第1 戦前の定年制度の概要と年表
戦前の判事及び検事の定年は,1921年(大正10年)の裁判所構成法改正によって設けられた。
大審院長と検事総長は65歳,その他の判事と検事は63歳であり,それぞれ3年以内の在職延長を認める仕組みであった。
1937年(昭和12年)の改正では,この年齢を引き下げたのではなく,原則として退職日を5月31日と11月30日にまとめた。
同年に行われた満60歳以降の退職者への恩給加算の拡張は,定年年齢とは別の制度である。
| 年月日 | 制度上の変更 |
|---|---|
| 1921年5月18日公布・6月1日施行 | 法律第101号による定年制の導入と,法律第102号による特定の在職者への恩給加算 |
| 1921年6月13日発令 | 大審院長,控訴院長,検事長等の補任と退職。翌14日の官報掲載 |
| 1923年4月14日公布・10月1日施行 | 法律第49号により恩給加算の基礎と割合を変更し,普通恩給年額の30%を加算 |
| 1937年8月14日公布・同日施行 | 法律第69号により,対象者の恩給加算の年齢条件を満60歳到達後へ変更 |
| 1937年9月1日公布・同日施行 | 法律第82号により,定年退職日を原則として年2回に統一 |
以下では,法律の公布日・施行日と,人事の発令日・官報掲載日を区別して説明する。
資料確認の基準日は2026年10月6日であり,制度の説明は各改正当時の法令を対象とする。
第2 定年制導入前の身分保障と1921年の改正
1 終身官と衰弱による退職
(1) 判事の終身官としての地位
制定時の裁判所構成法67条は判事の任官を終身とし,1913年の改正後も判事を終身官と定めていた。
同法73条は,一定の例外を除き,刑事上の宣告又は懲戒処分によらずに判事の意に反する免職等を行うことを制限していた。
検事については,同法79条が刑事上の宣告又は懲戒処分によらない意に反する免官等を制限していた。
ただし,判事を終身官とする67条の文言を,検事についての条文そのものと混同することはできない。
(2) 身体又は精神の衰弱を理由とする退職
裁判所構成法74条は,判事が身体又は精神の衰弱によって職務を執れなくなった場合,控訴院又は大審院の総会決議により,司法大臣が退職を命ずることを認めていた。
検事には裁判所構成法施行条例21条による準用があった。
1921年3月23日の衆議院委員会で,鈴木喜三郎政府委員は,精神の衰弱の認定が難しく,司法省自身がこの理由による退職を提案した事実はない旨を説明した。
この答弁が示すのは司法省の提案についての説明であり,すべての主体・期間を通じた提案の不存在ではない。
1920年7月15日の貴族院特別委員会では,鈴木は1898年から1899年頃の強制的な退職について,身体・精神の衰弱を合わせて12件程度と説明した。
また,身体の衰弱による退職例は1907年以降ない旨を述べているが,これは答弁時点までの説明であり,その後の戦前期全体の件数ではない。
2 63歳・65歳の定年と在職延長
(1) 定年年齢と施行時の経過措置
法律第101号による裁判所構成法74条ノ2及び80条ノ2は,大審院長と検事総長を満65歳,その他の判事と検事を満63歳で退職させる規定である。
同法は1921年5月18日に公布され,勅令第227号により,同年6月1日から施行された。
附則は,施行時に既に定年年齢を超えている者と,施行後20日以内に定年年齢へ達する者について,施行後20日を経過して退職する経過措置を置いていた。
したがって,この附則の退職時期と,後述する6月13日の個々の退職発令日は区別される。
鈴木喜三郎政府委員は,1920年の審議で,当初の60歳・63歳・65歳の3段階案が,枢密院での審議を経て63歳・65歳の2段階になったと説明した。
1921年の審議では,大審院長と検事総長の年齢を2歳高くした理由を,指揮監督や司法行政を中心とする職務の性質に求めており,単に両職への敬意によるものとは説明していない。
(2) 在職延長の決定主体と上限
定年年齢に達しても,判事は控訴院又は大審院の総会決議により,検事は司法大臣の判断により,3年以内に限って引き続き在職できた。
施行時に既に定年年齢を超えていた者についても,附則による延長の限度は定年年齢に3年を加えた年齢であった。
政府案の延長上限は5年であったが,貴族院特別委員会の修正により3年となった。
1921年3月17日の板倉勝憲の修正説明は,定年後さらに5年間在職させるのは長く,3年で足りるというものであり,3年の上限を制度導入時の一斉退職への配慮だけで説明することはできない。
3 明治憲法58条との関係と政府の説明
(1) 政府解釈と反対意見
明治憲法58条2項は,刑事上の宣告又は懲戒処分による場合を除いて裁判官の職を免ずることを制限していた。
この身分保障と定年退職が両立するかが,帝国議会の審議で争われた。
鈴木喜三郎政府委員は,憲法上の「職」を判事としての「官」と捉え,定年退職によって裁判事務と俸給を失っても,判事の官を失うわけではないと説明した。
これに対し,委員からは,職務と俸給を失わせる以上,身分保障を実質的に損なうとの反論があり,政府の説明を裁判所の確定した憲法判断として扱うことはできない。
(2) 判検事数と退職者数の見込み
1921年3月24日の委員会で,鈴木は判検事数を約1600人と説明し,今後の定年到達者は毎年10人内外になるとの見込みを示した。
年間10人内外という数字は,施行後の定年退職者の実績を集計したものではない。
第3 1921年・1923年の恩給加算
1 施行時の在職者に限られた特例
(1) 対象者と継続在職の条件
定年ニ因ル退職判事検事ノ恩給ニ関スル法律(大正10年法律第102号)は,1921年6月1日の施行時に判事又は検事の本官に在職し,その後も引き続き判事又は検事として在職した者を対象としていた。
判事と検事との間で転任した場合は,引き続き在職したものと扱われた。
対象者が裁判所構成法上の定年年齢に達した後に退職又は免官となり,基礎となる恩給の受給資格を有するときに,加算を受ける仕組みであった。
したがって,後に任官した判事・検事を含め,全員へ無条件に恩給を加算する制度ではない。
(2) 50%加算の基礎と制度の目的
制定時の加算額は,官吏恩給法5条によって計算した恩給年額の50%相当額であった。
給与の50%を支給するという意味ではなく,基礎となる恩給年額に対する加算である。
1921年3月24日の鈴木の答弁は,定年制の存在を知らずに任官した在職者の期待に配慮し,今後,定年制を知って任官する者とは区別する趣旨を説明している。
施行時の在職者に対象を限る条件は,この説明に対応している。
当時の議会には,この加算を「増加恩給」と呼ぶ用例もある。
恩給法が公務傷病等について定める同名の給付と区別するため,ここでは「恩給加算」と表記する。
2 1923年の30%への変更
(1) 公布日と施行日
1923年4月14日公布の法律第49号は,加算の基礎を恩給法による普通恩給年額に改め,加算割合を30%とした。
勅令第432号による施行日は,同年10月1日である。
改正附則には,既に恩給を受けている者又は受けるべき者についても改正後の取扱いを適用する規定があり,扶助料についても規定を置いていた。
公布日の4月14日と,改正後の給付の取扱いが始まる10月1日を分けて読む必要がある。
(2) 普通恩給の受給資格との関係
文官の普通恩給の最低年限は,1923年制定時の恩給法60条では15年であった。
1933年の法律第50号により,同年10月1日から原則17年となったが,旧制度下で資格を満たした者等には経過措置が設けられた。
この年限は,加算額の割合とは別の受給資格の問題である。
1933年改正の同時代の解説としては,内閣恩給局長の樋貝詮三が東京朝日新聞に寄稿した「恩給法の改正」があり,最低年限の変更と経過措置を説明している。
第4 1921年6月13日の司法省人事と横田国臣の評価
1 官報に掲載された補任・退職・俸給の発令
(1) 幹部司法官の補任
1921年6月14日の官報第2660号には,前日の6月13日付の発令が掲載されている。
441頁と445頁の補任欄には,次の幹部司法官の人事が記載されている。
| 氏名 | 補任先 |
|---|---|
| 富谷鉎太郎 | 大審院長 |
| 牧野菊之助 | 東京控訴院長 |
| 磯谷幸次郎 | 名古屋控訴院長 |
| 能勢萬 | 函館控訴院長 |
| 谷田三郎 | 大阪控訴院長 |
| 高橋文之助 | 廣島控訴院長 |
| 柳川勝二 | 宮城控訴院長 |
| 豊島直通 | 東京控訴院検事長 |
| 三木猪太郎 | 名古屋控訴院検事長 |
| 大田黒英記 | 廣島控訴院検事長 |
(2) 退職発令と松岡義正の俸給
同じ官報の445頁には,次の7人について退職を命ずる発令が掲載されている。
表の役職は発令時の官報の記載に基づくものである。
一方,松岡義正についての掲載は,大審院部長判事に対する一級俸の下賜である。
これは大審院部長への新規補任とは異なる発令であり,補任者一覧に混在させることはできない。
2 横田国臣をめぐる後世の回想と評価
(1) 小林俊三の回想
小林俊三『私の会った明治の名法曹物語』222頁~224頁は,横田国臣の長期在任と定年制導入を結び付ける当時の受け止めを紹介している。
ただし,その説明には巷説や,知人の裁判官から冗談まじりに聞いた話が含まれる。
同書は定年制導入から半世紀余り後の1973年に刊行された回想である。
横田の在任に対する批判を知る資料にはなるが,63歳・65歳という年齢の選択や,個々の後任人事の計画を直接示す立法時の文書とは性質が異なる。
(2) 岩田春之助の反論
岩田春之助『法曹三国志』24頁~26頁は,小林の横田評を一面的であると批判し,平沼騏一郎と横田との対立や,司法部内の勢力関係を重視している。
岩田自身も横田を郷党の先輩として擁護する立場を明示しており,こちらも著者の人物評価として読む資料である。
官報によって確認できるのは,1921年6月の補任・退職等の発令である。
後世の回想が示す評価とは区別され,横田一人の退職のために定年制が創設されたことや,後任の昇進計画が年齢設定の唯一の理由であったことまでは,この人事結果だけから導けない。
第5 1937年の退職日の統一と満60歳以降の勇退
1 定年退職日を年2回にまとめた改正
(1) 5月31日と11月30日
1937年9月1日公布・施行の法律第82号は,裁判所構成法74条ノ2及び80条ノ2を改め,年齢到達の時期に応じて次のように退職日を定めた。
大審院長と検事総長の65歳,その他の判事と検事の63歳という年齢は維持された。
| 定年年齢に達する期間 | 原則として退職する日 |
|---|---|
| 12月1日から翌年5月31日まで | 5月31日 |
| 6月1日から11月30日まで | 11月30日 |
3年以内の在職延長の規定も残され,延長期間が満了した者はその満了時に退職する仕組みであった。
このため,あらゆる判事・検事の退職日が例外なく年2回になったという意味ではない。
(2) 議会で説明された人事上の目的
1937年8月6日の衆議院本会議で,牧野賤男委員長は,年齢に達するたびに退職と後任人事が生じることによる煩雑さを説明した。
退職時期の統一は,人事異動をまとめ,事務の統制を図るための改正として報告された。
改正は日中戦争が始まった1937年に行われているが,同時期の出来事であることと,改正の原因であることは別である。
この報告で示された目的は人事・事務上のものであり,そこから戦争遂行のための定年改正であったと断定することはできない。
2 満60歳到達後の退職者への恩給加算
(1) 定年の引下げとは異なる改正
1937年8月14日公布・施行の法律第69号は,大正10年法律第102号の恩給加算について,退職又は免官となる年齢の条件を満60歳到達後へ変更した。
これは63歳又は65歳の定年を60歳へ引き下げる改正ではなく,定年前の退職者にも加算の対象を広げるものである。
1937年8月6日の牧野委員長の報告は,勇退を促し,後進に道を開くことを目的として挙げている。
恩給の計算年額への30%加算により,対象者が定年まで待たずに退職する場合にも配慮した制度であった。
(2) 維持された対象者の限定
改正後も,1921年6月1日に判事又は検事の本官に在職し,その後も引き続き在職していたことなどの条件は維持された。
基礎となる普通恩給の受給資格も必要であり,満60歳になった判事・検事全員への一律の加算ではない。
1937年7月31日の衆議院本会議で,久山知之政府委員も,1921年の施行時在職者と継続在職の条件を前提に改正案を説明している。
この説明と改正法の置換箇所を併せて読むと,年齢条件の拡張と対象者の限定とが両立していることが分かる。
第6 当時の平均余命と関連記事
厚生労働省が掲載する第4回完全生命表(1921年~1925年)では,男性の出生時平均余命は42.06年,65歳の平均余命は9.31年である。
出生時平均余命には乳幼児期を含む死亡状況が反映されるため,65歳の定年と42.06年を単純に比べて,高齢者の生存期間を説明することはできない。
65歳に9.31年を加えると74.31歳となるが,これは当該期間の死亡状況を前提とする生命表上の値である。
実際の出生世代の平均死亡年齢や,判事・検事という職業集団の寿命を示す数字ではない。
戦後の制度との関係は裁判官及び検察官の定年が定められた経緯で扱っている。
戦後の裁判官の年齢設定の背景については裁判官の定年が70歳又は65歳とされた根拠,近時の個別人事については幹部裁判官の定年予定日を参照されたい。
第7 出典・参考資料
1 法令と官報の人事資料
(1) 定年制導入前の法令
裁判所構成法(明治23年法律第6号),67条,73条,74条及び79条。
裁判所構成法施行条例(明治23年法律第22号),21条。
裁判所構成法中改正法律(大正2年法律第6号),67条の改正。
いずれも名古屋大学法令データベースの歴史法令本文である。
(2) 1921年・1923年の法律と人事
官報第2637号(1921年5月18日),469頁(コマ1),法律第101号・第102号。
施行期日は本文掲記の勅令第227号による。
官報第2660号(1921年6月14日),441頁(コマ3)及び445頁(コマ5),6月13日付の補任・退職・俸給の発令。
人事表は掲載された幹部司法官の発令のうち,本文で取り上げたものを整理したものである。
官報第3208号(1923年4月14日),法律第49号。
施行期日は本文掲記の勅令第432号による。
(3) 恩給法と1937年の改正
恩給法(大正12年4月14日法律第48号),46条,60条及び65条。
恩給法中改正法律(昭和8年法律第50号),60条の改正及び附則の施行期日・経過措置。
官報第3185号(1937年8月14日),417頁(コマ1),法律第69号。
官報第3200号(1937年9月1日),1頁(コマ1),法律第82号。
2 帝国議会会議録と同時代の解説
(1) 1920年・1921年の審議
第43回帝国議会・貴族院特別委員会第1号(1920年7月15日),会議録1頁・3頁(PDF1頁・3頁)。
鈴木喜三郎政府委員による年齢案の経緯と衰弱退職の説明。
第44回帝国議会・貴族院特別委員会第6号(1921年3月17日),発言019~023,027~029。
在職延長の修正と身分保障をめぐる討論。
第44回帝国議会・衆議院委員会第1号(1921年3月23日),会議録6頁(PDF6頁)。
精神の衰弱を理由とする退職提案についての政府答弁。
同委員会第2号(1921年3月24日),会議録6頁・8頁・9頁・11頁(PDF6頁・8頁・9頁・11頁)。
職務に応じた定年年齢,官と職,人数の見込み及び施行時在職者への恩給加算の説明。
(2) 1937年の審議と恩給制度の解説
第71回帝国議会・衆議院本会議第7号(1937年7月31日),久山知之政府委員の発言033。
同本会議第12号(1937年8月6日),牧野賤男委員長の発言003,会議録188頁(PDF2頁)。
樋貝詮三「恩給法の改正」,東京朝日新聞,1933年9月11日・15日。
本文掲記の神戸大学新聞記事文庫で公開されている転記本文を参照した。
3 公式統計と後世の回想・人物評価
(1) 完全生命表
厚生労働省「参考資料1 平均余命の年次推移」,表2の第4回完全生命表(1921年~1925年)。
男性0歳・65歳の欄を参照した。
(2) 横田国臣に関する二つの著書
小林俊三『私の会った明治の名法曹物語』,日本評論社,1973年初版,222頁~224頁。
参照した版は1974年1月15日発行の第1版第2刷であり,該当箇所はPDF231頁~233頁である。
岩田春之助『法曹三国志』,法律新聞社,1983年1月8日発行,24頁~26頁。
該当箇所はPDF21頁~23頁であり,刊行年は奥付による。