第1 本記事の対象と結論の要旨
1 本記事の対象
本記事は,公正証書遺言を作成した人が,遺言の内容と異なる不動産の処分を口頭で約束していた場合に,その約束が公正証書遺言の効力に影響するかを,令和8年9月11日時点の民法と裁判例に基づいて整理するものである。
典型的には,「自宅は長男に相続させる」との公正証書遺言がある一方で,親が生前に次男へ「この家はお前にやる」と話していたという場面である。
2 結論の要旨
結論は,口約束の法的な中身と,遺言との先後関係によって次のように分かれる。
①口約束が「遺言をやめる」「遺言を書き直す」という意思の表明にとどまる場合は,遺言の方式によっていない以上,公正証書遺言は撤回されない。
②遺言の後に,売買,贈与又は死因贈与の契約が口頭で成立し,それが遺言と両立しない場合は,両立しない部分について遺言は撤回されたものとみなされる(民法1023条2項)。
③もっとも,意思が表明されただけで法律効果が確定的に生じていない場合は,撤回されたものとはみなされない。
④遺言の前に口頭の死因贈与が成立していた場合は,後の遺言が優先するのが原則であるが,負担付死因贈与で受贈者が負担を履行していた場合などは,後の遺言によって覆らないことがある。
⑤口約束は証拠が残りにくく,約束の成立そのものが認められないことがある。
3 遺言が効力を生ずるのは死亡の時である
遺言は,遺言者の死亡の時からその効力を生ずる(民法985条1項)。
そのため,公正証書遺言を作成した後も遺言者は生前に財産を処分することができ,その処分と遺言との関係を定めているのが民法1022条から1026条までの規定である。
第2 口約束で公正証書遺言を撤回し,又は変更することはできない
1 撤回は遺言の方式による
民法1022条は,「遺言者は、いつでも、遺言の方式に従って、その遺言の全部又は一部を撤回することができる。」と定めている。
遺言の撤回は遺言そのものではないが,遺言の方式によらなければならず,これは遺言の要式行為性を貫いたものと説明されている(松川正毅・窪田充見編『新基本法コンメンタール 相続』236頁〔久保野恵美子〕)。
したがって,遺言者が家族や受遺者に対して「あの遺言はなかったことにする」と口頭で述べても,それだけで公正証書遺言が撤回されることはない。
撤回に用いる方式は撤回される遺言と同じである必要はなく,公正証書遺言を自筆証書遺言の方式で撤回することもできる(同書236頁,田村洋三・小圷眞史編著『第3版 実務相続関係訴訟』244頁)。
遺言は民法に定める方式に従わなければすることができず(民法960条),普通の方式は自筆証書,公正証書又は秘密証書である(民法967条)。
2 「遺言は変えない」「書き換える」という約束の効力
民法1026条は,「遺言者は、その遺言を撤回する権利を放棄することができない。」と定めている。
注釈書は,遺言者が受遺者その他の者と撤回しない旨を約束しても,遺言者はこれに拘束されず,矛盾する遺言をしたり,遺贈の目的物を受遺者以外の者に譲渡したりして遺言を撤回することができると説明している(前掲『新基本法コンメンタール 相続』244頁~245頁)。
反対に,「遺言を書き換えて家はお前に渡す」と約束しただけでは,遺言が書き換えられたことにはならない。
3 公正証書遺言の正本を破棄しても撤回にはならないと解されている
遺言者が故意に遺言書を破棄したときは,破棄した部分について遺言を撤回したものとみなされる(民法1024条)。
しかし,公正証書遺言の原本は公証人が保管しており,遺言者が手元の正本を破棄しただけでは撤回事由にならないと解されている(前掲『新基本法コンメンタール 相続』241頁)。
約束の相手の前で正本を破ってみせたとしても,それだけでは公正証書遺言は撤回されないと考えられる。
4 口頭の遺言は原則として効力がない
口約束そのものを遺言として扱うことも,原則としてできない。
口頭で遺言をすることが認められるのは,疾病その他の事由によって死亡の危急に迫った者が,証人3人以上の立会いの下でその一人に遺言の趣旨を口授する等の特別の方式による場合であり(民法976条1項),この遺言は遺言の日から20日以内に家庭裁判所の確認を得なければ効力を生じない(同条4項)。
日常の会話で「家はお前にやる」と話したことが,この方式を満たすことは通常考えにくい。
第3 遺言後の生前処分による撤回擬制
1 民法1023条2項の定め
民法1023条1項は,「前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす。」と定め,同条2項は,「前項の規定は、遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合について準用する。」と定めている。
遺言の撤回は遺言の方式によるのが原則であるが,同条2項は,遺言者自身が遺言と抵触する処分をした場合に,方式による意思表示の原則を緩和し,生前処分の事実から撤回の効力を認めたものである(前掲『新基本法コンメンタール 相続』238頁)。
遺産分割の実務書も,持戻し免除の意思表示の方式を論じる中で,遺言の撤回は抵触する無方式の生前行為によって擬制されることに言及している(片岡武・管野眞一編著『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』273頁)。
そのため,遺言後に口頭でされた処分であっても,それが法律行為として成立していれば,この規定の対象となり得る。
この法定撤回は,遺言者の撤回の意思を推定するものではなく,遺言者の意思にかかわらず撤回を擬制するものと説明されている(前掲『新基本法コンメンタール 相続』237頁)。
もっとも,同書は,遺言者の真意を探る必要性から,これを疑問とする立場も有力であると紹介している(同頁)。
2 「抵触」の意味――最高裁昭和56年11月13日判決
最高裁判所第二小法廷昭和56年11月13日判決(昭和56年(オ)第310号,民集35巻8号1251頁)は,終生扶養を受けることを前提として養子縁組をした上で不動産の大半を養子に遺贈する旨の遺言をした者が,その後,養子に対する不信の念を深くして協議離縁をし,法律上も事実上も扶養を受けないことにした事案である。
同判決は,民法1023条2項の法意は遺言者がした生前処分に表示された遺言者の最終意思を重んずることにあるとした上で,「同条二項にいう抵触とは、単に、後の生前処分を実現しようとするときには前の遺言の執行が客観的に不能となるような場合にのみにとどまらず、諸般の事情より観察して後の生前処分が前の遺言と両立せしめない趣旨のもとにされたことが明らかである場合をも包含するものと解するのが相当である。」と判示した。
その上で同判決は,協議離縁は遺贈と両立せしめない趣旨のもとにされたものであるとして,遺贈は取り消されたものとみなされるとした。
判決当時の条文は「取消し」という用語を用いていたが,平成16年法律第147号による改正で「撤回」に改められている(前掲『第3版 実務相続関係訴訟』243頁)。
口約束との関係では,遺言の対象である不動産を別の人に売ったり贈与したりすることは,後の処分を実現しようとすれば遺言を執行できなくなるから,典型的な抵触に当たる(前掲『新基本法コンメンタール 相続』238頁)。
前掲『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』491頁~492頁も,旧遺言で甲地をBに譲るとしていた者がその後甲地をCに生前贈与した設例について,遺言後の生前処分との抵触として遺言の撤回に当たるとしている。
3 確定的な法律効果が必要――最高裁昭和43年12月24日判決
最高裁判所第三小法廷昭和43年12月24日判決(昭和40年(オ)第706号,民集22巻13号3270頁)は,遺言による寄附行為に基づく財団の設立行為と,遺言後に遺言者が生前にした寄附行為に基づく財団の設立行為とが競合した事案である。
同判決は,遺言の取消しが相続人,受遺者,遺言執行者などの法律上の地位に重大な影響を及ぼすことを踏まえ,「遺言と生前処分が抵触するかどうかは、慎重に決せられるべきで、単に生前処分によつて遺言者の意思が表示されただけでは足りず、生前処分によつて確定的に法律効果が生じていることを要するものと解するのが相当である。」と判示した。
その上で,生前の寄附行為に基づく財団が主務官庁の許可によって設立されてその効果が生じていない以上,遺言との抵触の問題は生じないとした。
この判示に照らすと,遺言者が「家はお前にやるつもりだ」と話しただけで,贈与や売買などの法律行為が成立していない場合には,遺言と抵触する生前処分があったとはいえないと考えられる。
注釈書も,生前処分が無効であり又は取り消された場合には撤回の効果は認められないと解しており(前掲『新基本法コンメンタール 相続』238頁),停止条件付きの贈与契約であれば,条件の成就によって初めて抵触が確定的になるとしている(同書240頁)。
4 遺言者本人の行為であることが必要
撤回の効果が認められる根拠は,遺言者自らが遺言と抵触する行為をして遺言の実現を困難にすることにあるから,生前処分等の行為は遺言者自身が行う必要があり,成年後見人が抵触行為をした場合には撤回は擬制されないと解されている(前掲『新基本法コンメンタール 相続』238頁)。
したがって,遺言者の家族が「親はこう言っていた」として約束の相手と契約を交わしたとしても,それは遺言者の生前処分には当たらないと考えられる。
5 撤回されるのは抵触する部分に限られる
撤回されたものとみなされるのは,遺言のうち「その抵触する部分」だけである(民法1023条1項・2項)。
例えば,自宅と預金を長男に相続させる遺言の後に自宅だけを次男に贈与した場合,撤回されたものとみなされるのは自宅に関する部分であり,預金に関する部分は効力を保つ。
注釈書は,遺言で甲不動産をAに遺贈した後に,遺言者が生前に甲不動産にBのための地上権を設定した場合には,遺言は地上権付きの甲不動産をAに遺贈するものとして有効とされるとしている(前掲『新基本法コンメンタール 相続』240頁)。
また,包括遺贈をした後に遺言者が特定の財産を生前処分しても,包括遺贈と抵触するものではなく,撤回は擬制されないと説明されている(同書238頁)。
第4 口約束の中身ごとの検討
1 単なる希望や予定の表明にとどまる場合
「家は次男に継いでほしい」「そのうち遺言を書き直す」といった発言は,将来の意向を述べたものにすぎず,それだけでは贈与や売買の申込みとはいえないことが多い。
この場合は,第2で述べたとおり撤回の方式を満たさず,第3の3で述べたとおり確定的な法律効果も生じていないから,公正証書遺言の効力に影響しないと考えられる。
遺言者の意向が変わっていたことをうかがわせる事情にはなり得るが,意向の変化を遺言に反映させるには,遺言の方式による撤回又は新たな遺言が必要である。
2 売買の約束をした場合
売買は,当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって効力を生ずる契約であり(民法555条),書面がなくても成立する。
遺言の後に,遺言者が遺言の対象である不動産を口頭で他人に売る約束をし,売買契約が成立していれば,遺言と抵触する生前処分として,その不動産に関する部分の遺言は撤回されたものとみなされる。
遺言者の売主としての義務は相続によって相続人に承継されるから(民法896条),相続人は買主に対して所有権移転登記等をする義務を負うことになる。
もっとも,口頭の売買は,対象不動産の特定,代金額及び支払の有無を後から証明することが難しい。
代金が支払われていれば,その送金記録等が契約の成立を裏付ける重要な証拠となる。
3 生前贈与の約束をした場合
贈与は,当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって効力を生ずる(民法549条)。
遺言の後に,遺言の対象である不動産を口頭で他人に贈与する契約が成立すれば,売買の場合と同様に,その部分の遺言は撤回されたものとみなされる。
ただし,民法550条は,「書面によらない贈与は、各当事者が解除をすることができる。ただし、履行の終わった部分については、この限りでない。」と定めている。
最高裁判所第二小法廷昭和40年3月26日判決(昭和39年(オ)第370号,民集19巻2号526頁)は,不動産の贈与契約に基づいて所有権移転登記がされたときは,引渡しの有無を問わず,同条にいう履行が終わったものと解すべきであるとしている。
登記も引渡しもされていない口頭の贈与は,履行が終わるまで解除することができ,この解除権は,当事者が死亡すると相続人に移転すると解説されている(我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債権〔第6版〕』1141頁)。
解除された場合の遺言の効力については,第5の6で述べる。
4 「自分が死んだら譲る」という約束をした場合
「自分が死んだらこの家をお前にやる」という約束は,贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与,すなわち死因贈与に当たることがある(民法554条)。
公正証書遺言との関係で最も問題となりやすいのがこの類型であるから,第5で詳しく扱う。
第5 口頭の死因贈与と公正証書遺言の優劣
1 死因贈与は口頭でも成立するが,承諾が必要である
民法554条は,「贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与については、その性質に反しない限り、遺贈に関する規定を準用する。」と定めている。
最高裁判所第三小法廷昭和32年5月21日判決(昭和30年(オ)第392号,民集11巻5号732頁)は,同条は死因贈与契約の効力について遺贈に関する規定に従うべきことを定めただけで,その契約の方式について遺言の方式に関する規定に従うべきことを定めたものではないとした。
したがって,死因贈与は口頭でも成立し得る。
もっとも,死因贈与は契約であるから受贈者の承諾が必要であり,少なくとも贈与者の死亡前に受贈者が贈与の内容を認識している必要があると説明されている(遺言・相続実務問題研究会編『実務家も迷う遺言相続の難事件』46頁)。
形式不備の遺言書が死因贈与として有効となる場合の成立要件と裁判例は,形式不備の遺言は死因贈与として有効か―成立要件・裁判例・主張立証で説明している。
2 遺言の後に口頭で死因贈与をした場合
公正証書遺言を作成した後に,遺言者が遺言の対象である不動産を別の人に死因贈与する契約を口頭で結んだ場合,死因贈与は遺言者の生前に結ばれる法律行為であるから,民法1023条2項の「遺言後の生前処分その他の法律行為」に当たり,遺言と抵触する部分は撤回されたものとみなされると考えられる。
死因贈与は贈与者の死亡によって効力を生ずるから,第3の3の最高裁昭和43年12月24日判決との関係では,遺言と同じく贈与者の死亡の時に効力が生じ,その時点で抵触が確定すると整理することになる。
遺言者がその後に死因贈与を撤回していれば,抵触は生じない。
もっとも,遺言後の死因贈与による撤回擬制を正面から判断した最高裁判例は,確認した範囲では見当たらなかった。
3 遺言の前に口頭で死因贈与をしていた場合
反対に,口頭で死因贈与の約束をした後に,その内容と異なる公正証書遺言を作成した場合が問題となる。
最高裁判所第一小法廷昭和47年5月25日判決(昭和46年(オ)第1166号,民集26巻4号805頁)は,「死因贈与については、遺言の取消に関する民法一〇二二条がその方式に関する部分を除いて準用されると解すべきである。」と判示し,その理由として,死因贈与も贈与者の死後の財産に関する処分であり,遺贈と同様に贈与者の最終意思を尊重すべきことを挙げた。
この判例と後記4の最高裁判決の判断の枠組みを前提とすると,死因贈与の後にこれと抵触する遺言が作成された場合は,原則として死因贈与が撤回され,遺言が優先することになると考えられる。
ただし,注釈書には,死因贈与は契約であることから,1022条・1023条は遺言に特有な規定とみる方が妥当であり,準用を否定する傾向の方が有力であるとするものもある(前掲『我妻・有泉コンメンタール民法』1146頁)。
また,遺言と死因贈与が本当に抵触するかは,遺言の解釈によって決まる。
最高裁判所第二小法廷昭和58年3月18日判決(昭和55年(オ)第973号,集民138号277頁)は,遺言の解釈に当たっては,遺言書の文言を形式的に判断するだけでなく遺言者の真意を探究すべきであり,遺言書の全記載との関連,遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して条項の趣旨を確定すべきであるとしている。
実務書には,書面による死因贈与契約の約10年後に作成された公正証書遺言について,受贈者に死因贈与の対象と同じ不動産を相続させ,受贈者の相続税額を上回る金融資産も相続させる内容であったことなどから,遺言は死因贈与契約を履行する内容と評価でき,両者は抵触しないとした検討例がある(前掲『実務家も迷う遺言相続の難事件』250頁~253頁)。
4 負担付死因贈与で負担が履行されている場合――最高裁昭和57年4月30日判決
「介護をしてくれたら家をやる」というように,受贈者の負担と引換えにされた死因贈与は,負担付死因贈与である。
最高裁判所第二小法廷昭和57年4月30日判決(昭和56年(オ)第487号,民集36巻4号763頁)は,負担の履行期が贈与者の生前と定められた負担付死因贈与について,受贈者が約旨に従い負担の全部又はそれに類する程度の履行をした場合には,「贈与者の最終意思を尊重するの余り受贈者の利益を犠牲にすることは相当でない」として,契約締結の動機,負担の価値と贈与財産の価値との相関関係,契約上の利害関係者間の身分関係その他の生活関係等に照らし,取消しをすることがやむをえないと認められる特段の事情がない限り,1022条,1023条の各規定を準用するのは相当でないと判示した。
この事件の原審は,負担付死因贈与契約はこれと抵触する遺言によって取り消されたとしていたが,最高裁は,負担の履行の有無と特段の事情の存否を審理していないとして原判決を破棄し,事件を差し戻した。
したがって,口頭で「面倒をみてくれたら家をやる」と約束し,受贈者が生前に介護等の負担を果たしていた場合には,その後に作成された公正証書遺言によっても死因贈与が覆らないことがある。
もっとも,同判決は負担の履行期が贈与者の生前と定められていたことを前提としており,口頭の約束では,負担の内容,履行期及び履行の程度を立証すること自体が問題となる。
5 裁判上の和解でされた死因贈与――最高裁昭和58年1月24日判決
口約束の例ではないが,死因贈与の撤回が制限される場面として,最高裁判所第二小法廷昭和58年1月24日判決(昭和57年(オ)第194号,民集37巻1号21頁)がある。
同判決は,土地の所有権をめぐる訴訟の控訴審で成立した裁判上の和解において,贈与者が相手方らに土地を無償で耕作する権利を与え,その権利を失わせるような一切の処分をしないことを約束するとともに,贈与者が死亡したときは土地を相手方及びその相続人に贈与することを約した事案について,贈与に至る経過,裁判上の和解という特殊な態様及び和解条項の内容等を総合して,死因贈与は贈与者において自由には取り消すことができないとした。
他方で同判決は,死因贈与を自由に取り消すことができないかどうかと,贈与者が目的不動産を第三者に売り渡すことができないかどうかとは次元を異にする別個の問題であり,受贈者と買主との関係は二重譲渡の場合における対抗問題によって解決されるとして,買主の主張について審理しなかった原判決を破棄し,事件を差し戻した。
6 書面によらない死因贈与の解除
口頭の死因贈与は書面によらない贈与であるから,民法550条により,履行が終わるまでは各当事者が解除することができる。
注釈書も,死因贈与には遺贈に関する厳格な方式は必要でなく,書面によらないと当事者が取り消す(現行法では解除する)ことができるにすぎないと説明している(前掲『我妻・有泉コンメンタール民法』1145頁)。
同条の書面は契約書に限られず,贈与の意思が書面に表示されていれば足りると解されており(同書1140頁),最高裁判所第二小法廷昭和60年11月29日判決(昭和57年(オ)第942号,民集39巻7号1719頁)は,不動産を取得した者がこれを贈与した事案で,登記簿上の所有名義人である前主に対して受贈者へ直接所有権移転登記をするよう求めた内容証明郵便等の事情から,その内容証明郵便は550条の書面に当たるとした。
もっとも,書面によらない死因贈与であっても,解除が常に認められるわけではない。
大阪高等裁判所平成16年2月17日判決(平成15年(ネ)第1824号)は,先代の遺産分割協議の際に,相続人全員の間で,贈与者が不動産を相続するが贈与者が死亡したときは受贈者が取得すると合意され,これに沿って遺産分割協議書と同意書が作成された事案である。
同判決は,死因贈与契約は実質的に遺産分割協議と一体のものであり,贈与者が自由に取り消すことができると解すると受贈者の利益を著しく害するとして,書面によらない贈与契約であっても民法550条本文によって取り消すことはできないとした。
なお,遺言後の口頭の死因贈与によって遺言が撤回されたものとみなされた後に,相続人が550条によって死因贈与を解除した場合に,撤回された遺言が復活するかは問題となり得る。
民法1025条本文は,撤回された遺言は,その撤回の行為が撤回され,取り消され,又は効力を生じなくなるに至ったときであっても,効力を回復しないと定めている。
この場面を正面から論じた裁判例や文献は,確認した範囲では見当たらなかった。
第6 口約束の立証
1 口頭の死因贈与の成立が否定された例――大阪地裁令和2年3月27日判決
大阪地方裁判所令和2年3月27日判決(平成30年(ワ)第3637号)は,長年生活を共にしてきたパートナーの一方が,先に死亡した者の全財産を生存する相手方に譲渡するとの相互の死因贈与を口頭で合意していたと主張して,死亡したパートナーの遺産を相続した親族に対し,不動産の所有権移転登記手続等を求めた事案である。
同判決は,交際と同居の経緯や将来への不安などから合意がされたと推認できるようにも思われるとしつつ,死亡したパートナーが自分名義の財産は妹に渡すと話していたこと,原告が死亡後の話合いで遺産は相続人が取得すればよい旨を発言し,代理人を通じても死因贈与ではなく財産分与や事業の清算としての金銭給付を求めていたことなどを指摘した。
その上で,原告が死因贈与合意の存在と矛盾した行動をとっていたことに,合意の存在について原告の供述等以外にこれを証する証拠がないことを併せて考えれば,死因贈与合意の成立を認めることはできないとして,請求を棄却した。
この事案は公正証書遺言が問題となったものではないが,口頭の約束を主張する側が約束の存在をどのように証明するかという点で参考になる。
2 主張する側と争う側が確認する事項
口約束によって公正証書遺言の一部が撤回されたと主張する側は,次の事実を具体的に主張し,証拠と結び付ける必要がある。
①約束の日時,場所,言葉及び対象不動産
②約束が売買,贈与又は死因贈与の申込みであり,相手方が遺言者の生前に承諾したこと
③約束が遺言の作成日より後であること
④遺言者本人が約束したこと
⑤負担付きであれば,負担の内容,履行期及び履行の状況
⑥代金の支払,登記,引渡し,仮登記など約束に沿った行動の有無
これを争う側は,発言が意向の表明にとどまること,承諾がないこと,約束の後に遺言者がこれと矛盾する行動をとっていたこと,約束の後に公正証書遺言が作成されていること,書面によらない贈与として解除したことなどを検討することになる。
遺言無効確認訴訟の要件事実としては,遺言者による遺言の撤回又は撤回擬制に当たる行為は再抗弁事実と整理されている(前掲『第3版 実務相続関係訴訟』277頁~278頁)。
要件事実の整理は,公正証書遺言に関する遺言無効確認請求訴訟の要件事実――請求原因,抗弁及び再抗弁の分配で扱っている。
約束の前後に別の公正証書遺言が作成されていないかは,公正証書遺言の検索を弁護士が代理する方法-必要書類・委任状・謄本請求の方法で確認できる。
後の遺言がある場合の遺言無効確認の訴えの利益については,遺言無効確認請求訴訟の確認の利益―生前提訴・特別縁故者・後の遺言・登記後の扱いで説明している。
第7 約束を実現したい場合にとるべき方法
遺言者が,公正証書遺言と異なる内容で財産を渡したいと考えを改めた場合は,口約束にとどめず,遺言の方式によって前の遺言を撤回し,又は新たな遺言をするのが最も紛争を生じにくい。
公正証書で前の遺言と抵触する遺言をするときは,疑義のないように明文でその部分を撤回し,又は変更する旨を記載すべきであるとされている(日本公証人連合会編著『新版 証書の作成と文例 遺言編〔三訂版〕』227頁)。
相手方との契約として約束したいのであれば,死因贈与契約書を作成し,不動産について贈与者の死亡を始期とする所有権移転仮登記をしておくことが考えられる。
仮登記をしても死因贈与を撤回すること自体はできるが,贈与者は仮登記を単独で抹消できないため,撤回を防止する事実上の効果があると説明されている(前掲『実務家も迷う遺言相続の難事件』47頁)。
遺言者が亡くなった後に,相続人全員が口約束を尊重して遺言と異なる分け方をしたいと考える場合については,遺言と異なる遺産分割をしたい場合の調停手続-受遺者がいる場合の選び方で説明している。
第8 出典
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)549条,550条,554条,555条,896条,960条,967条,976条,985条,1022条,1023条,1024条,1025条,1026条(e-Gov法令検索)
法令は令和8年9月11日を基準とする。
2 裁判例
①最高裁判所第三小法廷昭和32年5月21日判決(昭和30年(オ)第392号,民集11巻5号732頁)
②最高裁判所第二小法廷昭和40年3月26日判決(昭和39年(オ)第370号,民集19巻2号526頁)
③最高裁判所第三小法廷昭和43年12月24日判決(昭和40年(オ)第706号,民集22巻13号3270頁)
④最高裁判所第一小法廷昭和47年5月25日判決(昭和46年(オ)第1166号,民集26巻4号805頁)
⑤最高裁判所第二小法廷昭和56年11月13日判決(昭和56年(オ)第310号,民集35巻8号1251頁)
⑥最高裁判所第二小法廷昭和57年4月30日判決(昭和56年(オ)第487号,民集36巻4号763頁)
⑦最高裁判所第二小法廷昭和58年1月24日判決(昭和57年(オ)第194号,民集37巻1号21頁)
⑧最高裁判所第二小法廷昭和58年3月18日判決(昭和55年(オ)第973号,集民138号277頁)
⑨最高裁判所第二小法廷昭和60年11月29日判決(昭和57年(オ)第942号,民集39巻7号1719頁)
⑩大阪高等裁判所平成16年2月17日判決(平成15年(ネ)第1824号)
⑪大阪地方裁判所令和2年3月27日判決(平成30年(ワ)第3637号)
3 文献
①松川正毅・窪田充見編『新基本法コンメンタール 相続』(別冊法学セミナー245号,日本評論社,2016年)236頁~245頁〔久保野恵美子〕
②田村洋三・小圷眞史編著『第3版 実務相続関係訴訟』(日本加除出版,2020年)243頁~244頁,277頁~278頁
③我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債権〔第6版〕』(日本評論社,2019年)1140頁~1141頁,1145頁~1146頁
④片岡武・管野眞一編著『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』(日本加除出版,2021年)273頁,491頁~492頁
⑤遺言・相続実務問題研究会編『実務家も迷う遺言相続の難事件』(新日本法規出版,2021年)46頁~47頁,250頁~253頁
⑥日本公証人連合会編著『新版 証書の作成と文例 遺言編〔三訂版〕』(立花書房,2021年)227頁