報道されずに幕引きされた高松高裁長官(昭和42年4月28日依願退官,昭和46年9月5日勲二等旭日重光章)の,暴力金融業者からの金品受領

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目次
1 事件の内容
2 裁判官弾劾法の条文等
3 引用元の文献の記載
4 死後叙勲を受けたこと
5 関係記事

1 事件の内容
(1) 汚れた法衣-ドキュメント司法記者(昭和59年4月25日初版)88頁ないし110頁には,「暴力金融業者と交友・収賄した高裁長官」というタイトルで,暴力金融業者Sからの金品受領(民事・刑事の法律相談,及び刑事事件への介入等の謝礼として,高級腕時計,朝鮮人形,高級ブランデー及び現金40万円を受領したこと。)を問題視されて,昭和42年4月28日(金)に依願退官したX高松高裁長官のことが詳しく書いてあります。
   これによれば,大阪地検特捜部は,昭和41年5月末頃からの捜査の結果として,高裁長官としての職務権限との関係であっせん収賄罪で立件することは難しいものの,検事総長に報告した上で最高裁判所長官の訴追請求により弾劾裁判にかけるべきであると判断したり,読売新聞が報道しようとしたりしたものの,4月27日,関根小郷 大阪高裁長官が読売新聞社の最高幹部に電話をして報道を待ってほしいと頼み,万歳規矩楼 前大阪高裁長官(昭和42年3月20日限り定年退官)が読売新聞社を訪問してX高松高裁長官の退職が明日発令されるから報道を待ってほしいと頼み,その翌日にX高松高裁長官が依願退官したため,同人の金品受領は報道されませんでした。
イ 大阪地検特捜部の捜査が開始した当時,X裁判官は神戸地裁所長をしていましたが,昭和41年7月22日,高松高裁長官に任命されました。
(2) 汚れた法衣-ドキュメント司法記者99頁ないし101頁には,大阪地検特捜部の捜査結果を引用する形で,X高松高裁長官の金品受領の具体的内容が書いてあります。

汚れた法衣-ドキュメント司法記者の表紙です。

2 裁判官弾劾法の条文等
(1)ア 昭和42年4月当時の条文である,裁判官弾劾法の一部を改正する法律(昭和23年7月5日法律第93号)による改正後の裁判官弾劾法15条は以下のとおりです。
① 何人も、裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し、罷免の訴追をすべきことを求めることができる。
② 高等裁判所長官及び地方裁判所長は、その勤務する裁判所及びその管轄区域内の下級裁判所の裁判官について弾劾による罷免の事由があると思料するときは、最高裁判所長官に対し、その事由を通知しなければならない。
③ 最高裁判所長官は、裁判官について、前項の通知があつたとき又は弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない。
④ 第一項及び前項の規定による訴追の請求をするには、その事由の簡単な説明を添えなければならない。但し、その証拠は、これを要しない。
イ 現在の裁判官弾劾法15条3項では,訴追請求を行うのは最高裁判所です。
(2) 高裁長官について裁判官弾劾法2条所定の弾劾事由まではないものの,裁判所法49条所定の分限事由がある場合,当該高裁の申立て(裁判官分限法6条)により,最高裁大法廷(裁判官分限法4条)が第一審かつ終審として分限裁判を行うこととなります(裁判官分限法3条2項1号)。

3 引用元の文献の記載
   汚れた法衣-ドキュメント司法記者には以下の記載があります(引用元にはS及びXの実名が書いてあります。また,文中の「シャッポ」はフランス語で「帽子」のことです。)。
(88頁の記載)
   私(山中注:読売新聞の記者をしていた,「汚れた法衣」の著者のこと。以下同じ。)は現役の記者時代に幾度か新聞が裁判所に頼まれて報道を取りやめ、汚職、非行を働いた”大魚”が辞職により法網を切って追及をのがれ、弾劾にかけられるのは”雑魚”ばかりなのを実際に体験した。そこでその度に、確証があっても活字にできない自分の非力に、歯ぎしりをする思いだった。
(95頁の記載)
 特捜部(山中注:大阪地検特捜部)は四十二年四月(山中注:昭和42年4月)初めまでに暴力金融関係で五一人を調べ、前掲の罪名(山中注:恐喝及び窃盗)などで一〇名を起訴し、司法書士ら五人を起訴猶予、顧問弁護士一人を不起訴とした。Sは四月末に一二〇〇万円を積んで保釈されたが、起訴状によると高利で運転資金などを貸し付け、返済が遅れると暴力団を背景に、あるいはX判事を”義理のおやじ”などと言って相手を脅して取り立て、会社を乗っ取ったケースもあった。こうした起訴事実が、X判事が神戸の所長時代に行われたことに注目したい。
 ある裁判官(現在高裁裁判長)の両親で、Sに事業資金を借り、暴力取立ての被害に逢った夫婦の証言がある。四十年の末に、この夫婦がSの事務所へ借金の返済に行ったところ、Sが歳暮の山を指し、得意になって、
「こうして歳暮を捜査員に届ける。神戸地裁のX所長は特別な関係で顧問みないなもんや。電話一本で何でも教えてくれる。X判事さんは最高級のウイスキーや」
と言ったという。
 その時は夫婦も信じなかったが,Sの取り立て方に堪りかねた挙句、まもなく神戸地裁をたずね、所長室のドアを叩いて窮状を訴え、救済を求めた。するとX判事は「私とSの付き合いをどうして・・・」と警戒したが、説明を聞くと夫妻の目の前でSに電話し「私の親しい裁判官のご両親だ。借金を返し、利息も余分に取られたのに、まだ追い回されると嘆いておられる。この人には、きつい取り立ては止めなさい」と伝え、「安心なさい。Sは大阪の裁判所で実刑になるところを、私が弁護士を紹介して執行猶予にしてやったものです。これからお困りの時は、私の名前を言ってその弁護士に相談しなさい」と親切に教えて夫妻を帰した。
 自宅などへ押しかけていたS側の取立屋は姿を消し、鳴り続けた電話は静まり、Sの態度も和らいだが、それまでに受けた大損害はそのまま残ったという。
(99頁の記載)
 四月(山中注:昭和42年4月)になるとまもなく”X長官が大変な剣幕だ”と伝わってきた。私を名指しして「あいつは必ずクビにしてやる。あの新聞社(山中注:読売新聞社)も俺のことを書くなら、必ず潰してやる」と息巻いているという。「俺をやるならやって見ろ。やれなかったらどうする」など、検察への挑発的な言動もひどいと聞いた。
 平たく言えば、裁判官が独立して職権を行うのは裁判の公正を守るためで、職権の範囲は裁判所の事務分配ルールなどによって客観的に決められている。所長、長官が行なう司法行政は裁判官会議の運営によるから、高裁長官と言っても権力の構造から見ればいわば”高裁のシャッポ”ではないか。「床の間の柱」と言った人もいる。
 そのシャッポが思うままに個人や新聞社に危害を加えると公言し、正当な職務を遂行する検察を罵るとは、一体どういうことか。しかも「俺は必ず近く大阪の長官として帰る。帰ればあの連中をこのままでは済まさない」と豪語しているとも言う。裁判官歴四〇年のベテランが、十分に承知しているはずの数々のルールを乗り越えた”法外”の状態を放置できるものではない。
(101頁の記載)
   三十六年(山中注:昭和36年)末に、Sは六〇〇万円貸している男(前科一一犯、四十年十月死亡)に「前から大変親しくしている判事を紹介しようといわれ、その案内で大阪高裁の判事室へ行き、X判事に会った。その日の夕方、Sは一人で吹田市のX判事の自宅をたずね、大いに意気投合した。交際はそれからで、この点は後にX判事の述懐で確認された。だが、Sを紹介した男をX判事がいつどうして知り、なぜ親交を重ねたかは分からない。また当時、神戸の所長官舎には、大阪などから裁判官が集まり、時には”裁判官会議”を開いたようで、検察陣は部内に強い影響力を持つX判事の意外なボスぶりに驚き、いろんな角度からその”実力”を調査した。その中にはX判事に世話になった弁護士が大阪からタクシーでお礼に虎の皮を届けに行ったが、「ここには前から虎の皮がある。それは吹田の自宅へ放り込んでもらえまいか。」と言われて、いま来た道を通って吹田の松本判事宅へ運んだ、などと言う話もあった。
(104頁の記載)
 高松には初めからこの事件にタッチして来たQ記者を派遣した。彼が高松高裁を訪ねるとX長官は週日ゴルフで留守。やがて帰ったX判事の日焼けして元気そうな表情には、反省の色もない。Qは予定通りに、言うことだけ聞くと引き揚げて来た。
(109頁の記載)
 大阪地検はまもなくXを「刑事責任なし」で不問とし、訴追を求めるための「報告書」も出さずじまいにしたようだ。しかし、法曹の一部には「もっと踏み込んで調べて、処分の公正を期すべきだった」とする有力な意見があった。
(176頁の記載)
 裁判官という職務柄、手厚い身分保障と、慎重な制裁制度が必要なことは分かる。だが、国民が予想もしないような”不埒な裁判官”がいれば、法律で定められた通りの制裁を加えるべきだ。裁判所が制裁のルールを無視してかばい立てたのは、国民の信頼に対する”裏切り”ではないか。「本官を免ずる」と発令されてしまえば、裁判官はタダの人で、もう弾劾や分限では責任が問えなくなる。
(177頁の記載)
 X長官の辞任の際には、閣議で辞任の理由を聞いた佐藤栄作首相が、非行内容と裁判所の態度に激怒したと伝えられる。
(237頁及び238頁の記載)

 この原稿は雑誌『月刊サーチ』五十八年7月号から”闇に葬られた司法界のスキャンダル”として連載されるに至り、始めて日の目を見た。大きな反響はあったが、関係者からの苦情はなかった。そして今年四月号で連載が完結するとともに、同社と現代評論社のご好意によって、これを刊行することになった。

4 死後叙勲を受けたこと
(1) X高松高裁長官は,弁護士登録をしないまま昭和46年9月5日に胃がんで死亡し,同日付で勲二等旭日重光章を授けられました。
(2) 汚れた法衣-ドキュメント司法記者110頁には以下の記載がありました。
 彼(山中注:X元高松高裁長官)を無事”辞職”に導いた万歳元長官が葬儀委員長を務めた。普通の叙勲手続きによってこの日付けでX元長官は従三位勲二等に叙せられ、旭日重光章を授けられた。故人を誹謗するのは慎みたいが、このとき、国の栄典制度とは一体なんだろうかと思った。ただ生前のポスト、経歴、勤続年数などを「規準」に当てはめ、最後に勤めた役所が自動的に叙勲を申請するだけでよいのか。”減点”はどうする。そうした配慮を欠く扱いは公正な栄転の授与を台なしにする。「実体的真実の追求」が生命の裁判所なら、弾力的な方法を考えて、こんな場合には妥当な規準によるべきだろう。法曹の間でもこの”栄誉”には驚いた人が多いのだ。

5 関係記事
・ 昭和27年4月発覚の刑事裁判官の収賄事件(弾劾裁判は実施されず,在宅事件として執行猶予付きの判決が下り,元裁判官は執行猶予期間満了直後に弁護士登録をした。)
・ 性犯罪を犯した裁判官の一覧
・ 裁判所関係者及び弁護士に対する叙勲の相場
・ 勲章受章者名簿(裁判官,簡裁判事,一般職,弁護士及び調停委員)

 

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