昭和27年4月発覚の刑事裁判官の収賄事件(弾劾裁判は実施されず,在宅事件として執行猶予付きの判決が下り,元裁判官は執行猶予期間満了直後に弁護士登録をした。)

Pocket

1(1)ア 荒木辰生(昭和27年4月2日依願退官)は,名古屋地裁の刑事単独部で刑事事件を担当していた際,自分が担当する労働基準法違反,強盗,関税法違反被告事件について,それぞれ被告人の親族など縁故者から有利寛大な処分をされたい旨の請託を受け,現金及び飲食合計3万円相当の賄賂を収受した疑いにより,昭和27年7月16日,収賄事件として在宅起訴されました。
イ 名古屋地裁は,荒木辰生 元裁判官に対し,昭和29年7月23日,懲役1年執行猶予3年,追徴金1万2031円の判決を下し,当該判決は同年8月7日に確定しました。
(2) 名古屋地検の捜査が進んでいることを察知した荒木辰生裁判官は,昭和27年3月27日に辞表を提出し,当時の名古屋地裁所長は,裁判官会議に付することもなく,収賄容疑について最高裁判所に伝えることもなく,荒木辰生裁判官の辞表を最高裁判所に伝達しましたから,同年4月2日付で依願退官が発令されました。
 ただし,荒木辰生裁判官は,依願退官を伝えられた昭和27年4月4日まで刑事裁判官としての職務を続けていましたから,同月2日から同月4日までに言い渡した判決については,その後,名古屋高裁が,裁判官でない者の行為であって無効であるとして破棄差戻しとしました。
(3) 汚れた法衣111頁ないし138頁に詳しい経緯が書いてあります。

2 伊藤修 参議院法務委員会理事は,昭和27年7月28日の参議院法務委員会において以下の報告をしています(ナンバリングを追加したり,事件関係者の氏名を匿名にしたりしています。)。
① 名古屋地裁荒木元判事の汚職容疑事件について、第一に、その調査の経過を御報告申上げます。
 本年四月十九日付中部日本新聞紙上に、名古屋地方裁判所荒木辰生判事の汚職容疑に関する記事が大きく掲載せられ、世人の注目を惹いたところであるが、当委員会においても、問題の重大性に鑑み、これを重視し、五月九日の委員会において伊藤委員より最高裁判所事務総局鈴木人事局長に対し、本件について質疑が行われた。
 委員会においては、本件について更に詳細にこれを調査し、その真相を究明するために、現地に委員を派遣することを決定した。
 かくて五月十四日伊藤、中山の両委員は名古屋に赴き、名古屋高等裁判所、同地方裁判所において、それぞれ長官並に所長より、名古屋高等検察庁、同地方検察庁において検事長及び検事正より詳細に事情を聽取した。
 当時本件は名古屋地方検察庁において捜査中で同庁では、荒木元判事の汚職容疑について、すでに相当程度の確証を挙げてはいたのであるが、なおまだこれを起訴すべきや否やについては決定を見ていなかつた。よつてこの処分が決定するまでは、本件についての報告を留保するのが妥当なりと認め、これを留保してきたのであるが、法務府よりの通知によれば、名古屋地方検察庁は去る七月十六日、荒木辰生を收賄被疑によつて起訴したことが明らかとなつた。よつてここに本件について報告に及ぶものである。
② 二、事件の概要
 名古屋地方裁判所元判事荒木辰生は、昭和四年高文司法科試験に合格、同五年千葉弁護士会に登録、弁護士を開業、同十年判事に任ぜられ、以来、東京、金沢、安濃津、名古屋各地方裁判所に勤務し、昭和十九年に至り陸軍司政官としてスマトラに赴き、以来昭和二十一年十月帰国するまで南方各地に在勤し、同月帰国と同時に判事に任ぜられ、名古屋地方裁判所岡崎支部に勤務、昭和二十二年十一月名古屋地方裁判所に転勤、昭和二十七年四月二日依願退官するまで、同庁刑事単独部において判事として勤務したものである。
 荒木は別添名古屋高等検察庁検事長藤原末作より木村法務総裁宛の昭和二十七年七月十日付日記秘第一八四号写記載の通り
 (一)昭和二十五年十一月十七日名古屋地方裁判所刑事単独部に係属中の◯◯◯株式会社名古屋工場の工場長Aに対する労働基準法違反被告事件審理に関し、同事件の当初担当判事が、同二十六年三月十五日同裁判所刑事会議部に転出したるため、同事件の配填替えを受け、その審理を担当するに至るとともに、同事件の被告人Aが自己に対する裁判について、有利寛大なる判決を受けたいという趣旨のもとに行うものであることを知り乍ら、同年三月以降六月頃までの間に、名古屋市所在の旅館◯◯◯において、二十一回に亘り酒食の饗応を受け、同年六月二十五日言渡したる判決においては、右Aに無罪を言渡し、更に判決言渡当日たる六月二十五日及び同月二十九日頃の二回に亘つて、同じく◯◯◯において、Aより酒食の饗応を受け
 (二)昭和二十六年十二月から翌二十七年一月にかけて、名古屋市において検挙されたB、C及びDの集団強盗被告事件について、これらの者の検挙が別々であつたために、先づBは、昭和二十七年一月八日名古屋地方裁判所に起訴され、事件は刑事単独部澁谷判事のもとに配填せられ、次いで同月十七日起訴されたC及びDに関する被告事件は、同一強盗事件に関する共犯関係であるから、さきに起訴されたBの事件に併合審理されるべきことが明かにされたため、澁谷刑事のもとに併合せらるべきに拘わらす、その起訴に先だち一月十四日Cの実兄及び養父の両名が、荒木の居宅に赴き右強盗事件が起訴された場合には、荒木判事のもとにおいて同事件を担当し、Cのため有利寛大な審判をせられたい旨、荒木に対し請託したところ、荒木は、この請託を容れて、Cのために有利な執行猶予を付したる判決をなすべきことを約束して、右両人が持参した菓子折一箱と現金二千円を受領し、その後、前記各被告人の事件を一括して自己の担任に移し、Cに対しては同年二月六日に懲役三年、五年間執行猶予の判決を言渡し
 (三)昭和二十六年十二月三十日、名古屋地方裁判所に係属したるEに対する関税法違反被告事件が、荒木に配填せられたところ、被告人の義弟F等より名古屋市所在◯◯◯において、一月十五日酒食の饗応を受け、その請託に応じて二月二十日右Eに対し寛大なる判決を言渡し、更に三月三日頃周の知人Gより◯◯◯外一カ所において、酒食の饗応を受けたものである。
 以上の事実によつて、荒木は去る七月十六日、名古屋地方検察庁によつて名古屋地方裁判所に起訴せられたのである。これらの事実がすべて真実なりや否やは、勿論裁判によつて、確定せらるべきことであつて、今これについて深く言及することは避けることとする。併し、右のごとき事実によつて起訴されたということ及び検察当局がこれについて相当の確信を持つていることは特に注意すべきことである。
③ 次に、検察当局の捜査の端緒及び荒木判事退官までの経緯を略述すれば次の通りである。
 昭和二十七年二月二十七日、前記B、C、Dの強盗被害事件の主任平田判事の許にBの雇主Xが来訪し、同事件について先般判決があつたが、Bは懲役五年の実刑を科されたが、他の二人は執行猶予となつて、これには不服である。執行猶予となつたCの親族が荒木判事を訪れ、菓子折と金一封を贈つたということなので、私も訪ねて行つたが、私のほうは駄目で返されたという趣旨のことを同検事に語つた。
 同検事の報告に基き、名古屋地方検察庁安井検事正は、検事長の指揮を受け捜査を開始したところ、贈賄者二名が詳細に自白するに至り、検察庁は更に荒木判事の素行行動などについて追求するに至つたのである。その結果として同判事の担当刑事事件について、特に検事控訴となる事件が多いこと、同検察庁の調べによれば、昭和二十六年四月一日から同二十七年三月二日までの間において同庁で検事控訴した事件九十一件のうち、二十九件が荒木判事の担当した事件である。麻雀が好きで、料亭等に頻々と出入していること等が判明するに至つた。
 三月二十日頃に至り、安井検事正は、名古屋地方裁判所村田所長及び同高等裁判所下飯坂長官に右荒木判事の事件について話したのであるが、一方、荒木本人も検察庁の捜査を察知したもののごとく、三月二十六日に至り、村田所長に辞意を洩らし、翌二十七日遂に辞表を提出した。そこで村田所長は、下飯坂長官と相談の上、裁判官会議に附することなしに、最高裁判所に伝達したのである。なおこの際荒木判事について、前記のごとき汚職容疑事件が発覚している事実については、最高裁判所に通知しなかつたのである。故に、最高裁判所は、右の事実について何等知るところなく、四月二日附を以て荒木に対し、依願免官の発令をなしたのであつた。
 なお、この間の事情について、下飯坂長官及び村田所長は、彈劾裁判ということについても十分心得てはいたのであるが、自分等としては、本件をそこまでもつて行くことには耐えられなかつたし、又、荒木判事が現職のまま拘束された場合における世間に及ぼす影響及び裁判官全体のための名誉保持の点等を考慮し、自分等両名の責任において最善の方法と認められる措置をとつたものと考えると言明している。
 この間検察庁側は着々として荒木についての捜査を継続し、犯罪の確証を握るに及んで、遂に同人を起訴するに至つたものである。
 以上が事件の概要であり、その詳細は別添参考資料聴取書等によつてこれを参照せられたい。
④ 三、結論
 先ず本件において、荒木元判事本人の行為については、それが目下刑事事件として裁判所に係属中であるため、ここにこれを批判することは、暫らく差し控えることとする。
 次に本件において問題となるのは、裁判官の弾劾裁判制度との関連において、荒木元判事の辞職について、裁判所側、殊に名古屋高等裁判所長官及び名古屋地方裁判所長のとりたる措置並びに最高裁判所の人事行政全般に関する問題である。すでに、事件の概要中において述べた通り、荒木元判事は、自己の身辺に検察庁の捜査の手が伸びたことを察知するや、三月二十七日附その辞表を提出したのであつた。名古屋高等裁判所下飯坂長官及び名古屋地方裁判所村田所長は、これに先だち、三月二十日前後に、名古屋地方検察庁安井検事正より、荒木元判事の汚職容疑について、報告を聽いているのである。即ち下飯坂長官及び村田所長は、荒木元判事について、かかる事情が存することを知りながら、なお且つその辞表を受理し、而もこれを裁判官会議に諮ることなく、長官及び所長の意思と責任において、最高裁判所にその伝達をなすと共に、これを至急決裁あらんことを具申したのであつた。なおこの際最高裁判所に対しては、荒木元判事について前述のごとき汚職容疑事件が発生したことについては、何等報告しなかつのである。
 このような取扱いをした理由として、下飯坂長官及び村田所長は、荒木元判事が現職のまま、身柄拘束されるようなことがあつた場合においては、それが国民一般の裁判官全体に対する不信の念を招来するがごとき結果を生ずることを虞れて、荒木を一刻も早く辞職せしむることが、裁判所及び裁判官全体の名誉を守るゆえんであると考えたというのである。
 名古屋高等裁判所裁判官会議規程及び名古屋地方裁判所裁判官会議規程を見るに、裁判官の身分に関する意見、具申等については、いづれも裁判官会議若しくはその常置又は常任委員会に諮り、その決議によつて処理することになつているのであつて、長官又は所長の独断的専行は許されないところである。
 のみならず、荒木元判事の行為は、明らかに裁判官弾劾法第二條の規程に該当する罷免の事由たり得る非行であつて、下飯坂長官及び村田所長は、同法第十五條によつて、当然荒木元判事について弾劾による罷免事由を最高裁判所長官に通知すべきであつたのである。
 然るに下飯坂長官及び村田所長は、右の処置をとることなく、むしろ反対に荒木元判事の非行については何等報告することなく、又その辞表については、至急決裁せらるべく具申して、これを伝達したことは前述の通りである。
 下飯坂長官及び村田所長が、本件の世間に及ぼす影響と、裁判官全体の名誉と威信を保持するために苦慮を重ねたであろうことは、本件の調査に当り、長官等が委員に対し、その心境を吐露したる言葉の節々によつても、十分にこれを推察することができるのである。
 長官及び所長が右のごとき措置をとるに至つたその心境は同情に値するものであり、その措置は気持の上では諒とせられるものではあるが、併し、法の維持を任務とする裁判官としては、飽くまでも法令の命ずるところに従つて事に処することが正しい態度と言うべく、かかる態度を堅持することこそが、裁判官全体のための名誉と、威信を保持するゆえんであると思料されるのである。
 本件の場合において、下飯坂長官及び村田所長が、荒木元判事の辞表を裁判官会議に附することなく、最高裁判所に伝達して、その結果において荒木元判事の彈劾裁判を免れしめるような処置をとつたことは妥当を欠くものと言うべく、遺憾に堪えないところである。そもそも裁判官彈劾裁判制度は、裁判官の身分保障を前提として、裁判官が濫りに罷免されることのないように、これを保障するために設けられた制度であつて、それ故にこそ、特に刑事訴訟手続にも似た嚴格なる手続によつて行われるのである。
 裁判官が法に触れる非行をなした場合において、一般の刑事裁判に付されるほかに、更に弾劾裁判にも付されるということは、一見二重にその責を問われるもののごとくみられないこともないが、これはその身分を強く保障するための制度よりまする当然の結果であつて、かかる制度が裁判官のために、ひとり裁判官のみのために設けられている事実こそ、まさに裁判官の職務遂行を独立不覊のものたらしめるものであると同時に、その名誉と威信とを示すものである。故に裁判官の弾劾裁判制度は裁判官の名誉と威信とを保持するためにも、これを守らなければならないし、又それが憲法の精神にも副うものである。
 本件については荒木元判事の依願退官の手続はすでに完了し、その弾劾のための訴追については最早とるべき手段はない。併しながら、将来においてはひとり下飯坂長官及び村田所長のみに限らず、裁判官全体の問題として、かかることを再び繰返すことのなきよう嚴に自戒すべきことを要望して止まない。然らざる限り、裁判官の弾劾裁判制度は全く有名無実の制度と化するであろうとことを虞れるのである。次に最高裁判所は荒木元判事の辞表の伝達を受けたときに、同人の非行については何の報告も受けておらなかつたために、これを知ることなくして、その免官を発令したのであつて、その手続において欠くるところはなかつた。併しながら本件のごとき問題が、将来において再び発生することがないとは言えないのであるから、将来の問題として、裁判官の辞任の申出があつた場合においては、少くともその理由について万遺漏なきような措置を講ずることが必要であると思料するのである。最高裁判所においては、終戰後住宅その他主として経済上の理由により、裁判官を適材適所に配置することができなかつたことは誠に止むを得ないところであつたが、我が国が独立を回復したる今日は、当時と社会一般の情勢も異り、経済事情も相当好転しているのであるから、裁判官についも適材適所主義をとり、慎重なら人事行政を行うことによつて再び本件のごとき事件が発生することのなきよう十分なる対策を講ずべきである。
 以上簡單でありますが、両件の報告(山中注:もう1件は,島根県安来町(現在の島根県安来市(やすぎし))におけるところの自治体警察の存廃問題に関する件でした。)を終ります。

3(1) 汚れた法衣132頁によれば,荒木辰生 元裁判官の収賄事件に関する名古屋地裁昭和29年7月23日の判決理由の骨子は以下のようなものでした。
 審理の結果,荒木被告の職務の公正を疑う証拠は十分あったが,そのため(法に反して)裁判に手心を加えたと断定する証拠はなかった。また,検事の公訴事実全部が収賄罪を構成するとは考えられない。つまり,荒木被告が直接,自分が担当した事件の被告人や関係者から,酒食の供応を受けたり現金を収受したりした部分は有罪だが,人を介して受けた12回の供応(1万9014円)は判決を寛大との主旨ではなかろう。また,起訴事実①を無罪にした後で関係者,被告人らと会食した2回の供応は,収賄とみなす根拠が薄いから無罪で,これは追徴金から除外する。
(2) 汚れた法衣134頁によれば,荒木辰生 元裁判官の収賄事件に関する名古屋地裁昭和29年7月23日が執行猶予をつけた理由は以下の3点でした。
① 荒木は起訴の3ヶ月以上も前に責任をとって,裁判官を退職した。
② 各事件の処理を見ると,収賄して故意に判決に手を加えた形跡は認められない。
③ 現在,右側臀部全般及び大転子部にわたる結核性痔瘻で歩行時に疼痛を感じ,分泌物のため長時間の座位を取り難く,症状が深化拡大していて外科的手術が不可能で,安静加療を要する。
(3) 汚れた法衣135頁には以下の記載があります。
 判決文を読み進むと起訴状、公判経過からは考えられない事ばかり、なんと荒木被告にとって至れり、尽くせりの判決だろう。事実や経験則に反する事でも被告の主張は気前よく認めた上で、「責任をとった」、「賄賂で判決を曲げなかった」、「動かぬほどの病人」として執行猶予にしたが、許されぬ退職事情と高裁の判決是正などに触れていない。また病気のことについて言えば、刑務所には医官がおり、刑の執行停止もある。判決は「善良で世の中を知らず、悪への抗体がなく、気の良い裁判官をダメにしたのは外部の悪党で、これに荒木は迂闊にも丸め込まれた」と、旅館の支配人の”義務違反”までを責めた。これでは裁判官はもう”ばか殿”扱いである。「放胆で細心を欠き、開けっ放しで迂闊」、「人を見る目に欠けた」とは”教育的”な配慮に聞こえるが、そうとするなら遅過ぎる。この判決は”まず結論を出し、二年がかりで理屈をつけた”もの、との世の批判は当然だ。

4(1) 荒木辰生 元裁判官は執行猶予期間が満了した直後の昭和32年10月3日,名古屋弁護士会に入会しました。
(2) 下飯坂潤夫(しもいいざかますお)名古屋高裁長官は,昭和31年11月に最高裁判所判事となりました。

5 福岡高裁判事妻ストーカー事件に関する,平成13年3月14日付の最高裁判所調査委員会の調査報告書も参照してください。

スポンサーリンク