第1 領有権と,法律が適用される範囲を分けて読む
国後島に関する裁判例を読む際は,領土の帰属,個々の法律が適用される地域,日本の行政庁が許可を与えられる範囲及び現地で取締りを行える範囲を分けて考える必要がある。
ある法律で「本邦」に含まれないとされたことから,日本のすべての法律が適用されないとはいえない。
反対に,日本の罰則が適用されることだけから,現地で日本の取締機関が権限を行使できるともいえない。
本記事は,国後島への渡航及び周辺海域での無許可漁業を扱った昭和34年,昭和45年及び昭和46年の最高裁裁判例を比較するものである。
対象は各事件当時の出入国管理令,漁業法及び関係規則の解釈であり,現在の渡航・操業条件を示すものではない。
裁判所が公開する裁判書の本文を基に,それぞれの判断の対象と限界を整理する。
| 裁判例 | 対象となった問題 | 判断を読む際の注意点 |
|---|---|---|
| 最高裁昭和34年2月25日第二小法廷決定 | 出入国管理令の「本邦」に国後島が含まれるか | 同令の適用についての判断である。 |
| 最高裁昭和45年9月30日第二小法廷決定 | 国後島沿岸の無許可ほたて貝漁に禁止が及ぶか | 許可可能な範囲と禁止の範囲が常に一致するとは限らない。 |
| 最高裁昭和46年4月22日第一小法廷判決 | 国後島沿岸の日本国民による無許可さけ漁を処罰できるか | 現地での取締権限と,行為に対する罰則の適用を区別する。 |
第2 昭和34年決定――出入国管理令の「本邦」
1 国後島へ無旅券で渡航した事件
最高裁昭和34年2月25日第二小法廷決定(昭和33年(あ)第2566号)は,有効な旅券を所持せず,出国の証印も受けないで出航し,国後島の沖合に到達した行為について,出入国管理令の適用が問題となった事件である。
弁護側は,同令及び施行規則において国後島を本邦外とする法規がないとして,犯罪の成立を争った。
最高裁は,平和条約2条(c)及び昭和27年4月28日の外務省令による規定の削除を踏まえ,国後島は出入国管理令の適用上,同令2条1号の「本邦」には属しないと解した。
結論として上告を棄却している。
裁判書の根拠箇所はPDF1頁~2頁である。
裁判所公開本文:https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-51629.pdf
2 判断の限定を外して引用しない
この決定を引用する際に欠かせないのは,出入国管理令の適用についての判断であるという限定である。
当該法令の「本邦」の解釈を,領有権問題全体についての一般的な結論や,他の法律の場所的適用範囲へそのまま置き換えることはできない。
また,事件当時の条文・省令の解釈と,現在どのような渡航手続が必要かという問題も異なる。
過去の決定だけを根拠に,現在の渡航が可能又は適法であると判断することはできない。
第3 昭和45年決定――許可を与えられない海域でも禁止は及ぶか
1 国後島沿岸の無許可ほたて貝漁
最高裁昭和45年9月30日第二小法廷決定(昭和44年(あ)第89号)は,北海道知事の許可を受けず,国後島の沿岸線から約2.5海里の海域で小型機船底びき網漁業を営んだ事件である。
昭和41年8月21日,ほたてけた網により,ほたて貝約800キログラムを採捕した事案であった。
国際法事例研究会著『領土』の千島・樺太に関する章で北島丸事件として紹介される事件に当たるが,裁判所公開本文では漁船名は匿名化されている。
2 禁止の範囲と許可可能な範囲は必ずしも同じではない
最高裁は,漁業法における漁業禁止の範囲と許可可能な範囲が,常に一致しなければならない理由はないとした原判決の判断を是認した。
国後島に事実上日本の統治権が及ばず,北海道知事が当該海面について許可を与えることが考えられないとしても,漁業調整の見地から,当該操業海域には旧漁業法66条1項の無許可漁業禁止の効力が及ぶとしたのである。
この決定は,許可を受けることが困難又は不可能であれば当然に自由に操業できる,という理解を採っていない。
ただし,これは当該漁業法規と操業海域についての判断であり,あらゆる許可制度で同じ結論になるという一般則を示したものではない。
裁判書はPDF1頁であり,上告棄却の決定である。
裁判所公開本文:https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-51805.pdf
第4 昭和46年判決――現地で取り締まれなくても処罰できるか
1 無許可さけ漁を罪にならないとした原審
最高裁昭和46年4月22日第一小法廷判決(昭和44年(あ)第2759号)は,北海道知事の許可を受けず,国後島沿岸から約2.5海里の海域で小型さけ・ます流し網漁業を営んだ行為を扱った。
事案は昭和42年10月のさけ漁であり,昭和45年決定のほたて貝漁とは別事件である。
原審は,国後島周辺で日本が統治権や漁業取締りの実力を行使できないこと,許可によって禁止を解除できないことなどを理由に,当該行為は罪とならないとした。
最高裁は,この解釈を採らず,原判決及び第一審判決を破棄して,釧路地方裁判所へ差し戻した。
2 取締権限と罰則の国外適用を区別した
最高裁は,特別の取決めがない限り,外国の領海の海面自体では,日本が臨場検査等の取締権限を行使できないことを前提とした。
その一方で,漁業法及び関係規則の目的と漁業の性質に照らし,日本の領海・公海と連接して一体をなす外国の領海で日本国民が営む当該漁業にも,旧漁業法66条1項の禁止及び138条6号の罰則が適用される趣旨であると解した。
国後島について事実上日本の統治権が及ばず,許可や臨場検査ができないとしても,事件の操業海域はそのような連接して一体をなす海面に属するとしたのである。
したがって,現地で日本の取締機関が直接取り締まれないという事情だけでは,日本国民の行為について日本の罰則による処罰を免れることにはならない。
中心となる判示はPDF2頁~3頁,破棄差戻しの結論はPDF4頁にある。
裁判所公開本文:https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-51803.pdf
第5 3裁判例から得られる実務上の読み方
1 法令・行為者・行為・場所を先に特定する
3裁判例は,同じ国後島に関係していても,問題となった法令,行為及び判断の組立てが異なる。
昭和34年決定は出入国管理令の「本邦」の解釈を,昭和45年決定は当該海域への漁業禁止の効力を,昭和46年判決は取締権限と罰則の国外適用をそれぞれ問題とした。
結論の違いを直ちに矛盾や判例変更と扱うことは適切でない。
実務では,まず適用を問題とする法令と当時の条文を特定し,誰が,いつ,どの場所で,どのような行為をしたかを確認する。
その上で,法律上の禁止,許可による禁止の解除,現地での行政権限の行使及び裁判・処罰を個別に検討するという順序が有用である。
これは各裁判例の射程を混同しないための検討手順であり,独立した法的要件を追加するものではない。
2 現在の渡航・漁業の可否には現行資料が必要である
これらは昭和期の裁判例であり,引用された条文番号,漁業の許可制度及び事件当時の海域の説明を,現在の制度へそのまま当てはめることはできない。
現在の渡航又は操業を検討するときは,現行法令,対象海域・漁業種類,適用される国際的取決め及び行政機関の最新の案内を別に確認する必要がある。
また,外国の取締機関による拿捕等の危険があるかという問題は,日本法上の犯罪が成立するかという問題とも異なる。
歴史的判例の紹介を,具体的な渡航・操業を勧める根拠として利用することはできない。
第6 関連記事と出典
漁業に関する国際交渉,マッカーサーライン及び日米加・日韓の協定の歴史は,次の記事で扱っている。
「サンフランシスコ平和条約と漁業-第9条,マッカーサーラインの廃止及び日米加・日韓漁業交渉」:https://yamanaka-bengoshi.jp/2026/08/30/sanfuranshisuko-heiwa-joyaku-9jo-gyogyo/
沖縄・奄美・小笠原の施政権の分離と返還については,次の記事を参照されたい。
「沖縄・奄美・小笠原はなぜ本土と異なる統治を受けたのか」:https://yamanaka-bengoshi.jp/2026/09/02/okinawa-amami-ogasawara-gunsei-henkan/
本記事の判示内容の出典は,第2から第4に掲げた裁判所公開の3裁判書である。
北島丸という事件の呼称は,国際法事例研究会著『領土』(日本の国際法事例研究3)の千島・樺太に関する章による。
学説による事件の紹介と,裁判書に書かれた事実及び判断は区別している。