第1 この記事の対象と結論
1 対象と調査基準日
(1) 低所得・高資産の事案
本記事は,給与収入は低いものの,多額の株式,投資信託,債券又は預貯金を有する当事者について,婚姻費用又は養育費を算定するときに何を収入として扱うかを説明するものである。
金融資産から生じる配当・利息,売却によって確定した利益,売却前の含み益及び金融資産の元本は,それぞれ性質が異なるため,分けて検討する必要がある。
(2) 高額所得者の記事との違い
本記事の調査基準日は令和8年9月14日であり,同日現在の法令,裁判所公表資料及び確認できた裁判例を対象としている。
現実の年間収入が算定表の上限を超える場合は「高額所得者の婚姻費用(AI作成)」及び「養育費算定表の上限を超える高額所得者の計算方法-年収2000万円超の裁判例と実務(AI作成)」が扱う問題であり,本記事の低所得・高資産の問題とは区別される。
2 金融資産を算定へ反映する基本的な考え方
(1) 収入となるもの
現実に反復継続して受け取る配当は,算定の基礎となる収入へ含められることがある。
株式等の売却益は,売却代金全額ではなく,取得費及び手数料等を踏まえた損益を確認した上で,一時的な資産処分か,給与に代わる継続的な収益かを検討することになる。
(2) 直ちに年収とならないもの
含み益は売却前の評価差額であり,金融資産の元本は配当等を生み出す資産そのものであるから,いずれも配当と同じ意味での年間収入ではない。
本記事で確認した裁判例及び裁判所公表資料には,金融資産の時価へ一定の期待利回り又は取崩率を掛け,その金額を一律に年収とする標準的な算定式は示されていない。
第2 算定表と資産の関係
1 算定表の出発点は双方の年収である
裁判所の「養育費・婚姻費用算定表について(説明)」によれば,算定表は,縦軸を義務者の年収,横軸を権利者の年収とし,子の人数及び年齢等に応じた標準額を示すものである。
給与所得者については源泉徴収票の「支払金額」を,自営業者については確定申告書の「課税される所得金額」に実際には支出されていない控除等を加えた額を,それぞれ年収認定の出発点としている。
源泉徴収票又は所得証明書だけでは,申告不要又は非課税の配当,証券口座内で受け取った分配金及び株式等の譲渡損益を把握できないことがある。
金融資産が問題となる事案では,税務書類に加えて証券会社の資料及び生活口座への入出金を確認する必要がある。
2 婚姻費用では民法が資産を明示している
民法760条は,夫婦が「その資産,収入その他一切の事情を考慮して」婚姻から生ずる費用を分担すると定めている。
したがって,婚姻費用では資産も考慮事情となるが,この条文から資産時価の一定割合を算定表の年収欄へ入力する計算方法が当然に導かれるわけではない。
3 資産と収入を分けて主張する
金融資産に関する主張は,①通常の年間収入となる配当・利息,②継続性の評価を要する実現益,③未実現の含み益,④元本,⑤本来受け取ることができる収入の順に分けると,争点を明確にできる。
資産を保有しているという一事だけで年収を決めるのではなく,どの金額がいつ現金化され,生活費へ充てられていたかを示す必要がある。
第3 配当・利息・投資信託の分配金
1 継続する株式配当
(1) 配当を給与収入相当額へ換算した事例
東京家庭裁判所令和元年9月6日審判(平成31年(家)第1881号)は,平成30年の株式配当収入429万8793円を算定の基礎とし,配当は給与と異なり職業費を要しないことを踏まえて給与収入相当額へ換算した。
抗告審の東京高等裁判所令和元年12月19日決定(令和元年(ラ)第1989号)も,配当収入を給与収入へ換算して婚姻費用を算定する原審の判断を維持した。
(2) 将来の配当額
東京家庭裁判所の前記審判は,保有株式の一部が売却された後の期間について,売却後に残った株式数を基礎として将来の配当収入を認定した。
直近1年の配当額だけで固定せず,保有数量,配当実績,減配・無配,売却及び再投資の状況から継続見込みを確認する必要がある。
2 特有財産から生じた収益
(1) 特有財産であることだけでは除外されない
東京高等裁判所昭和42年5月23日決定(昭和41年(ラ)第510号・第540号)は,妻の特有財産から生じた賃料収入を婚姻費用の算定資料から原則として除く理由又は慣行はないとした。
大阪高等裁判所平成30年7月12日決定(平成30年(ラ)第389号)も,特有財産からの配当又は賃料であっても,婚姻中の生活費の原資となっていた場合は算定の基礎となる収入として扱った。
(2) 同居中の生活原資ではなかった事例
東京高等裁判所昭和57年7月26日決定(昭和57年(ラ)第148号・第258号)は,夫婦が同居中に専ら給与所得で生活し,相続財産及びその賃料収入を直接の生計の資としていなかった事案で,主として給与所得を考慮した。
特有財産からの収益については,常に含める又は常に除外すると一般化せず,反復継続性,同居中の家計への流入及び給与減少後の生活原資を個別に確認する必要がある。
3 利息及び投資信託の分配金
預金・債券の利息及び投資信託の普通分配金は,現実に受領し反復継続する点で配当に近い性質を有するため,税引前額,必要経費及び継続見込みを確認して収入への算入を検討することが考えられる。
もっとも,本記事の調査では,利息又は投資信託の分配金自体を中心争点として具体的な計算方法まで示した公刊裁判例は確認できておらず,配当に関する裁判例からの類推には限界がある。
投資信託の特別分配金又は元本払戻金は,投資元本の払戻しを含むため,普通分配金と同じ継続収入として扱うことはできない。
年間取引報告書だけでなく,分配金明細に記載された普通分配金と特別分配金の内訳を確認する必要がある。
第4 株式等の実現益と含み益
1 売却代金と売却益を区別する
株式を2500万円で売却しても,取得費が2400万円であれば,売却代金の全額が新たな経済的利益となるわけではない。
少なくとも,①売却代金,②取得費,③手数料,④確定した譲渡損益,⑤税額,⑥同種取引の回数を区別して集計する必要がある。
2 一時的な実現益
大阪高等裁判所令和4年2月24日決定(令和3年(ラ)第869号)は,確定申告書の添付資料に上場株式等の譲渡収入2456万5417円が記載されていても,譲渡所得が約18万円にとどまり,不動産の譲渡所得はマイナスであり,仮に収入を得ていても一時的であるとして,婚姻費用算定の収入認定では考慮しなかった。
一回限りの資産処分については,売却代金の大きさだけで継続的な支払能力を認定しないことを示す事例である。
大阪高等裁判所平成30年7月12日決定は,平成28年の長期一般譲渡益176万5500円を認定事実に掲げたが,算定に用いた収入は給与,配当,年金及び不動産所得の合計であり,同譲渡益を計算式へ加えていない。
もっとも,同決定は譲渡益を除外する一般的な基準を判示したものではないため,あらゆる実現益を収入から除く根拠とすることはできない。
3 反復継続する売買益
毎年多数回の売買を行い,実現益を生活費の原資としている場合は,一回限りの資産処分とは事情が異なる。
この場合には,複数年の実現損益,取引頻度,投下元本,生活口座への出金及び今後の継続可能性から,給与に代わるキャッシュフローと評価できるかが争点となる。
本記事の調査では,個人による継続的な有価証券売買益を婚姻費用又は養育費へ算入する際の平均期間及び具体的な計算方法を直接示した公刊裁判例は確認できていない。
したがって,直近3年平均等を用いる場合も,それを確立した一律基準として示すのではなく,変動をならすための事案別の計算案として説明することになる。
4 未実現の含み益
含み益は,現在時価が取得価額を上回る状態であり,売却するまでは利益も税額も確定せず,価格下落によって減少又は消滅することがある。
算定表が年間収入を基礎とし,裁判例が株式の元本と配当を区別していることから,含み益をそのまま当年の年収へ加える根拠は弱い。
もっとも,含み益を年収へ直接加えないことと,多額の換金可能な資産を一切考慮しないことは別問題である。
資産の保有状況は,生活水準,減収の合理性,資金源及び後記の元本取崩しの主張に関する事情となり得る。
第5 金融資産の元本と本来得られる収入
1 元本取崩しの原則と例外
(1) 3億円を超える株式の事例
東京高等裁判所令和元年12月19日決定は,義務者が容易に売却できる時価総額3億円以上の株式を保有していた事案で,通常,生活費は収入が不足する場合のほかは固有資産を取り崩して充てるべきものではないとして,保有株式そのものを婚姻費用へ反映する主張を退けた。
この判断によれば,多額かつ換金可能な株式を保有していることだけで,その元本を年間収入と同じように扱うことはできない。
(2) 資産を考慮する主張に必要な事情
収入だけでは最低限の生活費にも不足する一方で多額の流動資産があり,同居中も元本を生活費へ継続的に充てていた場合には,資産を全く考慮しないことの公平性が争点となり得る。
その場合も,①双方の資産,②取得時期及び原資,③換金可能性,④担保又は処分制限,⑤含み損益,⑥売却税・手数料,⑦同居中の取崩実績,⑧老後資金その他の合理的用途を明らかにする必要がある。
2 受給できるのに受給していない収入
東京高等裁判所令和元年12月19日決定は,保有株式の元本取崩しを否定する一方,受給開始を本人の判断で繰り下げていた年金については,夫婦共同生活の糧とするのが通常であるとして,本来受給できた年金額を算定の基礎へ加えた。
この対比からは,資産そのものを取り崩す問題と,本来得ることができる継続収入を認定する問題を分ける必要がある。
3 一人会社の内部留保と私的支出
東京高等裁判所令和4年5月24日決定(令和4年(ラ)第582号)は,一人会社であっても,法人格が形骸化又は濫用されていない限り,会社の内部留保を株主個人の収入と直ちに同視することはできないとした。
同決定は,他方で,会社が負担した家電,通信費,自動車,旅行等や,説明されていない資金源を,標準算定方式による養育費額の調整要素として考慮した。
役員報酬又は配当を自ら決定できる立場にある場合は,申告上の給与だけでなく,会社決算書,過去の役員報酬・配当,会社と個人間の貸付金・仮払金及び会社負担の私的支出を確認する必要がある。
もっとも,会社資金を株主個人の財産と推定したり,事業継続に必要な内部留保まで当然に個人収入としたりすることはできない。
第6 婚姻費用と養育費で同じ結論になるとは限らない
1 共通する出発点
婚姻費用と養育費はいずれも,双方の収入を把握し,裁判所の標準算定方式・算定表を出発点として個別事情を検討する。
配当,売却益又は申告外収入があるときは,名目ではなく,現実の受領額,継続性及び生活費への充当状況を確認する必要がある。
2 婚姻費用における資産
婚姻費用については,民法760条が資産を明示的な考慮事情としているほか,同居中の夫婦共同生活と同程度の生活を保持するという観点が問題となる。
このため,同居中に資産収益又は元本が家計へ流入していたかは,特有財産性とは別に検討される。
3 養育費における資産
養育費は離婚後の子の監護費用であり,婚姻費用に含まれる配偶者の生活費を含まない。
公益社団法人商事法務研究会が法務省の委託を受けて作成した令和4年3月の調査研究報告書は,養育費算定で資産を考慮する方法を制度上の選択肢として検討しているが,現行の拘束的な算定基準を示したものではない。
同報告書47頁~49頁は,収入が低額又はゼロであるのに資産を有する場合等に限って考慮する案を挙げる一方,双方の資産把握,審理の長期化,予測可能性の低下及び資産を組み込んだ算定表が存在しないことも指摘している。
婚姻費用の裁判例を養育費へ用いるときは,両制度の目的及び対象の違いを踏まえて射程を検討する必要がある。
第7 資料収集と主張の組み立て
1 まず集める資料
(1) 収入及び取引を示す資料
権利者側が相手方の金融資産収益を主張する場合は,まず,①源泉徴収票,確定申告書及び所得証明書,②証券会社の年間取引報告書,取引残高報告書及び配当金計算書,③証券口座と生活口座の入出金履歴,④銘柄別の保有数量,取得価額及び売却履歴を整理する。
義務者側が一時的な売却又は元本回収であると反論する場合は,取得費,手数料,損益通算,売却後の保有残高及び取引目的を示す資料を提出することが考えられる。
(2) 同居中の生活原資を示す資料
特有財産からの収益又は元本が争われる場合は,生活口座への定期送金,クレジットカード決済,住宅費,学費及び日常生活費の支払記録から,同居中に何を生活原資としていたかを確認する。
資産の存在だけでなく,家計への流入経路及び反復性を時系列で示すことが,配当・実現益・元本を区別する手掛かりとなる。
2 複数年の集計と二重評価の防止
収益の変動が大きい場合は,単年の金額だけでなく,複数年の配当,実現損益,元本の入出金及び期末資産額を同じ基準で並べることが考えられる。
急な減収又は売却があるときは,その時期,理由,継続見込み及び婚姻費用・養育費請求との時間的関係を確認する必要がある。
株式売却代金を収入へ加えた上で,同じ代金による預金残高を資産として再び全面的に評価すると,同一の経済的価値を二重に評価するおそれがある。
配当落ち,特別分配金,元本払戻し及び譲渡損益通算についても,名称だけで判断せず経済的内容を確認する必要がある。
3 相手方が保有する資料の取得
家事事件手続法152条の2は,婚姻費用又は養育費等に関する審判事件で,家庭裁判所が必要と認めるときに,当事者へ収入及び資産に関する情報の開示を命ずる制度を定めている。
もっとも,この制度は金融資産を一定率で年収へ換算する規定ではなく,開示命令の必要性及び対象となる情報は個別に判断される。
相手方又は金融機関が保有する資料を依頼者側が当然に入手できるわけではないため,まず手元の税務書類,既知口座の取引履歴及び家計への入金記録から,不足資料と証明対象を特定する。
調査嘱託,文書送付嘱託,文書提出命令又は弁護士会照会を検討するときも,対象資料,保有者及び証明しようとする事実を具体化し,不採用又は不回答の可能性を踏まえる必要がある。
4 主張の順序と追加調査の停止基準
主張書面では,①算定表へ入力する通常収入,②変動をならす必要がある収入,③本来得ることができる収入,④算定表外の調整事情,⑤元本取崩しを求める例外事情の順に分けると,どの事実が計算のどこへ影響するかを示しやすい。
資産額だけを示すのではなく,採用する金額,対象期間,計算式及び反対方向の事情を明示する必要がある。
追加調査は,取得予定の資料によって配当の継続性,実現損益,生活原資又は会社負担の私的支出に関する評価が変わる場合に優先する。
既に双方の取引資料がそろい,未取得資料が算定結果を変えない場合や,取得手段の負担が見込まれる差額に比して過大な場合は,和解案を含む現在の証拠に基づく評価へ移ることが考えられる。
第8 関連する山中弁護士ブログの記事
1 算定表及び高額所得者
算定表へ入力する年収の基本は「婚姻費用算定表の見方,計算方法と特別事情(AI作成)」が扱っている。
算定表の上限を超える現実収入がある場合は,前記の高額所得者に関する婚姻費用及び養育費の記事を参照されたい。
2 算定結果が不自然な場合
使用する表,収入欄,子の年齢及び特別事情を順番に確認する方法は「婚姻費用算定表の結果がおかしいとき-収入・表・年齢・特別事情の確認順序(AI作成)」が扱っている。
金融資産がある事案では,同記事の一般的な確認に加え,本記事で述べた配当,実現益,含み益,元本及び本来得られる収入の区別が必要となる。
第9 出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)760条,766条,766条の3及び877条。
②家事事件手続法(平成23年法律第52号)152条の2。
2 裁判例
①東京高等裁判所昭和42年5月23日決定(昭和41年(ラ)第510号・第540号,家庭裁判月報19巻12号39頁,判例タイムズ226号196頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
②東京高等裁判所昭和57年7月26日決定(昭和57年(ラ)第148号・第258号,家庭裁判月報35巻11号80頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
③大阪高等裁判所平成30年7月12日決定(平成30年(ラ)第389号,判例時報2407号27頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
④東京家庭裁判所令和元年9月6日審判(平成31年(家)第1881号,判例時報2471号72頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
⑤東京高等裁判所令和元年12月19日決定(令和元年(ラ)第1989号,判例タイムズ1482号102頁,判例時報2471号68頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
⑥大阪高等裁判所令和4年2月24日決定(令和3年(ラ)第869号,判例タイムズ1508号108頁,判例時報2561・2562合併号76頁,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
⑦東京高等裁判所令和4年5月24日決定(令和4年(ラ)第582号,裁判所HP未掲載,判例秘書で全文確認)。
3 裁判所の司法研究及び説明資料
①裁判所「平成30年度司法研究(養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究)の報告について」(令和元年12月23日公表)。
②平成30年度司法研究の研究員「養育費・婚姻費用算定表について(説明)」(全5頁)。
4 法務省委託の調査研究報告書
①公益社団法人商事法務研究会「養育費の支払義務者が自営業者等である場合における養育費額の算定の在り方に関する調査研究報告書」(法務省委託,令和4年3月)47頁~49頁(PDF51頁~53頁)。