法務省関係

副検事制度が創設された経緯

目次
第1 副検事制度が創設された経緯
第2 明治憲法時代の違警罪即決例及び警察犯処罰令
第3 関連記事その他

第1 副検事制度が創設された経緯
・ 「新検察制度十年の回顧」には,「六 副検事制度の創設」という表題で,以下の記載があります(法曹時報10巻3号84頁ないし86頁)。

    検事の補佐機関として特別任用の検事補又は副検事制度を設けるという構想は戦前からあつたのであるが、裁判所は検事補又は副検事に相当する特別任用の検察官を設けることを強く反対しており、検察部内においても賛否両論があった。反対理由の根拠は検察の運用が全般的に低下するというのであったが、これを克服することができても当時検事局は裁判所に附置され、裁判所とともに司法大臣の管理の下にあったので、検事局だけにこの特別任用の制度を設けることは裁判所との関係から実現困難な状態にあった。
    しかし、戦後司法制度が改正されるに当り、司法法制審議会では検事補制度を設けることを認めており、また憲法の改正により行政執行法、違警罪即決例などが廃止され、逮捕、勾留がすべて裁判官の令状によらなければならぬことになれば、これまで警察署長の権限で処理されていたものをすべて検事が取り扱わねばならぬことになり、また裁判所がこの実情に沿うため簡易裁判所を設けることになれば、簡易裁判所の裁判官に匹敵する数の検事を増員せねばならぬ必要が起り、かかる多数の検事を早急に充足することは到底不可能であったので、ここに特別任用により検事に代える機関を設ける必要が生じ、また別に部内において久しく要望されていた一般事務職員の昇進の途を拓くことについて、副検事制度は職員の将来に大きな希望を与えることができるとも考えられたので副検事制度を実現することにしたのである。
    特別任用の副検事を置くことについては、日本弁護士連合会は、その任用資格が検事の任用資格より低く検察組織の実力を低下し人権尊重の基本的原則に違背する危険があるというので反対し、また総司令部も検察官は公訴の提起及びその維持にあたるには高度の法律的素養が必要であるといって、特別任用資格を認める副検事制度には容易に承認を与えてくれなかつたのであるが、これを必要とする実情を強調してついに実現することになつたのである。
    ところが、愈々副検事制度を実現してみると、副検事は、年々飛躍的に増加する区検察庁の管轄事件(とくに道路交通違反関係事件)の処理、あるいは公判運営に対処して検察の機能を果たし、これを設けた目的を一応達しているばかりでなく、これまで専ら検事の捜査の立会、書類の作成整理、証拠品の処理などの機械的な検察事務に従事し将来に希望を託すことのできなかった一般検察職員に昇進の途を拓き、優秀な検察事務官に跳躍の機を与えた効果は目ざましいものがあった。しかし、その発足当初は、急速に一定の要員を充足しなければならぬ必要があり、副検事の選考は各庁に一任されていたため、採用の一応の基準はあっても、各地によって実情がちがい、検察事務になれた実情にあかるい部内職員だけでなく、部外者の有資格者などを多数採用したため、検察官に必要な識見の足らないものや、年令的に適当でないものなども少くなく、それに訓練不足というような事情もあって、実務の処理に過誤があったり、処理が適正でなかったりすることもあって、副検事制度に対し、内外から一時相当な非難があった。
   その弊害は、その後ことごとく是正されたとはいえないが、運用について検討が加えられた結果、副検事に適当でない者は漸次淘汰され、また素質の改善向上をはかるため、中央、地方において厳格な実務訓練を施し、あらたに採用する者に対しては、学識は勿論、人物考査に意を須い、厳格な選考を行っているので、将来性のある優秀者が増加する傾向にあり、さらに、副検事の実務経験三年以上経た者のうちから、考試を経て検事に昇進するものも毎年二、三名は輩出するという実情であって、副検事制度を設けた目的を達成しつつあるのである。

第2 明治憲法時代の違警罪即決例及び警察犯処罰令
1 平成元年版犯罪白書「犯罪者の処遇」には以下の記載があります。
 違警罪即決例に規定されていた違警罪即決処分は,警察署長及び分署長又はその代理たる官吏が,その管轄地内において犯された違警罪(拘留又は科料に当たる罪)を即決する処分である。この即決処分は,被告人の陳述を聞き,証拠を取り調べ,直ちに刑を言い渡すか,被告人を呼び出すことなく若しくは呼び出しても出頭しないときに,直ちに言渡書を本人又はその住所に送達する方法で行われた。即決処分に対しては,言渡しがあったときは3日以内に,言渡書の送達があったときは5日以内に,正式の裁判を請求することができ,その請求があったときは,区裁判所で正式裁判が行われた。
2 「弁護士の果たした役割」と題する記事(大竹武七郎)には以下の記載があります(昭和49年1月1日発行のジュリスト551号102頁。なお,改行を追加しています。)。
 検事局と警察とは、その機構、人員等の関係から、捜査の実力は警察側にあったといっても過言ではない。ところが、警察官は、捜査に強制力を用いることは、法律上、非常に制限されていた。
 そこで、警察官は、違警罪即決例により、被疑者が一定の住居又は生業なくして諸方を徘徊したこと等を理由として拘留処分に付し、又は行政執行法により、泥酔者もしくは自殺を企つる者その他救護を要すと認むる者として検束し、しかも検束は翌日の日没後に至ることを得ないにもかかわらず、これをむしかえして、長期間にわたって身柄を拘束し、その期間を利用して被疑者を取り調べるということが行われた。
 そこで、この弊害をなくすために、現行憲法時代になってから、違警罪即決例、行政執行法を廃止した。
3 Wikipediaの「警察犯処罰令」軽犯罪法(昭和23年5月1日法律第39号)に相当する法令です。)には以下の記載があります。
比較的軽微な警察犯について略式の処罰方法を定め、これを内務大臣の命令で規定することが許されたが、その結果、警察犯処罰令が制定された。その手続きは違警罪即決例によっている。
 警察犯処罰令上の警察犯は拘留または科料の罪であるから違警罪即決例が適用され、ふつうの刑事事件とはことなって、法律に定められた裁判官でない行政官である警察署長が、略式の手続きで即決できる。
ただし不服ならば正式裁判の申立をすることができる規定である。


第3 関連記事その他

1 検察庁HPの「検察官の種類と職務内容」には「副検事は,区検察庁に配置され,捜査・公判及び裁判の執行の指揮監督などの仕事を行っています。」と書いてあります。
2 首相官邸HPに「副検事の選考方法」及び「特任検事の選考方法」が載っています。
3 副検事になるための法律講座ブログには例えば,以下の記事があります。
・ 検察官記章
・ 検察事務官の副検事志望
・ 偉い副検事
4(1) 以下の資料を掲載しています。
・ 副検事の選考受験案内(令和2年度)
・ 令和2年度副検事の選考筆記試験実施要領
・ 令和2年度副検事の選考第2次試験(口述試験)実施要領
・ 令和2年度検察官特別考試筆記試験実施要領
・ 令和2年度検察官特別考試口述試験実施要領
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 副検事の選考に関する文書
・ 平成14年5月以降の,検察官の懲戒処分事例
・ 検察権と管轄
・ 検察庁の機構
・ 検察官の種類等
・ 検察官の身分保障
・ 検察権行使の機関(検察官の独任制官庁と検察官同一体の原則)
・ 検察事務官
・ 法務省の検事期別名簿
・ 検察官の名称の由来
・ 簡易裁判所判事選考委員会(第2回)議事録(平成19年度以降)
・ 簡易裁判所判事の採用選考に関する国会答弁
・ 法務省の定員に関する訓令及び通達
・ 法務総合研修所

検察官の名称の由来

「新検察制度十年の回顧」には,「検察官の名称」という表題で,以下の記載があります(法曹時報10巻3号88頁及び89頁)。

   旧制度の下では訴訟法上検事という名称はあったが検察官という名称はなかった。検事と検察官は同一の概念ではなく、厳密にいえば区別されねばならぬものであるが、憲法改正草案が提出された際草案(山中注:GHQ草案69条2項参照)に”Public procurators”とされていたのを「検察官」と訳して使われたところから検察官という語が用いられるようになったのである。そこで従来の検事をすべて検察官に当てはめるかどうかということ、ならびに各検察庁の長の名称をどうするかということが問題とされた。
   いうまでもなく旧制度の下では、検事総長、次長検事、検事長はすべて検事がその職に補せられていたのであるが、憲法の改正により、検察庁法に天皇の認証する官を設けるにあたって、これまで職であった検事総長、次長検事、検事長の地位を認証官とする必要から、これらをいづれも検察官ということにし、本来検察官を検事、副検事とすると考えていた構想を改め、検察官に五種類をもうけ、最高検察庁の長を検事総長、高等検察庁の長を検事長ということにしてこれまでの名称を残した。しかし地方検察庁の長として検事正というこれまでの名称ははたして適当かどうかが疑問であった。
   元来検事正という語は主たる検事ということの意味で、旧軍部において大佐相当の官を正と称していた頃、これに相当する検事の官を検事正とし、これを地方検事局の検事の代表者の職名としたものであつて、新検察制度の下における呼称としては相当でないばかりでなく、地方検察庁の検察事務を統括しその庁を代表するものの名称としては一般に理解しにくく、かならずしも適当ではないので、地方裁判所に対応する地方検察庁の長であるという意味で地方検察庁長もしくは地方検察庁長官という名称にする案もあったが、これは検事総長、次長検事、検事長との名称に照らして適当ではなく、結局検事一般の意見を求めたところ、これまでの名称が相当だという意見が強かったのでこれを踏襲することになったのであるが、将来これを変える必要があるのではないかと思われるのである。

*1 検事総長が最高検察庁の長であり,検事長が高等検察庁の長であることは検察庁法7条1項及び8条1項に明記されているものの,検事正が地方検察庁の長であることは検察庁法9条には明記されていないのであって,検察庁事務章程1条に記載されているにとどまります。
*2 制定時の裁判所構成法では,検事総長は勅任官でしたが,大正3年5月1日,勅任検事をもって親補するところの親補職となり,大正10年6月1日,大審院長と同様,親任検事をもって親補するところの親任官となりました(裁判所構成法79条3項)。
   また,戦前の検事総長は大審院の検事局に置かれていました(裁判所構成法56条1項)。
*3 控訴院検事長は,司法大臣の上奏により勅任検事の中から補されており(裁判所構成法79条4項),親補職ではありませんでした。
   また,戦前の検事長は控訴院の検事局に置かれていました(裁判所構成法42条1項)。
*4 検事正は,勅任検事の中から司法大臣によって補されていました(裁判所構成法79条4項)。
   また,戦前の検事正は地方裁判所の検事局に置かれていました(裁判所構成法33条本文前段)。
*5 地方裁判所検事局の検事は検察事務について,特別の許可を受けずに検事正を代理できましたし(裁判所構成法33条但書),控訴院検事局の検事は検察事務について,特別の許可を受けずに検事長を代理できましたし(裁判所構成法42条2項・33条但書),大審院検事局の検事は検察事務について,特別の許可を受けずに検事総長を代理できました(裁判所構成法56条2項・33条但書)。
*6 すべての地裁所長及び地検検事正が勅任官となったのは,昭和2年4月18日公布の勅令第87号(リンク先のコマ番号2)による裁判所職員定員令の改正後です。
*7 明治憲法23条は「日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」と規定し,大正13年1月1日施行の刑訴法(大正11年5月5日公布の法律第75号)246条,248条及び249条は,検事が犯罪捜査の責任を負い,警察官は検事の補佐として,その指揮を受けて捜査をすることと規定していました。
*8 「刑事訴訟法が軌道に乗るまで-第一審の公判を中心として-」と題する記事(筆者は桂正昭最高検察庁検事)には以下の記載があります(昭和49年1月1日発行のジュリスト551号80頁及び81頁。なお,改行を追加しています。)。
   旧刑事訴訟法(山中注:大正13年1月1日施行の刑訴法(大正11年5月5日公布の法律第75号)のことです。)の下では、検察官が作成した捜査記録は、公訴の提起と同時にすべて裁判所に引き継がれ、裁判所は、これらの記録を仔細に検討したうえで公判にのぞみ、公判廷では詳細な被告人質問を行ない、その弁解するところによって疑問を生ずれば、証人尋問などを行って黒白を決するという方法が取られていた。
   検察官の行なう捜査は、被告人の弁解の余地がないようにすべきものとされていたから、大方の事件にあっては、検察官の公判立会はきわめて楽なものであり、公訴事実の陳述と論告求刑とを行えば足りるものが少なくなく、それも、「公判請求書記載のとおり」「事案明瞭、求刑懲役一年」といった程度のことを発言すれば足りるような場合が多かったのである。
   従って、検察官の努力の大半は捜査に注がれ、公判立会は当番制で検事席に座っておれば足りるといった程度のことが多かった。
*9 日本国憲法の改正案の審議当初,憲法33条及び35条2項の「司法官憲」は検事を含むと日本側は解釈していたものの,GHQは,昭和21年8月,「司法官憲」は裁判官に限ると解釈するようになりました(昭和49年1月1日発行のジュリスト551号37頁参照)。
*10 「検察庁の名称の由来」も参照してください。

検察庁の名称の由来

「新検察制度十年の回顧」には,「検察庁の名称について」という表題で,以下の記載があります(法曹時報10巻3号87頁及び88頁)。

   検察庁法において、検察庁ば検事の行う事務を統括するところと定義し、検察庁には最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁及び区検察庁がある(法第二条)ことを規定しているが、この検察庁という名称は、昭和三年司法省が検事局を裁判所から分離して独立させる法案を立案した際すでにこれを使用し、また昭和十三年第七十三帝国議会において衆議院議員から提出された検察庁法案にもこの名称が使われており、検察庁という名称はとくに目あたらしいものではないので、この度の立法にあたってもこの名称を踏襲したのである。ただ検察庁の定義を定めた第一条の規定は、法制局と法案の審議をした当初これをもうけてなかったのを法制局の示唆によっておくようになったことは、すでに述べたところであるが(検察官同一体の原則の項参照)、右規定において、検察庁は、検察官の行う事務を統括するところというようにとくに仮名で表現し、このところを処あるいは場所としなかったのは、検察官の行う事務を形式的に行う場所、もしくはこれを単に機械的に統一する場所というだけの意味でなく、形而上的な意味すなわち検察官が国の独立機関として独自に行使できる検察事務を検察全体として統括するところであることをあらわすためにしたのであって、いわば検察官同一体の原則の一つの根拠となるのである。
   検察庁の種類の名称は、昭和三年の検察庁法案および第七十三帝国議会の議員提出になる検察庁法案には、その当時の大審院、控訴院、地方検察庁、区検察庁に対して総検察院、検察院、地方検察院、区検察院の名称が使われていたが、司法制度の改正により裁判所は最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所に改められたので、これに対応して最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁、区検察庁としたのである。

*1 「検察官の名称の由来」も参照してください。
*2 昭和43年版犯罪白書の「第二章 刑事関係制度の変遷」には以下の記載があります(改行を追加しています。)。
   明治二二年二月発布の大日本帝国憲法は,第五章に司法に関する条章を設け,司法権は,天皇の名において,法律により裁判所が行なうことを定めたほか,裁判官の資格・身分保障,裁判の公開,特別裁判所等について規定し,この規定を受けて,翌二三年二月裁判所構成法が公布された。
   同法は,通常裁判所を大審院,控訴院,地方裁判所および区裁判所の四種とし,区裁判所は,違警罪,二月以下の禁錮または百円以下の罰金にかかる軽罪等を管轄し,地方裁判所は,区裁判所の権限および大審院の特別権限に属しない刑事訴訟ならびに区裁判所の判決に対する控訴審につき裁判権を有し,控訴院は,地方裁判所の第一審判決に対する控訴および区裁判所管轄事件の上告等につき,大審院は,控訴院の第二審判決に対する上告および皇室に対する罪等の予審および裁判につき,裁判権を有するものとされた。
   また,判事および検事のほか,予備判事および予備検事の名称を設け,各裁判所に検事局を付置し,大審院検事局に検事総長,控訴院検事局に検事長,地方裁判所検事局に検事正をおくことを定めた。

検察官同一体の原則

目次
1 検察官同一体の原則
2 検察事務及び検察行政事務
3 関連記事その他

1 検察官同一体の原則
・ 「新検察制度十年の回顧」には以下の記載があります(法曹時報10巻2号70頁及び71頁)。

    検察官同一体の原則とは、検察の組織が上命下服の関係において中央集権的に構成され、検事総長、検事長、検事正はそれぞれ自己の掌理する庁務をその指揮監督下にある検察官に委任することができ、またその指揮監督下にある検察官の事務を他の検察官に移管することができることをいうもので、検察官の組織をつらぬく原理として検察制度が確立した当初から縄められ、裁判所構成法においても成文上の根拠があった。これを検察庁法で踏襲したのである。
    普通一般の行政官庁では、国家機関として官庁を代表するものは、その庁の長に限られ、長以下の機関は官庁を代表する権限はなく、すべて代表者の補佐または補助としてその指揮命令により事務に従事するのであるから、その組織は極めて強固な指揮命令関係が徹底しており、ある意味においては、完全な同一体を形成しているものといえるのである。
    しかるに検察庁の組織において、とくに検察官同一体の原則が強調され、これを組織規定にもうける必要があるのは、いうまでもなく検察官は訴訟法の建前では、一人々々が独立官庁として検察固有の事務、たとえば犯罪の捜査、起訴不起訴の決定などについて、独自に権限を行使することができるのであり、これは裁判に準ずる検察事務の性質上当然なことではあるが一般行政官庁の職員の執務権限に較べて極めて強力なものである。したがつてこれに一定の制約を設けなければ、国家事務としての検察事務が個々の検察官によって区々に行われ、時には検察官の恣意による専断が行われないとはいえないので、検察庁全体として互に矛盾なく遂行することができるようにこれを統括し調整せねばならぬことになる。そのため「検察庁」は独立の官庁である個々の検察官の行う事務を統括するところというように定め、検事総長、検事長、検事正はその管轄する庁の事務の一部をその指揮監督の下にある検事に取り扱わさせ、あるいはその指揮監督下にある検事の事務を自ら取り扱い又は他の検事に取り扱わさせることができることを規定したのである。
    故に検察庁という官庁は、検察官が検察事務を行うところというような単なる場所をあらわしたものではなく、それは、検察官が本来独立官庁として独自に行うことの出来る個々の検察事務を、全体的に統括調整するところという意味であって、検察官の執務が形式的に統合されるというだけでなく実質的精神的に統括されることをも意味するのであって、これを規定した検察庁法第一条は、法案を法制局と審議した際当初もうけてなかったのをその示唆によってかような意味でとくにおくようにしたのである。
    ところが検察官が上官を代理してその事務を取り扱う場合は、特別の委任叉は命令がなくても当然これを行うことができるのであるから、その職務の代行について代理順序を定めておく必要があるので、法務大臣があらかじめその代理順序を定めることにしてこれを大臣訓令に譲ることにしたのであるが、検察事務のうちで検察固有のものは個々の検察官がそれぞれ独自でこれを行うことができ、検事長または検事正でなければできないという事務は本来極めて少いので、次席検事を設けて各庁の長を代理させこれに担当させるのが適当と思われたので、大臣の訓令で定める検察事務章程(山中注:検察庁事務章程のこと。)に次席検事の制度を設け、これとともに職務代行の代理順序を規定したのである。すなわち高等検察庁及び地方検察庁に次席検事を置き、その属する検察庁の長を補佐させることとし、最高検察庁において検事総長及び次長検事に事故があるとき又は検事総長、次長検事が欠けたときは、検事総長があらかじめ定めた順序により、その庁の検事が臨時に検事総長を代理し、高等検察庁又は地方検察庁においてその庁の長に事故のあるとき又はこれが欠けたときは、その庁の次席検事が臨時にその庁の長を代理し、次席検事もまた事故のあるとき又は欠けたときは、その庁の長の定めた順序により他の検事がその庁の長を代理することとしたのである。

2 検察事務及び検察行政事務
(1) 検察庁法1条1項は「検察庁は、検察官の行う事務を統括するところとする。」と定めていますところ,新版検察庁法逐条解説21頁には以下の記載があります。
    法第一条第一項を文法的にわかりやすくいえば、「検察庁は、検察官の行う検察事務および検察行政事務がその長によって統括されるところである」ということになる
(2) 個々の検察官の固有の権限としての検察事務について定める検察庁法4条ないし6条は以下のとおりです(検察官の職務権限が検察庁事務章程によって制限されているわけではないことにつき,検察庁事務章程5条4項)。
第四条 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。
第五条 検察官は、いずれかの検察庁に属し、他の法令に特別の定のある場合を除いて、その属する検察庁の対応する裁判所の管轄区域内において、その裁判所の管轄に属する事項について前条に規定する職務を行う。
第六条 検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。
② 検察官と他の法令により捜査の職権を有する者との関係は、刑事訴訟法の定めるところによる。
(3) 検察官は,検察事務については,上司の指揮監督の下に,検察事務官,検察技官その他の職員を指揮監督します(検察庁事務章程8条)。
(4) 検事総長,検事長及び検事正は,庁務掌理権及び指揮監督権を他の検察官に委任することができます(検察庁法11条)。
   また,これとは別に,検察庁事務章程2条2項で次席検事の庁務掌理権及び指揮監督権が定められ,3条2項で支部長の庁務掌理権及び指揮監督権が定められています。
(5) 検察庁事務章程6条2項は最高検察庁の部長の事務総括権及び指揮監督権を定め,6条3項は高等検察庁及び地方検察庁の部長の事務総括権及び指揮監督権を定めています。
   6条2項及び3項が「総括」という表現を用いて,次席検事及び支部長の場合のように「掌理」という表現を用いなかったのは,部の所管事務は主として検察事務であり,検察事務は本来,個々の検察官の固有の権限に属するものであるからです(新版検察庁法逐条解説200頁参照)。

3 関連記事その他
(1) 平成24年度初任行政研修「事務次官講話」「明日の行政を担う皆さんへ」と題する講演(平成24年5月15日実施)において,西川克行法務事務次官は以下の発言をしています(リンク先のPDF5頁)。
    検察の仕事というのも、警察を始めとする多くの関係機関、裁判所、弁護士さん、要は刑事司法を支えている方々との協力を得ながら活動をしなければなりません。ただし、検察官は裁判官ではございませんので、基本的な独立性はありませんし、検察官同一体の原則というのがございまして、内部的な決裁でチェックを受けます。最低でも直属の上司の了解は必要でございますし、重大な事件になりますと高等検察庁、最高検察庁の了解が必要となりますので、相当な時間を要するということになり、他の行政機関の意思決定過程とそれほど変わらないのではないかと思われます。
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 七訂版 検察庁法(平成31年3月の法務総合研究所の文書)
・ 検察権行使の機関(検察官の独任制官庁と検察官同一体の原則)
・ 各地の検察庁の執務規程
・ 検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権

検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権

目次
1 検察庁法14条の条文
2 法務大臣の一般的指揮監督権(検察庁法14条本文)
3 法務大臣の具体的指揮監督権(検察庁法14条ただし書)
4 昭和29年4月の,造船疑獄における法務大臣の指揮権発動
5 検察行政事務に関する法務大臣の指揮監督権
6 検察庁法14条に関する立案関係者の説明,及び歴代の司法大臣
7 法務省刑事局に関する法務省組織令条文
8 内閣総理大臣は検察官を直接指揮することはできないこと
9 検察庁と行政委員会の比較
10 昭和12年12月16日,16人の被告人全員に無罪判決が言い渡された帝人事件
11 昭和3年の検察庁法案及び昭和13年の検察庁独立法案
12 関連記事その他

1 検察庁法14条の条文
(1) 法務大臣の指揮権について定める検察庁法14条は以下のとおりです。
   法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。
(2) 検察庁法4条は,検察官の公訴権等について規定し,検察庁法6条は検察官の捜査権について規定しています。

2 法務大臣の一般的指揮監督権(検察庁法14条本文)
(1) 法務大臣は,①検察事務の処理方法に関する一般的基準を指示したり,②犯罪防止のために一般的方針を訓示したり,③法令の行政解釈を示したり,④個々の具体的事件について報告を求めたりすることができます(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。
(2) 検察事務に関する法務大臣の訓令として以下のものがあります。
・ 刑事関係報告規程(昭和62年12月18日付の法務大臣訓令)
・ 逃亡犯罪人引渡法に関する書式例(平成12年10月31日付の法務大臣訓令)
・ 取調べ状況の記録等に関する訓令(平成15年11月5日付の法務大臣訓令)
・ 処分請訓規程(平成17年8月15日付の法務大臣訓令)
・ 係検事に関する規程(平成27年3月17日付の法務大臣訓令)


3 法務大臣の具体的指揮監督権(検察庁法14条ただし書)
(1) 14条ただし書の「取調べ」とは,被疑者及び参考人の取り調べだけをいうのではなく,捜査一般,つまり,捜査の方法,順序等をも含めて,検察官の行う捜査事務全般をいいます。
   また,14条ただし書の「処分」とは,起訴・不起訴の処分のほか,公判の遂行及び刑の執行をも含めて,刑罰権の実現のために検察官が行う捜査以外の一切の検察事務をいいます。
   そのため,法務大臣は,個別の事件に関する検察事務については,捜査の着手から刑の執行に至るまで,直接個々の検察官を指揮することは許されず,検事総長のみを指揮することができるにすぎません。
   つまり,法務大臣は,具体的事件に関しては,検事総長が部下検察官に対して有する指揮監督権(検察庁法7条1項)を媒介としてのみ,個々の検察官の行う検察事務に干渉しうるに過ぎません(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。
(2)ア いわゆる「指揮権」とは,法務大臣が検事総長に対して具体的事件について指揮しうる権限をいい,「指揮権発動」とは,法務大臣がこの権限を行使することをいいます。
イ 法務大臣は検事総長の上司ですから,法務大臣が具体的事件について検事総長に対して指揮をした場合,重大かつ明白な瑕疵がない限り,国家公務員法98条1項に基づき,検事総長は法務大臣の指揮に従うべきこととなります。
(3) 以下の犯罪について起訴又は不起訴の処分を行う場合,あらかじめ検事長及び検事総長の指揮を受けなければなりませんし,検事総長はあらかじめ法務大臣の指揮を受けなければなりません(処分請訓規程4条1項等)。
① 外患に関する罪
② 国交に関する罪
③ 外国の君主若しくは大統領又は外国の施設に対して犯した罪
④ 日米地位協定の実施に伴う刑事特別法6条及び7条の罪
⑤ 日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法違反の罪
⑥ 特定秘密の保護に関する法律違反の罪
(4)ア 晴耕雨読ブログの「検察庁法の起源」には以下の記載があります。
 検察庁法制定当時の検察内部の意見は「検察庁は内閣の外に立つ独立機関たるべしという意見が圧倒的だった」(出射義夫『検察の面でみた刑事訴訟法の25年』―『ジュリスト』昭49・1・1 )。彼らは、昭和戦前期の「検察権の独立」の観念に強く支配されていたので、戦後憲法のもとで政党内閣が常態化し、政党出身の司法大臣が検察組織に君臨することを病的に警戒していた。
 他方において、在野には戦前の検察ファッショ復活への警戒感が根強く、また何よりGHQ(占領軍最高司令部)が検察の民主的統制に強い関心を持っている以上、統帥権の独立にも似た検察権の独立を表立って維持することは難しいという判断も、司法省内にはあった。
 そうした政治状況の中で、実際に出来上がった「検察庁法」は、政党出身の司法大臣を容認する代わりに、検事総長の任命には国会の関与を排除し、また司法大臣の監督権限を制限する条項(現14条)を設けて、検察への「一般」的指揮権を認める一方、個々の捜査については検事総長を通じてのみ指揮できる、という妥協案に落ち着いたのだ。
イ ジュリスト1974年1月1日号(551号)には「【特集】刑事訴訟法25年の軌跡と展望」が載っています。
(5) Wikipediaの「指揮権(法務大臣)」には以下の記載があります。
   検察権は、犯罪を捜査し処罰を請求する能動的な作用であるから、その監督と責任は政府がにぎるのは当然であって、消極的に人権を保障し、国家権力の行使を阻止する司法権のような独立は認められず、検察権を独立させることは、理論上権力分立に反するだけでなく、なんら政治的責任を負わず民主的監視を受けない強大な官僚陣営を認めることとなって弊害を生ずる。
(6) 高辻正巳法務大臣は,平成元年3月27日の参議院本会議において以下の答弁をしています。
① 最初のお尋ねは、いわゆるリクルート事件についての捜査の現状と今後の方針いかんということでございましたが、東京地方検察庁は厳正公平、不偏不党の立場から引き続き捜査を継続中でありまして、捜査の現状でありますとか、捜査の今後の見通しとかいうような捜査の内容にかかわる事柄につきましては、遺憾ながらお答えすることができません。
 ただ、この際申し上げることができますのは、捜査による事案の解明というものは、その結果の及ぶところが何人であるかによって左右されるものではないということでございます。
② 次のお尋ねにありました指揮権の発動と申しますのは、検察庁法十四条ただし書きの検事総長に対する法務大臣の指揮を指して言われるものと思いますが、この検察庁法十四条の趣旨は、一般に、国の検察事務を分担管理し、その機関の事務を統括する法務大臣の行政責任と、司法権と密接不可分の関係にある検察権の独立性の確保の要請との調和を図る点にあるものと考えられております。
 そういうことからしますと、法務大臣がいわゆる指揮権を発動する場合は、検察権が不偏不党、厳正公平の立場を逸脱し、その他、検察事務を所掌し遂行する法務大臣がその責任を全うし得る限度を超えて運営されるというような特殊例外的な場合に限られるべきものであり、そのような特殊例外的な場合においては、法務大臣はその行政責任を全うするためにその指揮権を行使して正すべきものは正さなければなりませんが、そのような場合でないのに法務大臣がいわゆる指揮権を発動することはなすべきでないと考えております。その意味で、法務大臣は検察庁法第十四条ただし書きの検事総長に対する指揮権をむやみに放棄するわけにはまいりません。
 しかし私は、検察が今後ともよくその職責を果たし、法務大臣が指揮権を発動したりその他これに制肘を加えなければならないような事態が生じることはないものと信じております。
(7) Wikipediaの「稲葉修」(昭和49年12月9日から昭和51年12月24日までの間,法務大臣をしていた人です。)には以下の記載があります。
 在任中にロッキード事件が発覚。法相として新聞のインタビューで「これまで逮捕した連中は相撲に例えれば十両か前頭。これからどんどん好取組が見られる」「捜査は奥の奥まで神棚の中までやる」とコメントを残し、7月27日に検察首脳会議で決定された田中角栄逮捕を許可した。この稲葉の姿勢に対して田中派は猛反発し、それを受けて稲葉も反角栄の立場を固めることになった。

4 昭和29年4月の,造船疑獄における法務大臣の指揮権発動
(1)ア 検事総長の請訓に対し,明らかにこれを否決する法務大臣の指揮が行われたのは,造船疑獄(太平洋戦争後の日本における計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定請願をめぐる贈収賄事件)における指揮権発動だけです。
    造船疑獄では,昭和29年4月21日,法務大臣の犬養健が重要法案(防衛庁設置法及び自衛隊法)の審議中であることを理由に,第三者収賄罪の容疑による佐藤栄作自由党幹事長の逮捕状請求を中止させて任意捜査を指示し,同月22日,法務大臣を辞任しました。
    昭和29年6月26日,佐藤栄作は政治資金規正法違反で在宅起訴されたものの,昭和31年12月19日の国連加盟恩赦により免訴となりました。
イ 新版検察庁法逐条解説103頁には,「いわゆる指揮権を発動した犬養法務大臣は、その翌々日の四月二三日職を退いている。」と書いてあるものの,辞任日は4月22日です(昭和29年4月24日の官報第8192号410頁及び411頁参照)。
ウ Wikipediaの造船疑獄には以下の記載があります。
    逮捕者は71人にのぼり、35人が起訴された。疑獄の中心部分に関わったのは23人であり、7人が無罪、12人が執行猶予付の懲役刑、2人が罰金刑を受けた。自由党への金の流れについては佐藤栄作と自由党会計責任者が後に政治資金規正法違反で在宅起訴されたが、国際連合加盟恩赦で免訴となった。
(2) 法務大臣の検事総長に対する指揮権発動に関し内閣に警告するの決議(昭和29年4月23日の参議院本会議の決議)は以下のとおりです。
 検事総長が自由党幹事長である国会議員の逮捕請求許可の請訓をなしたのに対して、法務大臣が「法律的性格と重要法案の審議の現状に鑑み、特別例外的事情にある」との理由に基き指揮権を発動してこれをおさえたことは、検察庁法第十四条の不当な運用と認める。
 議員の逮捕許諾と法案審議の関係は、国会の決すべき問題であつて、政府今回の措置は、国民関心の的である被疑事実に対し、累次の言明に反して検察権の行使を制約し、捜査を困難ならしめ、延いては国民の疑惑を深め政治の信用を失墜せしめることとなる。本院はこれを極めて遺憾とする。
 政府は、過ちを改め速やかに善後の措置をとるべきである。
 右決議する。
(3) 「秋霜烈日―検事総長の回想」35頁には以下の記載があります。
    昭和二十九年四月二十一日、犬養法務大臣による指揮権発動があると、東京拘置所新南舎の調べ室に入っていた検事たちは、次々と階下の畳敷きの休憩室に入り、互いに口をきくわけでもなく、ただぼうぜんとしていた。夜に入って馬場義続検事正が来られ、涙を浮かべて頭を下げられた。検事たちの心の中には、無念の思いがじわじわと広がっていた。
(4)ア 朝日新聞HPに載っている「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」には以下の記載があります。
当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件(山中注:昭和51年2月5日から報道されるようになったロッキード事件のこと。)に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
イ 外国公務員に対する贈賄行為の規制は,1976年のロッキード事件を契機にアメリカが外国公務員に対する商業目的での贈賄行為を違法とする「海外腐敗行為防止法」を制定したことから始まり,1997年12月にパリにおいて,国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約(OECD外国公務員贈賄防止条約)が日本などのOECD加盟国を含む33カ国が署名し,1999年2月に発効するに至りました(リスクデザインHPの「外国公務員への贈賄とリスクについて」参照)。

 検察行政事務に関する法務大臣の指揮監督権
(1)ア 検察権は行政権の一部をなすものであり,行政権は内閣に属し(憲法65条),内閣は,行政権の行使について,国会に対し連帯して責任を負います(憲法66条3項,内閣法2条2項)。
   そして,内閣を組織する各大臣は,主任の大臣として行政事務を分担管理し(内閣法3条1項,国家行政組織法5条1項),法務大臣は,法務省の長として(法務省設置法2条2項),「検察に関すること。」(法務省設置法4条1項7号)を含む法務省の所管事務を分担管理しています。
   そのため,法務大臣は,検察庁法14条によって指揮監督権の行使を制限されていない検察行政事務,つまり,庶務,会計,人事等に関する事務や,犯罪の防止その他の刑事政策上の諸施策に関する事務については,検察官に対し,十全な指揮監督権を行使することができます(新版検察庁法逐条解説84頁参照)。
イ 例えば,森雅子法務大臣の主導により,法務省は令和2年4月9日,新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴い,新型インフルエンザ等対策特別措置法32条1項に基づく緊急事態宣言(令和2年4月7日付)が発令されたことを受けて,同月10日付の検事の人事異動のうち,他省庁に関連する56人を除く675人の人事異動を凍結しました(ヤフーニュースの「森雅子法相“検事の人事凍結”で大混乱 一人ほくそ笑む黒川検事長」参照)。
ウ 本年4月10日付け検察官人事異動の先送りについて(令和2年4月9日付の法務省大臣官房人事課長の事務連絡)を掲載しています。
(2) 検察庁は,国家行政組織法8条の3に基づいて法務省に置かれる「特別の機関」です(法務省設置法14条参照)。
(3) 法務省行政文書取扱規則(平成30年12月17日改正後のもの)を掲載しています。
(4) 検察官俸給法3条1項に基づく準則として以下のものがあります(平成25年5月当時の文書です。)。
・ 検察官の初任給調整手当に関する準則(昭和46年4月1日付の法務大臣訓令)
・ 検察官の期末手当及び勤勉手当の支給に関する準則(平成9年12月16日付の法務大臣訓令)
・ 法科大学院に派遣された検察官の給与の支給に関する準則(平成16年3月11日付の法務大臣訓令)
・ 検察官の初任給及び昇給に関する準則(平成18年3月15日法務大臣訓令)
・ 検察官の管理職員特別勤務手当に関する準則(平成18年3月15日付の法務大臣訓令)
・ 法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律の一部改正に伴う経過措置に関する準則(平成21年5月29日付の法務大臣訓令)

6 検察庁法14条に関する立案関係者の説明,及び歴代の司法大臣
(1) 検察庁法14条に関する立案関係者の説明
   「新検察制度十年の回顧」には以下の記載があります(法曹時報10巻2号69頁)。
   司法大臣は法務行政の最高責任に任ずべきものであるから検察機構を内閣から切り離して別個独立のものにしない限り、司法大臣は法務行政に属する検察事務全般に対し指揮監督権を持ち、犯罪の捜査およびその処理についても当然指揮権があることになる。
   ところが憲法改正草案の構想では政党内閣による政治体制を予想していたから、そうなれば司法大臣の地位はこれまでとは異って政党の出身者がこれを占めることになり、政治勢力が検察に影響を及ぼすことも考えられ検察の独立が政治勢力によって左右される懸念がないとはいえないと考えられた。
   そこで不当な政治力から検察を守るために司法大臣の検察に対する指揮権について適当な規定をおく必要が生じた。しかしながら司法大臣は検察官に対する監督ならびに検察行政の責任者だから、その指揮監督の権限を抑制することができないので、犯罪の捜査、公訴の提起などの検察事務について検察官を一般に指揮監督することはできるが、個々の事件の取調または処分については検事総長のみを指揮することができるということにして個々の事件の取調または処分に対して司法大臣が検察官に直接指揮命令することができないものとして調整したのである。
   こうすれば検事総長は司法大臣の監督の下にあっても全検察官に対して実権を掌握しているのであるから、たとえ司法大臣の不当な指揮があってもたやすくこれに応ずる筈はなく、さればといって認証官である検事総長を罷免するのも容易ではないから、その指揮は適当に是正され、一般の検察官に不当な干渉が及ぶことはなく、したがって正しく検察権を行使することができると考えたからである。検察庁法の制定される以前には、政治体制が異っており、多年検察事務の運用に慣れた検事出身者が検察部内から司法大臣に就任する慣行があったため、内閣の政治力が検察に不当な影響を与えるような考慮は必要でなく、したがってかかる規定をおく必要はなかった。
   この立法をするにあたって、司法大臣の検察に対する指揮権を全然認めないか、検事総長が司法大臣を兼ねる制度を設ければ、政党の不当な政治力が検察に影響を及ぼす懸念はなくなるという考慮はないではなかったが、憲法改正草案は内閣総理大臣に国務大臣の任命、罷免の権限を予想していたので、内閣総理大臣が閣僚中に罷免できないものをおくこと、あるいは法務行政について内閣に責任を負わぬ司法大臣をおくことは、明らかに憲法に抵触することであり、実現できないことだと考えた。しかしながら憲法が実施された後の状況によると、国の警察行政や会計検査について内閣に直接責任を負わない国家公安委員会、会計検査院などがおかれた。これを顧みると、検察の組織を規定するのに他に別の考え方ができたのではないかとも思われるが、当時は責任大臣のない行政組織を定めることは憲法に反するものと考えられていたのである。
(2) 歴代の司法大臣
ア 1925年以降の司法大臣は以下のとおりであって(カッコ内は主な元職です。),「多年検察事務の運用に慣れた検事出身者が検察部内から司法大臣に就任する慣行」ができたのは,1932年の5・15事件(犬養毅首相(立憲政友会総裁)が海軍の青年将校によって首相官邸で暗殺された事件です。)が発生した後に限られます。
30代 江木翼(内閣書記官長)
1925年8月2日~1927年4月20日(加藤高明内閣→第1次若槻内閣)
31代 原嘉道(東京弁護士会会長)
1927年4月20日~1929年7月2日(田中義一内閣)
32代 渡邊千冬(貴族院議員)
1929年7月2日~1931年12月13日(濱口内閣→第2次若槻内閣)
33代 鈴木喜三郎(検事総長)
1931年12月13日~1932年3月25日(犬養内閣)
34代 川村竹治(内務次官,台湾総督)
1932年3月25日~同年5月26日(犬養内閣)
35代 小山松吉(検事総長)
1932年5月26日~1934年7月8日(齊藤内閣)
36代 小原直(司法次官)
1934年7月8日~1936年3月9日(岡田内閣)
37代 林頼三郎(検事総長,大審院長)
1936年3月9日~1937年2月2日(廣田内閣)
38代 塩野季彦(名古屋控訴院検事長,大審院検事局次長)
1937年2月2日~1939年8月30日(林内閣→第1次近衛内閣→平沼内閣)
39代 宮城長五郎(長崎控訴院検事長,名古屋控訴院検事長)
1939年8月30日~1940年1月16日(阿部内閣)
40代 木村尚達(司法省刑事局長,東京控訴院長,検事総長)
1940年1月16日~同年7月22日(米内内閣)
41代 風見章(衆議院議員,内閣書記官長)
1940年7月22日~同年12月21日(第2次近衛内閣)
42代 柳川平助(陸軍次官,台湾軍司令官)
1940年12月21日~1941年7月18日(第2次近衛内閣)
43代 近衛文麿(首相兼任)
1941年7月18日~同月25日(第3次近衛内閣)
44代 岩村通世(検事総長)
1941年7月25日~1944年7月22日(第3次近衛内閣→東條内閣)
45代 松阪広政(検事総長)
1944年7月22日~1945年8月17日(小磯内閣→鈴木貫太郎内閣)
46代 岩田宙造(弁護士,貴族院勅選議員)
1945年8月17日~1946年5月22日(東久邇宮内閣→幣原内閣)
47代 木村篤太郎(帝国弁護士会理事長,検事総長)
1946年5月22日~1947年5月24日(第1次吉田内閣)
イ 戦前の幹部裁判官の出世コースについては,外部HPの「大正・昭和戦前期における幹部裁判官のキャリアパス分析-戦前期司法行政の一断面への接近」が非常に参考になります。
ウ 「司法大臣」は,昭和23年2月15日に「法務総裁」となり,昭和27年8月1日に「法務大臣」となりました。

7 法務省刑事局に関する法務省組織令の条文
(1) 法務省刑事局に関する法務省組織令(平成12年政令第248号)の条文は以下のとおりです。
(刑事局に置く課等)
第二十八条 刑事局に、次の三課並びに刑事法制管理官一人及び国際刑事管理官一人を置く。
総務課
刑事課
公安課
(総務課の所掌事務)
第二十九条 総務課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 刑事局の所掌事務に関する総合調整に関すること。
二 検察庁の組織及び運営に関すること。
三 犯罪捜査の科学的研究に関すること。
四 情報システムの整備その他の検察事務の能率化に関すること。
五 刑事の裁判の執行指揮その他の検務事務に関すること。
六 司法警察職員の教養訓練に関すること。
七 法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律の規定による検察官の派遣に伴う法科大学院の教育に対する法曹としての実務に係る協力に関すること。
八 前各号に掲げるもののほか、刑事局の所掌事務で他の所掌に属しないものに関すること。
(刑事課の所掌事務)
第三十条 刑事課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 一般刑事事件の検察に関すること。
二 環境関係事件の検察に関すること。
三 選挙関係事件の検察に関すること。
四 交通関係事件の検察に関すること。
五 財政経済関係事件の検察に関すること。
六 少年に係る刑事事件の検察に関すること。
七 前各号に掲げる事件に係る犯罪の予防に関すること。
(公安課の所掌事務)
第三十一条 公安課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 公安関係事件の検察に関すること。
二 労働関係事件の検察に関すること。
三 風紀関係事件の検察に関すること。
四 薬物関係事件の検察に関すること。
五 暴力団に係る刑事事件の検察に関すること。
六 外国人に係る刑事事件の検察に関すること。
七 前各号に掲げる事件に係る犯罪の予防に関すること。
(刑事法制管理官の職務)
第三十二条 刑事法制管理官は、刑事法制に関する企画及び立案に関する事務をつかさどる。
(国際刑事管理官の職務)
第三十三条 国際刑事管理官は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 犯罪人の引渡し、国際捜査共助その他の刑事に関する国際間の共助に関すること。
二 前号に掲げるもののほか、刑事に関する国際間の協力に関すること。
三 刑事に関する条約その他の国際約束の実施に関すること。
四 犯罪人の出国に係る事務の関係行政機関との調整に関すること。
(2) 官房,局及び部の設置及び所掌事務の範囲は政令事項です(国家行政組織法7条4項)。

8 内閣総理大臣は検察官を直接指揮することはできないこと
(1) 政府答弁
ア 吉國一郎内閣法制局長官は,昭和51年5月8日の参議院予算委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を追加しています。)。
① 検察に対する指揮の問題につきましては、よく御承知の検察庁法第十四条の規定がございます。検察庁法第十四条では、検察庁も法務省の機関でございますから、法務大臣は検察官を一般的に指揮監督することができるようになっております。
   しかしながら、個々の捜査、処分につきましては、検事総長のみを指揮することができるということになっております。
   これは検察一体の原則と申しますか、検事総長を頂点といたしまして、その下に次長検事あるいは検事長、検事正というものを配しまして、検察官全体が一体となって司法権の行使と密接な関連を有する検察権の行使をいたす。その場合に、一般的な指揮監督というものは法務大臣はいたしますけれども、個々の処分については、検事総長のみを指揮するということにいたしまして、その検察一体の原則として検事総長の判断によって法務大臣の指揮を受けるか、あるいはその指揮を受けないで、こういうことをすべきではないということで法務大臣に対して意見を申し出て、その指揮を変えてもらうかというようなことができるようにいたしておりまして、検察権の純独立性と申しますか、そういうものを保障しようということになっております。
② 内閣総理大臣との関係は、内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて各省大臣を指揮監督する立場がございます。
   これは内閣法第六条でございましたか、その第六条の規定によって、閣議にかけた方針に基づいて法務大臣を指揮監督するわけでございますので、法務大臣の検察庁法第十四条本文の規定による一般的な指揮監督権についてさらに総理が指揮することがあり得ますし、また検察庁法第十四条ただし書きのいわゆる指揮権というものについて、法務大臣を指揮監督することはあり得ると思います。
   しかし、それはあくまで法務大臣の行う指揮監督権あるいは指揮権に対する、いわばその上にさらにそれをどうするかということについての指揮監督権であるというふうに御了解願いたいと思います。
イ 衆議院議員鈴木宗男君提出内閣総理大臣の指揮権発動に関する質問に対する答弁書(平成19年6月8日付)には以下の記載があります。
① 一般に、「指揮権」とは、命令をし、これに従わせる権限をいうものと承知している。
② 検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第十四条の規定により、個別具体的な事件に関する取調べについて、法務大臣は、検事総長以外の個々の検察官を直接指揮することはできず、検事総長のみを指揮することができる。これに対し、個別具体的な事件に関する取調べについて、内閣総理大臣が検察官を直接指揮することができる旨を定めた法令の規定はなく、内閣総理大臣が検察官を直接指揮することはできないと考えている。
ウ 衆議院議員浅野貴博君提出指揮権発動に係る法務大臣の発言等に関する質問に対する答弁書(平成24年6月15日付)には以下の記載があります。
① 内閣総理大臣が各閣僚から受ける報告の内容の詳細については、答弁を差し控えたいが、御指摘の「指揮権を発動して捜査をすべきとの意向」が、小川敏夫前法務大臣から、野田佳彦内閣総理大臣に報告されたとは承知していない。
② 一般論として申し上げれば、内閣法(昭和二十二年法律第五号)第六条の規定により、内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、法務大臣を指揮監督することができる。
(2) 最高裁判例
・ ロッキード事件に関する最高裁大法廷平成7年2月22日判決は以下のとおり判示しています(改行を追加しています。)。
   内閣総理大臣は、憲法上、行政権を行使する内閣の首長として(六六条)、国務大臣の任免権(六八条)、内閣を代表して行政各部を指揮監督する職務権限(七二条)を有するなど、内閣を統率し、行政各部を統轄調整する地位にあるものである。
   そして、内閣法は、閣議は内閣総理大臣が主宰するものと定め(四条)、内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて行政各部を指揮監督し(六条)、行政各部の処分又は命令を中止させることができるものとしている(八条)。
   このように、内閣総理大臣が行政各部に対し指揮監督権を行使するためには、閣議にかけて決定した方針が存在することを要するが、閣議にかけて決定した方針が存在しない場合においても、内閣総理大臣の右のような地位及び権限に照らすと、流動的で多様な行政需要に遅滞なく対応するため、内閣総理大臣は、少なくとも、内閣の明示の意思に反しない限り、行政各部に対し、随時、その所掌事務について一定の方向で処理するよう指導、助言等の指示を与える権限を有するものと解するのが相当である。

9 検察庁と行政委員会の比較
(1) 文部科学省HPに掲載されている「行政委員会制度の概要」には以下の記載があります。
3.行政委員会の主な特徴
① 数人の構成員からなる合議制の機関
② 委員の構成について一定の配慮が行われるとともに、委員の身分を保障
③ 権限行使について首長から独立性を有し、自らの判断と責任において事務を執行
④ 規則制定権を有するほか、審判、裁定等を行う権限を有するものもある
(中略)
※参考:国の行政機関
国の行政は、議院内閣制の下、内閣がその責任において行うことを基本としており、行政委員会が設置されているのは
① 個人の人権に対する直接的関与という事務の性質から特別に政治的中立性の確保が強く必要とされるもの(国家公安委員会)
② 所掌事務のうち準立法的又は準司法的権限を有するなど、特に慎重、公平な事務処理を必要とされるもの(人事院、公正取引委員会)
のような行政分野である。
(2)ア 行政委員会と比較した場合,検察庁の特徴は以下のとおりと思います(純粋に個人的意見です。)。
① 独任制の官庁であるとはいえ,検事総長をトップとして中央集権的に構成されています(「検察官同一体の原則」参照)。
② 検察幹部の構成について特段の配慮は行われていないものの,検事の身分は裁判官に準じて保障されています。
③ 検察権の行使について法務大臣から独立性を有し(検察庁法14条ただし書),自らの判断と責任において検察権を行使します。
④ 規則制定権を有していないものの,起訴・不起訴等の処分を行う権限を有します。
イ 検察庁の場合,個人の人権に対する直接的関与という事務の性質から特別に政治的中立性の確保が強く必要とされますし,所掌事務は準司法的権限を有するなど,特に慎重,公平な事務処理を必要とされるものの,行政委員会制度は採用されていません。
(3) 平成22年12月付の「いわゆる厚労省元局長無罪事件における捜査・公判活動の問題点等について(公表版)」を見れば,検察庁内部において,逮捕の判断,起訴の判断,捜査・処理における取調べ・決裁,公判遂行中の対応が具体的にどのようになされているかが非常によく分かります。

10 昭和12年12月16日,16人の被告人全員に無罪判決が言い渡された帝人事件
(1) 帝人事件というのは,昭和9年1月から追及されるようになった,帝国人造絹糸株式会社(略称は「帝人」であり,昭和37年11月以降は「帝人株式会社」です。)の株式をめぐる背任及び贈収賄事件であり,昭和9年7月8日の斎藤内閣(昭和7年の5・15事件の直後に発足した内閣であり,穏健派の海軍大将が起用されました。)の総辞職につながりました。
   昭和12年12月16日,起訴された16人の被告人(台湾銀行頭取,番町会関係者,大蔵次官,大蔵省銀行局長,商工大臣,鉄道大臣,帝人社長等です。)全員に対して東京刑事地裁で無罪判決が言い渡され(昭和12年12月17日の大阪朝日新聞参照),塩野季彦司法大臣(前職は大審院検事局次長です。)の判断により検察が控訴を断念したため,そのまま確定しました。
(2)ア 昭和10年5月1日から昭和22年5月2日までの間,東京地裁は東京民事地裁及び東京刑事地裁に分かれていました(昭和10年4月4日公布の法律第29号による改正後の裁判所構成法2条2項,及び裁判所ノ廃止及設立ニ関する法律(昭和10年4月4日公布の法律第30号)))。
イ 番町会というのは,大正12年頃に設立された,第一次世界大戦前後の財界の世話役だった郷誠之助(帝人事件当時,日本商工会議所会頭をしていました。)を囲む少壮財界人や若手官僚の勉強会でした。
   帝人事件では,番町会が,日銀に担保に入れられていた帝人株式を買い取って大儲けをし,その反面,台湾銀行に損をさせたとされました。
ウ 弁護士百年103頁には,「被告人に革手錠を施したり、夏の暑い日、豚箱(取洲べの順番を待つ小さな箱)に長時間入れたりの拷問取調べをして起訴した」と書いてあります。
(3)ア Wikipediaの斎藤実には以下の記載があります。
   (山中注:斎藤実内閣は)軍部の方針とも大きく対立はせず、1932年(昭和7年)9月15日、日満議定書を締結し満州国を承認、その後国際連盟総会にて日本側の主張が却下されると、1933年(昭和8年)3月27日、国際連盟脱退を日本政府として表明した。しかし一部軍人からは、元来リベラル派である斎藤への反感や、陸軍予算折衝で荒木陸相を出し抜いた高橋蔵相への反発などから、閣僚のスキャンダル暴きが行われた。
   そして1934年(昭和9年)、帝人事件が勃発。鈴木商店倒産に伴い台湾銀行の担保とされた同子会社帝国人造絹糸(帝人)株式22万株をめぐり、財界グループ「番町会」が買い戻しの依頼を受け、その後の帝人増資で株価利益を上げた問題で、帝人社長高木復亨や番町会の永野護、台湾銀行頭取島田茂、黒田大蔵次官など16名が起訴された。斎藤内閣は綱紀上の責任を理由に、同年7月8日総辞職した。
   同事件は、265回にわたる公判の結果、1937年(昭和12年)10月(山中注:昭和12年12月の誤りです。)全員が無罪判決を得るという異例の経過をたどったことから、検察内の平沼騏一郎派、陸軍将校、立憲政友会右派らが倒閣の為に仕組んだ陰謀であったと見られている。
イ 斎藤実(さいとうまこと)は,1914年(大正3年)1月発覚のシーメンス事件(ドイツのシーメンス社による日本海軍高官への贈賄事件)により,同年3月24日の第1次山本内閣の総辞職により海軍大臣を辞職した人であり,内大臣在任中に発生した昭和11年の2・26事件で殺害されました。
(4)ア 平沼騏一郎は,昭和7年の5・15事件の直後,陸軍内部から首相就任を期待する声が強かった人であり,昭和14年1月5日に内閣総理大臣となり,独ソ不可侵条約の締結が発表された直後の昭和14年8月30日に平沼内閣は総辞職しました。
イ Wikipediaの「馬場義続」(検事総長経験者です。)は以下の記載があります(「フレームアップ」は「でっちあげ」という意味です。)。
   田原総一朗は元検事の聞き取りとして、馬場の処世術について触れ、「検察官として、極く平均的な生き方をした人間」として平沼騏一郎がおり、平沼が出世した理由として、政治家のちょっとしたスキャンダルを見つけてきては、それをフレームアップする。狙いをつけている政治家が頼み込んできたら、そこで打ち切って大いに恩に着せる。その平沼流出世術を真似したのが馬場であり、これを当時の自民党の実力者である河野一郎にやり、のち広島高検に転出させられそうになったのを河野の口利きで撤回させたという。なお、検事総長になるほどの人物であれば、誰でもこの類の話に事欠かないとも記している。


11 昭和3年の検察庁法案及び昭和13年の検察庁独立法案
(1)ア 昭和3年に司法省刑事局で「検察庁法案」が立案され,昭和13年の第75回帝国議会において衆議院議員から提案された「検察庁独立法案」が審議されました。いずれも,裁判所に付置されていた検事局を検察庁として分離するという法案です。
   検察庁独立法案の審議に際しては,帝人事件が取り上げられ,検察ファッショによる人権蹂躙の防止ということが強調されました(法曹時報10巻1号40頁参照)。
イ 昭和3年の検察庁法案22条は以下のとおりであって,緊急の必要がある場合,司法大臣は個別の検事を指揮できるとされていましたから,検察庁法14条ただし書と比べて司法大臣の権限が強くなっていました。
① 司法大臣ハ公訴ノ実行ニ付検事ヲ指揮ス
② 検事総長以外ノ検事ニ対スル指揮ハ検事総長ヲ経由シテ之ヲ為ス、但シ緊急ノ必要アルトキハ此ノ限ニ在ラズ
③ 前項但書ノ規定ニ依リ指揮ヲ為シタルトキハ司法大臣ハ検事総長ニ其ノ指揮ヲ為シタル事項ヲ通告ス
(2) 法学協会雑誌92巻11号(昭和50年11月発行)の「刑事訴訟法の制定過程(10)」末尾に以下の記載があります。
   昭和三年の検察庁法案は、内藤前掲『経過』第三分冊五百六頁以下に全文が収録されている。この法案は、裁判所、検事局分離の熱心な提唱者であった原嘉道(弁護士)が昭和二年に田中内閣の司法大臣に就任した際に立案を推進し、昭和三年に司法省案として作成して翌年二月枢密院に諮詢したものである。その主要な内容は、検事局を裁判所から分離して検察庁とし、検事に捜査につき司法警察官吏指揮権と公訴権等を与え、検察官吏を設置するなどして検察庁機構の整備強化をはかり、また司法大臣に公訴実行につき検事総長を経由して(緊急の必要あるときを除く)検事を指揮する権限を与えるものであった。この司法省案は、行政機関たる検察庁を法律で新設することは天皇の官制大権を侵すものではないかとの疑義が出されたために、翌月「御無沙汰ニ依リ返上」となった。
イ 明治憲法10条は「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」と定めていました。

12 関連記事その他
(1) Wikipediaの「統帥権」には以下の記載があります。
   統帥権独立の考えが生まれた源流としては、当時の指導者(元勲・藩閥)が、政治家が統帥権をも握ることにより幕府政治が再興される可能性や、政党政治で軍が党利党略に利用される可能性をおそれたこと、元勲・藩閥が政治・軍事両面を掌握して軍令と軍政の統合的運用を可能にしていたことから、後世に統帥権独立をめぐって起きたような問題が顕在化しなかったこと、南北朝時代に楠木正成が軍事に無知な公家によって作戦を退けられて湊川の戦いで戦死し、南朝の衰退につながった逸話が広く知られていたことなどがあげられる。
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 検察権の独立(行政権,立法権との関係)
・ 七訂版 検察庁法(平成31年3月の法務総合研究所の文書)
・ 冤罪事件における捜査・公判活動の問題点
・ 検察官同一体の原則

検事総長,次長検事及び検事長が認証官となった経緯

目次
1 検事総長,次長検事及び検事長が認証官となった経緯
2 判検事の場合,地方のポストの格が高いこと
3 関連記事その他

1 検事総長,次長検事及び検事長が認証官となった経緯
・ 検事総長,次長検事及び検事長が認証官となった経緯に関して,「新検察制度の十年の回顧」には以下の記載があります(法曹時報10巻2号68頁及び69頁)。

   マックァーサー憲法の草案が提示された際、草案の規定のなかに天皇の認証ということがあった。当時はまだ国内的に認証官の種類や範囲が全然考えられていなかったのであるが、検察庁法を制定するにあたって立法者は検事総長、次長検事、検事長を認証官とすることを考え、これを草案に規定して総司令部の承認を得て認証官としたのである。
   この着想は極めて機敏に行われたため、総司令部との折衝や法制局との協議は極めて順調に進められた。行政機構が漸次整備した後において認証官の設置を希望する官庁が少くなかったにも拘らずその実現を果たし得なかったことを思えば、検察庁法の立案に当った関係者の明敏さには敬意を払わざるを得ないのである。
   検事総長、次長検事、検事長を認証官とする構想は、旧憲法下における天皇の親任官から由来したもので、これまで親任官であった国務大臣は新憲法の下においても当然天皇の認証が行われ、また憲法の改正により最高裁判所が実現すれば三権分立の強化から、内閣総理大臣に匹敵する最高裁判所長官も亦認証官となり、最高裁判所長官が認証官となれば裁判所の従来の伝統から、高等裁判所長官もおそらく認証官に加えられるものと予測し、最高裁判所および高等裁判所に対応する最高検察庁、高等検察庁の長および高等検察庁の長と同等の待遇を受ける最高検察庁次長検事の官が裁判官と権衡を失することのないようにするため検事総長、次長検事、検事長を認証官にしようとしたものであるが、総司令部は当初天皇の認証する官というものにそれ程深い関心を払っていなかったもののようであり、その折衝に対しては、さしたる異論もなく承認を与えてくれたのである。
   しかし検事総長、次長検事、検事長は、従来検事がその職に補せられていたので、新立法に際してもこれと同様に考え「職を認証する」ものとして法制局と折衝したところ、法制局の意見として、憲法の規定は官を認証するのだから検事総長、次長検事、検事長は官名でなければならぬということであったので、それまで検察官を検事と副検事とすることにしていた考えを検討し直し、検事総長、次長検事、検事長を認証官とする関係から、結局検察官の種類をこれにも及ぼすこととして、検察官を検事総長、次長検事、検事長および検事、副検事とすることにしたのである。

2 判検事の場合,地方のポストの格が高いこと
・ 平成22年度3年目フォローアップ研修「事務次官講話」「問題意識、丈夫な頭、健康」と題する講演(平成22年10月4日実施)において,大野恒太郎法務事務次官は以下の発言をしています(リンク先のPDF3頁)。
    (山中注:検事の場合)地方のポストの格が高いというのも大きな特徴です。例えば、高等検察庁の検事長は認証官とされておりますので、次官よりも格上です。また、本省の局長が検察庁に戻ると、地方検察庁の検事正クラスということになります。こうした地方のポストが高いという特徴も裁判官と同様です。

3 関連記事その他
(1) 制定時の裁判所構成法では,検事総長は勅任官でしたが,大正3年5月1日,勅任検事をもって親補するところの親補職となり,大正10年6月1日,大審院長と同様,親任検事をもって親補するところの親任官となりました(裁判所構成法79条3項)。
   また,戦前の検事総長は大審院の検事局に置かれていました(裁判所構成法56条1項)。
(2) 控訴院検事長は,司法大臣の上奏により勅任検事の中から補されており(裁判所構成法79条4項),親補職ではありませんでした。
   また,戦前の検事長は控訴院の検事局に置かれていました(裁判所構成法42条1項)。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 親任式及び認証官任命式
・ 法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)
・ 法務省作成の検事期別名簿

・ 動画の6分54秒から7分7秒にかけて,「官記を受け取ったら,本当は頭より上に掲げて降ろさないようにお辞儀をすることになっています。検事総長は恐らく初めての認証式ではないので上に掲げていたから中身が見えるんです。」というナレーションが流れます。

勤務延長制度(国家公務員法81条の3)の検察官への適用に関する法務省及び人事院の文書(文書の作成時期に関する政府答弁を含む。)

目次
1 法務省の文書
2 人事院の文書
3 法務大臣及び内閣答弁書の説明
4 令和2年4月6日の政府答弁(法務省,人事院,内閣法制局及び内閣人事局の答弁)
5 昭和22年の政府文書に関する内閣答弁書の記載
6 関連記事その他

1 法務省の文書
・ 法務省が令和2年1月に作成した「勤務延長制度(国公法第81条の3)の検察官への適用について」は以下のとおりです。

   国家公務員法(以下「国公法』という。)第81条の3に規定される,定年による退職の特例(以下『勤務延長制度」という。)は,特定の職員に定年後も引き続きその職務を担当させることが公務遂行上必要な場合に,定年制度の趣旨を損なわない範囲で定年を超えて勤務の延長を認め,公務遂行に支障を生じさせないようにしようという趣旨から設けられている(森園幸男ほか編「逐条国家公務員法(全訂版)」698頁)。
   勤務延長制度は,職員が同法第81条の2第1項により退職する場合に適用されるところ,同項において,職員が定年に達したときは,定年に達した日以後の最初の3月31日又は任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日に退職する旨規定され,同条第2項において,職員の定年年齢が原則としてSO歳である旨規定されている。
   一方,検察官の定年については,検察庁法第22条において,一般の国家公務員とは異なり,検事総長は65歳,その他の検察官は63歳にそれぞれ達した時に退官する旨規定され,さらに,同法第32条の2において,同法第22条の規定は,国公法附則第13条の規定により,検察官の職務と責任の特殊性に基づいて,同法の特例を定めたものとする旨規定されている。
   このように,検察官の退職(退官)に関して国公法の特例となっているのは,定年年齢と退職時期であり(具体的には,同法第81条の2第1項に規定される「法律による『別段の定め』は,検察庁法(22条)により規定される定年年齢と定年による退職時期と解される。前記逐条国家公務員法1233頁も同旨。),検察官の定年による退職は,広く捉えれば,一般法たる国公法が規定する「定年による退職』に包含されるものと解される。そして,前記の勤務延長制度の趣旨は,検察官にも等しく及ぶというべきであり, 検察官についても国公法の定年制度を前提とする勤務延長制度の適用があると解される。
   この点,昭和56年の国公法改正により一般職の国家公務員全体に定年制度が導入される以前から,検察官については定年制度が設けられており,いわば検察官の定年制度そのものが国公法の特例であったところ(国公法の特例を定める検察庁法第32条の2は,国公法施行後の昭和24年に設けられ,その時点で既に検察官の定年に関する検察庁法第22条が国公法の特例とされていたことからも明らかである。),前記国公法改正により一般職の国家公務員全体に定年制度が導入されたことに伴い,その特例としての意味は,定年年齢と退職時期の2点に限られることとなったものであって,その意味でも,前記国公法改正以後は,国公法に規定される定年制度そのもの,そして, これを受けて規定されている勤務延長制度については,検察官にも(一般法である)国公法の規定が適用されると解するのが自然である。
   なお,勤務延長制度は,職員が同法第81条の2第1項により退職する場合を前提としているところ,前記のとおり,検察官の定年による退職に関する特例は,定年年齢と退職時期の2点であり,国家公務員が定年により退職するという規範そのものは,検察官であっても定年退職に関する一般法たる国公法に拠っていると言うべきであって,結局,検察官の定年による退職は,検察庁法第22条により前記2点につき修正された国公法第81条の2第1項に基づくものと解される。
以上

(注1)勤務延長制度に関する国公法第81条の3の検察官への適用にあっては,検察官につき前記2点に関しては本来検察庁法第22条により特例とされていることから,国公法81条のS第1項及び第2項のうち,「その職員に係る定年退職日」とあるものは,「その職員が定年に達した日」と修正されて適用されることとなる。
(注2) 再雰用制度に関する国公法第81条の4についても,勤務延長と同様,同法第81条の2により退職した者を対象としていることから,検察官にも観念的には適用があるものの,このうち,短時間再任用については,検察官は,犯罪の捜査や公訴の提起,刑事裁判への立会といった事務(検察事務)を自己の責任において行うこととされ,その職務内容が,週の一部や一日のうち限られた時間のみ勤務するといった短時間再任用になじまないこと,また, フルタイムの再任用についても, これまで,一般の国家公務員のような再任用職員のための俸給表が定められていないなど,法令上必要な手当てがなされていないことから,現状では適用できない状態にある。


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2 人事院の文書
・ 人事院が令和2年1月に作成した「勤務延長に関する規定(国公法第81条の3)の検察官への適用について」は以下のとおりです。

1.国公法における定年制度の導入以降、検察官の定年退職(退官)については、検察庁法第22条が国公法第81条の2第1項の「法律に別段の定めのある場合」に当たるものとして、勤務延長を含む国公法の定年制度全体が検察庁法により適用除外されていると解釈されてきたところ。
   今般、法務省から示された、検察庁法が検察官の定年退職(退官)に関して国公法の特例を定めているのは定年年齢と退職時期に限られ、勤務延長(国公法第81条の3)の規定は検察官にも適用されるという理解については、そのように検察庁法を解釈する余地もあることから、人事院として特に異論を申し上げない。
2. ただし、「注2」については、「フルタイム再任用と短時間再任用とにかかわらず、再任用は検察官の職務の特殊性に鑑み適用になじまないことから、国公法第81条の4及び第81条の5は適用されないと解される」とすべきである。

3 法務大臣及び内閣答弁書の説明
(1) 法務大臣の説明
・ 森まさこ法務大臣は,令和2年2月21日の法務大臣閣議記者会見において以下の説明をしています。
 国家公務員法に勤務延長制度が導入された昭和56年当時,検察官については,国家公務員法の勤務延長制度は検察庁法により適用除外されていると理解されていたものと認識しています。他方,検察官も一般職の国家公務員ですから,検察庁法に定められている特例以外については,一般法たる国家公務員法が適用されるという関係にございます。
 したがって,国家公務員法と検察庁法の適用関係は,検察庁法に定められている特例の解釈に関わることであり,その解釈については検察庁法を所管する法務省において整理されるべきものでございます。国家公務員一般の定年の引上げに関する検討の一環として,検察官についても定年の検討を進める過程で,法務省において国家公務員法と検察庁法との関係を検討したところ,検察庁法が定める検察官の定年による退職の特例は,定年年齢と退職時期の2点であること,特定の職員に定年後も引き続きその職務を担当させることが公務遂行上必要な場合に,定年制度の趣旨を損なわない範囲で定年を超えて勤務の延長を認めるという勤務延長制度の趣旨は,検察官にも等しく及ぶというべきであること,この2点から,一般職の国家公務員である検察官の勤務延長については,一般法である国家公務員法の規定が適用されると解釈することとしたものでございます。
 その上で,法務省において,勤務延長制度の検察官への適用についての考え方をまとめた文書を作成し,省内で必要な決裁を経た上で,関係省庁に示し,具体的には,内閣法制局との間では,本年1月17日から同月21日にかけて,人事院との間では,本年1月22日から同月24日にかけて,文書を示して協議を行い,異論はない旨の回答を得て,最終的に結論を得たものです。
 なお,法令の解釈は,当該法令の規定の文言,趣旨等に即しつつ,立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮するなどして,論理的に確定されるべきものであり,検討を行った結果,従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には,これを変更することがおよそ許されないというものではないと承知しております。
 この点,社会経済情勢の多様化・複雑化に伴い,犯罪の性質も複雑困難化する状況下において,国家公務員一般の定年の引上げに関する検討の一環として,検察官についても改めて検討したところ,検察官の勤務延長について,一般法である国家公務員法の規定が適用されると解釈でき,問題はないものと考えます。今後とも,国会審議等を通じて,御理解をいただいてまいりたいと思います。
② 1月24日に政府としての統一見解を経て,解釈変更がなされたと認識しております。

(2) 内閣答弁書の説明
ア 参議院議員浜田聡君提出国家公務員法八十一条の三による検事長の定年延長等、公務員法に関する質問に対する答弁書(令和2年2月28日付)には以下の記載があります。
 一般職の国家公務員の定年制度の導入等を内容とする国家公務員法の一部を改正する法律(昭和五十六年法律第七十七号)が制定された昭和五十六年当時、検察官については、国家公務員法第八十一条の三の規定は適用されないと理解していたものと認識しているが、検察官も一般職の国家公務員であるから、本年一月、一般職の国家公務員に適用される同条の規定が適用されると解釈することとしたものである。
イ 衆議院議員川内博史君提出黒川検事長の勤務延長に関する質問に対する答弁書(令和2年4月3日付)には以下の記載があります(ナンバリングを追加しています。)。
① 憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による法令の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に法令の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えており、このようなことを前提に検討を行った結果、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られた場合には、これを変更することがおよそ許されないというものではないと考えているが、その当否については、個別的、具体的に検討されるべきものである。
 お尋ねの今般の解釈変更(山中注:検察官についても国家公務員法81条の3に基づく勤務延長が認められるとする解釈変更)については、このような考え方に基づいて従前の解釈を変更したものである。
② 前段のお尋ねについては、お尋ねの「内閣法制局の審査を終えていた検察庁法改正案」の意味するところが必ずしも明らかではないが、令和元年十月時点における検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)の改正案に関するものも含め、法務大臣は、本年三月十三日に今国会に提出した国家公務員法等の一部を改正する法律案の閣議請議について決裁を行う以前には必要な報告を受けている。
 後段のお尋ねについては、法律案の立案の過程において作成された文書について、法務省において、法務省行政文書取扱規則(平成二十六年法務省秘法訓第一号大臣訓令)に定められた決裁を経ることを要しない取扱いとしている。
③ お尋ねの検討(山中注:令和元年12月頃に始められた,検察官についても国家公務員法81条の3に基づく勤務延長が認められるとする解釈変更の変更)については、法務大臣の指示により始められたものではない。
 また、お尋ねの担当者による検討が行われていることについては、本年一月十七日以前には把握していた。

4 令和2年4月6日の政府答弁(法務省,人事院,内閣法制局及び内閣人事局の答弁)
・ 令和2年4月6日の衆議院決算行政監視委員会第四分科会における政府答弁は以下のとおりです。
(1) 森まさこ 法務大臣の答弁
① 一月十七日から法制局と協議をするに当たり、その前に、一月十六日又は一月十七日に、事務方から私の方に説明に参りまして、そのときに私が了解したということでございます。
② 法令の解釈あるいはその変更というものについて、必ずしも決まった手続や方式があるわけではないものと承知をしております。
   その上で、検察官の勤務延長に関しては、検察庁法を所管する法務省において必要な検討等を行い、現行の国家公務員法の勤務延長の規定の検察官への適用について、従前の解釈を変更することが至当であるとの結論が得られたことでございますので、適正な手続を経たものと考えております。
(2) 川原隆司 法務省刑事局長の答弁
① ただいま大臣から答弁がございましたように、一月十六日又は十七日に事務方から関係省庁と協議をする旨の報告を大臣にいたしております。
   何日の何時ころに大臣のところにという記録が正確にはないのでございますが、既に国会にも御提出させていただいております一月十六日付のペーパーを作成後、十七日の協議開始までの間に大臣に御説明をしたということは間違いございませんので、十六日又は十七日というように日付を特定しているところでございます。
② 公文書管理法第四条に基づく規定であります法務省行政文書管理規則第十一条では、行政機関において法令の制定又は改廃について意思決定がなされた場合は、それに至る過程等について文書を作成しなければならないとされているところでございます。
   法務省では、今回、国家公務員法等の一部を改正する法律案につきまして成案が得られましたので、その作成の過程を明らかにするため、文書を適切に管理し、あるいは作成することとなります。そして、その一環といたしまして、解釈変更の経緯につきましても、既に存在する文書を管理するとともに、必要な文書を作成、管理してまいりたいと考えております。
③ 今回の解釈変更につきまして、委員御指摘のような通知は発出しておりません。
(3) 一宮なほみ 人事院総裁の答弁
① 一月二十二日に、法務事務次官から当方の事務総長に対し、検察庁法の解釈が示された文書で、人事院にも意見を伺いたいとのお話がございましたが、その理由等については伺っておらず、このほかにやりとりはございませんでした。
   一月二十四日に、当方の事務総長から法務事務次官に対し、人事院における議論の経過と結論をまとめた文書をお渡ししておりますが、その際、法務省から示された解釈がいつから適用されるかについては伺っておりません。
② 先ほどもお話しいたしましたように、一月二十四日に、私とほかの二人の人事官、事務総局との間で、国家公務員法で定める定年制度の検察官への適用に関する従来の理解、法務省が示した勤務延長等の規定の解釈に関する受けとめ、検察官の再任用に関する考えについて、認識の共有を図り、私の指示で経過と結論を文書化しておりますので、改めて議事録等を作成する必要はないと考えておりますが、今般の法務省とのやりとりにつきましては、一連の経過がわかるよう、関係する国会議事録等も含めて、行政文書ファイルを作成したいと考えております。
(4) 木村陽一 内閣法制局第二部長の答弁
① 法務省からは、法律案の審査の過程で、現行法の解釈として、検察官にも勤務延長制度を適用するということについて意見を求められたわけでございますが、その解釈をいつから適用するかということにつきましては、特段意見を求められておりません。
   本年一月二十一日に法務省に対して御回答した際に、いつから適用するのかということにつきまして、当局として意見は示しておらないということでございます。
② 解釈変更前の検察庁法改正の案文を含みます国家公務員法等の一部を改正する法律案でございますけれども、全体を審査する第三部、第三部長が了承いたしましたのが昨年の十二月の中旬。したがいまして、その後、長官、次長の審査を受けてよい、そういう判断になったということでございます。
③ 従前の解釈に基づきます案文が上がってはおりましたが、長官、次長の審査が終了したという事実はございません。

(5) 堀江宏之 内閣官房内閣人事局人事政策統括官の答弁
① 本年一月二十三日に、中央合同庁舎第八号館の内閣人事局におきまして、私が法務省の官房長から、検察庁法の解釈を改めることにつきまして、「勤務延長制度の検察官への適用について」と題する文書を提示され、相談を受けたものでございます。
   法務省からの説明を受けまして、局内で部下職員と検討を行った上で、同日中に私から法務省の官房長に対し電話で、意見がない旨の回答を行ったところでございます。
② 今後、法律案策定の経緯に関する文書を整理する際、先ほど申し上げた、本年一月二十三日に法務省から相談を受け、意見がない旨回答を行った旨について、公文書管理法等の規定を踏まえまして、必要な経緯を残したいと考えております。
③ 法務省から相談を受けた際、解釈変更について、いつから適用するかについての説明は受けておらず、当方において特段認識していなかったところでございます。


5 昭和22年の政府文書に関する内閣答弁書の記載
(1) 「検察官について公務員法の特例を認める必要ある理由」(昭和二十二年十月十日人補)においては,検察官を「準司法官」と位置付ける見解に基づき「検察官は公務員法では一応「一般職」に含まれて居るけれども、その任免転退等については、一般の行政官吏とは異る特別の措置を定める必要がある」としています。
(2) 参議院議員小西洋之君提出検察官は準司法官であるとした「検察官について公務員法の特例を認める必要ある理由」(昭和二十二年十月十日人補)に関する質問に対する答弁書(令和2年6月30日付)には以下の記載があります。
   勤務延長制度は、特定の職員に定年後も引き続きその職務を担当させることが公務遂行上必要な場合に、定年制度の趣旨を損なわない範囲で定年を超えて勤務の延長を認めるという趣旨に基づくものであり、検察官に国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第八十一条の三の勤務延長の規定が適用されるとしても、内閣又は法務大臣が検察官を自由に罷免したり、検察官に対して身分上の不利益処分を行ったりするものではなく、その身分保障を害するものではないため、検察官に当該勤務延長の規定が適用できるとすることにより、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求するなどの検察権を行使する等、司法権の適正円滑な運営を図る上で極めて重大な職責を有する検察官の職務と責任の特殊性や準司法官的な性格に影響を与えることはなく、御指摘は当たらない。

6 関連記事その他
(1) 定年制の運用について(昭和59年7月2日付の人事院事務総長の通知)につき,令和2年3月31日改正後のものには以下の記載があります。
定年退職関係
1 国家公務員法(昭和22年法律第120号。以下「法」という。)第81条の2第1項の「別段の定め」に当たるものとしては、検察庁法(昭和22年法律第61号)第22条の規定がある。
2 法第81条の2第1項の規定により、職員(同条第3項に規定する職員を除く。)は、法第81条の3第1項の規定により引き続いて勤務する場合を除き、定年退職をすることとなる日の満了とともに当然退職する。
(2)ア 以下の資料を掲載しています。
・ 定年の引上げ等に係る「裁判所における運用の骨子」及び「裁判所における運用の概要」について(令和4年11月17日付の最高裁人事局総務課長の通知)
→ ①裁判所における運用の骨子~定年の引上げ等について~(令和4年11月の最高裁判所事務総局人事局の文書)及び②裁判所における運用の概要~定年の引上げ等について~(令和4年11月の最高裁判所事務総局人事局の文書)が含まれています。
イ 以下の記事も参照してください。
・ 東京高検検事長の勤務延長問題
・ 国家公務員法81条の3に基づき,検察官の勤務延長が認められる理由
・ 令和2年の検察庁法改正案及び検察官俸給法改正案に関する法案審査資料
・ 検事総長,次長検事及び検事長任命の閣議書

検察庁法改正案の成立前後における,検事長の勤務延長の取扱い

目次
第1 検察庁法改正案の骨子,及び検察庁法改正案の条文
第2 現在の取扱い
1 検事長の勤務の延長
2 検事長の勤務の再延長
3 検事総長の勤務の延長及び再延長
第3 検察庁法改正案が成立した場合の取扱い
1 検事長の勤務の延長
2 検事長の勤務の再延長
3 検事総長の勤務の延長及び再延長
第4 検察庁法改正案が成立した場合に予想される影響(個人的見解です。)
1 政治家の犯罪に対する捜査がずっと少なくなるかも知れないこと
2 検事正について63歳以降の勤務延長が政治的に問題となる可能性は非常に小さいこと
3 平成26年4月以降に定年退官した検察官(令和2年5月14日追加)
4 検事について任期制を設けなかった理由の一つ
第5 関連記事

第1 検察庁法改正案の骨子,及び検察庁法改正案の条文
1 検察庁法改正案の骨子
(1) 検察庁法改正案の骨子は以下のとおりです。
① 定年延長
・ 検事総長以外の検察官の定年を63歳から65歳に引き上げて,検事総長の定年と同じにする(改正案22条1項)。
② 定年退職の特例
・ 定年に達した検察官のうち,当該検察官の退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣又は法務大臣の準則で定める事由がある場合,検事総長については68歳まで(改正案22条2項),検事総長以外の検察官については66歳まで(次長検事及び検事長につき改正案22条2項,検事及び副検事につき改正案22条3項),その職を占めたまま在職できることとする(国家公務員法改正案81条の7の読替に基づく措置)。
③ 役職定年
・ 次長検事,検事長,検事正及び上席検察官の役職定年は63歳とし,63歳に達した日の翌日にヒラの検事とする(次長検事及び検事長につき改正案22条4項,検事正につき改正案9条2項,上席検察官につき改正案10条2項・9条2項)。
④ 役職定年の特例
・ 役職定年に達した検事のうち,当該検事をヒラの検事とすることにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣又は法務大臣の準則で定める事由がある場合,次長検事及び検事長については内閣の判断により(改正案22条5項及び6項),検事正及び上席検察官については法務大臣の判断により(改正案9条3項及び4項・10条2項),その職を占めたまま65歳まで在職できることとする。


(2) 現在の政府見解に基づく検事長等の勤務延長のうち,63歳から65歳までの勤務延長は役職定年の特例(④)に相当し(ただし,再度の勤務延長については人事院の承認が必要),65歳から66歳までの勤務延長は定年退職の特例(②)に相当することとなります(ただし,この年齢での勤務延長については人事院の承認が必要)。
2 検察庁法改正案の条文
(1)ア 検察庁法改正案を含む,国家公務員法等の一部を改正する法律案(第201回国会閣法第52号)(関係部分の抜粋です。)は,令和2年3月13日に国会に提出され,同年4月16日,衆議院内閣委員会に付託されました(衆議院HPの「議案審議経過情報」参照)。
イ 条文上,「役職定年」は「管理監督職勤務上限年齢」と表現されています。
(2) 内閣官房HPの「第201回 通常国会」に法律案の全文等が載っています。

第2 現在の取扱い
1 検事長の勤務の延長
(1) 検事長の任命権者である内閣(検察庁法15条1項)は,令和2年1月31日,下記の理由により,国家公務員法81条の3第1項に基づき,同年2月8日に63歳の定年を迎える黒川弘務東京高検検事長の勤務を半年間延長するという閣議決定を行いました(首相官邸HPの「令和2年1月31日(金)定例閣議案件」参照)。

   東京高等検察庁管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するためには,同高等検察庁検事長黒川弘務の検察官としての豊富な経験・知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であり,同人には,当分の間,引き続き同検事長の職務を遂行させる必要がある。
(2) 黒川弘務東京高検検事長(平成31年1月18日就任)が検事長就任前に検察官として捜査公判に対応していたのは以下の時期だけですから,合計で11年10ヶ月半ぐらいです。
① 1983年4月7日から1991年7月24日までの約8年4ヶ月半
・  東京地検検事,福島地検郡山支部検事,新潟地検検事,東京地検検事及び名古屋地検検事をしていました。
② 1995年7月20日から1998年10月6日までの約3年3ヶ月半
・  青森地検弘前支部長及び東京地検検事をしていました。
③ 2010年8月10日から同年10月24日までの約2ヶ月半
・  松山地検検事正をしていました。
・ 2010年9月21日から報道されるようになった大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件に対応するため,同年10月25日,法務省大臣官房付となりました。
(3)ア 黒川弘務東京高検検事長の定年退職は,「業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき」(人事院規則11-8(職員の定年)7条3号)に該当するため,勤務延長されました(令和2年3月6日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁参照)。
イ 「重大かつ複雑困難な事件の捜査」が何であるかについては,捜査機関の活動内容及びその体制に関する事柄でもあることから,国会答弁でも明らかにされませんでした(令和2年3月6日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁参照)。
(4) 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長に関する実例からすれば,検事長になる前に検察官として捜査公判を担当していた期間が12年程度である検事長であっても,「○○高等検察庁管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するためには,同高等検察庁検事長○○○○の検察官としての豊富な経験・知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であり,同人には,当分の間,引き続き同検事長の職務を遂行させる必要がある。」といった理由を記載するだけで,任命権者である内閣限りの判断で勤務の延長ができることとなりますし,「重大かつ複雑困難事件の捜査」の中身を国会で説明する必要もないこととなります。
2 検事長の勤務の再延長
(1) 検事長の勤務の再延長は,任命権者である内閣が,人事院の承認を得た上で行うこととなります(国家公務員法81条の3第2項)し,その前提として,「重大かつ複雑困難事件の捜査」の中身を人事院に説明する必要があると思います。
(2) 検事長の勤務の再延長は,延長された期限が到来する場合において,「業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき」(人事院規則11-8(職員の定年)7条3号)という事由が引き続き存すると認められる十分な理由があるときに可能です。
(3) 定年制度の実施等について(昭和59年12月25日付の人事院事務総局任用局企画課長の文書)には以下の記載があります。
1 規則11―8第7条の各号には、例えば、次のような場合が該当する。
(中略)

  (3) 第3号
 定年退職予定者が大型研究プロジェクトチームの主要な構成員であるため、その者の退職により当該研究の完成が著しく遅延するなどの重大な障害が生ずる場合
 重要案件を担当する本府省局長である定年退職予定者について、当該重要案件に係る国会対応、各種審議会対応、外部との折衝、外交交渉等の業務の継続性を確保するため、引き続き任用する特別の必要性が認められる場合
 2 勤務延長を行う場合及び勤務延長の期限を延長する場合の期限は、当該勤務延長の事由に応じた必要最少限のものでなくてはならない。
(4) 検事長になるような人は法務省勤務の長い人が多いため,「捜査公判を担当する検察官としての豊富な知識・経験等」を有していない方が普通です。
   また,1年ぐらいで交代する検事長の勤務が最大で1年延長されたにもかかわらず,引き続き7条3号の事由が存在するケースというのは考えにくいです。
   そのため,人事院が7条3号を杓子定規に当てはめた場合,検事長の勤務の再延長を承認することはなさそうですから,事実上,最初の勤務延長しかできないことになると思います。
(5) 朝日新聞HPに載っている「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」には以下の記載があります。
   仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。
   加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。
   これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。
   現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出されるゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。
(6) 国家公務員法1条3項前段は,「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない。」と定めています。
3 検事総長の勤務の延長及び再延長
   検事長の場合と同様に,検事総長の勤務の延長は内閣限りの判断で可能であるものの,検事総長の勤務の再延長は人事院の承認が必要となります。

第3 検察庁法改正案が成立した場合の取扱い
1 検事長の勤務の延長
   検事長をヒラの検事とすることにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める場合に該当すれば,検事長の勤務の延長ができます(検察庁法改正案22条5項)。
   そのため,内閣は,現在と同様に,内閣限りの判断で検事長の勤務を延長することができます。
2 検事長の勤務の再延長
(1) ①検事長をヒラの検事とすることにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める場合」(65歳まで延長する場合),及び②検事長の退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める場合(65歳から66歳まで延長する場合)に該当すれば,人事院の承認を得ることなく,検事長の勤務の延長ができます(65歳までは検察庁法改正案22条5項及び6項,65歳から66歳までは検察庁法改正案22条2項)。
   そのため,内閣は,現在の取扱いと異なり,内閣限りの判断で検事長の勤務を再延長することができます。
(2) 森まさこ法務大臣は,令和2年3月18日の衆議院法務委員会において以下の答弁をしています。
① 現行の勤務延長制度は、検察官への適用に当たって、あくまで国家公務員法上の制度として、退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由が引き続き認められるかどうかという再延長の要件の該当性の判断等について、人事院による判断にもなじむものでございました。
しかし、このたびの改正により、国家公務員法上の勤務延長制度は、検察官には適用がない役職定年制を前提とした規定が加えられることになりました。他方で、検察官については、他の一般職の国家公務員とは異なり、役職定年制の趣旨を踏まえた独自の制度を検察庁法に設けました。
そのため、改正後の国家公務員法の勤務延長の規定を検察官に適用するに当たっては、検察庁法で読みかえ規定を設けた上、検察庁法独自の制度を前提として適用することになったものでございます。

② このような検察庁法独自の制度を前提とした勤務延長の再延長の要件の判断は、検察官の任命権者である内閣又は法務大臣によることがより適当であると考えたものでございます。
   もっとも、勤務延長の再延長の要件の判断についてより慎重に実施するものとするために、その判断による手続等について準則等で事前に明らかにすることで濫用を防止でき、適切に再延長がなされるものと考えております。
(3) 平成28年11月29日から平成31年4月1日までの2年4ヶ月余りの間,防衛大臣によって勤務を延長された統合幕僚長の場合,「我が国を取り巻く安全保障環境等を踏まえ、自衛隊の各種任務を適切に遂行する」という理由が,自衛隊法45条3項及び4項の「自衛官が定年に達したことにより退職することが自衛隊の任務の遂行に重大な支障を及ぼすと認めるとき」に該当するということでした(平成29年6月13日付の内閣答弁書参照)。
   そして,「令和元年版防衛白書の刊行に寄せて」(防衛白書の発行日は令和元年10月25日)を前提とすれば,我が国を取り巻く安全保障環境等はずっと厳しいままですし,自衛官の勤務延長については人事院の承認が不要ですから,幹部自衛官の定年延長は事実上,自由にできる状態になっています。
   そのため,再延長について人事院の承認が不要になった場合,検事長の勤務延長についても事実上,内閣が自由にできる状態になる可能性があります。
3 検事総長の勤務の延長及び再延長
   検事長と同様に,内閣限りの判断で検事総長の勤務の再延長まで可能になります。

令和元年10月29日頃の,法務省の概要説明資料からの抜粋です。


第4 検察庁法改正案が成立した場合に予想される影響(個人的見解です。)
1 政治家の犯罪に対する捜査がずっと少なくなるかも知れないこと
(1) 定年制度は,人事の刷新等により組織運営の適正化を図るものでありますところ,定年に達した検事総長及び検事長の勤務が延長された場合,その分,人事が停滞することとなります。
(2) 現状では,検事総長及び検事長の勤務の再延長について人事院の承認を得られるとは思えません。
   そのため,内閣に高く評価された検事長であっても64歳までに検事長を退くこととなりますし,内閣に高く評価された検事総長であっても66歳までに検事総長を退くこととなります。


(3)ア exciteニュースの「”真っ黒”な甘利明を検察はなぜ「不起訴」にしたのか? 官邸と癒着した法務省幹部の”捜査潰し”全内幕」(2016年6月3日付)には以下の記載があります。
   「官房長という役職自体が、予算や人事の折衝をする役割で、政界とつながりが深いのですが、とくに黒川氏は小泉政権下で法務大臣官房参事官をつとめて以降、官房畑を歩んでおり、自民党、清和会にと非常に太いパイプをもっている。官房長になったのは民主党政権下の2011年なんですが、このときも民主党政権には非協力的で、自民党と通じているといわれていました。そして、第二次安倍政権ができると、露骨に官邸との距離を縮め、一体化といっていいくらいの関係を築くようになった。とくに菅官房長官、自民党の佐藤勉国対委員長とは非常に親しく、頻繁に会っているところを目撃されています」(前出・司法担当記者)
イ noteの「検事と人事ー検察庁法改正問題の背景」(2020年5月16日付)(筆者は落合洋司 元検事)には以下の記載があります。
   現在、問題になっている検察庁法改正で、認証官の定年延長が内閣の判断で行えるようになれば、政治の側から、この人物を検事総長に、と望んだ場合、定年延長してプールしておき(黒川氏のように)、検事総長人事の際に、その人物を任命するということが、従来より格段にやりやすくなるだろう。従来は、絞り込まれてきた検事総長候補以外に、修習期上、バランスを失せずに代わりえる人物はなかなか見出し難かった。それが、自由自在に定年延長ができることで、政権の目に叶った人物を一定数、プールできることになる。
ウ 文春オンラインの「そもそも、なぜ異例の出世ができた? 黒川前検事長が陰で呼ばれていた「意外なニックネーム」」(2020年5月26日付)には以下の記載があります。
   東京地検特捜部でロッキード事件を手掛けた吉永祐介氏は検事総長時代の1995年7月、次期総長と目されていた根來泰周・東京高検検事長(当時)が政界に近すぎることを嫌い、総長ポストを譲らずに根來氏を63歳で定年退官させている。この定年年齢の“ラグ”は、このように検察権力と政治権力の距離感を維持することにも寄与してきた歴史的背景もあるのだ。
2 検事正について63歳以降の勤務延長が政治的に問題となる可能性は非常に小さいこと
(1) 検察庁法改正案9条2項によれば,検事正は原則として63歳に達した日の翌日に他の職に補されるものとなっています。
   しかし,検事長になれる見込みがないにもかかわらず,61歳以上で検事正を続けていた検察官は,平成31年4月17日時点でいえば,田中素子京都地検検事正だけです(「法務・検察幹部名簿(2019年4月17日時点・生年月日順)」参照)。
   また,内閣としては,検事長の勤務延長が可能なわけですから,法務大臣を通じて検事正の勤務延長に介入する可能性は低いと思いますし,検事長の勤務延長ほど大きな影響がある話ではないです。
   そのため,検察庁法改正案が成立したとしても,61歳になるまでにほとんどが早期退職する検事正について,63歳以降の勤務延長が政治的に問題となる可能性は非常に小さいと思います。
(2)ア 読売新聞HPの「公証人ポスト回すため?念書に「10年で退職」」(2019年5月25日付)には以下の記載があります。
   複数の法務・検察関係者によると、法務・検察内部の慣行では、▽検事正経験者が公証人に再就職した場合、任期は最長10年か70歳まで▽地検の支部長や検察事務官ら検事正経験者以外の公証人の任期は最長8年――となっていた。
   この慣行に沿い、50歳代で公証人になる検事正は、10年後に退職することが明記された念書に署名。60歳以降に公証人に就いた検事正が、70歳の誕生日までに公証人を辞めると誓約した念書を同省に提出するケースもあった。地検の支部長や検察事務官ら検事正以外の念書には、8年後の退職が明記されていたという。
イ 根拠となる文書は法務省に存在しないものの,仮に読売新聞の記事が正しいとした場合,60歳になった後に検事正を早期退職して公証人になった場合,70歳まで公証人をすることができます。

3 平成26年4月1日以降に定年退官した検事
(1)ア ウエストロージャパンの「法曹界人事」(以前に掲載されていたデータを含む。)で確認できる検事でいえば,以下のとおりです(検事長は紫色表記です。)。
(令和元年度・4人)
・ 小川新一  広島高検検事長 (令和2年 3月26日限り)
・ 藤谷俊之  東京高検検事  (令和元年11月11日限り)
・ 遠藤秀一  東京高検検事  (令和元年10月 9日限り)
・ 椿剛志   東京高検検事  (令和元年 9月 7日限り)
(平成30年度・0人)
(該当者なし。)
(平成29年度・4人)
・ 柳浦清文  高松高検検事  (平成30年 1月15日限り)
・ 佐藤洋志  最高検検事   (平成29年12月 9日限り)
・ 阿賀学   東京高検検事  (平成29年10月16日限り)
・ 寺脇一峰  大阪高検検事長 (平成29年 4月12日限り)
(平成28年度・1人)
・ 伊丹俊彦  大阪高検検事長 (平成28年 9月 1日限り)
(平成27年度・2人)
・ 矢吹雄太郎 さいたま地検越谷支部長(平成28年 1月14日限り)
・ 尾崎道明  大阪高検検事長    (平成27年12月 4日限り)
(平成26年度・6人

・ 濱隆二   名古屋高検金沢支部長(平成27年 3月24日限り)
・ 長崎正治  名古屋高検検事   (平成27年 3月18日限り)
・ 河村博名  名古屋高検検事長  (平成27年 1月15日限り)
・ 巌文隆   大阪高検検事    (平成27年 1月 9日限り)
・ 水野美鈴  最高検検事     (平成26年 8月10日限り)
・ 山崎敬二  札幌法務局訟務部長 (平成26年 8月 1日限り)
イ 副検事の定年退官は珍しい話ではないです。
(2) 平成26年4月1日以降,検事長以外で定年退官した検事の人数の推移は以下のとおりですから,公証人に就任することを前提とした早期退職の慣行が変わらない限り,定年延長は普通の検事とほぼ関係がないです。
令和 元年度:3人
平成30年度:0人
平成29年度:3人
平成28年度:0人
平成27年度:1人
平成26年度:5人
4 検事について任期制を設けなかった理由の一つ
   「新検察制度の十年の回顧」には,裁判官と異なり,検事について任期制を設けなかった理由の一つとして以下の記載があります(昭和33年2月発行の法曹時報10巻2号66頁)。
口、政府の任命による官吏制度の下では原則として官吏に任期を設くべきではない。
   選挙によらず政府による任命を主とする現在の官吏制度において、官吏に任期を設けることは、恣意的な人事の行われる危険性が極めて大きくなるから、これを認める場合は例外とすべきである。裁判官についていえば、最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣でこれを任命するという方法により恣意的な人事の行われないよう十分保障があるから、その任期についてはこれを首肯することができるのであって、かかる事実を看過して任期制度をにわかに他の官吏に拡充することは正当ではない。
   殊に検事は行政官吏中職務の厳正を最も強く要請されるものであるから、人事を窓意的にする危険性の大きい任期制は、検事の職能にかんがみ政治的考慮にもとづく人事の行われる危険性をそれだけ多くもたらすことになる。かかる人事が一度でも行われれば検事の任命は絶えず疑惑を以て見られることになり、反対の立場の政府の任命した検事は、これを再任せしめないという傾向を生ずるようになり、窮極において検事は欲すると欲せざるとに拘らず政治的着色を蒙むることとなり、真面目な検事の到底耐え難いことになる。

第5 関連記事
① 東京高検検事長の勤務延長問題

② 国家公務員法81条の3に基づき,検察官の勤務延長が認められる理由
 令和2年の検察庁法改正案及び検察官俸給法改正案に関する法案審査資料

国家公務員法81条の3に基づき,検察官の勤務延長が認められる理由

国家公務員法81条の3に基づき,検察官の勤務延長が認められる理由としては,以下のものが考えられます。

1 検察官の勤務延長に関する政府見解(私が独自に政府答弁を要約したものです。)
   一般法たる国家公務員法の懲戒,服務等の諸規定については,特に読替規定を置くこともなく,当然に検察官にも適用されているのであって,例えば,任命権者から懲戒処分を受けた職員は人事院に不服申立てを行ってその審査を受けることができるものとされているところ、これは内閣が任命する検事長についても変わらない。
   また,公務員の中の新陳代謝を図りながら,きちっとした年齢まで働けるということを前提に,安心して人生設計をさせて,しっかり職務に当たらせるという定年制度の意義自身は,同じ国家公務員たる検察官と一般の公務員とで同じであるから,そこのところについて何か検察官の特殊性がどうこうという議論は基本的にはない。
   さらに,検察庁法32条の2は,その職務執行の公正が直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼすという検察官の職務と責任の特殊性は国家公務員法施行後も変わらないことから,検察庁法中,検察官の任免に関する規定を国家公務員法の特例としたというものであり,他の一般の国家公務員についても定年が定められた昭和56年の国家公務員法改正後において検察官に特別の定年が定められているのは,その職務と責任に特殊性があることによるものと解される。
   ところで,昭和55年10月の総理府人事局作成の想定問答には,検察官の場合,勤務延長が認められないと記載されているものの,その理由は必ずしも明らかではないし,大学の教員についても勤務延長が認められない理由が職務の特殊性によるものかどうかも明らかではないし,当時と比べて色々検察行政が複雑化しているといった情勢の変化からすれば,行政府の判断として責任を持って解釈変更をするのであれば問題はない。
   また,司法大臣の決定により最大で3年間,引き続き検事は在職できるとしていた裁判所構成法80条ノ2と同趣旨の規定が検察庁法で定められなかった理由について帝国議会議事録等でも特段触れられていないため,その理由は必ずしも明らかではない。
   そのため,国家公務員が定年により退職するという規範そのものは,検察官であっても一般法たる国家公務員法によっているというべきであって,検察官の定年による退職は,検察庁法22条により定年年齢及び退職時期について修正された国家公務員法81条の2第1項に基づくものと解される。
   よって,前条第1項の規定により退職した場合に適用される国家公務員法81条の3は検察官にも適用されるものと解される。

2 政府答弁で言及されていないものの,政府見解を支持することにつながる理由
① 「一級の検察官は、内閣が、二級の検察官は、内閣総理大臣が、これを任免する。」と定めていた検察庁法15条3項が昭和24年5月31日法律第138号により削除され,検事及び副検事の任免権者に関する定めが検察庁法に存在しなくなった結果,国家公務員法55条1項及び61条に基づき,法務総裁(昭和27年8月1日以降は法務大臣)が検事及び副検事の任免権者となった(国家公務員法55条1項の適用につき昭和24年5月11日の参議院法務委員会における高橋一郎法務庁検務局長の答弁参照)
   また,「この法律の規定は、国家公務員法の如何なる条項をも廃止し、若しくは修正し、又はこれに代わるものではない。」と定める検察官俸給法(昭和23年7月1日法律第76号)附則8条は,国家公務員法の規定が検察官俸給法に優先するものであるという一つの思想を表現したものである(昭和23年5月5日の参議院司法委員会における岡咲恕一法務庁調査意見第一局長の答弁参照)ことからしても,検察官に対する国家公務員法の適用が避けられていたわけでは全くない。
   そのため,これらのことからしても,検察庁法に定めのない事項については,国家公務員法が当然に適用されるといえる。
② 検察庁法32条の2は,国家公務員法(昭和22年10月21日法律第120号)が制定された後の昭和24年5月31日法律第138号によって追加された条文であるところ,当時の国家公務員法には定年年齢及び退職時期の定めがなかったため,勤務延長が問題となることもなかった。
   そのため,定年年齢及び退職時期について定めているだけの検察庁法22条は,昭和56年6月11日法律第77号によって追加された国家公務員法81条の3(定年による退職の特例)の特例まで定めたものとはいえない。
③ 大学の教員については,教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き,制定当時の教育公務員特例法(昭和24年1月12日法律第1号)8条2項に基づき,停年が定められていた。
   そして,平成13年4月1日以降,国立大学の教員については平成11年7月7日法律第83号による改正後の教育公務員特例法8条の2第2項(平成16年4月1日の国立大学法人化に伴い,平成15年7月16日法律第117号に基づき削除)に基づき,公立大学の教員については平成11年7月22日法律第107号による改正後の教育公務員特例法8条の3第2項(現在の8条2項)に基づき,勤務延長を定める国家公務員法81条の2及び地方公務員法28条の3の適用が明文で排除されるようになった。
   それにもかかわらず,検察庁法については同趣旨の改正が行われなかった。
④ 職務と責任に特殊性があること又は欠員の補充が困難であることにより定年を60歳とすることが著しく不適当と認められる官職を占める職員については,60歳を超えて65歳を超えない範囲内の定年を人事院規則で定めることが予定されている(国家公務員法81条の2第2項3号)ところ,例えば,事務次官,外局の長官,会計検査院事務総長及び人事院事務総長の定年は62歳とされている(人事院規則11-8(職員の定年)別表)。
   そのため,職務と責任の特殊性は,定年年齢を遅くする方向に考慮すべき事情といえる。
⑤ 人事院は内閣の所轄の下にある(国家公務員法3条1項前段。なお,憲法73条4号の「官吏に関する事務を掌理すること。」参照)とはいえ,国家行政組織法の適用が除外されている(国家公務員法4条4項後段)し,会計検査院は内閣に対し独立の地位を有している(会計検査院法1条。なお,憲法90条1項参照)。
   そのため,これらの機関は,法務省に置かれる特別の機関であり(法務省設置法14条1項),検察に関する事務をつかさどる法務省(法務省設置法4条1項7号)の長である法務大臣(法務省設置法2条2項)の一般的な指揮監督を受ける検察庁(検察庁法14条本文)よりも高度の独立性を有しているといえる。
   そして,人事院事務総局(国家公務員法13条)の職員及び会計検査院事務総局(会計検査院法2条及び12条)の職員についても勤務延長に関する国家公務員法81条の3が適用されることからすれば,独立性を確保する必要性が高いというだけの理由により勤務延長を一律に否定する必要があるとはいえない。
⑥ 両議院の同意を経て,内閣が任命する人事官(国家公務員法5条1項)は,任命前の5年間において,政党の役員等をしていた者が任命されることはできないし(国家公務員法5条4項),同一の大学学部を卒業した人が2人以上任命されることはできない(国家公務員法5条5項)ぐらい,政治的中立性が要求されているところ,引き続き12年を超えて在任することができない(国家公務員法7条2項)とはいえ,定年の定め自体がない。
   そのため,政治的中立性を確保する必要性が高いというだけの理由により勤務延長を一律に否定する必要があるとはいえない。
⑦ 昭和56年4月28日の衆議院内閣委員会における斧誠之助人事院任用局長の答弁は,何ら理由を述べることなく,改正国家公務員法に基づく定年制が適用されないと説明しているに過ぎないし,そもそも検察庁法を所管している法務省刑事局長の答弁ではない。


*0 検察官の勤務の再延長については,人事院の承認が必要です(国家公務員法81条の3第2項)。
*1 以下の記事も参照してください。
① 東京高検検事長の勤務延長問題
② 検察庁法改正案の成立前後における,検事長の勤務延長の取扱い
③ 令和2年の検察庁法改正案及び検察官俸給法改正案に関する法案審査資料
*2 朝日新聞HPに載っている「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」には以下の記載があります。
   この閣議決定(山中注:令和2年1月31日付の閣議決定のこと。)による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。
*3 辻田力文部事務官は,昭和23年12月9日の参議院文教委員会において,教育公務員特例法案(8条2項は「教員の停年については、大学管理機関が定める。」でした。)に関して以下の答弁をしています。
   大学につきましてはこの採用昇任の外に、轉任或いは降任、免職、休職或いは任期、停年、懲戒、その他服務等に特別に、大学としての自治の精神、大学の自主性或いは学問の自由の保障という観点から、それぞれ大学におきまして、原則として自治的に自主的に運営できるような規定を各條に設けた次第であります。
*4 国家公務員の定年制度について(昭和54年8月9日付の,総理府総務長官宛の人事院総裁の書簡)(法令解説資料総覧26号(昭和57年2月発行)15頁及び16頁に掲載されているもの)には以下の記載があるものの,検察官及び大学の教員について勤務延長の適用を否定する実質的理由の記載はありません。
   定年制度は、適正な新陳代謝の促進を図るとともに、計画的な安定した人事管理の確保等を目的とするものであるので、任期を定めて又は臨時的に任用される職員を除く一般職に属する常勤の職員に適用するものとする。ただし、検察官及び大学の教員については、すでに検察庁法及び教育公務員特例法により、定年制度に関する規定が設けられているので,それらの規定するところによるものとする。
*5 人事院の平成11年度年次報告書の「定年後の新たな再任用制度の導入及び在職期間の長期化」には以下の記載があります。
① 定年後の新たな再任用制度の導入
   本格的な高齢社会を迎える中、平成13年4月から公的年金(基礎年金に相当する定額部分)の支給開始年齢が引き上げられることとされており、雇用と年金との連携を図るとともに、高齢者が長年培った能力・経験を有効に発揮できるよう65歳までの継続雇用を推進することは国全体の課題とされている。
   公務部門における高齢者雇用については、平成10年5月に人事院が行った意見の申出に基づき、平成11年7月、「国家公務員法等の一部を改正する法律」(平成11年法律第83号)が成立し、定年退職した者等を最長65歳まで再雇用する新たな再任用制度が導入され、年金の支給開始年齢の引上げが開始される平成13年4月1日から施行されることとなっている。事院は、新再任用制度の円滑な導入に向けた準備が各省庁において適切に行われるよう、平成11年10月、同制度の実施のために必要な事項を定めた規則11-9(定年退職者等の再任用)を制定した。
② 在職期間の長期化
   公務においては、ピラミッド型組織構造の下で年次主義的な昇進管理が行われてきたため、幹部職員の多くが50歳代前半に退職し、所属省庁のあっせんにより民間企業や特殊法人等に再就職する人事慣行が行われてきた。このような慣行は、円滑に組織の新陳代謝がなされる面があるが、官民の癒着が生じたり、長年培った職員の能力を公務に十分活用できないなどの弊害があり、近時是正する必要性が高まっている。
   人事院は、平成11年の給与勧告時の報告において、早期退職慣行の是正に向けて具体的な取組が必要であることを表明した。その際、幹部職員についても60歳(定年)までの在職を目指し、できるだけ長く公務部内で活用できるよう人事システムを再構築していくべきこと、当面、幹部職員の過半数が53歳以前で勧奨退職している現状の是正を図るべきであることを指摘した。また、在職期間の長期化に当たっては、行政をめぐる状況の変化に対応するために必要となるスタッフ職・専門職の充実やポストの再評価等を有効に活用することが必要であることも併せて表明した。
   人事院は、引き続き退職管理の適正化のため、関係機関との連携を図りながら検討を進めることとしている。
*6 参議院議員小西洋之君提出政府の憲法解釈の変更に関する質問に対する答弁書(平成27年10月6日付)には以下の記載があります。
   憲法を始めとする法令の解釈とは、法令の適用の前提として法令の意味内容を明らかにすることであり、法令解釈の変更とは、従前の法令解釈を変更することをいうが、憲法解釈の変更に当たっては、衆議院議員島聡君提出政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書(平成十六年六月十八日内閣衆質一五九第一一四号)一についてで述べたとおり、「憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではない」と考えており、この考え方は、憲法の下位規範である法令の解釈についても当てはまるものである。

法務・検察幹部名簿(2019年4月17日時点・修習期→生年月日順)

生年月日が開示される法務大臣決裁の対象人事に限るものの,法務・検察幹部の氏名,修習期,生年月日,年齢,現職就任日,現職及び前職につき,2019年4月17日時点のものを,修習期→生年月日順で以下のとおり掲載しています(元データは「法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)」に掲載しています。)。

1 稲田伸夫 33 期 1956年8月14日 62 歳 2018年7月25日 検事総長 ( 東京高検検事長 )
2 稲川龍也 35 期 1956年9月13日 62 歳 2018年1月9日 広島高検検事長 ( 高松高検検事長 )
3 黒川弘務 35 期 1957年2月8日 62 歳 2019年1月18日 東京高検検事長 ( 法務事務次官 )
4 林眞琴 35 期 1957年7月30日 61 歳 2018年1月9日 名古屋高検検事長 ( 法務省刑事局長 )
5 上野友慈 35 期 1957年8月28日 61 歳 2018年2月26日 大阪高検検事長 ( 札幌高検検事長 )
6 小川新二 36 期 1957年3月27日 62 歳 2018年1月9日 高松高検検事長 ( 最高検公安部長 )
7 大谷晃大 36 期 1957年5月7日 61 歳 2018年7月25日 仙台高検検事長 ( 横浜地検検事正 )
8 堺徹 36 期 1958年7月17日 60 歳 2018年7月25日 次長検事 ( 仙台高検検事長 )
9 榊原一夫 36 期 1958年8月6日 60 歳 2018年2月26日 福岡高検検事長 ( 大阪地検検事正 )
10 中川清明 36 期 1958年9月13日 60 歳 2016年9月5日 公安調査庁長官 ( 最高検公安部長 )
11 甲斐行夫 36 期 1959年9月26日 59 歳 2017年9月7日 東京地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
12 井上宏 37 期 1957年6月17日 61 歳 2018年2月26日 札幌高検検事長 ( 名古屋地検検事正 )
13 片岡弘 37 期 1958年4月8日 61 歳 2018年2月26日 名古屋地検検事正 ( 千葉地検検事正 )
14 杉山治樹 37 期 1959年3月6日 60 歳 2018年1月22日 神戸地検検事正 ( 最高検検事 )
15 北川健太郎 37 期 1959年9月14日 59 歳 2018年2月26日 大阪地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
16 中原亮一 37 期 1959年11月29日 59 歳 2018年7月25日 横浜地検検事正 ( 最高検公安部長 )
17 堀嗣亜貴 37 期 1960年5月4日 58 歳 2018年1月22日 福岡地検検事正 ( 仙台地検検事正 )
18 北村篤 37 期 1961年3月4日 58 歳 2018年2月26日 千葉地検検事正 ( 広島地検検事正 )
19 野口元郎 37 期 1961年4月1日 58 歳 2014年4月11日 最高検検事 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
20 曽木徹也 38 期 1960年1月5日 59 歳 2018年7月25日 最高検公安部長 ( 東京高検次席検事 )
21 落合義和 38 期 1960年1月7日 59 歳 2018年2月26日 最高検刑事部長 ( さいたま地検検事正 )
22 大塲亮太郎 38 期 1960年3月6日 59 歳 2019年1月18日 法務総合研究所長 ( 最高検公判部長 )
23 辻裕教 38 期 1961年10月4日 57 歳 2019年1月18日 法務事務次官 ( 法務省刑事局長 )
24 千田恵介 39 期 1958年8月12日 60 歳 2018年6月25日 高松地検検事正 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
25 山上秀明 39 期 1960年7月14日 58 歳 2018年7月25日 東京高検次席検事 ( 東京地検次席検事 )
26 田辺泰弘 39 期 1960年11月7日 58 歳 2017年6月23日 大阪高検次席検事 ( 大阪地検次席検事 )
27 廣上克洋 39 期 1961年11月8日 57 歳 2018年1月22日 最高検総務部長 ( 名古屋高検次席検事 )
28 和田雅樹 39 期 1961年12月21日 57 歳 2019年1月18日 最高検公判部長 ( 法務省入国管理局長 )
29 田中素子 40 期 1958年4月22日 60 歳 2018年2月26日 京都地検検事正 ( 水戸地検検事正 )
30 小澤正義 40 期 1959年1月3日 60 歳 2018年2月26日 札幌地検検事正 ( 福島地検検事正 )
31 阪井博 40 期 1959年4月1日 60 歳 2018年10月30日 宇都宮地検検事正 ( 金沢地検検事正 )
32 原島肇 40 期 1960年1月1日 59 歳 2018年6月25日 岐阜地検検事正 ( 広島高検次席検事 )
33 仁田良行 40 期 1960年2月4日 59 歳 2018年2月26日 長崎地検検事正 ( 鳥取地検検事正 )
34 畑野隆二 40 期 1960年4月14日 59 歳 2018年4月11日 岡山地検検事正 ( 高松高検次席検事 )
35 片山巌 40 期 1960年7月10日 58 歳 2019年4月17日 広島地検検事正 ( 前橋地検検事正 )
36 大図明 40 期 1961年3月20日 58 歳 2019年4月17日 前橋地検検事正 ( 仙台高検次席検事 )
37 小山太士 40 期 1961年5月13日 57 歳 2019年1月18日 法務省刑事局長 ( 法務省大臣官房長 )
38 吉池浩嗣 40 期 1961年12月11日 57 歳 2018年1月9日 大津地検検事正 ( 高知地検検事正 )
39 畝本直美 40 期 1962年7月9日 56 歳 2019年1月18日 最高検監察指導部長 ( 法務省保護局長 )
40 上富敏伸 40 期 1962年8月10日 56 歳 2019年1月18日 さいたま地検検事正 ( 最高検監察指導部長 )
41 関一穂 41 期 1959年7月16日 59 歳 2019年3月1日 最高検検事 ( 預金保険機構 )
42 関隆男 41 期 1959年10月14日 59 歳 2018年10月30日 新潟地検検事正 ( 札幌高検次席検事 )
43 矢本忠嗣 41 期 1960年1月13日 59 歳 2018年7月19日 山口地検検事正 ( 佐賀地検検事正 )
44 畝本毅 41 期 1960年7月17日 58 歳 2017年6月23日 大阪地検次席検事 ( 金沢地検検事正 )
45 吉田安志 41 期 1960年9月3日 58 歳 2018年10月30日 最高検検事 ( 新潟地検検事正 )
46 秋山仁美 41 期 1960年11月20日 58 歳 2018年7月25日 福井地検検事正 ( 東京法務局長 )
47 神村昌通 41 期 1961年3月8日 58 歳 2018年10月30日 静岡地検検事正 ( 最高検検事 )
48 吉田誠治 41 期 1961年4月27日 57 歳 2019年1月18日 最高検検事 ( 長野地検検事正 )
49 久木元伸 41 期 1961年7月21日 57 歳 2018年7月25日 東京地検次席検事 ( 最高検検事 )
50 河瀬由美子 41 期 1961年9月4日 57 歳 2018年1月22日 名古屋高検次席検事 ( 最高検検事 )
51 高嶋智光 41 期 1961年10月6日 57 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁次長 ( 法務省人権擁護局長 )
52 西谷隆 41 期 1961年11月28日 57 歳 2018年7月19日 最高検検事 ( 山口地検検事正 )
53 宇川春彦 41 期 1962年2月20日 57 歳 2019年1月18日 長野地検検事正 ( 最高検検事 )
54 廣瀬勝重 41 期 1962年7月8日 56 歳 2018年4月11日 高松高検次席検事 ( 青森地検検事正 )
55 齊藤隆博 41 期 1963年1月1日 56 歳 2017年7月27日 最高検検事 ( 徳島地検検事正 )
56 浦田啓一 41 期 1963年10月28日 55 歳 2018年1月9日 公安調査庁次長 ( 大津地検検事正 )
57 森本和明 41 期 1963年12月30日 55 歳 2019年3月11日 仙台地検検事正 ( 福岡高検次席検事 )
58 川原隆司 41 期 1964年8月16日 54 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房長 ( 最高検検事 )
59 山西宏紀 41 期 1964年9月6日 54 歳 2018年9月3日 高知地検検事正 ( 内閣府大臣官房独立公文書管理監 )
60 佐藤光代 42 期 1960年1月7日 59 歳 2018年4月11日 松江地検検事正 ( 静岡地検沼津支部長 )
61 片岡敏晃 42 期 1960年6月1日 58 歳 2018年9月3日 水戸地検検事正 ( 高知地検検事正 )
62 西村尚芳 42 期 1960年6月19日 58 歳 2018年4月11日 青森地検検事正 ( 東京地検刑事部長 )
63 佐藤美由紀 42 期 1960年8月30日 58 歳 2019年4月17日 仙台高検次席検事 ( 盛岡地検検事正 )
64 木村泰昌 42 期 1961年9月11日 57 歳 2019年1月28日 熊本地検検事正 ( 大分地検検事正 )
65 佐藤隆文 42 期 1962年1月14日 57 歳 2019年3月11日 福岡高検次席検事 ( 富山地検検事正 )
66 小野正弘 42 期 1962年2月4日 57 歳 2018年6月25日 広島高検次席検事 ( 和歌山地検検事正 )
67 木村匡良 42 期 1962年5月16日 56 歳 2018年1月22日 秋田地検検事正 ( 横浜地検小田原支部長 )
68 中村孝 42 期 1962年7月31日 56 歳 2018年6月25日 那覇地検検事正 ( 東京高検刑事部長 )
69 早川幸伸 42 期 1962年8月8日 56 歳 2019年3月11日 福島地検検事正 ( 宮崎地検検事正 )
70 高橋久志 42 期 1962年12月6日 56 歳 2018年10月30日 札幌高検次席検事 ( 甲府地検検事正 )
71 植村誠 42 期 1963年1月7日 56 歳 2018年2月26日 鳥取地検検事正 ( 神戸地検姫路支部長 )
72 山元裕史 42 期 1963年10月12日 55 歳 2018年7月25日 最高検検事 ( 福井地検検事正 )
73 菊池浩 42 期 1963年11月7日 55 歳 2019年4月1日 法務省人権擁護局長 ( 奈良地検検事正 )
74 白木功 42 期 1963年11月30日 55 歳 2018年7月19日 松山地検検事正 ( 東京高検公判部長 )
75 森脇尚史 43 期 1959年9月26日 59 歳 2018年10月30日 金沢地検検事正 ( 福岡地検小倉支部長 )
76 互敦史 43 期 1959年11月1日 59 歳 2018年6月25日 徳島地検検事正 ( 千葉地検次席検事 )
77 尾崎寛生 43 期 1961年2月10日 58 歳 2018年10月30日 釧路地検検事正 ( 名古屋地検岡崎支部長 )
78 吉田久 43 期 1961年4月26日 57 歳 2018年7月25日 山形地検検事正 ( 最高検検事 )
79 恒川由理子 43 期 1961年7月15日 57 歳 2018年7月19日 佐賀地検検事正 ( 京都地検次席検事 )
80 古谷伸彦 43 期 1961年11月26日 57 歳 2018年10月30日 鹿児島地検検事正 ( さいたま地検次席検事 )
81 長谷川保 43 期 1963年6月30日 55 歳 2018年7月25日 旭川地検検事正 ( 横浜地検川崎支部長 )
82 永幡無二雄 43 期 1963年8月30日 55 歳 2019年1月28日 大分地検検事正 ( 最高検検事 )
83 山口英幸 43 期 1963年10月2日 55 歳 2018年1月9日 奈良地検検事正 ( 横浜地検次席検事 )
84 山本真千子 43 期 1963年10月9日 55 歳 2018年6月25日 函館地検検事正 ( 大阪地検特別捜査部長 )
85 松本裕 43 期 1964年9月12日 54 歳 2019年1月18日 津地検検事正 ( 法務省大臣官房秘書課長 )
86 山本幸博 43 期 1964年12月4日 54 歳 2018年6月25日 和歌山地検検事正 ( 東京地検立川支部長 )
87 八澤健三郎 43 期 1965年1月27日 54 歳 2019年1月28日 最高検検事 ( 福岡地検次席検事 )
88 宮川博行 43 期 1965年2月16日 54 歳 2018年10月30日 甲府地検検事正 ( 最高検検事 )
89 工藤恭裕 43 期 1966年2月22日 53 歳 2019年4月10日 最高検検事 ( 名古屋高検公安部長 )
90 伊藤栄二 43 期 1966年10月4日 52 歳 2015年10月27日 法務省大臣官房人事課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
91 新田智昭 44 期 1962年10月12日 56 歳 2019年3月11日 富山地検検事正 ( 名古屋地検次席検事 )
92 鈴木眞理子 44 期 1963年2月19日 56 歳 2018年7月19日 京都地検次席検事 ( 大阪地検公判部長 )
93 小弓場文彦 44 期 1964年3月1日 55 歳 2019年1月28日 福岡地検次席検事 ( 大阪高検刑事部長 )
94 大久保和征 44 期 1964年12月16日 54 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検公安部長 )
95 勝山浩嗣 44 期 1965年1月1日 54 歳 2018年4月11日 神戸地検次席検事 ( 大阪地検公安部長 )
96 石井隆 44 期 1965年11月2日 53 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) ( 法務総合研究所総務企画部長 )
97 飯島泰 44 期 1966年4月30日 52 歳 2019年4月17日 盛岡地検検事正 ( 最高検検事 )
98 加藤俊治 44 期 1966年7月26日 52 歳 2019年3月11日 宮崎地検検事正 ( 最高検検事 )
99 森本加奈 44 期 1966年12月15日 52 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
100 竹内寛志 45 期 1964年11月3日 54 歳 2019年1月28日 横浜地検次席検事 ( 東京地検刑事部長 )
101 坂本佳胤 45 期 1964年11月18日 54 歳 2018年10月30日 さいたま地検次席検事 ( 東京高検検事 )
102 西山卓爾 45 期 1966年10月25日 52 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房政策立案総括審議官 ( 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) )
103 清野憲一 45 期 1967年11月15日 51 歳 2018年6月25日 千葉地検次席検事 ( 東京地検公判部長 )
104 松下裕子 45 期 1968年2月20日 51 歳 2018年7月19日 法務省大臣官房会計課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
105 菅野俊明 46 期 1959年11月3日 59 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
106 築雅子 46 期 1964年12月14日 54 歳 2019年3月11日 名古屋地検次席検事 ( 横浜地検公判部長 )
107 佐藤淳 46 期 1969年1月12日 50 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁審議官(総合調整担当) ( 法務省大臣官房施設課長 )
108 佐久間佳枝 47 期 1963年10月8日 55 歳 2019年4月1日 法務省大臣官房施設課長 ( 法務省人権擁護局総務課長 )
109 山内由光 47 期 1966年1月12日 53 歳 2018年2月26日 法務省大臣官房審議官(国際・人権担当) ( 法務省刑事局国際課長 )
110 吉川崇 47 期 1968年4月4日 51 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房秘書課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
111 保坂和人 47 期 1968年12月27日 50 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(刑事局担当) ( 法務省刑事局刑事法制管理官 )

法務・検察幹部名簿(2019年4月17日時点・生年月日順)

生年月日が開示される法務大臣決裁の対象人事に限るものの,法務・検察幹部の氏名,修習期,生年月日,年齢,現職就任日,現職及び前職につき,2019年4月17日時点のものを,生年月日順で以下のとおり掲載しています(元データは「法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)」に掲載しています。)。

1 稲田伸夫 33 期 1956年8月14日 62 歳 2018年7月25日 検事総長 ( 東京高検検事長 )
2 稲川龍也 35 期 1956年9月13日 62 歳 2018年1月9日 広島高検検事長 ( 高松高検検事長 )
3 黒川弘務 35 期 1957年2月8日 62 歳 2019年1月18日 東京高検検事長 ( 法務事務次官 )
4 小川新二 36 期 1957年3月27日 62 歳 2018年1月9日 高松高検検事長 ( 最高検公安部長 )
5 大谷晃大 36 期 1957年5月7日 61 歳 2018年7月25日 仙台高検検事長 ( 横浜地検検事正 )
6 井上宏 37 期 1957年6月17日 61 歳 2018年2月26日 札幌高検検事長 ( 名古屋地検検事正 )
7 林眞琴 35 期 1957年7月30日 61 歳 2018年1月9日 名古屋高検検事長 ( 法務省刑事局長 )
8 上野友慈 35 期 1957年8月28日 61 歳 2018年2月26日 大阪高検検事長 ( 札幌高検検事長 )
9 片岡弘 37 期 1958年4月8日 61 歳 2018年2月26日 名古屋地検検事正 ( 千葉地検検事正 )
10 田中素子 40 期 1958年4月22日 60 歳 2018年2月26日 京都地検検事正 ( 水戸地検検事正 )
11 堺徹 36 期 1958年7月17日 60 歳 2018年7月25日 次長検事 ( 仙台高検検事長 )
12 榊原一夫 36 期 1958年8月6日 60 歳 2018年2月26日 福岡高検検事長 ( 大阪地検検事正 )
13 千田恵介 39 期 1958年8月12日 60 歳 2018年6月25日 高松地検検事正 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
14 中川清明 36 期 1958年9月13日 60 歳 2016年9月5日 公安調査庁長官 ( 最高検公安部長 )
15 小澤正義 40 期 1959年1月3日 60 歳 2018年2月26日 札幌地検検事正 ( 福島地検検事正 )
16 杉山治樹 37 期 1959年3月6日 60 歳 2018年1月22日 神戸地検検事正 ( 最高検検事 )
17 阪井博 40 期 1959年4月1日 60 歳 2018年10月30日 宇都宮地検検事正 ( 金沢地検検事正 )
18 関一穂 41 期 1959年7月16日 59 歳 2019年3月1日 最高検検事 ( 預金保険機構 )
19 北川健太郎 37 期 1959年9月14日 59 歳 2018年2月26日 大阪地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
20 甲斐行夫 36 期 1959年9月26日 59 歳 2017年9月7日 東京地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
21 森脇尚史 43 期 1959年9月26日 59 歳 2018年10月30日 金沢地検検事正 ( 福岡地検小倉支部長 )
22 関隆男 41 期 1959年10月14日 59 歳 2018年10月30日 新潟地検検事正 ( 札幌高検次席検事 )
23 互敦史 43 期 1959年11月1日 59 歳 2018年6月25日 徳島地検検事正 ( 千葉地検次席検事 )
24 菅野俊明 46 期 1959年11月3日 59 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
25 中原亮一 37 期 1959年11月29日 59 歳 2018年7月25日 横浜地検検事正 ( 最高検公安部長 )
26 原島肇 40 期 1960年1月1日 59 歳 2018年6月25日 岐阜地検検事正 ( 広島高検次席検事 )
27 曽木徹也 38 期 1960年1月5日 59 歳 2018年7月25日 最高検公安部長 ( 東京高検次席検事 )
28 落合義和 38 期 1960年1月7日 59 歳 2018年2月26日 最高検刑事部長 ( さいたま地検検事正 )
29 佐藤光代 42 期 1960年1月7日 59 歳 2018年4月11日 松江地検検事正 ( 静岡地検沼津支部長 )
30 矢本忠嗣 41 期 1960年1月13日 59 歳 2018年7月19日 山口地検検事正 ( 佐賀地検検事正 )
31 仁田良行 40 期 1960年2月4日 59 歳 2018年2月26日 長崎地検検事正 ( 鳥取地検検事正 )
32 大塲亮太郎 38 期 1960年3月6日 59 歳 2019年1月18日 法務総合研究所長 ( 最高検公判部長 )
33 畑野隆二 40 期 1960年4月14日 59 歳 2018年4月11日 岡山地検検事正 ( 高松高検次席検事 )
34 堀嗣亜貴 37 期 1960年5月4日 58 歳 2018年1月22日 福岡地検検事正 ( 仙台地検検事正 )
35 片岡敏晃 42 期 1960年6月1日 58 歳 2018年9月3日 水戸地検検事正 ( 高知地検検事正 )
36 西村尚芳 42 期 1960年6月19日 58 歳 2018年4月11日 青森地検検事正 ( 東京地検刑事部長 )
37 片山巌 40 期 1960年7月10日 58 歳 2019年4月17日 広島地検検事正 ( 前橋地検検事正 )
38 山上秀明 39 期 1960年7月14日 58 歳 2018年7月25日 東京高検次席検事 ( 東京地検次席検事 )
39 畝本毅 41 期 1960年7月17日 58 歳 2017年6月23日 大阪地検次席検事 ( 金沢地検検事正 )
40 佐藤美由紀 42 期 1960年8月30日 58 歳 2019年4月17日 仙台高検次席検事 ( 盛岡地検検事正 )
41 吉田安志 41 期 1960年9月3日 58 歳 2018年10月30日 最高検検事 ( 新潟地検検事正 )
42 田辺泰弘 39 期 1960年11月7日 58 歳 2017年6月23日 大阪高検次席検事 ( 大阪地検次席検事 )
43 秋山仁美 41 期 1960年11月20日 58 歳 2018年7月25日 福井地検検事正 ( 東京法務局長 )
44 尾崎寛生 43 期 1961年2月10日 58 歳 2018年10月30日 釧路地検検事正 ( 名古屋地検岡崎支部長 )
45 北村篤 37 期 1961年3月4日 58 歳 2018年2月26日 千葉地検検事正 ( 広島地検検事正 )
46 神村昌通 41 期 1961年3月8日 58 歳 2018年10月30日 静岡地検検事正 ( 最高検検事 )
47 大図明 40 期 1961年3月20日 58 歳 2019年4月17日 前橋地検検事正 ( 仙台高検次席検事 )
48 野口元郎 37 期 1961年4月1日 58 歳 2014年4月11日 最高検検事 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
49 吉田久 43 期 1961年4月26日 57 歳 2018年7月25日 山形地検検事正 ( 最高検検事 )
50 吉田誠治 41 期 1961年4月27日 57 歳 2019年1月18日 最高検検事 ( 長野地検検事正 )
51 小山太士 40 期 1961年5月13日 57 歳 2019年1月18日 法務省刑事局長 ( 法務省大臣官房長 )
52 恒川由理子 43 期 1961年7月15日 57 歳 2018年7月19日 佐賀地検検事正 ( 京都地検次席検事 )
53 久木元伸 41 期 1961年7月21日 57 歳 2018年7月25日 東京地検次席検事 ( 最高検検事 )
54 河瀬由美子 41 期 1961年9月4日 57 歳 2018年1月22日 名古屋高検次席検事 ( 最高検検事 )
55 木村泰昌 42 期 1961年9月11日 57 歳 2019年1月28日 熊本地検検事正 ( 大分地検検事正 )
56 辻裕教 38 期 1961年10月4日 57 歳 2019年1月18日 法務事務次官 ( 法務省刑事局長 )
57 高嶋智光 41 期 1961年10月6日 57 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁次長 ( 法務省人権擁護局長 )
58 廣上克洋 39 期 1961年11月8日 57 歳 2018年1月22日 最高検総務部長 ( 名古屋高検次席検事 )
59 古谷伸彦 43 期 1961年11月26日 57 歳 2018年10月30日 鹿児島地検検事正 ( さいたま地検次席検事 )
60 西谷隆 41 期 1961年11月28日 57 歳 2018年7月19日 最高検検事 ( 山口地検検事正 )
61 吉池浩嗣 40 期 1961年12月11日 57 歳 2018年1月9日 大津地検検事正 ( 高知地検検事正 )
62 和田雅樹 39 期 1961年12月21日 57 歳 2019年1月18日 最高検公判部長 ( 法務省入国管理局長 )
63 佐藤隆文 42 期 1962年1月14日 57 歳 2019年3月11日 福岡高検次席検事 ( 富山地検検事正 )
64 小野正弘 42 期 1962年2月4日 57 歳 2018年6月25日 広島高検次席検事 ( 和歌山地検検事正 )
65 宇川春彦 41 期 1962年2月20日 57 歳 2019年1月18日 長野地検検事正 ( 最高検検事 )
66 木村匡良 42 期 1962年5月16日 56 歳 2018年1月22日 秋田地検検事正 ( 横浜地検小田原支部長 )
67 廣瀬勝重 41 期 1962年7月8日 56 歳 2018年4月11日 高松高検次席検事 ( 青森地検検事正 )
68 畝本直美 40 期 1962年7月9日 56 歳 2019年1月18日 最高検監察指導部長 ( 法務省保護局長 )
69 中村孝 42 期 1962年7月31日 56 歳 2018年6月25日 那覇地検検事正 ( 東京高検刑事部長 )
70 早川幸伸 42 期 1962年8月8日 56 歳 2019年3月11日 福島地検検事正 ( 宮崎地検検事正 )
71 上富敏伸 40 期 1962年8月10日 56 歳 2019年1月18日 さいたま地検検事正 ( 最高検監察指導部長 )
72 新田智昭 44 期 1962年10月12日 56 歳 2019年3月11日 富山地検検事正 ( 名古屋地検次席検事 )
73 高橋久志 42 期 1962年12月6日 56 歳 2018年10月30日 札幌高検次席検事 ( 甲府地検検事正 )
74 齊藤隆博 41 期 1963年1月1日 56 歳 2017年7月27日 最高検検事 ( 徳島地検検事正 )
75 植村誠 42 期 1963年1月7日 56 歳 2018年2月26日 鳥取地検検事正 ( 神戸地検姫路支部長 )
76 鈴木眞理子 44 期 1963年2月19日 56 歳 2018年7月19日 京都地検次席検事 ( 大阪地検公判部長 )
77 長谷川保 43 期 1963年6月30日 55 歳 2018年7月25日 旭川地検検事正 ( 横浜地検川崎支部長 )
78 永幡無二雄 43 期 1963年8月30日 55 歳 2019年1月28日 大分地検検事正 ( 最高検検事 )
79 山口英幸 43 期 1963年10月2日 55 歳 2018年1月9日 奈良地検検事正 ( 横浜地検次席検事 )
80 佐久間佳枝 47 期 1963年10月8日 55 歳 2019年4月1日 法務省大臣官房施設課長 ( 法務省人権擁護局総務課長 )
81 山本真千子 43 期 1963年10月9日 55 歳 2018年6月25日 函館地検検事正 ( 大阪地検特別捜査部長 )
82 山元裕史 42 期 1963年10月12日 55 歳 2018年7月25日 最高検検事 ( 福井地検検事正 )
83 浦田啓一 41 期 1963年10月28日 55 歳 2018年1月9日 公安調査庁次長 ( 大津地検検事正 )
84 菊池浩 42 期 1963年11月7日 55 歳 2019年4月1日 法務省人権擁護局長 ( 奈良地検検事正 )
85 白木功 42 期 1963年11月30日 55 歳 2018年7月19日 松山地検検事正 ( 東京高検公判部長 )
86 森本和明 41 期 1963年12月30日 55 歳 2019年3月11日 仙台地検検事正 ( 福岡高検次席検事 )
87 小弓場文彦 44 期 1964年3月1日 55 歳 2019年1月28日 福岡地検次席検事 ( 大阪高検刑事部長 )
88 川原隆司 41 期 1964年8月16日 54 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房長 ( 最高検検事 )
89 山西宏紀 41 期 1964年9月6日 54 歳 2018年9月3日 高知地検検事正 ( 内閣府大臣官房独立公文書管理監 )
90 松本裕 43 期 1964年9月12日 54 歳 2019年1月18日 津地検検事正 ( 法務省大臣官房秘書課長 )
91 竹内寛志 45 期 1964年11月3日 54 歳 2019年1月28日 横浜地検次席検事 ( 東京地検刑事部長 )
92 坂本佳胤 45 期 1964年11月18日 54 歳 2018年10月30日 さいたま地検次席検事 ( 東京高検検事 )
93 山本幸博 43 期 1964年12月4日 54 歳 2018年6月25日 和歌山地検検事正 ( 東京地検立川支部長 )
94 築雅子 46 期 1964年12月14日 54 歳 2019年3月11日 名古屋地検次席検事 ( 横浜地検公判部長 )
95 大久保和征 44 期 1964年12月16日 54 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検公安部長 )
96 勝山浩嗣 44 期 1965年1月1日 54 歳 2018年4月11日 神戸地検次席検事 ( 大阪地検公安部長 )
97 八澤健三郎 43 期 1965年1月27日 54 歳 2019年1月28日 最高検検事 ( 福岡地検次席検事 )
98 宮川博行 43 期 1965年2月16日 54 歳 2018年10月30日 甲府地検検事正 ( 最高検検事 )
99 石井隆 44 期 1965年11月2日 53 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) ( 法務総合研究所総務企画部長 )
100 山内由光 47 期 1966年1月12日 53 歳 2018年2月26日 法務省大臣官房審議官(国際・人権担当) ( 法務省刑事局国際課長 )
101 工藤恭裕 43 期 1966年2月22日 53 歳 2019年4月10日 最高検検事 ( 名古屋高検公安部長 )
102 飯島泰 44 期 1966年4月30日 52 歳 2019年4月17日 盛岡地検検事正 ( 最高検検事 )
103 加藤俊治 44 期 1966年7月26日 52 歳 2019年3月11日 宮崎地検検事正 ( 最高検検事 )
104 伊藤栄二 43 期 1966年10月4日 52 歳 2015年10月27日 法務省大臣官房人事課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
105 西山卓爾 45 期 1966年10月25日 52 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房政策立案総括審議官 ( 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) )
106 森本加奈 44 期 1966年12月15日 52 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
107 清野憲一 45 期 1967年11月15日 51 歳 2018年6月25日 千葉地検次席検事 ( 東京地検公判部長 )
108 松下裕子 45 期 1968年2月20日 51 歳 2018年7月19日 法務省大臣官房会計課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
109 吉川崇 47 期 1968年4月4日 51 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房秘書課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
110 保坂和人 47 期 1968年12月27日 50 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(刑事局担当) ( 法務省刑事局刑事法制管理官 )
111 佐藤淳 46 期 1969年1月12日 50 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁審議官(総合調整担当) ( 法務省大臣官房施設課長 )

法務・検察幹部名簿(2019年4月17日時点・ポスト順)

生年月日が開示される法務大臣決裁の対象人事に限るものの,法務・検察幹部の氏名,修習期,生年月日,年齢,現職就任日,現職及び前職につき,2019年4月17日時点のものを,ポスト順で以下のとおり掲載しています(元データは「法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)」に掲載しています。)。

(法務省幹部)
1 辻裕教 38 期 1961年10月4日 57 歳 2019年1月18日 法務事務次官 ( 法務省刑事局長 )
2 川原隆司 41 期 1964年8月16日 54 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房長 ( 最高検検事 )
3 西山卓爾 45 期 1966年10月25日 52 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房政策立案総括審議官 ( 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) )
4 山内由光 47 期 1966年1月12日 53 歳 2018年2月26日 法務省大臣官房審議官(国際・人権担当) ( 法務省刑事局国際課長 )
5 保坂和人 47 期 1968年12月27日 50 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(刑事局担当) ( 法務省刑事局刑事法制管理官 )
6 石井隆 44 期 1965年11月2日 53 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房審議官(訟務局担当) ( 法務総合研究所総務企画部長 )
7 吉川崇 47 期 1968年4月4日 51 歳 2019年1月18日 法務省大臣官房秘書課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
8 伊藤栄二 43 期 1966年10月4日 52 歳 2015年10月27日 法務省大臣官房人事課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
9 松下裕子 45 期 1968年2月20日 51 歳 2018年7月19日 法務省大臣官房会計課長 ( 法務省刑事局総務課長 )
10 佐久間佳枝 47 期 1963年10月8日 55 歳 2019年4月1日 法務省大臣官房施設課長 ( 法務省人権擁護局総務課長 )
11 小山太士 40 期 1961年5月13日 57 歳 2019年1月18日 法務省刑事局長 ( 法務省大臣官房長 )
12 菊池浩 42 期 1963年11月7日 55 歳 2019年4月1日 法務省人権擁護局長 ( 奈良地検検事正 )
13 大塲亮太郎 38 期 1960年3月6日 59 歳 2019年1月18日 法務総合研究所長 ( 最高検公判部長 )
14 高嶋智光 41 期 1961年10月6日 57 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁次長 ( 法務省人権擁護局長 )
15 佐藤淳 46 期 1969年1月12日 50 歳 2019年4月1日 出入国在留管理庁審議官(総合調整担当) ( 法務省大臣官房施設課長 )
16 中川清明 36 期 1958年9月13日 60 歳 2016年9月5日 公安調査庁長官 ( 最高検公安部長 )
17 浦田啓一 41 期 1963年10月28日 55 歳 2018年1月9日 公安調査庁次長 ( 大津地検検事正 )
(検察幹部)
18 稲田伸夫 33 期 1956年8月14日 62 歳 2018年7月25日 検事総長 ( 東京高検検事長 )
19 堺徹 36 期 1958年7月17日 60 歳 2018年7月25日 次長検事 ( 仙台高検検事長 )
20 廣上克洋 39 期 1961年11月8日 57 歳 2018年1月22日 最高検総務部長 ( 名古屋高検次席検事 )
21 畝本直美 40 期 1962年7月9日 56 歳 2019年1月18日 最高検監察指導部長 ( 法務省保護局長 )
22 落合義和 38 期 1960年1月7日 59 歳 2018年2月26日 最高検刑事部長 ( さいたま地検検事正 )
23 曽木徹也 38 期 1960年1月5日 59 歳 2018年7月25日 最高検公安部長 ( 東京高検次席検事 )
24 和田雅樹 39 期 1961年12月21日 57 歳 2019年1月18日 最高検公判部長 ( 法務省入国管理局長 )
25 齊藤隆博 41 期 1963年1月1日 56 歳 2017年7月27日 最高検検事 ( 徳島地検検事正 )
26 関一穂 41 期 1959年7月16日 59 歳 2019年3月1日 最高検検事 ( 預金保険機構 )
27 西谷隆 41 期 1961年11月28日 57 歳 2018年7月19日 最高検検事 ( 山口地検検事正 )
28 吉田誠治 41 期 1961年4月27日 57 歳 2019年1月18日 最高検検事 ( 長野地検検事正 )
29 吉田安志 41 期 1960年9月3日 58 歳 2018年10月30日 最高検検事 ( 新潟地検検事正 )
30 山元裕史 42 期 1963年10月12日 55 歳 2018年7月25日 最高検検事 ( 福井地検検事正 )
31 工藤恭裕 43 期 1966年2月22日 53 歳 2019年4月10日 最高検検事 ( 名古屋高検公安部長 )
32 八澤健三郎 43 期 1965年1月27日 54 歳 2019年1月28日 最高検検事 ( 福岡地検次席検事 )
33 森本加奈 44 期 1966年12月15日 52 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
34 大久保和征 44 期 1964年12月16日 54 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検公安部長 )
35 野口元郎 37 期 1961年4月1日 58 歳 2014年4月11日 最高検検事 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
36 菅野俊明 46 期 1959年11月3日 59 歳 2019年4月1日 最高検検事 ( 東京高検検事 )
37 黒川弘務 35 期 1957年2月8日 62 歳 2019年1月18日 東京高検検事長 ( 法務事務次官 )
38 山上秀明 39 期 1960年7月14日 58 歳 2018年7月25日 東京高検次席検事 ( 東京地検次席検事 )
39 甲斐行夫 36 期 1959年9月26日 59 歳 2017年9月7日 東京地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
40 久木元伸 41 期 1961年7月21日 57 歳 2018年7月25日 東京地検次席検事 ( 最高検検事 )
41 中原亮一 37 期 1959年11月29日 59 歳 2018年7月25日 横浜地検検事正 ( 最高検公安部長 )
42 竹内寛志 45 期 1964年11月3日 54 歳 2019年1月28日 横浜地検次席検事 ( 東京地検刑事部長 )
43 上富敏伸 40 期 1962年8月10日 56 歳 2019年1月18日 さいたま地検検事正 ( 最高検監察指導部長 )
44 坂本佳胤 45 期 1964年11月18日 54 歳 2018年10月30日 さいたま地検次席検事 ( 東京高検検事 )
45 北村篤 37 期 1961年3月4日 58 歳 2018年2月26日 千葉地検検事正 ( 広島地検検事正 )
46 清野憲一 45 期 1967年11月15日 51 歳 2018年6月25日 千葉地検次席検事 ( 東京地検公判部長 )
47 片岡敏晃 42 期 1960年6月1日 58 歳 2018年9月3日 水戸地検検事正 ( 高知地検検事正 )
48 阪井博 40 期 1959年4月1日 60 歳 2018年10月30日 宇都宮地検検事正 ( 金沢地検検事正 )
49 大図明 40 期 1961年3月20日 58 歳 2019年4月17日 前橋地検検事正 ( 仙台高検次席検事 )
50 神村昌通 41 期 1961年3月8日 58 歳 2018年10月30日 静岡地検検事正 ( 最高検検事 )
51 宮川博行 43 期 1965年2月16日 54 歳 2018年10月30日 甲府地検検事正 ( 最高検検事 )
52 宇川春彦 41 期 1962年2月20日 57 歳 2019年1月18日 長野地検検事正 ( 最高検検事 )
53 関隆男 41 期 1959年10月14日 59 歳 2018年10月30日 新潟地検検事正 ( 札幌高検次席検事 )
54 上野友慈 35 期 1957年8月28日 61 歳 2018年2月26日 大阪高検検事長 ( 札幌高検検事長 )
55 田辺泰弘 39 期 1960年11月7日 58 歳 2017年6月23日 大阪高検次席検事 ( 大阪地検次席検事 )
56 北川健太郎 37 期 1959年9月14日 59 歳 2018年2月26日 大阪地検検事正 ( 最高検刑事部長 )
57 畝本毅 41 期 1960年7月17日 58 歳 2017年6月23日 大阪地検次席検事 ( 金沢地検検事正 )
58 田中素子 40 期 1958年4月22日 60 歳 2018年2月26日 京都地検検事正 ( 水戸地検検事正 )
59 鈴木眞理子 44 期 1963年2月19日 56 歳 2018年7月19日 京都地検次席検事 ( 大阪地検公判部長 )
60 杉山治樹 37 期 1959年3月6日 60 歳 2018年1月22日 神戸地検検事正 ( 最高検検事 )
61 勝山浩嗣 44 期 1965年1月1日 54 歳 2018年4月11日 神戸地検次席検事 ( 大阪地検公安部長 )
62 山口英幸 43 期 1963年10月2日 55 歳 2018年1月9日 奈良地検検事正 ( 横浜地検次席検事 )
63 吉池浩嗣 40 期 1961年12月11日 57 歳 2018年1月9日 大津地検検事正 ( 高知地検検事正 )
64 山本幸博 43 期 1964年12月4日 54 歳 2018年6月25日 和歌山地検検事正 ( 東京地検立川支部長 )
65 林眞琴 35 期 1957年7月30日 61 歳 2018年1月9日 名古屋高検検事長 ( 法務省刑事局長 )
66 河瀬由美子 41 期 1961年9月4日 57 歳 2018年1月22日 名古屋高検次席検事 ( 最高検検事 )
67 片岡弘 37 期 1958年4月8日 61 歳 2018年2月26日 名古屋地検検事正 ( 千葉地検検事正 )
68 築雅子 46 期 1964年12月14日 54 歳 2019年3月11日 名古屋地検次席検事 ( 横浜地検公判部長 )
69 松本裕 43 期 1964年9月12日 54 歳 2019年1月18日 津地検検事正 ( 法務省大臣官房秘書課長 )
70 原島肇 40 期 1960年1月1日 59 歳 2018年6月25日 岐阜地検検事正 ( 広島高検次席検事 )
71 秋山仁美 41 期 1960年11月20日 58 歳 2018年7月25日 福井地検検事正 ( 東京法務局長 )
72 森脇尚史 43 期 1959年9月26日 59 歳 2018年10月30日 金沢地検検事正 ( 福岡地検小倉支部長 )
73 新田智昭 44 期 1962年10月12日 56 歳 2019年3月11日 富山地検検事正 ( 名古屋地検次席検事 )
74 稲川龍也 35 期 1956年9月13日 62 歳 2018年1月9日 広島高検検事長 ( 高松高検検事長 )
75 小野正弘 42 期 1962年2月4日 57 歳 2018年6月25日 広島高検次席検事 ( 和歌山地検検事正 )
76 片山巌 40 期 1960年7月10日 58 歳 2019年4月17日 広島地検検事正 ( 前橋地検検事正 )
77 矢本忠嗣 41 期 1960年1月13日 59 歳 2018年7月19日 山口地検検事正 ( 佐賀地検検事正 )
78 畑野隆二 40 期 1960年4月14日 59 歳 2018年4月11日 岡山地検検事正 ( 高松高検次席検事 )
79 植村誠 42 期 1963年1月7日 56 歳 2018年2月26日 鳥取地検検事正 ( 神戸地検姫路支部長 )
80 佐藤光代 42 期 1960年1月7日 59 歳 2018年4月11日 松江地検検事正 ( 静岡地検沼津支部長 )
81 榊原一夫 36 期 1958年8月6日 60 歳 2018年2月26日 福岡高検検事長 ( 大阪地検検事正 )
82 佐藤隆文 42 期 1962年1月14日 57 歳 2019年3月11日 福岡高検次席検事 ( 富山地検検事正 )
83 堀嗣亜貴 37 期 1960年5月4日 58 歳 2018年1月22日 福岡地検検事正 ( 仙台地検検事正 )
84 小弓場文彦 44 期 1964年3月1日 55 歳 2019年1月28日 福岡地検次席検事 ( 大阪高検刑事部長 )
85 恒川由理子 43 期 1961年7月15日 57 歳 2018年7月19日 佐賀地検検事正 ( 京都地検次席検事 )
86 仁田良行 40 期 1960年2月4日 59 歳 2018年2月26日 長崎地検検事正 ( 鳥取地検検事正 )
87 永幡無二雄 43 期 1963年8月30日 55 歳 2019年1月28日 大分地検検事正 ( 最高検検事 )
88 木村泰昌 42 期 1961年9月11日 57 歳 2019年1月28日 熊本地検検事正 ( 大分地検検事正 )
89 古谷伸彦 43 期 1961年11月26日 57 歳 2018年10月30日 鹿児島地検検事正 ( さいたま地検次席検事 )
90 加藤俊治 44 期 1966年7月26日 52 歳 2019年3月11日 宮崎地検検事正 ( 最高検検事 )
91 中村孝 42 期 1962年7月31日 56 歳 2018年6月25日 那覇地検検事正 ( 東京高検刑事部長 )
92 大谷晃大 36 期 1957年5月7日 61 歳 2018年7月25日 仙台高検検事長 ( 横浜地検検事正 )
93 佐藤美由紀 42 期 1960年8月30日 58 歳 2019年4月17日 仙台高検次席検事 ( 盛岡地検検事正 )
94 森本和明 41 期 1963年12月30日 55 歳 2019年3月11日 仙台地検検事正 ( 福岡高検次席検事 )
95 早川幸伸 42 期 1962年8月8日 56 歳 2019年3月11日 福島地検検事正 ( 宮崎地検検事正 )
96 吉田久 43 期 1961年4月26日 57 歳 2018年7月25日 山形地検検事正 ( 最高検検事 )
97 飯島泰 44 期 1966年4月30日 52 歳 2019年4月17日 盛岡地検検事正 ( 最高検検事 )
98 木村匡良 42 期 1962年5月16日 56 歳 2018年1月22日 秋田地検検事正 ( 横浜地検小田原支部長 )
99 西村尚芳 42 期 1960年6月19日 58 歳 2018年4月11日 青森地検検事正 ( 東京地検刑事部長 )
100 井上宏 37 期 1957年6月17日 61 歳 2018年2月26日 札幌高検検事長 ( 名古屋地検検事正 )
101 高橋久志 42 期 1962年12月6日 56 歳 2018年10月30日 札幌高検次席検事 ( 甲府地検検事正 )
102 小澤正義 40 期 1959年1月3日 60 歳 2018年2月26日 札幌地検検事正 ( 福島地検検事正 )
103 山本真千子 43 期 1963年10月9日 55 歳 2018年6月25日 函館地検検事正 ( 大阪地検特別捜査部長 )
104 長谷川保 43 期 1963年6月30日 55 歳 2018年7月25日 旭川地検検事正 ( 横浜地検川崎支部長 )
105 尾崎寛生 43 期 1961年2月10日 58 歳 2018年10月30日 釧路地検検事正 ( 名古屋地検岡崎支部長 )
106 小川新二 36 期 1957年3月27日 62 歳 2018年1月9日 高松高検検事長 ( 最高検公安部長 )
107 廣瀬勝重 41 期 1962年7月8日 56 歳 2018年4月11日 高松高検次席検事 ( 青森地検検事正 )
108 千田恵介 39 期 1958年8月12日 60 歳 2018年6月25日 高松地検検事正 ( 法務総合研究所国際協力部長 )
109 互敦史 43 期 1959年11月1日 59 歳 2018年6月25日 徳島地検検事正 ( 千葉地検次席検事 )
110 山西宏紀 41 期 1964年9月6日 54 歳 2018年9月3日 高知地検検事正 ( 内閣府大臣官房独立公文書管理監 )
111 白木功 42 期 1963年11月30日 55 歳 2018年7月19日 松山地検検事正 ( 東京高検公判部長 )

東京高検検事長の勤務延長問題

目次
第1 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長(令和2年2月8日から同年8月7日まで)等
第2 検察官を含む一般職の国家公務員に関する定年の定め
第3 検察官の勤務延長に関する政府答弁の要約,及び内閣又は法務大臣による懲戒処分の実例等
第4 検察官の勤務延長に関する法務大臣の答弁
第5 検察官の勤務延長に関する内閣法制局長官の答弁
第6 検察庁法22条及び32条の2に関する法務大臣等の答弁
第7 勤務延長に関す総理府人事局及び人事院の答弁
第8 黒川弘務東京高検検事長を検事総長に任命することは法的に可能であること
第9 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長に関する弁護士会の反対意見
第10 選挙により選ばれた公職者がその職務上行った行為が弁護士会の懲戒対象となる場合
第11 河野克俊統合幕僚長の勤務延長(平成28年11月29日から平成31年4月1日まで)
第12 国会答弁資料
第13 関連記事

第1 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長(令和2年2月8日から同年8月7日まで)等
1(1) 検事長の任命権者である内閣(検察庁法15条1項)は,令和2年1月31日,下記の理由により,国家公務員法81条の3第1項に基づき,同年2月8日に63歳の定年を迎える黒川弘務東京高検検事長の勤務を半年間延長するという閣議決定を行いました(首相官邸HPの「令和2年1月31日(金)定例閣議案件」参照)。

   東京高等検察庁管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するためには,同高等検察庁検事長黒川弘務の検察官としての豊富な経験・知識等に基づく管内部下職員に対する指揮監督が不可欠であり,同人には,当分の間,引き続き同検事長の職務を遂行させる必要がある。



(2) 黒川弘務東京高検検事長(平成31年1月18日就任)が検事長就任前に検察官として捜査公判に対応していたのは以下の時期だけですから,合計で11年10ヶ月半ぐらいです。
① 1983年4月7日から1991年7月24日までの約8年4ヶ月半
・ 東京地検検事,福島地検郡山支部検事,新潟地検検事,東京地検検事及び名古屋地検検事をしていました。
② 1995年7月20日から1998年10月6日までの約3年3ヶ月半
・ 青森地検弘前支部長及び東京地検検事をしていました。
③ 2010年8月10日から同年10月24日までの約2ヶ月半
・ 松山地検検事正をしていました。
・ 2010年9月21日から報道されるようになった大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件に対応するため,同年10月25日,法務省大臣官房付となりました。
(3)ア 黒川弘務東京高検検事長の定年退職は,「業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき」(人事院規則11-8(職員の定年)7条3号)に該当するため,勤務延長されました(令和2年3月6日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁参照)。
イ 「重大かつ複雑困難な事件の捜査」が何であるかについては,捜査機関の活動内容及びその体制に関する事柄でもあることから,国会答弁でも明らかにされませんでした令和2年3月6日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁参照)。

(4) 内閣は,令和2年2月7日以前に検察官の勤務延長がなされた実例を把握していません(衆議院議員奥野総一郎君提出東京高検検事長の定年が半年間延長された件に関する質問に対する答弁書(令和2年2月18日付)参照)。
(5) 勤務延長は定年延長ともいわれます。
2(1) 35期の黒川弘務と林眞琴のどちらが検事総長となるかについて,法と経済ジャーナルHPに以下の記事が載っています(ログインしない限り,途中までしか読めませんが,途中まででも読み応えのある記事です。)。
・ 官邸の注文で覆った法務事務次官人事  「検事総長人事」に影響も(2016年11月22日付)
・ 法務・検察人事に再び「介入」した官邸 高まる緊張(2017年9月17日付)
・ 上川法相が林刑事局長の次官昇格を拒否か、検事総長人事は?(2018年1月18日付)
・ 「次の検事総長は黒川氏」で決まりなのか、検察の論理は(2019年1月24日付)
・ 稲田検事総長が退官拒絶、後任含みで黒川氏に異例の定年延長(2020年1月31日付)
(2) 林眞琴は,2014年1月9日から2018年1月8日までの間,法務省刑事局長をしていました。
(3) 黒川弘務は,2011年8月26日から2016年9月4日までの間,法務省大臣官房長をしていて,2016年9月5日から2019年1月17日までの間,法務事務次官をしていました。
(4) 「法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)」も参照してください。
(5) 黒川弘務東京高検検事長は,賭け麻雀問題により,令和2年5月22日に依願退官しました(「黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀問題」参照)。
3 exciteニュースの「”真っ黒”な甘利明を検察はなぜ「不起訴」にしたのか? 官邸と癒着した法務省幹部の”捜査潰し”全内幕」(2016年6月3日付)には以下の記載があります。
   「官房長という役職自体が、予算や人事の折衝をする役割で、政界とつながりが深いのですが、とくに黒川氏は小泉政権下で法務大臣官房参事官をつとめて以降、官房畑を歩んでおり、自民党、清和会にと非常に太いパイプをもっている。官房長になったのは民主党政権下の2011年なんですが、このときも民主党政権には非協力的で、自民党と通じているといわれていました。そして、第二次安倍政権ができると、露骨に官邸との距離を縮め、一体化といっていいくらいの関係を築くようになった。とくに菅官房長官、自民党の佐藤勉国対委員長とは非常に親しく、頻繁に会っているところを目撃されています」(前出・司法担当記者)
4 以下の閣議書を掲載しています。
① 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長に関して法務省が作成し,又は取得した文書
② 黒川弘務 東京高検検事長の勤務延長に関する閣議書(令和2年1月31日付)
→ 略歴書が付いています。
③ 黒川弘務 東京高検検事長任命の閣議書(平成31年1月8日付)
→ 詳細な履歴書が付いています。
④ 林眞琴 名古屋高検検事長及び小川新二 高松高検検事長任命の閣議書(平成29年12月26日付)


第2 検察官を含む一般職の国家公務員に関する定年の定め
1 検察庁法
(1) 検察官の定年退官を定める検察庁法22条は以下のとおりです。
   検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。
(2) 検察庁法32条の2は以下のとおりです。
   この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。
2 国家公務員法
(1) 定年による退職を定める国家公務員法81条の2第1項は以下のとおりです。
   職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。
(2) 定年による退職の特例を定める国家公務員法81の3は以下のとおりです。
① 任命権者は、定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる。
② 任命権者は、前項の期限又はこの項の規定により延長された期限が到来する場合において、前項の事由が引き続き存すると認められる十分な理由があるときは、人事院の承認を得て、一年を超えない範囲内で期限を延長することができる。ただし、その期限は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して三年を超えることができない。
(3) 国家公務員法81条の2及び81条の3は,国家公務員法の一部を改正する法律(昭和56年6月11日法律第77号)によって追加されました条文であり,昭和60年3月31日に施行されました。
3 人事院規則
・ 人事院規則11-8(職員の定年)のうち,勤務延長を定める6条ないし10条は以下のとおりです。
第六条 法第八十一条の三に規定する任命権者には、併任に係る官職の任命権者は含まれないものとする。
第七条 勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の一に該当するときに行うことができる。
一 職務が高度の専門的な知識、熟達した技能又は豊富な経験を必要とするものであるため、後任を容易に得ることができないとき。
二 勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき。
三 業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき。
第八条 任命権者は、勤務延長を行う場合及び勤務延長の期限を延長する場合には、あらかじめ職員の同意を得なければならない。
第九条 任命権者は、勤務延長の期限の到来前に当該勤務延長の事由が消滅した場合は、職員の同意を得て、その期限を繰り上げることができる。
第十条 任命権者は、勤務延長を行う場合、勤務延長の期限を延長する場合及び勤務延長の期限を繰り上げる場合において、職員が任命権者を異にする官職に併任されているときは、当該併任に係る官職の任命権者にその旨を通知しなければならない。
4 人事院の文書
・ 定年制度の実施等について(昭和59年12月25日付の人事院事務総局任用局企画課長の文書)のうち,勤務延長に関する部分は以下のとおりです。
1 規則11―8第7条の各号には、例えば、次のような場合が該当する。
(中略)

  (3) 第3号
 定年退職予定者が大型研究プロジェクトチームの主要な構成員であるため、その者の退職により当該研究の完成が著しく遅延するなどの重大な障害が生ずる場合
 重要案件を担当する本府省局長である定年退職予定者について、当該重要案件に係る国会対応、各種審議会対応、外部との折衝、外交交渉等の業務の継続性を確保するため、引き続き任用する特別の必要性が認められる場合
 2 勤務延長を行う場合及び勤務延長の期限を延長する場合の期限は、当該勤務延長の事由に応じた必要最少限のものでなくてはならない。
3 任命権者は、勤務延長職員の勤務延長の事由となった職務の遂行に支障がないと認められる場合以外は併任を行うことができない。

4 勤務延長を行う場合及び勤務延長の期限を延長する場合の職員の同意は、定年退職日又はその期限の到来の日に近接する適切な時期に書面により得るものとする。

第3 検察官の勤務延長に関する政府答弁の要約等,及び内閣又は法務大臣による懲戒処分の実例等

1 検察官の勤務延長に関する政府答弁の要約等
(1) 検察官の勤務延長に関する法務大臣及び内閣法制局長官の答弁を要約すれば,以下のとおりになると思います(私独自の要約です。)。
   一般法たる国家公務員法の懲戒,服務等の諸規定については,特に読替規定を置くこともなく,当然に検察官にも適用されているのであって,例えば,任命権者から懲戒処分を受けた職員は人事院に不服申立てを行ってその審査を受けることができるものとされているところ、これは内閣が任命する検事長についても変わらない。
  また,公務員の中の新陳代謝を図りながら,きちっとした年齢まで働けるということを前提に,安心して人生設計をさせて,しっかり職務に当たらせるという定年制度の意義自身は,同じ国家公務員たる検察官と一般の公務員とで同じであるから,そこのところについて何か検察官の特殊性がどうこうという議論は基本的にはない。
   さらに,検察庁法32条の2は,その職務執行の公正が直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼすという検察官の職務と責任の特殊性は国家公務員法施行後も変わらないことから,検察庁法中,検察官の任免に関する規定を国家公務員法の特例としたというものであり,他の一般の国家公務員についても定年が定められた昭和56年の国家公務員法改正後において検察官に特別の定年が定められているのは,その職務と責任に特殊性があることによるものと解される。
   ところで,昭和55年10月の総理府人事局作成の想定問答には,検察官の場合,勤務延長が認められないと記載されているものの,その理由は必ずしも明らかではないし,大学の教員についても勤務延長が認められない理由が職務の特殊性によるものかどうかも明らかではないし,当時と比べて色々検察行政が複雑化しているといった情勢の変化からすれば,行政府の判断として責任を持って解釈変更をするのであれば問題はない。
また,司法大臣の決定により最大で3年間,引き続き検事は在職できるとしていた裁判所構成法80条ノ2と同趣旨の規定が検察庁法で定められなかった理由について帝国議会議事録等でも特段触れられていないため,その理由は必ずしも明らかではない。

   そのため,国家公務員が定年により退職するという規範そのものは,検察官であっても一般法たる国家公務員法によっているというべきであって,検察官の定年による退職は,検察庁法22条により定年年齢及び退職時期について修正された国家公務員法81条の2第1項に基づくものと解される。
   よって,前条第1項の規定により退職した場合に適用される国家公務員法81条の3は検察官にも適用されるものと解される。
(2)ア 検事総長,次長検事及び検事長の任免権者は内閣であり(検察庁法15条1項),検事及び副検事の任免権者は法務大臣であり(国家公務員法55条1項),検事及び副検事の免職権者は法務大臣です(国家公務員法61条)。
イ 検事長,検事及び副検事の補職権者は法務大臣です(検察庁法16条1項)。
(3) 検察官の勤務延長について(2020年1月16日作成の法務省刑事局のメモ)を掲載しています。
2 内閣又は法務大臣による懲戒処分の実例等
(1) 平成22年9月に発覚した「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」では,任命権者である内閣又は法務大臣による懲戒処分(検察庁法25条ただし書・国家公務員法84条1項)が実施されましたところ,衆議院議員浅野貴博君提出懲戒処分を受けた検察官の処遇等に関する質問に対する答弁書(平成24年6月29日付)には以下の記載があります。
 お尋ねの検察官の行為の中には、刑法(明治四十年法律第四十五号)などの法令に違反するものが含まれているところ、このうち、前田恒彦検事は、平成二十一年七月に、公判の紛糾及び上司からの叱責を避けるため、公判係属中の事件の証拠であるフロッピーディスクに記録された文書データを変造したものであり、この行為は、刑法第百四条の証拠隠滅罪に該当し、大坪弘道検事及び佐賀元明検事は、平成二十二年二月に、前田恒彦検事が証拠隠滅の罪を犯したことを知りながら、これを知った他の検事に他言を禁じ、前田恒彦検事に対し、当該データの改変は過誤によるものとして説明するよう指示するなどした上、当該データが過誤によって改変された可能性はあるが改変の有無を確定できず、改変されていたとしても過誤にすぎない旨事実をすり替えて捜査を行わず、また、次席検事及び検事正に対しても、虚偽の報告をし、検事正らをして、捜査は不要と誤信させることにより、証拠隠滅罪の犯人である前田恒彦検事を隠避させたものであり、この行為は、同法第百三条の犯人隠避罪に該当し、また、三浦正晴検事長については、前田恒彦検事による前記証拠隠滅の事実につき、同検事に対する指導監督が不適正であったものであるが、これら四名以外の行為については、法務省として、職員に対する懲戒処分の公表に当たっては、「懲戒処分の公表指針について」(平成十五年十一月十日付け総参-七八六人事院事務総長通知)を踏まえ、個人が識別されない内容のものとすることを基本としており、お尋ねの「詳しい経緯」を明らかにすることにより、特定の個人が識別されるおそれがあることなどから、お答えすることは差し控えたい。
(2) 原田明夫検事総長は,平成14年4月22日に逮捕された三井環大阪高検公安部長の収賄・詐欺事件の監督責任を問われ,同年,戦後初めて検事総長として戒告処分を受けました(産経ニュースHPの「元検事総長の原田明夫氏死去」(2017年4月7日付)参照)。
(3) 裁判官の場合,行政機関が懲戒処分を行うことはできません(憲法78条後段)。

近藤裕之検事(46期の裁判官)に対する懲戒免職の処分説明書

第4 検察官の勤務延長に関する法務大臣の答弁
1 令和2年2月25日の衆議院予算委員会第三分科会における森まさこ法務大臣の答弁
   検察官の定年による退職の特例は、定年年齢と退職時期の二点でございまして、国家公務員が定年により退職するという規範そのものは、検察官であっても一般法たる国家公務員法によっているというべきでございますので、結局、検察官の定年による退職は、検察庁法二十二条により定年年齢と退職時期につき修正された国家公務員法八十一条の二第一項に基づくものと解されます。
   したがって、前条第一項の規定により退職した場合に適用される同法八十一条の三の規定は検察官にも適用されるものと解しております。

2 令和2年3月5日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁
① 法務省においては、国家公務員一般の定年の引上げに関する検討の一環として検察官についても検討を進める過程で、昨年のうちから現行の国家公務員法と検察庁法の関係について必要な検討を行っていたところ、検察官の勤務延長について判断したものでございます。
 その上で、令和二年一月十七日から同月二十四日にかけて関係省庁と協議を行い、異論はない旨の回答を得て、最終的に結論を得たものでございます。
② 委員がお示しになりました一月十六日付けの法務省の文書でございますが、国会にももう提出をしておりますが、こちらで、先ほど委員がお示しになりました、「(本来であれば、国公法に定年制度が導入された時点で、検察庁法に必要な読替規定を置くことが望ましかったとも言えるが、)」の後に、一般法たる国公法の諸規定、懲戒、服務等については、特に読替規定を置くこともなく、当然に検察官にも適用していることからも明らかなとおり、解釈上、検察官が同法八十二条の三に規定する勤務延長制度の対象となる職員と考えることに問題はなく、その結果、検察官に同制度を適用することについても問題はないと考えられると記載されておりますとおり、他の読替規定を置くこともなく、検察官に適用されている懲戒、服務等を引きまして、そしてまた、解釈上、勤務延長制度の対象となる職員と考えることに趣旨等から問題はないというふうに考えて、ここに書いてありますとおり、結果として適用をするというふうに結論付け、そしてこの翌日の一月十七日から二十一日までの法制局との協議については、その旨記載した文書で臨んでいるということでございます。
③ 国家公務員法上、例えば懲戒処分については、任命権者から懲戒処分を受けた職員について、人事院に不服申立てを行ってその審査を受けることができるものとされておりますが、これは、内閣が任命する検事長についてもその点は変わらないところでございます。
3 令和2年3月6日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁
① 東京高等検察庁管内でおいて遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査、公判に対応するためには、黒川検事長の管内部下職員に対する指揮監督が必要不可欠であり、職務を遂行、引き続き勤務させることとしたものでございます。
② (山中注:重大かつ複雑困難な事件の捜査は何であるかという質問に対し,)個別の事件に関しましては、捜査機関の活動内容やその体制に関わる事柄でもあることから、お答えを差し控えさせていただきます。
③ 黒川検事長につきましては、東京高検、検察庁管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査、公判に対応するための管内部下職員に対する指揮監督が必要不可欠ということで、人事院規則一一―八との関係では、七条三号の業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるときに該当するところでございます。
④ 委員お示しの大正十年の衆議院の委員会におけるこの裁判所構成法の提案理由におきましては、第八十条の二を設けて検事の定年を定めた理由については、後進のために進路を開いて、新進の者をしてその位置を進めしめ、もって司法事務の改善を図るということの目的のためなどと説明されております。
 しかしながら、同条ただし書において在職期間の延長を定めた理由については、必ずしもつまびらかではございません。
⑤ お尋ね(山中注:裁判所構成法で認められていた検察官の定年延長が,昭和22年5月3日の日本国憲法の施行と同時になくなった理由)については、検察庁法が定められた昭和二十二年の帝国議会議事録等についても特段触れられておらず、理由はつまびらかではございません。
⑥ 委員の御意見のようなこと(山中注:「司法大臣が場合によっては定年延長することができるとしていたために、行政権の司法権、検察に対する行政介入が起こることができたわけです。これをさせてはならない、司法権の独立、検察の独立、中立でなくちゃいけない、だからこれを除外したんです」という意見)が記載されている資料もなく、昭和二十二年の趣旨が、必ずしもその理由はつまびらかではございません。




第5 検察官の勤務延長に関する内閣法制局長官の答弁

1 令和2年2月25日の衆議院予算委員会第三分科会における近藤正春内閣法制局長官の答弁
① 基本的には検察庁法と国家公務員法の改正の問題ですので、その内容については法務省の方で御検討されるということで私ども聞いておりまして、当時と比べていろいろ検察行政が複雑化しておって、そういった中で勤務延長という制度の趣旨を考えたときに、それを検察官に適用しないということではないのではないかということで、まさしくその後の検察行政をめぐる情勢の変化ということが今回の解釈変更の前提であるというふうにお聞きをしております。
② 国会で制定されました法律について、政府は誠実に執行していく義務を憲法上持っておりまして、その執行をしっかりやっていくということでございますけれども、その執行していく段階で、ある程度、いろいろな議論をして、解釈の変更をせざるを得ないと、これはいろいろなものがあると思います、細かいものから大きなものまであるのかもしれませんけれども、それにつきましては、あくまでも行政府の判断として責任を持ってやっていくということで、問題はないというふうに思っております。
③ ちょっと答弁の仕方が悪かったかもしれませんけれども、(山中注:昭和55年10月の総理府人事局作成の想定問答集によれば,検察官の場合,勤務の延長が)除外されるということは当時判断をされて除外をしたんです、そこの理由は必ずしもつまびらかではないと。今の時点で解釈を考えると、当時はそういう配慮をしました。ただ、そのほかにも、教育公務員なんかも適用除外にしていまして、それも勤務の特殊性なのかどうかはわかりません。

 そういう意味では、その後、教育公務員については、定年延長も、制度が認められたりしなかったりという議論、また、して、しないとかいう議論をしておりますけれども、そういう意味では、当時除外をしたというのはもう確定した解釈、当時、総理府部内でそういう解釈をしていたということではあると思いますけれども、今の段階で適用をもう一度考えた場合に、そこに、先ほど申し上げたような、検察官だからひとえに勤務延長はできないということにはならないというふうに私どもも考えたということでございます。
2 令和2年3月5日の参議院予算委員会における近藤正春内閣法制局長官の答弁
① 今回の国家公務員法の定年引上げに関する法案の検討作業は、昨年のもう夏過ぎ、秋頃からずっとやっておりまして、その段階で、検察庁法についてもどういう対応をするかは、法務省の方で御検討されながら徐々に審査を進めていったわけでございますけれども、当初は私どもも、適用が今ないというところから、現在、検察官に対して勤務延長制度は適用がないという従来の解釈は当然承知しておりましたので、その上でどういうふうにしていくのかという議論を当初していったものと思っております。その上で、ずっと議論はしてきたということでございます。
 法務省においては、そういう理解、当然、両省庁の担当者、刑事局と私どもの二部では同じ共通の認識でずっと審査をしてきたということだと思います。
② 先ほどもお答えしましたように、ずっと昨年から続けておりました審査の過程で、現在の国家公務員法と検察庁法の関係についての解釈について新しい解釈を取りたいということで一月十七日に御相談があり、担当者も、前提が変わりましたので、いろんな審査の前提が変わりますので、その段階で私まできちっと上げて、一度了解をした上で新しい審査に入る必要があるということでそういう応接録を作り、私にも報告をし、私も了解の回答をしたということでございます。
   今や国家公務員に定年も入り、定年によってやめるという規範は、一般公務員も、検察官も一般公務員ですから、そこは同じ思想のもとで、職務の特殊性等で年齢、定年の延長が一般職もいろいろ変わっておりますけれども、その中の一つとして検察官も従来規定がされておりまして、その定年と定年延長ということ自身と個々の職務の内容のどうこうということはとりあえず関係のない制度、つまり、一般的な職務、ある程度、公務員の中の新陳代謝を図りながら、きちっとした年齢まで働けるということを前提に、安心して人生設計をさせて、しっかり職務に当たらせるという定年制度の意義自身は、同じ国家公務員たる検察官も、一般の公務員、一般職の全体は同じ意味だと思いまして、そこのところについて何か検察官の特殊性がどうこうという議論は基本的にはないものというふうに考えます。

第6 検察庁法22条及び32条の2に関する法務大臣等の答弁
1 昭和24年5月11日の参議院法務委員会における高橋一郎法務庁検局長の答弁

 第三十二條の二は、檢察官は、刑事訴訟法により、唯一の公訴提起機関として規定せられております。從つて、檢察官の職務執行の公正なりや否やは、直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼすものであります。
 このような職責の特殊性に鑑み、從來檢察官については、一般行政官と異り、裁判官に準ずる身分の保障及び待遇を與えられていたのでありますが、國家公務員法施行後と雖も、この檢察官の特殊性は何ら変ることなく、從つてその任免については、尚一般の國家公務員とは、おのずからその取扱を異にすべきものであります。
 よつて、本條は、國家公務員法附則第十三條の規定に基き、檢察廳法中、檢察官の任免に関する規定を國家公務員法の特例を定めたものとしたのであります。
2 令和2年3月5日の参議院予算委員会における森まさこ法務大臣の答弁
① 先ほど引用いたしました伊藤元検事総長の新版検察庁法逐条解説によりますと、二十二年の定年の趣旨(山中注:昭和22年制定の検察庁法22条で定年を定めた趣旨)は、検察自体の老化を、検察全体の老化を防ぎ後進に就任の機会を与えるためと考えられてきたが、その後、昭和五十六年の国家公務員法の改正により他の一般の国家公務員についても定年が定められた以後の趣旨については、検察官にはその特別の定年、つまり年齢が六十歳よりも高い年齢が定められているのは、その職務と責任に特殊性があるものによるものと解さなくてはならないということになろうなどと記載されております。
② 昭和二十四年の参議院法務委員会における逐条説明では、同条(山中注:検察庁法32条の2)について、検察官は、刑事訴訟法により、唯一の公訴機関、公訴提起機関と規定されており、その職務執行の公正が直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼす、このような職責の特殊性に鑑み、従来検察官については、一般行政官と異なり、裁判官に準ずる身分の保障及び待遇を与えられた、与えられていたものである、この特殊性は、国家公務員法施行後も変わらないことから、検察庁法中、検察官の任免に関する規定を国家公務員法の特例としたなどと説明をされております。

第7 勤務延長に関する総理府人事局及び人事院の答弁
1 総理府人事局の答弁
・ 昭和56年6月2日の参議院地方行政委員会における森卓也総理府人事局次長の答弁
 今日まで、国家公務員制度のもとでは、大学の教官とか、あるいは検察官等の職員を除きましては、定年制は設けられていなかったわけでございますが、これは職員の年齢構成が比較的若かったこと。後進に道を譲るという伝統もありまして、勧奨によりますところの退職が比較的円滑に行われて新陳代謝が働いていたという事情があったために、特に定年制を必要としなかったということでございます。
2 人事院の答弁
(1) 昭和56年4月28日の衆議院内閣委員会における斧誠之助人事院任用局長の答弁
 検察官と大学教官につきましては、現在すでに定年が定められております。今回の法案では、別に法律で定められておる者を除き、こういうことになっておりますので、今回の定年制は適用されないことになっております。
(2) 昭和56年5月7日の衆議院内閣委員会における斧誠之助人事院任用局長の答弁
① 退職の特例でございますが、通称勤務延長と言っておりますので、勤務延長と言わしていただきますが、勤務延長につきましては、この法案に示されておるところによりますと、延長することについての第一次の判断者は任命権着ということにいたしております。したがいまして、第一回目の勤務延長を行う権限者は任命権者でございます。この場合は人事院の承認を要するということにはなっておりません。これは、ここにも書いてありますように、「その職員の職務の特殊性」――「職務の特殊性」として例示的に申し上げますと、非常に端的に言いますと名人芸、たとえば通産省あたりにはレンズをみがく非常に名人芸の方もおりますし、植物園で高山植物を栽培するのに非常にたけておるような職員もございます。そういうものがわかりやすいから例示いたしますが、要するに、その者の有する知識、技能、経験、そういうものが職務遂行上不可欠で、しかも代替者が直ちに得られないというようなケース、それからいま現にその職員が担当しております業務がある一定期間継続性がありまして、その職員を欠きますと、その業務の遂行に支障が生ずる、つまり業務の連続性がある、しかも非常に緊急な業務であるというような職務についておる職員、そういうことを例示として考えております。
 第二回目以降は、人事院の承認に係らしめておるわけですが、これはまさに特例でございますので、これが乱にわたるというようなことがあっては定年制の趣旨が損なわれるということになりますので、人事院で審査を必要としておるわけでございます。この場合は、当初においてその者を勤務延長した事情の説明、それが継続しているかどうかの証拠資料、そういうものを取り寄せて審査する予定にしてございます。
② 勤務延長につきましては、公務上の必要性ということが原則でございまして、属人的な要素で勤務延長を行うということは考えてございません。
③ 再任用につきましては、一たん定年退職した者をその者の技能とか経験、それが公務に非常に有用であるということで再採用しようという制度でございます。これも任命権者の裁量によって再任用を行うことができるという規定になっております。
 この場合、人事院規則で定めるのは、その基準を定めるわけでございますが、第一点は、その職員の能力、技能が公務に活用できるというその職員の経歴とか持っておる特殊技能の証明、そういうものが第一点、それから勤務実績が良好であるという証明、それから再任用する場合の官職は定年退職前の官職と同等以下の官職に限りますという、そういう三つの基準を設けまして、あとは再任用の手続などを定める予定でございます。
④ 現在の職員の在職状況から見ますと、いま先生御指摘のような将来に対する不安が生じてまいります。そういうこともありますので、今回意見を申し上げるに際しまして、準備期間を五年程度置けばよろしいという意見を申し上げておるわけでございまして、その間にそういうことも含めて長期的な人事計画あるいは要員計画というものを各省に立ててもらう、人事院と総理府はそういう各省の計画について指導をしたり援助をしたりするということで、円滑な定年制の実施を確保するようにという趣旨でございます。
 それから、なお申し上げますと、そういうことで余人をもってかえがたいような人が発生しました場合は、先ほど来申し上げております勤務延長とか再任用で業務に支障のないような措置をとっていただく、こういうことになろうかと思っております。
(3) 昭和56年5月28日の参議院内閣委員会における斧誠之助人事院任用局長の答弁
 いまおっしゃいましたのは、勤務延長と再任用の関係であろうかと思いますが、勤務延長と申しますのは、役所側の要請でなお職にとどまってもらいたいという場合でございまして、再任用の場合は、その職員が希望して、そしてその職員の能力、技能、技術、そういうものが公務に非常に有用であるというそういう場合にもう一回再採用で役所に来てもらおうと、こういうことでございまして、違いは役所側が積極的に要請して延長するか、職員が希望して、その希望者に対していろいろ能力評価をした上で有用であるという認定のもとに再任用をするか、そのところの違いでございます。
(4) 令和2年3月6日の参議院予算委員会における松尾恵美子人事院給与局長の答弁

① 国家公務員法上、勤務延長は、職員の職務の特殊性又は職員の職務の遂行上の特別の事情から見てその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときに、定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定めて行うことができるものとされております。
 詳細につきましては人事院規則一一―八第七条第一号から第三号までに規定しておりまして、職務が高度の専門的な知識、熟達した技能又は豊富な経験を必要とするものであるため、後任を容易に得ることができないとき、二番目といたしまして、勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、三番目といたしまして、業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるときに勤務延長を行うことができるものとされております。
② これは任用局企画課長通知というのに定められておりまして、例えば次のような場合が該当するということで、先ほど説明申し上げた第一号に該当する場合として、定年退職予定者がいわゆる名人芸的技能等を要する職務に従事しているため、その者の後継者が直ちに得られない場合、例えば第二号に該当する場合として、定年退職予定者が離島その他のへき地官署等に勤務しているため、その者の退職による欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な支障が生ずる場合、第三号に該当する場合の例といたしまして、定年退職予定者が大型研究プロジェクトチームの主要な構成員であるため、その者の退職により当該研究の完成が著しく遅延するなどの重大な障害が生ずる場合、重要案件を担当する本府省局長である定年退職予定者について、当該重要案件に係る国会対応、各種審議会対応、外部との折衝、外交交渉等の業務の継続性を確保するため、引き続き任用する特別の必要性が認められる場合というふうに規定されております。



第8 黒川弘務東京高検検事長を検事総長に任命することは法的に可能であること

1   衆議院議員奥野総一郎君提出東京高検検事長の定年が半年間延長された件に関する質問に対する答弁書(令和2年2月18日付)には以下の記載があります。
① 黒川弘務検事長の勤務期間の延長は、検察庁における業務遂行上の必要性に基づくものであるところ、検察官も一般職の国家公務員であるから、一般職の国家公務員に適用される国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第八十一条の三第一項の規定により、任命権者である内閣において閣議決定して行ったものである。
② 検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第十九条第一項に定める資格を有し、かつ、国家公務員法第三十八条及び検察庁法第二十条に定める欠格事由に該当しない日本国籍を有する者については、年齢が六十五年に達していない限り、検事総長に任命することは可能である。
2(1) 東京高検検事長の定年が半年間延長された件に関する質問に対する答弁書(令和2年2月18日付)に関する内閣法制局の開示文書を掲載しています。
(2) 質問主意書関係事務の手引き~はじめて主意書を担当する方へ~(法務省)を掲載しています。
3 衆議院議員加藤公一君提出質問主意書に対する内閣の答弁書の効力に関する質問に対する答弁書(平成12年12月5日付)には以下の記載があります。
 一般職の国家公務員は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第九十八条第一項の規定により、その職務を遂行するについて法令及び上司の職務上の命令に従わなければならないこととされており、質問主意書に対する答弁書の中に法令の解釈が示されているような場合には、当該解釈に従い法令を執行する義務を負うものである。

第9 黒川弘務東京高検検事長の勤務延長に関する弁護士会の反対意見
1 検事長の定年延長に関する閣議決定の撤回を求める会長声明(令和2年3月13日付の大阪弁護士会の会長声明)の記載

 検察庁法は、検察官の定年について「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する。」と定め(同法第22条)、国家公務員法との関係については、「検察庁法第15条、第18条乃至第20条及び第22条乃至第25条の規定は、国家公務員法(昭和22年法律第120号)附則第13条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。」と定めている(同法32条の2)。これは、定年を定める検察庁法第22条が一般法である国家公務員法の特例をなすので、国家公務員法の適用を受けないことを定めたものである。したがって、本閣議決定は検察庁法に違背する。
 また、1981年(昭和56年)に国家公務員法が改正され、国家公務員の定年とその延長の制度が導入されたが、同法案を審議した当時の衆議院内閣委員会で、人事院事務総局任用局長は、「今回の法案では、別に法律で定められている者を除くことになっている。検察官については、国家公務員法の定年延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されている。」旨を答弁しており、本閣議決定まで30年近く、1981年(昭和56年)の答弁を否定する取扱いはされてこなかった。
 検察庁法第22条が国家公務員法の適用を受けないのは、検察官が、公益の代表者として 刑事事件の捜査・起訴等の検察権を行使する権限が付与されており、準司法的職務を行うことから、行政権の一部に属しながらも、他の行政権力からの独立が要請されるためである。検察官は独任制の機関とされ、訴追などの検察権の行使を公正に行うために身分保障が与えられている。
 本閣議決定は、憲法の基本原理である権力の監視・抑制の理念に沿い、長年にわたり築かれてきた検察組織の政権からの独立を侵し、憲法の精神に違背することになる。
2 検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明(令和2年4月6日付の日弁連の会長声明)の記載
   検察官の定年退官は、検察庁法第22条に規定され、同法第32条の2において、国公法附則第13条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基づいて、同法の特例を定めたものとされており、これまで、国公法第81条の3第1項は、検察官には適用されていない。
   これは、検察官が、強大な捜査権を有し、起訴権限を独占する立場にあって、準司法的作用を有しており、犯罪の嫌疑があれば政治家をも捜査の対象とするため、政治的に中立公正でなければならず、検察官の人事に政治の恣意的な介入を排除し、検察官の独立性を確保するためのものであって、憲法の基本原理である権力分立に基礎を置くものである。
   したがって、国公法の解釈変更による本件勤務延長は、解釈の範囲を逸脱するものであって、検察庁法第22条及び第32条の2に違反し、法の支配と権力分立を揺るがすものと言わざるを得ない。

第10 選挙により選ばれた公職者がその職務上行った行為が弁護士会の懲戒対象となる場合
1 令和元年7月8日付の日弁連懲戒委員会の議決書は,以下の判断を含む原弁護士会の決定を相当であると判断しました(2019年弁護士懲戒事件議決例集(第22集)102頁,103頁及び112頁)。
   弁護士は「職務の内外を問わず,弁護士としての品位を害する非行」があった場合は弁護士会が懲戒をなすものとされているところ,選挙により選ばれた公職者がその職務上行った行為については,選挙民がその当否を判断するのが民主主義の本筋であることからすると,かかる行為については,犯罪を構成する場合,行為の違法性が重大である場合,あるいは,違法行為と知って故意に行うといった悪質性が高い場合に,弁護士としての品位を害するものとして懲戒の対象とするのが相当である。
2 令和2年4月5日現在,森まさこ法務大臣は福島県弁護士会所属の弁護士(47期)でありますところ,東京高検検事長の勤務延長を決定した閣議決定は,「憲法の基本原理である権力の監視・抑制の理念に沿い、長年にわたり築かれてきた検察組織の政権からの独立を侵し、憲法の精神に違背することになる。」(大阪弁護士会の会長声明)ものであったり,「検察庁法第22条及び第32条の2に違反し、法の支配と権力分立を揺るがすもの」(日弁連の会長声明)であったりするわけですから,当該閣議決定を求めた法務大臣の行為の違法性は重大であるのかも知れません。




3 私は,弁護士会の懲戒基準を理解する能力を有していないことを付言しておきます「弁護士会副会長経験者に対する懲戒請求事件について,日弁連懲戒委員会に定型文で棄却された体験談(私が情報公開請求を開始した経緯も記載しています。)」参照)。

第11 河野克俊統合幕僚長の勤務延長(平成28年11月29日から平成31年4月1日まで)
1(1) 1954年11月28日生まれの河野克俊統合幕僚長(海上自衛隊出身)は,平成26年(2014年)10月14日付で第5代・統合幕僚長に就任し,平成28年(2016年)11月28日に62歳の定年を迎えたものの,自衛隊法45条3項及び4項に基づき3度の勤務延長を経て,平成31年(2019年)4月1日付で退官しました(退官時の年齢は64歳4ヶ月余りです。)。
(2) Wikipediaの「河野克俊」には以下の記載があります。
   自衛隊最高指揮官である安倍晋三内閣総理大臣が最も信頼する自衛官といわれ、歴代の防衛大臣からも厚い信頼を得ていることから、法令(自衛隊法施行令)で定める定年年齢(62歳)を越えた後も3度の定年延長を経て統合幕僚長の地位に留まり、初代統合幕僚会議議長の林敬三に次いで歴代第二位の在職(統合幕僚長としては最長)となった。
2 自衛隊法45条は以下のとおりです。
(自衛官の定年及び定年による退職の特例)
第四十五条 自衛官(陸士長等、海士長等及び空士長等を除く。以下この条及び次条において同じ。)は、定年に達したときは、定年に達した日の翌日に退職する。
② 前項の定年は、勤務の性質に応じ、階級ごとに政令で定める。
③ 防衛大臣は、自衛官が定年に達したことにより退職することが自衛隊の任務の遂行に重大な支障を及ぼすと認めるときは、当該自衛官が第七十六条第一項の規定による防衛出動を命ぜられている場合にあつては一年以内の期間を限り、その他の場合にあつては六月以内の期間を限り、当該自衛官が定年に達した後も引き続いて自衛官として勤務させることができる。
④ 防衛大臣は、前項の期間又はこの項の期間が満了する場合において、前項の事由が引き続き存すると認めるときは、当該自衛官の同意を得て、一年以内の期間を限り、引き続いて自衛官として勤務させることができる。ただし、その期間の末日は、当該自衛官が定年に達した日の翌々日から起算して三年を超えることができない。
3(1) 参議院議員古賀之士君提出統合幕僚長の定年延長に関する質問に対する答弁書(平成29年6月13日付)には以下の記載があります。
   平成二十八年十一月二十八日に発令された自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第四十五条第三項の規定による河野克俊統合幕僚長の勤務期間の延長は、我が国を取り巻く安全保障環境等を踏まえ、自衛隊の各種任務を適切に遂行するために防衛大臣が判断し行ったものであり、同様の事由が引き続き存することから、今般、同条第四項の規定により、その勤務期間を延長したものである。
(2) 参議院議員古賀之士君提出統合幕僚長の定年延長に関する再質問に対する答弁書(平成29年6月27日付)には以下の記載があります。
① お尋ねの「我が国を取り巻く安全保障環境等」とは、我が国周辺を含むアジア太平洋地域における安全保障上の課題や不安定要因がより深刻化しており、周辺国による軍事力の近代化・強化や軍事活動等の活発化の傾向がより顕著となっていること等を念頭に置いたものである。
② お尋ねの「各種任務」とは、自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第三条に規定する任務である。
③ お尋ねの「自衛隊の統合幕僚長の適格者」の具体的に意味するところが必ずしも明らかではないが、河野克俊統合幕僚長の勤務期間の延長については、先の答弁書(平成二十九年六月十三日内閣参質一九三第一一九号)においてお答えしたとおりである。
4(1) 内閣の答弁書からすれば,「我が国を取り巻く安全保障環境等を踏まえ、自衛隊の各種任務を適切に遂行するため」であれば,自衛隊法45条3項の「自衛官が定年に達したことにより退職することが自衛隊の任務の遂行に重大な支障を及ぼすと認めるとき」に該当することとなります。
(2) 例えば,「令和元年版防衛白書の刊行に寄せて」(防衛白書の発行日は令和元年10月25日)には以下の記載がありますから,中国及び北朝鮮といった周辺国の活動が劇的に緩和しない限り,常に自衛隊法45条3項の事由が存在することとなる気がします。
   わが国を取り巻く安全保障環境は、かつて想定していたよりもはるかに速いスピードで厳しさと不確実性を増しております。とくに顕著な変化は、宇宙・サイバー・電磁波といった領域の軍事利用が急速に拡大していることです。近年の技術革新により、これらの領域は陸・海・空という従来の領域と並ぶ重要性を持ち始めました。また、地域に目を向けると、中国は周辺海空域における活動を拡大・活発化させており、日本海さらには太平洋に進出する戦闘機や爆撃機の飛行も増加しつつあります。北朝鮮は依然としてわが国全域を射程におさめる弾道ミサイルを数百発保有、実戦配備しております。5月以降、相次いでいる日本海への短距離弾道ミサイルなどの発射は、北朝鮮が、3度に亘る米朝首脳の会談や面会の後も、関連技術の高度化を図っていることを示すものであり、わが国として看過することはできません。

第12 国会答弁資料
① 令和2年2月    3日から同年3月2日までの分
② 令和2年3月    9月の参議院予算委員会(質問者は小西洋之)→大臣官房人事課作成分刑事局作成分
③ 令和2年3月11日の衆議院法務委員会(質問者は山尾志桜里)→大臣官房人事課作成分刑事局作成分

第13 関連記事
① 検事総長,次長検事及び検事長任命の閣議書
② 勤務延長制度(国家公務員法81条の3)の検察官への適用に関する法務省及び人事院の文書(文書の作成時期に関する政府答弁を含む。)
③ 国家公務員法81条の3に基づき,検察官の勤務延長が認められる理由
④ 令和2年の検察庁法改正案及び検察官俸給法改正案に関する法案審査資料
⑤ 最高裁判所長官任命の閣議書
⑥ 最高裁判所判事任命の閣議書
⑦ 各府省幹部職員の任免に関する閣議承認の閣議書
⑧ 黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀問題

旧司法試験の成績開示範囲の拡大

目次
1 平成16年度司法試験からの開示範囲の拡大
2 平成18年度司法試験からの開示範囲の拡大
3 平成20年度からの開示範囲の拡大
4 関連記事その他

1 平成16年度司法試験からの開示範囲の拡大
(1) 平成16年度司法試験から「丙案」制度が廃止された関係で,それまで不合格者に対してのみ行っていた論文式試験の成績通知が合格者に対しても行われるようになりました。
(2) 論文式試験合格者に対しては,科目別順位ランク及び総合得点が通知されるようになりました。

2 平成18年度司法試験からの開示範囲の拡大
(1) 東京地裁平成16年9月29日判決は,平成9年度から平成11年度までの司法試験の成績に関する個人情報開示請求訴訟において,①論文式試験の科目別得点及び総合順位,並びに②口述試験の科目別得点は不開示情報であるものの,③口述試験の総合順位は開示すべきであると判断しました。
   控訴審である東京高裁平成17年7月14日判決は,論文式試験の総合順位も追加で開示すべきであると判断しました。
(2)ア   平成18年度からは,論文式試験の総合順位も通知されるようになりました。
イ 平成19年7月発行の日弁連新聞第402号には,「司法試験の成績については、1983年以降に実施された旧司法試験第2次試験ファイルに記録されている情報が開示される。法務大臣宛に開示請求し、手数料300円、本人確認資料などが必要となる。」と書いてあります。

3 平成20年度からの開示範囲の拡大
・ 平成20年度(行個)答申第1号(平成20年4月14日答申)に基づき,合格枠制対象の合格者(いわゆる丙案合格者)に該当する可能性がある人(平成8年度から平成15年度までの司法試験において,受験回数が3回以内で論文式試験に合格した人)であっても,法務大臣に対して保有個人情報開示請求をすれば,論文式試験の総合得点及び総合順位を開示してもらえるようになっています。

4 関連記事その他
(1) 旧司法試験の成績に関する開示請求については,法務省HPの「司法試験ファイル,旧司法試験第二次試験ファイル及び司法試験予備試験ファイルに係る開示請求について」に書いてあります。
(2) 司法試験に関する成績開示は現在,「司法試験における試験成績の本人通知について」(平成17年11月8日司法試験委員会決定)に基づいて運用されています。
(3) 弁護士法人福間法律事務所HP「司法試験(口述)の成績開示、11番でした。」(2017年10月7日付)には,昭和61年度司法試験合格者の開示請求の体験談として,「論文試験については席次資料は残っておらず、AからHまでの7段階評定で、私の成績は、7科目中6科目がA、1科目がBの、総合Aであり、口述試験は席次成績が残っており、11番でした。」と書いてあります。
(4) 以下の記事も参照してください。
・ 旧司法試験の「丙案」制度
・ 旧司法試験の成績分布及び成績開示

旧司法試験の「丙案」制度

目次
第1 平成3年の司法試験法改正による「丙案」制度の導入

1 法曹基本問題懇談会(昭和62年4月から昭和63年3月まで)
2 法務大臣官房人事課長試案及びその後の経緯(昭和63年4月から同年12月まで)
3 司法試験制度改革に関する法曹三者協議会(昭和63年12月から平成2年10月まで)
4 法制審議会の答申(平成3年2月)
5 司法試験法の改正(平成3年4月)
6 参考資料
第2 平成8年度から平成13年度までの司法試験
1 法曹養成制度等改革協議会(平成3年6月から平成7年11月まで)
2 「丙案」制度の実施決定(平成7年12月11日)
3 司法試験制度と法曹養成制度の改革に関する法曹三者の協議会(平成8年7月から平成9年10月まで)
4 法曹三者の協議会
5 その後の日弁連決議
第3 平成14年度及び平成15年度の司法試験
1 司法制度改革審議会の意見書(平成13年6月)
2 司法試験管理委員会の決定(平成13年11月)
3 「丙案」制度の廃止
第4 旧司法試験の司法試験合格者数の推移,及び合格枠制における制限枠の推移
1 旧司法試験の合格者数の推移
2 合格枠制における制限枠の推移
第5 昭和39年8月28日付の臨時司法制度調査会意見書
1 昭和39年8月28日付の臨司意見書の記載
2 弁護士会の反対決議
3 臨司意見書が日の目を見たのはごく一部だったこと
第6 関連記事その他

第1 平成3年の司法試験法改正による「丙案」制度の導入
1 法曹基本問題懇談会(昭和62年4月から昭和63年3月まで)
・ 昭和62年4月27日に第1回会合が開催された法曹基本問題懇談会は,昭和63年3月公表の意見において,「当面緊急に必要な改革」として以下の記載をしています。
    司法試験の合格者を当面現行制度の下における修習が可能な範囲内で増加させ,それと併せて,全受験者がなるべく平等な条件の下で受験できるようにすることにより,大学における法学教育を受けた者が長期にわたって受験勉強に専念しなければ合格するのが困難となっている現状を改めるため,受験者が受験できる回数をある程度の範囲内に制限すべきである。

継続受験者の受験回数別・年齢別断念状況(平成元年11月20日配布の,「司法試験制度改革の基本構想」の添付資料)

2 法務大臣官房人事課長試案及びその後の経緯(昭和63年4月から同年12月まで)
(1) 法務省は,法曹基本問題懇談会の意見を受けて,具体的改革案として,昭和63年4月13日,大臣官房人事課長名で「司法試験改革試案」を作成して公表しました。
    その骨子は,①合格者700人程度への増加,②受験回数制限の導入(司法試験第二次試験は,連続した3年以内に3回以内の受験を認める。ただし,司法試験が行われる年の3月31日に満24歳に達していない者の受験のうち2回は,回数制限対象の受験とはみなさない。),③大学推薦制の導入及び④教養選択科目の廃止でした。
(2)ア 法務省の試案に対する大学の意見は,合格者の増加についてはすべての大学が賛成,受験回数制限と教養選択科目の削減については4分の3が賛成,大学推薦性については賛否相半ばするという状況でした。
イ 日弁連は,法務大臣官房人事課長試案について,昭和62年3月に設置された法曹養成問題委員会において検討をするとともに,全国単位弁護士会から意見を求めた結果,昭和63年11月18日の理事会において,日弁連の意見を以下のとおり集約することが承認されました(日弁連新聞1988年12月1日号)。
(法務省人事課長試案に対する意見集約について)
    試案に対する52単位会からの意見及び法曹養成問題委員会の答申を踏まえて集約した結果,当連合会の試案に対する基本的意見は次のとおりである。
一 回数制限は反対する。
二 大学推薦は反対する。
三 試験科目中の教養選択科目廃止は賛成する。
四 増員については,その前提となる諸条件の整備が必要である。
    なお,回数制限とのセットは反対する。
(3) 法務省は,こうした経緯を踏まえて,司法試験改革問題を最高裁,法務省及び日弁連による法曹三者協議会の議題として取り上げることを提案し,昭和63年12月19日の法曹三者協議会から,この問題が協議の議題とされることとなりました。
    また,協議の開始に当たり,法務大臣官房人事課長試案を議論の前提とはせず,改革の必要性から議論すること等が確認されました。
3 司法試験制度改革に関する法曹三者協議会(昭和63年12月から平成2年10月まで)
(1) 昭和63年12月19日に開始した法曹三者の協議は,概ね毎月1回程度開催され,法務省が作成した資料等に基づいて詳細な議論が重ねられ,平成元年6月27日の第7回の協議において最高裁が,同年9月28日の第9回の協議において日弁連が,それぞれ,改革の必要性等についての意見表明を行い,その内容について,同日の協議終了後,法曹三者共同の記者会見が行われました。
(2)ア 司法試験制度改革の基本構想(平成元年11月20日付の法務省の文書)において,少数回受験者の優先枠として以下の三つの案が示されました。
甲案:司法試験第二次試験は,初めて受験した年から5年以内に限って受験できることとする。
乙案:論文式試験及び口述試験の合格者を決定するに当たり,当該試験の合格者数の80%以上に相当する数を初回受験から5年以内の受験者から決定し,その余の合格者は初回受験から6年以上の受験者から決定することとする。
丙案:論文式試験及び口述試験の合格者を決定するに当たり,当該試験の全受験者からその者の受験回数にかかわらず全合格者の70%の合格者を決定し,その余の合格者を初回受験から3年以内の受験者から決定することとする。

(3)ア 基本構想三案につき,受験者の多い大学の意見は,大部分が三案のいずれかの案を支持するものでしたが,特に合格者の多い5校程度の大学は一致して丙案支持であり,丙案以外は反対であると明言する大学もありました(法制審議会司法試験制度部会における法務省説明要旨(「司法試験制度はこう変わる 法曹養成制度改革」(法務大臣官房司法法制調査部編。ジュリスト増刊 基本資料集)(平成3年9月20日発行)38頁)参照)。
イ 日弁連は,平成2年7月25日の法曹三者協議会において,「司法試験制度改革に関する提案」を示し,その中で,合格者700人程度への増加及び教養選択科目の廃止といった司法試験改革を平成4年度司法試験から実施し,平成8年度司法試験の終了後に効果に関する検証を行った上で,多数回受験者の滞留現象や合格者の受験回数,年齢分布などにおいて「より多くの者がより早く合格する」方向での改善効果が見定められず,悪化の傾向が見られたときには,平成9年度司法試験から丙案又はその修正案を実施すべきと提案しました。
    その結果,見直しの余地を残しながらも,最終的には丙案又はその修正案により当面の司法試験制度の改革を図るという点において,法曹三者の意見が一致することとなりました。
(4)ア 司法試験制度改革に関する基本的合意(平成2年10月16日付)において以下のことを決定しました。
・ 法曹三者は,司法試験制度の抜本的改革を実現するために法曹養成制度等改革協議会(仮称)を設置することとする。
・ 合格者は平成3年から600人程度に増加させ,平成5年からは700人程度とする(合格者の増加数は,平成3年から平成7年までの間に合計900人以上となることを目途とする。)。
・ 平成7年の試験において,なお少数回受験者の合格者の大幅増(合格者中3年以内受験者30%以上又は5年以内受験者60%以上など)が実現しなければ,平成8年から合格枠制を実施する。

・ 平成12年の試験終了後に,それまでの検証結果に基づき,その間に行われた試験方法をその後も継続するべきか(丙案が実施されている場合にはこれの廃止も含む),他の方法を採るべきかを協議することとする。
イ 「法曹養成制度等改革協議会」の設置要綱は,平成3年3月4日開催の法曹三者協議会で決定されました。
4 法制審議会の答申(平成3年2月)
・ 法制審議会は,丙案の導入等を内容とする平成2年10月22日付の法務大臣の諮問に対し,平成3年2月4日,諮問に係る改正は相当であると答申しました(「法制審議会答申(平成3年2月4日付)及びその関係資料(旧司法試験の「丙案」制度の導入)」参照)。
5 司法試験法の改正(平成3年4月)
(1)ア 司法試験法の一部を改正する法律(平成3年4月23日法律第34号)による改正後の司法試験法6条2項及び3項は教養選択科目を削除したものとなり,8条2項は受験回数が3回以内の受験者について論文式試験で特別枠を設けて合格させるという「丙案」制度を定めました。
イ 司法試験第二次試験の論文式による試験の合格者の決定方法に関する規則(平成3年7月4日司法試験管理委員会規則第1号)によって,「丙案」制度の詳細が定められました。
ウ 平成4年度以降の司法試験の論文式試験及び口述試験は,教養選択科目(政治学,経済原論,財政学,会計学,心理学,経済政策又は社会政策のうちの1科目)を含まないものとなりました。
(2) 司法試験法の一部を改正する法律(平成3年4月23日法律第34号)の法律案審議資料1/2及び2/2を掲載しています。
(3) 9期の中坊公平日弁連会長は,参考人として出席した平成3年4月16日の参議院法務委員会において以下の発言をしています。
 まず、丙案というものは受験回数によって合否を差別する制度でありまして、司法試験法に定めております判断基準である学識、応用能力に関係ない要素によって合否が決定されることを意味いたしております。この意味におきまして、司法試験法の根本的な理念である平等の原則にもまた反することは明らかであります。
 現在の採点からいたしますと、四回以上の受験者は四回以上というだけで五百一番目の者が不合格となり、逆に三回以内の者は一千八百番目であっても合格するという異様な状態をつくり出すことになるわけであります。しかも、このような合格者に二つの群れをつくること、特にその一群れにげた履きの合格者が存することは、広い意味では法曹全体にとって一種の分裂を招くことになり、外部からも法曹全体に対する信用を損なうおそれがあり、統一修習、法曹一元の立場からも危惧される点が多いと考えております。このため、日弁連におきまして積極的に丙案に賛成する会員は極めて少ないのであります。しかしながら日弁連といたしましては、先ほどから申し上げておりますように、多数回受験者の滞留現象を緊急に改善することは極めて重要であるという視点から、やむを得ず丙案の導入も考えなければならないと考え、基本合意に踏み切ったものであります。
 日弁連といたしましては、増員と運用改善によって丙案を実現しないで済むことを希望いたしております。また、改革協においてより抜本的な改革案が提案、実行されることによって、もっとすっきりした形態のものができ、多数回受験の滞留現象の解消に役立つことを希望しておるものであります。
6 参考資料
・ 「司法試験制度はこう変わる 法曹養成制度改革」(法務大臣官房司法法制調査部編。ジュリスト増刊 基本資料集)(平成3年9月20日発行)が非常に参考になります。


第2 平成8年度から平成13年度までの司法試験
1 法曹養成制度等改革協議会(平成3年6月から平成7年11月まで)
・ 平成3年6月25日に開始した法曹養成制度等改革協議会は,平成7年11月13日付の意見書において以下の意見を表明しています(司法制度改革審議会の配布資料一覧の「政府関係等」参照)。
① 司法の機能を充実し、国民の法的ニーズに応えるため、法曹人口を増加させる必要があり、そのために、司法試験合格者を増加させる措置を採るべきであるとする点で意見の一致を見た。
② 合格者の具体的な増員数及びこれに伴う司法修習制度の具体的な改革案に関しては、意見の一致を見ることができなかったが、合格者については、法曹人口を大幅に増加させるため、中期的には年間1,500人程度を目標としてその増加を図り、かつ、修習期間を大幅に短縮することを骨子とする改革を行い、これに伴って、民事訴訟法及び刑事訴訟法の両訴訟法を司法試験制度の改革を行い、また、法曹資格取得後の継続教育の充実を図るべきであるとする意見が多数を占めた。
    これに対し、司法試験合格者を1,000人程度に増加させるべきであるとする限度で多数意見と一致しつつ、法曹人口の増加は、裁判官・検察官の増員及び法律扶助制度等の「司法基盤」の整備と一体のものとして行うべきであるという観点から、それ以上の増員については、上記の点に関する具体的な計画を策定し、司法試験合格者の増員を検討していくべきである、また、修習期間の短縮には反対であるとする少数意見が述べられた。
③ 今後、法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。
2 「丙案」制度の実施決定(平成7年12月11日)
・ 司法試験管理委員会は,平成7年12月11日,最高裁及び法務省からの二委員の賛成,日弁連からの委員の反対の多数決により,平成8年度司法試験から,受験回数が3回以内の受験者について論文式試験で特別枠(約200人)を設けて合格させるという「丙案」制度の実施を決定しました(「司法試験「丙案」の廃止を求める決議」(平成12年10月18日付)参照)。
3 司法試験制度と法曹養成制度の改革に関する法曹三者の協議会(平成8年7月から平成9年10月まで)
(1) 平成8年7月にスタートした法曹三者の協議会は,平成9年10月28日付の司法試験制度と法曹養成制度の改革に関し,当面採るべき方策及び今後協議すべき事項等について法曹三者による合意において以下の合意に達しました。
(司法試験合格者の増加について)
・ 司法試験合格者を,平成10年度(山中注:平成11年4月開始の53期司法修習につながるもの)は800人程度に増加させ,平成11年度から年間1,000人程度に増加させる。
(司法修習制度について)
・ 修習期間を1年6か月とし,前期修習を3か月間,実務修習を12か月間,後期修習を3か月間行う。
・ 新たな司法修習制度は,平成11年度に始まる司法修習(山中注:平成11年4月開始の53期司法修習)から実施する。
(司法試験制度について)
・ 司法試験第二次試験のうち論文式試験の科目については,憲法,民法,商法及び刑法の4科目に加え,民事訴訟法及び刑事訴訟法を必須科目とするとともに,法律選択科目を廃止する。
    同口述試験の科目については,論文式試験の科目のうち商法を除く5科目とする。
・ 新たな司法試験制度は,平成12年度の司法試験第二次試験(山中注:平成13年4月開始の55期司法修習につながるもの)から実施する。

・ 法曹三者は,司法試験第二次試験のうちの論文式試験の合格者の決定方法について,日弁連が,平成8年度及び9年度の論文式試験の結果を見ると,短期間の受験での合格者が著しく増加するなど相当の改善効果が現れていることなどにかんがみ,遅くとも平成13年度の司法試験においては合格枠制を廃止すべきであると強く提言したことを受けて,今後の司法試験の結果及び司法試験をめぐる動向等を踏まえつつ,同提言も含め,法曹の選抜及び養成の在り方について,広く,かつ,真摯に検討するため,速やかに協議を開始する。
(2) 司法試験法の一部を改正する法律(平成10年5月6日法律第48号)による改正後の司法試験法6条2項及び3項に基づき,平成12年度以降の司法試験では,法律選択科目(行政法,破産法,労働法,国際公法,国際私法及び刑事政策)が廃止され,民事訴訟法及び刑事訴訟法が必修化され,商法の口述試験が廃止されました。
4 法曹三者の協議会
(1) 法曹三者の協議会は,昭和45年5月13日の参議院法務委員会の付帯決議(今後,司法制度の改正にあたっては,法曹三者(裁判所,法務省,弁護士会)の意見を一致させて実施するように努めなければならない。)等に基づき,昭和50年から平成3年までの間に164回開催され,平成8年から平成9年までの間に20回行われました(司法政策決定過程における日弁連のスタンスとその特徴-1990年以降を中心に-2頁参照)。
(2) 平成8年に自民党に設置された司法制度特別調査会は,司法制度に関する事項が三者協議を中心 に決定されてきたあ り方に疑問を呈し,同年6月に「21世紀の司法の確かな指針」と題する報告により司法制度審議会(仮称)の設置を提言し,司法制度改革の抜本的な検討を政府に求めました。
(3) 司法制度改革審議会設置法(平成11年6月9日法律第68号)に基づき平成11年7月27日に司法制度改革審議会が内閣に設置されてからは政府主導で司法制度改革が進められるようになりましたから,従来のような法曹三者の協議会は開催されなくなりました。
5 その後の日弁連決議
(1) 日弁連HPの「司法試験「丙案」の廃止を求める決議」(平成12年10月18日付)には以下の記載があります。
    上記三者合意(山中注:平成9年10月28日付の法曹三者の合意のこと。)に基づき、1998年10月15日、法曹三者による「法曹の選抜及び養成の在り方に関する検討会」が設置され、遅くとも2000年末までに結論を得ることを目指し(設置要綱)、丙案の存廃問題に関する協議が続けられている。同検討会では、司法試験結果の分析、丙案導入の立法事実の解消の有無、丙案を廃止した場合の将来予測等につき協議を重ねてきているが、状況は予断を許さない。法務省は、1999年11月4日の検討会において、「現時点で平成13年度からの合格枠制廃止という結論には至らない」旨の意見を述べており、また、仮に丙案廃止について合意が成立したとしても実際の廃止のためには少なくとも1年以上の周知期間が必要という立場をとっていることなどからみて、同検討会において、「遅くとも平成12年度試験をもって丙案を廃止する」という当連合会の方針を実現することは極めて厳しい情勢にある。
(2) 日弁連HPの「法曹人口、法曹養成制度並びに審議会への要望に関する決議」(平成12年11月1日付)には以下の記載があります(臨時総会決議の日付は平成6年12月21日,平成7年11月2日及び平成9年10月15日です。)。
    新規法曹の数が法曹三者の合意となったのは、1990年(平成2年)の「司法試験制度改革に関する基本的合意」において、丙案実施のための5年の検証期間中に合格者数を年間700人程度まで漸増させるとされたときからである。以後、司法試験合格者数は法曹三者で決定していくことを前提として、日弁連では、1994年(平成6年)の臨時総会で「当面の司法試験合格者は今後5年間で800名程度とする」こと、1995年(平成7年)の臨時総会で「平成11年度から1000名程度に増加する」ことを決議した。さらに1997年(平成9年)の臨時総会では、その増員時期を「平成10年から」と1年早め、法曹養成制度等改革協議会が最終答申した多数説の1500人増員については「平成14年10月に3年にわたる1000名増員の影響を調査、検証して決する」ことを決議し、その旨を法曹三者で合意した。

第3 平成14年度及び平成15年度の司法試験
1 司法制度改革審議会の意見書(平成13年6月)
・ 司法制度改革審議会の意見(平成13年6月12日内閣提出,同月15日閣議決定)は,「平成14年の司法試験合格者数を1,200人程度とするなど,現行司法試験合格者数の増加に直ちに着手することとし,平成16年には合格者1,500人を達成することを目指すべきであり,法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら,平成22年ころには新司法試験の合格者数の年間3,000人とすることを目指すべき。」としました。
2 司法試験管理委員会の決定(平成13年11月)
・ 司法試験管理委員会は,平成13年11月9日,以下の趣旨の決定をしました。
① 平成14年度以降の司法試験について,司法制度改革審議会意見を最大限尊重する。
② 平成14年度から,司法試験合格者数が1,200人程度になることが見込まれることから,合格枠制における無制限枠と制限枠の比率を,「7対2」から「9対2」に変更する。
③ 平成16年度以降に行われる司法試験第二次試験の論文式による試験における合格者の決定方法は,司法試験法第8条第2項に規定する方法である,いわゆる合格枠制によらないものとする。
3 「丙案」制度の廃止
・ 「丙案」制度は,平成15年度司法試験を最後に廃止されました。

第4 旧司法試験の合格者数の推移,及び合格枠制における制限枠の推移
1 旧司法試験の合格者数の推移

平成元年度:506人,平成2年度:499人
平成3年度:605人,平成4年度:630人
平成5年度:712人,平成6年度:740人,平成7年度:738人
(合格枠制(「丙案」制度)の開始)
平成8年度:734人,平成9年度:746人,平成10年度:812人
平成11年度:1000人,平成12年度:994人,平成13年度:990人
平成14年度:1183人,平成15年度:1170人
(合格枠制(「丙案」制度)の終了)
平成16年度:1483人,平成17年度:1464人
平成18年度:549人,平成19年度:248人,平成20年度:144人,平成21年度:92人,平成22年度:59人
2 合格枠制における制限枠の推移
・ 合格枠制における制限枠は,平成8年度ないし平成10年度(51期ないし53期)については2/7であり,平成11年度ないし平成13年度(54期ないし56期)については2/9であり,平成14年度及び平成15年度(57期及び58期)については2/11でした。


第5 昭和39年8月28日付の臨時司法制度調査会意見書
1 昭和39年8月28日付の臨司意見書の記載
(1) 昭和39年8月28日付の臨時司法制度調査会意見書(略称は「臨司意見書」です。)には以下の記載があります。
(102頁の記載)
    司法研修所の教官から、司法修習生の中でも、高年齢者ほど修習効果が上がらず、年少者はこれと逆に能力の伸長の度が大きいことが指摘されている。
(105頁の記載)
    現行司法試験制度の有するこれらの欠陥及びその原因にかんがみ、将来性に富む優秀な者を多数法曹に迎
え入れるためには、さかのぼつて、大学における法学教育について検討を加えるほか、司法試験の性格を改めるべきかどうか、試験方法等に改善を加えるべきかどうか、受験回数又は受験年齢の制限を行うべきかどうか、さらには司法試験の管理運営にいかなる改善を加えるべきか等の諸点について検討を加え、早急に適切な方策を樹立する必要がある。

(110頁ないし112頁の記載)
(受験回数又は年齢の制限)
    優秀な素質のある者を若年層から多数合格させるためには、試験方法の改善のほかに、司法試験を受験することができる回数を適当に制限し、あるいは受験することができる年齢を制限するという手段も、諸外国の例に見るように、また、人事院の実施する国家公務員採用上級試験においてその受験年齢の上限を三四歳程度に制限している例に見るように、当然考えられるところであり、当調査会は、この点についても検討を加えた。
審議の過程においては、(イ)司法試験の合絡者の半数以上は弁護士になるのであるから、必ずしも高年齢層を排斥する必要はなく、したがって、年齢又は回数について制限することは適当ではなく、また、必要もないとする意具(ロ)「何回も繰り返し、また、相当の年齢に達しても受験しようという人にとって希望をもたせる必要もあるので、制限を行なうことは反対である。もし、制限するとすれば、回数は一〇回程度、年齢ならば、三四、五歳程度にとどめるべきである。また、すでに述べたとおりの改善を試験方法等について行なえば、制限を必要としない事態になることが予想される。」との意見、(ハ)公務員となる者はともかく、弁護士となろうとする者に対してあまりきびしい制限をすることは、職業選択の自由にも関係する人権問題であるとの意見等の反対意見もあったが、これに対しては、(イ)無制限に放置すると、見込みのない者が何回も受験する事態を招きやすく、本人のためにもならないから、回数を五回位に制限すべきであるとの意見、(ロ)弁談士全体の質の向上という見地から見ても、できるだけ若い将来性のある者が弁護士となることが望ましいとする意見、(ハ)「法曹として必要な適正な価値判断を伴つた論理的思考力は、本質的には、その人の素質によるところが大きいから、何回も受験しなければ合格しない人ほ、素質的に法曹に適していないとみなしてもよいのでばないか。その意味で受験回数を制限することが必要であり、その限度は三回位が適当である。」との意見、(ニ)司法修習生は国費で養成しており、その意味でも、弁護士となろうとする者は、裁判官又は検察官となろうとする者と同様、公的な性勝をもつものであるから、年齢等についても前者と同様に制限されてしかるべきであるとの意見、(ホ)年齢は三四歳以下で受験回数は五回までとすべきであるとの意見、(ヘ)最初の受験の時から五年間に限り、かつ、その受験をも含めて三回に限って受験しうることとすべきであるとの意見等、何らかの回数又は年齢の制限を考慮すべきであるとする意見が強かった。
この問題は、反対意見にも見られるとおり、多年勉学して受験しようとする者を排除し、回数を重ねて実力を備えるに至つた者を不適格とすることの当否、弁護士となろうとする者についての職業選択の自由と弁護士の公的性格から来る制約との関連等の困難な問題点を含んでおり、また、回数制限については、実施に際して受験者の照合等に関する技術上の難点が予想される等の点があるので、今直ちに結論は下しがたく、前記の反対意見をも考慮に入れつつ、関係当局において早急に検討する必要があるということに意見の一致を見た。

(2) 臨時司法制度調査会意見書105頁がいうところの「現行司法試験制度の有するこれらの欠陥及びその原因」は概要,①大学卒業見込者の合格率がそれ以外の者の合格率を相当程度下回っているという欠陥,並びに②その原因は主として,大学における法学教育が学制改革により根本的に変革されたのに対し,司法試験が旧来のままであることから,両者の間に間隙(かんげき)が生じていること,及び司法試験が知識の試験に傾き,能力,将来性,教養等の面の考査をおろそかにしがちであることです。
2 弁護士会の反対決議
・ 昭和42年5月27日の日弁連定期総会決議「司法制度の確立に関する宣言」には以下の記載があります。
    われわれは、昭和39年12月19日臨時総会において、簡易裁判所判事及び副検事に対する法曹資格及び弁護士資格を付与すること、簡易裁判所の事物管轄の拡張をすることに反対を決議いたしまして、さらにその後においても、高等裁判所支部の廃止や司法試験法の改正等に反対の決議を行うのみならず、これらの施策の実施を阻止するために一大運動を展開してきたことは皆様ご承知の通りであります。
3 臨司意見書が日の目を見たのはごく一部だったこと
・ 最高裁判所とともに(著者は高輪1期の矢口洪一 元最高裁判所長官)56頁には以下の記載があります。
    臨司では司法試験改革や裁判所の適正配置問題など、今日法曹界で論議されている司法制度の問題点があらかた取り上げられた。ただ、結果的に日の目を見たものはごく一部だったところから、「裁判所がいいところだけをつまみ食いした」などとの批判もあったが、毎回ほとんど全委員の出席を得て会議の議論は終始真剣そのものだったと思う。

第6 関連記事その他
1(1) 昭和62年4月から平成14年12月までの経緯の骨子については,法務省HPの「司法試験制度等改革の経緯 [公表済み]」が分かりやすいです。
(2) 明治9年開始の代言人試験から平成23年3月までの経緯の詳細については,法務省HPの「法曹の養成に関するフォーラム」に載ってある「新しい法曹養成制度の導入経緯と現状について(平成24年4月13日更新)」(339頁あります。)が参考になります。
2(1) 司法修習生の修習期でいえば,51期から58期までの間,「丙案」制度が実施されていました。
(2) 受験回数3回以内の合格者については,「丙案」制度があったから合格できた可能性があることにかんがみ,「丙案貴族」といわれることがありました。
3 法務省HPの「第二次試験試験問題・試験結果等」に,平成8年度ないし平成22年度の第二次試験短答式試験問題平成14年度ないし平成22年度の論文式試験問題・出題趣旨平成15年度ないし平成23年度の口述試験における問題のテーマが載っています。
4(1) 以下の資料を掲載しています。
・ 司法試験の得点別人員調(昭和58年度から平成10年度まで)
・ 司法試験の得点別人員調(平成11年度から平成22年度まで)
(2) 以下の記事も参照してください。
・ 旧司法試験の成績分布及び成績開示
・ 旧司法試験の成績開示範囲の拡大
・ 司法修習生の給費制及び修習手当
・ 司法修習生の修習資金貸与制
・ 司法修習生の修習給付金及び修習専念資金
・ 給費制を廃止した平成16年の裁判所法改正の経緯
・ 平成31年3月提出の,法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案の説明資料