できる案件については法律が成立したことを示す例である。
この法律は特定の協定を国内で実施するためのものであり,大統領が単独でとる通商上の措置一般とは区別される。

4 2022年―下院は予算交渉を変え,上院は人事を進めた

(1) 債務上限と歳出の条件を定めた財政責任法

2022年の中間選挙で,共和党は下院の多数を得て,選挙後の第118議会の下院は共和党222,民主党213となった。
上院は民主党48,共和党49,無所属3であり,無所属の3人が民主党の会派に加わったことで,民主党側が多数を維持した(米上院の政党別議席数の表の第118議会の注記)。
2024年5月31日には,民主党のジョー・マンチン議員が無所属へ党籍を変更したが,民主党の会派にとどまっている(同上)。

債務上限をめぐる交渉の末,下院は2023年5月31日に財政責任法案(H.R. 3746)を賛成314,反対117で可決した(米下院書記官室:Roll Call 243)。
この採決では,共和党が賛成149,反対71,民主党が賛成165,反対46であり,両党とも賛否が分かれ,賛成票の半数以上は民主党の議員によるものであった(同上)。
上院は同年6月1日に63対36で可決し,バイデンは同月3日にFiscal Responsibility Act of 2023(Public Law 118-5)に署名した(Congress.gov:H.R.3746(第118議会)の議事経過,govinfo:Public Law 118-5)。

同法の第401条は,法律の成立日から2025年1月1日まで債務上限の規定を適用しないこととした(govinfo:Public Law 118-5)。
同法は,このほかに,裁量的経費の上限,使われていない予算の取消し,TANFや補助的栄養支援(SNAP)の就労要件に関する見直し,許認可手続の改革等を含んでいる(同上)。
共和党の下院と政権が対立しても,最終的には法律で妥結し,その条件が政策の中身に表れた例である。
債務上限の適用停止は当時の法律で定めた期間に限られたものであり,その後の扱いはその後の立法によって決まる。

(2) 下院を失っても,上院では司法官の承認が続いた

裁判官の任命に必要なのは上院の承認であり,下院の多数派が変わっても,上院の承認手続は止まらない。
上院は,2024年12月20日,セリーナ・ラケル・ムリーリョのカリフォルニア州中部地区連邦地方裁判所判事への指名を49対47で承認した(米上院の採決記録(2024年12月20日))。

上院司法委員会の民主党側は,同日付けの発表で,この承認によりバイデン政権の下での終身職の司法官の承認が235人となり,その内訳は連邦地方裁判所187人,連邦控訴裁判所45人,連邦最高裁判所1人,国際通商裁判所2人であると発表した(米上院司法委員会(民主党側)の発表(2024年12月20日))。
この235人は政権の全期間を通じた数であり,2022年の中間選挙の後の2年間だけの人数ではない。

(3) 長官の弾劾訴追は上院で退けられた

共和党が多数の下院は,2024年2月6日に国土安全保障長官アレハンドロ・マヨルカスの弾劾決議案を214対216で否決した後,同月13日に214対213で可決した(Congress.gov:H.Res.863(第118議会)の議事経過,米下院歴史室の弾劾一覧)。
上院は,同年4月17日,訴追の条項を憲法に反するとして退け,弾劾裁判の審理は行われなかった(米上院の弾劾事件一覧,米下院歴史室の弾劾一覧)。
これはバイデン大統領本人ではなく長官に対する弾劾であり,また,上院が審理の上で無罪としたものではなく,条項を退けたものである。
「無罪判決」と「条項の却下」は,いずれも罷免に至らなかった点では同じでも,手続としては異なる。

第7 権限ごとに見た比較

1 拒否権を覆せた例と覆せなかった例

1867年の再建法と1947年のタフト=ハートリー法では,議会が大統領の拒否を覆して法律を成立させた。
これに対し,2007年のイラク撤退日程を含む追加歳出法案では,下院の再可決の票が3分の2に届かず,議会は日程を外した法案に切り替えた。
大統領の拒否を覆すには各院で3分の2の賛成が必要であり(米国憲法第1条第7節),両院で多数党になっただけでは大統領の反対を常に超えられるわけではない。

2 人事承認と条約承認は上院の多数派が鍵を握る

法律と予算は上下両院の一致と大統領の署名等の手続で決まるのに対し,最高裁判事等の人事と条約は上院の役割が決定的である(米国憲法第2条第2節)。
上院の多数派が変わった1918年にはベルサイユ条約が承認されず,1986年の後にはボークが否決され,2014年の後にはガーランドの指名が審議されなかった(いずれも,前記のとおり選挙の結果以外の事情も重なっている)。
これに対し,下院だけの多数派が変わった2022年の後も,上院では司法官の承認が続いた。

3 弾劾は下院の訴追と上院の判断が別である

本記事で扱った回では,ジョンソン(1868年),クリントン(1998~99年),トランプ(2019~20年)がいずれも下院で弾劾訴追されたが,上院で有罪に必要な3分の2の賛成は得られなかった。
マヨルカス長官(2024年)の場合は,上院が審理に入らずに条項を退けた。
下院の多数派を得れば訴追に進むことはできても,罷免に至るかどうかは上院の判断によるというのが,これらの例に共通する点である。

4 分割政府でも成立した法律がある

1956年の連邦補助道路法,1996年の福祉改革法,2011年の予算管理法,2015年のTPA,2020年のUSMCA実施法及び2023年の財政責任法は,大統領と議会の少なくとも一院の多数党が異なる状況で成立した。
逆に,2007年の撤退日程付きの法案は,民主党側が多数を占める両院で可決されても,最終的な法律にならなかった。
過去の例から読み取れるのは,議席数だけでなく,問題となる権限の種類,反対党や党内から必要な票を集められるか,合意できる政策の内容が結果を左右してきたということである。
もっとも,これらは過去の個別の経過であり,将来の選挙後に同じ結果が生じることを示すものではない。

第8 時系列で誤りやすい点

過去の中間選挙の結果を説明する際に誤りやすい点を,本記事で挙げた資料に基づいて整理すると,次のとおりである。

誤りやすい説明資料から確認できる時系列
1867年3月2日の再建法を,1866年の選挙で選ばれた新議会の法律とする旧第39議会の任期中に成立した。第40議会の任期は同年3月4日から始まった
1918年の選挙で選ばれた議員が翌年1月から活動したとする第66議会の任期は1919年3月4日から始まり,上院の最初の会期は同年5月19日からである
1954年12月2日のマッカーシー非難決議を,民主党が多数の上院による処分とする共和党が組織していた旧第83議会の上院による決議である
1998年12月の弾劾訴追を,選挙で選ばれた新下院の採決とする旧第105議会の下院による訴追であり,弾劾裁判は第106議会の上院で行われた
2002年の国土安全保障法を,新しい第108議会の法律とする旧第107議会の選挙後の会期で扱われ,2002年11月25日に成立した
2018年末の政府閉鎖を,民主党の下院が始めたものとする閉鎖は2018年12月22日に始まり,民主党が多数の第116議会は2019年1月3日から始まった
ボークの否決とガーランドの件を,同じ上院の否決とするボークは本会議で42対58で否決され,ガーランドは公聴会も採決もないまま指名が返付された
弾劾訴追を罷免と同じものとするジョンソン,クリントン及びトランプ(2019年の訴追)は,いずれも上院で無罪となった
マヨルカス長官の件をバイデン大統領の弾劾とする長官に対する弾劾訴追であり,上院は条項を退けて審理しなかった
2024年12月の235人を,中間選挙後の2年間の承認数とするバイデン政権の全期間の集計である

このほか,中間選挙の結果によって,成立済みの法律や大統領の措置が一括して失効するわけではない。
法律を廃止し,又は改めるには,新たな立法の手続が必要である。
関税のように大統領が法律の委任に基づいて行う措置については,根拠となる法律,その要件,議会による法改正及び裁判所の判断を個別に確認する必要があり,その考え方は米国中間選挙で何が変わるかの「第5 中間選挙と関税の法的根拠を分ける」で整理している。
選挙の速報と正式な結果の確定の関係は,米国中間選挙2026の結果はいつ確定するかを参照されたい。

第9 出典

米国立公文書館:The Constitution of the United States: A Transcription。拒否権と再可決(第1条第7節),弾劾(第1条第2節・第3節),条約と人事の承認(第2条第2節)。

米国立公文書館:The Constitution: Amendments 11-27。修正第20条(議員の任期の切替えを1月3日正午とする規定と,1933年1月23日の批准)。

米下院歴史室:Party Divisions of the House of Representatives, 1789 to Present。各議会の当初の選挙結果に基づく下院の政党別議席数。

米上院:Party Division。各議会の開始時点の上院の政党別議席数,任期,会期及び無所属議員の会派等の注記。

米上院:Lame Duck Sessions。選挙後の旧議会の会期の日程と主な議題。

米下院歴史室:Power Struggle Over a New America。ジョンソン大統領と議会の対立,拒否権の行使と覆し,第三次再建法。

米上院:Civil War Chronology。1866年の公民権法と1867年3月2日の再建法。

米上院:Impeachment Trial of President Andrew Johnson, 1868。ジョンソンの弾劾訴追と上院の弾劾裁判の経過及び採決。

米下院歴史室:Impeachment List。下院による弾劾訴追の日付,理由及び上院での結果。

米上院:List of Individuals Impeached by the House of Representatives。上院での弾劾事件の結果。

米上院:The Senate Rejects the Treaty of Versailles。1918年の選挙後のロッジの役職とベルサイユ条約の不承認。

米連邦議会議事堂ビジターセンター:Treaty of Peace with Germany, Reservations。留保をめぐる対立と1920年3月19日の採決。

米国務省歴史室:The League of Nations, 1920。米国が国際連盟に加盟しなかったこと。

米上院:Robert A. Taft。1946年の選挙とタフト=ハートリー法の成立。

トルーマン大統領図書館:Veto of the Taft-Hartley Labor Bill。1947年6月20日の拒否教書と同月23日の再可決の注記。

全米労働関係委員会:1947 Taft-Hartley Passage and NLRB Structural Changes。両院の採決,労働組合の不当労働行為,法務総裁の新設と委員の増員。

米上院:The Federal Highway Act。政権案と議会案,道路信託基金,連邦負担90%,両院の承認日。

米国立公文書館:National Interstate and Defense Highways Act (1956)。1956年6月29日の署名。

米国立公文書館:Senate Resolution 301: Censure of Senator Joseph McCarthy (1954)。1954年12月2日の非難決議。

米上院:Church Committee。チャーチ委員会の設置決議,調査の内容,公開聴聞会及び最終報告。

米上院:Select Investigations。チャーチ委員会とイラン・コントラ事件の特別委員会の設置日,公聴会及び報告の日付。

米上院:The Senate Creates the Select Committee on Intelligence。1976年5月19日の上院情報特別委員会の設置。

米上院:About Filibusters and Cloture。1975年のクローチャーの要件の変更。

米上院:Nominations。上院の人事承認の歴史とボーク否決の経過。

米上院司法委員会:Supreme Court Nominations, Committee Votes。ボークの指名に関する1987年10月6日の委員会採決。

米議会調査局(CRS):Supreme Court Nominations, 1789 to 2020: Actions by the Senate, the Judiciary Committee, and the President(RL33225)。ボークとガーランドの指名の経過。

連邦司法センター:Garland, Merrick Brian。2016年3月16日の最高裁判事への指名と上院の採決がなかったこと。

レーガン大統領図書館:Iran-Contra。1986年11月のイラン・コントラ事件に関する写真資料。

米社会保障庁:Social Security History, 1993-2000, Chapter 1。1995~96年の政府閉鎖の期間と同庁の職員の扱い。

CRS:Past Government Shutdowns: Key Resources(R41759)。政府閉鎖の仕組みと1995~96年,2013年及び2018~19年の閉鎖の期間。

CRS:The Temporary Assistance for Needy Families (TANF) Block Grant: A Legislative History(R44668)。福祉改革法案への2度の拒否,1996年の成立,AFDCとTANFの違い。

govinfo:Public Law 104-193。Personal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act of 1996。

govinfo:Public Law 107-296。Homeland Security Act of 2002。

govinfo:Public Law 108-173。Medicare Prescription Drug, Improvement, and Modernization Act of 2003。

Congress.gov:H.R.1(第108議会)の議事経過。メディケア改正法案の両院の採決。

Congress.gov:H.R.1591(第110議会)の議事経過。撤退日程を含む追加歳出法案の可決,拒否及び再可決の不成立。

Congress.gov:H.R.2206(第110議会)の議事経過。最終的に成立した追加歳出法案の経過。

govinfo:Public Law 110-28。U.S. Troop Readiness, Veterans’ Care, Katrina Recovery, and Iraq Accountability Appropriations Act, 2007(第1314条のベンチマークと報告,Fair Minimum Wage Act of 2007)。

Congress.gov:S.365(第112議会)の議事経過。予算管理法案の両院の採決。

米上院の採決記録(2011年8月2日)。予算管理法案の上院の採決(74対26)。

govinfo:Public Law 112-25。Budget Control Act of 2011。

Congress.gov:H.R.2(第112議会)の議事経過。医療保険制度改革法の廃止法案の下院可決。

Congress.gov:H.R.2775(第113議会)の議事経過。2013年の政府閉鎖を終わらせた法案の経過。

govinfo:Public Law 113-46。Continuing Appropriations Act, 2014を含む法律。

govinfo:Public Law 114-26。Bipartisan Congressional Trade Priorities and Accountability Act of 2015を含む法律。

Congress.gov:H.R.2146(第114議会)の議事経過。TPAを含む法案の両院の採決。

米議会予算局:The Effects of the Partial Shutdown Ending in January 2019。2018~19年の部分閉鎖の期間と経済への影響の推計。

Congress.gov:H.Res.755(第116議会)の議事経過。トランプに対する弾劾決議の下院の採決。

米上院の採決記録(2020年2月5日・第1条項)及び同(第2条項)。トランプの弾劾裁判の採決。

Congress.gov:H.R.5430(第116議会)の議事経過。USMCA実施法案の両院の採決。

govinfo:Public Law 116-113。United States-Mexico-Canada Agreement Implementation Act。

米下院書記官室:Roll Call 243(2023年5月31日)。財政責任法案の下院の採決と党派別の票数。

Congress.gov:H.R.3746(第118議会)の議事経過。財政責任法案の上院の採決と署名。

govinfo:Public Law 118-5。Fiscal Responsibility Act of 2023(第401条の債務上限の適用停止を含む)。

米上院の採決記録(2024年12月20日)。ムリーリョの連邦地方裁判所判事への指名の承認(49対47)。

米上院司法委員会(民主党側):Durbin Celebrates 235 Federal Judges Confirmed During The Biden-Harris Administration(2024年12月20日)。バイデン政権の下での司法官の承認数とその内訳。

Congress.gov:H.Res.863(第118議会)の議事経過。マヨルカス長官に対する弾劾決議の下院の採決。