第1 既存障害がある交通事故で最初に分けるべき問題
交通事故前から身体障害又は疾病があった被害者については,事故後の障害全部を今回事故の損害として扱うのか,既存障害の影響をどの段階で控除するのかが問題となる。
この場面では,①自賠責保険の加重障害における保険金額の上限,②民事上の後遺障害逸失利益,③既存障害又は疾病を理由とする素因減額を区別する必要がある。
三つは根拠と計算目的が異なるから,自賠責の控除式をそのまま民事損害賠償の計算式に置き換えてはならない。
1 検討の順序
実務上は,次の順序で事実を固定すると整理しやすい。
①事故前の障害部位,機能,等級,治療経過及び就労状況
②今回事故後の障害部位,機能,等級及び日常生活上の支障
③既存障害と今回障害が自賠責上の「同一部位」に当たるか
④事故前の現実収入に既存障害の影響が既に反映されていたか
⑤今回事故によって新たに生じた収入減又は労働能力の低下
⑥これらを逸失利益の基礎収入,労働能力喪失率又は素因減額のどこで評価するか
2 二重控除を避ける視点
事故前の現実収入が既存障害の影響を受けて低くなっていた場合,その現実収入を基礎収入としながら,さらに既存障害の喪失率を機械的に差し引くと,既存障害の影響を二重に控除するおそれがある。
逆に,事故前の就労実績がなく,既存障害がなければ得られたはずの収入を賃金センサス等から推認する場合には,事故前から失われていた部分と今回事故によって新たに失われた部分を分ける必要がある。
第2 自賠責保険における加重障害
1 自賠法施行令2条2項
自動車損害賠償保障法施行令2条2項は,既に後遺障害のある者が同一部位について障害の程度を加重した場合,保険金額を,加重後の障害等級の保険金額から既存障害の等級に応ずる保険金額を控除した額とする旨を定めている。
これは自賠責保険の支払限度額を定める規定であり,民事上の逸失利益について「喪失率の差だけを用いる」ことを直接定めたものではない。
2 同一部位の判断
同一部位であるかは,傷病名が同じ神経系統に属するというだけでなく,身体の部位及び機能障害の内容を具体的に比較して判断する必要がある。
東京高裁平成28年1月20日判決は,既存障害と今回障害が同じ神経系統の障害に分類されても,障害部位と機能が異なる事案で同一部位性を否定したものと紹介されている。
同判決は裁判所ウェブサイトでは確認できず,『判例時報』2292号58頁に掲載されているため,利用時には掲載誌又は契約判例データベースで判決全文を確認する必要がある。
3 因果関係の判定が困難な場合の自賠責基準
国土交通省の自賠責保険金等支払基準は,受傷と死亡又は後遺障害との因果関係の有無の判断が困難な場合,積算した損害額又は保険金額から50%を減額する取扱いを定めている。
この50%減額も自賠責保険の支払基準であり,民事裁判で一律に50%の素因減額を行う一般法則ではない。
第3 民事上の後遺障害逸失利益の算定方法
1 基本式
後遺障害逸失利益は,一般に,基礎収入×労働能力喪失率×就労可能期間に対応する中間利息控除係数によって算定する。
既存障害がある場合の核心は,基礎収入と喪失率の双方に同じ事情を重ねて反映させないことである。
2 事故前の現実収入を基礎とする方法
事故前に相当期間の就労実績があり,その収入が既存障害を前提とした現実の稼働能力を適切に示している場合,事故前の現実収入を基礎収入とし,今回事故によって新たに失われた労働能力の割合を乗ずる方法が考えられる。
この方法では,事故前の収入自体に既存障害の影響が織り込まれているから,今回事故の障害等級の標準的喪失率から既存障害の標準的喪失率を単純に差し引くことが常に適切とは限らない。
3 加重後の損失から既存障害による損失を差し引く方法
事故前の就労実績がない,又は現実収入が稼働能力を適切に表していない場合,既存障害がなければ得られたはずの収入を基礎として,加重後の逸失利益から既存障害だけによる逸失利益を差し引く方法が考えられる。
この場合には,賃金センサス,学歴,資格,職歴,年齢,健康状態及び具体的な就職可能性から「既存障害がなければ得られた収入」を立証する必要がある。
4 加重後の損失を算定して割合的に減額する方法
既存障害と今回障害の寄与を基礎収入又は喪失率だけでは適切に分けられない場合,加重後の損失全体を算定した上で,既存障害の寄与を割合的に調整する方法が問題となる。
ただし,割合は自賠責等級の数字から自動的に導かれるものではなく,医学的所見,事故前後の就労状況及び日常生活上の変化により説明する必要がある。
第4 立証資料の組み立て方
1 医学的資料
事故前後の画像,診療録,後遺障害診断書,身体所見及び検査結果を時系列に並べ,既存障害と今回障害の解剖学的部位,機能及び症状を対比する。
障害等級の同一性だけでなく,現実にどの動作又は職務が制限されたかを明らかにすることが重要である。
2 就労及び収入資料
源泉徴収票,所得証明書,給与明細,雇用契約書,人事評価,勤務記録,事故前後の担当業務及び退職・配置転換の理由を確認する。
事故前の収入が低い場合,既存障害のためか,若年,非正規雇用,景気,家事・育児,転職準備その他の事情によるのかを区別する。
3 生活状況の資料
家族の陳述,介助記録,写真,動画,福祉サービス記録等により,事故前にできた動作と事故後に困難となった動作を具体化する。
抽象的な「悪化」ではなく,移動,書字,視聴覚,家事,就労及び対人活動ごとに変化を示す方が,今回事故による追加的損失を説明しやすい。
第5 傷害慰謝料及び後遺障害慰謝料
逸失利益の算定方法と慰謝料の調整方法は必ずしも一致しない。
慰謝料は,傷害の部位・程度,治療経過,後遺障害の内容,事故前後の生活状況その他一切の事情を考慮して定められるため,自賠責の加重障害の控除額又は逸失利益の差額式をそのまま当てはめる理論的必然性はない。
既存障害があることだけを理由に機械的に慰謝料を減額せず,今回事故により新たに生じた精神的苦痛を具体的に評価する必要がある。
第6 素因減額と二重減額の防止
1 素因減額の位置付け
被害者の疾病が損害の発生又は拡大に寄与した場合,最高裁判例は民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して損害額を調整し得るとしている。
もっとも,既存障害が存在するだけで当然に減額されるわけではない。
事故前の基礎収入,今回事故固有の喪失率又は既存障害分の控除によって既に影響を評価しているときは,さらに素因減額をする独立の理由があるかを検討する必要がある。
2 一段階計算と二段階計算
基礎収入又は喪失率の設定で既存障害の影響を十分に反映できる事案では,その一段階の計算で足りる。
第一段階の計算をしてもなお,既存の疾病等が損害拡大に寄与した事情が残るときに限り,第二段階として素因減額を検討する。
「既存障害があるから」という同じ理由を二度使わないことが重要である。
3 確認事項
①基礎収入に既存障害の影響を反映したか
②喪失率から既存障害分を控除したか
③自賠責保険金額の控除を民事損害額の控除と混同していないか
④素因減額の根拠事実が①又は②と別に存在するか
⑤既払自賠責保険金の控除を最終損害額の計算で重複していないか
第7 主張立証のための実務チェックリスト
1 被害者側
事故前に可能で事故後にできなくなった仕事と生活動作を具体的に記載する。
現実収入を基礎とする場合は,その収入が既存障害を前提とする稼働能力を既に反映していることを示す。
賃金センサス等を使う場合は,既存障害がなければ得られた収入の蓋然性を,資格,職歴及び就職計画で補強する。
2 加害者側
既存障害と今回障害の部位,機能及び就労への影響を分け,どの計算要素に既存障害を反映させるのかを明示する。
等級差又は自賠責保険金額の差だけで民事損害額を決めず,基礎収入と喪失率の設定との重複を点検する。
第8 参考資料及び確認範囲
本記事は,日弁連交通事故相談センター東京支部編『民事交通事故訴訟・損害賠償額算定基準2024年版』下巻49頁以下の講演録,自賠法施行令及び国土交通省の自賠責保険金等支払基準を中心に整理したものである。
令和8年9月27日,判例秘書INTERNETにより,講演録の別紙54行に対応する重複を除いた51判決と,本文・脚注で別紙外に言及された19判決の合計70判決について,判決全文を確認した。
この照合では,別紙I-21の大阪地裁判決日を平成28年1月19日,別紙III-1の東京地裁判決日を平成19年11月7日,別紙IV-7の裁判所を那覇地裁として,原本画像及び判決全文によりOCR誤読を補正した。
もっとも,70判決の全件確認は各判決の事案及び判断内容を確認したという意味であり,異なる証拠関係を有する事件に結論を一般化できることを意味しない。個別事件では,判決全文を事故前後の医学的・就労上の事実と対照し,計算方法を選択する必要がある。
関連して,交通事故の後遺障害逸失利益及び交通事故の後遺障害等級・号数対照表も参照されたい。