第1 この記事の結論
本記事は,離婚に伴う財産分与で不動産を相手方に譲渡した者が,自分に課税されないと誤解していたことを理由に財産分与を取り消した場合に,その不動産を買った第三者や,取消し後に元の所有者から買った者との関係がどうなるかを,民法の条文と判例に沿って整理するものである。
結論は次のとおりである。
①財産分与として不動産を譲渡した分与者には,譲渡所得課税がされる(最高裁昭和50年5月27日判決)。
②分与者が自分に課税されないことを契約の前提とし,相手方もそれを了解していた場合は,民法95条1項2号・2項の錯誤として取り消せることがある(最高裁平成元年9月14日判決は,改正前の民法の下で,黙示の表示を認めた)。
③取消し前にその不動産を買った善意無過失の第三者には,取消しを対抗できない(民法95条4項)。登記まで要するかは見解が分かれ,詐欺取消しについての判例は対抗要件を要しないとしている。
④取消し後に利害関係を持った者との関係は,登記の先後によることになる(詐欺取消しについての大審院昭和17年9月30日判決の判決要旨)。
⑤取消し前の第三者が保護された後に,分与者がさらに別の者へ売った場合の優劣は,第三者保護の仕組みをどう理解するかで結論が分かれる。
本記事は,令和6年司法試験論文式試験民事系科目第1問の設問2がこの事例を素材としたことを機に,同試験の出題の趣旨・採点実感と判決本文を照合して作成した。
第2 財産分与の課税と錯誤
1 財産分与をした側に課税される
最高裁昭和50年5月27日判決は,財産分与として不動産等の資産を譲渡した場合,分与者は分与義務の消滅という経済的利益を享受したものというべきであるとし,財産分与としてされた不動産の譲渡は譲渡所得課税の対象となるとした。
課税されるのは分与を受けた側ではなく,分与をした側である。
分与を受けた側の贈与税の扱いなどは,離婚時の財産分与と税金で詳しく扱っている。
2 課税の誤解は基礎事情の錯誤
分与者は,相手方に不動産を譲渡するという意思で財産分与をしており,意思と表示は一致しているから,民法95条1項1号の錯誤ではない。
自分に課税されないという認識が真実に反していた点は,同項2号の「法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」に当たり得る。
財産分与を内容とする契約の意思表示も,売買の意思表示と同様に同条1項の適用を受ける。
採点実感は,この点を明示的に論じた答案が極めて少数であったとしている。
3 「表示されていた」といえるか
基礎事情の錯誤による取消しは,その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限りすることができる(民法95条2項)。
「表示」の意味には見解があり,令和6年司法試験の出題の趣旨は,例えば,表意者が一方的に表示しただけでは足りず,その事情がなければ意思表示の効力が否定されることについて相手方の了解が必要とする見解を挙げ,どの考え方を採ってもよいとしている。
最高裁平成元年9月14日判決は,改正前の民法の下で,財産分与の際に夫が妻に課税されることを心配して気遣う発言をし,妻も自己に課税されるものと理解していたなどの事情の下では,他に特段の事情がない限り,夫は自己に課税されないことを当然の前提とし,かつ,その旨を黙示的には表示していたものといわざるをえないとして,原判決を破棄し差し戻した。
同判決は,錯誤の成立を最終的に認めたものではなく,要素の錯誤の成否や重大な過失の有無をさらに審理させたものである。
4 重要性と重大な過失
錯誤は,法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものでなければならない(民法95条1項柱書)。
分与者の資産や収入の状況と課税額の大きさは,重要性を判断する事情になる。
錯誤が表意者の重大な過失によるときは原則として取り消せないが,相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたときは,重大な過失があっても取り消せる(民法95条3項2号)。
相手方も自分が課税されると理解していたような場合は,この例外に当たり得る。
5 取消しの方法と効果
取消しは,相手方に対する意思表示によってする(民法123条)。
取消権は,追認をすることができる時から5年間行使しないとき,又は行為の時から20年を経過したときは時効によって消滅する(民法126条)。
取り消された行為は初めから無効であったものとみなされる(民法121条)から,分与を受けた者は所有者でなかったことになり,その者から不動産を買った者も,原則として所有権を取得できない。
第3 取消し前に買った第三者
1 民法95条4項による保護
錯誤による意思表示の取消しは,善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない(民法95条4項)。
令和6年司法試験の出題の趣旨は,同項が取消しの遡及効によって害される第三者,つまり取消し前の第三者についてだけ適用されるとし,その参照判例として,詐欺取消しについての大審院昭和17年9月30日判決を挙げている。
同判決が登載された大審院民事判例集の判決要旨(要旨第一)も,詐欺による売買取消しの意思表示をした後に利害関係を持った者は民法96条3項の第三者に当たらないとしている。
第三者の範囲について,最高裁昭和49年9月26日判決は,詐欺取消しの事案で,民法96条3項の第三者を,当該意思表示の有効なことを信頼して新たに利害関係を有するに至った者と捉えている。
2 登記まで要るか
第三者が保護されるために,権利保護資格要件として登記を備えている必要があるかは,見解が分かれる。
最高裁昭和49年9月26日判決は,詐欺取消しについて,民法96条3項の第三者を,所有権その他の物権の転得者で,かつ,これにつき対抗要件を備えた者に限定しなければならない理由は見出し難いとした。
もっとも,同判決の事案は農地法の許可を条件とする所有権移転仮登記の移転の附記登記がされていたもので,令和6年司法試験の出題の趣旨も,事案が特殊なものであったため,同判決が権利保護資格要件としての登記を不要としたと理解すべきかについては争いがあるとしている。
同趣旨は,錯誤取消しについてはまだ議論が十分にされていないとし,必要説・不要説のいずれでもよいとした上で,錯誤に陥った表意者は欺罔された表意者よりも帰責性が大きいことを考慮すれば,詐欺取消しの第三者について必要説を採る立場でも,錯誤取消しの第三者については不要説を採ることが考えられるとしている。
採点実感は,必要説を採るのであれば,詐欺の場合との比較を踏まえて説得的に論じる必要があるとしている。
なお,第三者と取消権者とは前主・後主の関係にあるから,取消権者との関係で対抗要件としての登記を論じる必要はない(採点実感)。
3 実務上の意味
登記を要しないという見解に立っても,第三者が善意無過失であることや,取消し前に利害関係を持ったことを証明する必要がある。
財産分与によって取得した不動産を買う側は,売買契約の日付,代金の支払,財産分与の経緯についての説明を記録に残し,所有権移転登記をできるだけ早く備えることが,その後の紛争を避ける最も有効な方法である。
第4 取消し後に利害関係を持った者
大審院昭和17年9月30日判決が登載された大審院民事判例集の判決要旨(要旨第二)は,詐欺による不動産売買取消しの後,取消しによる抹消登記をしない間に第三者が買主から権利を取得する約束をした場合,売主が取消しの効果を第三者に対抗するには,第三者が権利取得の登記をする前に抹消登記をする必要があるとしている。
同判例集の判決要旨は,参照条文として民法96条3項と177条を挙げており,取消し後の第三者との関係を登記の先後で決めることを示している。
取消しをした分与者は,取消しの通知と並行して,所有権移転登記の抹消又は移転を求める手続を急ぐ必要がある。
登記名義が相手方に残ったままでは,取消し後に相手方から買った者に対抗できなくなるおそれがある。
第5 保護された第三者と,取消し後に分与者から買った者
1 問題の形
例えば,分与者Gが分与を受けたHに不動産を譲渡して登記を移し,HがIに売ったが登記はH名義のまま,その後GがHとの財産分与を錯誤で取り消し,さらにGがFに同じ不動産を売った場合,IとFのどちらが優先するかが問題となる。
Iが民法95条4項で保護されることを前提とすると,Iの所有権取得をどのような経路で説明するかによって,Fとの関係が変わる。
2 二つの説明
令和6年司法試験の出題の趣旨は,次の考え方を示し,首尾一貫していればどの考え方を採ってもよいとしている。
①所有権がG→H→Iと順次移転すると捉え,Hが登記を備えたことでHが確定的に所有権を取得したと理解すれば,GはFに売った時点で無権利であり,Fは無権利者からの譲受人となるから,Iは登記がなくてもFに明渡しを求められる。
②順次移転と捉えても,Hの登記による確定的取得をFに主張できないと理解するか,又は所有権がG→Iと直接移転すると捉えるならば,IとFは対抗関係に立ち,Iは登記を備えなければFに所有権取得を対抗できない。
①の根拠としては,登記名義人でないGと契約したFは保護に値しないことが,②の根拠としては,取消し自体は有効である以上Fが保護に値しないとはいえないことや,①によればGから買おうとする者が現れず不動産の流通が阻害されることが挙げられている。
3 民法94条2項との関係
出題の趣旨は,この整理が民法94条2項の第三者の解釈を参考にしたものであるとし,同項に関する最高裁昭和42年10月31日判決が②に準ずる見解を採るものとされることがあると述べている。
同判決は,仮装譲渡の相手方から善意で譲り受けた者が所有権取得登記をする前に,仮装譲渡人からの譲受人が処分禁止の仮処分登記を経ていた事案で,善意の譲受人はその所有権取得を仮処分債権者に主張できないとしたものである。
もっとも,判決本文は処分禁止の仮処分登記の効力という一般則で結論を出しており,民法94条2項や「対抗関係」の語を用いていない(裁判所ウェブサイトの判示事項は民法94条2項に触れ,裁判要旨は「対抗することができない」と述べている)。
無効の対抗不能(民法94条2項)と取消しの対抗不能(民法95条4項)とで同じに考えてよいかも含め,確立した判例があるとはいえない。
4 実務上の帰結
どちらの考え方に立っても,先に登記を備えた者が有利になる場面が多い。
財産分与を受けた者から不動産を買う者は,所有権移転登記を速やかに備えるべきである。
取消し後に分与者から不動産を買う者は,登記名義が誰にあるか,登記名義人が既に第三者へ売っていないか,取消しの効力について争いがないかを確認しなければならず,登記名義人でない者からの買受けは大きな危険を伴う。
第6 財産分与をするときの確認事項
①不動産を財産分与で譲渡する前に,分与者にかかる譲渡所得税の額を税理士に試算してもらう。
②課税の負担を前提に財産分与の額や方法を決める場合は,その前提を協議書に明記する(後に錯誤を主張する場合の表示の証拠にもなる)。
③相手方が誤った理解をしていないかを確認し,説明の経過を記録に残す。
④錯誤に気付いたら,取消しの意思表示を内容証明郵便等の書面で相手方に送り,登記の回復を急ぐ。
相手方が既に第三者へ売っているか,第三者が登記を備えているかを登記事項証明書で確認する。
⑤取消しによって返還されるべき財産や金銭の清算(民法121条の2)も,あわせて検討する。
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第8 出典
1 法令
民法(e-Gov法令検索)
94条,95条,96条,121条,121条の2,123条,126条,177条,768条
2 裁判例
①最高裁判所第三小法廷昭和50年5月27日判決(昭和47年(行ツ)第4号,民集29巻5号641頁)
②最高裁判所第一小法廷平成元年9月14日判決(昭和63年(オ)第385号,集民157号555頁)
③最高裁判所第一小法廷昭和49年9月26日判決(昭和45年(オ)第344号,民集28巻6号1213頁)
④大審院昭和17年9月30日判決(昭和17年(オ)第4号,大審院民事判例集21巻17号911頁)
⑤最高裁判所第三小法廷昭和42年10月31日判決(昭和41年(オ)第1438号,民集21巻8号2232頁)
3 公式資料
令和6年司法試験論文式試験問題(民事系科目)
令和6年司法試験論文式試験出題の趣旨(民事系科目第1問の部分)
令和6年司法試験の採点実感(民事系科目)(第1問の部分)
4 確認状態
裁判例①〜③・⑤は,裁判所ウェブサイトの判決全文で,本記事で触れた判示の文言を確認した。
裁判例④は裁判所ウェブサイトに掲載がなく,判例秘書の大審院判例検索で書誌を確認し,大審院民事判例集に付された判示事項と判決要旨(第1頁・第2頁)を読んだ。
判決理由の全文は読んでいない。
裁判例②の掲載誌は,判例秘書で家庭裁判月報41巻11号75頁・最高裁判所裁判集民事157号555頁等と確認した。
条文は,e-Gov法令検索で令和8年10月4日時点の条文を確認した。