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民事事件の判決原本の国立公文書館への移管(AIリライト)

民事事件の判決原本は,戦前から一貫して永久保存の対象とされてきたが,平成4年の規程改正によって一時は50年で廃棄される方針に転換され,これに反対する保存運動を経て,現在は国立公文書館へ移管される仕組みが確立している。この記事では,判決原本の永久保存原則がどのように維持・変更され,どのような経路で国立公文書館に移管されるに至ったかを,制定年月日・法令番号とともに時系列で整理する。あわせて,令和に入って発覚した裁判記録の大量廃棄問題が,この移管の枠組みそのものにどのような影響を及ぼしたかについても扱う。

第1 判決原本の永久保存原則とその起点

裁判所が作成する判決原本を永久に保存するという考え方は,昭和になって生まれたものではない。明治18年10月24日の大審院並裁判所書類保存規程(司法省丁第21号達)の段階で,既に民事・刑事の判決の言渡書及び命令書は永久保存とされ,事件記録本体だけが有期保存とされていた。この規程は大正7年の民刑訴訟記録保存規程(司法省法務局庶第7号訓令)によって全面改定されたが,本案に関する判決の原本を永久保存とする原則自体は引き継がれ,同規程40条には史料又は後日の参考となる重要な事件記録を保存期間満了後も保存する旨の規定も置かれていた。これらの規程の詳細な条文・保存期間及び当時の裁判所名称の変遷については,戦前の裁判文書の保存で扱っている。

最高裁判所は,昭和29年1月1日,事件記録等保存規程(昭和28年12月5日最高裁判所規程第9号)を施行した。同規程の下でも,民事事件の判決原本は引き続き永久保存とされている。

最高裁判所は,昭和40年1月1日,事件記録等保存規程(昭和39年12月12日最高裁判所規程第8号)を施行した。この規程でも,民事事件の判決原本は引き続き永久保存とされた。もっとも,同規程9条2項は「記録又は事件書類で史料又は参考記録となるべきものは,保存期間満了の後も保存しなければならない」として,史料としての特別保存義務を明文で定めていたにもかかわらず,この規定はほとんど適用されなかった。この運用の消極性は,後に見るとおり,令和に入ってから重要な裁判記録の廃棄が相次いで発覚する遠因となった。

第2 判決原本廃棄方針の撤回と国立十大学法学部への一時保管(平成6・7年)

最高裁判所は,平成4年1月23日,事件記録等保存規程を改正し,平成6年1月1日以降,判決確定から50年を経過した判決原本(=昭和18年12月31日までに確定した判決原本)を随時廃棄することを決定した。その例外として,事件記録等保存規程の運用について(平成4年2月7日付の最高裁判所事務総長の依命通達)をもって,特別保存に付するものの運用の基準が定められた。

しかし,判決原本の廃棄を憂慮する国立大学法学部教授等がこれに反対する運動を起こした。中心となったのは林屋礼二・東北大学名誉教授を代表とする有志の団体で,8高裁所在地の国立大学法学部が分担してその管内の判決原本を一時的に保管するという構想が示された。この運動には,日本学術会議や日本弁護士連合会からの要望も加わり,最高裁判所への働きかけが続けられた結果,平成5年12月,まさに廃棄が始まる直前のタイミングで,最高裁判所は当面の廃棄を見合わせ,国立十大学法学部への移管を決定するに至った。

その結果,平成6年から平成7年にかけて,高等裁判所所在地の10の国立大学法学部(北海道大学,東北大学,東京大学,名古屋大学,大阪大学,岡山大学,広島大学,香川大学,九州大学及び熊本大学)に移管作業が実施され,各大学で一時保管されることとなった。移管された簿冊は約36,000冊余り,厚さにして約2,200メートル,宅配便の箱に換算すると約6,500箱という規模であった。この保存運動の過程では,議員立法による解決を検討する国会議員の動きや,読売新聞(平成8年8月9日付社説)・朝日新聞(平成8年8月20日付社説)による社説での後押しもあったことが,運動の当事者であった青山善充・元東京大学教授の回顧録に記されている。

最高裁総務局・人事局各課長,参事官を囲む座談会(平成6年6月3日開催)でも,次の発言が残されている。

平成四年一月二三日、事件記録等保存規程の一部が改正され、永久保存とされていた判決原本の保存期間が五〇年とされました。また、平成四年二月七日付最高裁総三第八号事務総長依命通達「事件記録等保存規程の運用について」において、五〇年を超えて保存されている判決原本を直ちに廃棄することはせず、平成六年一月一日以降に廃棄を行うこととなりました。判決原本の永久保存を廃止したのは、多くの裁判所において保存期間五〇年を経過した判決原本が相当の分量になり(保存期間五〇年を経過した判決原本の厚さは、例えば、東京地裁、大阪地裁では、百数十メートルに及んでいる。)、記録庫が狭隘になったこと等の理由によります。

第3 国立公文書館への移管の実現(平成12年度〜23年度)

国立大学法学部への一時保管は,あくまで廃棄を回避するための暫定措置であり,恒久的な保存先を確保する取組みは,国立公文書館法(平成11年6月15日成立,同月23日公布,法律第79号)の制定を契機に進んだ。国立公文書館法及びその後の公文書等の管理に関する法律の制定に至る経緯,並びに国立公文書館の組織及び機能の概要については,公文書管理に関する経緯,公文書館に関連する法律及び国立公文書館で扱っている。同法の成立を受け,国立公文書館,国立大学及び日本弁護士連合会の関係三者間で協議が行われ,平成12年5月31日,段階的に国立公文書館へ移管することについて三者間で合意が成立した。この合意を受けて,内閣総理大臣官房審議官と文部省高等教育局長とが共同で,平成12年9月26日,「国立大学が保管する民事判決原本の総理府(国立公文書館)への移管及び受入れに関する取扱方針」を定め,平成12年度から12か年計画で移管を行うというスケジュールが示された。

各大学からの搬入は,管轄する高等裁判所の管内ごとに順次進められた。国立公文書館デジタルアーカイブの目録によれば,東北大学分は平成12年度及び22年度,北海道大学・岡山大学分は平成13年度及び22年度,名古屋大学分は平成14年度及び22年度,九州大学分は平成15年度及び22年度,東京大学分は平成16・17・22年度,大阪大学分は平成18・19年度,香川大学分は平成19年度及び22年度,広島大学分は平成20・21年度,熊本大学分は平成21年度及び22年度に,それぞれ搬入が完了した。当初の12か年計画を1年前倒しし,国立公文書館は平成23年3月4日までに36,624冊の民事判決原本を受け入れ,これによって国立大学からの移管は完了した。国立公文書館は,同年7月8日,昭和18年までの民事判決原本の目録を公開し,国立公文書館デジタルアーカイブからの検索が可能となった。なお,刑事の判決原本については,法務省の各地方検察庁から,旧刑法(明治13年)以前のものに限って移管されている。

第4 移管された判決原本の目録公開と学術的な活用

国立公文書館デジタルアーカイブでは,移管された民事判決原本が,札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・高松・福岡の各高等裁判所管内ごと,及び民事訴訟法成立(明治23年)以前の分の合計9資料群に分けて公開されており,事件当事者名や年代を手がかりに個別の簿冊を検索することができる。

これとは別に,国立大学に一時保管されていた明治初年から明治23年末までの民事判決原本については,国際日本文化研究センター(日文研)が中心となり,1997年度から2006年度までの10年間にわたって全文画像データベースの構築作業が進められた。この事業は,文部省(当時)科学研究費補助金による研究プロジェクトとして,当初は石井紫郎・日文研教授,後に合庭惇・同教授が研究代表を務めた。原本を1丁ずつ解綴してカラー画像として取り込み,当事者名・裁判年月日・裁判所名等を検索できるようにしたもので,現在は54万件を超えるデータを収録している。このデータベースは利用に事前の申請を要するものの,明治期の民事訴訟制度や地域社会の紛争史を研究する法制史研究において実際に活用されており,例えば川口由彦『帝都の法社会史―明治日本の執達吏・勧解吏・代言人群像―』(日本評論社,2023年)でも,執達吏・勧解吏として登用された人物の経歴を裏付ける史料として多数引用されている。

第5 保存期間満了後の民事判決書等の継続的な移管

最高裁判所長官及び内閣総理大臣は,平成21年8月5日,「歴史資料として重要な公文書等の適切な保存のために必要な措置について」という申合せをした(改正前の国立公文書館法15条1項参照)。これにより,歴史資料として重要な判決書等の裁判文書について保存期間が満了した場合,国立公文書館に移管されることとなった。この申合せに基づく国立公文書館への移管は,判決原本を含む「裁判文書」だけでなく,決裁文書等の「司法行政文書」についても別途行われており,後者の移管の経緯及び現状については,司法行政文書の国立公文書館への移管で扱っている。

この枠組みに基づき,最高裁判所及び全国の下級裁判所は,平成21年度に明治8年から昭和30年12月31日までに完結した民事判決原本及び特別保存とされていた事件記録を移管したのを皮切りに,平成25年度から平成29年度にかけて昭和37年12月31日までに完結した分を,平成30年度から令和4年度にかけて保存終了の日が平成29年12月31日以前の分を,順次移管してきた。最高裁判所の令和4年度概算要求書(説明資料)によれば,令和4年度の移管簿冊数は約4,100冊が予定されていた。移管の実務では,梱包資材を用いて梱包の上,郵送等により国立公文書館つくば分館に送付する取扱いがとられている。

移管の対象となる裁判文書は,事件記録等保存規程10条に基づき,(1)民事事件の判決の原本及びその附属書類で保存期間が満了したもの,(2)史料又は参考資料となるべきものとして特別保存に付されている民事事件の記録及び事件書類(判決原本を除く)の2種類に分けられている。このうち(1)の判決原本は,特別保存に付する認定の有無にかかわらず,保存期間が満了すれば機械的に国立公文書館へ送付の対象となる点で,個別の認定を要する(2)の記録等とは仕組みが異なる。

第6 令和の記録廃棄問題と特別保存の枠組みの全面改正

令和に入り,この移管の前提となる特別保存制度そのものの運用が大きく揺らぐ出来事が続いた。平成31年2月,東京地方裁判所が,重要な憲法判断が示された民事事件の記録を複数廃棄していたことが判明した。東京弁護士会LIBRA(2021年4月号)に寄せられた清水勉弁護士の報告によれば,令和元年8月5日付信濃毎日新聞朝刊(澤康臣記者〔当時共同通信〕執筆)が,朝日訴訟,八幡製鉄政治献金事件,三菱樹脂事件,マクリーン事件,レペタ事件(法廷メモ訴訟),在外邦人選挙権制限違憲訴訟及び国籍法違憲訴訟の各記録が廃棄されていたことを報じている。最高裁判所は同年11月18日,全国の裁判所に対して事件記録等の廃棄保留を指示する事務連絡を発出した。

これを受け,東京地方裁判所は令和2年2月18日,特別保存(当時の事件記録等保存規程9条2項に基づく,いわゆる2項特別保存)の運用要領を策定し,これが参考例として全国の裁判所に周知された。この周知をきっかけとした全国的な保存状況の確認作業の中で,令和3年4月,松山地方裁判所において,保存期間5年を経過し既に廃棄したとされていた「愛媛玉串料訴訟」(最高裁判所大法廷判決・平成9年4月2日)の事件記録が,実際には保存されていることが判明した。

日本弁護士連合会は,令和3年8月25日,荒中会長名で会長談話を発表し,全ての裁判所に対して歴史資料や学術資料として重要な民事事件の記録の保存状況を確認することを求めるとともに,2項特別保存の指定を適切に行い,保存される訴訟記録が公文書管理法及び事件記録等保存規程10条に基づき国立公文書館に確実に移管されるよう強く求めた。その後,令和4年10月には,神戸連続児童殺傷事件の少年審判記録が神戸家庭裁判所により廃棄されていたことも判明し,社会の耳目を集めた。最高裁判所事務総局は,これらの一連の問題を重く受け止め,弁護士2名,神戸連続児童殺傷事件被害者遺族の土師守氏,宍戸常寿・東京大学教授,奥山俊宏・上智大学教授(元朝日新聞編集委員),高埜利彦・学習院大学名誉教授(アーカイブズ学)の6名からなる有識者委員会の意見を聴いた上で,令和5年5月25日,「裁判所の記録の保存・廃棄の在り方に関する調査報告書」を公表し,国民に謝罪した。同報告書によれば,2項特別保存の件数は,各庁が運用要領を策定する前の約50年間ではわずか332件にとどまっていたのに対し,運用要領策定後の約2年間では1,035件に急増しており,昭和40年の規程施行以来続いていた消極的な運用の実態が,数字の上でも裏付けられた。

この調査報告書を踏まえ,最高裁判所は令和5年11月22日,「事件記録等の特別保存に関する規則」(令和5年最高裁判所規則第9号)を制定するとともに,事件記録等保存規程及び少年調査記録規程を改正した(令和5年12月25日公布,令和6年1月30日施行)。これにより,記録を国民共有の財産として保存する意義を明記した理念規定が新設され,法律又は公文書管理の専門家6名からなる常設の第三者委員会「記録の保存の在り方に関する委員会」が最高裁判所に設置されるとともに,裁判所の長が特別保存に付さない認定をしようとする場合には同委員会の意見を求めることが義務付けられた。従来「1項特別保存」「2項特別保存」と呼び分けられていた枠組みは,この改正により「特別保存」に一本化されている。この新しい制度の対象事件・認定手続・保存要望の具体的な進め方については,令和6年全国統一運用・裁判所の特別保存制度で扱っている。

もっとも,この記事の主題である民事判決原本を内閣総理大臣(国立公文書館)へ移管する根拠規定は,改正後の事件記録等保存規程10条にもほぼ同内容のまま引き継がれており,判決原本が特別保存の認定の有無にかかわらず機械的に国立公文書館へ送付される仕組み自体に変更はない。変更が生じたのは,移管対象となる裁判文書の範囲を定める内閣府・最高裁判所間の申合せの側である。平成25年6月14日付でされていた2件の申合せ(第5で述べた歴史資料としての措置の実施について,及びその移管手続について)は,いずれも令和6年1月30日付で新しい申合せに置き換えられ,移管対象となる民事事件の記録の定義が,廃止された「保存規程9条2項」ではなく,新設の「事件記録等の特別保存に関する規則」に基づき保存されているものへと文言上更新されている。

第7 国立公文書館の今後の体制と移管範囲の拡大に向けた議論

国立公文書館は,令和11年度末に新館(国会前庭・憲政記念館敷地)を開館し,現在の北の丸本館・つくば分館と合わせた三館体制へ移行する計画を進めている。同館の鎌田薫館長は,館報『アーカイブズ』第93号(令和6年8月)への寄稿で,新館の開館に向けて「訴訟記録等の国立公文書館への移管範囲の拡大についての議論にも寄与していく」と述べており,令和5年の調査報告書が示した「国立公文書館への移管対象の拡大や移管時期の見直し」という方向性は,現時点でもなお検討が続けられている段階にある。判決原本を含む裁判文書がどこまで,どの時期に国立公文書館へ引き継がれるかという制度設計は,今後も見直しの対象となり得るものであり,本記事もその動向に応じて更新していく必要がある。

出典

法令

裁判例

公文書・歴史資料

文献

  • 梅原康嗣・村上由佳「国立大学からの民事判決原本の移管完了について―民事判決原本利用のための手引―」『北の丸』第44号(2011年)139頁~154頁
  • 新田一郎・高久俊子「民事判決原本データベース構築の歩み」国立公文書館『アーカイブズ』第29号(2007年7月)21頁~28頁
  • 青山善充「『判決原本の保存』運動を振り返って」東京弁護士会LIBRA Vol.21 No.4(2021年4月号)5頁~7頁
  • 清水勉「歴史的記録としての民事訴訟記録の保存」東京弁護士会LIBRA Vol.21 No.4(2021年4月号)2頁~4頁
  • 木村英明「これからの民事裁判記録の保存」東京弁護士会LIBRA Vol.21 No.4(2021年4月号)11頁~13頁
  • 石塚伸一編著『刑事司法記録の保存と閲覧―記録公開の歴史的・学術的・社会的意義―』日本評論社,2023年2月24日,塚原英治「史料・資料としての裁判記録」126頁~144頁,瀬畑源「公文書管理法と司法文書の利用」39頁~54頁
  • 川口由彦『帝都の法社会史―明治日本の執達吏・勧解吏・代言人群像―』日本評論社,2023年2月25日
  • 鎌田薫「新館開館に向けた国立公文書館のビジョン」国立公文書館『アーカイブズ』第93号(令和6年8月) https://www.archives.go.jp/publication/archives/no093/15817

ウェブ資料