第1 名誉毀損における過失相殺の位置付け
本記事は,民事上の名誉毀損について,被害者側の事情が損害賠償額にどう影響するかを扱う。
交通事故の過失割合との違いを,最高裁判例と報道事件の裁判例に即して説明する。
調査の基準日は令和8年10月1日である。
1 過失相殺は名誉毀損で一律に排除されない
民法722条2項は,被害者に過失があった場合に,裁判所がその事情を考慮して損害賠償額を定めることができるとする規定である。
同項は名誉毀損を適用対象から除くとは定めていないが,ある行動が報道のきっかけになっただけで,直ちに被害者の過失が認められるわけではない。
2 被害者側の事情には異なる働きがある
被害者の行動や社会的評価に関する事情は,①表現が名誉を毀損したか,②当該表現によってどのような損害が生じたか,③その損害を慰謝料としていくらに評価するか,④被害者の過失によって賠償額を調整するかという,異なる判断に関係し得る。
本記事ではこの順序で整理するが,これは裁判例を比較するための整理であり,四段階の審査を命じた最高裁判例があるという意味ではない。
第2 最高裁判決が区別した損害の発生と慰謝料額
1 後の有罪判決によって既発生の損害は消えない
最高裁平成9年5月27日第三小法廷判決は,新聞記事による名誉毀損の損害は,新聞が発行され,読者が記事を読める状態になった時点で生じるとした。
その後,被害者が別の事件で有罪判決を受けても,記事の発行時に生じた損害賠償請求権は消滅しないと判断し,請求を棄却した原判決を破棄して差し戻した。
同判決は,記事で摘示された事実と有罪判決の理由となった事実に同一性があるとき,後の有罪判決を記事の違法性又は発行者の故意・過失の判断でどう扱うかは別問題であるとも留保した。
問題の記事と有罪判決の対象は同種の事実であっても同一ではない,というのが当該事案についての判断である。
2 後の事情を慰謝料額では考慮できる
他方,最高裁は,名誉毀損の慰謝料額を事実審の口頭弁論終結時までの事情から裁量によって算定できるとした。
名誉毀損以外の理由で被害者の社会的評価がさらに低下した事実も,その事情に含まれる。
したがって,後の有罪判決は既に生じた請求権を消さないが,慰謝料額を決める際には考慮し得るという区別になる。
第3 報道の契機と過失相殺を分けて扱った裁判例
1 東京高裁平成14年3月28日判決
(1) 過失相殺の主張
週刊誌の報道で名誉を毀損されたプロ野球選手が出版社等に謝罪広告と損害賠償を求めた事件で,出版社側は,選手自身が報道の原因を作ったとして過失相殺を主張した。
東京高裁平成14年3月28日判決の全文転記によれば,裁判所は,選手が報道の契機となった酒席に同席した事実は認めながら,同席相手が暴力団の幹部であると知らなかったことなどを踏まえ,選手の過失を否定した。
この判断は,「報道のきっかけを作った」という事実と,損害を分担させるべき過失とを区別している。
(2) 慰謝料額における扱い
同じ判決の転記は,その酒席への同席を慰謝料算定上は出版社側に有利な事情としながら,大きく減額すべき事情とは評価しなかった。
一審が認めた慰謝料600万円と週刊誌への謝罪広告について,出版社側の控訴は棄却された。
過失相殺を否定することと,被害者側の事情を慰謝料額の判断から完全に排除することは,この事案では同じではなかった。
2 反論可能性を慰謝料額で考慮した東京地裁判決
東京地裁令和6年4月25日判決は,区長の公務に関する雑誌記事とウェブ記事について名誉毀損を認め,それぞれ慰謝料50万円を認めた。
裁判所は記事の内容や流布範囲,出版社側が事前の訂正情報を得ていたことなどとともに,区長として正しい事実関係を説明・反論できる立場にあったことを慰謝料額の判断で考慮した。
この判決は,区長が反論しなかったことを民法722条2項上の過失と認定したものではない。
公職にある者が公務について説明できるという事案固有の事情を,一般の私人にも当然に当てはめることはできない。
第4 交通事故との違いと,額を判断する順序
1 交通事故では割合が表に出やすい
交通事故では,治療費や休業損害などの項目を積算し,被害者の運転行動等が事故の発生に寄与した程度を割合で表すことが多い。
大阪地方裁判所の交通事故訴訟案内も,損害額に過失割合を適用する計算例を示している。
もっとも,交通事故の慰謝料にも評価が必要であり,すべての損害が機械的に決まるわけではない。
2 名誉毀損では最初の評価額にも諸事情が入る
名誉毀損では,社会的評価の低下や精神的苦痛を金銭に換算する際,記事が伝えた事実,表現の仕方,読者への広がり,既存の社会的評価,事後の回復などを検討する。
そのため,被害者側の事情が「何%の過失」という形でなく,違法な表現の範囲や慰謝料額の判断に現れる場合がある。
争いを整理する際は,①問題の表現が何を伝えたか,②その表現によって生じた損害は何か,③慰謝料額を左右する事情は何か,④それとは別に被害者の過失による減額を論じる根拠があるか,を区別すると分かりやすい。
同じ事情を慰謝料額と過失相殺の両方で主張する場合には,それぞれ何を評価しているのかを明らかにする必要がある。
第5 出典・関連記事
1 法令
民法709条・710条・722条2項・723条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
最高裁平成9年5月27日第三小法廷判決(平成8年(オ)第220号,民集51巻5号2024頁)。
東京高裁平成14年3月28日判決(平成13年(ネ)第5556号。裁判所ウェブサイトの個別掲載は本記事の調査範囲で確認できず,日本ユニ著作権センターの全文転記を参照)。
東京地裁令和6年4月25日判決(令和5年(ワ)第5195号)。
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