第1 承認済みの取引でも責任免除は別に確認する
会社の取引について株主又は取締役会の承認を得ていても,その承認だけで取締役の損害賠償責任まで免除されたとはいえない。
取引を実行するための承認,会社法423条1項の任務懈怠責任の有無,同法424条の責任免除は,対象と要件が異なる。
本記事は令和8年10月4日に確認した現行会社法を基準として,会社の法務担当者や取締役が保存すべき資料と,責任追及への対応を整理する。
一人会社でも,唯一株主の意向から責任の有無や免除を機械的に決めることはできない。
会社に対する責任と会社債権者等に対する責任を分け,誰が,何について,いつ同意したのかを確認する必要がある。
第2 取引承認・任務懈怠・責任免除の三段階
1 取引の承認を確認する
利益相反取引では,会社法356条1項の重要事実の開示及び株主総会の承認が問題となり,取締役会設置会社では同法365条1項により取締役会の承認が必要となる。
承認の議事録では,対象取引,開示された条件,利益相反の内容,決議機関を確認する。
これは取引についての手続的な規律である。
承認手続を経たことと,会社に損害が生じた場合の任務懈怠責任が成立しないことは別に検討する。
会社法423条3項には一定の利益相反取引について任務懈怠の推定があり,承認決議に賛成した取締役も対象に含まれる。
2 会社に対する責任の成立を検討する
会社法423条1項の検討では,取締役の具体的な任務,その懈怠,会社の損害及び因果関係を整理する。
株主の意向に沿ったことは評価材料となり得るが,会社の財務状態,取締役の私的利益及び会社債権者への影響も具体的に検討する。
3 責任が成立する場合の免除を検討する
会社法424条は,前条1項の責任を免除するには総株主の同意を要すると定める。
取締役会の承認や株主総会の多数決を,総株主の同意と取り違えてはならない。
任務懈怠がないという主張をする場合でも,その主張が認められなかった場合に備え,免除の有無を予備的に検討することには実務上の意味がある。
第3 総株主同意と黙示の免除をどう確認するか
1 同意の対象と時点を記録する
(1) 取引への賛成と責任免除の意思を分ける
同意書や議事録には,対象取引だけでなく,免除の対象となる取締役,責任の発生原因,損害及び免除する範囲を可能な限り特定する。
その記載は後日の立証に役立つが,書類の表題を「承認書」又は「免責合意書」としただけで法的要件を満たすものではない。
株主へどの事実が説明され,どの責任を免除する意思が示されたかを確認する。
さらに,会社自身による免除の意思表示と総株主の同意を分けて記録する。
民法519条は債権者の免除意思表示による債権消滅を定めており,後記東京地裁平成20年判決は,一人会社でも株主の同意だけで会社の請求権が当然に消滅するとの扱いを否定している。
(2) 株主交代前後の経過を分ける
株式譲渡,増資,相続等によって株主が変わる場合は,免除が成立したと主張する時点の株主構成と,同意の有無を時系列で確認する。
その時点で有効な免除が成立していれば,後の株主交代だけで会社の請求権が当然に復活するものではない。
反対に,交代前の同意が確認できなければ,後の株主を含む総株主同意の問題を,従前株主の取引承認だけで処理することはできない。
2 明示の書面がない場合は経過から検討する
黙示の免除を主張する場合は,明示の同意書がないという理由だけで検討を終えず,株主の認識,説明内容,言動及び取引後の経過から,責任を免除する意思を認定できるかを検討する。
ただし,取引に賛成したこと,取引が実行されたこと,又は直ちに責任追及しなかったことだけで,免除が当然に成立するとはいえない。
法務省の令和5年司法試験民事系科目第2問の出題の趣旨及び採点実感は,任務懈怠を否定する主張に加え,株式譲渡前の黙示免除を予備的に検討する視点を示している。
これは公表された試験資料による論点整理であり,個別取引の免除を認定した裁判例ではない。
具体的な免除の成否は,それぞれの事実と証拠から判断する。
3 同型下級審判例の結論と限界
一人会社に関する下級審判例は,義務の範囲,任務懈怠の有無,成立した責任の免除を異なる段階で判断している。
以下の判決を,「唯一株主が賛成すれば取締役は免責される」という一つの規則へまとめてはならない。
(1) 東京高裁平成15年9月30日判決―名目的取締役の義務を限定した判断
東京高裁平成15年9月30日判決(平成15年(ネ)第587号,判例時報1843号150頁)は,唯一株主が経理を直接掌握し,名目的な代表取締役の経理への関与を禁止していた経過を検討した。
判決は,会社と取締役の間の暗黙の了解等を認定し,その限度で善管注意義務や監視監督義務を免除したものとして,会社からの請求を退けた。
判断の中心は,実際の役割分担と取締役が関与を禁じられていた業務の範囲である。
既に発生した特定の損害賠償債務を会社法424条により黙示に免除した,という説明と同一ではない。
名目的取締役一般の無責任や,将来の責任を包括的に免除できるとの一般論を導くことはできず,判決も第三者に対する責任を留保している。
(2) 東京地裁平成20年7月18日判決―総株主同意と会社の免除意思表示を分けた判断
東京地裁平成20年7月18日判決(平成18年(ワ)第1209号,判例タイムズ1290号200頁)は,取締役が唯一株主でも,会社と株主は別人格であり,会社に対する義務と損害賠償責任が当然になくなるわけではないとした。
旧商法266条5項による責任免除について,総株主の同意に加え,会社による免除の意思表示を要するという構成を採っている。
同判決では,会社が明示又は黙示に免除したことを認定できず,黙示免除を基礎付ける具体的な事実の主張・立証もないとして,免除の抗弁を退けた。
唯一株主である取締役が「責任を問題にされたなら免除していたはずだ」と述べるだけでは,実際にされた免除意思表示の代わりにはならない。
責任追及が長期間なかったという経過についても,それだけで請求を信義則違反とはしていない。
本判決は旧商法下の判断であるため,現行会社法の各責任にそのまま当てはめる前に根拠条文を確認する必要がある。
ただし,実務では,株主の同意と会社の意思表示を別々に立証できる資料を残すという確認手順に意味がある。
なお,債務超過や違法配当による免除制限の議論は原告の主張にも現れるが,裁判所は免除意思表示が認められないことによって判断している。
本判決が「債務超過会社の責任免除は常に無効」と判示した,という紹介は正確ではない。
(3) 東京高裁令和元年9月25日判決と原審―株主の指示を踏まえて任務懈怠を否定した判断
東京高裁令和元年9月25日判決(令和元年(ネ)第2048号,金融・商事判例1613号40頁)と,その原審である東京地裁平成31年3月22日判決(平成29年(ワ)第30402号,判例タイムズ1474号249頁)は,唯一株主の意思決定に従った取締役の行為について任務懈怠を否定した。
原審は,法令・定款違反や債務超過などの特段の事情がある場合には,取締役は株主にその旨を知らせ,指示の変更を求めるべきであるという留保も置いている。
原審は,この判断が任務懈怠責任の免除ではないことを明示している。
したがって,後に交代した株主が免除に同意していないという反論も,任務懈怠がなかったとの判断を当然に覆すものではない。
黙示免除を認めた裁判例として紹介するのではなく,責任の成立段階で判断した裁判例として扱う必要がある。
高裁は,取引後の近い将来に債務超過となる可能性についても,会社の資産及び営業の状況等から検討した。
取引時点で債務超過でなければ足りると形式的に処理せず,取引後の財務状態と債権者への影響も証拠に基づいて確認するのが実務上の対応となる。
この判断は具体的な指示と財務状態を踏まえたものであり,唯一株主の指示があれば法令違反や債権者への損害も許されるというものではない。
(4) 水戸地裁土浦支部平成29年7月19日判決―総株主同意の対象を取引ごとに確認した判断
水戸地裁土浦支部平成29年7月19日判決(平成25年(ワ)第290号ほか,判例タイムズ1450号240頁)は,一人会社ではなく,株主が2名の会社に関する比較例である。
特定の土地購入について総株主の事前承認を認定し,取締役会決議を欠いたことによる善管注意義務違反を否定する一方,別の利益相反取引については株主総会の承認を認めず,義務違反を認定した。
後者では,議事録に記載された総会が実際には開かれておらず,株主が後に取引を知ったことも承認の証明とはされていない。
同じ会社の同じ株主であっても,一つの取引への同意を,他の取引の承認又は責任免除へ広げることはできない。
議事録の有無だけでなく,実際の説明と意思決定,その対象及び時点を確認する必要がある。
また,義務違反の認定と損害賠償請求が最終的に認容されるかは,損害等の検討を含む別の段階である。
4 黙示免除を主張する際に分けて立証する事項
まず,免除の対象となる責任原因,取締役,損害及び範囲を特定する。
次に,当時の全株主がその責任を認識して同意したことと,会社が免除の意思を表示したことを,説明資料,意思決定の記録,通知及び取引後の言動から区別して検討する。
唯一株主と代表取締役が同一人でも,株主としての判断と会社を代表する意思表示を曖昧にしない。
特定取引の承認,経理への不関与という役割分担,具体的責任の免除,将来の包括的な免責は,それぞれ対象が異なる。
平成15年判決と平成20年判決は,前提事実と判断した段階が違い,一方が他方を一般的に覆したものとは扱えない。
令和元年高裁判決についても,責任免除として説明し直す学説上の見解と,裁判所自身の任務懈怠否定という理由を分けて読む必要がある。
第4 一部免除・責任限定契約と第三者責任
1 総株主同意による免除と他の制度を区別する
会社法425条は,善意で重大な過失がない場合に,株主総会決議で最低責任限度額を超える部分を免除する制度を定めている。
同法426条の定款による免除は,会社の機関設計や決定方法,善意・無重過失,公告又は通知,株主の異議等の要件を確認する必要がある。
同法427条の責任限定契約も,業務執行取締役等を除く対象者について,定款の定め及び法定の条件に従う制度である。
これらは会社法424条の総株主同意による免除とは別の制度であり,「免責」という一語でまとめて処理できない。
また,取締役が自己のために会社と直接取引をした場合には,同法428条により,425条から427条までの制度の適用が制限されるため,取引の類型も確認する。
2 会社債権者等の請求を別に検討する
会社法429条1項は,役員等が職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときの第三者に対する損害賠償責任を定める。
最高裁昭和44年11月26日大法廷判決は,第三者保護のための法定の特別責任として,会社に対する任務懈怠についての悪意又は重過失を問題としている。
会社に対する責任を免除する合意だけで,会社債権者等が有する固有の請求権まで消滅するわけではない。
債権者を害する取引では,会社への責任免除と別に,第三者への責任の要件及び損害との因果関係を確認する。
3 会社財産の保護に関する法定の制限も確認する
総株主の同意があれば,会社法上のあらゆる責任を自由に免除できるわけではない。
例えば,分配可能額を超える剰余金配当等について会社法462条1項により業務執行者等が負う支払義務は,同条3項に免除の制限があり,行為時の分配可能額を限度とする総株主同意の例外が定められている。
会社法423条1項の任務懈怠責任と,これらの特別な支払義務を区別し,適用される条文と免除できる範囲を確認する。
これは条文上の制限の説明であり,前記平成20年判決が債務超過時の免除一般について判断したという意味ではない。
債権者保護が問題となる場面では,責任成立の留保,個別の法定免除制限,第三者に対する責任を分けて検討する。
第5 契約・交渉・訴訟で確保する資料
会社側では,取引承認の資料と責任免除の資料を分けて保存する。
特に株主交代が予定される場合は,株主名簿,株式の移転又は発行に関する資料,説明資料,同意書及び議事録の時点を突き合わせる。
| 確認事項 | 確認する資料・内容 |
|---|---|
| 取引承認 | 承認機関,利益相反の開示,取引条件,議事録 |
| 責任の成立 | 任務の内容,判断経過,会社の損害,財務資料 |
| 責任免除 | 対象取締役,責任原因,損害・免除範囲,総株主の同意,会社の免除意思表示 |
| 株主交代 | 免除を主張する時点の株主構成,移転・発行の時点 |
| 第三者の請求 | 債権者等の損害,悪意・重過失,因果関係 |
株式譲渡契約で当事者間の補償義務を定めることと,会社の取締役に対する請求権を免除することも,主体と対象を分ける必要がある。
会社の請求権を処理するのであれば,契約当事者間の合意だけで足りるとせず,会社法上の免除要件との関係を確認する。
訴訟では,任務懈怠がないという反論と,責任が成立するとしても免除されたという予備的反論を分け,それぞれの事実と証拠を示す。
免除が曖昧な場合には,確認できた取引承認を責任免除へ読み替えず,追加で確認すべき資料と認定上の争点を明確にする。
第6 出典・関連記事
①会社法(e-Gov法令検索):356条,365条,423条~429条,462条。
現行条文は令和8年10月4日にe-Gov法令APIの本文で確認した。
②法務省・令和5年司法試験論文式試験出題の趣旨:PDF10頁。
③法務省・民事系科目の採点実感:PDF9頁。
両資料は一人会社の責任及び黙示免除の検討の手掛かりとして用い,実務上の確認手順は条文と資料を踏まえて本記事で整理した。
④最高裁大法廷昭和44年11月26日判決(民集23巻11号2150頁):多数意見の本文(PDF1頁~4頁)を確認した。
⑤民法(e-Gov法令検索):519条。令和8年10月4日を指定したe-Gov法令APIの条文で確認した。
⑥裁判例:前掲東京高裁平成15年9月30日判決,東京地裁平成20年7月18日判決,東京地裁平成31年3月22日判決,東京高裁令和元年9月25日判決,水戸地裁土浦支部平成29年7月19日判決。
判例秘書掲載の判決本文の該当する理由を確認し,当事者の主張と裁判所の判断を区別して整理した。
平成15年,平成20年の判決については,現行会社法施行前の行為に係る旧商法上の判断であることにも注意する。
⑦公開の判旨紹介・評釈:山本爲三郎「法学研究」94巻8号57頁以下(慶應義塾大学公開PDF),クレア法律事務所・平成20年東京地裁判決の紹介。
前者の57頁~62頁に令和元年高裁判決と原審の判旨,65頁に平成15年・平成20年判決,67頁に土浦支部判決の紹介がある。
判決理由と評釈の見解を同一の根拠として扱っていない。