第1 衆議院の解散の回数と根拠
1 令和8年までに27回解散された
日本国憲法が施行された昭和22年5月3日以降,衆議院は27回解散された。
最初の解散は昭和23年12月23日,直近の解散は令和8年1月23日である。
この間の衆議院議員総選挙は,第24回(昭和24年1月23日)から第51回(令和8年2月8日)までの28回であり,任期満了による総選挙は昭和51年12月5日の第34回だけである。
以上は,衆議院の「衆議院議員総選挙一覧表」による。
昭和22年3月31日の解散は,大日本帝国憲法下の第92回帝国議会で行われたものであり,本記事の対象外とする。
本記事は,令和8年9月15日時点で確認した衆議院の資料,国会会議録及び首相官邸の記者会見録等に基づく。
各総選挙の党派別の当選者数は本記事では扱わない。
第44回以降の総選挙の結果は,総務省の「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調」で確認できる。
2 解散に関する憲法及び公職選挙法の規定
(1) 日本国憲法の規定
日本国憲法には,衆議院の解散に言及する規定として,7条3号,45条,54条及び69条がある。
7条は,天皇が内閣の助言と承認により行う国事に関する行為の一つとして,「衆議院を解散すること。」(3号)を掲げる。
45条は,「衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。」と定める。
54条1項は,「衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。」と定める。
69条は,「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」と定める。
(2) 公職選挙法の規定
公職選挙法31条3項は,「衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から四十日以内に行う。」と定める。
同条4項は,「総選挙の期日は、少なくとも十二日前に公示しなければならない。」と定める。
同法256条本文は,「衆議院議員の任期は、総選挙の期日から起算する。」と定める。
3 解散詔書の文言
(1) 第1回の解散詔書
昭和23年12月23日の第1回の解散では,内閣不信任決議案が可決された後,松岡駒吉議長が「衆議院において、内閣不信任の決議案を可決した。よつて内閣の助言と承認により、日本國憲法第六十九條及び第七條により、衆議院を解散する。」との詔書を朗読した(第4回国会衆議院本会議第21号)。
衆議院憲法審査会事務局の衆憲資第104号『「衆議院の解散」に関する資料』(令和7年5月。以下「衆憲資104号」という。)22頁~23頁によれば,当時,GHQ側は解散が69条所定の場合に限られると解し,日本政府側は7条のみを根拠として解散できると解していた。
そのため,野党が提出した内閣不信任決議案を可決させた上で解散するという妥協案が採られた。
(2) 第2回以降の解散詔書
第2回以降の解散詔書は,69条所定の場合に当たるかどうかを問わず,「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。」という文言である(衆憲資104号20頁)。
内閣不信任決議案が可決された後の昭和28年3月14日及び平成5年6月18日の解散でも,本会議で朗読された詔書はこの文言であったことが,各日の本会議録から確認できる。
衆憲資104号20頁の注58は,第2回の解散の際に,解散の理由にかかわらず詔書の直接の根拠は憲法7条であるから,将来はこれだけを引用することにしたという佐藤達夫の回想(ジュリスト217号17頁)を紹介している。
4 解散の効力と司法審査
昭和27年8月28日の解散(第2回)の効力を争った苫米地事件において,最高裁判所大法廷昭和35年6月8日判決(昭和30年(オ)第96号,民集14巻7号1206頁)は,次のとおり判示して上告を棄却した。
「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。」
同判決は,この理は,解散の効力が訴訟の前提問題として主張されている場合でも同様であるとした。
同判決の射程は,衆議院解散の司法審査――苫米地事件判決の射程で扱っている。
第2 解散一覧表
1 一覧表の見方
次の表は,衆議院の「衆議院議員総選挙一覧表」及び「国会会期一覧」,首相官邸の「歴代内閣」並びに国会会議録を照合して作成した。
「国会」欄は解散時の国会の回次及び種別,「総選挙」欄は解散に伴う総選挙の回次及び期日である。
「日数」欄は,解散の日から総選挙の期日までの日数(解散の日の翌日から数えた日数)である。
「主な呼称」欄の「〇〇解散」は法令上の名称ではなく,首相が記者会見で自ら付けた名称(「首相の命名」と表記した。)のほか,文献や報道で用いられてきた呼び名である。
呼称の出典は,第3の各項目に記載した。
2 令和及び平成の解散(第15回~第27回)
| 回 | 解散日 | 内閣 | 国会 | 総選挙 | 日数 | 主な呼称 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 27 | 令和8年1月23日 | 第1次高市内閣 | 第220回(常会) | 第51回(令和8年2月8日) | 16日 | - |
| 26 | 令和6年10月9日 | 第1次石破内閣 | 第214回(臨時会) | 第50回(令和6年10月27日) | 18日 | 日本創生解散(首相の命名) |
| 25 | 令和3年10月14日 | 第1次岸田内閣 | 第205回(臨時会) | 第49回(令和3年10月31日) | 17日 | - |
| 24 | 平成29年9月28日 | 第3次安倍内閣 | 第194回(臨時会) | 第48回(平成29年10月22日) | 24日 | 国難突破解散(首相の命名) |
| 23 | 平成26年11月21日 | 第2次安倍内閣 | 第187回(臨時会) | 第47回(平成26年12月14日) | 23日 | アベノミクス解散(首相の命名) |
| 22 | 平成24年11月16日 | 野田内閣 | 第181回(臨時会) | 第46回(平成24年12月16日) | 30日 | 近いうち解散 |
| 21 | 平成21年7月21日 | 麻生内閣 | 第171回(常会) | 第45回(平成21年8月30日) | 40日 | 政権選択解散 |
| 20 | 平成17年8月8日 | 第2次小泉内閣 | 第162回(常会) | 第44回(平成17年9月11日) | 34日 | 郵政解散(首相の命名) |
| 19 | 平成15年10月10日 | 第1次小泉内閣 | 第157回(臨時会) | 第43回(平成15年11月9日) | 30日 | マニフェスト解散,構造改革解散 |
| 18 | 平成12年6月2日 | 第1次森内閣 | 第147回(常会) | 第42回(平成12年6月25日) | 23日 | 神の国解散,ミレニアム解散 |
| 17 | 平成8年9月27日 | 第1次橋本内閣 | 第137回(臨時会) | 第41回(平成8年10月20日) | 23日 | 連立政権解散,小選挙区解散,新選挙制度解散 |
| 16 | 平成5年6月18日 | 宮澤内閣 | 第126回(常会) | 第40回(平成5年7月18日) | 30日 | 政治改革解散,嘘つき解散 |
| 15 | 平成2年1月24日 | 第1次海部内閣 | 第117回(常会) | 第39回(平成2年2月18日) | 25日 | 消費税解散 |
3 昭和の解散(第1回~第14回)
| 回 | 解散日 | 内閣 | 国会 | 総選挙 | 日数 | 主な呼称 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 14 | 昭和61年6月2日 | 第2次中曽根内閣 | 第105回(臨時会) | 第38回(昭和61年7月6日) | 34日 | 死んだふり解散,定数是正解散 |
| 13 | 昭和58年11月28日 | 第1次中曽根内閣 | 第100回(臨時会) | 第37回(昭和58年12月18日) | 20日 | 田中判決解散 |
| 12 | 昭和55年5月19日 | 第2次大平内閣 | 第91回(常会) | 第36回(昭和55年6月22日) | 34日 | ハプニング解散 |
| 11 | 昭和54年9月7日 | 第1次大平内閣 | 第88回(臨時会) | 第35回(昭和54年10月7日) | 30日 | 増税解散,一般消費税解散 |
| 10 | 昭和47年11月13日 | 第1次田中内閣 | 第70回(臨時会) | 第33回(昭和47年12月10日) | 27日 | 日中解散 |
| 9 | 昭和44年12月2日 | 第2次佐藤内閣 | 第62回(臨時会) | 第32回(昭和44年12月27日) | 25日 | 沖縄解散 |
| 8 | 昭和41年12月27日 | 第1次佐藤内閣 | 第54回(常会) | 第31回(昭和42年1月29日) | 33日 | 黒い霧解散 |
| 7 | 昭和38年10月23日 | 第2次池田内閣 | 第44回(臨時会) | 第30回(昭和38年11月21日) | 29日 | ムード解散,所得倍増解散,予告解散 |
| 6 | 昭和35年10月24日 | 第1次池田内閣 | 第36回(臨時会) | 第29回(昭和35年11月20日) | 27日 | 安保解散 |
| 5 | 昭和33年4月25日 | 第1次岸内閣 | 第28回(常会) | 第28回(昭和33年5月22日) | 27日 | 話し合い解散 |
| 4 | 昭和30年1月24日 | 第1次鳩山内閣 | 第21回(常会) | 第27回(昭和30年2月27日) | 34日 | 天の声解散 |
| 3 | 昭和28年3月14日 | 第4次吉田内閣 | 第15回(特別会) | 第26回(昭和28年4月19日) | 36日 | バカヤロー解散 |
| 2 | 昭和27年8月28日 | 第3次吉田内閣 | 第14回(常会) | 第25回(昭和27年10月1日) | 34日 | 抜き打ち解散 |
| 1 | 昭和23年12月23日 | 第2次吉田内閣 | 第4回(常会) | 第24回(昭和24年1月23日) | 31日 | なれあい解散 |
第10回と第11回の解散の間に行われた第34回総選挙(昭和51年12月5日)は,任期満了による総選挙である。
第3 各解散の概要
1 令和の解散(第25回~第27回)
(1) 第27回(令和8年1月23日)の解散
令和8年1月23日の解散は,第1次高市内閣が,同日召集された第220回国会(常会)の召集日に行ったものである。
同日の衆議院本会議では,額賀福志郎議長が「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。」との詔書を朗読した(第220回国会衆議院本会議第1号)。
常会の召集日に解散したのは,昭和41年12月27日の第8回の解散以来である。
第51回総選挙は令和8年2月8日に行われ,解散から16日後という,日本国憲法下で最も短い間隔となった。
高市早苗内閣総理大臣は,令和8年1月19日の記者会見で,「1月23日に、衆議院を解散する決断をいたしました。」と述べた。
同じ記者会見で,高市首相は,今回の選挙に「自分たちで未来をつくる選挙」という名称を付けた。
解散そのものについて定着した呼称は,本記事の調査の範囲では確認できなかった。
(2) 第26回(令和6年10月9日)の解散
令和6年10月9日の解散は,第1次石破内閣が第214回国会(臨時会)で行ったものである。
同日の衆議院本会議では,石破内閣不信任決議案の議題宣告後に解散が行われた(衆憲資104号21頁)。
額賀福志郎議長は,詔書の本文に続けて,御名御璽,日付及び内閣総理大臣の氏名まで朗読した(第214回国会衆議院本会議第4号)。
第50回総選挙は令和6年10月27日に行われた(解散から18日)。
石破茂内閣総理大臣は,同日の記者会見で,この解散を「日本創生解散」と呼んだ。
(3) 第25回(令和3年10月14日)の解散
令和3年10月14日の解散は,第1次岸田内閣が第205回国会(臨時会)で行ったものであり,大島理森議長が詔書を朗読した(第205回国会衆議院本会議第5号)。
第49回総選挙は令和3年10月31日に行われた(解散から17日)。
前回の第48回総選挙は平成29年10月22日であり,公職選挙法256条により任期を総選挙の期日から起算すると,解散がなければ任期は令和3年10月21日に満了していた計算になる。
全27回の日付を本記事で計算した限りでは,解散がなければ任期が満了していた日より後に総選挙が行われたのは,この第49回総選挙だけである。
岸田文雄内閣総理大臣は,同日の記者会見で「今回の選挙は未来選択選挙です。」と述べた(データベース「世界と日本」所収の首相官邸の会見録)。
解散そのものについて定着した呼称は,本記事の調査の範囲では確認できなかった。
2 平成の解散(第15回~第24回)
(1) 第24回(平成29年9月28日)の解散
平成29年9月28日の解散は,第3次安倍内閣が,同日召集された第194回国会(臨時会)の召集日に行ったものである(第194回国会衆議院本会議第1号)。
第48回総選挙は平成29年10月22日に行われた(解散から24日)。
安倍晋三内閣総理大臣は,同月25日の記者会見で「28日に、衆議院を解散いたします。」と述べ,この解散を「国難突破解散」と呼んだ(データベース「世界と日本」所収の首相官邸の会見録)。
(2) 第23回(平成26年11月21日)の解散
平成26年11月21日の解散は,第2次安倍内閣が第187回国会(臨時会)で行ったものである。
伊吹文明議長は,詔書の本文に続けて,御名御璽,日付及び内閣総理大臣の氏名まで朗読した(第187回国会衆議院本会議第16号)。
第47回総選挙は平成26年12月14日に行われた(解散から23日)。
安倍晋三内閣総理大臣は,同日の記者会見で「本日、衆議院を解散いたしました。」と述べ,この解散を「アベノミクス解散」と呼んだ(データベース「世界と日本」所収の首相官邸の会見録)。
(3) 第22回(平成24年11月16日)の解散
平成24年11月16日の解散は,野田内閣が第181回国会(臨時会)で行ったものである(第181回国会衆議院本会議第6号)。
第46回総選挙は平成24年12月16日に行われた(解散から30日)。
野田佳彦内閣総理大臣は,同月14日の党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)で,「私は今週末の十六日に解散をしてもいいと思っております。」と述べていた(会議録)。
解散前日の参議院財政金融委員会では,野田首相が同年8月8日に近いうちに解散をすると確約して以来の経過を「近いうち解散」と呼ぶ質問があった(会議録)。
一票の格差との関係は,一票の格差是正前でも衆議院を解散できるか―政府答弁・裁判例と平成24年の実例で扱っている。
(4) 第21回(平成21年7月21日)の解散
平成21年7月21日の解散は,麻生内閣が第171回国会(常会)で行ったものである(第171回国会衆議院本会議第47号)。
その前の同月14日には,衆議院で麻生内閣不信任決議案が否決され,参議院で内閣総理大臣麻生太郎君問責決議案が可決されていた(衆憲資104号21頁)。
第45回総選挙は平成21年8月30日に行われ,解散から40日後という,憲法54条1項の上限の間隔となった。
「政権選択解散」の呼称は,nippon.comの一覧による。
(5) 第20回(平成17年8月8日)の解散
平成17年8月8日の解散は,第2次小泉内閣が第162回国会(常会)で行ったものである。
同日,参議院本会議で郵政民営化関連の6法案が否決された(投票総数233票,賛成108票,反対125票,第162回国会参議院本会議第35号)。
衆議院では,小泉内閣不信任決議案の議題宣告後に解散が行われた(衆憲資104号21頁,第162回国会衆議院本会議第39号)。
衆憲資104号18頁によれば,小泉純一郎内閣総理大臣は,解散に反対した島村宜伸農林水産大臣を罷免して閣議決定に及んだ。
第44回総選挙は平成17年9月11日に行われた(解散から34日)。
小泉首相は,同日の記者会見で「言わば、今回の解散は郵政解散であります。」と述べた(データベース「世界と日本」所収の首相官邸の会見録)。
(6) 第19回(平成15年10月10日)の解散
平成15年10月10日の解散は,第1次小泉内閣が第157回国会(臨時会)で行ったものである(第157回国会衆議院本会議第5号)。
第43回総選挙は平成15年11月9日に行われた(解散から30日)。
「マニフェスト解散」及び「構造改革解散」の呼称は,nippon.comの一覧による。
(7) 第18回(平成12年6月2日)の解散
平成12年6月2日の解散は,第1次森内閣が第147回国会(常会)で行ったものであり,森内閣不信任決議案の議題宣告後に解散が行われた(衆憲資104号21頁,第147回国会衆議院本会議第39号)。
第42回総選挙は平成12年6月25日に行われた(解散から23日)。
「神の国解散」及び「ミレニアム解散」の呼称は,nippon.comの一覧による。
(8) 第17回(平成8年9月27日)の解散
平成8年9月27日の解散は,第1次橋本内閣が,同日召集された第137回国会(臨時会)の召集日に行ったものであり,土井たか子議長が詔書を朗読した(第137回国会衆議院本会議第1号)。
第41回総選挙は平成8年10月20日に行われた(解散から23日)。
藤本一美『衆議院の「解散・総選挙」―解散の特色と「類型」―』(政経論叢68巻2・3号。以下「藤本論文」という。)188頁は,この総選挙を小選挙区比例代表並立制による最初の選挙と説明している。
「連立政権解散」の呼称は藤本論文197頁の表,「小選挙区解散」及び「新選挙制度解散」の呼称はnippon.comの一覧による。
(9) 第16回(平成5年6月18日)の解散
平成5年6月18日の解散は,宮澤内閣が第126回国会(常会)で行ったものである。
同日,宮澤内閣不信任決議案が可決され(投票総数475,可とする者255,否とする者220,第126回国会衆議院本会議第34号),一旦休憩となり,再開後に解散が行われた(衆憲資104号21頁)。
第40回総選挙は平成5年7月18日に行われた(解散から30日)。
「政治改革解散」の呼称は藤本論文197頁及びnippon.comの一覧,「嘘つき解散」の呼称はnippon.comの一覧による。
(10) 第15回(平成2年1月24日)の解散
平成2年1月24日の解散は,第1次海部内閣が第117回国会(常会)で行ったものである(第117回国会衆議院本会議第3号)。
第39回総選挙は平成2年2月18日に行われた(解散から25日)。
「消費税解散」の呼称は,藤本論文197頁の表による。
3 昭和の解散(第1回~第14回)
(1) 第14回(昭和61年6月2日)の解散
昭和61年6月2日の解散は,第2次中曽根内閣が,同日召集された第105回国会(臨時会)の召集日に行ったものである。
この解散は,召集日に会議を開くに至らないまま行われ,議長応接室で詔書が朗読された(衆憲資104号21頁)。
同日の会議録には,詔書が伝達された旨だけが記載されている(第105回国会衆議院本会議第1号)。
第38回総選挙は昭和61年7月6日に行われた(解散から34日)。
「死んだふり解散」の呼称はnippon.comの一覧,「定数是正解散」の呼称は藤本論文197頁の表による。
国会では,この解散を「寝たふり解散」と呼ぶ発言(昭和62年5月19日の参議院予算委員会)や,「うそつき解散」と呼ぶ発言(平成元年11月15日の参議院税制問題等に関する特別委員会)もあった。
(2) 第13回(昭和58年11月28日)の解散
昭和58年11月28日の解散は,第1次中曽根内閣が第100回国会(臨時会)で行ったものであり,中曽根内閣不信任決議案の議題宣告後に解散が行われた(衆憲資104号21頁,第100回国会衆議院本会議第12号)。
第37回総選挙は昭和58年12月18日に行われた(解散から20日)。
「田中判決解散」の呼称は,藤本論文197頁の表による。
(3) 第12回(昭和55年5月19日)の解散
昭和55年5月16日,大平内閣不信任決議案が可決された(投票総数430,可とする者243,否とする者187,第91回国会衆議院本会議第25号)。
第2次大平内閣は,その3日後の同月19日,第91回国会(常会)で解散を行い,詔書は議長応接室で朗読された(衆憲資104号21頁)。
第36回総選挙は昭和55年6月22日に行われた(解散から34日)。
藤本論文196頁は,自民党の反主流派が同調して欠席したため不信任決議案が可決され,予想外の出来事であったことから,この解散が「ハプニング解散」と呼ばれたと説明している。
同頁は,選挙運動期間中に大平首相が急死し,初の衆参同日選挙となったことも記述している。
(4) 第11回(昭和54年9月7日)の解散
昭和54年9月7日の解散は,第1次大平内閣が第88回国会(臨時会)で行ったものであり,大平内閣不信任決議案の議題宣告後に解散が行われた(衆憲資104号21頁,第88回国会衆議院本会議第5号)。
第35回総選挙は昭和54年10月7日に行われた(解散から30日)。
「増税解散」の呼称は藤本論文197頁の表及びnippon.comの一覧,「一般消費税解散」の呼称はnippon.comの一覧による。
(5) 第10回(昭和47年11月13日)の解散
昭和47年11月13日の解散は,第1次田中内閣が第70回国会(臨時会)で行ったものである(第70回国会衆議院本会議第6号)。
第33回総選挙は昭和47年12月10日に行われた(解散から27日)。
「日中解散」の呼称は,藤本論文197頁の表による。
(6) 第9回(昭和44年12月2日)の解散
昭和44年12月2日の解散は,第2次佐藤内閣が第62回国会(臨時会)で行ったものである(第62回国会衆議院本会議第3号)。
第32回総選挙は昭和44年12月27日に行われた(解散から25日)。
藤本論文199頁は,いわゆる「沖縄解散」を,佐藤首相が米国大統領との間で沖縄返還に合意した外交成果を問うものであったと説明している。
(7) 第8回(昭和41年12月27日)の解散
昭和41年12月27日の解散は,第1次佐藤内閣が,同日召集された第54回国会(常会)の召集日に行ったものである(第54回国会衆議院本会議第1号)。
第31回総選挙は昭和42年1月29日に行われた(解散から33日)。
「黒い霧解散」の呼称は藤本論文197頁の表によるものであり,総選挙後の昭和42年3月16日の衆議院本会議の代表質問でも「先般の黒い霧解散」との言及がある(会議録)。
(8) 第7回(昭和38年10月23日)の解散
昭和38年10月23日の解散は,第2次池田内閣が第44回国会(臨時会)で行ったものである(第44回国会衆議院本会議第5号)。
第30回総選挙は昭和38年11月21日に行われた(解散から29日)。
「ムード解散」の呼称は藤本論文197頁の表,「所得倍増解散」及び「予告解散」の呼称はnippon.comの一覧による。
(9) 第6回(昭和35年10月24日)の解散
昭和35年10月24日の解散は,第1次池田内閣が第36回国会(臨時会)で行ったものであり,中村高一副議長が詔書を朗読した(第36回国会衆議院本会議第5号)。
第29回総選挙は昭和35年11月20日に行われた(解散から27日)。
「安保解散」の呼称は,藤本論文197頁の表による。
(10) 第5回(昭和33年4月25日)の解散
昭和33年4月25日の解散は,第1次岸内閣が第28回国会(常会)で行ったものであり,岸内閣不信任決議案の討論中に解散が行われた(衆憲資104号21頁,第28回国会衆議院本会議第36号)。
第28回総選挙は昭和33年5月22日に行われた(解散から27日)。
藤本論文199頁は,岸首相と鈴木茂三郎社会党委員長が話し合った上で予算成立後に解散されたことから,この解散が「話し合い解散」と称されていると説明している。
解散前の同月18日の参議院内閣委員会で,岸信介内閣総理大臣は,「予告解散と申しますか、そういう事態になると思います。」と答弁していた(会議録)。
(11) 第4回(昭和30年1月24日)の解散
昭和30年1月24日の解散は,第1次鳩山内閣が第21回国会(常会)で行ったものである。
松永東議長は,内閣総理大臣からの伝達書に続けて,詔書の本文,御名御璽,日付及び内閣総理大臣の氏名まで朗読した(第21回国会衆議院本会議第9号)。
第27回総選挙は昭和30年2月27日に行われた(解散から34日)。
藤本論文198頁は,鳩山首相が「解散は天の声」と述べて解散を断行したことを,「天の声解散」の例として紹介している。
(12) 第3回(昭和28年3月14日)の解散
昭和28年3月14日,吉田内閣不信任決議案が可決された(投票総数447,可とする者229,否とする者218,第15回国会衆議院本会議第41号)。
第4次吉田内閣は,一旦休憩となった後の再開後,同日のうちに第15回国会(特別会)で解散を行った(衆憲資104号21頁)。
大野伴睦議長が朗読した詔書は,「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。」という文言であった(同号)。
第26回総選挙は昭和28年4月19日に行われた(解散から36日)。
藤本論文196頁は,「バカヤロウ解散」との表記で,衆議院予算委員会で吉田首相が質問中の西村栄一議員に向けた発言をきっかけに野党が内閣不信任決議案を提出し,可決されたと説明している。
(13) 第2回(昭和27年8月28日)の解散
昭和27年8月28日の解散は,第3次吉田内閣が第14回国会(常会)で行ったものである。
同国会は同月26日に召集されており,会期は3日で終わった(衆議院「国会会期一覧」)。
この解散は会議が開かれない日に行われ,議長応接室で詔書が朗読された(衆憲資104号21頁)。
第25回総選挙は昭和27年10月1日に行われた(解散から34日)。
藤本論文198頁は,国会召集後わずか3日目であったことから「抜き打ち解散」と称されたと説明している。
同年11月26日の衆議院本会議では,吉田茂内閣総理大臣自身が,質問者の指摘を引いて「衆議院の抜き打ち解散のやり方」に言及して答弁している(会議録)。
この解散の効力が争われたのが,第1の4の苫米地事件である。
(14) 第1回(昭和23年12月23日)の解散
昭和23年12月23日,片山哲議員ほか14名が提出した内閣不信任決議案が可決された(投票総数357,可とする者227,否とする者130,第4回国会衆議院本会議第21号)。
第2次吉田内閣は,同日,第4回国会(常会)で解散を行い,詔書は憲法69条及び7条を掲げていた(第1の3)。
第24回総選挙は昭和24年1月23日に行われた(解散から31日)。
衆憲資104号21頁及び22頁は,この解散を「なれあい解散」と呼んでいる。
第4 解散をめぐる記録と類型
1 解散から総選挙までの日数
(1) 日数が短い例
①令和8年1月23日の解散(第51回総選挙):16日
②令和3年10月14日の解散(第49回総選挙):17日
③令和6年10月9日の解散(第50回総選挙):18日
④昭和58年11月28日の解散(第37回総選挙):20日
令和の3回の解散は,いずれも20日を下回っている。
公職選挙法31条4項により,総選挙の期日は少なくとも12日前に公示しなければならない。
(2) 日数が長い例
①平成21年7月21日の解散(第45回総選挙):40日
②昭和28年3月14日の解散(第26回総選挙):36日
③昭和27年8月28日,昭和30年1月24日,昭和55年5月19日,昭和61年6月2日及び平成17年8月8日の各解散:34日
憲法54条1項及び公職選挙法31条3項により,総選挙は解散の日から40日以内に行わなければならないから,平成21年の40日は上限どおりの間隔である。
2 召集日の解散
国会の召集日に解散が行われたのは,次の5回である(衆議院「国会会期一覧」ではいずれも会期が1日となっている。)。
①昭和41年12月27日(第54回国会・常会,第1次佐藤内閣)
②昭和61年6月2日(第105回国会・臨時会,第2次中曽根内閣)
③平成8年9月27日(第137回国会・臨時会,第1次橋本内閣)
④平成29年9月28日(第194回国会・臨時会,第3次安倍内閣)
⑤令和8年1月23日(第220回国会・常会,第1次高市内閣)
このうち常会の召集日の解散は,昭和41年と令和8年の2回である。
国会では,召集直後の解散を「冒頭解散」と呼ぶ発言もあり,令和8年3月31日の参議院文教科学委員会では,第220回国会の解散がそのように呼ばれている(会議録)。
3 会議が開かれない日に詔書が伝達された解散
衆憲資104号18頁によれば,解散詔書が衆議院に伝達されたとき,衆議院が会議中であれば議長は直ちに議事を中止して詔書を朗読し,会議が開かれない日に伝達されたときは,議長は議長応接室に各会派の代表を集めて詔書を朗読する。
議長応接室で詔書が朗読されたのは,昭和27年8月28日,昭和55年5月19日及び昭和61年6月2日の3回である(衆憲資104号21頁)。
衆憲資104号21頁は,令和6年までの解散がいずれも会期中に行われたとしており,令和8年の解散も会期中(召集日)に行われた。
閉会中の解散の可否については,閉会中の衆議院解散は可能か―昭和54年の内閣法制局長官答弁と先例で扱っている。
4 内閣不信任決議案と解散
(1) 不信任決議案の可決後の解散
内閣不信任決議案が可決された後の解散は,次の4回である(衆憲資104号20頁・21頁)。
①昭和23年12月23日(第2次吉田内閣):可とする者227,否とする者130
②昭和28年3月14日(第4次吉田内閣):可とする者229,否とする者218
③昭和55年5月19日(第2次大平内閣,可決は同月16日):可とする者243,否とする者187
④平成5年6月18日(宮澤内閣):可とする者255,否とする者220
票数は,各日の衆議院本会議録による。
第1回の詔書だけが69条を掲げており,第2回以降の詔書はいずれも7条だけを掲げている(第1の3)。
(2) 不信任決議案の審議中の解散
衆憲資104号21頁によれば,昭和33年4月25日の解散は岸内閣不信任決議案の討論中に行われた。
昭和54年9月7日,昭和58年11月28日,平成12年6月2日,平成17年8月8日及び令和6年10月9日の解散は,内閣不信任決議案の議題宣告後に行われた。
平成21年7月21日の解散の前には,同月14日に内閣不信任決議案が否決されていた。
5 詔書の朗読と「万歳」
本会議で詔書が朗読された解散について,会議録は議場の様子を記録している。
昭和23年から昭和33年までの朗読では,万歳と呼ぶ者があった旨が記録されている。
昭和35年から昭和47年までの朗読では「万歳三唱、拍手」,昭和54年以降の朗読では「万歳、拍手」と記録されている。
会議録上,議長が詔書の本文に続けて御名御璽及び日付まで朗読したことが記録されているのは,昭和28年,昭和30年,平成26年及び令和6年の4回である。
これ以外の解散では,会議録上,朗読された詔書は本文だけである。
6 「〇〇解散」という呼称の性格
「〇〇解散」という呼称は法令上の名称ではなく,衆憲資104号も「いわゆる「なれあい解散」」のように,「いわゆる」を付して用いている。
首相自身が記者会見で解散に名称を付けた例として,平成17年の「郵政解散」,平成26年の「アベノミクス解散」,平成29年の「国難突破解散」及び令和6年の「日本創生解散」がある。
令和3年と令和8年は,首相が解散ではなく選挙に名称を付けた(「未来選択選挙」及び「自分たちで未来をつくる選挙」)。
文献や報道の呼称は一つに定まらない。
例えば,昭和61年の解散は「死んだふり解散」,「寝たふり解散」及び「定数是正解散」,平成8年の解散は「連立政権解散」,「小選挙区解散」及び「新選挙制度解散」と呼ばれている。
nippon.comの一覧は平成5年の解散の呼称に「嘘つき解散」を含めているが,本記事で確認した国会会議録上の「うそつき解散」の用例は,昭和61年の解散を指すものであった。
また,nippon.comの一覧は「予告解散」を昭和38年の解散の呼称として掲げる一方,国会会議録では,昭和33年4月18日に岸首相が同年の解散について「予告解散と申しますか」と答弁している(第3の3)。
7 国民審査の回数との関係
憲法79条2項は,「裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」と定める。
令和8年2月8日の最高裁判所裁判官国民審査は第27回とされており(静岡県の「第27回最高裁判所裁判官国民審査審査対象裁判官情報」),日本国憲法下の解散の回数と同じ27回である。
日本国憲法下の総選挙は28回であるから,国民審査を伴わなかった総選挙が1回あることになる。
国民審査の制度は,最高裁判所裁判官国民審査とは-投票方法・白票・罷免要件・審査公報・在外投票で扱っている。
第5 関連記事
①衆議院の解散―憲法上の根拠,手続及び先例
②衆議院解散の司法審査――苫米地事件判決の射程
③衆議院の解散に関する内閣答弁書―解散権の根拠・限界と令和8年までの政府見解
④閉会中の衆議院解散は可能か―昭和54年の内閣法制局長官答弁と先例
⑤一票の格差是正前でも衆議院を解散できるか―政府答弁・裁判例と平成24年の実例
⑥任期満了により衆議院議員が失職した場合における,参議院の緊急集会の開催の可否
⑦衆議院議員総選挙における,一票の格差に関する最高裁判決の一覧(昭和時代及び平成時代)
⑧最高裁判所裁判官国民審査とは-投票方法・白票・罷免要件・審査公報・在外投票
⑨令和8年2月8日執行の第27回最高裁判所裁判官国民審査
⑩国会回次別の制定法律一覧と法律の調べ方
⑪平成29年9月28日付の衆議院解散の閣議書(Xへの投稿)
第6 出典
1 法令
①e-Gov法令検索「日本国憲法」7条,45条,54条,69条及び79条
②e-Gov法令検索「公職選挙法」31条及び256条
2 裁判例
①最高裁判所大法廷昭和35年6月8日判決(昭和30年(オ)第96号,衆議院議員資格並びに歳費請求事件,民集14巻7号1206頁,裁判所ウェブサイト)
3 国会・政府資料
①衆議院「衆議院議員総選挙一覧表」及び「国会会期一覧」
②衆議院憲法審査会事務局衆憲資第104号『「衆議院の解散」に関する資料』18頁及び20頁~23頁(PDF22頁及び24頁~27頁,令和7年5月)
③衆議院法制局・衆議院憲法審査会事務局『「衆議院の解散」に関する資料』15頁(令和7年5月8日)
④国会会議録検索システムで確認した各会議録(本文中にリンクを掲げた。)
⑤首相官邸「歴代内閣」
⑥首相官邸令和8年1月19日高市内閣総理大臣記者会見及び令和6年10月9日石破内閣総理大臣記者会見
⑦データベース「世界と日本」(政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所)所収の首相官邸の記者会見録(平成17年8月8日,平成26年11月21日,平成29年9月25日及び令和3年10月14日)
⑧総務省「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調」
⑨静岡県「第27回最高裁判所裁判官国民審査審査対象裁判官情報」
4 文献等
①藤本一美『衆議院の「解散・総選挙」―解散の特色と「類型」―』政経論叢68巻2・3号(明治大学政治経済研究所)187頁~210頁のうち188頁及び196頁~199頁
②nippon.com「衆議院解散と過去の選挙一覧」(平成26年11月18日公開,令和8年1月に表部分を更新,令和6年の解散まで掲載)