第1 本記事の範囲
刑事訴訟法等の一部を改正する法律(令和5年法律第28号)により,令和6年2月15日から,性犯罪の被害者等の個人特定事項(氏名及び住所その他の個人を特定させることとなる事項)を被疑者・被告人に知られないようにする措置が,逮捕,勾留及び起訴の各段階で設けられている。
本記事は,この措置がとられた事件で,弁護人に何が示され,弁護人が何を知ることができ,どのような請求や不服申立てができるかを,令和8年9月15日現在の刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の条文と最高裁判所の決定を基に整理するものである。
制度の概要や,警察・被害者の側から見た運用は既存の記事で扱っているので(第7参照),本記事では弁護人の手続に絞る。
第2 秘匿の対象と各段階の措置
1 対象となる者
(1) 被害者
刑事訴訟法201条の2第1項1号は,秘匿の対象となる被害者を,次の事件の被害者としている。
① 刑法176条(不同意わいせつ),177条(不同意性交等),179条,181条若しくは182条の罪,同法225条等の罪(わいせつ又は結婚の目的に係る部分に限る。)若しくは同法241条1項若しくは3項の罪又はこれらの罪の未遂罪に係る事件
② 児童福祉法60条1項の罪等,児童買春,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律4条から8条までの罪又は性的な姿態を撮影する行為等の処罰及び押収物に記録された性的な姿態の影像に係る電磁的記録の消去等に関する法律2条から6条までの罪に係る事件
③ ①・②のほか,犯行の態様,被害の状況その他の事情により,被害者の個人特定事項が被疑者に知られることにより,名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれ等があると認められる事件
(2) 被害者以外の者
同項2号は,被害者以外の者についても,個人特定事項が被疑者に知られることにより,「その者の名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるおそれ」や,その者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させ若しくは困惑させる行為がなされるおそれがあると認められる場合を対象としている。
2 逮捕
(1) 逮捕状に代わるもの
検察官又は司法警察員は,必要と認めるときは,通常逮捕の逮捕状の請求(刑事訴訟法199条2項本文)と同時に,被疑者に示すものとして,個人特定事項の記載がない逮捕状の抄本その他の逮捕状に代わるものの交付を請求することができる(同法201条の2第1項)。
裁判官は,逮捕状を発するときは,これと同時に逮捕状に代わるものを交付するものとされ,請求に係る者が対象者に該当しないことが明らかなときに限り交付しない(同条2項)。
逮捕の際には,逮捕状に代えて逮捕状に代わるものを被疑者に示すことができる(同条3項)。
(2) 緊急逮捕と不服申立て
請求は通常逮捕の逮捕状の請求と同時にするものとされているため,逮捕状によらない現行犯逮捕や,事後に逮捕状を請求する緊急逮捕には,逮捕状に代わるものの仕組みはない。
名古屋地裁・名古屋簡裁の「令状事務処理の手引(七訂版)」も,緊急逮捕状はこの秘匿措置の対象外であるとし,逮捕状に代わるものの交付請求の却下に対しては不服申立てができないとしている(手引25頁~26頁・33頁,PDF34頁~35頁・42頁)。
逮捕の段階には,後記の勾留段階のような通知の請求の規定もない。
3 勾留と鑑定留置
検察官は,必要と認めるときは,勾留の請求と同時に,被疑者に被疑事件を告げるに当たって個人特定事項を明らかにしない方法によること,及び被疑者に示すものとして勾留状の抄本その他の勾留状に代わるものを交付することを請求することができる(刑事訴訟法207条の2第1項)。
裁判官は,請求を受けたときは,個人特定事項を明らかにしない方法により被疑事件を告げ,勾留状を発するときは勾留状に代わるものを交付するものとされている(同条2項)。
これらの規定は,鑑定留置の請求にも準用される(同法224条3項)。
4 起訴
検察官は,必要と認めるときは,公訴の提起において,起訴状とともに,被告人に送達するものとして,個人特定事項の記載がない起訴状抄本等を提出することができ(刑事訴訟法271条の2第1項・2項),この場合,裁判所は被告人に起訴状抄本等を送達する(同条4項)。
起訴状抄本等の公訴事実については,刑事訴訟法256条3項のうち「できる限り日時、場所及び方法を以て」特定する部分が読み替えられ,罪となるべき事実を特定して明示すれば足りるとされている(同条3項)。
第3 弁護人が知ることができる範囲
1 勾留段階
(1) 勾留状の謄本の交付
勾留状の執行を受けた被疑者又はその弁護人は,勾留状の謄本の弁護人への交付を請求することができ,請求は書面でしなければならない(刑事訴訟規則150条の5第1項・150条の6第1項)。
勾留状に代わるものの交付があった事件では,弁護人には,原則として,勾留状に代わるものに記載がない個人特定事項を「被疑者に知らせてはならない旨の条件」を付して勾留状の謄本が交付される(同規則150条の5第5項)。
ただし,検察官が,条件を付すだけでは被害者等の名誉若しくは社会生活の平穏が著しく害されること又は加害行為等を防止できないおそれがあると認めて通知したときは,弁護人にも勾留状に代わるものの謄本だけが交付される(同条4項・6項)。
(2) 条件付きの勾留状謄本を求める請求
勾留状に代わるものの謄本だけが交付された場合,被疑者又は弁護人は,条件を付して勾留状の謄本を弁護人に交付する旨の裁判を請求することができる(刑事訴訟規則150条の7第1項)。
裁判官は,条件を付すことによって被害者等の名誉等の侵害や加害行為等を防止できるとき,又は勾留状に代わるものの謄本の交付により被疑者の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるときは,この裁判をしなければならず,裁判に当たっては検察官の意見を聴く(同条1項・2項)。
2 起訴後
(1) 起訴状の謄本
起訴状抄本等が提出された事件で被告人に弁護人があるときは,検察官は弁護人に送達するものとして起訴状の謄本を提出し,裁判所は,弁護人に対し,起訴状抄本等に記載がない個人特定事項を「被告人に知らせてはならない旨の条件」を付して起訴状の謄本を送達する(刑事訴訟法271条の3第1項・2項)。
起訴状抄本等の提出後に弁護人が選任された場合も同様である(同法271条の4第1項~3項)。
(2) 弁護人にも秘匿される場合
検察官は,条件を付すだけでは被害者等の名誉若しくは社会生活の平穏が著しく害されること又は加害行為等を防止できないおそれがあると認めるときは,起訴状の謄本に代えて弁護人に送達するものとして起訴状抄本等を提出することができ,この場合は弁護人にも個人特定事項が知らされない(刑事訴訟法271条の3第3項・4項,271条の4第4項・5項)。
3 記録の閲覧・謄写と証拠開示
(1) 閲覧・謄写に付される条件
裁判所は,検察官及び弁護人の意見を聴き,相当と認めるときは,弁護人が訴訟に関する書類又は証拠物を閲覧し又は謄写するに当たり,個人特定事項を被告人に知らせてはならない旨の条件を付し,又は被告人に知らせる時期若しくは方法を指定することができ,弁護人にも秘匿されている事件では,その部分の閲覧若しくは謄写を禁じることもできる(刑事訴訟法271条の6第1項・2項)。
もっとも,「当該個人特定事項に係る者の供述の証明力の判断に資するような被告人その他の関係者との利害関係の有無を確かめることができなくなるときその他の被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるとき」は,これらの措置はとれない(同条1項ただし書・2項ただし書)。
(2) 証拠開示の際の措置とその取消し
検察官が証拠開示の際にとる同様の措置(刑事訴訟法299条の4)については,被告人又は弁護人が裁判所に取消しを請求することができ,その請求についてした決定に対しては即時抗告をすることができる(同法299条の5第1項・2項・6項)。
最高裁平成30年7月3日第二小法廷決定(平成30年(し)第170号,刑集72巻3号299頁)は,同法299条の4,299条の5は憲法37条2項前段に違反しないとした。
この決定は,証人等の氏名等の開示に係る措置についてのものであり,令和5年の改正で個人特定事項に関する措置が加えられる前の判断である。
第4 弁護人がとれる請求と不服申立て
1 勾留段階の通知の請求
(1) 要件
裁判官は,勾留に当たって秘匿の措置をとった場合において,次のいずれかに当たると認めるときは,被疑者又は弁護人の請求により,個人特定事項の全部又は一部を被疑者に通知する旨の裁判をしなければならない(刑事訴訟法207条の3第1項)。
① 被害者の個人特定事項については,事件に係る罪が201条の2第1項1号イ・ロの罪に当たらず,かつ,同号ハの事件にも当たらないとき,被害者以外の者の個人特定事項については,その者が同項2号の者に当たらないとき。
② 「当該措置により被疑者の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるとき」。
(2) 手続
請求は,理由を記載した書面でしなければならない(刑事訴訟規則150条の2)。
裁判官は,請求について裁判をするときは,検察官の意見を聴かなければならない(刑事訴訟法207条の3第2項)。
一部を通知する裁判をしたときは,通知されない個人特定事項を明らかにしない方法により被疑事実の要旨を記載した新たな勾留状に代わるものが交付される(同条3項)。
これらの規定は鑑定留置にも準用される(同法224条3項)。
2 起訴後の通知の請求
裁判所は,起訴状抄本等を被告人に送達した場合において,207条の3第1項各号と同様の要件に当たると認めるときは,被告人又は弁護人の請求により,個人特定事項の全部又は一部を被告人に通知する旨の決定をしなければならない(刑事訴訟法271条の5第1項)。
弁護人にも起訴状抄本等が送達された場合には,条件を付すことによって名誉等の侵害や加害行為等を防止できるとき,又は防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるときは,被告人又は弁護人の請求により,弁護人に対し,被告人に知らせてはならない旨の条件を付して個人特定事項を通知する旨の決定をしなければならない(同条2項)。
これらの決定をするときは検察官の意見を聴き(同条3項),通知は個人特定事項を記載した書面によって行われ(同条4項),請求についてした決定に対しては即時抗告をすることができる(同条5項)。
3 不服申立ての制限と最高裁の判断
(1) 準抗告の理由の制限
刑事訴訟法429条3項は,勾留段階の秘匿の措置に関する裁判に対しては,「当該措置に係る者が第二百一条の二第一項第一号又は第二号に掲げる者に該当しないことを理由として」準抗告をすることができないとしている。
対象者に当たらないという主張は,前記1の通知の請求(207条の3第1項1号)の中ですることが予定されていると考えられる。
(2) 最高裁の決定
最高裁令和6年4月24日第三小法廷決定(令和6年(し)第262号,集刑333号289頁)は,刑事訴訟法207条の2第2項の方法により個人特定事項を明らかにしなくても,その余の事項から当該被疑事件を特定することができ,同条は被疑者が弁護人に依頼する権利を行使することを妨げるものでもないとして,同条が憲法34条に違反するとの主張を前提を欠くとした。
最高裁令和7年9月19日第一小法廷決定(令和7年(し)第735号)は,刑事訴訟法207条の3第1項の請求を却下する裁判に対する準抗告棄却決定について,申立人が既に釈放されている場合には,特別抗告は法律上の利益を欠き不適法であるとした。
勾留段階の通知の請求は,被疑者が勾留されている間に判断を得る必要があると考えられる。
4 防御上の不利益として主張する事情
通知の請求で中心となるのは,秘匿の措置により被疑者・被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるかどうかである。
刑事訴訟法271条の6のただし書は,防御に実質的な不利益を生ずるおそれの例として,個人特定事項に係る者の供述の証明力の判断に資するような,被告人その他の関係者との利害関係の有無を確かめることができなくなるときを挙げている。
被害者の氏名等が分からなければ,被害者と被疑者との関係や利害関係の有無を確かめられない事件では,その事情を具体的に示して請求することになる。
第5 弁護人に付される条件と違反
起訴状の謄本の送達,通知の決定,記録の閲覧・謄写に当たって付された条件に弁護人が違反したとき,又は時期若しくは方法の指定に従わなかったときは,裁判所は,弁護士である弁護人については,所属する弁護士会又は日本弁護士連合会に通知し,適当な処置をとるべきことを請求することができる(刑事訴訟法271条の7第1項)。
勾留状の謄本の交付等に当たって付された条件に弁護人が違反した場合も,裁判官は同様の請求をすることができる(刑事訴訟規則150条の8第1項)。
条件付きで個人特定事項を知った弁護人は,接見や打合せの際にも,被疑者・被告人にその内容を伝えないよう注意する必要がある。
第6 今後の改正
情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の一部を改正する法律(令和7年法律第39号)により,逮捕状や勾留状を電磁的記録によることができるようになるのに合わせて,逮捕状に代わるもの等の「交付」が「提供」に改められるなど,この制度の条文も改正される予定である。
この部分の施行日は政令で定める日とされており,e-Gov法令検索には令和9年3月31日施行予定として登録されている。
第7 関連記事
令状事務の中での逮捕状に代わるものの取扱いは,名古屋地裁の令状事務処理の手引(七訂版)-令状の点検項目,記載例及び現行法への読み替えで紹介している。
逮捕の手続は被疑者の逮捕及びおはよう逮捕とは何かで,警察の対応は被害者に関する犯罪捜査規範の主な条文と警察の対応で,被害者側からの説明は刑事裁判係属中の起訴事件の刑事記録を入手する方法(被害者側)で,留置施設での運用は大阪府警察の留置管理業務で扱っている。
令状審査の場面での検討例は,77期新任判事補研修の令状実務の設問を素材にした記事を参照されたい。
第8 出典
法令は次のとおりである。
① e-Gov法令検索「刑事訴訟法」201条の2,207条の2,207条の3,224条,256条,271条の2から271条の7まで,299条の4,299条の5及び429条(令和8年9月15日確認)。
② 最高裁判所「刑事訴訟規則」150条の2及び150条の5から150条の8まで(令和8年5月21日版)。
裁判例は次のとおりである。
① 最高裁平成30年7月3日第二小法廷決定(平成30年(し)第170号,刑集72巻3号299頁)。
② 最高裁令和6年4月24日第三小法廷決定(令和6年(し)第262号,集刑333号289頁)。
③ 最高裁令和7年9月19日第一小法廷決定(令和7年(し)第735号)。
資料は次のとおりである。
① 名古屋地方裁判所刑事書記官室・名古屋簡易裁判所刑事書記官室「令状事務処理の手引(七訂版)」(令和6年2月補訂)25頁~26頁及び33頁。