その他役所関係

閣議

目次
1 総論
2 閣議の運営
3 閣議の種類
4 閣議における意思決定
5 法令上規定がない場合でも特に重要な事項
6 開示対象の閣議関係資料
7 青枠及びこより綴じの廃止
8 閣議書
9 閣議の説明をしている公式HP
10 閣僚懇談会
11 内閣総理大臣の記者会見に関する質問に対する答弁書
12 閣議等の議事の記録の作成及び公表
13 関連記事その他

1 総論
(1) 内閣は,行政権の行使について,全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負います(憲法66条3項,内閣法1条2項)。
(2) 内閣は,国会の指名に基づいて任命された首長たる内閣総理大臣及び内閣総理大臣により任命された国務大臣によって,組織されています(憲法66条1項,内閣法2条1項)。
(3)ア 閣議は,内閣総理大臣及び国務大臣により構成され,内閣官房副長官3人(うち,政務担当が2人,事務担当が1人)及び内閣法制局長官が陪席します。
イ 国務大臣は原則として14人である(内閣法2条2項本文)ものの,復興庁が廃止されるまでは,最大で19人です(内閣法附則3項)。
(4)ア 内閣は,閣議によって職権を行います(内閣法4条1項)。
イ 内閣総理大臣は,閣議にかけて決定した方針に基づいて,行政各部を指揮監督します(内閣法6条)し,行政各部の処分又は命令を中止させることができます(内閣法8条)。
ウ 内閣総理大臣は,少なくとも,内閣の明示の意思に反しない限り,行政各部に対し,随時,その所掌事務について一定の方向で処理するよう指導,助言等の指示を与える権限を有します(最高裁大法廷平成7年2月22日判決)。

2 閣議の運営
(1) 閣議は,内閣総理大臣が議長として主宰し(内閣法4条2項),内閣官房長官が議事進行を行います。
(2) 内閣官房副長官(政務担当)が閣議案件の内容を説明します。
(3) 内閣官房副長官(事務担当)及び内閣法制局長官が,閣議運営を補助し,必要に応じて行政・法令に関する補足説明を行います。
(4) 閣議案件の決裁(閣議書への署名)等が終わった後,閣僚懇談会が開催されます。

3 閣議の種類
(1) 閣議には以下のものがあります。
① 定例閣議
・ 毎週,火曜日及び金曜日に開催されるものです。
② 臨時閣議
・ 臨時に開催されるものです。
③ 持ち回り閣議
・ 内閣総務官が閣議書及び矢立(やたて)を持ち回り,それぞれの閣僚の署名を集めることによって閣議を成立させるものです。
(2) 定例閣議及び臨時閣議は,国会閉会中は総理大臣官邸閣議室で開催され,国会開会中は国会議事堂内の院内閣議室で開催されます。
(3) 首相官邸HPの「4階・5階」に以下の部屋の写真が載っています。
① 4階の閣僚応接室
・ 総理を中心に閣僚がコの字型に並んで座っている場面がテレビで放映されている部屋です。
② 4階の閣議室
・ 首相官邸の場合,閣僚応接室の奥にあります。
・ 以前の首相官邸の場合,閣議テーブルは楕円形でしたが,現在の首相官邸の場合,直径5.2メートルの閣議テーブルは円形です。
③ 4階の特別応接室
・ 首脳会談等の少人数の会議や,総理のお客様との応対等に利用されています。
④ 4階の大会議室
・ 正面の壁に取り込まれた「大型スクリーン」で画像情報を用いての会議が可能になっています。
(4) 首相官邸HPの「閣議室~官邸の二階にある大臣応接室と閣議室~」に,以前の首相官邸の閣議室が載っています。

4 閣議における意思決定
(1) 閣議における意思決定は,以下のいずれかの形式により行います。
① 閣議決定
・ 憲法又は法律により内閣の意思決定が必要とされる事項,及び法令上規定がない場合でも特に重要な事項について行われます。
② 閣議了解
・ 各府省所管に属する事項で他府省にも関係するなどその及ぼす影響にかんがみ,閣議において意思決定しておく必要のある事項について行われます。
③ 閣議口頭了解
・ 関係閣僚会議の設置や独立行政法人などの人事に関することなどで,閣議書を作成せず口頭で了解する事項について行われます。
・ 内閣官房HPの「各種本部・会議等の活動情報」に,関係閣僚会議等へのリンクが貼られています。
(2) 閣議の議決は,多数決の方式等を採用せず,全員一致によることとされています。
   これは,「内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う」(内閣法第1条第2項)ことに基づくものです。
(3)ア 閣議決定及び閣議了解は,いずれも内閣の意思決定である点においてその効力に違いはありません。
イ 閣議報告は,各主管の大臣がそれぞれの所管事項について閣議に報告するものであり,内閣の意思決定ではありません。
(4) 閣議決定の効力は,原則としてその後の内閣にも及ぶというのが従来からの取扱いとなっているものの,憲法及び法律の範囲内において,新たな閣議決定により前の閣議決定に必要な変更等を行うことは可能です(衆議院議員武正公一君提出閣議決定の有効性に関する質問に対する答弁書(平成25年7月2日付))。


5 法令上規定がない場合でも特に重要な事項
(1) 法令上規定がない場合でも特に重要な事項としては,以下のものがあります。
① 政府声明
② 内閣総理大臣談話
③ 国会における内閣総理大臣の演説案
④ 各府省の事務次官,局長等の内閣の承認を要する人事
(2) 政府声明の例は以下のとおりです。
・ 令和 3年10月14日付の政府声明(衆議院の解散)
・ 平成29年 9月28日付の政府声明(衆議院の解散)
・ 平成26年11月20日付の政府声明(衆議院の解散。リンク切れ)
・ 平成24年11月16日付の政府声明(衆議院の解散。リンク切れ)
(3)ア 内閣総理大臣談話の例は以下のとおりです。
・ 平成31年 4月 1日付の談話(新しい元号「令和」について)
・ 平成27年 8月14日付の談話(いわゆる「戦後70年談話」)
・ 平成22年 8月10日付の談話(日韓併合100年にあたっての菅内閣総理大臣談話)
・ 平成17年 8月15日付の談話(いわゆる「戦後60年談話」)
・ 平成 7年 8月15日付の談話(いわゆる「戦後50年談話」)
イ 参議院議員和田政宗君提出村山内閣総理大臣談話に関する質問に対する答弁書(平成27年3月20日付)には以下の記載があります。
一及び二について
 「植民地支配」及び「侵略」の定義については様々な議論があり、お尋ねについてお答えすることは困難である。いずれにせよ、安倍内閣としては、平成七年八月十五日及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。
ウ 衆議院議員井坂信彦君提出内閣総理大臣談話に関する質問に対する答弁書(平成27年2月13日付)には以下の記載があります。
一の①について
 御指摘の「内閣総理大臣談話」については、法令上の定義はないが、お尋ねの「拘束する」及び「継承する必要がある」については、その意味するところが必ずしも明らかではなく、お答えすることは困難である。
一の②について
 これまでに内閣総理大臣が発表した談話には、閣議決定されたものと、そうでないものとが存在する。
エ 安全保障政策に関して発表された,令和2年9月11日付の内閣総理大臣の談話は,閣議決定を経たものではなく,個人的見解としての位置づけです。
(4) 国会における内閣総理大臣の演説としては以下のものがあります。
① 施政方針演説
・ 通常国会の冒頭で行います。
② 所信表明演説
・ 臨時国会及び特別国会の冒頭で行います。

6 開示対象の閣議関係資料
(1) 内閣官房に対する開示請求があった場合における,開示対象の閣議関係資料は以下のとおりです。
① 閣議案件表
② 閣議配布資料(閣議決定案(法律案等))
③ 閣議書(閣議決裁書)
④ 閣議発言要旨(あらかじめ提出のあった者)
⑤ 御署名原本(条約,法律,政令の公布等の際の御名・御璽の文書)
(2)ア 平成26年4月1日以降,閣議及び閣僚懇談会の議事録の作成及び公開が開始しました(内閣官房HPの「閣議等の議事録の作成及び公表について」参照)。
イ 首相官邸HPの「閣議」に,定例閣議案件,臨時閣議案件及び持ち周り閣議案件が載っています。

7 青枠及びこより綴じの廃止
(1) 衆議院議員 河野太郎公式サイト「「青枠」の廃止」には以下の記載があります。
    霞ヶ関の働き方改革の一環として、このたび、「青枠」「こより綴じ」など、長年続いていた慣行を廃止しました。
「青枠」とは、閣議書類などの文書を作成する時に、「日本国政府」と記された青枠様式を使うことです。
    青い枠とそこに印刷される文字との間隔を厳密に5mmにすることなどが求められ、印刷後に定規で間隔を測ることなどが行われ、そうした作業が大きな負担となっていました。
「こより綴じ」は、文書を製本する際に、ホチキスではなく、文書にキリで穴を開け、こよりを用いて綴じることで、これも長い間行われてきました。
    こうした長年の慣行が、事務の効率化を妨げていました。
今回、こうした慣行を廃止すると共に、閣議請議大臣の公印押印も廃止しました。
(2) 衆議院議員丸山穂高君提出質問主意書答弁業務の負担軽減に関する質問に対する答弁書(令和3年5月14日付)には以下の記載があります。
 御指摘の「青枠」及び「こより綴じ」は、各府省庁等が閣議を求める法律案等の資料の様式等について統一を図るため、内閣官房から各府省庁等に対して一律にその使用を求めてきたものであり、御指摘の「指令書」は、閣議を主宰する内閣総理大臣から当該案件について閣議を求めた国務大臣に対し、当該案件について閣議決定がされた旨を通知する文書として用いてきたものである。これらは、いずれも、長年、慣行として行われてきたものであるが、各府省庁等の事務負担となっているといった指摘を踏まえ、内閣官房において検討した結果、内閣官房及び各府省庁等における閣議に係る事務の合理化・効率化を図る観点から、これらの慣行を廃止することとしたものである。このことについて、河野国務大臣は、御指摘の令和二年十月十六日の記者会見において、「長年の慣行がございましたが、あまり合理的ではないということで、官房長官にお願いし、いろいろと御検討いただきまして、廃止されることになりました。」と述べたところであり、同日の閣議以降、これらの慣行を廃止している。


8 閣議書
(1) 首相官邸HPの「内閣制度と歴代内閣」に以下の記載があります。
    閣議書に閣僚の意思を表わす花押を毛筆で書くことが内閣制度創始以来の慣習となっている。花押は、別名「書き判」とも言われ、その形が花文様に似ていることから「花押」と呼ばれている。広く使われている花押は、そもそも中国の明時代に流行した形が、江戸時代初期に伝えられたもので、先ず天と地の両線(上下の二線)を横に引き、この天地の中間に自分で考えた文字を簡単な形にして作成している。
(2) ちなみに, いわゆる花押を書くことは,自筆証書遺言に関する民法968条1項の押印の要件を満たしません(最高裁平成28年6月3日判決)。

9 閣議の説明をしている公式HP
   閣議の説明をしている公式HPは以下のとおりです。
① 首相官邸HPの「内閣制度と歴代内閣」
② 内閣官房HPの「閣議の概要について」,及び「閣議及び閣僚懇談会について」
③ 衆議院議員金田誠一君提出閣議に関する質問に対する答弁書(平成12年7月14日付)

10 閣僚懇談会
(1) 閣僚懇談会は、法令上の根拠はないが、通常、閣議に引き続いて行われ、各大臣がその所管に拘わらず国務大臣としての立場から、自由で忌憚のない意見交換を行う場であり、閣僚給与の一部返納のような申合せを除いては、原則として意思決定を目的としません。
(2) Wikipediaの「閣議(日本)」には以下の記載があります。
   首相が入院したために、閣議を開催できない状態で首相臨時代理を指定しないまま定例閣議の時間を迎えた第1次安倍内閣末期の場合、定例閣議に代わる閣僚懇談会が閣議の議事進行役の内閣官房長官が主導する形で行われ、全閣僚が閣議書に署名した後で首相が入院先の病院で決裁する「持ち回り閣議」の手法をとっていた。

11 内閣総理大臣の記者会見に関する質問に対する答弁書
   衆議院議員丸山穂高君提出内閣総理大臣の記者会見に関する質問に対する答弁書(令和2年3月31日付)には以下の記載があります。
① 内閣総理大臣記者会見には内閣記者会に所属する記者が出席しているところ、内閣記者会については、内閣官房等を取材対象とする記者によって構成されており、その幹事社は内閣記者会が定めているものと承知している。
② 御指摘の「幹事社が担う役割」の意味するところが必ずしも明らかではないが、例えば、総理大臣官邸で行われる内閣総理大臣記者会見においては、記者会見の冒頭における質問を内閣記者会の幹事社が行うことが慣例になっている。
③ 慣例により、内閣総理大臣記者会見の冒頭における質問については、内閣記者会の幹事社が、その内容を事前に総理大臣官邸内の内閣記者会の掲示板に貼り出しており、政府としてはそれを把握しているが、その他の質問については、そのようなやり取りは行われていないところである。
 いずれにせよ、記者会見において正確な情報発信を行うため、普段から記者の関心を政府職員が聞くなど、政府として可能な範囲の情報収集は行っている。
④ 総理大臣官邸で行われる内閣総理大臣記者会見では、冒頭における質問を内閣記者会の幹事社が行うことが慣例になっているが、その他の質問について事前に質問者が決まっているということはない。
⑤ 内閣総理大臣記者会見においては、限られた時間の中でより多くの記者が質問できるよう、従来から質問は一人一問としているところである。

12 閣議等の議事の記録の作成及び公表
(1) 閣議等の議事の記録の作成及び公表について(平成26年3月28日閣議決定)は以下のとおりです。
 公文書等の管理に関する法律(平成21年法律第66号)第4条の趣旨に基づき、閣議及び閣議後の閣僚懇談会(以下「閣議等」という。)の議事の記録(以下単に「記録」という。)の作成及び公表について、次のとおり措置するものとする。

1.閣議等の記録は、内閣官房長官の指示の下、内閣官房において 作成し、閣議等から概ね3週間後に首相官邸ホームページに掲載 することにより、公表する。

2.作成した閣議等の記録の公表、保存等については、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成11年法律第42号)及び公文書等の管理に関する法律等の関係法令に則し、適切に対応するものとする。

3.この決定に基づく閣議等の記録の作成及び公表は、平成26年4月1日以降に開催する最初の閣議等から行うこととする。

4.閣議等の記録の作成及び公表の方法に関する事項その他必要な事項は、内閣総理大臣の了解を得て、内閣官房長官が定める。
(2) 閣議等の記録の作成及び公表要領(平成26年3月28日内閣官房長官決定)(リンク先の3頁目)は以下のとおりです。
 閣議等の議事の記録の作成及び公表について(平成26年3月28日閣議決定)に基づき、閣議及び閣議後の閣僚懇談会の議事の記録(以下単に「記録」という 。) の作成及び公表は、下記要領により行う。
(記録対象)
1 記録対象は、定例閣議及び臨時閣議並びに閣議後の閣僚懇談会の議事とする。
(記録の記載事項)
2 記録の記載事項は、開催日時、開催場所、出席者、議事結果、発言者名及び発言内容とする。
(作成者)
3 記録の作成は、次の者により行うこととする。
作成責任者:内閣官房長官
作成者:内閣官房副長官(事務)
作成補助者:内閣総務官

(記録の作成)
4 記録は、内閣官房副長官(事務)の指示を受けて、内閣総務官が原案を作成し、内閣官房長官による必要な確認を経て、確定することとする。
(公表)
5 記録は、内閣総務官が首相官邸ホームページに掲載する。
(その他)
6 本要領に定めるもののほか、記録の作成及び公表に関し必要な細目は、内閣官房副長官(事務)が定めるものとする。

附 則 この要領は、平成26年4月1日から施行する。
(3) 参議院議員浜田和幸君提出閣議の議事録公開に関する質問に対する答弁書(平成26年4月30日付)には以下の記載があります。
 現在の閣議の在り方の下、閣議の透明性の向上や情報公開、国民への説明責任という観点から、閣議及び閣議後の閣僚懇談会(以下「閣議等」という。)の議事の記録の作成及び公表を行うこととしたものである。
 また、作成した閣議等の議事の記録に、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成十一年法律第四十二号)第五条各号に掲げる不開示情報に該当するものが含まれている場合には、当該部分は公表されないものであり、御指摘の「閣僚が発言を抑制する可能性は否定できない」との懸念は当たらないものと考えている。
(4) 内閣官房HPに「閣議等の議事録の作成及び公表について」が載っています。

13 関連記事その他
(1)  国の行政機関が国家公務員の採用に関し民間企業における就職協定の趣旨に沿った適切な対応をするよう尽力することは,内閣官房長官の職務権限に属します(最高裁平成11年10月20日決定)。
(2)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 内閣官房文書取扱規則(平成23年3月30日内閣総理大臣決定。令和3年3月30日最終改正)
 衆議院解散の閣議書(平成29年9月28日付)
イ 以下の閣議書を掲載しています。
・ 最高裁判所長官任命の閣議書
・ 最高裁判所判事任命の閣議書
・ 高等裁判所長官任命の閣議書
・ 検事総長,次長検事及び検事長任命の閣議書
・ 内閣法制局長官任命の閣議書
・ 各府省幹部職員の任免に関する閣議承認の閣議書
・ 令和への改元に関する閣議書等

明治憲法時代の親任官,勅任官,控訴院及び検事局

目次
1 親任官
2 勅任官
3 控訴院
4 検事局
5 戦前の公判立会検事の状況
6 関連記事その他
   
1 親任官
(1) 親任官は,天皇の親任式を経て任命される官吏です。
(2)ア 明治憲法時代の親任官は大体,現在の認証官に大体,対応しています。
   ただし,司法関係の親任官ポストは,司法大臣,大審院長,検事総長及び行政裁判所長官だけでした。
イ 親任官ポストになった時期は,大審院長が大正3年であり(従前は親補職でした。),行政裁判所長官が大正5年であり,検事総長が大正10年でした(ただし,大正3年に親補職になっていました。)。
ウ 親補職は,勅任官の中から親補(親補式をもって補すること)される職のことであり,在任中は親任官の待遇を受けることができました。
(3) 大審院長(裁判所構成法44条1項)は大審院の一般の事務を指揮し,その行政事務を監督する権限を有していました(裁判所構成法44条2項)。
(4) 皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令第7号)29条に基づく宮中席次によれば,親任官である大審院長は第11ですから,第10の陸軍大将,海軍大将及び枢密顧問と,第12の貴族院議長及び衆議院議長の間でした。

2 勅任官
(1)ア 狭義の勅任官は高等官1等及び高等官2等の総称であり,広義の勅任官はこれらに親任官を含んだ総称でした。
イ 狭義の勅任官は現在の指定職に大体,対応しています。
(2)ア 司法関係の勅任官ポストは,司法省の次官及び局長,大審院部長判事,控訴院長及び地裁所長,並びに控訴院検事長及び地裁検事正だけでした(外部HPの「主要戦前官吏官僚ポスト表」参照)。
    それぞれのポストの序列は,外部HPの「大正・昭和戦前期における幹部裁判官のキャリアパス分析」が分かりやすいです。
イ 大審院部長は,部の事務を監督し,その分配を定める権限を有していました(裁判所構成法44条3項)。
(3)ア 日本の歴史学講座HP「主要戦前官吏官僚ポスト」によれば,大審院部長判事は高等官1等又は高等官2等であり,大審院判事は高等官1等ないし高等官7等であるとされています。
   ただし,大審院判事の等級に開きがありすぎる気がしますから,正しいかどうか不明です。
イ 高等官3等ないし高等官9等の総称は奏任官でした。
(4) 「公務員制度改革の経緯と今後の展望 」(2008年1月の立法と調査)には以下の記載があります(リンク先のPDF2頁)。
    昇進に関しては、文官高等試験(高文)に合格すると、初は、判任官である属として任用され、2年後に奏任官である事務官に任官する。入省 10年後には本省課長、20 年程度で局長、42,3 歳で次官に就任している。また、各省官制通則及び各省ごとの官制といった勅令により、次官には勅任官を充てるなど、どのポストにはどの官を充てるかが定められていた。また、文官任用令によって奏任官の採用を高文合格者に限定し、勅任官には奏任官からしか任用されないことが定められた。これにより、課長以上へは高文合格者以外には昇進できなくなるとともに、政治的任用が排除された。早期退職制も慣行として存在していた。以上のような官吏制度は、概ね明治 20年代に整備され、終戦まで継続することになる。
   
 控訴院
(1)ア 控訴院は,現在の高等裁判所に相当する裁判所です。
イ 控訴院長(裁判所構成法35条1項)は控訴院の一般の事務を監督し,その行政事務を監督する権限を有していました(裁判所構成法35条2項)。
ウ 控訴院部長は部の事務を監督し,その分配を定める権限を有していました(裁判所構成法35条3項)。
(2) 函館控訴院ノ移転ニ関スル法律(大正10年4月8日法律第51号)及び大正10年12月6日勅令453号に基づき,大正10年12月15日,函館控訴院が札幌控訴院となりました。
(3) 昭和20年8月1日公布の勅令第443号に基づき,昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡控訴院となり,高松控訴院(昭和21年1月10日廃止)が設置されました(高松控訴院につき,高松高検HPの「高松高等検察庁の沿革」参照)。
   
4 検事局
(1) 明治憲法時代は大審院以下の各裁判所に対応して,大審院検事局,控訴院検事局,地方裁判所検事局及び区裁判所検事局が付置されていました(裁判所構成法6条参照)。
(2)   裁判所と検事局が分化していませんでしたから,戦後でいう判検交流は普通に行われていた人事でした。
   
5 戦前の公判立会検事の状況
(1) 「刑事訴訟法が軌道に乗るまで-第一審の公判を中心として-」(筆者は桂正昭 最高検察庁検事)には以下の記載があります(ジュリスト551号(1974年1月1日号)80頁及び81頁)。
    旧刑事訴訟法の下では、検察官が作成した捜査記録は、公訴の提起と同時にすべて裁判所に引き継がれ、裁判所は、これらの記録を仔細に検討したうえで公判にのぞみ、公判廷では詳細な被告人尋問を行ない、その弁解するところによって疑問が生ずれば、証人尋問などを行って黒白を決するという方法が取られていた。検察官の行う捜査は、被告人の弁解の余地がないようにすべきものとされていたから、大方の事件にあっては、検察官の公判立会はきわめて楽なものであり、公訴事実の陳述と論告求刑とを行えば足りるものが少なくなく、それも、「公判請求書記載のとおり」「事案明瞭、求刑懲役1年」といった程度のことを発言すれば足りるような場合が多かったのである。従って、検察官の努力の大半は捜査に注がれ、公判立会は当番制で検事席に坐っておれば足りるといった程度のことが多かった。
(2) ジュリスト551号は「刑事訴訟法25年の軌跡と展望」をメインテーマとしています。
   
6 関連記事その他
(1) 第13回行政改革推進本部専門調査会(平成19年9月7日開催)の資料一覧に,「戦前の官吏制度等について」が載っています。
(2) 親任官,勅任官及び奏任官の区別につき,日本近現代史研究HP「官僚について」が参考になります。
(3) 国立国会図書館HPの「レファレンス」につき,平成31年2月号に「アメリカが見た明治憲法体制の進化と後退―政党内閣期から2.26事件まで―」が載っています。
(4) 以下の記事も参照してください。
・ 戦前の判事及び検事の定年
・ 幹部裁判官の定年予定日
・ 昭和20年8月15日,長崎控訴院が福岡に移転して福岡控訴院となり,高松控訴院が設置されたこと等
・ ポツダム宣言の発表から降伏文書調印までの経緯
 検事総長,次長検事及び検事長が認証官となった経緯

在日米軍基地

目次
第1 総論

1 ポツダム宣言,旧日米安保条約及び日米安保条約
2 刑事特別法
3 日米安全保障協議委員会及び日米合同委員会
4 返還された米軍基地の跡地利用
5 その他の在日米軍基地
6 2001年のアフガニスタン攻撃では集団的自衛権が発動されたこと
7 沖縄返還協定及び沖縄返還密約
8 その他
第2 各論(司法研修所関係,東京地家裁立川支部関係及び沖縄関係)
1 司法研修所関係
2 東京地家裁立川支部関係
3 沖縄関係
第3 日本の戦前の兵役の年齢
1 兵役の年齢
2 志願兵の年齢
3 沖縄戦の場合
4 その他
第4 関連記事その他

第1 総論
1 ポツダム宣言,旧日米安保条約及び日米安保条約
(1) ポツダム宣言

ア   1945年7月26日に発表され,同年8月14日に日本が受諾を通告したポツダム宣言には以下の条項がありました(当時の公式の日本語訳による全文につき国立国会図書館HPの「ポツダム宣言」,非公式の現代語訳による全文につき外部HPの「ポツダム宣言条文 全訳」参照)。
7項:右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
12項:前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
イ 最高裁大法廷昭和28年4月8日判決は,以下の判示をしています(ナンバリングを追加しました。)。
① 連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は、一般には憲法によつて行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。すなわち、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施せしめることを得るのである。
② かかる基本関係に基き前記勅令第五四二号、すなわち「政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」といふ緊急勅令が、降伏文書調印後間もなき昭和二〇年九月二〇日に制定された。この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、
日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有するものと認めなければならない。
ウ 「日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令」も参照してください。
(2) 日本国との平和条約及び旧日米安保条約
ア   日本国との平和条約
   昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和会議で署名された日本国との平和条約の関係条文は以下のとおりであり,昭和27年4月28日に発効しました。
3条
   日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
6条(a)項
   連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。
イ 旧日米安保条約及び日米行政協定
(ア)   日本国との平和条約6条(a)項を受けて,昭和26年9月8日に署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(いわゆる旧日米安保条約です。)の関係条文は以下のとおりであり,昭和27年4月28日に発効しました。
前文
    日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
    無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
1条
    平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。 
3条
   アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
(イ) 旧日米安保条約3条に基づき,昭和27年2月28日,日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(いわゆる「日米行政協定」です。)が東京で締結されました。
   その結果,在日米軍の駐留が継続することとなりました。
(ウ) 旧日米安保条約では,アメリカは日本防衛義務を負っていませんでした。
(3) 日米安保条約及び日米地位協定
ア 日米安保条約
(ア) 昭和35年1月19日にワシントンDCで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(現在の日米安保条約です。)は昭和35年6月19日に国会承認が自然成立し(憲法61条・60条2項),同月21日に批准され,同月23日に批准書の交換により発効しました(日米安保条約8条)(同日,岸信介首相が辞意を表明しました。)ところ,その関係条文は以下のとおりです。
1条
   締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
   締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。

5条
   各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
   前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。
6条
   日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
  前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
(イ) 外務省HPの「日米安全保障条約(主要規定の解説)」に,日米安保条約の解説が載っています。
(ウ) 平成29年8月17日発表の日米安全保障協議委員会共同発表(仮訳)には,「日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されること,また,日米両国は,同諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対することを再確認した。」と書いてあります。
   また,尖閣諸島に関する日本政府の主張は外務省HPの「尖閣諸島」に書いてあります。
イ 日米地位協定

(ア) 日米安保条約と同じ日に署名された,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(略称は「日米地位協定」です。)(昭和35年6月23日発効)2条1項(a)前段は「合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。」と定め,同条3項は「合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなつたときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意する。」と定めています。
(イ) 日米地位協定に関しては,日米地位協定各条及び環境補足協定に関する日米合同委員会合意刑事裁判手続きに関する運用の改善(日米地位協定17条参照),環境に関する改善の措置が取られていますが,条文の文言自体は全く変更されていません。



2 刑事特別法
(1) 在日米軍に対する犯罪行為は,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(昭和27年5月7日法律第138号)(いわゆる「刑事特別法」です。)によって処罰されます。
(2)ア 在日米軍基地に無断で立ち入った場合,刑事特別法2条本文に基づき,1年以下の懲役又は2000円以下の罰金若しくは科料に処せられます。
イ 昭和32年7月8日,在日米軍立川基地の拡張工事に関して,北多摩郡砂川町(現在の立川市の北半分です。)で,基地拡張に反対するデモ隊の一部が在日米軍基地の立ち入り禁止の教会策を壊し,基地内に数メートル立ち入ったとして,デモ隊のうちの7人が刑事特別法2条違反で起訴されるという砂川事件が発生しました。
   東京地裁昭和34年3月30日判決(いわゆる「伊達判決」です。)は7人の被告人全員を無罪としたものの,
最高裁大法廷昭和34年12月16日判決は,統治行為論に基づき原判決である伊達判決を破棄して差戻しとしました(外部HPの「『砂川事件』をマンガで解説。アメリカ軍駐留と日米安保条約は憲法違反になるの?」参照)。
ウ 昭和38年5月1日,北多摩郡砂川町が立川市に編入されました。

3 日米安全保障協議委員会及び日米合同委員会
(1)ア 日米安全保障協議委員会(略称は「SCC」です。)は日米安保条約4条などを根拠とし,昭和35年1月19日付の内閣総理大臣及び米国国務長官との往復書簡に基づいて設置されており,日米両政府間の理解の促進に役立ち,及び安全保障の分野における協力関係の強化に貢献するような問題で安全保障の基盤をなし,かつ,これに関連するものについて検討しており,日米防衛協力のための指針(平成27年4月27日付)等を決定しています。
   出席対象者は,日本側が外務大臣及び防衛大臣であり,アメリカ側は国務長官及び国防長官です。ただし,平成2年12月28日以前のアメリカ側出席者は駐日米国大使及び太平洋軍司令官でした(平成25年度防衛白書「第3章 日米安全保障体制の強化」参照)。
イ   出席対象者に着目して,2+2(ツー・プラス・ツー)ともいいます。
(2)ア 日米合同委員会は日米地位協定25条を根拠とし,日米地位協定の実施に関して協議しています。
   日本側出席者は外務省北米局長,防衛省地方協力局長等であり,アメリカ側の出席者は在日米軍副司令官,在日アメリカ大使館公使等です(平成25年度防衛白書「第3章 日米安全保障体制の強化」参照)。
イ   日米合同委員会の組織図は外務省HPの「日米合同委員会組織図」のとおりです。

4 返還された米軍基地の跡地利用
(1) 「米軍提供財産の返還後の利用に関する基本方針について」(昭和51年6月21日付の国有財産中央審議会答申)(いわゆる「三分割答申」です。)は,利用区分に関する統一的な処理基準として,地元地方公共団体等が利用するA地区,国・政府関係機関等が利用するB地区及び当分の間処分を留保するC地区に3等分すべきとしました。
(2) 「大口返還財産の留保地の取扱いについて」(昭和62年6月12日付の国有財産中央審議会答申)(いわゆる「留保地答申」です。)では,以下のような留保地の取扱いについての基本的な考え方が示されました。
   留保地については、「①大都市圏に残された数少ないまとまった国有地であり、今後再びこのような土地が得られることは期待できないため、長期的観点からその有効活用を考える必要があること、②当審議会が答申した処理計画に従い、留保地以外の地区において各種施設等の整備が行われ、また今後も整備が進められる見込みであり、それによって都市環境の改善及び防災性の向上が図られると考えられること、から引き続きできる限りこれを留保しておくことが望ましい」とされる一方、「留保地の利用要望がある場合は個別に検討し、必要性及び緊急性があると認められるものについては、留保地を利用することもやむを得ない」、「留保地は公用・公共用の用途に充てる」場合に例外的に利用が認められることとされた。(以下「原則留保、例外公用・公共用利用」という。)
(3) 財政制度等審議会国有財産分科会不動産部会は,平成15年4月,東京都立川市及び昭島市に所在する立川飛行場跡地及び埼玉県朝霞市等に所在するキャンプ朝霞跡地の留保地について現地視察を実施しました(「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申) 「第2 現地視察結果」参照)。
(4)ア 「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申)別紙によれば,大口返還財産の内訳は以下のとおりです。
① 横浜海浜住宅地区(33ha):昭和57年3月31日返還
② 立川飛行場(460ha):昭和51年5月31日及び昭和52年11月30日返還
→ 跡地の一部に東京地家裁立川支部があります。
③ キャンプ朝霞(302ha):昭和46年11月10日~昭和61年2月14日返還
→ 跡地の一部に司法研修所があります。
④ 大和空軍施設(34ha):昭和48年6月30日返還
⑤ ジョンソン飛行場住宅地区(168ha):昭和33年7月25日~昭和53年9月1日返還
⑥ 府中空軍施設(59ha):昭和48年4月12日~昭和61年3月31日返還
⑦ キャンプ淵野辺(66ha):昭和49年11月30日返還
⑧ 水戸対地射爆撃場(1182ha):昭和48年3月15日返還
⑨ 柏通信所(152ha):昭和52年9月30日及び昭和54年8月14日返還
⑩ 関東村住宅地区(62ha):昭和47年3月31日~昭和49年12月10日返還
⑪ 北富士演習場(214ha):昭和48年5月19日返還
イ 「大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて」(平成15年6月24日付の財政制度等審議会の答申)の「第4 終わりに」には以下の記載があります。
   当審議会は、今回、留保地の今後の取扱いについての答申書をとりまとめ、これまでの「原則留保、例外公用・公共用利用」の基本的考え方を、「原則利用、計画的有効活用」の基本方針に転換し、新しい発想の下で地域の実情に則した計画的な有効活用の促進を図るとともに、留保地の活用に向けた具体策として、利用計画の策定、関係地方公共団体に対する支援措置、民間に対する処分等及び国による暫定的利用の拡大について提言を行った。
   今後、本答申に基づき、国と関係地方公共団体が、それぞれの責任の下で、民間の発想をも活用しながら、留保地の利用計画の策定及びその具体化に真摯に取り組み、都市部に残された最後の広大な留保地を我が国の構造改革に資する都市再生、経済活性化等の起爆剤として、有効に活用することを期待するものである。
(5) 財務省大臣官房地方課が平成21年6月に作成した財務省財務局六十年史の「第3章 管財編」の「第4節 普通財産事務」の「5.大口返還財産の利用」に,平成20年6月現在の,11の大口返還財産(合計面積は27.3平方キロメートル)について,留保地等の利用計画策定状況及び跡地別処理状況一覧が載っています。

5 その他の在日米軍基地
(1) 昭和27年の平和条約発効前,米軍基地は2824件,合計1353平方キロメートルに及んでいたらしいです(防衛省防衛研究所の戦史研究年報第11号(2008年3月)「「関東計画」の成り立ちについて」6頁参照)。
(2) 主な在日米軍基地は以下のとおりです(Wikipediaの「在日米軍」参照)。
① 三沢飛行場(青森県三沢市)
② 横田飛行場(東京都福生市,瑞穂町,武蔵村山市,羽村市,立川市及び昭島市)
③ 横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)
④ 厚木海軍飛行場(神奈川県綾瀬市,大和市等)
⑤ 岩国飛行場(山口県岩国市)
⑥ 佐世保基地(長崎県佐世保市)
⑦ 嘉手納飛行場(沖縄県中頭郡嘉手納町,沖縄市,中頭郡北谷町)
⑧ 普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)
(3) 在日米軍基地については,Wikipediaの「都道府県別の全ての米軍施設規模と都道府県別の米軍施設」が一番詳しいです。
(4) 以下のHPが参考になります。
① 青森県三沢市HPの「三沢基地の概要」
② 東京都都市整備局HPの「都内の米軍基地」
③ 神奈川県HPの「県内米軍基地一覧表」
④ 山口県HPの「米軍岩国基地の概要」
⑤ 長崎県HPの「米軍佐世保基地」
⑥ 沖縄県HPの「沖縄の米軍基地」


6 2001年のアフガニスタン攻撃では集団的自衛権が発動されたこと
(1) 1949年4月4日に作成された北大西洋条約5条は「締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条の規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力の使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。」という集団防衛条項を定めています。
(2)   アメリカ同時多発テロ事件の翌日である2001年9月12日採択の安保理決議1368(外務省HPの「安保理決議1368(訳文)」参照),同月28日採択の安保理決議1373(国際連合広報センターHPの「決議1373(2001)」参照)等で集団的自衛権が言及され,集団的自衛権は同年10月7日開始の,アメリカ及びイギリスを始めとした有志連合諸国によるアフガニスタン攻撃の根拠とされました。
   また,2001年のアフガニスタン攻撃は,北大西洋条約5条に基づく集団的自衛権が発動された最初の事例となりました。
(3) 平成13年12月から平成19年11月1日までの間はテロ対策特別措置法(平成13年11月2日法律第113号)に基づき,平成20年1月16日から平成22年1月15日までの間は新テロ対策特別措置法(平成20年1月16日法律第1号)(別称は「補給支援特別措置法」です。)に基づき,海上自衛隊がインド洋において補給支援活動等を行いました(外務省HPの「補給支援活動~「テロとの闘い」」「補給支援を通じた「テロとの闘い」への我が国の貢献 補給支援特別措置法」等参照)。
(4)  アメリカ同時多発テロ事件以降の,日本の国際テロ対策協力は,外務省HPの「国連及びG8におけるグローバルなテロ対策協力」に載っています。


7 沖縄返還協定及び沖縄返還密約
(1) 沖縄返還協定
ア 沖縄返還協定3条1項は「日本国は、1960年1月19日にワシントンで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及びこれに関連する取極に従い、この協定の効力発生の日に、アメリカ合衆国に対し琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域の使用を許す。 」と定めています。
イ 沖縄返還協定3条に関連し,昭和46年6月17日付愛知外務大臣とマイヤー大使との間の了解覚書は,(A)復帰の日から米軍に提供する用意のある施設・区域(88カ所),(B)復帰後日本側に返還されることとなる施設・区域(12ヵ所)および(C)米国政府が現に使用している基地で復帰の際またはその前にその全部または一部が使用解除されるもの(34ヵ所)のリストを掲げています(外務省HPの「わが外交の近況(昭和47年版)」「第3節 北米地域」参照)。
(2) 沖縄返還密約
ア 沖縄返還協定においてアメリカが支払うことになっていた,地権者に対する原状回復費用400万ドルを,実際には日本政府が肩代わりしてアメリカに支払うという沖縄返還密約は,昭和47年3月27日,衆議院予算委員会で暴露され,同年4月4日,外務省の機密電文を漏らした女性の外務事務官及び毎日新聞の西山太吉記者が逮捕され,同月15日に起訴されました(「外務省機密伝聞漏洩事件」といわれる事件です。)。
   西山記者は,最高裁昭和53年5月31日決定(国家公務員法100条1項の「秘密」の意義等について判示しました。)により,懲役4月執行猶予1年の有罪判決が確定しました。
イ 平成12年5月,アメリカ国立公文書記録管理局で,25年間の秘密指定が解かれた公文書類の中に,密約を裏付ける文書が発見され,そこには,西山太吉記者がスクープした400万ドル以外に日本がアメリカに1億8700万ドルを提供する密約が記されていました。
   このことに関して,西山太吉記者は平成17年4月に国家賠償請求訴訟を提起したものの,平成20年9月2日,最高裁で上告棄却となりました。
ウ 平成20年9月7日,沖縄返還に関する密約文書について情報公開請求が出され,同年10月2日,対象文書の不存在を理由に不開示決定となりました。
   平成22年3月9日,外務省の「密約」問題に関する有識者委員会による報告書(①安保条約改定時の核持込みに関する「密約」,②安保条約改定時の朝鮮有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」,③沖縄返還時の有事の際の核持ち込みについての「密約」及び④沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」)が公表されました(外務省HPの「いわゆる「密約」問題に関する調査結果」参照)。
   最高裁平成26年7月14日判決は,沖縄返還に関する密約文書について,対象文書について不存在を理由とする不開示決定を維持しました。


8 その他
(1) ア  日米安全保障体制については,外務省HPの「日米安全保障体制について」及び防衛省HPの「日米安全保障体制」が参考になります。
イ   日米安保条約日米地位協定,日米防衛協力のための指針等は,外務省HPの「資料コーナー」に載っています。
(2) 国立国会図書館HPの「調査と情報-Issue Brief-」「沖縄県の米軍施設・区域の返還状況」(2021年7月13日付)が載っています。
(3) 沖縄返還協定及びその付属文書は,データベース「世界と日本」「日米関係資料集1971-1980」に載っています。
(4) ①ソ連侵攻を念頭に昭和53年11月27日に策定された「日米防衛協力のための指針」,②朝鮮半島有事を想定して平成9年9月23日に改定された「日米防衛協力のための指針」,及び③平成27年4月27日に改定された「日米防衛協力のための指針」は,防衛省HPの「日米防衛協力のための指針」に載っています。
(5) 内閣官房国民保護ポータルサイトの「武力攻撃事態の類型ごとの特徴」によれば,①着上陸侵攻の場合,②弾道ミサイル攻撃の場合,③ゲリラ・特殊部隊による攻撃の場合,及び④航空攻撃の場合が想定されています。
   また,「有事関連法制に関する政府の取り組み」には,平成15年成立の事態対処法,平成16年成立の国民保護法等の解説が載っています。
(6) 首相官邸HPの「なぜ・いま 平和安全法制か?」には,平成28年3月29日施行の平和安全法制の解説が載っています。


第2 各論(司法研修所関係,東京地家裁立川支部関係及び沖縄関係)
1 司法研修所関係
(1) 在日米軍の旧キャンプ朝霞
ア 昭和20年9月の米軍進駐以降,現在の埼玉県和光市,同県朝霞市(あさかし),同県新座市(にいざし)及び東京都練馬区(ねりまく)にまたがる地域に,在日米軍のキャンプ朝霞(別名は「キャンプ・ドレイク」です。)が形成されるようになりました。
イ キャンプ朝霞は,国道254号線より北の部分であるキャンプ朝霞北地区(別名は「キャンプ・ノース」です。),及び国道254号線より南の部分であるキャンプ朝霞南地区(別名は「キャンプ・サウス」です。)からなりました。
    キャンプ朝霞北地区は昭和61年2月14日までにすべてが返還され,キャンプ朝霞南地区は,昭和53年7月10日までに,AFN送信所(AFNアンテナが設置されている敷地)を除いて返還されました。
ウ Wikipediaの「キャンプ・ドレイク」「Camp Drake 全体の概要図 昭和49年撮影の航空写真より」を見れば,キャンプ朝霞の全体像が分かります。
(2) 旧キャンプ朝霞の北地区及び南地区の現状
ア 旧キャンプ朝霞北地区の現状
・   旧キャンプ朝霞北地区の現状については,朝霞市HPの「朝霞市の基地跡地利用」(リンク先の写真は,北方向が右側になっています。)が参考になります。
    朝霞中央公園,青葉台公園,朝霞第一中学校,都市開発用地,朝霞西高等学校,朝霞保健所等になっています。
・ 平成21年3月,国は,北地区の跡地の一部(3ha)で国家公務員宿舎の建設事業に着手することを決定しました。
    しかし,財務省は,平成23年12月1日付の国家公務員宿舎の削減計画(財務省HPの「国家公務員宿舎の削減のあり方についての検討会」に載っています。)に基づき,朝霞住宅(仮称)整備事業の中止を正式に発表しました。
イ 旧キャンプ朝霞南地区の現状
・ 旧キャンプ朝霞南地区の大部分は現在,陸上自衛隊の朝霞駐屯地(陸上自衛隊HPの「東部方面隊」参照)及び朝霞訓練場となっています。
・   陸上自衛隊の朝霞駐屯地の北側に陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」があります。
・   陸上自衛隊朝霞訓練場では,3年に1度,陸上自衛隊の中央観閲式が開催されています(防衛省HPの「平成28年度自衛隊記念日観閲式」に中央観閲式の動画が載っています。)。
   また,1964年の東京オリンピックではライフル射撃競技が行われましたし,2020年の東京オリンピックでもライフル射撃競技が行われる予定です(埼玉県発!大会関連情報HPの「陸上自衛隊朝霞訓練場」参照)。
・   Wikipediaの写真中の「South Canp」と書いてある部分は現在,埼玉県営和光樹林公園(平成元年3月28日開園)及び東京都の大泉中興公園(平成2年6月1日開園)になっていて,写真中の「桃出地区」と書いてある部分は現在,税務大学校和光校舎,国立保健医療科学院,司法研修所別館及び理化学研究所南地区となっています。
   写真中の「AFNアンテナ」と書いてある部分は現在でも在日米軍が管理しています。
・ 平成19年3月,和光樹林公園の北東部に和光市総合体育館が建設されました。

2 東京地家裁立川支部関係
(1) 立川基地,府中基地及び横田基地に関する経緯
ア 在日米軍基地の設置
・   昭和20年9月,アメリカ軍は,立川陸軍飛行場,立川陸軍航空工廠等を接収して,在日米軍立川基地(別名は「キャンプ・フィンカム」でした。)としました。
    同月,アメリカ軍は,府中にあった陸軍燃料廠を接収して在日米軍府中基地とし,多摩陸軍飛行場(地元では「福生(ふっさ)飛行場」と呼ばれていました。)を接収して在日米軍横田基地としました。
・ 横田という名前は,太平洋戦争中にアメリカ軍が付けたものでありますところ,アメリカ陸軍サービスが1944年に作成した地図では,北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)の大字名であった「Yokota」が「Fussa」より飛行場近くに記載されていたためと考えられています(Wikipediaの「横田基地」参照)。
イ 立川基地に関する経緯
・ 昭和44年12月8日までにアメリカ空軍の立川基地における飛行活動はすべて停止し,横田基地に移転しました。
・   昭和52年11月30日までに,在日米軍立川基地が全面的に返還されました。
・ 昭和54年11月19日,国有財産中央審議会は,大蔵大臣に対し,「立川飛行場返還国有地の処理の大綱について」を答申し,約460ヘクタールの在日米軍立川基地跡地を3分割(地元地方公共団体等利用の地区,国・政府関係機関等利用の地区及び留保地)して処理すべきとしました(「立川飛行場(留保地)に係る利用計画について」(平成20年6月)参照)。
・ 昭和58年5月,在日米軍立川基地の東側跡地に陸上自衛隊立川駐屯地(東京地家裁立川支部の西側すぐ近くにあります。)が完成しました。
・ 昭和58年10月26日,在日米軍立川基地の中央跡地に国営昭和記念公園が開園しました。
ウ 府中基地に関する経緯
・ 昭和32年8月1日,航空自衛隊府中基地が在日米軍府中基地の一角に併設されました(航空自衛隊府中基地HPの「府中基地沿革」参照)。
・ 昭和50年6月30日,立川市の東隣の府中市にあった在日米軍府中基地が,米軍通信施設を除いて全面的に返還されました。
・ 昭和56年11月24日,国有財産中央審議会は,大蔵大臣に対し,「府中空軍施設返還国有地の処理の大綱について」を答申し,約56ヘクタールの在日米軍府中基地跡地を4分割(公園用地,公共公益施設用地,自衛隊用地及び留保地)して処理すべきとしました(「府中基地跡地留保地活用基本方針」(平成28年2月)参照)。
エ 横田基地に関する経緯
・ 昭和48年1月23日,日米安全保障協議委員会は,関東平野地域にある在日米軍の空軍施設を削減し,その大部分を横田基地に統合する,その際の代替施設の建設は日本側の経費負担により行うという「関東平野地域における施設・区域の整理・統合計画」(略称は「KPCP」,別名は「関東空軍施設整理統合計画」です。)を了承しました(防衛省防衛研究所の戦史研究年報第11号(2008年3月)「「関東計画」の成り立ちについて」等1頁参照)。
・ 昭和49年11月7日,在日米軍司令部及び第5空軍司令部が横田基地に移転しました。
・ 平成22年12月17日,「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」(平成22年12月17日安全保障会議及び閣議決定)(略称は「22大綱」です。)に従って定められた「中期防衛力整備計画(平成23年度~平成27年度)」(平成22年12月17日安全保障会議及び閣議決定)(略称は「23中期防」です。)3頁に,「米軍とのインターオペラビリティを向上するため、横田基地を新設し、航空総隊司令部等を移転する。」と記載されました(防衛省HPの「防衛大綱と防衛力整備」に関連資料が掲載されています。)。
・ 平成23年1月13日,福生市議会は,北関東防衛局に対し,中期防衛力整備計画に対する抗議申入れ書を提出し,同月31日,北関東防衛局長は,福生市議会議長に対し,回答書を提出しました(福生市HPの「中期防衛力整備計画に対する抗議・申入れへの回答について(平成23年1月13日)」参照)。
・ 平成24年3月21日,航空自衛隊の航空総隊司令部等が府中基地から横田基地に移転し,同月26日,航空自衛隊横田基地が運用を開始しました(横田基地の住所は立川市の西隣にある福生市(ふっさし)ですが,立川市にもまたがっています。)。
(2)   法務省の国際法務総合センターに関する経緯(東京都昭島市HPの「立川基地跡地昭島地区」参照)
ア 平成19年9月,法務省及び財務省が,昭島市に対し,立川基地跡地昭島地区(在日米軍立川基地の西側跡地です。)を,国際法務総合センター(仮称)建設のために自ら利用したいと要請しました。
イ 平成21年8月5日,法務省大臣官房長及び昭島市長が,「立川基地跡地昭島地区における「国際法務総合センター(仮称)」の整備に関する覚書」を締結しました。
   覚書2条では,国連アジア極東犯罪防止研修所(法務総合研究所国際協力部を含む。),強制研修所(東京支所を含む。),公安調査庁研修所,八王子医療刑務所,関東医療少年院,神奈川医療少年院,八王子少年鑑別所,東京婦人補導員及び職員宿舎を昭島地区に集約整備し,これを「国際法務総合センター(仮称)」と呼ぶものとされました。
ウ 平成28年4月1日,国際法務総合センターの住所が昭島市もくせいの杜(もり)二丁目1番地となりました(昭島市HPの「住居表示の実施により,「もくせいの杜」が誕生しました」参照)。
エ 国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)と法務総合研究所国際協力部(ICD)は,平成29年10月2日,東京都昭島市内の国際法務総合センター国際棟に移転して業務を開始しました。
    また,法務省における国際協力事業を担う両部門がそろって新庁舎に移転したことを記念し,同年11月27日,同センター全体の落成式に引き続き,国際棟の国際会議場において,記念講演会を行いました(法務省HPの「国際法務総合センター開所記念アジ研・ICD講演会を開催しました」参照)。
オ 位置関係としては,西から順に,国際法務総合センター,国営昭和記念公園,陸上自衛隊立川駐屯地及び東京地家裁立川支部となります(昭島市HPの「国際法務総合センターC工区新営工事 工事説明会」(平成29年6月)参照)。
(3) 基地関係訴訟
ア 横田基地関係の訴訟に関する最高裁判決は以下のとおりです(政策研究大学院大学(GRIPS)HPの「基地騒音訴訟を巡る判例の動向」(平成21年10月19日付)4頁参照)。
① 最高裁平成 5年2月25日判決(横田基地夜間飛行禁止等)
② 最高裁平成14年4月12日判決(横田基地夜間飛行差止等請求事件)
③ 最高裁平成19年5月29日判決(横田基地夜間飛行差止等請求事件)
イ 横田基地と厚木基地(所在地は神奈川県の綾瀬市(あやせし)及び大和市(やまとし)であり,神奈川県厚木市でありません。)の位置関係については,東京都町田市HPの「町田市と基地の位置関係図」が分かりやすいです。
    また,海上自衛隊及び在日アメリカ空軍が使用している厚木基地の騒音に関しては,最高裁平成5年2月25日判決(航空機発着差止等),最高裁平成28年12月8日判決(各航空機運航差止等請求事件)及び最高裁平成28年12月8日判決(損害賠償等請求事件)があります。
ウ 法務省HPの「基地関係訴訟」には,「国側の主張」として以下の記載があります。
    最高裁判所判例(厚木基地騒音訴訟最高裁判所判決等)では,自衛隊機の離着陸等の差止請求は不適法とされており,また,米軍機の離着陸等の差止請求は国に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを求めるものであり主張自体失当であるとされています。
  国は,この最高裁判所判例に基づき,自衛隊機及び米軍機の離着陸等の差止請求については,訴え却下及び請求棄却を求めています。損害賠償請求についても,受忍限度を超える被害が現に生じていることについて,個々の原告ごとに個別的に立証されなければならないとして,請求棄却を求めています。

  また,将来分の損害賠償請求について,最高裁判所判例(大阪国際空港最高裁判所判決,横田基地最高裁判所判決等)では,空港周辺住民の航空機騒音に係る将来分の損害賠償請求権について,将来給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有さないとされており,国はこれらの最高裁判所判例に基づき,訴えが不適法であると主張しています。 
(4) その他
ア 立川市には陸上自衛隊東立川駐屯地航空自衛隊立川分屯基地及び防衛装備庁航空装備研究所もあります。
イ 横田基地及び所在市町村の位置関係は,「横田・基地被害をなくす会」HP「横田基地の概要」に書いてあります。
ウ 横田基地については,福生市HPの「福生市と横田基地」が非常に詳しいです。
エ 横田基地の騒音軽減措置については,第3条に関連する日米合同委員会合意として,外務省HPの「日米地位協定各条及び環境補足協定に関する日米合同委員会合意」に載っています。
オ 横田空域は,新潟県から東京都西部,伊豆半島及び長野県まで広がり,12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の高度に上る空域であり,現在,この空域においては米軍が管制業務を行っています(まとめNAVERの「首都圏の空のタブー『横田空域』…未だに続く米軍の日本支配」参照)。

3 沖縄関係
(1) 総論

ア(ア) 沖縄においては,アメリカ軍は,沖縄戦から対日平和条約が締結されるまでの間は,ハーグ陸戦法規52条に基づき,「占領軍の為にする現品調達」として軍用地を使用してきました(1953年12月5日の民政布告第26号「軍用地域内における不動産の使用に対する補償」参照)。
   対日平和条約の締結後は,同条約3条において,沖縄等におけるアメリカの施政権が認められたことから,その後のアメリカ軍は,この施政権を根拠として布令・布告等を交付し,これを根拠として軍用地の接収を行いました(防衛省HPの「沖縄県の施設・区域の提供に係る政府間協定の締結」参照)。
(イ) 1907年10月18日に採択された「陸戦の法規慣例に関する条約」(いわゆる「ハーグ条約」です。)に付属していた「陸戦の法規慣例に関する規則」(いわゆる「ハーグ陸戦法規」です。)52条は以下のとおりです。
   現品徴発及課税は、占領軍の需要の為にするに非ざれば、市区町村又は住民に対して之を要求することを得ず。徴発及課税は、地方の資力に相応し、且人民をして其の本国に対する作戦動作に加るの義務を負わしめざる性質のもたることを要す。
   右徴発及課税は、占領地方に於ける指揮官の許可を得るに非ざれば、之を要求することを得ず。
   現品の供給に対しては、成るべく即金にて支払い、然らざれば領収証を以て之を証明すべく、且成るべく速に之に対する金額の支払いを履行すべきものとす。
(ウ) 外部HPの「軍用地を生活と生産の場に!」には,アメリカ軍が根拠としたハーグ陸戦法規52条は軍用地接収の根拠にならないと書いてあります。
(エ) ①戦闘方法等を制限したハーグ陸戦条約等のほか,②武力紛争犠牲者の保護を目的としたジュネーブ条約等をあわせて「国際人道法」といいます(外部HPの「国際人道法について(ジュネーブ条約を中心に)」参照)。
   ②につき,主たる条約は,第1条約(陸の条約),第2条約(海の条約),第3条約(捕虜の条約)及び第4条約(文民保護の条約)からなるジュネーブ諸条約(1949年8月12日採択),並びにジュネーブ諸条約の第1追加議定書及び第2追加議定書(1977年6月8日採択)です(外務省HPの「ジュネーブ諸条約及び追加議定書」参照)。
(オ) 沖縄における人権問題に関する声明(昭和42年11月25日付の日弁連会長声明)には以下の記載があります。
    軍用地の接収は、住民の生活の基盤としての土地を直接奪うものであるから、米軍と住民との矛盾はもっとも鋭いかたちをとって露呈される。その土地で生活をしているものは、土地の取上げに対しては最大限に抵抗し、すでに接収された土地に対しては、すみやかな返還と十分な補償を要求する。沖縄における米軍の基地が広大であればあるほど、住民の不満と抵抗は広汎になり、強化される。たしかに昨年1月以来、現実には新規土地接収は実行されていない。しかし、それは、住民の激しい抵抗によるのであって、具志川村昆布地区、糸満町喜屋武地区、知念村志喜屋地区における新規土地接収方針は昨年来、米国によって決定されており、また嘉手納、読谷両村における黙認耕作地の取上げも具体化している。そしてかような土地接収に対する司法的救済の道がないことは、接収後の地代が極端に低額であることと共に注意されるべきである。
イ 昭和47年5月15日の沖縄返還の際,83施設,278平方キロメートルの施設が日米合同委員会における個々の施設・区域に係る提供合意により在沖の施設・区域として米軍に提供されました。
   また,沖縄返還時点での本土所在の施設・区域をあわせた,全国の米軍専用施設・区域は,181施設・475平方キロメートルであり,これに対する沖縄に所在する米軍専用施設・区域の占める割合は約59%でした(防衛省HPの「沖縄県の施設・区域の提供に係る政府間協定の締結」参照)。
ウ 防衛施設庁は,沖縄返還までの間に,沖縄返還後においても在日米軍又は自衛隊の用に供する必要がある土地等に関して,件数にして90%以上の土地所有者等から賃貸借契約の合意を得るに至りました(「沖縄県における公用地暫定使用法に基づく土地使用の開始(昭和47年5月15日)」参照)。
    沖縄返還後,国は,沖縄返還後においても在日米軍又は自衛隊の用に供する必要がある土地等のうち,土地所有者等との間で賃貸借契約の合意を得られなかった土地に関して,昭和57年5月14日までは,沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(昭和46年12月31日法律第132号)(略称は「公用地暫定使用法」です。)を適用し,昭和57年5月15日以降は,日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法(昭和27年5月15日法律第140号)(略称は「駐留軍用地特措法」です。)を適用しました。
エ 沖縄県知事は,那覇防衛施設局長に対し,平成7年8月21日,駐留軍用地特措法に基づく使用裁決の手続に必要な土地調書・物件調書への立会い・署名押印(いわゆる「代理署名」です。)を拒否しました。
   最高裁大法廷平成8年8月28日判決は,沖縄県内の土地に駐留軍用地特措法を適用することは憲法に違反しないなどとして,沖縄県知事による代理署名拒否は違法であると判断しました。
    平成9年4月23日公布・施行の改正駐留軍用地特措法により,必要な権利手続が完了していなくても防衛施設局長が損失補償のための担保を提供していれば引き続き暫定使用できることとなりました。
    平成12年4月1日施行の改正駐留軍用地特措法により,土地調書・物件調書への署名押印は国の直接執行事務となりました(沖縄県HPの「第1節 土地問題の経緯」参照)。
オ 平成25年4月5日に日米が合意した「嘉手納飛行場以南の土地の返還」については,外務省HPの「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」「概要」に載っています(解説記事として外部HPの「沖縄米軍基地返還計画」参照)。
    これによれば,嘉手納飛行場(総面積は約19.95平方キロメートル)については返還の予定はありません。
カ 平成29年3月31日現在,全国の在日米軍専用施設・区域は全体で78施設・区域,266平方キロメートルです。
    そのうち,本土が47施設・区域,78平方キロメートル(29.62%)であり,沖縄が31施設・区域,186平方キロメートル(70.38%)です(防衛省HPの「在日米軍施設・区域の状況」参照)。


(2) 普天間飛行場関係
ア 平成8年以降の経緯
・ 平成8年4月12日,橋本龍太郎首相及びモンデール駐日米国大使が,5年から7年以内の,普天間飛行場の移設条件付返還の合意(条件は,沖縄県に存在している米軍基地の中に新たにヘリポートを建設すること等でした。)を発表しました(首相官邸HPの「橋本内閣総理大臣とモンデール駐日米国大使共同記者会見」参照)。
・   平成7年11月に設置された沖縄に関する特別行動委員会(SACO)は,平成8年12月2日付の最終報告において,「海上施設の建設を追求し、普天間飛行場のヘリコプター運用機能の殆どを吸収する。」とか,「今後5乃至7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場を返還する。」等と決定しました(外務省HPの「SACO最終報告(仮訳)」参照)。
・   日米安全保障協議委員会(略称は「SCC」です。)は,平成18年5月1日,普天間飛行場代替施設の建設は,平成26年までの完成を目標としました(外務省HPの「平成18年5月1日付の再編実施のための日米のロードマップ(仮訳)」参照)。
・ 日米安全保障協議委員会は,平成22年5月28日,平成18年5月1日付の再編案を着実に実施する決意を確認しました(外務省HPの「<仮訳>共同発表 日米安全保障協議委員会」参照)。
・ 最高裁平成28年12月20日判決は,平成27年10月13日に翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事(平成26年11月16日当選,同年12月10日就任)がした,名護市辺野古沿岸部に関する公有水面の埋立ての承認(平成25年12月27日付で仲井眞弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事が行ったもの)の取消しを取り消さないことは違法であると判断しました。
イ その他
・ ①米軍の読谷(よみたん)補助飛行場(平成18年12月に返還)の前身となった陸軍沖縄北飛行場,②米軍の嘉手納(かでな)飛行場(返還予定なし。)の前身となった陸軍沖縄中飛行場,③米軍の伊江島(いえじま)補助飛行場の前身となった陸軍伊江島飛行場(返還予定なし。)及び④那覇空港の前身となった海軍小禄(おろく)飛行場(沖縄の本土復帰の際に返還)はいずれも旧日本軍が建設した飛行場です(①及び②は昭和20年4月1日のアメリカ軍の沖縄本島上陸の日に占領されました(沖縄市HPの「沖縄戦の実相」のほか,外部HPの「沖縄戦経過図〔沖縄本島〕」参照))。
   これに対して米軍の普天間飛行場は,昭和20年6月以降,地元の住民が収容所に入れられているときに,日本本土への攻撃拠点とするために建設されたものでした(外部HPの「日米の合作による「基地の島」」参照。リンク先には「戦前の宜野湾村と現在の普天間飛行場の位置図」があります。)。
・ 宜野湾市HPの「普天間飛行場」には「「国破れて山河あり」と故事にありますが、戦争が終結し避難先や収容所から帰郷すると、そこには昔日の面影もなく、米軍の前線基地が建設され、立ち入り禁止地域になっていました。戦後は基地の周囲に張り付くように、無計画に住宅が建設されました。その結果、いびつな街がつくられ、今日に至っています。」と書いてあります。
・ 防衛省HPの「SACO最終報告の進捗状況」に,SACO最終報告の概要・進捗状況等が書いてあります。
・ 名護市辺野古は,在日米軍海兵隊の基地である「キャンプ・シュワブ」の沖合にあります。
   戦前は日本海軍の潜水艦基地があり,昭和32年に基地建設が開始しました(名護市辺野古区HPの「辺野古の歴史」参照)。
・ 平成29年8月17日発表の日米安全保障協議委員会共同発表(仮訳)には,「閣僚は,この取組〔注:在日米軍再編のための既存の取組み〕の不可欠な要素として,普天間飛行場の代替施設(FRF)の建設の再開を歓迎し,FRFをキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に建設する計画が,運用上,政治上,財政上及び戦略上の懸念に対処し,普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策であることを再確認した。」と書いてあります。
・   普天間飛行場(総面積は約4.8平方キロメートル)については,「普天間基地の実態 米軍飛行場がある暮らし」HPが参考になります。


(4) 跡地利用特措法
ア 平成24年4月1日,「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」(略称は「駐留軍用地特措法」又は「軍転法」でした。)は,「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法」(略称は「跡地利用特措法」です。)に変わりました(内閣府HPの「「沖縄振興特別措置法の一部を改正する法律」及び「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律」について」参照)。
イ 跡地利用特措法の内容については,内閣府HP「「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法の一部を改正する法律」について」に掲載されている「跡地利用特措法の概要」(平成27年3月31日一部改正)が分かりやすいです。

(5) その他
ア 沖縄県にある米軍専用施設の位置関係については,防衛省HPの「在日米軍に関する諸施策」にある「沖縄の基地負担軽減について」が分かりやすいです。
   また,沖縄県HPの「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book」,宜野湾(ぎのわん)市HPの「普天間飛行場」及び嘉手納(かでな)町HPの「嘉手納町と基地」が参考になります。
イ 沖縄県に関して良くある質問に対する回答が,沖縄県HPの「(よくある質問)沖縄振興策について」「(よくある質問)沖縄振興予算について」及び「(よくある質問)米軍基地と沖縄経済について」に書いてあります。
ウ 沖縄県HPの「基地問題に関する刊行物」に,「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」等が載っています。
エ 平成20年3月までの経緯については,沖縄県HPの「沖縄の米軍基地(平成20年3月)」が非常に詳しいです。
オ 嘉手納基地についても騒音訴訟が提起されています(政策研究大学院大学(GRIPS)HPの「基地騒音訴訟を巡る判例の動向」(平成21年10月19日付)4頁参照)。
    しかし,最高裁は,平成23年1月27日,第2次嘉手納基地騒音訴訟について上告棄却・上告不受理決定を出しました(弁護団HPの「上告及び上告受理申立棄却決定に対する声明」参照)。
カ 駐留軍用地特措法の施行状況(平成24年5月)によれば,駐留軍用地特措法が日本本土に適用されたのは昭和28年から昭和37年であり,沖縄県に適用されたのは昭和57年5月15日以降となります。
   また,平成24年1月1日時点で,民公有地1万5125haのうち,1万5096ha(99.8%)について賃貸借契約等が適用され,29ha(0.2%)について駐留軍用地特措法が適用されています。
キ 沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法(昭和52年5月18日法律第40号)に基づき,位置境界不明地域のうち駐留軍用地等については防衛省が,それ以外の土地については内閣府の委託を受けた沖縄県がその明確化を進めており,平成22年4月現在,99.69%の土地について位置境界の明確化がなされました(内閣府HPの「位置境界明確化事業について」参照)。
ク 沖縄戦に伴い発生した所有者不明土地については,那覇市HPの「所有者不明土地について」が参考になります。
ケ 沖縄県HPに「地位協定ポータルサイト」が載っています。
コ 国立国会図書館HPレファレンス平成30年8月号に「米国が締結している地位協定及び地位協定における主要な規定」が載っています。


第3 日本の戦前の兵役の年齢
1 兵役の年齢
(1) 日本の徴兵検査の対象者は従前,20歳でした(兵役法23条)が,徴兵適齢臨時特例(昭和18年12月23日勅令第939号)により19歳となりました。
(2) 昭和20年6月23日以降については,義勇兵役法に基づき,15歳以上60歳以上の男性,及び17歳以上40歳以下の女性に義勇兵役を課されることとなりました。
2 志願兵の年齢
(1) 毎年12月1日時点で17歳以上の男性であれば志願兵として第二国民兵役に服することができました(兵役法施行令7条1項参照)。
(2)ア 昭和19年10月以降については,14歳以上の男性であれば志願兵として第二国民兵役に服することができました(陸軍特別志願兵令(昭和19年10月14日勅令第594号)2条及び陸軍特別志願兵令施行規則(昭和19年10月20日陸軍省令第47号)11条ノ2参照)。
イ 防衛召集規則の改正(昭和19年12月12日陸軍省令第58号)及び陸軍召集規則の改正(昭和19年12月12日陸軍省令第59号)により,昭和19年12月12日以降については,千島列島,沖縄県,台湾,南洋群島等に限り,第二国民兵役に服する14歳以上の男性であれば,防衛召集の対象となりました。
3 沖縄戦の場合
(1) 沖縄戦では,徴兵検査合格者を対象とする兵隊だけではなく,現地召集兵(徴兵検査を受けていない17歳以上の男性),防衛隊(兵役を終えた41歳以上の男性等),義勇隊(15歳以上の男性及び17歳以上の女性),学徒隊(鉄血勤皇隊・学徒看護隊。15歳以上の男性及び17歳以上の女性)等も駆り出されました(沖縄戦の記憶・本館HP「徴兵と日本軍」参照)。
(2) Wikipediaの「鉄血勤皇隊」には以下の記載があります。
    実際の手続きにおいても、17歳未満の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集するには「志願」して第2国民兵役に編入された者でなければならないが、「学校ぐるみ」での編成ということ自体が強制の契機をはらむ。さらに学校や配属将校が同意なく印鑑をつくり「志願」のために必要な親権者の承諾書を偽造するなど、「事実上の強制」であったような例も多々見受けられた[6]内務省の懸念は現実のものとなっていたわけである。
4 その他
(1) Wikipediaの「役種」には以下の記載があります。
第一国民兵役
    常備兵役と補充兵役を終了した者が服する。
第二国民兵役
    年齢17歳以上45歳迄の者で常備兵役・補充兵役・第一国民兵役に服さなかった者が対象となる。徴兵検査基準の「丙種」と判定された者がこれにあたり、その基準は「身体上極めて欠陥の多い者」をいう。徴兵検査では甲種・乙種が合格で、丙種は一応合格、丁種・戊種が不合格だったが、戦局が悪化し末期になるとこの一応合格の身体上極めて欠陥の多い者までも戦地に送られた。
(2) 兵役法施行規則の一部改正(昭和19年10月18日陸軍省令第45号)にもとづき,昭和19年11月1日以降,第二国民兵役に服する人も防衛召集の対象となりました(よみとき仙台写真集HP「兵役制度」参照)。



第4 関連記事その他

1(1) 広報誌「にちぎん」No.1(2005年3月25日発刊)「540億円の大輸送—沖縄での通貨交換」が載っています。
(2) 日弁連HPに「日米地位協定の改定を求めて-日弁連からの提言(新版)-」(2024年4月)が載っています。
2 衆議院議員長島昭久君提出国際法上の交戦者の権利・義務に関する質問に対する答弁書(平成30年6月19日付)には「仮に「交戦国」に対して一定の義務を負う国家としての「中立国」の義務についてのお尋ねであれば、当該「中立国」という概念は、戦争自体が国家政策の遂行手段の一つとして認められていた伝統的な戦時国際法の下で発達したものであり、武力の行使が原則的に禁止され、国際法上戦争が違法化された国連憲章の下においては、戦争が違法ではないことを前提としたこのような概念は、現在では用いられなくなっている。」と書いてあります。
3  地方自治法255条の2第1項1号の規定による審査請求に対する裁決について,原処分をした執行機関の所属する行政主体である都道府県は,取消訴訟を提起する適格を有しません(最高裁令和4年12月8日判決)。
4 経済産業省HPの「FOIP(自由で開かれたインド太平洋)」には以下の記載があります(改行を追加しています。)。
FOIPとは、インド太平洋地域全体の平和と繁栄を保障し、いずれの国にも安定と繁栄をもたらすために、ASEANの中心性、一体性を重視し包括的かつ透明性のある方法で、ルールに基づく国際秩序の確保を通じて、自由で開かれたインド太平洋地域を「国際公共財」として発展させるという構想です。
2016年8月、第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)にて、安倍総理(当時)が基調演説の中で、「日本は、太平洋とインド洋、アジアとアフリカの合流点を、武力や強制によらない自由と法の支配、市場経済を重んじる場所に育て、繁栄させる責任を負っている」と述べたことを端緒としています。

5 自衛隊応援クラブHP「第4代 陸上総隊司令官 陸将 吉田圭秀 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第29号】」には以下の記載があります。
自衛隊はご存知のとおり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊という3つの組織で成り立っています。それぞれに特性がありまして、これを端的に表現すると、分単位で動く航空自衛隊、時間単位で動く海上自衛隊、日単位で動く陸上自衛隊と表現することができます。
6(1) 以下の資料を掲載しています。
・ 「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」の説明資料及び補足説明資料
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ 類型ごとの戦後補償裁判に関する最高裁判例
・ 在外財産補償問題
・ 平和条約における請求権放棄条項に関する3つの説及び最高裁判例
・ 最高裁平成19年4月27日判決が判示するところの,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨等
・ 日韓請求権協定
・ 在日韓国・朝鮮人及び台湾住民の国籍及び在留資格
・ 日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等

日中共同声明,日中平和友好条約,光華寮訴訟,中国人の強制連行・強制労働の訴訟等

目次
1 日中共同声明
2 日中平和友好条約
3 その後の共同声明
4 光華寮訴訟
5 中国人の強制連行・強制労働の訴訟
6 国家賠償法施行以前の取扱い
7 関連記事その他

 日中共同声明 
(1)   昭和47年9月29日に発表された,日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(いわゆる「日中共同声明」です。)5項は,「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と定めています。
   7項は「日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。」と定めています。
(2) 田中角栄内閣総理大臣は、昭和47年10月31日の参議院本会議において以下の答弁をしています。
① 日中共同声明は、国会の承認を求めるべきだという御議論でございますが、先般の日中共同声明は、政治的にはきわめて重要な意味を持つものでございますが、法律的合意を構成する文書ではなく、憲法にいう条約ではないわけでありまして、この共同声明につき、国会の承認を求める必要はないのでございます。
② もっとも、この日中共同声明につきましては、事柄の重要性にかんがみ、その内容につきましては、国会において十分御審議をいただきたいと考えております。

(3) 大森誠一外務省条約局長は、昭和53年10月13日の衆議院外務委員会において以下の答弁をしています。
① 日中間の戦争状態の終結の問題につきましては、法律的には、わが国と中国との間の戦争状態は日華平和条約第1条により終了したとするのがわが国の立場でございます。日中国交正常化に際しまして、わが国としては、日華平和条約を当初から無効なものとします中国側の主張は認めることはできないとの基本的立場を中国側に十分説明いたしまして、日中国交正常化という大目的のために日中双方の本件に関しまする基本的立場に関連する困難な法律問題を克服しますために、共同声明の文言に双方が合意した次第でございます。
   このようなわけでございまして、日中間の戦争状態終結の問題は、日中共同声明により最終的に解決している次第でございます。
② ただいま申し上げましたような次第によりまして、この共同声明は国会の承認を要しないということでございました。
(4) 大阪高裁令和2年2月4日判決(担当裁判官は33期の江口とし子43期の大藪和男及び47期の角田ゆみ)の判示事項の要旨は以下のとおりです。
① 第二次世界大戦中,日本国により中国から日本に強制連行され,日本各地の事業場で強制労働に従事させられたことを原因とする控訴人らの被控訴人に対する慰謝料請求を,最高裁平成19年4月27日第二小法廷判決の考え方に則り,日中共同声明5項によって裁判上訴求する権能を失ったとした原判決の判断は,相当である。

② 強制連行・強制労働という先行行為があったとしても,戦後,侵害の回復という作為義務(とりわけ,金銭支払義務)が別個に生ずるとはいえず,その不履行が別個独立の損害賠償請求権の発生根拠となることはない。
③ 昭和29年から昭和35年にかけての国会における外務省アジア局長及び内閣総理大臣の答弁は,具体的な事実を摘示したものではなく,それ自体で被害者らの社会的評価を低下させたとは認められないから,いずれも被害者らに対する名誉棄損とはならない。 

2 日中平和友好条約
(1)   昭和53年8月12日に北京で署名された,日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 (いわゆる「日中平和友好条約」です。)1条1項は「両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。 」と定め,同条2項は「両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。」と定めています。
   2条は「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。 」と定めています。
   4条は「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。 」と定めています。
(2) 1969年3月2日,国境問題をめぐってウスリー江のダマンスキー島(中国側の呼称は珍宝島です。)で大規模な軍事衝突が発生して中ソ国境紛争が継続するなど,中ソ対立が続いており,中国はソ連を覇権主義国家として非難していました。
    そのため,中国は,日本に対し,ソ連の覇権主義に反対するように要求した結果,反覇権条項としての2条が記載され,反覇権条項は特定の第三国に向けられたものではないという意味で第三国条項としての4条が記載されました。

3 その後の共同声明

(1)   「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言 」(平成10年11月26日発表)には,「双方は、1972年9月29日に発表された日中共同声明及び1978年8月12日に署名された日中平和友好条約の諸原則を遵守することを改めて表明し、上記の文書は今後とも両国関係の最も重要な基礎であることを確認した。 」と書いてあります。
(2) 「「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明」(平成20年5月7日発表)には,「2.双方は、1972年9月29日に発表された日中共同声明、1978年8月12日に署名された日中平和友好条約及び1998年11月26日に発表された日中共同宣言が、日中関係を安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎であることを改めて表明し、三つの文書の諸原則を引き続き遵守することを確認した。また、双方は、2006年10月8日及び2007年4月11日の日中共同プレス発表にある共通認識を引き続き堅持し、全面的に実施することを確認した。」と書いてあります。

4 光華寮訴訟

(1) 最高裁平成19年3月27日判決は,光華寮訴訟において,「原告として確定されるべき者が訴訟提起当時その国名を「中華民国」としていたが昭和47年9月29日の日中共同声明に伴って「中華人民共和国」に国名が変更された国家としての中国である。」と判示しました。
   そして,光華寮訴訟は,昭和47年9月29日以後に行われた手続はすべて無効となって京都地裁に差し戻されました。
(2) 光華寮は,平成23年2月当時,中華人民共和国在大阪総領事館の委託を受けて京都華僑総会が管理していたみたいです(外部ブログの「光華寮」参照)。
(3) 平成29年9月22日付の司法行政文書不開示通知書によれば,最高裁が,最高裁平成19年3月27日判決以降,光華寮訴訟に関して京都地裁又は大阪高裁から取得した報告文書のうち,直近のものはすでに廃棄されました。

5 中国人の強制連行・強制労働の訴訟

(1)ア 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)は,第二次世界大戦中に中国から日本国内に強制連行され日本企業の下で強制労働に従事させられたと主張する中国人(被害者は5人)が,西松建設に対し,安全配慮義務違反を理由とする損害賠償等を求めた事案(国は共同被告になっていません。)において,
   「 日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきである。 」と判示しました。
イ 最高裁平成19年4月27日判決(第一小法廷)も同趣旨の判示をしました。
(2)ア 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)では,以下の事実が認定されています(改行を追加しました。)。
①  日本国政府は,試験移入の実績を踏まえ,昭和19年2月,「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」と題する次官会議決定をもって,本格移入の実施要領,細目手続を策定するとともに,同年8月に閣議決定された昭和19年度国民動員実施計画をもって,朝鮮人労働者29万人の内地移入のほか,中国人労働者3万人の本格移入を実施する旨の方針を定めた。
   これらの決定に基づいて,同年3月から昭和20年5月までの間に,161集団3万7524人の中国人労働者が日本内地に移入された。

② 上記360人の中国人労働者らは,昭和19年7月29日,青島で貨物船に乗せられ,7日後に下関港に到着したが,この間3人が病死した。
   その後,中国人労働者らは,安野発電所事業場まで運ばれ,4グループに分けて収容施設に収容され,監視員と警察官によって常時監視されることとなった。
   上記中国人労働者らは,導水トンネルの掘削等の労働に昼夜2交替で従事することとなったが,1日3食支給される食事は量が極めて少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。
   また,衣服や靴の支給,衛生環境の維持等が極めて不十分であった上,傷病者らに対する治療も十分行われず,昭和20年3月には傷病により労務に耐えないとの理由で13人が中国に送還された。

③ 中国人労働者を受け入れた全事業場を通じて,移入者総数3万8935人のうち,送還時までに死亡した者は,6830人(17.5%)である。
④ 本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなどとだまされたり,突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした後,上記のとおり,日本内地に移入させられ,安野発電所の事業場で労働に従事したが,日本内地に渡航して上告人の下で稼働することを事前に知らされてこれを承諾したものではなく,上告人との間で雇用契約を締結したものでもない。
⑤ 本件被害者らのうち,被上告人X (移入当時16歳)は就労中トロッコの脱線事故により両目を失明し,被上告人X (同18歳)は重篤なかいせんから寝たきり状態になり,いずれも稼働することができなくなり,昭和20年3月に中国に送還された。
   亡A(同23歳)及び亡B(同21~22歳)は,上記(5)の大隊長撲殺事件の被疑者として収監中に原子爆弾の被害に遭い,Bは死亡し,Aは後遺障害を負った。
   亡C(同18~19歳)は,ある日,高熱のため仕事ができる状態ではなかったのに無理に仕事に就かされた上,働かないなどとして現場監督から暴行を受け,死亡した。

イ 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)の控訴審である広島高裁平成16年7月9日判決は,日本企業の安全配慮義務違反を認め,消滅時効の援用は信義則に違反し,日華平和条約又は日中共同声明に基づく請求権放棄は認められないということで,一人当たり550万円の損害賠償を命じていました。
(3)ア 最高裁平成19年4月27日判決(第二小法廷)は,判決末尾において以下のとおり説示しました。
   サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人(山中注:西松建設)を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。
イ 西松建設は,平成22年10月26日,強制労働について歴史的責任を認めて謝罪し,解決金として1億2800万円を中国の民間団体に信託し,新潟県の水力発電所建設に連行された中国人労働者183人への補償や慰霊碑の建立費用などに充てるなどという内容で,中国人の元労働者側を和解を東京簡裁で成立させました(日経新聞HPの「中国人強制連行、元労働者側が西松建設と和解 」(平成22年10月26日付)参照)。
(4) dailymotionに「幻の外務省報告書~中国人強制連行の記録~」(平成5年8月14日放送分)が載っています。

6 国家賠償法施行以前の取扱い
(1) 最高裁昭和25年4月11判決判示
   国家賠償施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)
(2) 最高裁平成15年4月18判決の判示
   法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。
   けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当でないからである。

7 関連記事その他
(1) 消滅時効期間が経過した後,その経過前にした催告から6箇月以内に再び催告をしても,第1の催告から6箇月以内に民法153条所定の措置を講じなかった以上は,第1の催告から6箇月を経過することにより,消滅時効が完成します(最高裁平成25年6月6日判決)。
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ ドイツの戦後補償
・ 第一次世界大戦におけるドイツの賠償金の,現在の日本円への換算等
・ 旧ドイツ東部領土からのドイツ人追放,及びドイツ・ポーランド間の国境確定
・ 日本の戦後処理に関する記事の一覧
・ 日韓請求権協定
 原子力損害賠償の状況,中国残留邦人等への支援,被災者生活再建支援制度等

日韓請求権協定

目次
第1 請求権問題と経済協力との関係等

1 請求権問題と経済協力との関係
2 経済協力の規模
第2 日韓請求権協定2条,及び日本の韓国に対する請求権の放棄
1 日韓請求権協定2条の条文及び合意議事録
2 日韓請求権協定2条に基づく補償の義務は発生しないと考えられたこと
3 戦前の日本人が朝鮮半島に残した財産の取扱い
4 日本は李承晩ラインに基づく拿捕損害の賠償請求権を放棄したこと
第3 大韓民国等の財産権に対する措置法,及びこれに基づく個人の請求権の消滅
1 大韓民国等の財産権に対する措置法の条文
2 大韓民国等の財産権に対する措置法に基づく権利等の消滅
3 大韓民国等の財産権に対する措置法に基づく個人の請求権の消滅
第4 日韓請求権協定,及び大韓民国等の財産権に対する措置法に関する答弁書
1 平成15年 1月28日付の答弁書
2 平成30年11月20日付の答弁書
第5 2018年10月30日の韓国大法院判決等
1 2018年10月30日の韓国大法院判決及びその個別意見の骨子
2 2018年10月30日の韓国大法院判決が支払を命じた金額等
3 日韓請求権協定は徴用工に対する補償を含むものであったこと
4 韓国大法院判決に対する被告企業のコメント
5 韓国政府が発表した徴用工訴訟の解決案
第6 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続が実施できなかったこと
1 日韓請求権協定3条の条文
2 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続
3 韓国政府が日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続を履行しなかったこと
第7 日韓基本条約等が掲載されているHP
第8 関連記事その他

第1 請求権問題と経済協力との関係等
 請求権問題と経済協力との関係
(1) 日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の時の法令別冊)42頁,43頁,62頁及び63頁には以下の記載があります。
(経済協力の解説)
① この経済協力を行う趣旨は、戦争の結果、韓国がわが国から分離独立したことを念頭におき、今後日韓両国間の友好関係を確立するという大局的見地に立って、この際わが国にとっても望ましい韓国経済の発展と安定に寄与するため、同国に対し無償有償の供与を行うこととし、これと併行して請求権問題を最終的に解決することとしたものであり、経済協力は請求権の対価ではなく、両者間に法的相関関係はないが、交渉の経緯上同一の協定で扱うこととなったものである。
(日韓請求権協定の解説)
② 経済協力の増進と請求権問題の解決は、同一の協定の内容となっているが、これは両者がともに経済に関係するものであり、かつ、前述した交渉の経緯からいって関連づけられたものにすぎず、両者の間にはなんら法律的な相互関係は存在しないものである。
③ 明文化された協定の内容からいえぽ、第一条に規定する五億ドルの資金供与は、韓国側のいうような韓国の対日請求に対する債務支払の性格をもつものでないところで、協定の前文第二段および第一条1の末段の規定によっても明らかなとおり、あくまで経済協力として行われるものにほかならない。このような供与と並行して、財産および請求権に対する問題については、完全かつ最終的に解決されたものとして、両国間になんらの問題も存在しなくなることを確認したのが第二条の趣旨なのである。
(2) 日韓請求権協定の前文は以下のとおりです。
 日本国及び大韓民国は、
 両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、
 両国間の経済協力を増進することを希望して、
 次のとおり協定した。
(3) 日韓請求権協定1条1の末段の規定は「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。」です。
2 経済協力の規模
(1) 日本は,韓国に対し,日韓請求権協定1条に基づき,財産・請求権問題が解決されたことを確認するとともに5億ドルの経済協力(無償3億ドル,有償2億ドル)を実施しました。
(2) 当時の日本の外貨準備高は18億ドルであり,当時の韓国の外貨準備高は1億3000万ドル,国家予算は3億5000万ドルだったみたいです(国家基本問題研究所HP「【第560回・特別版】韓国は先人の日韓友好努力を無にするな」参照)。
(3) Wikipediaの「漢江の奇跡」には以下の記載があります。
  朝鮮戦争により壊滅的打撃を受け、1人当たりの国民所得は世界最貧国グループであった韓国経済は、その後、ベトナム戦争参戦によって得られたドル資金と、1965年の日韓基本条約を契機とした日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款およびその後も続いた技術援助により、社会インフラを構築して経済発展を遂げた。これが漢江の奇跡と呼ばれる。

第2 日韓請求権協定2条,及び日本の韓国に対する請求権の放棄
1 日韓請求権協定2条の条文及び合意議事録
(1) 
日韓請求権協定2条の条文は以下のとおりです(1,2,3を①,②,③に変えています。)。
① 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
② この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの
③ 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
(2) 合意議事録(1)2項には,日韓請求権協定2条に関して以下の記載があります。
(a)「財産、権利及び利益」とは、法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。
(b)「特別の措置」とは、日本国については、第二次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として生じた事態に対処して、千九百四十五年八月十五日以後日本国において執られた戦後処理のためのすべての措置(千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)の規定に基づく特別取極を考慮して執られた措置を含む。)をいうことが了解された。
(c)「居住した」とは、同条2(a)に掲げる期間内のいずれかの時までその国に引き続き一年以上在住したことをいうことが了解された。
(d)「通常の接触」には、第二次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方の国から引き揚げたもの(支店閉鎖を行なつた法人を含む。)の引揚げの時までの間の他方の国の国民との取引等、終戦後に生じた特殊な状態の下における接触を含まないことが了解された。
(e)同条3により執られる措置は、同条1にいう両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題の解決のために執られるべきそれぞれの国の国内措置ということに意見の一致をみた。
(f)韓国側代表は、第二次世界大戦の戦闘状態の終結後千九百四十七年八月十五日前に帰国した韓国国民が日本国において所有する不動産について慎重な考慮が払われるよう希望を表明し、日本側代表は、これに対して、慎重に検討する旨を答えた。
(g)同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。
(h)同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、この協定の署名の日までに大韓民国による日本漁船のだ捕から生じたすべての請求権が含まれており、したがつて、それらのすべての請求権は、大韓民国政府に対して主張しえないこととなることが確認された。
2 日韓請求権協定2条に基づく補償の義務は発生しないと考えられたこと
(1) 日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の「時の法令」別冊)64頁及び65頁には以下の記載があります。
  協定第二条3の規定の意味は、日本国民の在韓財産に対して、韓国の執る措置または日本国民の対韓請求権(クレーム)については、国が国際法上有する外交保護権を行使しないことを約束することであるが、一般に外交保護権は、国際法上、国際法の主体たる国に認められた固有の権利であり、きわめて高度の政治的判断によりその行使、不行使が決せられるものであり、国がその判断の結果について、自国民に対し補償の義務を負うべき限りではない。憲法との関連については、前記第二条3により、韓国が執る措置の対象となる日本国民の私有財産権がその措置の結果消滅することとされたときは、その財産権の消滅はこの協定によって直ちになされるのではなく、相手国政府の行為としてなされることとなり(規定の直接の効果は、前記のとおり日本政府をして外交保護権を行使しえない地位に立たせることとなる)、このことは換言すれば、その財産権の処理は、日本国の法律によらずして、日本国の主権が及ばない外国の法律の適用を受けるものであるから、憲法第二九条三項の問題とはならないと考えられる(この立場は、サン・フランシスコ平和条約第一四条に関して従来政府が表明して来た見解と同じである。)。
  附言すれば、わが国民の在韓財産であって、実体的権利としてこの協定署名の日に韓国にあるものは、実際問題として存在しないと思われる(一九四五年の在韓米軍政府の軍令第三三号による没収措置とその効果を承認した平和条約第四条の規定による)ので、憲法二九条三項との関係で補償問題が生ずる可能性はもともと発生しないと考えられる。ただ、だ捕漁船にかかる請求権については、わが国としていかなる主張もなしえないことになるものであって、わが国としては、外交上の保護をしないことを約したにとどまり、憲法二九条三項の問題とはならない。これにより損害を受けた国民に対する政策上の配慮として、救済措置をいかにするかは別の問題である。
  次に,韓国民の在日財産権については、わが国が措置を執ることとなるが、その財産権はそもそも外国人の権利であって、しかも、これを処理することが、日韓両国の国交回復上の障害を除くために不可欠であるが故に行われるのであり、韓国としてもその措置を承認しているので、わが憲法上の補償の問題が起こることはないと考えるのが至当であろう。
(2) 日韓請求権協定2条3項は,大韓民国政府の外交的保護権の放棄を含む条文です(最高裁平成13年4月5日判決)。
 戦前の日本人が朝鮮半島に残した財産の取扱い
(1) 北緯38度線以南の財産の取扱い
ア 在韓米軍政府は,1945年12月6日付の軍令第33号第2号で,北緯38度線以南のすべての日本財産を同年9月25日付をもって取得する旨を定めました。
  在韓米軍政府は,このようにして取得した財産を,アメリカ合衆国政府と大韓民国政府との間の財政及び財産に関する最初の取極(1948年9月11日付)5条によって韓国政府に引き渡しました。
イ 韓国政府は,軍令33号の効果を没収と同様に解すべきと主張していたのに対し,日本政府は,「日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。」と定めるサンフランシスコ平和条約4条(b)により米軍政府の効力を認めたとはいえ,これは占領軍が国際法上適法に行った財産の処分はこれを有効と認め,その効力について争うことはしないという意味であって,国際法上認められていない私有財産の処分まで合法化して認めたものではないと主張していました。
  つまり,ハーグ陸戦法規46条は「私有財産はこれを没収することを得ず。」と定めていますから,米軍政府は敵国私有財産を直接かつ包括的に没収しうるものではなく,単に管理者の立場で私有財産を処分できるものの,その対価及び果実については,正当な所有者である原権利者が請求権を当然に有すると主張していました。
ウ 1957年にアメリカ政府は以下の解釈を示し,同年12月31日の合意議事録で,日韓両国はこの解釈に同意することを明らかにしました。
  合衆国は、日本国との平和条約第四条ならびに在韓米軍政府の関連指令および措置により、大韓民国の管轄内の財産についての日本国および日本国民のすべての権利,権原および利益が取り去られていたという見解である。したがって、合衆国の見解によれば、日本国は、これらの資産またはこれらの資産に関する利益に関する有効な請求権を主張することはできない。もっとも、日本国が平和条約第四条(b)において効力を承認したこれらの資産の処理は、合衆国の見解によれば、平和条約第四条(a)に定められている取極を考慮するに当たって関連があるものである。
エ 日本政府としては,韓国政府に対して経済協力を供与し,これと並行して請求権問題を最終的に解決する方式を決意するに際しては,アメリカ政府の解釈も十分に念頭に置いていたとされています。
(2) 北緯38度線以北の財産の取扱い
ア 北緯38度線以北にあった日本財産については,1946年3月以降,北朝鮮当局による一連の没収措置の対象となり,1948年9月9日に北朝鮮政府が成立するとともに,その憲法の規定により,最終的かつ包括的に国有化されました。
  その結果,不動産以外のすべての財産は持ち去られ,不動産については没収により名義変更が行われました。
イ 1953年7月27日に朝鮮戦争休戦協定が成立して韓国政府の管轄下に入った地域の北朝鮮政府の財産については,反逆者の財産として処理されました。
(4) 参照文献等
ア 戦前の日本人が朝鮮半島に残した財産の取扱いについては,日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の「時の法令」別冊)65頁ないし67頁を参照しています。
イ 総務省HPの「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に載ってある戦後処理問題懇談会報告(昭和59年12月21日付)には以下の記載があります。
  敗戦及び引揚げの過程で、海外居住者は、財産のほとんどすべてを失うことを余儀なくされたほか、人間関係、生活利益等生活の支えまでも根こそぎ喪失するに至った。しかも、幾多の辛酸をなめながらたどり着いた祖国は荒廃し、頼るべき身内もほとんどなかったことから、これらの引揚者の生活再建は困難を極めた。
4 日本は李承晩ラインに基づく拿捕損害の賠償請求権を放棄したこと
(1) 昭和20年9月27日,「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」と題する連合国最高司令官指令(いわゆる,マッカーサー・ライン)により,日本漁船の活動可能領域が指定され,その後,段階的に日本漁船の活動可能領域が拡大していきました。
(2)ア マッカーサー・ラインは,昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効に伴って失効することになっていたため,韓国は,昭和27年1月18日,「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」(いわゆる,李承晩ライン)の公表により,一方的に排他的経済水域に類する水域を設定しました。
イ 日弁連人権委員会秋季総会は,昭和28年10月31日,以下の内容を有する,李ライン問題に関する日本漁民拉致に対し韓国の反省を求める件(宣言)を発表しました。
  凡そ、1国の領海は、3海里を限度とすることは国際法上の慣行であり、公海内に於ける魚族其他一切の資源は人類共同の福祉の為めに全世界に解放せらるべきである。
  然るに、韓国大統領は、これを封鎖して、平和的漁船を拿捕し、漁民を拉致し且つ刑事犯人として処罰するが如きは国際正義に悖る行為である。
  よって、本委員会は、正義と平和の名において、茲に韓国の反省と漁船、漁民の即時解放を求め、以って、相倚り相助け東亜の再建に貢献することを期待する。
(3)ア 昭和40年3月27日の椎名悦三郎外務大臣と李東元 韓国外務部長官の会談の結果,請求権問題の一環をなす韓国側の在籍船舶補償要求(昭和20年8月9日時点で朝鮮に登録されていた船舶等の補償要求(「船舶問題の経緯」参照))と,日本側の拿捕漁船及び乗組員に対する補償要求とは,日本漁船の安全操業が確保される限り,それぞれの要求を白紙に返すということで合意するに至りました(日韓漁業対策運動史419頁)。
  ただし,椎名悦三郎外務大臣は,昭和40年3月30日の参議院予算委員会において,李承晩ラインが撤廃される見込みであるなど,諸般の政治的な考慮の結果,拿捕漁船に対する賠償請求権の追及を断念したと答弁しています。
イ 赤城宗徳農林大臣は,昭和40年3月30日の参議院予算委員会において,李承晩ラインに基づく拿捕損害として韓国に対して請求すべき金額は約72億円であると答弁しています。
ウ 日韓漁業対策運動史418頁には以下の記載があります。
  三十八年(山中注:昭和38年)一月に協議会は大水(山中注:大日本水産会)と連名で、損害額の韓国への賠償請求を関係方面に陳情した。このとき調査した損害額は、掌捕漁船二九八隻のうち調査できた二八○隻分だけでも、船体・装備の評価額が一四億三千余万円、積載物の評価額が五億九千余万円、事件に伴う義務的出費が五億五千余万円、稼動想定による推定収益額が四六億六千余万円で、合計七二億四千余万円であった。
(4)ア 日韓請求権協定2条3項に基づき,日本は,韓国に対し,李承晩ラインに基づく拿捕損害の賠償請求権を放棄しました。
イ 韓国拿捕損害補償要求貫徹漁業者大会が昭和40年9月14日に採択した決議には以下の記載があります(日韓漁業対策運動史425頁及び426頁)。
  終戦後茲に二十年、韓国の国際法を無視した不法拿捕は、実に漁船三二八隻、抑留船員三九二九人、死傷者四四人にして、この損害額は総計九○億三千一百万円に達するのである。これに対する賠償措置は当然韓国に対してその請求がなされるべきであり、われわれはこれを強く信じ強く政府に要請してきた。
  しかるに政府は日韓交渉の妥結に当り、われわれの要請を無視して、韓国に対する損害賠償の請求権を放棄されたことは誠に遺憾の極みである。茲においてわれわれは、この補償措置こそ政府の責任において、しかも批准に先立って解決すべき重大問題であることを国民と共に確信するものである。
ウ 日韓漁業対策運動史423頁には,昭和35年度評価基準によれば拿捕損害総額は76億円であったものの,日韓漁業協議会が水産庁に同調して昭和39年度評価基準に基づいて改めて算出したところ,拿捕損害総額は約90億円に達したという趣旨のことが書いてあります。
(5) 日韓交渉において日本側が韓国側に要求した金額は72億円であったため,結局、掌捕保険などによって既に処置ずみのものを差し引いて約50億円を損害総額と推定した上で,拿捕漁船等に対する補償としては,特別交付金40億円の支給,及び10億円の低利長期融資(農林漁業金融公庫によるもの)が実施されました(日韓漁業対策運動史428頁及び429頁等参照)。
(6) 島根県HPの「李承晩ライン宣言と韓国政府」,及びiRONNA HP「「李承晩ライン」で韓国が繰り広げたこと」が参考になります。

第3 大韓民国等の財産権に対する措置法,及びこれに基づく個人の請求権の消滅
 大韓民国等の財産権に対する措置法の条文
  財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和40年12月17日法律第144号)(略称は「大韓民国等の財産権に対する措置法」です。)の条文は以下のとおりです(1,2,3を①,②,③に変えています。)。
① 次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であつて、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「協定」という。)第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、次項の規定の適用があるものを除き、昭和四十年六月二十二日において消滅したものとする。ただし、同日において第三者の権利(同条3の財産、権利及び利益に該当するものを除く。)の目的となつていたものは、その権利の行使に必要な限りにおいて消滅しないものとする。
 一 日本国又はその国民に対する債権
 二 担保権であつて、日本国又はその国民の有する物(証券に化体される権利を含む。次項において同じ。)又は債権を目的とするもの
② 日本国又はその国民が昭和四十年六月二十二日において保管する大韓民国又はその国民の物であつて、協定第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、同日においてその保管者に帰属したものとする。この場合において、株券の発行されていない株式については、その発行会社がその株券を保管するものとみなす。
③ 大韓民国又はその国民の有する証券に化体される権利であつて、協定第二条3の財産、権利及び利益に該当するものについては、前二項の規定の適用があるものを除き、大韓民国又は同条3の規定に該当するその国民は、昭和四十年六月二十二日以後その権利に基づく主張をすることができないこととなつたものとする。
2 大韓民国等の財産権に対する措置法に基づく権利等の消滅
(1) 大韓民国等の財産権に対する措置法1項に基づき,
日韓請求権並びに経済協力協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するものは,昭和40年6月22日に消滅しました。
(2) 「権利,利益及び利益」という表現は,ベルサイユ条約297条,イタリアとの平和条約78条,サンフランシスコ平和条約14条,日印平和条約4条等に出てくる表現です。
(3) 日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の「時の法令」別冊)116頁には以下の記載があります。
   まず一般債権債務については、日本人が六月二二日以後この法律施行の日すなわち一二月一八日前に弁済を行った場合には、この法律により、当該債権債務は六月二二日に消滅したことになっているのであるから、当該日本人は存在しない債務を支払ったことになり、したがってその返還を求めることができる。また、もし日本人が一二月一八日後に債務の不存在を知りながら支払ったときは、非債弁済となり、民法の規定により返還請求を行うことはできない。したがって、たとえば、民間の銀行や会社が、信用とか宣伝の見地から韓国人の顧客や株主に対して法律上は消滅した債務を支払っても差つかえないことはもちろんで、このようなケースは実際にもかなり多いのではないかと思われる。
   他方、国の財務については、国は常に良好な状態でこれを管理すべきであって、特別の法律によらない限り、国が債務の不存在を知りながら債務の弁済として給付をなすことは許されないのであるから、このような事態が起こることはあり得ないものと考えられる。
(4) 第二次世界大戦の敗戦に伴う国家間の財産処理といった事項は,本来憲法の予定しないところであり,そのための処理に関して損害が生じたとしても,その損害に対する補償は,戦争損害と同様に憲法の予想しないものですから,大韓民国等の財産権に対する措置法は憲法17条,29条2項及び3項に違反しません(最高裁平成16年11月29日判決)。
 大韓民国等の財産権に対する措置法に基づく個人の請求権の消滅
(1)ア 大韓民国等の財産権に対する措置法の内容は極めて複雑多岐にわたり,かつ,その権利関係は,我が国の経済的・社会的な実生活の中に入り込んでいるため,法律案の作成に際しては,総理府,法務省,外務省,大蔵省,文部省,厚生省,通産省,農林省,運輸省,郵政省,労働省の関係部局が参画しました(日韓条約と国内法の解説(昭和41年3月3日発行の「時の法令」別冊)108頁及び109頁参照)。
イ 日韓請求権協定2条の直接の効果として個人の請求権を消滅させなかったのは,具体的に消滅させる大韓民国及びその国民の実体的権利を慎重に定めるためであったと思います。
(2) 
サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあるため,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせることを意味しますから,その内容を具体化するための国内法上の措置は必要としない(最高裁平成19年4月27日判決)ものの,日韓請求権協定の場合,「大韓民国等の財産権に対する措置法」という国内法上の措置まで採られています。
  そのため,中国人等の戦争賠償請求権以上に,個人の請求権が消滅していることは明らかであると思います。

第4 日韓請求権協定,及び大韓民国等の財産権に対する措置法に関する答弁書
1 平成15年1月28日付の答弁書
   参議院議員櫻井充君提出日本の戦後処理問題に関する質問に対する答弁書(平成15年1月28日付)には以下の記載があります。
   御指摘の平成十四年十一月十九日に言い渡された大阪高等裁判所平成十三年(ネ)第一八五九号損害賠償等請求控訴事件の判決(以下「御指摘の大阪高裁判決」という。)は、原告である控訴人らの請求に係る債権は、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四十年条約第二十七号。以下「日韓請求権協定」という。)第二条3に定める財産、権利又は利益に該当し、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和四十年法律第百四十四号。以下「措置法」という。)の適用によって昭和四十年六月二十二日をもって消滅したものと解するのが相当である旨判示したものである。日韓請求権協定第二条3に定める財産、権利及び利益に該当する債権が措置法によって消滅したことについては、政府が従来から明らかにしているところであり、平成四年二月二十六日の衆議院外務委員会においても、柳井俊二外務省条約局長(当時)は、我が国が措置法において大韓民国(以下「韓国」という。)の国民の財産権を消滅させる措置をとったことにより、「韓国の国民は我が国に対して、私権としても国内法上の権利としても請求はできない」旨述べている。
   これに対し、お尋ねの平成三年八月二十七日の参議院予算委員会における同条約局長の答弁は、措置法について説明したものではなく、日韓請求権協定による我が国及び韓国並びにその国民の間の財産、権利及び利益並びに請求権の問題の解決について、国際法上の概念である外交的保護権の観点から説明したものであり、日韓請求権協定に関するこのような政府の解釈は一貫したものである。
2 平成30年11月20日付の答弁書
  衆議院議員初鹿明博君提出日韓請求権協定における個人の請求権に関する質問に対する答弁書(平成30年11月20日付)には以下の記載があります。
   大韓民国(以下「韓国」という。)との間においては、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四十年条約第二十七号。以下「日韓請求権協定」という。)第二条1において、両締約国及びその国民(法人を含む。)の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認し、また、同条3において、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権であって日韓請求権協定の署名の日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとしている。
   御指摘の平成三年八月二十七日及び同年十二月十三日の参議院予算委員会における柳井俊二外務省条約局長(当時)の答弁は、日韓請求権協定による我が国及び韓国並びにその国民の間の財産、権利及び利益並びに請求権の問題の解決について、国際法上の概念である外交的保護権の観点から説明したものであり、また、韓国との間の個人の請求権の問題については、先に述べた日韓請求権協定の規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されることから、法的に解決済みとなっている。このような政府の見解は、一貫したものである。

第5 2018年10月30日の韓国大法院判決等
1 2018年10月30日の韓国大法院判決及びその個別意見の骨子
(1) 
修の呟きブログ「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」(別の仮訳として「2018.10.30 新日鉄住金事件大法院判決(仮訳)」)12頁ないし16頁によれば,2018年10月30日の韓国大法院判決は,日本政府は請求権協定の交渉過程において,植民支配の不法性及びそれに対する賠償責任の存在を否認していたことから,被害者側である大韓民国政府が自ら強制動員慰謝料請求権までも含む請求権協定を締結したとは考えられない等の理由により,強制動員慰謝料請求権は請求権協定の対象外であり,消滅していないと判示したみたいです。
(2) 大法官金昭英(キムソヨン),李東遠(イドンウォン)及び盧貞姫(ノジョンヒ)の3人の個別意見(「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」20頁ないし32頁)は,強制動員慰謝料請求権は請求権協定の対象であるものの,外交的保護権が放棄されたに過ぎないから,大韓民国において訴訟によって権利行使できると判断しました。
(3) 大法官権純一(クォンスニル)及び趙載淵(チョジュエン)の2人の反対意見(「新日鉄住金事件大法院判決全文 仮訳」32頁ないし42頁)は,請求権協定は外交的保護権の放棄にとどまるものではないから,強制動員慰謝料請求権が請求権協定によって直ちに消滅したり放棄されたわけではないが,訴訟によってこれを行使することは制限されることになったと判断しました。
(4)ア 2018年10月30日の韓国大法院判決につき,3人の個別意見は外交的保護権のみ放棄説であり,2人の反対意見は権利行使阻害説であり,多数意見はそのいずれでもありません。
イ 外交的保護権のみ放棄説及び権利行使阻害説の中身については,「平和条約における請求権放棄条項に関する三つの説及び最高裁判例」を参照してください。
2 2018年10月30日の韓国大法院判決が支払を命じた金額等
(1) 2018年10月30日の韓国大法院判決は1人あたり1億ウォン(約1000万円)の支払を命じました(livedoor NEWSの「徴用工の損害賠償問題 日本企業全体で2兆円超になる可能性も?」(平成30年11月13日付)参照)。
(2) ヤフーニュースに載ってある「[寄稿]徴用工問題の解決に向けて」(寄稿者は宇都宮健児 元日弁連会長)には以下の記載がありますところ,これによれば,166万人以上の強制労働被害者の場合,1人あたりの賠償金は43万3735円以下であったことになります。
 ナチス・ドイツによる強制労働被害に関しては、2000年8月、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が「記憶・責任・未来」基金を創設し、これまでに約100カ国の166万人以上に対し約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきている。このようなドイツ政府とドイツ企業の取り組みこそ、日本政府や日本企業は見習うべきである。
(3) ドイツの戦後補償では,狭義の戦後賠償は行われないまま事実上放置されていますし,強制労働従事者に対する補償は人道的な見地から行われるものであって,法的責任に基づくものではないと説明されています「ドイツの戦後補償」参照)。
3 日韓請求権協定は徴用工に対する補償を含むものであったこと

(1)ア 日韓請求権協定2条に基づき,韓国が日本に対していかなる主張もなしえなくなった「韓国の対日請求要綱」(いわゆる八項目)の要綱5には,被徴用韓人の未収金,補償金及びその他の請求権が含まれています。
イ 国家総動員法(昭和13年4月1日法律第55号)4条及び6条に基づく勅令としての国民徴用令(昭和14年7月8日勅令第451号)の朝鮮半島への適用は,昭和19年8月8日付の閣議決定に基づくものであって,それ以前は昭和17年1月開始の官斡旋(朝鮮総督府朝鮮労務協会が実施したもの)でした。
 また,日本本土への徴用工の派遣は,下関・釜山間の連絡船の運航が困難になった関係で,昭和20年3月に終わりました。
ウ 昭和19年8月に閣議決定された昭和19年度国民動員実施計画をもって,朝鮮人労働者29万人の内地移入のほか,中国人労働者3万人の本格移入を実施する旨の方針を定められました(最高裁平成19年4月27日判決)。
エ NHK政治マガジン「政府「徴用工」は「旧朝鮮半島出身労働者」に」(平成30年11月11日付)」
には,「韓国の最高裁判所が、太平洋戦争中の徴用をめぐる裁判で新日鉄住金に賠償を命じた判決を受けて、政府は、すべての人が徴用されたわけではないことを明確にする必要があるとして、「旧民間人徴用工」などとしてきた呼称を「旧朝鮮半島出身労働者」に改めました。」と書いてあります。
オ Wikipediaの「日本統治時代の朝鮮人徴用」が非常に詳しいです。
(2) 1965年に韓国政府が発行した「大韓民国と日本国間の条約および協定解説」には,「被徴用者の未収金と補償金、恩給等に関する請求、韓国人の対日本政府と日本国民に対する各種請求等はすべて完全かつ最終的に消滅する事になる。」などと書いてあるみたいです(FNN PRIME HP「韓国政府の「解説書」入手!やっぱりおかしい大法院判決」(平成31年2月4日付)参照)。
(3) 「元サムスン技術通訳が教える韓国語」には1976年に韓国・経済企画院から発刊された「請求権資金白書」の日本語訳が載っていますところ,「第3章第3節 ウォン貨資金の造成と活用」には,「a.補償の対象」として以下の記載があります(アゴラHP「徴用工判決:日本人弁護士の「国際裁判でも韓国が勝つ」を読んで」(平成31年2月22日付)参照)。
民間補償の対象は対日民間請求権申告管理委員会において証拠及び資料の適否を審査し、当該請求権申告の受理が決定されたものを対象とする。
(中略)
i.「日本国により軍人、軍属または労務者として召集また徴用され1945.8.15以前に死亡した者」である上、これに対する補償請求権者の遺族としては、被徴用者の死亡当時、その者と親族関係にあった者で申告日現在次の1に該当する者を言う。

子女
父母
成年男子である直系卑属がなくなった祖父母
4 韓国大法院判決に対する被告企業のコメント
(1) 新日鐵住金HPに「徴用工訴訟に関する韓国大法院判決について」(平成30年10月30日付)が載っています。
(2) 三菱重工業HPに「本日の韓国大法院の判決(2件)について 」(平成30年11月29日付)が載っています。
5 韓国政府が発表した徴用工訴訟の解決案
・ 韓国政府は,令和5年3月6日,行政安全省傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」が賠償金と支給遅延で生じた利子を支給し,現在進行中の元徴用工関連訴訟の原告が勝訴した場合でも判決に従った賠償金などを支給するとする解決案を発表しました(東洋経済オンラインHPの「元徴用工問題・日本が受け入れ可能な案が出た背景 関係国は解決案を評価するがさらなる争点も」参照)。


第6 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続が実施できなかったこと
1 日韓請求権協定3条の条文
 日韓請求権協定3条の条文は以下のとおりです(1,2,3,4を①,②,③,④に変えています。)。
① この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。
② 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から三十日の期間内に各締約国政府が任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員又は当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。
③ いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが三十日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。
④ 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。
2 日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続
(1) 第2項は,第1項に基づく外交協議で解決できなかった場合について,「いずれか一方」が「他方」から「紛争の仲介を要請する公文」を受け取ってから30日の期間内に,まずは両国が1人ずつ委員を選任しなさい,と定めています。
 例えば,日本政府が日本人の委員を1人,韓国政府が韓国人の委員を1人選び,このようにして選ばれた日韓両国の委員が,さらに日韓以外の第三国からもう1人の委員を選び,合計3人で仲裁委員会を組織し,紛争について協議することが予定されています。
(2) 第3項は,第2項に基づく仲裁手続を開始できなかった場合について,第三国による仲裁という手続を定めています。
 例えば,日本が米国を、韓国が中国を第三国として選び,それらの第三国の政府が1人ずつ仲裁委員を指名し、その上で2つの第三国政府がさらに第三国(例えば,スイス)から1人の仲裁委員を選ぶことが予定されています。
3 韓国政府が日韓請求権協定3条に基づく仲裁手続を履行しなかったこと
(1) 旧朝鮮半島出身労働者問題(いわゆる「徴用工問題」です。)に関して,日本政府は,韓国政府に対し,平成31年1月9日,日韓請求権協定に基づく韓国政府との協議を要請したものの,韓国政府は協議の要請に応じませんでした。
 日本政府は,韓国政府に対し,令和元年5月20日,日韓請求権協定3条2項に基づく仲裁付託を通告したものの,韓国政府は,仲裁委員を任命する義務に加えて,締約国に代わって仲裁委員を指名する第三国を選定する義務についても,同協定に規定された期間内に履行しませんでした。
(2) 外務省HPに「大韓民国による日韓請求権協定に基づく仲裁に応じる義務の不履行について(外務大臣談話)」(令和元年7月19日付)が載っています。

第7 日韓基本条約等が掲載されているHP
1 データベース「世界と日本」「日本と朝鮮半島関係資料集」に以下の文書が載っています。
① 日韓基本条約
② 日韓請求権協定第一議定書第二議定書合意議事録(1)及び合意議事録(2)
2 データベース「世界と日本」「日中関係資料集」には以下の文書が載っています。
① 日本国と中華民国との間の平和条約
② 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
③ 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

第8 関連記事その他P
1 衆議院HPの「日韓国会」には以下の記載があります(文中の四十年は昭和40年です。)。
 四十年十月五日、第五十回国会が召集され、日韓条約等承認案件と関係国内法案が提出された。自民党と野党は冒頭から対立し、衆議院は記名投票により会期七十日間を議決した。社会党及び共産党は、条約批准が南北の分裂を固定化し、反共軍事同盟に発展するおそれがあるとして反対、民社党と公明党は日韓正常化には原則的には賛成だが、条約・協定の疑問点を追及するという姿勢をとった。
 十月十九日、衆議院では特別委員会が設置され、審議に入ったが、冒頭から異常な状態が続き、審議はしばしば中断、十一月六日、混乱と怒号の中で委員会採決は強行された。
 十一月九日から議長職権により本会議が始まった。関係閣僚の不信任案や動議の連発、牛歩の繰り返しで連日の徹夜国会の末、十二日未明、船田中議長は、議長職権で日韓条約を議題とし、委員長報告の省略を諮った後、起立多数で条約等の承認を決した。参議院においても十二月四日、特別委員会において混乱のうちに議決。本会議も衆議院同様、議長職権で開会され、十二月八日から徹夜審議に入り、十一日未明、自民党と民社党のみの出席で議決された。この国会では、日韓案件をめぐり終始混乱したため、補正予算等の案件はすべて審議未了となった。
2(1) 国立国会図書館HPの
「調査と情報」に,「朝鮮半島をめぐる動向:解説と年表―第二次世界大戦終結後―」(2019年2月26日発行)が載っています。
(2) 「財務省(旧大蔵省)の日韓会談関係公文書」と題するHPには,財務省に対する情報公開請求で取得したという日韓会談関係の166の公文書がPDFファイルで掲載されています。
(3) Wikipediaに「日本の戦争賠償と戦後補償」が載っています。
3(1) 日弁連HPの「戦後補償のための日韓共同資料室」に以下の頁があります。
① 日本の法令・裁判例・その他資料
② 韓国の法令・裁判例・その他資料
(2) リンク先には,「日弁連と大韓弁協は韓国併合100周年にあたる2010年に共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することを宣言しました。」と書いてあります。なお,平成22年当時の日弁連会長は宇都宮健児弁護士でした。
4 事実を整えるブログ「韓国徴用工:日韓請求権協定の個人の請求権に関する河野太郎外務大臣の解説の解説」(平成30年11月23日付)が載っています。
5(1) 昭和24年8月17日発生の松川事件(現在の福島市松川町の国鉄東北本線で起きた列車往来妨害事件)に関しては,第二次上告審である最高裁昭和38年9月12日判決によって20人の被告人全員の無罪が確定し,東京地裁昭和44年4月23日判決(第一審判決)及び東京高裁昭和45年8月1日判決(原則として控訴棄却の控訴審判決)によって国家賠償請求が認められました(いずれも判例秘書に掲載されています。)。
(2) 松川事件の被告人は約14年間,被告人としての立場に立たされたわけですが,一審及び二審を通じて死刑であった人の慰謝料は600万円(妻の慰謝料は100万円),一審で死刑・二審で無期懲役であった人の慰謝料は500万円,一審及び二審を通じて無期懲役であった人の慰謝料は400万円(妻の慰謝料は60万円),一審で無期懲役・二審で有期懲役であった人の慰謝料は300万円(妻の慰謝料は50万円),一審及び二審を通じて有期懲役であった人の慰謝料は200万円とされました。
(3) 昭和25年の消費者物価指数を1.00とした場合,昭和45年は2.6ぐらいであり(リンク先参照),令和2年は8.35です(ガベージニュースHP「過去70年あまりにわたる消費者物価の推移をグラフ化してみる(最新)」参照)。
6 最高裁昭和51年3月23日判決は,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定二条二項(a)、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定について合意された議事録二項(c)にいう「居住した」とは、大韓民国の財団法人にあつては、日本国内において、事務所を設け登記をしていることまでは必要としないが、少なくとも事実上の事務所を持ち、その法人の本来の目的とする活動を昭和二二年八月一五日から同四〇年六月二二日までの期間内のいずれかの時まで一年以上係属していることを要する」と判示しています。
7 以下の記事も参照してください。
・ 日本の戦後賠償の金額等
・ 在外財産補償問題
・ 在日韓国・朝鮮人及び台湾住民の国籍及び在留資格
・ 日本の戦後処理に関する記事の一覧
・ 日本の領海

国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分

目次
1 総論
2 平成28年度の日程
3 過去の実施状況
4 裁判官任官希望者に対する健康診断及び採用面接の各実施日は不開示情報であること
5 関連記事その他

1 総論
(1) 平成25年度以降,国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分という,司法試験合格者を対象とした国家公務員試験が,9月から10月にかけて実施されています。
(2) 総合職試験(院卒者・大卒程度)に関する官庁訪問及び採用予定数は,人事院HPの「総合職試験(院卒者・大卒程度)」に掲載されています。

2 平成28年度の日程
① 法科大学院生対象中央省庁合同業務説明会
8月30日(火)午前10時~午後4時
→ 法科大学院修了生及び法科大学院最終学年生が参加できました。
② 受付期間
     9月6日午前9時~9月13日(火)(インターネット申込みだけ)
③ 第1次試験日
    9月25日(日)
④ 第1次試験合格発表日
   10月4日午前9時
⑤ 第2次試験日
   10月6日(木)又は10月7日(金)
⑥ 最終合格発表日
   10月14日(金)午前9時
⑦ 官庁訪問開始日
   10月17日(月)
⑧ 内定解禁
   10月20日(木)午前9時以降

3 過去の実施状況
・ 過去の実施状況は以下のとおりです(国家公務員採用総合職試験(院卒者試験)法務区分の「試験実施状況」参照)。
令和 4年度:申込者数が13人,第1次試験合格者数が 9人,最終合格者数が9人
令和 3年度:申込者数が17人,第1次試験合格者数が10人,最終合格者数が8人
令和 2年度:申込者数が24人,第1次試験合格者数が18人,最終合格者数が17人
令和 元年度:申込者数が20人,第1次試験合格者数が12人,最終合格者数が11人
平成30年度:申込者数が22人,第1次試験合格者数が12人,最終合格者数が11人
平成29年度:申込者数が23人,第1次試験合格者数が17人,最終合格者数が12人
平成28年度:申込者数が66人,第1次試験合格者数が41人,最終合格者数が32人
平成27年度:申込者数が62人,第1次試験合格者数が46人,最終合格者数が28人
平成26年度:申込者数が87人,第1次試験合格者数が64人,最終合格者数が39人
平成25年度:申込者数が150人,第1次試験合格者数が68人,最終合格者数が36人

4 裁判官任官希望者に対する健康診断及び採用面接の各実施日は不開示情報であること
 平成30年10月29日付の理由説明書には以下の記載があります(改行を追加しました。)。
ア 健康診断及び採用面接の各実施日については,公になると,これらの実施を妨害されるなどして, 円滑な判事補採用手続の進行に支障を及ぼすおそれがある。
したがって,今後の人事管理に係る事務に関し,公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるため,各実施日が経過するまでは不開示事由が存在する(行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「法」という。 )第5条第6号二) 。
イ 採用内定通知発送日については,裁判所内部の事務に関する日程であり,採用手続の進捗によっては変更の可能性があるものの,その後の円滑な採用手続の進行のため,裁判官任官希望者に限って予め伝えているものである。
このような情報が公になると,例えば,仮に同日程に変更があった場合,裁判官任官希望者の周囲の者等にあらぬ憶測を生んだり,その結果,同希望者に無用の風評を生じさせたりするなどの混乱を招くなど, 円滑な判事補採用手続の実施に支障を及ぼすおそれがある。
したがって,今後の人事管理に係る事務に関し,公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるため,採用内定通知発送日が経過するまでは不開示事由が存在する(法第5条第6号二) 。
ウ よって,本件申出に係る文書を一部不開示とした原判断は相当である。

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関連記事その他
(1) 「3年でエリート公務員 辞めた結果・・・」と題するブログの管理人(東大法学部卒)は,3年で総務省のキャリア官僚を辞めて,平成29年の司法試験予備試験を受験しているみたいです(「国家公務員(1種)を辞めて弁護士を目指す理由」(平成28年9月30日のブログ記事)参照)。
(2) ブログ管理人は,大学3年生だった平成23年に司法試験予備試験を受けたみたいです(「司法試験予備試験早稲田大学会場の環境が最悪だった」(平成29年5月22日のブログ記事)参照)。
    また,給費制復活についてはどちらでもいいかなと思っているみたいです(「司法修習生への給費制が復活するって本当?」(平成28年12月19日のブログ記事)参照)。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 司法試験受験生が裁判所職員採用試験を受ける場合の面接対策
 裁判所職員採用試験に関する各種データ
 裁判所職員に関する記事の一覧

参議院議員の選挙制度の推移(最高裁大法廷平成29年9月27日判決からの抜粋)

最高裁大法廷平成29年9月27日判決は,参議院議員の選挙制度の推移について以下のとおり判示しています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。

1 参議院議員選挙法(昭和22年法律第11号)は,参議院議員の選挙について,参議院議員250人を全国選出議員100人と地方選出議員150人とに区分し,全国選出議員については,全都道府県の区域を通じて選出されるものとする一方,地方選出議員については,その選挙区及び各選挙区における議員定数を別表で定め,都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとした。
そして,選挙区ごとの議員定数については,憲法が参議院議員につき3年ごとにその半数を改選すると定めていることに応じて,各選挙区を通じその選出議員の半数が改選されることとなるように配慮し,定数を偶数として最小2人を配分する方針の下に,各選挙区の人口に比例する形で,2人ないし8人の偶数の議員定数を配分した。昭和25年に制定された公職選挙法の定数配分規定は,上記の参議院議員選挙法の議員定数配分規定をそのまま引き継いだものであり,その後に沖縄県選挙区の議員定数2人が付加されたほかは,平成6年法律第47号による公職選挙法の改正(以下「平成6年改正」という。)まで,上記定数配分規定に変更はなかった。
なお,昭和57年法律第81号による公職選挙法の改正(以下「昭和57年改正」という。)により,参議院議員252人は各政党等の得票に比例して選出される比例代表選出議員100人と都道府県を単位とする選挙区ごとに選出される選挙区選出議員152人とに区分されることになったが,この選挙区選出議員は,従来の地方選出議員の名称が変更されたものにすぎない。
その後,平成12年法律第118号による公職選挙法の改正(以下「平成12年改正」という。)により,参議院議員の総定数が242人とされ,比例代表選出議員96人及び選挙区選出議員146人とされた。
2(1) 参議院議員選挙法制定当時,選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差(以下,各立法当時の「選挙区間の最大較差」というときは,この人口の最大較差をいう。)は2.62倍(以下,較差に関する数値は,全て概数である。)であったが,人口変動により次第に拡大を続け,平成4年に施行された参議院議員通常選挙(以下,単に「通常選挙」といい,この通常選挙を「平成4年選挙」という。)当時,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の最大較差(以下,各選挙当時の「選挙区間の最大較差」というときは,この選挙人数の最大較差をいう。)が6.59倍に達した後,平成6年改正における7選挙区の定数を8増8減する措置により,平成2年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間の最大較差は4.81倍に縮小した。
その後,平成12年改正における3選挙区の定数を6減する措置及び平成18年法律第52号による公職選挙法の改正(以下「平成18年改正」という。)における4選挙区の定数を4増4減する措置の前後を通じて,平成7年から同19年までに施行された各通常選挙当時の選挙区間の最大較差は5倍前後で推移した。
(2)   しかるところ,当裁判所大法廷は,定数配分規定の合憲性に関し,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁(以下「昭和58年大法廷判決」という。)において後記3(1)の基本的な判断枠組みを示した後,平成4年選挙について,違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態が生じていた旨判示したが(最高裁平成6年(行ツ)第59号同8年9月11日大法廷判決・民集50巻8号2283頁),平成6年改正後の定数配分規定の下で施行された2回の通常選挙については,上記の状態に至っていたとはいえない旨判示した(最高裁平成9年(行ツ)第104号同10年9月2日大法廷判決・民集52巻6号1373頁,最高裁平成11年(行ツ)第241号同12年9月6日大法廷判決・民集54巻7号1997頁)。
その後,平成12年改正後の定数配分規定の下で施行された2回の通常選挙及び平成18年改正後の定数配分規定の下で平成19年に施行された通常選挙のいずれについても,当裁判所大法廷は,上記の状態に至っていたか否かにつき明示的に判示することなく,結論において当該各定数配分規定が憲法に違反するに至っていたとはいえない旨の判断を示した(最高裁平成15年(行ツ)第24号同16年1月14日大法廷判決・民集58巻1号56頁,最高裁平成17年(行ツ)第247号同18年10月4日大法廷判決・民集60巻8号2696頁,最高裁平成20年(行ツ)第209号同21年9月30日大法廷判決・民集63巻7号1520頁)。
もっとも,上掲最高裁平成18年10月4日大法廷判決においては,投票価値の平等の重要性を考慮すると投票価値の不平等の是正について国会における不断の努力が望まれる旨の,上掲最高裁平成21年9月30日大法廷判決においては,当時の較差が投票価値の平等という観点からはなお大きな不平等が存する状態であって,選挙区間における投票価値の較差の縮小を図ることが求められる状況にあり,最大較差の大幅な縮小を図るためには現行の選挙制度の仕組み自体の見直しが必要となる旨の指摘がそれぞれされるなど,選挙区間の最大較差が5倍前後で常態化する中で,較差の状況について投票価値の平等の観点から実質的にはより厳格な評価がされるようになっていた。
3 平成22年7月11日,選挙区間の最大較差が5.00倍の状況において施行された通常選挙(以下「平成22年選挙」という。)につき,最高裁平成23年(行ツ)第51号同24年10月17日大法廷判決・民集66巻10号3357頁(以下「平成24年大法廷判決」という。)は,結論において同選挙当時の定数配分規定が憲法に違反するに至っていたとはいえないとしたものの,長年にわたる制度及び社会状況の変化を踏まえ,参議院議員の選挙であること自体から直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難く,都道府県が政治的に一つのまとまりを有する単位として捉え得ること等の事情は数十年間にもわ
たり投票価値の大きな較差が継続することを正当化する理由としては十分なものとはいえなくなっており,都道府県間の人口較差の拡大が続き,総定数を増やす方法を採ることにも制約がある中で,都道府県を各選挙区の単位とする仕組みを維持しながら投票価値の平等の要求に応えていくことはもはや著しく困難な状況に至っているなどとし,それにもかかわらず平成18年改正後は投票価値の大きな不平等がある状態の解消に向けた法改正が行われることのないまま平成22年選挙に至ったことなどの事情を総合考慮すると,同選挙当時の最大較差が示す選挙区間における投票価値の不均衡は,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった旨判示するとともに,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ,できるだけ速やかに違憲の問題が生ずる上記の不平等状態を解消する必要がある旨を指摘した。
4(1) 平成24年大法廷判決の言渡し後,平成24年11月16日に公職選挙法の一部を改正する法律案が成立し(平成24年法律第94号。以下「平成24年改正法」という。),同月26日に施行された(以下,同法による改正後,平成27年法律第60号による改正前の定数配分規定を「本件旧定数配分規定」という。)。
平成24年改正法の内容は,平成25年7月に施行される通常選挙に向けた改正として選挙区選出議員について4選挙区で定数を4増4減するものであり,その附則には,同28年に施行される通常選挙に向けて,選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い,結論を得るものとする旨の規定が置かれていた。
(2)   平成25年7月21日,本件旧定数配分規定の下での初めての通常選挙が施行された(以下「平成25年選挙」という。)。同選挙当時の選挙区間の最大較差は4.77倍であった。
5 平成25年9月,参議院において同28年に施行される通常選挙に向けた参議院選挙制度改革について協議を行うため,選挙制度の改革に関する検討会の下に選挙制度協議会が設置された。同協議会においては,平成26年4月に選挙制度の仕組みの見直しを内容とする具体的な改正案として座長案が示され,その後に同案の見直し案も示された。
これらの案は,基本的には,議員1人当たりの人口の少ない一定数の選挙区を隣接区と合区してその定数を削減し,人口の多い一定数の選挙区の定数を増やして選挙区間の最大較差を大幅に縮小するというものであるところ,同協議会において,同年5月以降,上記の案や参議院の各会派の提案等をめぐり検討と協議が行われた(上記各会派の提案の中には,上記の案を基礎として合区の範囲等に修正を加える提案のほか,都道府県に代えてより広域の選挙区の単位を新たに創設する提案等が含まれていた。)。
そして,同協議会において,更に同年11月以降,意見集約に向けて協議が行われたが,各会派の意見が一致しなかったことから,同年12月26日,各会派から示された提案等を併記した報告書が参議院議長に提出された。
6 このような協議が行われている状況の中で,平成25年選挙につき,最高裁平成26年(行ツ)第155号,第156号同年11月26日大法廷判決・民集68巻9号1363頁(以下「平成26年大法廷判決」という。)は,平成24年大法廷判決の判断に沿って,平成24年改正法による前記4増4減の措置は,都道府県を各選挙区の単位とする選挙制度の仕組みを維持して一部の選挙区の定数を増減するにとどまり,現に選挙区間の最大較差については上記改正の前後を通じてなお5倍前後の水準が続いていたのであるから,投票価値の不均衡について違憲の問題が生ずる程度の投票価値の著しい不平等状態を解消するには足りないものであったといわざるを得ず,したがって,平成24年改正法による上記の措置を経た後も,選挙区間における投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態にあった旨判示するとともに,都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなどの具体的な改正案の検討と集約が着実に進められ,できるだけ速やかに,現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置によって上記の不平等状態が解消される必要がある旨を指摘した。
7(1) 選挙制度の改革に関する検討会は,前記(5)の報告書の提出を受けて協議を行ったが,各会派が一致する結論を得られなかったことから,平成27年5月29日,各会派において法案化作業を行うこととされた。
そして,各会派における検討が進められた結果,各会派の見解は,人口の少ない選挙区について合区を導入することを内容とする①「4県2合区を含む10増10減」の改正案と②「20県10合区による12増12減」の改正案とにおおむね集約され,同年7月23日,上記各案を内容とする公職選挙法の一部を改正する法律案がそれぞれ国会に提出された。
上記①の改正案に係る法律案は,選挙区選出議員の選挙区及び定数について,鳥取県及び島根県,徳島県及び高知県をそれぞれ合区して定数2人の選挙区とするとともに,3選挙区の定数を2人ずつ減員し,5選挙区の定数を2人ずつ増員することなどを内容とするものであり,その附則7条には,平成31年に行われる通常選挙に向けて,参議院の在り方を踏まえて,選挙区間における議員1人当たりの人口の較差の是正等を考慮しつつ選挙制度の抜本的な見直しについて引き続き検討を行い,必ず結論を得るものとするとの規定が置かれていた。
(2)   平成27年7月28日,上記①の改正案に係る公職選挙法の一部を改正する法律案が成立し(平成27年法律第60号。以下「平成27年改正法」という。),同年11月5日に施行された(以下,同法による改正後の定数配分規定を「本件定数配分規定」という。)。
同法による公職選挙法の改正(以下「平成27年改正」という。)の結果,平成22年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間の最大較差は2.97倍となった。
8 平成28年7月10日,本件定数配分規定の下での初めての通常選挙として,本件選挙が施行された。
本件選挙当時の選挙区間の最大較差は3.08倍であった。

衆議院議員の選挙制度の推移(最高裁大法廷平成27年11月25日判決からの抜粋)

最高裁大法廷平成27年11月25日判決は,衆議院議員の選挙制度の推移について以下のとおり判示しています(ナンバリング及び改行を追加しました。)。

1(1) 昭和25年に制定された公職選挙法は,衆議院議員の選挙制度につき,中選挙区単記投票制を採用していたが,平成6年1月に公職選挙法の一部を改正する法律(平成6年法律第2号)が成立し,その後,平成6年法律第10号及び同第104号によりその一部が改正され,これらにより,衆議院議員の選挙制度は,従来の中選挙区単記投票制から小選挙区比例代表並立制に改められた(以下,上記改正後の当該選挙制度を「本件選挙制度」という。)。
(2)   本件選挙施行当時の本件選挙制度によれば,衆議院議員の定数は475人とされ,そのうち295人が小選挙区選出議員,180人が比例代表選出議員とされ(公職選挙法4条1項),小選挙区選挙については,全国に295の選挙区を設け,各選挙区において1人の議員を選出するものとされ(同法13条1項,別表第1。以下,後記の改正の前後を通じてこれらの規定を併せて「区割規定」という。),比例代表選出議員の選挙(以下「比例代表選挙」という。)については,全国に11の選挙区を設け,各選挙区において所定数の議員を選出するものとされている(同法13条2項,別表第2)。総選挙においては,小選挙区選挙と比例代表選挙とを同時に行い,投票は小選挙区選挙及び比例代表選挙ごとに1人1票とされている(同法31条,36条)。
2(1) 平成6年1月に上記の公職選挙法の一部を改正する法律と同時に成立した衆議院議員選挙区画定審議会設置法(以下,後記の改正の前後を通じて「区画審設置法」という。)によれば,衆議院議員選挙区画定審議会(以下「区画審」という。)は,衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定に関し,調査審議し,必要があると認めるときは,その改定案を作成して内閣総理大臣に勧告するものとされている(同法2条)。
(2)   平成24年法律第95号による改正前の区画審設置法3条(以下「旧区画審設置法3条」という。)は,上記の選挙区の区割りの基準(以下,後記の改正の前後を通じて「区割基準」という。)につき,①1項において,上記の改定案を作成するに当たっては,各選挙区の人口の均衡を図り,各選挙区の人口のうち,その最も多いものを最も少ないもので除して得た数が2以上とならないようにすることを基本とし,行政区画,地勢,交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行わなければならないものと定めるとともに,②2項において,各都道府県の区域内の選挙区の数は,各都道府県にあらかじめ1を配当することとし(以下,このことを「1人別枠方式」という。),この1に,小選挙区選出議員の定数に相当する数から都道府県の数を控除した数を人口に比例して各都道府県に配当した数を加えた数とすると定めていた(以下,この区割基準を「旧区割基準」といい,この規定を「旧区割基準規定」ともいう。)。
(3)   本件選挙制度の導入の際に上記の1人別枠方式を含む旧区画審設置法3条2項所定の定数配分の方式を定めることについて,区画審設置法の法案の国会での審議においては,法案提出者である政府側から,各都道府県への選挙区の数すなわち議員の定数の配分については,投票価値の平等の確保の必要性がある一方で,過疎地域に対する配慮,具体的には人口の少ない地方における定数の急激な減少への配慮等の視点も重要であることから定数配分上配慮したものである旨の説明がされていた。
(4) 選挙区の改定に関する区画審の勧告は,統計法5条2項本文(平成19年法律第53号による改正前は4条2項本文)の規定により10年ごとに行われる国勢調査の結果による人口が最初に官報で公示された日から1年以内に行うものとされ(区画審設置法4条1項),さらに,区画審は,各選挙区の人口の著しい不均衡その他特別の事情があると認めるときは,勧告を行うことができるものとされている(同条2項)。
3(1) 区画審は,平成12年10月に実施された国勢調査(以下「平成12年国勢調査」という。)の結果に基づき,平成13年12月,衆議院小選挙区選出議員の選挙区に関し,旧区画審設置法3条2項に従って各都道府県の議員の定数につきいわゆる5増5減を行った上で,同条1項に従って各都道府県内における選挙区割りを策定した改定案を作成して内閣総理大臣に勧告し,これを受けて,同14年7月,その勧告どおり選挙区割りの改定を行うことなどを内容とする公職選挙法の一部を改正する法律(平成14年法律第95号)が成立した。
(2)   平成21年8月30日施行の衆議院議員総選挙(以下「平成21年選挙」という。)の小選挙区選挙は,同法により改定された選挙区割り(以下「旧選挙区割り」という。)の下で施行されたものである(以下,平成21年選挙に係る衆議院小選挙区選出議員の選挙区を定めた上記改正後(平成24年法律第95号による改正前)の公職選挙法13条1項及び別表第1を併せて「旧区割規定」という。)。
4(1) 平成14年の上記改正の基礎とされた平成12年国勢調査の結果による人口を基に,旧区割規定の下における選挙区間の人口の較差を見ると,最大較差は人口が最も少ない高知県第1区と人口が最も多い兵庫県第6区との間で1対2.064(以下,較差に関する数値は,全て概数である。)であり,高知県第1区と比べて較差が2倍以上となっている選挙区は9選挙区であった。
また,平成21年選挙当日における選挙区間の選挙人数の最大較差は,選挙人数が最も少ない高知県第3区と選挙人数が最も多い千葉県第4区との間で1対2.304であり,高知県第3区と比べて較差が2倍以上となっている選挙区は45選挙区であった。
(2) このような状況の下で旧選挙区割りに基づいて施行された平成21年選挙について,最高裁平成22年(行ツ)第207号同23年3月23日大法廷判決・民集65巻2号755頁(以下「平成23年大法廷判決」という。)は,選挙区の改定案の作成に当たり,選挙区間の人口の最大較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきものとする旧区画審設置法3条1項の定めは,投票価値の平等の要請に配慮した合理的な基準を定めたものであると評価する一方,平成21年選挙時において,選挙区間の投票価値の較差が上記のとおり拡大していたのは,各都道府県にあらかじめ1の選挙区数を割り当てる同条2項の1人別枠方式がその主要な要因となっていたことが明らかであり,かつ,人口の少ない地方における定数の急激な減少への配慮等の視点から導入された1人別枠方式は既に立法時の合理性が失われていたものというべきであるから,旧区割基準のうち1人別枠方式に係る部分及び旧区割基準に従って改定された旧区割規定の定める旧選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っていたと判示した。
そして,同判決は,これらの状態につき憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,旧区割基準規定及び旧区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできないとした上で,事柄の性質上必要とされる是正のための合理的期間内に上記の状態を解消するために,できるだけ速やかに旧区割基準中の1人別枠方式を廃止し,旧区画審設置法3条1項の趣旨に沿って旧区割規定を改正するなど,投票価値の平等の要請にかなう立法的措置を講ずる必要があると判示した。
5(1) その後,平成23年大法廷判決を受けて行われた各政党による検討及び協議を経て,平成24年6月及び7月に複数の政党の提案に係る改正法案がそれぞれ国会に提出され,これらの改正法案のうち,旧区画審設置法3条2項の削除及びいわゆる0増5減(各都道府県の選挙区数を増やすことなく議員1人当たりの人口の少ない5県の各選挙区数をそれぞれ1減ずることをいう。以下同じ。)を内容とする改正法案が,同年11月16日に平成24年法律第95号(以下「平成24年改正法」という。)として成立した。
平成24年改正法は,附則において,旧区画審設置法3条2項を削除する改正規定は公布日から施行するものとする一方で,各都道府県の選挙区数の0増5減を内容とする改正後の公職選挙法の規定は次回の総選挙から適用する(公職選挙法の改正規定は別に法律で定める日から施行する)ものとし,上記0増5減を前提に,区画審が選挙区間の人口の較差が2倍未満となるように選挙区割りを改める改定案の勧告を公布日から6月以内に行い,政府がその勧告に基づいて速やかに法制上の措置を講ずべき旨を定めた。
上記の改正により,旧区画審設置法3条1項が同改正後の区画審設置法3条(以下「新区画審設置法3条」という。)となり,同条においては前記2①の基準のみが区割基準として定められている(以下,この区割基準を「新区割基準」という。)。
(2)   平成24年改正法の成立と同日に衆議院が解散され,その1か月後の平成24年12月16日に衆議院議員総選挙(以下「平成24年選挙」という。)が施行されたが,同選挙までに新たな選挙区割りを定めることは時間的に不可能であったため,同選挙は平成21年選挙と同様に旧区割規定及びこれに基づく旧選挙区割りの下で施行されることとなった。
6(1) 平成24年改正法の成立後,同法の附則の規定に従って区画審による審議が行われ,平成25年3月28日,区画審は,内閣総理大臣に対し,選挙区割りの改定案の勧告を行った。この改定案は,平成24年改正法の附則の規定に基づき,各都道府県の選挙区数の0増5減を前提に,選挙区間の人口の較差が2倍未満となるように17都県の42選挙区において区割りを改めることを内容とするものであった。
(2)   上記勧告を受けて,平成25年4月12日,内閣は,平成24年改正法に基づき,同法のうち上記0増5減を内容とする公職選挙法の改正規定の施行期日を定めるとともに,上記改定案に基づく選挙区割りの改定を内容とする公職選挙法の改正事項(旧区割規定の改正規定及びその施行期日)を定める法制上の措置として,平成24年改正法の一部を改正する法律案を国会に提出し,平成25年6月24日,この改正法案が平成25年法律第68号(以下「平成25年改正法」という。)として成立した。
平成25年改正法は同月28日に公布されて施行され,同法による改正後の平成24年改正法中の上記0増5減及びこれを踏まえた区画審の上記改定案に基づく選挙区割りの改定を内容とする公職選挙法の改正規定はその1か月後の平成25年7月28日から施行されており,この改正により,各都道府県の選挙区数の0増5減とともに上記改定案のとおりの選挙区割りの改定が行われた(以下,上記改正後の公職選挙法13条1項及び別表第1を併せて「本件区割規定」といい,本件区割規定に基づく上記改定後の選挙区割りを「本件選挙区割り」という。)。
(3)   上記改定の結果,本件選挙区割りの下において,平成22年10月1日を調査時とする国勢調査(以下「平成22年国勢調査」という。)の結果によれば選挙区間の人口の最大較差は1対1.998となるものとされたが,平成25年3月31日現在及び同26年1月1日現在の各住民基本台帳に基づいて総務省が試算した選挙区間の人口の最大較差はそれぞれ1対2.097及び1対2.109であり,上記試算において較差が2倍以上となっている選挙区はそれぞれ9選挙区及び14選挙区であった。
(4)   平成24年改正法が成立した日の衆議院解散により施行された平成24年選挙につき,最高裁平成25年(行ツ)第209号,第210号,第211号同年11月20日大法廷判決・民集67巻8号1503頁(以下「平成25年大法廷判決」という。)は,同選挙時において旧区割規定の定める旧選挙区割りは平成21年選挙時と同様に憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったものではあるが,前記5のような平成24年選挙までの間の国会における是正の実現に向けた取組が平成23年大法廷判決の趣旨を踏まえた立法裁量権の行使として相当なものでなかったとはいえないから,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,旧区割規定が憲法14条1項等の憲法の規定に違反するものということはできないとした上で,国会においては今後も新区画審設置法3条の趣旨に沿った選挙制度の整備に向けた取組が着実に続けられていく必要があると判示した。
7(1) 平成26年11月21日の衆議院解散に伴い,同年12月14日,前記0増5減の措置による改定を経た本件選挙区割りの下において本件選挙が施行された。本件選挙当日における選挙区間の選挙人数の較差を見ると,選挙人数が最も少ない選挙区(宮城県第5区)と比べて,選挙人数が最も多い選挙区(東京都第1区)との間で1対2.129であり,その他12の選挙区との間で較差が2倍以上となっていた(なお,本件選挙当日において,東京都第1区の選挙人数は,宮城県第5区,福島県第4区,鳥取県第1区,同第2区,長崎県第3区,同第4区,鹿児島県第5区,三重県第4区,青森県第3区,長野県第4区,栃木県第3区及び香川県第3区の12選挙区の各選挙人数のそれぞれ2倍以上となっていた。)。
(2)   このような状況において本件選挙区割りの下で施行された本件選挙について,本件区割規定が憲法に違反するとして各選挙区における選挙を無効とすることを求める選挙無効訴訟が8高等裁判所及び6高等裁判所支部に提起され,平成27年3月から同年4月までの間に,本件の原判決を含む各判決が言い渡された。
上記各判決のうち,4件の判決においては,前記0増5減の措置による改定を経た本件選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったとはいえないとされ,13件の判決においては,上記改定後も本件選挙区割りは憲法の投票価値の平等の要求に反する状態にあったとされ,後者のうち,12件の判決においては,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえず,本件区割規定は憲法の規定に違反するに至っているとはいえないとされ,1件の判決においては,憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとして,本件区割規定は憲法の規定に違反するに至っており,本件選挙の違法を宣言すべきであるとされた。
8 平成25年改正法の成立の前後を通じて,国会においては,今後の人口異動によっても憲法の投票価値の平等の要求に反する状態とならないようにするための制度の見直しについて,総定数の削減の要否等を含め,引き続き検討が続けられ,平成26年6月には,衆議院に,有識者により構成される検討機関として衆議院選挙制度に関する調査会が設置され,同調査会において衆議院議員選挙の制度の在り方の見直し等が進められており,衆議院議院運営委員会において同調査会の設置の議決がされた際に,同調査会の答申を各会派において尊重するものとする旨の議決も併せてされている。
同調査会においては,同年9月以降,本件選挙の前後を通じて,定期的な会合が開かれ,投票価値の較差の更なる縮小を可能にする定数配分等の制度の見直しを内容とする具体的な改正案などの検討が行われている。

閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁

目次
第1 閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁
第2 行政府としての憲法の解釈は、国会及び裁判所を拘束するものではないこと
第3 関連記事その他
   
第1 閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁
・ 真田秀夫内閣法制局長官は,昭和54年3月19日の衆議院決算委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を行っています。)。
1(1) 衆議院を解散するという、これは厳密に言えば天皇の国事行為でございまして、御承知のとおり、内閣の助言と承認によって天皇の名前で衆議院の解散が行われるわけでございまするが、その解散の時期については憲法上どこにもその制約がございません。
   もともと衆議院の解散という行為は、それは時の政府が国民に向かって自分の政策あるいは自分のその内閣の存続についての国民の意思を問いかけるという非常に政治的な行為でございますが、そういう性格から見まして、憲法上どこにもその制約がない、時期について制約がないということは、もっぱら政府の政治的な判断に基づいてやるべきものであるというふうに理解されるわけでございます。
   この点につきましては、いろいろ学説を調べてみましたけれども、もうほとんど全部と言っていいくらい、理論上は国会の閉会中でも衆議院の解散は可能であるというふうに書いてございます。ただ、明治憲法以来現在まで国会――まあ昔は帝国議会でございますが、議会なり国会の閉会中に現実に衆議院の解散が行われたという事例はございません。
(2) なお、念のために申し上げますと、現在の憲法が審議されましたいわゆる制憲議会、その制憲議会におきまして、やはり閉会中のもちろん新憲法による衆議院の解散というのがあり得るのかという御質問がございまして、当時金森国務大臣が、それは非常に慎重にやらなきゃいかぬことは当然であるけれども、理論的に所見を言えということを申されますならば、もちろん解散はできるものと思っておりますという明確な御答弁がございます。
   御参考までに申し上げました。
2 いまだかつて〔閉会中解散の〕前例がないわけでございますので、その前例をもとにして御説明するわけにはいかないわけでございます。
   ただ理屈上は、国会の本会議が開会されている時期に、例の紫色のふくさを持って議長にお届けする、議長が、ただいま解散の詔書が出ましたという朗読をされまして、そうして各衆議院議員の方が、どういう意味合いか知りませんが、万歳を唱えてそこで無事解散ということになるわけなんですが、ただ、いままでに、本会議が開かれておらない時点で解散が行われたこと〔山中注:昭和27年8月28日に第14回国会が解散されたことを指していると思います。その後、昭和55年5月19日に第91回国会が、昭和61年6月2日に第105回国会が、本会議が開いていない時点で解散されました。〕はあるんです。
   その場合には、本会議が開かれておらないわけですから、ただいま申しましたような万歳の機会が実はなかったわけですが、その場合はどうしたかといいますと、議長に――もちろん事務総長を通してでございますが、議長に内閣の方から解散の詔書をお届けして、そして議長が各会派の代表者を議長室にお招きになってそして解散の旨をお伝えになる、そういうことが行われたようでございます。
   したがいまして、それがやや似ていると言えば似ている先例ということになりますので、もし閉会中に解散が行われると、それはただいま申しました本会議が開かれておらない時点において行われた解散の場合の手続に準じて、議長室に議長はいらっしゃいますから、議長のところへお届けして、議長がしかるべき手順を踏んで各会派の方にお伝えになると、こういう御手続を踏まれることになるだろうと思います。

3 なおついでに申し上げますと、もし閉会中は国会解散ができないのだという解釈をとりますと、たとえば国会の会期の最終日なり、あるいは非常に会期の終了間近に衆議院において内閣の不信任案が可決され、または信任案が否決されるというようなことがあった場合に、憲法69条は、そういう場合には10日間、つまり内閣は10日間、総辞職をするか解散をするかどちらかの選択をしなさいという選択権を与えているわけなんで、いま申しましたように、会期の終了間近、つまり10日以内の間近に衆議院において内閣の不信任案が可決されたような場合にはもうその選択ができないというような不都合なことになりますので、それでやはり閉会中においても解散ができるのだという解釈の趣旨は、憲法69条から見てもやはり是認されてしかるべきであろうというふうに考えるわけでございます。

5分11秒より後の動画は,昭和55年5月19日の衆議院解散に関するものです。

5分13秒より後の動画は,昭和61年6月2日の衆議院解散に関するものです。

第2 行政府としての憲法の解釈は、国会及び裁判所を拘束するものではないこと
・ 参議院議員小西洋之君提出内閣の解釈変更と議院内閣制等との関係に関する質問に対する答弁書(平成27年10月6日付)には以下の記載があります。
   憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する国家機関は、憲法第八十一条によりいわゆる違憲立法審査権を与えられている最高裁判所である。他方、行政府においても、いわゆる立憲主義の原則を始め、憲法第九十九条が公務員の憲法尊重擁護義務を定めていることなども踏まえ、その権限を行使するに当たって、憲法を適正に解釈していくことは当然のことであり、このような行政府としての憲法の解釈については、第一次的には法律の執行の任に当たる行政機関が行い、最終的には、憲法第六十五条において「行政権は、内閣に属する。」と規定されているとおり、行政権の帰属主体である内閣がその責任において行うものである。行政府としての憲法の解釈は、国会及び裁判所を拘束するものではない。
   その上で、憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。

    このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではないと考えられるが、政府として、御指摘のような「歴代政府の解釈に対して論理的整合性を逸脱し、法的安定性を損ねるような解釈変更」を行うことはない。

第3 関連記事その他
1 「衆議院議員初鹿明博君提出違憲状態の衆議院の解散に関する質問に対する答弁書(平成28年1月19日付)」には以下の記載があります。
    御指摘の衆議院の選挙制度の抜本的な見直しについては、議会政治の根幹に関わる問題であることから、まずは、各党各会派において御議論いただくべき事柄と考えている。
2 以下の記事も参照してください。
・ 衆議院の解散は司法審査の対象とならないこと
 日本国憲法下の衆議院の解散一覧
・ 一票の格差是正前の解散は可能であることに関する政府答弁

日本国憲法下の衆議院の解散一覧

目次
第1 日本国憲法下の衆議院の解散一覧

26 令和 6年10月 9日の解散
25 令和 3年10月14日の解散
24 平成29年 9月28日の解散(主な通称は「国難突破解散」)
23 平成26年11月21日の解散(主な通称は「アベノミクス解散」)
22 平成24年11月16日の解散(主な通称は「近いうち解散」)
21 平成21年 7月21日の解散(主な通称は「政権選択解散」)
20 平成17年 8月 8日の解散(主な通称は「郵政解散」)
19 平成15年10月10日の解散(主な通称は「マニフェスト解散」,「構造改革解散」)
18 平成12年 6月 2日の解散(主な通称は「神の国解散」,「ミレニアム解散」)
17 平成 8年 9月27日の解散(主な通称は「小選挙区解散」)
16 平成 5年 6月18日の解散(主な通称は「嘘つき解散」,「政治改革解散」)
15 平成 2年 1月24日の解散(主な通称は「消費税解散」)
14 昭和61年 6月 2日の解散(主な通称は「死んだふり解散」,「寝たふり解散」)
13 昭和58年11月28日の解散(主な通称は「田中判決解散」)
12 昭和55年 5月19日の解散(主な通称は「ハプニング解散」)
11 昭和54年 9月 7日の解散(主な通称は「増税解散」,「一般消費税解散」)
10 昭和47年11月13日の解散(主な通称は「日中解散」)
9  昭和44年12月 2日の解散(主な通称は「沖縄解散」)
8  昭和41年12月27日の解散(主な通称は「黒い霧解散」)
7  昭和38年10月23日の解散(主な通称は「所得倍増解散」,「ムード解散」,「予告解散」)
6  昭和35年10月24日の解散(主な通称は「安保解散」)
5  昭和33年 4月25日の解散(主な通称は「話し合い解散」)
4  昭和30年 1月24日の解散(主な通称は「天の声解散」)
3  昭和28年 3月14日の解散(主な通称は「バカヤロー解散」)
2  昭和27年 8月28日の解散(主な通称は「抜き打ち解散」)
1  昭和23年12月23日の解散(主な通称は「馴れ合い解散」)
第2 関連記事その他


第1 日本国憲法下の衆議院の解散一覧
◯任期満了に伴う衆議院議員総選挙は昭和51年12月5日実施の第34回衆議院議員総選挙(通称は「ロッキード選挙」)だけですから,日本国憲法施行後の衆議院の解散の回数は総選挙の回数より1回少ないだけです。
    また,昭和28年3月14日の解散(主な通称は「バカヤロー解散」)後に最高裁判所裁判官国民審査行われませんでしたから,最高裁判所裁判官国民審査の回数は総選挙の回数より1回少ないだけです。
    そのため,日本国憲法施行後の衆議院の解散の回数と,最高裁判所裁判官国民審査の回数は一致します。
◯任期満了後の衆議院議員総選挙は令和3年10月31日の第49回衆議院議員総選挙だけでした(衆議院HP「衆議院議員総選挙一覧表」参照)。

26 令和6年10月9日の解散
・ 岸田文雄内閣総理大臣は,8月14日午前11時半から総理大臣官邸で記者会見を開き,自民党総裁選への不出馬を表明しました。
・ 9月27日の自民党総裁選で当選した石破茂自民党総裁は,同月29日(日),10月9日(水)に衆議院を解散し,同月27日(日)に総選挙を実施する調整に入ったと報じられました。
・ 石破茂(いしばしげる)オフィシャルブログ「解散のあり方など」には「選挙の際の公約を果たすため、与えられた四年の任期を全うするのが国民に対する責任であると考えます。」などと書いてあります。


25 令和3年10月14日の解散
・ 菅義偉内閣総理大臣は,8月31日夜,9月中旬に衆議院を解散すると一部で報じられたものの,翌日の9月1日午前のぶら下がりでこれを否定し,同月3日,自民党総裁選への不出馬を表明しました。
・ 9月29日の自民党総裁選で当選した岸田文雄自民党総裁は,同月30日,10月14日に衆議院を解散する調整に入ったと報じられました。
・ 岸田文雄内閣総理大臣は,10月4日の新内閣発足直後の会見において,同月14日に衆議院を解散し,同月19日に公示し,同月31日に投開票とする日程を発表しました(解散日から投開票日まで17日というのは戦後最短です。)。
・ 第1次岸田内閣第205回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 10月14日午後1時頃に衆議院本会議が開会し,午後1時3分頃,大島理森衆議院議長が「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と書いてある解散詔書を朗読しました(Youtube動画「【国会中継】衆議院本会議 衆院が解散(2021年10月14日)」参照)。
・ 内閣は,令和3年10月14日付の「政府声明」を発表しました。
・ 主な通称といえるほどの解散名はありません。
・ 仮に解散がなかった場合,令和3年10月21日に衆議院議員の任期が満了していました。
・ 令和3年10月31日に第49回衆議院議員総選挙(議員定数は465人)が行われました。
    その結果,自由民主党が261議席,公明党が32議席(以上が与党です。),立憲民主党が96議席,日本維新の会が41議席,国民民主党が11議席,日本共産党が10議席,れいわ新選組が3議席,社会民主党が1議席,無所属が10議席を獲得しました。
・ 第1次岸田内閣の期間は,日本国憲法下で最短となる64日間の羽田内閣(羽田孜首相)はおろか,明治憲法下で最短となる54日間の東久邇宮内閣(東久邇宮稔彦首相)よりも短いものとなります。


24 平成29年9月28日の解散(主な通称は「国難突破解散」)
・ 安倍晋三内閣総理大臣は,平成29年1月5日の時事通信社の新年互礼会において,「今年も選挙があるかといえば、これは時事通信の互礼会なので最初に言っておいた方がいいと思うんですが、これは全く考えていない。36年前は選挙をやっておりませんから、酉年であれば必ず総選挙というわけではない。例外というと普通はあるみたいなんですが、今年は全く考えていないということは、はっきりと申し上げておきたいと思います。」等と挨拶していました。
・ 第3次安倍第3次改造内閣第194回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 平成29年9月16日(土)から衆議院の早期解散が報道されるようになりました。
・ 安倍首相が平成29年9月25日(月)の記者会見で衆議院の解散を表明し,今回の解散は「国難突破解散」であると説明しました(Youtube動画「安倍首相,衆院解散を表明【記者会見ノーカット】」参照)。
・ 9月28日午後0時2分に衆議院本会議が開会し,約1分後の午後0時3分,大島理森衆議院議長が「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と書いてある解散詔書を朗読しました(Youtube動画「2017年9月28日 衆議院解散」参照)。
・ 内閣は,平成29年9月28日付の「政府声明」を発表しました。
・ 民進党は,解散日に行った両院議員総会において,10月22日の衆議院議員総選挙において候補者を擁立せず,民進党から立候補を予定していた候補者は「希望の党」(平成27年9月25日設立)に公認申請を行うことを決定しました(民進党HPの「党員・サポーター,そして国民の皆様へ」参照)。
・ 4回目の召集時解散となりました。
・ NHK解説委員室HP「衆議院解散 総選挙の焦点」で解説されています。
・ 平成29年10月22日に第48回衆議院議員総選挙(議員定数は465人)が行われました。
    その結果,自由民主党が284議席,公明党が29議席(以上が与党です。),立憲民主党が55議席,希望の党が50議席,日本共産党が12議席,日本維新の会が11議席,社会民主党が2議席,無所属が22議席を獲得しました。



23 平成26年11月21日の解散(主な通称は「アベノミクス解散」)
・ 第2次安倍改造内閣第187回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 安倍首相が平成26年11月18日の記者会見で衆議院の解散を表明しました(Youtube動画「安倍晋三総理大臣 記者会見 2014-11-18 フルバージョン」参照)。
・ 伊吹文明衆議院議長が衆議院本会議において,「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」とまで解散詔書を朗読した直後に万歳三唱が起こりましたものの,その後,「御名御璽 平成26年11月21日 内閣総理大臣安倍晋三」とまで朗読しました。
    ただし,「御名御璽」以下の文言が朗読されたのはこのときだけです(ハフィントンポストHPの「衆院解散,「フライング万歳」はなぜ起こった?検証してみた【動画】」参照)。
・ 平成26年12月14日に第47回衆議院議員総選挙(議員定数は475人)が行われました。
    その結果,自由民主党が291議席,公明党が35議席(以上が与党です。),民主党が73議席,維新の党が41議席,日本共産党が21議席,次世代の党が2議席,社会民主党が2議席,生活の党が2議席,無所属が8議席を獲得しました。

22 平成24年11月16日の解散(主な通称は「近いうち解散」
・ 野田第3次改造内閣第181回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 野田首相が平成24年11月14日の党首討論で突然,衆議院の解散を表明しました。
・ 横路孝弘衆議院議長が解散した解散詔書の文言は以下のとおりでした(Youtube動画「衆議院解散2012」の1分41秒参照)。
日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。
御 名 御 璽
平成二十四年十一月十六日
内閣総理大臣 野 田 佳 彦
・ 最高裁大法廷平成23年3月23日判決によって違憲状態であると判断された一票の格差が是正されていないにもかかわらず,衆議院の解散が行われました。
・ 平成24年12月16日に第46回衆議院議員総選挙(議員定数は480人)が行われました。
    その結果,民主党が57議席,国民新党が1議席(以上が与党です。),自由民主党が294議席,日本維新の会が54議席,公明党が31議席,みんなの党が18議席,日本未来の党が9議席,日本共産党が8議席,社会民主党が2議席,新党大地が1議席,無所属が5議席を獲得しました。

21 平成21年7月21日の解散(主な通称は「政権選択解散」)
・ 麻生内閣第171回国会(常会)で行ったものです。
・ 午後1時に衆議院本会議が開会した直後に,河野洋平衆議院議長が解散詔書を朗読しました(Youtube動画「衆議院解散2009」参照)。
・ 平成21年8月30日に第45回衆議院議員総選挙(議員定数は480人)が行われました。
    その結果,自由民主党が119議席,公明党が21議席(以上が与党です。),民主党が308議席,日本共産党が9議席,社会民主党が7議席,みんなの党が5議席,国民新党が3議席,新党日本が1議席,新党大地が1議席,無所属が6議席を獲得しました。
・ 民主党の308議席は,一つの政党が保有する議席数としては戦後最高となりました。
・ 衆議院の解散から衆議院議員総選挙の投票日までの期間は史上最長の40日間でした(憲法54条1項参照)。

20 平成17年8月8日の解散(主な通称は「郵政解散」)
・ 第2次小泉改造内閣が第162回国会(常会)で行ったものです。
・ 参議院で同日,郵政民営化関連6法案(第162回国会閣法第84号ないし第89号)の否決(衆議院HPの「第162回国会 議案の一覧」参照)に伴って行われたものです。
・ 民主党から小泉内閣不信任決議案(第162回国会決議第7号)が提出された直後の午後7時4分頃,河野洋平衆議院議長が解散詔書を朗読しました(Youtube動画「【2005年小泉純一郎内閣】衆議院解散(郵政解散)」参照)。
・ 平成17年9月11日に第44回衆議院議員総選挙(議員定数は480人)が行われました。
    その結果,自由民主党が296議席,公明党が31議席(以上が与党です。),民主党が113議席,日本共産党が9議席,社会民主党が7議席,国民新党が4議席,新党日本が1議席,新党大地が1議席,無所属が18議席を獲得しました。
・ 郵政民営化関連6法案(第163回国会閣法第1号ないし第6号)は平成17年10月14日に参議院で可決・成立し,同月21日に平成17年法律第97号ないし第102号として公布されました(内閣官房郵政民営化事務局HP「郵政民営化関連法など」参照)。

19 平成15年10月10日の解散(主な通称は「マニフェスト解散」,「構造改革解散」)
・ 第1次小泉第2次改造内閣が第157回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 平成15年11月9日に第43回衆議院議員総選挙(議員定数は480人)が行われました。
    その結果,自由民主党が237議席,公明党が34議席,保守新党が4議席(以上が与党です。),民主党が177議席,日本共産党が9議席,社会民主党が6議席,無所属の会が1議席,自由連合が1議席,無所属が11議席を獲得しました。

18 平成12年6月2日の解散(主な通称は「神の国解散」,「ミレニアム解散」)
・ 第1次森内閣が第147回国会(常会)で行ったものです。
・ 平成12年6月25日に第42回衆議院議員総選挙(議員定数は480人)が行われました。
    その結果,自由民主党が233議席,公明党が31議席,保守党が7議席(以上が与党です。),民主党が127議席,自由党が22議席,日本共産党が20議席,社会民主党が19議席,無所属の会が5議席,自由連合が1議席,無所属が15議席を獲得しました。

17 平成8年9月27日の解散(主な通称は「小選挙区解散」)
・ 第1次橋本内閣が第137回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 3回目の召集時解散です。
・ 平成8年10月20日に第41回衆議院議員総選挙(議員定数は500人)(小選挙区比例代表並立制における最初の総選挙)が行われました。
    その結果,自由民主党が239議席,社会民主党が15議席,新党さきがけが2議席(以上が与党です。),新進党が156議席,民主党が52議席,日本共産党が26議席,民主改革連合が1議席,無所属が9議席を獲得しました。

16 平成5年6月18日の解散(主な通称は「嘘つき解散」,「政治改革解散」)
・ 宮澤改造内閣が第126回国会(常会)で行ったものです。
・ 同日の内閣不信任決議の可決(4回目)を受けて行われたものです。
・ 平成5年7月18日に第40回衆議院議員総選挙(議員定数は511人)(中選挙区制における最後の総選挙)が行われました。
    その結果,自由民主党が223議席(以上が与党です。),日本社会党が70議席,新生党が55議席,公明党が51議席,日本新党が35議席,民社党が15議席,新党さきがけが13議席,社会民主連合が4議席,日本共産党が15議席,無所属が30議席を獲得しました。

15 平成2年1月24日の解散(主な通称は「消費税解散」)
・ 第1次海部内閣が第117回国会(常会)で行ったものです。
・ 施政方針演説をする前の解散でした。
・ 平成2年2月18日に第39回衆議院議員総選挙(議員定数は512人)が行われました。
    その結果,自由民主党が275議席(以上が与党です。),日本社会党が136議席,公明党が45議席,日本共産党が16議席,民社党が14議席,社会民主連合が4議席,進歩党が1議席,無所属が21議席を獲得しました。

14 昭和61年6月2日の解散(主な通称は「死んだふり解散」,「寝たふり解散」)
・ 第2次中曽根第2次内閣が第105回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 2回目の召集時解散です。
・ 昭和61年7月6日に第38回衆議院議員総選挙(議員定数は512人)(2回目の衆参同日選挙)が行われました。
    その結果,自由民主党が300議席(以上が与党です。),日本社会党が85議席,公明党が56議席,民社党が26議席,日本共産党が26議席,新自由クラブが6議席,社会民主連合が4議席,無所属が9議席を獲得しました。
・ 自由民主党の300議席は,平成21年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において,民主党が単独で308議席を獲得するまで,一つの政党が保有する議席数としては戦後最高でした。

13 昭和58年11月28日の解散(主な通称は「田中判決解散」
・ 第1次中曽根内閣が第100回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 田中判決解散でいうところの「田中判決」は,ロッキード事件において田中角栄元首相に対し,懲役4年,追徴金5億円の実刑判決を言い渡した,東京地裁昭和58年10月12日判決のことです。
・ 昭和58年12月18日に第37回衆議院議員総選挙(議員定数は511人)が行われました。
    その結果,自由民主党が250議席(以上が与党です。),日本社会党が112議席,公明党が58議席,民社党が38議席,日本共産党が26議席,新自由クラブが8議席,社会民主連合が3議席,無所属が16議席を獲得しました。
・ 解散から衆議院議員総選挙の投票日までの期間は史上最短の20日間でしたが,令和3年10月14日の衆議院解散及び同月31日の衆議院議員総選挙によって最短記録が更新されました。

12 昭和55年5月19日の解散(主な通称は「ハプニング解散」
・   第2次大平内閣が第91回国会(常会)で行ったものです。
・ 同月16日の内閣不信任決議の可決(3回目)を受けて行われたものです。
・ 大平正芳首相は総選挙期間中の6月12日,心筋梗塞による心不全で死亡しました。戦後の首相で在職中に死亡したのは大平正芳首相だけです。
    小渕恵三首相(いわゆる「平成おじさん」です。)は在職中の平成12年4月2日に脳梗塞を発症したものの,同月5日に小渕内閣が総辞職した後の同年5月14日に死亡しましたから,在職中の死亡ではありません。
・ 昭和55年6月22日に第36回衆議院議員総選挙(議員定数は511人)(1回目の衆参同日選挙)が行われました。
    その結果,自由民主党が284議席(以上が与党です。),日本社会党が107議席,公明党が33議席,民社党が32議席,日本共産党が29議席,新自由クラブが12議席,社会民主連合が3議席,無所属が11議席を獲得しました。

11 昭和54年9月7日の解散(主な通称は「増税解散」,「一般消費税解散」)
・   第1次大平内閣が第88回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 昭和54年10月7日に第35回衆議院議員総選挙(議員定数は511人)が行われました。
    その結果,自由民主党が248議席(以上が与党です。),日本社会党が107議席,公明党が57議席,日本共産党が39議席,民社党が35議席,新自由クラブが4議席,社会民主連合が2議席,無所属が19議席を獲得しました。
・ 日本共産党の獲得議席数はこのときの総選挙で獲得した39議席が過去最高です。

10 昭和47年11月13日の解散(主な通称は「日中解散」)
・   第1次田中内閣が第70回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 昭和47年12月10日に第33回衆議院議員総選挙(議員定数は491人)が行われました。
    その結果,自由民主党が271議席(以上が与党です。),日本社会党が118議席,日本共産党が38議席,公明党が29議席,民社党が19議席,沖縄社会大衆党が1議席,沖縄人民党が1議席,無所属が14議席を獲得しました。

9 昭和44年12月2日の解散(主な通称は「沖縄解散」)
・   第2次佐藤内閣が第62回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 昭和44年12月27日に第32回衆議院議員総選挙(議員定数は486人)が行われました。
    その結果,自由民主党が288議席(以上が与党です。),日本社会党が90議席,公明党が47議席,民主社会党が31議席,日本共産党が14議席,無所属が16議席を獲得しました。

8 昭和41年12月27日の解散(主な通称は「黒い霧解散」
・   第1次佐藤第3次改造内閣が第54回国会(常会)で行ったものです。
・ 1回目の召集時解散です。
・ 昭和42年1月29日に第31回衆議院議員総選挙(議員定数は486人)が行われました。
    その結果,自由民主党が277議席(以上が与党です。),日本社会党が140議席,民主社会党が30議席,公明党が25議席,日本共産党が5議席,無所属が9議席を獲得しました。

7 昭和38年10月23日の解散(主な通称は「所得倍増解散」,「ムード解散」,「予告解散」)
・   第2次池田内閣が第44回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 昭和38年11月21日に第30回衆議院議員総選挙(議員定数は467人)が行われました。
    その結果,自由民主党が283議席(以上が与党です。),日本社会党が144議席,民主社会党が23議席,日本共産党が5議席,無所属が12議席を獲得しました。

6 昭和35年10月24日の解散(主な通称は「安保解散」)
・   第1次池田内閣が第36回国会(臨時会)で行ったものです。
・ 昭和35年11月20日に第29回衆議院議員総選挙(議員定数は467人)が行われました。
    その結果,自由民主党が296議席(以上が与党です。),日本社会党が145議席,民主社会党が17議席,日本共産党が3議席,全国農政連盟が1議席,無所属が5議席を獲得しました。
・ 自由民主党の獲得議席率(約63.4%)はこのときの選挙が過去最高でした。

5 昭和33年4月25日の解散(主な通称は「話し合い解散」
・   第1次岸内閣が第28回国会(常会)で行ったものです。
・ 昭和33年5月22日に第28回衆議院議員総選挙(議員定数は467人)が行われました。
    その結果,自由民主党が287議席(以上が与党です。),日本社会党が166議席,日本共産党が1議席,諸派が1議席,無所属が12議席を獲得しました。

4 昭和30年1月24日の解散(主な通称は「天の声解散」
・   第1次鳩山内閣が第21回国会(常会)で行ったものです。
・ 政府三演説に対する代表質問中に行われました。
・ 昭和30年2月27日に第27回衆議院議員総選挙(議員定数は467人)が行われました。
    その結果,日本民主党が185議席(以上が与党です。),自由党が112議席,社会党(左派)が89議席,社会党(右派)が67議席,労働者農民党が4議席,日本共産党が2議席,諸派が2議席,無所属が6議席を獲得しました。

3 昭和28年3月14日の解散(主な通称は「バカヤロー解散」
・   第4次吉田内閣が第15回国会(特別会)で行ったものです。
・ 同日の内閣不信任決議の可決(2回目)を受けて行われたものです。
・ 昭和28年4月19日に第26回衆議院議員総選挙(議員定数は466人)が行われました。
    その結果,自由党(吉田派)が199議席,自由党(鳩山派)が35議席(以上が与党です。),改進党が76議席,社会党(左派)が72議席,社会党(右派)が66議席,労働者農民党が5議席,日本共産党が1議席,日本人民党が1議席,無所属が11議席を獲得しました。

2 昭和27年8月28日の解散(主な通称は「抜き打ち解散」
・   第3次吉田内閣が第14回国会(常会)の3日目に突然,行ったものですから,「抜き打ち解散」といわれています。
・ 昭和27年10月1日に第25回衆議院議員総選挙(議員定数は466人)が行われました。
    その結果,自由党が240議席(以上が与党です。),改進党が85議席,社会党(右派)が57議席,社会党(左派)が54議席,労働者農民党が4議席,諸派が7議席,無所属が19議席を獲得しました。
・ 昭和20年代後半,日本共産党は全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げたこともあり(ただし,現在の日本共産党は,当時の暴力的破壊活動は「分裂した一方が行ったことで,党としての活動ではない」と主張しています。),日本共産党の議席数は改選前の22議席から0議席になりました(警察庁HPの「警備警察50年」「第2章 警備情勢の推移」参照)。
・ 公安調査庁HPの「共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解」には,「共産党は,第5回全国協議会(昭和26年〈1951年〉)で採択した「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し,各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました」と書いてあります。
・ 最高裁大法廷昭和35年6月8日判決(苫米地事件上告審判決)は,このときの解散に関する判決です。

1 昭和23年12月23日の解散(主な通称は「馴れ合い解散」
・   第2次吉田内閣が第4回国会(常会)で行ったものです。
・ 同日の内閣不信任決議の可決(1回目)を受けて行われたものです。
・ GHQは,衆議院の解散は憲法69条所定の場合に限られるという解釈を採っていましたから,与野党が内閣不信任決議案に賛成して可決させた上で,衆議院を解散するという方法が取られました。
    そのため,このときの解散詔書には,「衆議院において内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第六十九条及び第七条により、衆議院を解散する。」と記載されました。
・   同日,極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の絞首刑が執行されました。
・ 昭和24年1月23日に第24回衆議院議員総選挙(議員定数は466人)が行われました。
    その結果,民主自由党が264議席(以上が与党です。),民主党が69議席,日本社会党が48議席,日本共産党が35議席,日本協同党が14議席,労働者農民党が7議席,農民新党が6議席,社会革新党が5議席,諸派が6議席,無所属が12議席を獲得しました。
・ 「衆議院法制局創立七十周年記念講演会(平成30年7月30日)衆議院法制局初代局長・入江俊郎の識見とその今日的意義」に,第1回衆議院解散に至る概要が載っています(判例時報2440号8頁)。


第2 関連記事その他
1 Wikipediaに以下の記事が載っています。
・ 日本の政党別の国会議員数
・ 衆議院解散
・ 衆議院議員総選挙
2 国立国会図書館HPレファレンスに以下の記事が載っています。
・ 予算と法律との関係-日本国憲法の予算理論を中心として-(平成24年1月号)
・ 法令整理-その歴史と可能性-(短報)(平成25年8月号)
・ 戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移(資料)(平成26年6月号)
・ 二院制の意義ならびに参議院の独自性-国会の憲法上の位置付けから見た論点整理-(平成27年4月号)
・ 国会改革の経緯と論点(資料)(平成27年7月号)
・ 議員立法序説(平成27年9月号)
・ 議員立法と内閣立法の諸相-農林・環境分野の立法例を中心に-(平成28年7月号)
・ 主要国議会の法律案提出手続及び法律の成立状況(平成28年12月号)
3 以下の記事も参照してください。
・ 衆議院の解散
・ 衆議院の解散は司法審査の対象とならないこと
・ 一票の格差是正前の解散は可能であることに関する政府答弁
・ 閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁
・ 国会制定法律の一覧へのリンク
・ 衆議院の解散に関する内閣答弁書

衆議院の解散

目次
1 総論
2 召集時解散
3 本会議が開いていない時点での解散
4 内閣不信任決議が成立した後の解散
5 解散後の議員宿舎及び議員会館の使用
6 衆議院の解散と日経平均
7 衆議院の解散後に災害が発生した場合における繰延投票
8 関連記事その他

1 総論
(1)   衆議院の解散は,内閣不信任決議が成立した場合も含めて,憲法7条に基づいて行われています。
(2) 統治行為論に基づき,衆議院解散の効力は,訴訟の前提問題としても,裁判所の審査権限の対象外です(最高裁大法廷昭和35年6月8日判決(苫米地事件上告審判決)参照)。
(3) 国会閉会中に衆議院が解散されたことはありません。


2 召集時解散
(1) 召集時解散は以下の4回です。
① 昭和41年12月27日の解散(第1次佐藤内閣)
② 昭和61年 6月 2日の解散(第2次中曽根内閣)
③ 平成 8年 9月27日の解散(第1次橋本内閣)
④ 平成29年 9月27日の解散(第3次安部内閣)
(2) 衆議院HPに「国会会期一覧」が載っています。召集時解散があった場合,会期は1日だけになります。

3 本会議が開いていない時点での解散
(1) 本会議が開いていない時点での解散は以下のとおりです。
① 昭和27年 8月28日の解散(第3次吉田内閣)
② 昭和55年 5月19日の解散(第2次大平内閣)
③ 昭和61年 6月 2日の解散(第2次中曽根内閣)
(2) これらの場合,議長応接室で解散詔書が読み上げられました。

5分11秒より後の動画は,昭和55年5月19日の衆議院解散に関するものです。

5分13秒より後の動画は,昭和61年6月2日の衆議院解散に関するものです。

4 内閣不信任決議が成立した後の解散
(1) 内閣不信任決議が成立した後の解散は以下のとおりです。
① 昭和23年12月23日の解散(第2次吉田内閣)
→ 同日の内閣不信任決議を受けたものです。
② 昭和28年 3月14日の解散(第4次吉田内閣)
→ 同日の内閣不信任決議を受けたものです。
③ 昭和55年 5月19日の解散(第2次大平内閣)
→ 同月16日の内閣不信任決議を受けたものです。
④ 平成 5年 6月18日の解散(宮澤内閣)
→ 同日の内閣不信任決議を受けたものです。
(2) 平成5年7月18日の第40回衆議院議員総選挙があり,同年8月9日に細川内閣が成立しました。

5 解散後の議員宿舎及び議員会館の使用
(1) 議員宿舎の使用
・ 「解散後の議員宿舎の使用について」(平成26年11月21日付)
・ 「解散後の議員宿舎の使用について」(平成29年 9月28日付)
・ 「解散後の議員宿舎の使用について」(令和 3年10月14日付)
(2) 議員会館の使用
・ 「解散後の議員会館の使用について」(平成26年11月21日付)
・ 「解散後の議員会館の使用について」(平成29年 9月28日付)
・ 「解散後の議員会館の使用について」(令和 3年10月14日付)

6 衆議院の解散と日経平均
(1) ZDNet Japan HPの「衆議院解散総選挙は日経平均にどう影響するか?」に,2005年,2009年,2012年及び2014年にあった,衆議院の解散総選挙における日経平均の動きが載っています。
(2) Zai Onlineに「「解散総選挙」が決まれば、長期安定政権への期待から“中長期の上昇トレンド”発生へ! ただし、総選挙決定まで日経平均は2万2500~4500円のレンジで推移か」(2020年9月15日公開)が載っています。

7 衆議院の解散後に災害が発生した場合における繰延投票
    横畠裕介内閣法制局長官は,平成30年2月6日の衆議院予算委員会において以下の答弁をしています。
    憲法第五十四条第一項においては、衆議院が解散された場合、解散の日から四十日以内に総選挙を行うと規定しているところであります。災害等が発生した場合であっても、同項及び公職選挙法の規定に従って、解散の日から四十日以内の日を施行期日として、衆議院議員の総選挙の施行が公示されることになると考えられます。
    その上で、公職選挙法第五十七条第一項においては、天災その他避けることのできない事故により、投票所において、投票を行うことができないとき、又は更に投票を行う必要があるときは、選挙管理委員会の判断により、更に期日を定めて投票を行わせるというのが、御指摘もありましたけれども、繰延べ投票の制度がございます。
     一定の期間を要し、その繰延べ投票が解散の日から四十日を超えて行われたとしても、当該総選挙自体は最初に公示された施行期日に行われたものというふうに解することができると解しております。


8 関連記事その他
(1) 最高裁昭和63年12月20日判決は,「政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であつて、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有するものであり、国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であつて、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる。」と判示しています。
(2) 衆議院議員総選挙の公示日から投票日までの間,総選挙に候補者又は候補者名簿を届け出た政党その他の政治団体でない限り,原則として政治活動をすることはできません(公職選挙法201条の5)。
(3)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 衆議院解散の閣議書(令和 3年10月14日付)
 衆議院解散の閣議書(平成29年 9月28日付)
イ 以下の記事も参照してください。
・ 衆議院の解散は司法審査の対象とならないこと
・ 日本国憲法下の衆議院の解散一覧
・ 一票の格差是正前の解散は可能であることに関する政府答弁
・ 閉会中解散は可能であることに関する内閣法制局長官の答弁
・ 政策担当秘書関係の文書
・ 国会制定法律の一覧へのリンク
・ 衆議院の解散に関する内閣答弁書


一票の格差是正に関する公職選挙法の一部を改正する法律等の一覧

目次
第1 最高裁大法廷平成23年3月23日判決が出た後の,一票の格差是正に関する公職選挙法の一部を改正する法律等の一覧
1 衆議院に関するもの(議員定数は480人→475人→465人)
2 参議院に関するもの(議員定数は242人→248人)
第2 関連記事その他

第1 最高裁大法廷平成23年3月23日判決が出た後の,一票の格差是正に関する公職選挙法の一部を改正する法律等の一覧
1 衆議院に関するもの(議員定数は480人→475人→465人)
① 衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律(平成24年11月26日法律第95号)
→ 野田首相が党首討論で衆議院の解散を表明した平成24年11月14日の翌日に衆議院で可決し,同月16日(解散日)に参議院で可決・成立した法律です。
   小選挙区の一人別枠方式の規定が削除されたほか,衆議院小選挙区定数に関する「0増5減」が実施されることとなりました。
② 衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律の一部を改正する法律(平成25年6月28日法律第68号)(改正後の議員定数は475人)
→ 17都県42選挙区で選挙区の区割りが変わったほか,衆議院小選挙区定数に関する「0増5減」が実施された結果,小選挙区選出議員の定数が300人から295人となりました。
③ 衆議院議員選挙区画定審議会設置法及び公職選挙法の一部を改正する法律(平成28年5月27日法律第49号)
→ 衆議院小選挙区定数に関する「0増6減」及び比例代表定数の4人削減が実施されることとなりました。
④ 衆議院議員選挙区画定審議会設置法及び公職選挙法の一部を改正する法律の一部を改正する法律(平成29年6月16日法律第58号)(改正後の議員定数は465人)
→ 19都道府県97選挙区で選挙区の区割りが変わったほか,衆議院小選挙区定数に関する「0増6減」が実施された結果,小選挙区選出議員の定数が295人から289人となりました。
   また,比例代表選出議員の定数が180人から176人となりました。

2 参議院に関するもの(議員定数は242人→248人)
①   公職選挙法の一部を改正する法律(平成24年11月26日法律第94号)
→ 参議院(選挙区)定数に関する「4増4減」が実施されました。
② 公職選挙法の一部を改正する法律(平成27年 8月5日法律第60号)
→ 参議院(選挙区)定数に関する「10増10減」,鳥取・島根及び徳島・高知の合区等が実施されました。
③ 公職選挙法の一部を改正する法律(平成30年 7月25日法律第75号)(改正後の議員定数は248人)
→ 参議院選挙区選出議員の定数を148人(現行146人)とした上で,埼玉県選挙区の改選定数を4人(現行3人)としたり,参議院比例代表選出議員の定数を100人(現行96人)としたり,特定枠制度が導入されたりしました(総務省HPの「参議院議員選挙制度にける公職選挙法改正の概要」参照)。


第2 関連記事
・ 最高裁が出した,一票の格差に関する違憲状態の判決及び違憲判決の一覧
・ 衆議院議員総選挙における,一票の格差に関する最高裁判決の一覧(昭和時代及び平成時代)
・ 参議院議員通常選挙における,一票の格差に関する最高裁判決の一覧(昭和時代及び平成時代)

法科大学院派遣裁判官名簿及び法科大学院派遣検察官一覧

目次
1 法科大学院派遣裁判官名簿
2 法科大学院派遣検察官一覧
3 関連記事その他
    
1 法科大学院派遣裁判官名簿
(1) 毎年3月の第2水曜日に開催される最高裁判所裁判官会議議事録に含まれている,法科大学院派遣裁判官名簿を掲載しています。
(令和時代)
令和2年度分令和3年度分令和4年度分令和5年度分
令和6年度分
(平成時代)
平成16年度分ないし平成19年度分
平成20年度分ないし平成24年度分
平成25年度分ないし平成28年度分
平成29年度分平成30年度分平成31年度分
* 「法科大学院派遣裁判官名簿(令和6年度分)」といったファイル名です。
(2) 元の文書だけだと年度が分からないことにかんがみ,平成30年度分以前及び令和6年度以降については右上に手書きで年度となる数字を書き加えています。


2 法科大学院派遣検察官一覧
令和元年度令和2年度令和3年度令和4年度
令和5年度令和6年度令和7年度


3 関連記事その他
(1) 根拠法は,法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律(平成15年5月9日法律第40号)です。
(2) 以下の資料を掲載しています。
・ 歴代の法科大学院派遣裁判官の一覧表(平成16年度から平成30年度まで)
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 最高裁判所裁判官会議の議事録

公文書管理に関する経緯,公文書館に関連する法律及び国立公文書館

目次
1 公文書管理に関する経緯
2 公文書館に関連する法律
3 国立公文書館
4 関連記事その他
   
1 公文書管理に関する経緯
(1) 昭和46年7月1日,国立公文書館が総理府の付属機関として,東京都千代田区北の丸公園で開館しました。
(2) 平成10年7月1日,国立公文書館つくば分館が茨城県つくば市の筑波研究学園都市内に設置されました。
(3)   平成12年10月,国立公文書館法が施行されました。
(4)   平成13年4月1日,国立公文書館が独立行政法人となりました。
(5) 平成13年11月30日,国立公文書館アジア歴史資料センター(略称は「アジ歴」です。)が開設されました。
   同センターはデジタルアーカイブとしてインターネットなどを通じてアジア歴史資料を提供することを目的としていますから,閲覧室は設置していません。
(6) 平成15年12月5日,内閣官房長官決定に基づき,公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会が内閣府に設置されました。
   平成16年6月28日,第一次報告書を提出し,平成18年6月22日,第二次報告書を提出しました。
(7) 平成20年2月29日,内閣官房長官決裁に基づき,公文書管理の在り方等に関する有識者会議が内閣官房で開催されるようになりました。
   平成20年11月4日,「時を貫く記録としての公文書管理の在り方」~今、国家事業として取り組む~(平成20年11月4日付の公文書管理の在り方等に関する有識者会議最終報告)が出されました。
   平成23年4月1日,公文書等の管理に関する法律(平成21年7月1日法律第66号)(略称は「公文書管理法」です。)が施行されました。
(8) 平成26年5月13日,内閣府特命担当大臣決定に基づき,国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議が内閣府で開催されるようになりました。
(9) 平成28年3月23日,内閣府公文書管理委員会は,「公文書管理法施行5年後見直しに関する検討報告書」(公文書管理法付則13条1項参照)を提出しました。
(10) 平成28年5月26日,衆議院議院運営委員会の小委員会が,政府建て替えを目指す国立公文書館の建設地を,国会に隣接する憲政記念館の敷地内とすることを決めました。
   
2 公文書館に関連する法律
   公文書館に関連する法律として主なものは以下の三つです。
① 公文書館法(昭和62年12月15日法律第115号)(議員立法)
   国又は地方公共団体が設置する公文書館に関する法律を定めています。
② 国立公文書館法(平成11年6月23日法律第79号)(議員立法)
   独立行政法人国立公文書館の名称,目的,業務の範囲等に関する事項を定めています。
③ 公文書等の管理に関する法律(平成21年7月1日法律第66号)(閣法)
   公文書等の管理に関する基本的事項(行政文書等の作成・整理,歴史公文書等の移管,適切な保存・利用等)を定めています。
   
3 国立公文書館
(1) 国立公文書館の概要が分かる資料が,平成26年5月16日開催の第1回国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議資料3として内閣府HPに掲載されています。
(2)ア 内閣府HPの「(参考)諸外国の国立公文書館の比較」によれば,
職員数は以下のとおりです。
日本:47人(定員数),アメリカ(NARA):2720人
イギリス(TNA):600人,フランス:570人
ドイツ:790人,韓国:340人
イ 所蔵量は以下のとおりです。
日本:59km,アメリカ(NARA):1400km
イギリス(TNA):200km,フランス:380km
ドイツ:300km,韓国:177km
ウ 内閣府HPの「諸外国の公文書館概要(国別概要)」が詳しいです。
(3) 内閣府HPの「国立公文書館の機能・施設の在り方に関する提言(平成26年度調査報告)」(平成27年3月)に,新たな国立公文書館に関する基本的な論点と方向性等が書いてあります。

4 関連記事その他
(1)ア 東弁リブラ2021年4月号「記録を救おう!-歴史的記録としての民事訴訟記録の保存-」が載っています。
イ 国立公文書館HPに「国立公文書館における「時の経過」の運用について」が載っています。
(2) 以下の記事も参照してください。
 司法行政文書に関する文書管理
・ 司法行政文書の国立公文書館への移管
 民事事件の判決原本の国立公文書館への移管

PKO日報問題に関する特別防衛監察結果報告で示された,行政文書管理及び情報公開業務の改善策

〇南スーダン派遣施設隊が作成した日報に対する行政文書開示請求について,防衛大臣が平成28年12月2日付で不開示決定を出した問題(いわゆる「PKO日報問題」です。)については,平成29年3月17日から特別防衛監察が実施され,同年7月28日に特別防衛監察結果が公表されました(防衛省防衛監察本部HPの「防衛監察」参照)し,以下のとおり懲戒処分が実施されました。
① 黒江哲郎 事務次官:停職4日
② 岡部俊哉 陸上幕僚長:減給1か月(10分の1)
③ 堀切光彦 前陸上自衛隊中央即応集団副司令官:停職5日
④ 牛嶋 築 前陸上幕僚監部運用支援・情報部長:停職3日

⑤ 辰己昌良 統合幕僚監部総括官:停職2日

〇平成29年7月28日公表の「特別防衛監察結果報告」15頁及び16頁には,「第7 改善策」として以下の記載があります。
   防衛省・自衛隊として行政文書管理及び情報公開業務の適正な実施について努めているところであるが、これらについて十分に実施されていない状況が確認されたことから、改めて、以下の事項について徹底を図る必要がある。
1   適正な情報公開業務の実施
(1)   関係職員の意識向上を図るための教育等の徹底
   情報公開法に基づく開示請求に対し、指導的立場となる管理者を含め、情報公開業務を適正に実施するという意識が低かったことから、情報公開業務に対する意識を高めるような教育や研修を徹底する必要がある。
(2)   行政文書の不存在の際の入念な確認の徹底
   情報公開法に基づく開示請求に対し、行政文書としての日報が存在しつつも、これを十分に確認せず不存在としている状況や該当文書を個人資料と説明している状況が確認されたことから、過去に保有していたことが明らかな行政文書を不存在とする場合には、情報公開担当部署は、文書管理者等に対し、複数回の探索や探索範囲の拡大を実施させるとともに、文書の管理状況についても実際に確認するなど、「行政文書管理及び情報公開業務の適正な実施について(通達)」(防官文第11870号。24.9.6)に基づき、行政文書の確実な探索及び特定業務を徹底する必要がある。
(3)   情報公開業務に対するチェック機能の強化
   情報公開法に基づく開示請求に対し、行政文書としての日報の不存在や廃棄などの誤った判断や行為について、開示請求に係る手続の過程において是正することができなかったことから、特に不存在とした開示請求について、開示請求手続と関係のない立場の組織により、情報公開業務の検査等を実施するなど、チェック機能の強化を図る必要がある。
   なお、防衛監察本部においても、定期防衛監察を活用し、特に開示請求において不存在としている場合の手続の適正性を確認することなどにより、チェック機能の強化に努めるものとする。
2   適正な文書管理等の実施
(1)   文書管理情報等の適切な表示等
   日報が「用済み後破棄」として取り扱われていることについて、文書管理情報が表示されていないため取扱者に周知されていない状況、また、「用済み後破棄」という曖昧な保存期間満了日の設定により、日報の実態が把握されていない状況が確認されたことから、行政文書の状況が明確に把握できるよう措置する必要がある。
   また、日報が「注意文書」として取り扱われていることについて、「注意」の標記が表示されず、また、業務に関係のない多数の職員が閲覧及び取得できる状況であったことから、取扱区分を表示するとともに、配布に当たっては配布先を必要最小限にとどめるよう措置する必要がある。
(2)   複数部署において管理されている行政文書の管理要領の見直し
   日報は指揮システムの掲示板により、統幕、陸幕、陸自各部隊等の多数の部署により共有されているものの、各文書管理者により日報の管理状況が様々であり、日報の保有状況が不明確となっていることから、同一の行政文書を複数の文書管理者が保有する場合における責任を明確にするなど、行政文書の管理要領について見直す必要がある。