昭和42年4月28日の最高裁判所裁判官会議議事録には,当時の高松高裁長官について,最高裁判所長官が依願免官手続の「応急の措置」をとり,全裁判官が依願免官を承認したことが記録されている。
もっとも,同議事録には,依願免官の理由,金品授受,大阪地検による捜査又は新聞報道に関する記載はない。
これらの経緯を詳しく記す資料が,司法記者であった澤田東洋男の『汚れた法衣――ドキュメント・司法記者』である。
本記事では,公文書で確認できる事実と同書だけが伝える内容を区別し,昭和42年当時の裁判官弾劾法と現行制度の違いも整理する。
第1 最高裁判所裁判官会議議事録で確認できる依願免官
1 昭和42年4月28日の決定
最高裁判所の開示資料である「最高裁判所裁判官会議議事録(昭和42年4月28日開催)」2頁~3頁の議題は,「高松高等裁判所長官人事」である。
同議事録によれば,人事局長は,当時の高松高裁長官の依願免官手続について最高裁判所長官が応急の措置をとった旨を説明し,全裁判官が依願免官を承認した。
したがって,本件の身分異動を表す語は「依願退官」ではなく,公式資料の用語に合わせて「依願免官」とするのが正確である。
次のX投稿には,同議事録の画像を掲載している。
最高裁判所裁判官会議議事録(昭和42年4月28日開催)→松本圭三 高松高裁長官の依願免官手続につき,横田正俊最高裁判所長官において応急の措置をとった。
を添付しています。 pic.twitter.com/iC0usW1NOo— 弁護士 山中理司 (@yamanaka_osaka) September 29, 2020
2 議事録に記録されていない事項
同議事録が直接裏付けるのは,対象者の氏名及び役職,昭和42年4月28日の依願免官手続,最高裁判所長官による応急の措置並びに全裁判官の承認である。
同議事録だけから,金品受領の有無,依願免官に至った理由,検察当局の判断又は報道見送りとの因果関係を認定することはできない。
第2 『汚れた法衣』が記す金品受領疑惑
1 資料の性質と参照範囲
澤田東洋男『汚れた法衣――ドキュメント・司法記者』は,現代評論社から昭和59年4月25日に初版が刊行された書籍である。
本件に関する中心的な記述は同書88頁~110頁にあり,免官後の制度上の問題に関する著者の評価は176頁~177頁にある。
同書は事件から約17年後に刊行された司法記者の取材記録であり,最高裁判所の議事録又は検察庁の処分書とは資料の性質が異なる。

2 同書が列挙する金品
同書99頁~101頁は,暴力金融業者とされた人物から当時の高松高裁長官へ渡ったとする金品を,次のとおり列挙している。
| 時期 | 同書が記す金品 | 参照頁 |
|---|---|---|
| 昭和39年7月 | ロレックスの腕時計 | 99頁~101頁 |
| 昭和39年11月 | 人形 | 99頁~101頁 |
| 昭和40年6月 | ブランデー等及び現金30万円 | 99頁~101頁 |
| 昭和41年8月10日 | 現金10万円 | 99頁~101頁 |
同書の列挙に基づく現金の合計額は40万円である。
もっとも,各金品がいかなる趣旨で交付されたか,裁判官の職務とどのような関係にあったかについて,刑事処分書その他の公的資料による独立の裏付けは確認できていない。
そのため,本記事は金品受領を同書の記述として紹介するにとどめ,収賄罪又はあっせん収賄罪が成立したとは断定しない。
3 検察の捜査と弾劾をめぐる同書の記述
同書94頁~98頁は,大阪地検特捜部が暴力金融業者に関する捜査の過程で高松高裁長官との関係を調べ,昭和42年3月下旬に東京の検察当局と協議したと記している。
また,同書は,大阪地検内に刑事立件とは別に弾劾手続に付すべきであるとの見方があったとする。
しかし,検察庁の公表資料,訴追請求書又は裁判官弾劾裁判所の判決として確認できた内容ではないため,検察当局の確定した判断として扱うことはできない。
さらに,同書109頁は,大阪地検が刑事責任を問わず,弾劾訴追を求める報告書も提出しなかったようであると記しており,著者自身が断定を避けている。
4 新聞報道の見送りに関する同書の記述
同書102頁~109頁によれば,読売新聞社内では記事化が検討されたが,司法関係者からの連絡及び訪問があり,翌日に免官が発令されるとの説明を受けて報道が見送られたとされる。
もっとも,最高裁判所裁判官会議議事録は,依願免官手続を記録するだけであり,新聞社への連絡又は報道見送りには触れていない。
したがって,「報道されずに幕引きされた」と因果関係まで確定することは避け,同書が伝える報道経緯として位置付ける必要がある。
第3 昭和42年当時と現在の弾劾・分限制度
1 昭和42年当時の裁判官弾劾法15条
裁判官弾劾裁判所の公式沿革によれば,昭和23年法律第93号による改正後の裁判官弾劾法15条2項は,高裁長官又は地裁所長が,所属裁判所又は管轄区域内の下級裁判所の裁判官について罷免事由があると思料するとき,最高裁判所長官へ通知する制度を定めていた。
同条3項は,その通知を受け,又は自ら罷免事由があると思料した最高裁判所長官に,裁判官訴追委員会への訴追請求を義務付けていた。
同公式沿革は,この制度の目的を,事件が国民の目の届かないところで処理されず,弾劾手続に乗る道を確保することにあったと説明している。
2 昭和56年改正後の現行制度
昭和56年法律第66号は,裁判官弾劾法15条2項の通知先及び同条3項の訴追請求主体を,「最高裁判所長官」から「最高裁判所」へ改めた。
現在の裁判官弾劾法2条は,職務上の義務への著しい違反若しくは職務の甚だしい懈怠又は職務の内外を問わず裁判官としての威信を著しく失うべき非行を,弾劾による罷免事由としている。
同法41条は,罷免の訴追を受けた裁判官について,終局裁判まで本人の願出による免官を留保する制度を定めている。
この免官留保は「罷免の訴追を受けた」後の規定であり,本件で訴追がなされたことは確認できていない。
3 弾劾,分限及び刑事責任の区別
裁判官分限法1条は,裁判官が本人の願いにより身分を失う場合を「免官を願い出た場合」と表現している。
裁判所法49条は,裁判官の職務上の義務違反,職務懈怠又は品位を辱める行状を懲戒事由とし,裁判官分限法2条は,懲戒を戒告又は1万円以下の過料としている。
高裁裁判官の分限事件は,裁判官分限法3条2項1号及び4条により最高裁判所が第一審かつ終審として大法廷で扱い,同法6条により司法行政上の監督権を行う裁判所の申立てで開始する。
一方,弾劾は裁判官の罷免を目的とする制度であり,分限上の懲戒及び刑事責任とは別の制度である。
金品授受に関する記述だけから,これら三つの責任が同時に成立すると推論することはできない。
第4 資料から確認できる範囲
公文書によって確認できるのは,昭和42年4月28日に当時の高松高裁長官の依願免官手続がとられ,最高裁判所の全裁判官が承認したことである。
金品授受,検察当局の捜査及び新聞報道の見送りは,今回確認できた範囲では『汚れた法衣』が伝える内容であり,公文書による独立の裏付けはない。
刑事処分書,裁判官訴追委員会への訴追請求書又は本件に関する弾劾裁判の判決も確認できていない。
したがって,金品受領疑惑と依願免官が時間的に近接していても,最高裁判所裁判官会議議事録だけを根拠として両者の因果関係を断定することはできない。
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第6 出典
1 公文書・歴史資料
- 最高裁判所「最高裁判所裁判官会議議事録(昭和42年4月28日開催)」2頁~3頁(掲載したX投稿の画像参照)
- 裁判官弾劾裁判所「弾劾裁判所の歴史/昭和20年代」
- 衆議院「裁判官弾劾法の一部を改正する法律」(昭和56年法律第66号)
2 法令
3 文献
- 澤田東洋男『汚れた法衣――ドキュメント・司法記者』現代評論社,昭和59年,88頁~110頁,176頁~177頁及び237頁~239頁