第1 判決の結論
最高裁令和7年9月9日第三小法廷判決(令和5年(受)第2207号)は,請求異議の訴えを本案とする民事執行法36条1項の強制執行停止について,申立人の損害賠償責任が生じる判断枠組みを示した。
強制執行停止を命ずる裁判がされた後,請求異議の訴えの棄却判決が確定し,停止裁判が取り消された場合において,主張した異議の事由が事実上又は法律上の根拠を欠くことについて申立人に故意又は過失があるときは,申立人は,債権者が執行停止により被った損害を賠償する義務を負う。申立てが制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限られない。
そして,この場合は,原則として,異議の事由を裏付ける相当な根拠について調査・検討する注意義務を尽くさなかった過失が推定される。ただし,債務名義の種類,異議の事由の内容等に照らして申立てをする相当な事由があったときは,取消しの一事から当然に過失があったとはいえない。
本記事は裁判所公表判決全文に基づく。判例秘書,原審全文及び差戻審の帰趨は本記事作成時点で確認していない。
第2 事案の概要
不動産の明渡しを命ずる確定判決を得た債権者に対し,債務者は,留置権及び権利濫用を異議の事由として請求異議の訴えを提起し,これを本案として強制執行停止を申し立てた。裁判所は,担保を立てさせた上で執行停止を命じた。
しかし,請求異議訴訟では,主張された事情はいずれも明渡訴訟の事実審の口頭弁論終結前の事情であり,異議の事由にならないとして請求が棄却された。そこで,債権者が,執行の遅延により生じた損害等の賠償を債務者及び代理人弁護士へ求めた。
原審は,強制執行停止の申立てが民事執行法36条1項の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限って違法となり,停止裁判が取り消されても過失は推定されないとした。最高裁は,この判断枠組みを否定し,注意義務違反の有無等を更に審理させるため差し戻した。
第3 最高裁が示した理由
1 債権者の執行利益も法的に保護される
債務名義は一定の給付請求権の存在と内容を公証する文書であり,債権者が強制執行によりその給付請求権を実現する利益は法的に保護される。強制執行停止の申立てがされると,執行が遅延し又は不能となり,債権者の利益を侵害するおそれがある。
2 請求異議の訴えと執行停止の申立ては別である
執行停止は請求異議の訴えに付随するが,別個の申立てを要し,申し立てるか否かは債務者の選択に委ねられる。請求異議の訴えを提起したからといって,執行停止の申立てまで当然に正当化されるわけではない。
3 相当な根拠の調査・検討義務
申立人は,債権者の執行利益を不当に侵害しないよう,異議の事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査・検討する注意義務を負う。本件では,留置権及び権利濫用の主張が,前訴の口頭弁論終結前の事情に基づくことが問題となった。
このため,申立前には,債務名義の種類,前訴の口頭弁論終結時,既判力の基準時,異議事由が発生した時点及び前訴で主張できたかを記録上確認する必要がある。
第4 過失の推定と反証
1 推定が働く場面
最高裁が示した推定は,単に申立てが却下された場合一般について述べたものではない。請求異議を本案とする執行停止が命じられた後,請求異議の請求棄却判決が確定し,停止裁判が取り消された場合が前提である。
停止決定は簡略な手続による暫定措置である。最高裁は,異議事由を裏付ける根拠について注意義務が尽くされなかった可能性が相応にあり,執行停止により債権者に生じた不利益の回復へ配慮することが公平にかなうとして,過失の推定を認めた。
2 相当な事由による反証
取消しだけで責任が確定するわけではない。債務名義の種類,異議事由の内容等に照らし,執行停止を申し立てる相当な事由があれば,過失の推定を覆し得る。
相当な事由を主張する側は,申立時点で利用できた資料と法的検討を保存する必要がある。後に作成した説明だけではなく,当時の相談記録,前訴記録の確認結果,事実調査,判例・文献調査,依頼者への照会,反対事実の検討及び緊急性の判断を時系列で示すことが重要である。
第5 申立人・代理人側の提出前チェック
| 確認項目 | 具体的な作業 |
|---|---|
| 債務名義 | 確定判決,仮執行宣言付判決,公正証書等の種類と執行範囲を確認する |
| 基準時 | 前訴の事実審口頭弁論終結時を記録から特定する |
| 異議事由の発生時期 | 基準時後に発生した事実か,前訴で主張できた事情かを分ける |
| 事実上の根拠 | 原資料,現場資料,支払記録,占有関係,契約書及び第三者資料を確保する |
| 法律上の根拠 | 条文,判例,学説及び反対説を調査し,類似事件との差異を記録する |
| 執行停止の必要性 | 執行が完了した場合の不利益と,停止により債権者へ生じる不利益を比較する |
| 担保 | 担保額の根拠,債権者の予想損害及び供託可能性を検討する |
| 代替手段 | 一部停止,任意交渉,弁済・供託その他の負担の少ない手段を検討する |
| 記録化 | 調査対象,確認結果,未確認点,判断日及び担当者を残す |
依頼者から有利な事情を聴取しただけでは,事実上の根拠を調査したことにならない。前訴記録と客観資料を突き合わせ,反対事実を含めて検討する。緊急申立てで十分な調査時間がない場合も,何を確認し,何が未確認で,なぜ申立てを急ぐ必要があったかを残す。
第6 債権者側の損害立証
損害賠償請求では,過失の推定だけで損害額まで推定されるわけではない。執行停止と相当因果関係のある損害を,期間と費目に分けて立証する。
- 執行停止の開始日,取消日及び実際に執行を再開できた日
- 明渡し遅延により使用できなかった期間と相当賃料・使用損害金
- 執行不能又は価値下落が生じた場合の財産状態の変化
- 追加の執行費用,保全費用及び管理費用
- 損害回避のために講じた措置と回避できなかった理由
- 担保権実行又は担保取戻しとの関係
本判決は,強制執行の停止により生じた損害の範囲と額を最終確定していない。差戻審では,注意義務違反,各被告の責任,損害及び因果関係が審理対象となり得る。
第7 判決の射程
本判決は,民事執行法36条1項の請求異議を本案とする強制執行停止を対象とする。仮差押え・仮処分,執行抗告に伴う停止,執行文付与に対する異議等へ当然に同じ推定が及ぶとしたものではない。それぞれの根拠条文,担保制度,手続構造及び確定判例を確認する必要がある。
また,判決は代理人弁護士の責任を一律に肯定したものではない。主文は損害賠償請求に関する部分を破棄して差し戻し,注意義務違反の有無等の追加審理を命じたものである。依頼者本人と代理人の行為,調査分担,認識及び因果関係を個別に検討しなければならない。
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第9 出典及び確認状況
- 最高裁令和7年9月9日第三小法廷判決・令和5年(受)第2207号。主文及び判決理由全文を確認
- e-Gov法令検索「民事執行法」
- 石田明彦・熊谷大輔「最高裁民事破棄判決等の実情―令和7年度―」判例時報2652号5頁以下。年度内での位置付けを確認する二次資料
- 判例秘書,原審全文及び差戻審の帰趨は本記事作成時点で未確認である