賃貸アパートの所有者が死亡した直後は,所有権の承継だけでなく,毎月発生する家賃,管理会社との委託関係,入居者から預かった敷金,修繕,火災保険及び税務を止めずに処理する必要がある。本記事は,相続開始直後から遺産分割又は遺言執行が落ち着くまでに確認すべき事項を,民法,最高裁判例,国税庁及び保険会社の公表資料に基づいて整理する。
第1 この記事の対象と結論
最初にすべきことは,管理会社へ一人の相続人を新所有者として届け出ることではない。①遺言書の有無と内容,②法定相続人,③土地・建物の登記,④賃貸借契約及び管理委託契約,⑤家賃の入金口座,⑥敷金台帳,⑦借入金,⑧火災保険,⑨遺言執行者の指定及び就職の有無を確認する必要がある。
権利関係が確定するまでの間も,入居者の安全確保,漏水等の緊急修繕,家賃の受領及び帳簿の保存は必要である。そこで,相続人間で暫定的な管理担当者,入金口座,支出の範囲及び報告方法を文書で定め,所有権の帰属,収益の帰属及び管理実務を混同しないことが重要である。
第2 最初に確認する権利関係
1 遺言書,登記及び相続人を確認する
民法896条によれば,相続人は,相続開始の時から,被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。共同相続の場合,相続財産は相続人の共有に属する(民法898条)。もっとも,特定の不動産を特定の相続人に相続させる遺言,遺贈又は遺産分割方法の指定がある場合には,法定相続分だけを前提に管理を始めることはできない。
登記事項証明書だけでは,相続開始後の実体上の帰属まで分からない。遺言書,戸籍,固定資産課税資料,売買契約書,借地契約書,金融機関の担保資料及び遺産分割協議の有無を合わせて確認する。土地と建物の承継先が異なる可能性があるときは,建物所有者が土地を使用する根拠と条件も別に確認する。
2 遺言執行者の有無と権限を確認する
遺言執行者が指定されていても,指定された者が就職を承諾して任務を開始したかは別に確認する。遺言執行者の権限は,遺言の内容と対象財産の範囲によって決まる。遺言執行者であることだけから,遺言の対象外の賃貸物件について恒常的な管理,賃貸借の更新又は売却を当然に行えるとは限らない。
相続人が管理する場合も,遺言執行者が管理する場合も,管理会社に対しては,戸籍又は法定相続情報一覧図,遺言書,遺言執行者の就職通知,登記事項証明書等のうち何を提出したかを記録し,誰がどの権限で指示を出しているかを明確にする。
第3 死亡後の家賃は誰に帰属するか
1 遺産分割前の賃料債権
最高裁判所第一小法廷平成17年9月8日判決は,遺産である賃貸不動産から相続開始後に生じた賃料債権は遺産とは別個の財産であり,各共同相続人が相続分に応じて分割単独債権として確定的に取得し,後の遺産分割の影響を受けないとした。
したがって,遺言等によって取得者が定まっていない未分割の賃貸不動産について,一人の相続人が管理上まとめて家賃を受領しても,その全額がその相続人の固有収入になるわけではない。後日の精算に備え,月別・物件別に収入,管理料,修繕費,固定資産税その他の支出を記録する必要がある。
2 遺言で取得者が定まっている場合
特定財産承継遺言等により相続開始時から不動産の取得者が定まる場合は,前記判決が扱った未分割共有の事案と同じ処理になるとは限らない。遺言の文言,遺留分侵害額請求の有無,登記及び賃貸借契約上の地位を確認した上で,死亡後の家賃の帰属を判断する。
3 管理口座と精算表を分ける
実務上,一つの口座で家賃を受領すること自体はあり得るが,管理の便宜と最終的な権利帰属は別である。被相続人の死亡後に凍結される可能性がある口座へ入金を続けるのか,新たな管理口座を用いるのかを金融機関及び管理会社と確認し,口座変更の通知,入金開始月及び入居者ごとの未収額を保存する。
第4 管理会社及び入居者への連絡
管理会社には,死亡の事実だけでなく,暫定的な連絡窓口,緊急修繕の承認方法,家賃の入金先,敷金台帳及び月次報告の送付先を通知する。ただし,相続人間に争いがある段階で,特定の相続人を確定的な新所有者と表示しないようにする。
次の資料を管理会社から早期に受領しておくと,空白期間を防ぎやすい。
- 全室の賃貸借契約書,更新契約書及び保証会社関係書類
- 入居者一覧,賃料,管理費,敷金,滞納及び更新時期の一覧
- 直近1年から数年分の月次収支報告書と送金明細
- 管理委託契約書,修繕履歴,鍵及び設備の管理状況
- 火災保険,施設賠償責任保険,借入金及び公共料金の資料
入居者への通知は,家賃振込先又は管理窓口が変わる場合に限って必要事項を明確にし,戸籍や遺言書の写しなど不要な相続情報を配布しない。誰から矛盾する指示が届いた場合に管理会社がどう扱うかも事前に決めておく。
第5 敷金,修繕及び賃貸借契約
1 敷金返還債務
賃貸人たる地位が移転したときは,民法605条の2第4項により,敷金返還債務は新たに賃貸人となった者に承継される。敷金は単なる預り金一覧ではなく,将来の明渡し時に返還又は充当が問題となる債務である。各室の受領額,過去の充当,承継前後の残額及び保管状況を照合する。
2 必要な修繕と大きな方針変更
賃貸人は,原則として賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う(民法606条1項)。漏水,停電,給湯設備の故障等は,相続人間の最終合意を待てないことがある。緊急性,見積額,発注者,支払者及び写真を記録し,保存行為又は通常管理の範囲を超える大規模改修,取壊し又は用途変更は,権限と合意を改めて確認する。
3 新規契約,更新及び解約
新規の賃貸借契約,長期間の契約更新,賃料改定,滞納者との和解又は契約解除は,物件の価値と相続人の権利に影響する。管理会社の従前の権限で処理できる事項か,相続人の決定が必要か,遺言執行者の権限に含まれるかを契約ごとに確認する。
第6 火災保険その他の継続契約
火災保険は,所有者の死亡だけで直ちに補償内容を推測せず,保険証券番号,保険の対象,契約者,被保険者,満期日,保険料の支払方法及び質権設定の有無を確認する。東京海上日動火災保険の公開Q&Aは,契約者が死亡した場合,相続人への名義変更手続が必要であり,解約する場合でも名義変更手続が必要であるとして,代理店への連絡を案内している。
所有者の確定前に事故が発生する可能性があるため,保険会社又は代理店への死亡連絡,必要書類の照会及び補償継続の確認を早期に行い,受付日時と回答を保存する。地震保険,施設賠償責任保険,家賃保証,借入金に伴う保険その他の契約も一覧化する。
第7 所得税及び相続税
1 準確定申告
被相続人について所得税の申告義務がある場合,相続人は,相続の開始があったことを知った日の翌日から4か月以内に準確定申告を行う。死亡日までの家賃,必要経費,減価償却,固定資産税,借入金利息及び源泉徴収資料を税理士へ引き継ぐ。詳しくは準確定申告の記事で整理している。
2 死亡後の不動産所得
国税庁の質疑応答事例は,遺産分割が確定していない場合,未分割遺産から生ずる不動産所得は各共同相続人にその法定相続分に応じて帰属し,後日の遺産分割によって過去の所得の帰属が遡って変動するものではないとしている。各相続人は,死亡後の期間について自分の所得税申告が必要かを確認する。
もっとも,遺言等で相続開始時から取得者が定まる場合や,事業的規模,青色申告,消費税,未収家賃及び減価償却の承継が問題となる場合は個別判断を要する。管理上の入金先だけを理由に申告者を決めない。
3 相続税申告
相続税申告では,土地・建物の評価,借家権割合等を用いた評価,敷金返還債務,借入金,未払費用及び死亡後の収益を区分する。申告期限までに遺産分割が終わらない場合の申告と,分割後の更正の請求又は修正申告の可能性も税理士と確認する。
第8 実務上の進め方
- 遺言書,相続人,登記,借地関係,遺言執行者及び担保を確認する。
- 管理会社から契約書,入居者・敷金・滞納・修繕・保険の台帳を受領する。
- 緊急連絡窓口と必要最小限の修繕権限を定める。
- 家賃の受領口座と月次精算表を定め,収益の帰属とは区別する。
- 保険会社,金融機関,税理士及び管理会社への連絡日と回答を記録する。
- 土地と建物の取得者が分かれる可能性があるときは,土地利用条件,賃料,税負担,修繕及び将来の売却方法を協議する。
- 相続人間で管理方針がまとまらない場合は,保存行為を優先しつつ,遺産分割,遺産確認の訴え,所有権その他の民事訴訟のどの手続が必要かを分けて検討する。
遺言執行者が指定されている場合の相続人側の確認事項は,遺言執行者が指定されている場合の相続人の注意点も参照されたい。
第9 出典・参考資料
- 民法896条,898条,899条,605条の2,606条,622条の2
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089 - 最高裁判所第一小法廷平成17年9月8日判決・平成16年(受)第1222号(判例集未登載。一般財団法人不動産適正取引推進機構の判例紹介)
https://www.retio.or.jp/wp-content/uploads/2024/12/892.pdf - 国税庁「遺産分割が確定していない場合の不動産所得の申告」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1376_qa.htm - 国税庁「No.1376 不動産所得の収入計上時期」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1376.htm - 国税庁「遺産の分割が行われていない場合の相続税の申告」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4208_qa.htm - 国土交通省「『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』について」
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html - 東京海上日動火災保険「契約者が亡くなった場合、名義変更の手続きはどうすればよいですか?」
https://faq.tokiomarine-nichido.co.jp/faq/show/1933